優しさの意味
小嶋翔君。
髪の色は明るい茶色で、普段は長い前髪をヘアピンで留めている。
バスケ部で、レギュラーではないけれどうまいみたい。
クラスの中では結構発言力が強く、結構やりたい放題。自分が望まない意見になりそうになったら、無理やり自分の意見を通そうとして話がややこしくなったりする場面もちょくちょく見かける。そういう時は沼田君が小嶋君をなだめたりしているのでやっぱり沼田君は凄い人なんだなと思う。
楠さんのことが大好きなようで、猛烈なアピールをして気を引こうとしている。多分、全男子の中で一番アピールしているのは小嶋君だ。
雛ちゃんとはあまり仲が良くないようで、言い合いのような場面を何度も見てきた。結局は小嶋君がどうでもよさそうに諦めるのだけれども、諦めるのなら最初から言い合いなんてしなければいいと思う。
男子二位の位置にいるけれど、粗暴な性格のため、かなり多くの人から恐れられている。僕も、できる事なら関わりたくない。
バスケをしているので運動は出来るみたいだけれど、勉強の方はよく分からない。この学校は上位三十人の結果が張り出されるが、前回のテストで小嶋君の名前が無かったので多分普通位なのだと思う。
それくらいしか知らない。
最近ますます思うけれど、やっぱり関わりたい人間ではない……。
痛い思いはしたくないもん。
でも、その願いは聞き入れられない。
さっきもちょっかいを出された。
朝トイレで出会って、わざと肩をぶつけられた。
怖い。
小嶋君は怖い。
何より、なんで怒っているかを教えないので怖い。
どうしていいのか分からないから。
僕に少しでも腕力があれば小嶋君を抑え込んで話を聞けるのに。少しでもすばしっこさがあれば避けて話を聞けるのに。僕はひ弱だしどんくさいからダメだ。
小説みたいに、何か特殊な力に目覚めればいいのに。
「……」
暇な朝。
僕は机の真ん中をじっと見て時間が過ぎるのを待つ。僕、話し相手っていなかったみたい。友達と思っていた人も最近は話しかけてくれないし、僕はずっと孤独だったんだ。
「おう、優大」
孤独の中で、唯一雛ちゃんだけが話しかけてくれる。
雛ちゃんが僕の前の席に座って笑顔を見せてくれた。
「あ、おはよう、雛ちゃん。昨日は、ごめんね……」
「昨日? ……ああ、昼の。別に気にしてねえよ。そんなことより、お前今日は本読まねえんだな」
「う、うん。家に忘れてきちゃって」
本当は忘れてなんかない。持ってくる本が無かったんだ。
「ドジだなぁ。でもま、その方がいいんじゃねえの」
「え? どうして?」
「本読んでたら話しかけづらいじゃん。暇そうにしてた方が話しかけやすいだろ」
「う、うん。でも、僕、話し相手いないから」
「私がいるじゃねえか。し ん ゆ う だろ」
何故か親友と言う言葉を強調されたけれど、僕はとっても嬉しかった。
「うん。ありがとう」
「まあ、私は本読んでようが関係なく話しかけるんだけどな」
かっこよく笑った。どんな笑顔でも似合うなぁ雛ちゃんは。
と、ここで!
「?!」
ものすごい悪寒に襲われた!
きょろきょろと辺りを見渡す。すぐに悪寒の正体を見つけた。
「うぎぎぎぎぎぎ……!」
前橋さんだ! ハムスターな勢いで爪を噛んでいる! 怖い!
