幼馴染の存在も都市伝説でしょ? え? 違うの?
有野雛さん。
金髪セミロングで背は普通。楠さんのようにスタイルがいいわけではないけれど、それは楠さんが特別いいと言うだけで有野さんのスタイルが悪いと言いたいわけではない。細くってスレンダー。
楠さんのように身長が高いわけではないし、楠さんのように胸もあるわけではないけれど、楠さんに負けないくらい可愛い。
大きくてほにゃんとした目。潤んでいるような形のいい唇。
楠さんは近寄りがたい美しさで、有野さんは親しみやすい可愛さ。女優とアイドル、と言えばいいのかな……? なんか違う気がする。しかも今とっても失礼なこと言っているのかも……。
とにかく、有野さんは可愛い。
僕が幼馴染だなんて申し訳ないです……、と思うほど可愛い。
美少女で、勉強ができて、運動もできる。みんなを引っ張る力を持っていて、有野さんを慕って集まってくる人も多い。女子の人気で言えば、有野さんの人気が高くて、男子の人気で言えば楠さんの人気が高い。
ただ、有野さんは好き嫌いをはっきりと言うタイプだからそれを良しとしない人は有野さんと距離をとっているみたい。そう言った点で、我が強い。
この前、きゃぴきゃぴしている女の子(語尾に☆とかついちゃいそうな人)にむかって「うぜえから普通にしゃべれよ!」と言っていたのを見たことがある。あと「缶が開けられなーい☆」って言っていた驚くほど力の弱い女の子に「なら買うんじゃねえよ!」と怒っていた。ストレートだなぁって思ったね。
でもそう言った男前なところに憧れる女の子も多いみたい。
楠さんと有野さんがクラスの女子ナンバーワンとして、その一つ下の位置にいる前橋さんは有野さんを慕っているみたいだし、有野さんの人気は凄いね。金メダルと銅メダルを一緒に取ったみたいな感じだね。
有野さんは男勝りな性格なので、男子にも人気がある。でもちやほやされるのが嫌みたいでいつもうっとうしそうに追っ払っている。もちろん気に入らない男子には強く言葉をぶつけるので、有野さんを苦手とする男子もそれなりに多い。お昼に言い合っていた小嶋君も、有野さんのことをあまり好いてはいないようだ。
有野さん。
好き嫌いをはっきり言う人。
そして。
好き嫌いがはっきり分かれる人。
好きな人は好きだし、苦手な人は苦手。
多分、そんな感じ。
……でも、楠さんと有野さんの関係ははよく分からないや……。
楠さんは有野さんのことを嫌っていないし、有野さんも楠さんのことを嫌っていないみたい。
でも有野さんは楠さんに意見することが多いし、今朝だって楠さんが強めに怒られていた。
一見嫌いあっているように見えるのに、実はそうでもないみたい……。
よく分からないや……。
「佐藤君」
「え?」
放課後、帰ろうと荷物をまとめているところに、楠さんが話しかけてきた。
「佐藤君、今から暇でしょ?」
思わず暇だと言ってしまいそうになる笑顔。暇意外に答えが無いのではないかと思う。
いやいや。
僕は頭を振ってその考えを散らす。
「あの、僕、この後用事が……」
「え? 用事があるの?」
「うん……」
楠さんが僕だけに聞こえる小声で言う。
「……あの暇でしょうがない佐藤君に用事? それ嘘でしょ?」
「う、嘘じゃないよ……」
「……ふーん」
ジト目で僕を見た後、やれやれといった感じでおもむろに携帯電話を開いた。
「な、なんで携帯電話を操作しているの?」
「え? 私がケータイ操作したらダメかな」
「だめじゃないけど、その、なんでこのタイミングなのかなーって思って」
「あはは。別にどんなタイミングでもいいでしょー。あーそれにしても今日は暑いね。思わず汗でケータイが滑り落ちそうだよ。そのせいでうっかりデータフォルダの中の写真が見られちゃうかもしれないね。でも暑いからしょうがないよね。――あっ、おっとっと、手からケータイが……」
と言いながらボウリングの球を投げる時のように携帯電話を構えた。
「ごめんなさい僕暇でした!」
「あ、そうなんだ。ならちょっといいかな」
笑顔で携帯をしまってくれた。ふ、ふぅ……。死ぬところだった……。
なんて安心している場合じゃない。有野さんに事情を説明しておかなきゃ。
教室を見渡し有野さんの姿を探す。
……。
い、いない……。
