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機械仕掛けの世界
作:下弦 鴉



8、真実の白黒


 銃声の後に目を開けた茜は、もう自分は死後の世界にいるものだと思った。だが、彼女がいる場所は、綺麗な花畑でもなければ、大きな川に橋が架かっている所でもなかった。機械音が鳴り響く、油臭い場所のままだった。体に恐る恐る触れてみるが、穴も開いていないし、血すら出ていない。至って健康な状態だった。
 「何で……?」
 「何で?じゃねぇよ!せっかく助けてやったのに、お礼の一つもなしか?」
 聞き覚えのある声。見覚えのあるふくれっ面。細められた黒目は、猫のように茜を睨んでいた。相変わらずぼさぼさな茶色い髪は、電灯に照らされて少し黒く見えた。信じられないが、頬をつねってみても、その人は消えなかった。幻覚ではない、本物の皐氣がいる。
 「アンタ、何でココにいんの!?」
 「ん?それはなぁ、ロボットに見つかっちまってさ、上に逃げようって思ったんだぜ。だが、その階には上に行く道はない!ってこって、下に来てみたら、見覚えのあるロボットがいやがる。でもって、それまた見覚えのある生意気な娘が襲われそうになってんのが見えた訳。で、助けてやっただけさ」
 「アリィは?アリィはどうしたの?」
 「……はぐれちまった」
 信じられない。アリィが一人になってしまったら、助けを求めて声を出す事も出来ずに捕まってしまうではないか。何とか逃げ切れたとしても、また会えるかどうか……。
 「危ねっ!!」
 再び響く発砲音に、考え事が吹っ飛ばされた。茜を抱えるようにして、皐氣は物陰に飛び込んだ。それでも発砲音はしばらく止まず、鼓膜が破れそうだった。
 「とりあえず、こっから逃げっぞ!」
 銃声に負けじと、皐氣が叫ぶ。同じように茜も叫んだ。
 「どうやって?」
 「あ?聞こえねぇぞ!」
 「どうやって!?」
 「あっちに俺が来た階段がある!それに向かって走れ!」
 「無理よ!アタシ、怪我してるもの!!」
 「安心せい!俺がおぶってやっから!!」
 そう言って皐氣は本当に茜を背負い、壁の中にある階段へ逃げた。その間に撃たれてしまうのではないかと思ったが、弾切れだったようで、騒々しい音を立てて、銃に弾を込めているようだった。その為、一発も弾が当たることなく、階段に戻る事が出来た。
 「さあ、上に行くぞ」
 「えっ!ちょ、ちょっと待って!」
 茜が止めても、止まらずに皐氣は階段を登ってしまう。そんな彼を止めるために、茜は髪を思いっきり引っ張ってやった。
 「いてて!何すんだよ、馬鹿!!」
 「馬鹿じゃない!って、そうじゃなくて、止まりなさい!」
 「何で!?」
 「いいから、ストップ。ストーップ!」
 なかなか止まろうとしない皐氣の髪を引っ張りながら言っていたら、彼は止まり、茜を降ろした。そして彼女の目の前に腰掛け、苛立たしげな顔をしていた。茜は、こっちのほうがイライラするんですけど。と、心の中で悪態を付いた。
 「用件は何だ」
 ぶすっとした顔で、不機嫌に言う皐氣。それに便乗して、茜まで不機嫌になった。
 「聞きたくなければ進んでもいいのよ、別に。でもね、無鉄砲に進んでも、どうせ迷うだけだから話してあげようと思っただけなの。嫌なら、先に進みましょ」
 「俺だって先に進みたいんだぜ。だけど、お前が話があるって言うから、止まってやったんだよ」
 「アタシは話があるって言ってない。止まってって言ったの」
 「同じようなもんじゃねぇか」
 「違うわ」
 「違わねぇな。止まれって言われたら、話があると思うのが普通だろ」
 「アンタだけに通じる常識よ」
 「俺だけじゃねぇな、絶対」
 「アンタだけよ、絶対」
 嫌味を嫌味で返し続け、たどり着いた結果は疲れ。こんな無駄な事に時間を費やすくらいなら、少しでも前に進みたいと言う気持ちは、茜も皐氣も同じだった。そのゆえに、ため息が漏れた。
 「で、何なんだよ」
 「アタシが言いたい事は、二つ。一つは、最上階は二十五階だって事」
 「それ、マジか?」
 「え?……そうだけど?」
 「俺とアリィが敵に見つかったトコ、そこだった」
 「ホント!?何か、他の階と変わった所とか、なかった?」
 「別になかった気がすんな」
 「……使えないわね」
 小さく悪態を付く茜を見て、皐氣は言った。
 「聞こえてんぞ、俺、地獄耳だから」
 少し驚いたような表情をしてから、さらに言った。
 「嫌味な奴って、どこまでも嫌味な奴ね」
 「悪かったな」
 どうしてこうも、気が合わないのだろうか。不思議である。
 「ああもう、また話がずれたわ。……これ以上何を言っても、話の軸がずれるだけだから、先を続けるわね」
 苛立たしげに髪を掻き毟りながら、茜は言った。無気力だが、皐氣は真剣に聞いていた。
 「二つ目は、アタシ達には刺客が送られてきているわ。何人か知らないけど。あのロボット達に会う前に、敵から盗み聞きしたの」
 「それで?」
 「だから、これからは上を目指してただ進むより、陽向達と合流した方がいいと思うの」
 「刺客が陽向達を襲ってくるかもしれないからか」
 「それだけじゃなくて、上に行ったとしても、ここと何も変わった所はないんでしょ?」
 確認するように聞く茜に、皐氣は頷いた。
 「だったら、なお合流しといた方が、動きやすい。バラバラに動いたって、アンタ達みたいに敵に見つかるのが落ちよ」
 「じゃあ、どうすればいい」
 「とりあえず、一階上がるごとに様子を見ましょう。もし、陽向達がいなかったら、次の階に進む。それでいいわね?」
 「ああ、いいぜ。じゃ、行くとするか」
 そう言って皐氣は再び茜を背負い、二十階を目指して進み始めた。