「どうした?」
怯えている僕の様子を訝しんでいる雛ちゃん。
「な、にも、無いけど、その、雛ちゃんは、前橋さんと、話した方が、楽しいんじゃ、ないかな?」
僕の言葉をどう取ったのか、雛ちゃんがすぐに怒った顔を見せた。
「……なんだよ。お前は私にどっか行って欲しいってのか?」
「そ、そんなわけないよ! 僕だって雛ちゃんと仲良くしたいよ!」
「なっ。そんなこと、大声で言うなよっ」
恥ずかしかったのか、真っ赤になる雛ちゃん。それを見て僕も赤くなった。少し恥ずかしいセリフだったね……。
「あ、ごめん……」
俯く僕に、雛ちゃんが明るく話しかけてくれる。
「だったらもっと話そうぜ。その方が私だって楽しいし」
「う、うん……」
気のせいかもしれないけど、視界の隅に映っている前橋さんの髪が逆立ち口から紫色のモヤが出ているよ。きっと僕の恐怖が幻覚を見せているんだね。
「優大、なんか最近元気ないけど疲れてんのか?」
心配そうに聞かれた。
疲れているというより恐れているのだけれども、言えない。
「え、あ、うん。そう。疲れてる」
「それはよくないな。気分転換が必要なんじゃねえの?」
「そうだね。でも、僕趣味とかないし、どうやって気分転換すれば……」
ニヤニヤ動画じゃあ気分転換にならないし、運動しようにも一人じゃあ楽しくないよね。
「明日土曜だし、どこか出かければいいじゃん」
「そうだね。でも、どこへ行こう……。楽しい場所どこかあるのかな。雛ちゃんいいところ知ってる?」
「んー? そうだなー……」
と、少し考え、ちらりと僕に視線を送る。
「……あー……のさ。もしよければ、明日、私と――」
「席につけー!」
ああ、楽しかった雛ちゃんとの会話が終わってしまった……。短い間だった。
「――ちっ」
雛ちゃんが忌々しげに先生を睨み付けていた。
「またあとで話すわ」
すぐに笑顔に作り替え僕にそれを見せてペちぺちと僕の頬を叩き、自分の席へ戻って行った。
なんだろう、なんて言いたかったんだろう。……もしかして、僕と遊んでくれるのかな。もしそうだとしたら嬉しいな。とっても楽しい休日になるね。
またあとで、か。
一体何が聞けるのかな。
でも、結局、雛ちゃんが言った『またあとで話す』の内容を聞けないまま、僕はこの日を終えることになった。
この日の小嶋君は、昨日、一昨日よりも酷かった。
休み時間の度に教室から僕を連れだし、校舎裏でいつもより酷い暴力を振るってきた。
だから雛ちゃんと話すチャンスが無かった。
放課後まで、それは続いた。
「うっ!」
小嶋君に胸ぐらをつかまれ壁に押し付けられる。苦しい。
「……」
相変わらず小嶋君は怒った顔をするだけで何も言わない。
「な、なんでこんなこと、するの……」
「うるせぇ」
「ううぅ!」
ぐっ、と押し付ける力を強める。さっきよりも苦しい……。
「……」
「や、やめて……やめてください……」
胸ぐらをつかんでいる手を引き離そうとするが、全然勝てない。筋力に差がありすぎる。
「……んでてめえなんだよ」
「苦しい……放して……!」
「なんでてめえなんだよ」
「な、何が……?」
「若菜ちゃんだけじゃなく、有野までお前のことを気に入ってるみたいじゃねえか。どうしててめえみたいななよなよした奴がちやほやされるんだよ。あぁ?」
「そ、それは、勘違い、だよ?」
僕なんかがちやほやされるわけないのに。でも、小嶋君は何も聞いてくれない。
「うるせえんだよ!」
「うぅ!」
今まで顔は殴られてこなかったけれど、今、初めて左頬を思いっきり殴られた。
そのおかげで、おかげと言ってもいいのか分からないけれど、胸ぐらをつかんでいた左手から解放された。
「う……ど、どうして、殴るの……」
「気持ちわりぃんだよ!」
「あっ!」
近寄ってきて、僕を何度も踏みつける。僕は丸まって必死に耐えた。
「ムカつくんだよ……! お前みたいな奴は!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