もしかして、もう行っちゃったのかな……。
「さぁ、佐藤君、行こう」
「え、え、あの、その前に……」
「ああ……手が汗ばんで……」
「分かりました!」
「よろしい」
僕は教室中から冷たいような熱いような視線を受けながら楠さんの後ろをついて教室を出た。
……有野さんとの約束、どうしよう……。僕、連絡先知らない……。
「あの、楠さん。僕、少し急いでて……」
僕の前を歩く楠さん。背筋がピンと伸び、腰にまで届こうという美しい黒髪が歩く度に左右に揺れる。後姿がすでに美人。追い越して顔を見た時にも美人だから街中では大変だろうね。でも今は素直に見とれることができないよ。
「なに君、まだ逃げようとしてるの? 私に刃向う権利君にはないの。ばらされたいの?」
「そんなこと、無いけど……。でも、先にしていた約束だから……守らなきゃいけないし……」
「うるさいね。ばらそうかどうしようか。よしばらそう」
「えっ、いや、ごめんなさい……」
僕どうすればいいんだろう……。
「と言っても、別にそんなに時間をとらせるわけじゃないから。ただ聞きたいことがあるだけ」
「あ、そうなんだ。でも、教室じゃあだめなの?」
「みんなに聞かれたくないし」
「聞かれたくないこと?」
「そう」
な、何だろう……。怖い……。
「……ここでいいや」
通りかかった空き教室の扉を開けた楠さん。僕もそれについて教室に入った。
「あの、一体、何?」
「お昼に話したこと。兄コレを処分しようと思って、どこかいい値段で買い取ってくれるところを教えてほしくてね。君なら何でも知ってるでしょ。オタクだから。オタクだからこそ」
「え、うん、その、まあ……」
オタクと言われることにやっぱり抵抗があるなぁ。普通の人より少し本が好きっていうくらいなのに……。
「で、高く買い取ってくれるところはどこ? 何なら君が高値で買い取ってくれてもいいけど」
「ぼ、僕そんなにお金持ってないから買い取れないよ……」
「甲斐性がないね。甲斐性がないならついでにその貧乏性も無くしてよね。さっさとお財布出して」
「か、カツアゲですか……」
「む、そんな暴力的なことするわけないでしょ、失礼なこと言わないで」
「ご、ごめんなさい……」
でも……、実際、財布出せって……。
「で、買い取り値って場所によって違うの?」
「う、うーん……。僕売ったことないから……」
「へー。そうなんだ。役に立たないね。役に立たないのならせめて命断ってよね。さっさと屋上行ってきて」
「役に立たないからって別に死なないよ!?」
「はいはいはい。我儘だねホント」
我儘じゃないよ……。
「でも、なんでそれを聞くの、教室じゃあだめだったの?」
「兄がそんな人種だってばれたくないでしょう。あ、しまった。また君に弱みを握られてしまった」
「よ、弱みって、別に楠さんが悪いわけじゃないし……。そもそも全然弱みにならないし……」
「何を言っているの。オタクが家族にいるなんて恥ずかしい事この上ないでしょう。オタクは、無いよねー」
「う……」
楠さんは、僕のこともオタクっていうから、何気に僕も否定されていることになるね……。
「いいところ知らないのなら、せめて古本屋の場所を何個か教えて」
「う、うん」
これなら、すぐに秘密基地へ向かえるね。
知る限りの古本屋を紙に書き記し楠さんに渡す。
「へぇ。結構あるんだね。さすが佐藤君。この中から兄コレを売る店を探せばいいんだね」
「う、うん……。でも、お兄さんのコレクション本当に捨てちゃうの?」
「君が捨てろって言ったんでしょ」
「え、いや僕捨てろなんて言ってないよ!?」
「はいはい。じゃあ、とりあえず佐藤君の命令通り泣きながら兄コレを捨てに行ってきます」
「完全に僕のせいにしようとしてる!」
「不肖楠若菜。佐藤君の命により兄の宝物を捨てに行ってまいります。では」
「え、あっ、ちょっと……」
行っちゃった……。ぼ、僕のせいかな……。……僕のせいだよね……。ゴメンねお兄さん……。
「うう……。また僕のせいで不幸な人が……」
ごめんなさい……。
「……はっ。落ち込んでいる場合ではない。早く秘密基地へ行かねば」
落ち込む時間はたくさんあるからね。
「よし、早く行こう」
少し急ぎ足で教室を出た。
急ごう!
と、思ったのだけれども。
う……。まずいよ……。
「おお、佐藤。ちょうどいいところに。もう帰ったかと思ってたぞ」
廊下の角で、先生に会ってしまった……。また仕事を頼まれちゃうのかな……。
「この前片付けた資料室に資料が山積みされて置いてあるから、それを本棚にしまっていって欲しいんだ」
「あの、その……、僕、用事があって……」
「またお前は……。すぐそうやって逃げようとするなぁ! さっさと終わらせればすぐに帰れるんだから、文句を言う前に早く仕事をはじめろ!」
「は、はい……」
うう……。早く終わらせよう……。
……。
・
・
・
……。
「うわぁ! 時間とられちゃったよ!」
一時間弱資料室に縛り付けられ完全に遅刻してしまった僕。まだいてくれるかな……。当然怒ってるよね……。
ごめんね……。
山を駆け上る僕。でも体力がないのですぐに息切れして足が止まる。
急ぎたいのに。
情けないよ……。
体力つけなきゃね……。
「あ、有野さんは……」
全力で歩いてやっとたどり着いた秘密基地。
そこには誰の姿も無かった。
ただ、いつもと変わらない秘密テントだけが寂しそうに僕を迎えてくれた。
「う、ご、ごめん……」
何もない。誰もいない。
木の間から漏れる陽のスポットライトが僕を寂しげに照らす。
「な、殴られる……。絶対殴られるよ……」
昔を思い出すよ……。よく殴られていたっけ。
「でも、そんなことより、早く謝りに行かなきゃ……。殴られちゃう」
僕は踵を返し来た道を引き返そうと一歩踏み出した。けど、
「まてまて」
秘密テントの中から声がした。
「帰ってねえよ」
テントから出てきたのは当然有野さん。
にこやかに手を挙げてくれた。
「あ、有野さん! ごめんね!」
僕は駆け寄り頭を下げた。
「別に怒ってねえよ。時間決めてねえし、優大の放課後の予定聞いてなかったし。それにたった一時間じゃねえか。来なかったらムカつくけど来てんだから文句はねえよ。でも、そんなことより、殴られるってなんだよそれ。私がいつお前のことを殴ったよ」
「え、主に、小学生時代に……」
「……忘れとけよ」
体に刻み込まれていますので……。
「あの、待たせちゃってごめんね……」
「構わねえっての。どうせお前また誰かに捕まってたんだろ」
「えっと……」
「あー、言わなくていい言わなくていい。別に聞きたいわけじゃねえし」
「う、うん」
よかった。聞かれたら理由を言わなきゃいけないところだった。
「にしても、この秘密基地がまだ残ってるとはなぁ。風で吹き飛んでると思ったんだけどなぁ……」
「うん」
「あの頃を思い出すな。昔はあんなに大きく見えた秘密基地も今見れば狭くて汚ねぇぜ。それに造りが雑。ホント、よく残っててくれたな」
「うん」
「……毎日のようにここへ来て遊んだな……。懐かしい」
「そうだね」
「……でも、それも私が理不尽にキレたせいで、終わっちまった」
「……」
ここで遊んでいるときに怒られた。
『今度から私の名前を呼ぶんじゃねえぞ!』って。
その理由を、今日教えてくれるみたい。ずっと引っかかっていた胸のしこり。それが今日無くなるんだ。
「悪かったな。キレて」
「う、ううん」
「ああ、いや、そうだな。とりあえず、理由しりてえよな」
「あ、うん」
いよいよ聞ける。
「大した理由じゃねえんだけどさ、あのー、私の兄貴がさ、ああなったじゃん?」
「うん」
ああなった。
有野さんのお兄さん、國人君は、中学校に上がったあたりから、突然非行に走りだした。髪の毛を金色に染め、平気でタバコを吸い、毎日喧嘩に明け暮れた。もちろん、僕と遊ぶなんてことはもうなくなっていた。
この辺りでは有名だ。とても喧嘩が強くて、目が合っただけでぼこぼこに殴られる。とても恐れられていた。
みんなから怖がられていた。それは、当然僕も……。
でも、実は憧れてもいた。
強くて、かっこよくて、自分の腕だけで生きていくような、そんな僕とは正反対のアウトローな生き方に憧れを抱いていた。