謝るけれど、何も聞いてくれない。
「すみませんすみません!」
聞いてくれないというより、聞こえていない。
耐えるしかないんだ。痛いけど、我慢しよう。
そう思った矢先、
「死ねよ!」
脇腹を思いっきり蹴り上げられた。
「……!」
息ができなくなった。
「……ふざけんじゃねえよ」
小嶋君が何か言っているが、聞こえない。呼吸をするだけで精一杯だ。
遠ざかる足音、あふれ出る涙、脇腹の痛み、全部気にならない。
僕はただ生きようとした。
・
・
・
十数分後。もう呼吸はできる。恐怖は去った。
けれど。
僕はどうしようもなくショックを受けていた。
怒らせているとかではない。
僕は憎まれていた。
何かの拍子に殺されてしまうのではないかと言うほどに憎まれていた。
波風を立てないよう意識して過ごしてきた僕がこれほどまで恨みを買うことになるとは思わなかった。
今までの生き方が間違っていたこと、これから先どうやって生きて行けばいいのか、僕が何をしたのか。色々と目の前に現れた問題に僕はどう対処すればいいのか分からなかった。
お腹はまだ痛い。顔もいたい。きっと青くなっている。顔を殴られたのは初めてだ。こんなに痛いだなんて。お腹を蹴られて呼吸ができなくなったのも初体験だ。本当に、死ぬかと思った。
「……」
誰もいない校舎裏で、僕は涙を流した。
どうすればいいのか分からず、とにかく泣いた。声を殺して泣いた。
「ゆうたー?」
遠くから聞こえてくる声にハッと顔を上げる。
この声は雛ちゃんだ。僕を探している。
涙を拭って立ち上がり、どうしようか辺りを見渡す。
でも結局逃げることもできず、涙目でそこに立ち尽くすことしかできなかった。
「優大ー。あー、やっと見つけた。お前なんでこんなところに…………優大?」
「う、うん」
顔を見られたくなかったので俯いた。でも、雛ちゃんのテンションが一気に下がったので、もしかしたらばれたのかもしれない。
「………………………………誰が犯人だ」
怖い声色で僕に問う。僕は質問の意味が理解できないふりをした。
「え、な、何が?」
僕の反応を見て雛ちゃんが怒る。
「誰だって聞いてんだよ! 誰にやられたんだ!」
「な、何も、されてない……」
駆け寄ってきて、僕の両肩を掴む。
「ふざけんじゃねえ! どこのどいつだ! 教えろ!」
「だ、大丈夫だから。少し転んだだけだから」
「ならこの服についてる足跡は何なんだよ! てめえ教えろ!」
がくがくと僕の体を揺らす。僕はとにかく白を切った。
「何も、無いから」
「……っ! てめぇ…………。……………………小嶋、か?」
「ち、違う! ……よ……」
しまった。返答がおかしなことになってしまった。
「あいつ……! 殺す……!」
荒々しく僕の肩を突き放し、どこかへ向かおうとする雛ちゃん。
「ま、まって……」
僕は慌てて雛ちゃんの腕をつかんで引き止めた。
「大丈夫。僕は何ともないから」
出来る限り明るい声で言った。
「何ともない訳ねえだろ!」
雛ちゃんが振り向き僕の顔を見る。僕の顔を見るなり悲しそうに眉を寄せた。
「お前……、ひでえ顔じゃねえか! 顔も殴られたのかよ! あの野郎!」
しまった。顔を見せてしまった。
「なんで殴られたんだ!」
悲しそうだった顔から再び怒りの顔に戻す雛ちゃん。
「そ、その、それが、よく分からなくって……」
「あの野郎……!」
体育館がある方を睨み付け歯を食いしばる雛ちゃん。
「まって! 小嶋君だなんて言ってないよ!」
「でもそうなんだろう?! あいつ以外にいねえ!」
「ち、違うよ……」
「違わねえ!」
雛ちゃんが怒っている。僕なんかの為に怒っている。嬉しい。
また涙がにじむ。
「痛むのか?!」
僕の両肩を包み込むように掴む。優しい手だった。
「ち、違うよ。その、雛ちゃんが怒ってくれるのが嬉しくって」
「んなの当たり前だろ……友達じゃねえか!」
「うん、うん」
僕にも味方がいるんだ。