しかし憧れるだけ。
僕には、そんなことできるわけがなかった……。
國人君が荒れだしてから、有野さんも徐々にその影響を受けだした。
國人君のように、非行の道を歩き出した。
それからしばらくしてだった。
僕が有野さんに怒られたのは。
『名前を呼ぶな』と怒られ、それから疎遠になってしまった。
悲しかった。幼馴染が、二人とも僕の元から離れて行ったのは。
そこから僕は一人になった。
そこからずっと、僕は一人だった。
そこから――色々と決まったんだと思う。
「だせぇことに、兄貴の影響で私もこんなんになっちまってさ」
「……う、うん……」
「まあ、なんだ。あの当時、兄貴の真似をして、調子に乗ってた私はさ、その……」
「うん」
「……あの当時の話だからな? 今は違うからな?」
「う、うん」
「……えーっと、言い辛いんだけどさ、あー……その、優大の事…………だせえと思ってたんだよ」
「うん」
それは今もそうだよ?
「当時だからな! 今はそんなこと思ってねえからな!」
「え、う、うん……?」
今もかっこ悪いけど……。
「んで! でだ! ……その、私の名前ってさ、今の私には似合わねえじゃん?」
「え? なんで?」
「なんでって、似合わねえだろ。『ヒナ』だぜ。雛。こんな女っぽい名前、可愛い奴にしか似合わねえだろ」
「え、そうかな……。有野さんにはとっても似合ってると思うけど……」
「…………。……似合ってるって、それお前……!」
突然顔を赤くして僕をべしべし叩いてきた。
「いたい! ご、ごめん!」
「て、てめえ! この野郎!」
「ゴメンなさい!」
僕が悪いです!
「はぁー……はぁー……」
い、息が荒いよ……。顔も赤いし、怒らせてしまったみたいだね……。
「ご、ごめんなさい……」
「……べ、別に、怒ってねえけど……」
え、怒ってないのに叩かれたの? 僕……。
「い、今はそんなのいい! そんなことよりあの日のことだ!」
「あ、はい」
「私は、自分の名前が恥ずかしかったんだよ。こんな女っぽい名前嫌だって思ってたんだ。そんで、更に、だせぇと思ってた優大に『雛ちゃん』なんて呼ばれるのが我慢ならなかったんだ」
「そうだったんだ……」
「だから私はあの日、お前にキレたんだ。『今後名前を呼ぶな』って……。今思えば、なんて理不尽な奴なんだろうな、私。ホント悪かった」
「そ、そんな。嫌なことしたのは僕なんだから謝るのは僕だよ!」
「私が理不尽だったって言ってんだろ。それは譲れねえよ。お前は謝るなよ」
「……でも……」
「でもじゃねえの。私が悪かった。……許してくれ」
「う、うん。許すもなにも、僕怒ってないし……」
「……そっか。そう言えばお前はそういう奴だよな」
そういう奴って、どういう奴だろう……。よく分からないや。
「でさ、お前にキレてから、どうにも雛って名前が嫌いになっちまってさ。誰に呼ばれてもイライラするようになってたんだよ」
「うん……」
可愛いのに……。
「まあ、今思えばしょうもねえことなんだけどな。なんでそんなこと気にしてたんだろうって、馬鹿みたいだぜ」
今思えば馬鹿みたい、と言うことは?
「えっと、なら、今はもう名前で呼んでもいいの?」
「いやー、なんかもう恥ずかしいわ。イラつくことはねえけど、恥ずかしさは残ってるんだよ。…………だって、似合ってねえもん」
「そんなことないよ。似合ってるよ」
「……そっか」
にっこりと笑ってくれた。
あの頃から何も変わってない、優しい顔だ。
と、思って懐かしんでいたのだけれども、急に恥ずかしそうに僕から顔をそむけ、もごもごと言った。
「ま、まあ、何だ。お前が、呼びたいって言うんなら、その、なぁ。別に、呼んでも、いい、かなーとか……」
「……え! いいの?!」
「あ、いや、無理にとは言わねえけど、どうしても、呼びてえなって思うんなら、我慢してやらないことも、ない」
やったね!