雛ちゃん少し膝を曲げ、うつむきがちな僕を見上げるような位置から諭すように言う。
「だからな、私が代わりに仇をうってやる。誰がやったか教えてくれ」
「……それは、お、教えられない……」
「なんでだよ。お前はそれでいいのか」
「よ、よくないけど、その、雛ちゃんに迷惑かかるから」
両肩を持つ手にぐっと力が入る。
「迷惑なもんか! お前の為ならなんだってする!」
「でも、それで雛ちゃんが傷ついたりしたら、僕、その、嫌だから……」
「……」
雛ちゃんが呆れたように曲げていた膝を伸ばし僕から手を離した。
「……はぁ……」
大きくため息をつく雛ちゃん。僕は慌てて言い訳をする。
「それに、その、これは僕が自分で解決しなきゃいけないことだし、雛ちゃんに手間かけさせられないよ」
「……そうか……」
とっても悔しそうに落ち込む雛ちゃん。
「……お前は本当に優しいな」
その姿のまま。僕のことを褒めてくれた。
「そんなこと、ないよ……」
「優しいよ。でも、どうするんだ。どうやって解決するんだ?」
犯人を聞きだすことは諦めれくれたみたいだ。
「……そ、それは……」
ど、どうしよう……。
「目には目を、歯には歯を。殴られたら殴り返せ」
「そ、そんな。僕、勝てないよ……」
「鍛えればいい」
「鍛える……」
「私が喧嘩を教えてやる!」
格好よくポーズを決めた雛ちゃん。
「そ、それは……。雛ちゃん女の子だし、危ないよ」
「優大になんか負けねえよ。舐めんじゃねえ」
「う。そ、そうだけど……。でも……」
喧嘩……。それしかないのかな……。
でも、確かにこのままじゃあ話し合いにならないし。
せめて一方的にならないくらいにならないと。
でも、雛ちゃんにケンカを教えてもらうって、雛ちゃんと殴り合うってことなのかな……。それはかなり抵抗があるよ……。万が一、万が一! 僕のパンチが当たったりなんかしたら……。
雛ちゃんは女の子だもん。僕と雛ちゃんの間に圧倒的な力の差なんてないはず。……多分。
雛ちゃんの可愛い顔を傷つけたりなんかしたら……! それはもう死んでも死にきれないよ!
ど、どうしよう。喧嘩以外の解決方法を……。
……。
何も、思いつかない……。
多分小嶋君の暴力をいなすようなことも必要だし……。僕の弟に頼もうかな? ……でも、小学六年生だし……。じゃあ、お姉ちゃんは? 高校三年生だけど、女の子だし……。どうすればいいんだろう。……僕に、お兄ちゃんがいれば……。
……。
「……あ!」
閃いたよ!
「あん? どうした」
突然声を上げた僕に雛ちゃんが怪訝な顔を向ける。
僕とってもいいアイデアを思いついてしまったよ!
「雛ちゃん! 僕國人君に頼むことにするよ! 國人君なら喧嘩慣れしていると思うし、僕なんかひとたまりもないよね! 喧嘩を教えてもらうには一番だよ!」
「え……」
雛ちゃんの顔が渋くなった。
「え? どうしたの?」
何か都合の悪い事があるのかな。
「……あ、そう言えば……、國人君、何か問題抱えてるんだったよね……」
「……あ、あぁ? まあ、そう、なんだけど……」
しまった。忘れていた。バカなことを言った。
「ご、ごめんね、無神経なこと言って……」
「いや、全然そんなことはねえよ……」
でも雛ちゃんの顔はすぐれない。………………もしかして、國人君――
「……そうだな。いい機会だし兄貴に会わせるよ」
何か覚悟を決めたような面持ちで僕と向かい合っている。
「う、うん。その、大丈夫?」
「……ああ。大丈夫だぜ。むしろそのセリフは私が言うセリフだ。優大、覚悟はできてるか?」
「う、うん……」
正直、あんまり……。
一体何が起きているのか分からないけれど、いい事ではなさそうだよね。
「どんな状態でも、泣かないって約束できるか。どんな状態でも、兄貴だって、言ってくれるか」
「うん。それは、もちろんだよ。國人君がどうなっていても、僕は國人君の幼馴染だよ」
「……そっか。なら、会わせてやる……。……ショック、受けないでくれよ……」
とても悲しそうに、雛ちゃんが俯いた。