「嬉しいな! 僕、あの頃みたいに呼びたいよ!」
「え、その……。……まあ……お前がそうしたいのなら……、私も、悪かったし。迷惑かけてきたし」
「迷惑なんてかけられてないよ。でも、僕、雛ちゃんって呼びたい」
あの頃にはもう戻れないのなら。
呼び方だけでも、戻したいよ。
「呼んでも……いい、かな……?」
「ぐっ……!」
完全に僕から目を背け、顔を隠した。やっぱり、嫌なのかな。
顔を背けたまま、有野さんが言う。
「……こほん……。……なら、しょうがねえな。好きに呼べばいい」
「やった! ありがとう、雛ちゃん!」
やっぱり、少し嫌なのか、耳が真っ赤になっていた。お、怒ってるのかな?
「…………くそ……そんな嬉しそうに……ふざけやがって……」
「え、ご、ごめんなさい……」
嬉しそうに呼んだらダメなのかな……。
赤い顔を僕に向ける。
「ち、ちげえよ! ふざけてんのは私だ! 今更こんなこと、なぁ!」
「え、よ、よく分からない、けど……」
今更名前で呼び合うことがおかしいって言いたいのかな? 僕は全然おかしいとは思わないけど。
あたふたとしていた有野さん……、いや、雛ちゃんが我に返り、コホンと一度咳をつき仕切り直して僕の顔を見る。
「私も、お前の事優大って呼ぶからな」
「うん」
僕らは笑顔を見せ合った。
「あの頃に、戻ったみたいだな」
「うん。……ここに、國人君がいれば、完璧だね」
「……兄貴がここにいれば……か」
雛ちゃんの笑顔に影が落ちる。
「え、え? 國人君に、何かあったの……?」
「……あいつは、もうここへ来れねえよ……」
「それは、ここに来たくないからってこと?」
「……そうじゃねえ。そうじゃねえんだよ。来たくても…………来れねえと思う」
「どう、して……?」
そう言えば、最近は全く噂を聞かない。あれだけ街で噂されていた國人君だったのに、ここ二年くらい何も聞いていない……。な、なにかあったのかな……。
「兄貴の話は今はいい。……でも、多分、近いうちに……事情を説明する……」
「う、うん……」
……なんだか、嫌なことが起きているみたいだ。でも、近いうちに教えてくれるというのであれば。これ以上僕が踏み込むのはよくないよね。
「で、だ」
改めて雛ちゃんが僕の顔を見る。
「うん?」
「その、昔に戻った私達なんだけどさ」
「うん」
また雛ちゃんの顔が赤くなった。
お、怒ったのかな?
「……もうちょっと、先へ進んでみるのも、面白いんじゃねえかなって思ったり思わなかったりしたりなんだり」
「え? どういうこと?」
「いや、だから、幼馴染の、先……、と言えばいいのか、よく、わかんねえけど……。もうちょっと、踏み込んだ、関係……? っていうか、なんていうか……」
「……幼馴染の先って………………………………あっ!」
分かった!
「そ、そう言う、こと、何だよね……」
「え! い、いや、その、なぁ! 面白いかもなぁって、思っただけだぜ! そう、実験的に。実験的にな? してみたら面白いかもなって! 思いつき思いつき! お前が嫌なら別に、このままでもいいし? 冗談、ってことでも、いいし……。……ってゆーか、冗談だし!」
「え?! 冗談なの?! 僕とっても嬉しかったのに……」
「…………え?! 嬉しい!? 嬉しいって言ったのか?! え、え?! マジで!? いや、なら冗談じゃなくてもいいし?!」
「えっと……僕は、冗談じゃない方がいいな……」
「冗談じゃねえよ!」
「ひっ……。じょ、冗談じゃない、よね……、ごめんね……。僕調子のってた……」
怒られた! ごめんなさい!
「は、はぁ?! お前何突然…………あっ! いや、今の冗談じゃねえって言うのは、ふざけんじゃねえって意味じゃなくって、その、今言った提案が本気だってことだ! キレたんじゃねえよ?!」
「あ、あぁーなるほど。勘違いしちゃった」
「そうだぜ! 優大勘違いしちゃってたな! あはははは!」
「う、うん」
……。なんだか、おかしいなぁ、雛ちゃん。
「えーっと、な、なら……。その、今から、そう言う関係ってことで、いいのか?」
不安そうに聞いてくる雛ちゃん。何が不安なのか分からない。僕が断るわけないのに!
「うん! もちろんだよ! これからよろしくね!」
一気に、雛ちゃんの笑顔が弾けた。とっても嬉しそうだ。嬉しいのは僕なのに。
「……は、はは……。ははは。……い、いやぁ、その……なんか悪いな……。私みたいなので……」
「そんな! 雛ちゃんだから、僕は嬉しいんだよ!」
「そ、そんなこと言うなよぉお前っ! 照れるじゃねえかっ!」
雛ちゃんも喜んでくれている。とっても嬉しいよ!
「僕、雛ちゃんが初めてだよ」
「そ、そうなのか! あ、あははははは! なぁ! おい!」
「うん! 初めての親友だよ!」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」
……え。
さっきまで喜んでいた雛ちゃんが、突然無の顔になった。
こんなにも人の顔って無を表現できるんだ。無過ぎて少し心配になっちゃうよ。
「ひ、雛ちゃん。もしかして、僕、全然違うこと言ってた?」
「あははははははははは」
かくかくと笑う。無です。無の状態で笑うと、こうなるんだね。
「ご、ごめんね! 勘違いしちゃった!」
「……いや、はっきり言わない私が悪いんだけど……。なんて言うか、お前らしすぎるというか、ベタすぎるというか」
「ごめん……」
無の顔をやめ、あきれたような顔で僕を見てきた。
「謝るなよ……。勘違いは、誰にでもある……」
落ち込みまくりの雛ちゃん。ごめんね、ごめんね。一体どういう意味だったのだろう……。
「その……、今のは、本当は、どういう、意味だったの?」
「ああ、しょうがねえよ。私がはっきり言わなかったのが悪いんだもんな。ああ、私が悪い」
「そ、そんなことないよ。僕が、馬鹿だから」
「お前はバカじゃねえよ。バカは私だ。こうなりそうだってことは予想ついてたんだ。はっきり言わない私が悪い」
「え、っと……」
「……だから、はっきりと言うわ」
「え、あ、うん」
「…………うっし」
雛ちゃんが、気合を入れた。
覚悟を決めた、かっこいい顔で僕の顔をまっすぐに見てくる。
「…………………………私は、優大のことが、す――」
と、ここでタイミング悪く誰かの携帯電話が鳴った。電話みたいだよ。
……。あああああああああああああああああ! 僕のポケットから聞こえてくる! っていうか僕だ!
「う、あ、あ、あ、ゴメンなさい……! その、僕、マナーモードにし忘れてた……!」
「……いや、別にマナーにしてないのは悪い事じゃねえだろ。いいから、さっさと出ろよ。話はそのあとだ」
「う、うん、ごめんね、ちょっと、失礼して……」
ポケットから携帯電話を取り出しディスプレイを見てみる。
「?」
知らない番号だった。でもなり続けるので出てみる。
「はいもしもし。どなたですか?」
『………………なんで私は君の番号を知っているのに君は私の番号を知らないの?』
この可愛い声ときつい口調は……。
「え、あ、楠さん?」
「若菜だぁ?!」
「えっと、僕、携帯番号は教えてもらってないけど……」
メールしか受け取ってないよ。
『嘘。どうせ君、私の番号を調べて登録してあるんでしょ?』
「そ、そんな。僕そんなことしないよ……」
『どうだか……。ま、いいや。私から電話をかけたことによって君が調べていようが調べていまいが番号が知られてしまったわけだし、変わらないね』
「そ、そうだね。それで、その、いったい僕なんかに何の用事が……」
『私じゃないんだけどね。兄が君に言いたいことがあるってうるさいから』
「え! ま、まさか、本売ったの?!」
『売れって言ったのは君でしょ』
「言ってないよ?!」
『うるさいね君。往生際が悪いよ。売れって言ったのは君。認めてよ』
「み、認められないよ……」
『……レイプ未遂……』
「ぼぼぼぼ僕が言いましたあああああああ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
なんだかどんどん罪が重くなっているよ?!
『でも私は謝らなければならないの……』
「え、え?」
『未遂犯の君に命じられた兄のコレクションの処分、それも未遂に終わってしまったの』
「え、あ、よかった……」
失敗したみたいだね……よかった。
『出張買取してもらおうと思ったんだけど、査定中に兄が帰ってきてしまってね。理不尽に怒られたよ。そしてその言い訳として君に命令されたと言ったら、君に電話しろと。兄に代わるね』
「え!?」
そんな突然代わられても! 僕が怒られちゃうの?!
『……もしもし?』
「あ、はい! その、僕……!」
『いやいや、そんなに恐縮しないで……。俺は、全部分かってるから』
「え……」
怒鳴られると思っていたけれど、全然そんなことは無くむしろ優しさと憐みのこもった声だった。
『君、若菜の本性を知っているみたいだし、きっと無理やり言わされたんだろう?』
「えっと……その……」
『みなまで言わなくていいよ。大丈夫。俺は君の味方だから』
「は、はぁ……」
『これからは部屋に鍵をかけることにするから。安心していいよ。もう勝手に処分されることは無い』
「そ、そう、ですか……」
『じゃあ、若菜を恐れる者同士、仲良くしよう』
「は、はい」
『じゃあね。いつか愚痴りあおう』
「えっと、はい……」
お兄さん、優しい人だね……。
『……もしもし?』
「あ、楠さん……」
楠さんに代わっていた。え、いや、お兄さんも楠さんだけど……。……とにかく、楠さんに代わっていた。
『ふざけた会話の内容だったね。何が私を恐れている者同士よ。それはこっちのセリフだよ。恐れているのは私の方だよ。被害者面しないでよね』
「は、はい、すみません」
『……ふん。まあ、そう言うわけで、君の作戦は失敗に終わりました。ここにご報告させていただきます』
「はい……」
『では失礼します。また明日』
「うん、ばいばい」
電話が切れた。
よかった、お兄さんのコレクションが葬り去られないで……。
って、そんなことよりも!
「あ、ご、ごめん雛ちゃん。話の途中で電話なんかに出ちゃって……。……これで、もう大丈夫。電源切ったよ。それで、何の話だっけ」
うぐ……。雛ちゃん、怒っているのかとても怖い顔。……電話に出ちゃったから怒ってるのかな……。
「…………お前、若菜の電話番号も知ってんだな」
「え、あ、うん……」
「しかも、若菜から電話がかかってくるんだな」
「う、うん。初めてだけど……」
「……」
ぎろりと睨み付けてくる雛ちゃん。
う、怖い……。
「その……」
「……話ってのはあれだよ。私達、 し ん ゆ う になったんだから、とりあえずアドレス交換しようぜって言おうとしてただけ」
「え、あれ、親友になろうっていうのは僕の勘違いじゃなかったの?」
「勘違いじゃねーよ。初めからそれ以外言うつもりなかった。なんだ? それ以外に何かあるのか? ねえよな。あるわけねえよな! えぇ? おい!」
「そ、そうでございます……」
怖いよ……。
「………………なんだよ…………くそ……」
「え、え?」
とても悔しがっていた……。
「てめえ、いいから、さっさと教えろよ。早く帰りてえんだよ」
「あ、うん。ごめん」
「……ふん」
突然機嫌の悪くなった雛ちゃんと、アドレスの交換をしたあと、雛ちゃんが一人さっさと山を下りて行った。
一人取り残された僕は、雛ちゃんを怒らせてしまったと困惑し立ち尽くしていたけれど、山を下りて行った雛ちゃんから送られてきたメールを見てほっと息を吐いた。
『また明日な』
なんてことは無いメールだったけれども、今の僕にはこれだけでとっても安心できた。
あの頃、別れる時に言ってくれていたこの言葉。
この言葉の次の日は、ちゃんと笑いあえていたから。
……また明日。
僕は、声には出していないけれど、思いを込めて、メールに乗せて送った。
なんだかとっても、ノスタルジー。