                    *


 振り下ろした剣に、肉を斬った感触がない。その代わりに、何か固い物で、剣は跳ね返された。それは薄い水色をし、淡く光を放っていた。それを、遡羅は前に一度見た事があった。空民が使う、不思議な力だった。
 「お前も、侵入者の仲間か」
 「……」
 目の前の少年に問いかけたが、彼は答えずに、じっとしていた。
 「ア……リィ」
 陽向は予期せぬ者の登場に驚きつつも、喜びを隠し切れなかった。彼がここにいるという事は、皐氣もどこかにいるはずだ。だが、彼は姿を現さなかった。
 「……空民。邪魔だ、どけ」
 遡羅がそう脅したが、アリィは伸ばした腕を曲げもせずに彼と対峙していた。その伸ばした腕から、その不思議な力が出ているのだ。バリアの様なその物体は、彼と栄井を綺麗に覆い、隙を与えない。アリィが腕を下ろすまで、きっと消えはしないだろう。
 「邪魔だと言っている。どけ、空民」
 「……」
 何も言えないアリィは、震えながらも腕を下ろさなかった。もし、この腕を下ろしてしまったら。そしたら、自分と栄井が殺されてしまう事が目に見えている。だが、冷たい目をした遡羅は恐い。どうしようもなく恐く、気持ちが折れてしまいそうだった。それでも、ここに来た以上、皐氣に付いて来てしまった以上諦める訳にはいかなかった。
 「アリィ、皐氣は?一緒じゃなかったか?」
 振り返れずに、そのまま首を振るアリィを見て、陽向は不安のどん底へ落とされた。アリィと一緒じゃない?だったら翠は、一人の可能性が高くなる。そしたら余計に緋搗に近付きやすくなってしまうではないか。どうにかこの場を切り抜け、皐氣を探しに行かなければならない。緋搗と彼を会わせてはいけない。絶対に。絶対に―――。
 「アリィ、どこからここへ来た?道はどこにある?」
 そう彼に耳打ちすると、彼は顎でさして教えてくれた。その先には何の変哲もない壁。だが、そこにどの階にもあった看板が、そこにもあった。そこから彼も来ていたのだ。
 「翠とは、どこで逸れたんだ?」
 分からないと首を振るアリィ。ダメだ。彼と会うためには、情報が少なすぎる。せめて、どの階にいるのか分かれば―――。
 「お仲間さんをお探しのようだけど、新型のロボットに殺られちゃってるんじゃない?」
 「新型のロボット?」
 いつの間にか剣を鞘に戻して、床に胡坐を掻いている遡羅が言った。ふてくされたような表情でこちらを見ていて、殺気は減っている。わざとだろうか。
 「ココで新しく作られたロボット、なんつったかな……名前は忘れたけど、とりあえず新しいもんだぜ」
 「どこが?」
 「お前らは付けてねぇみたいだけど、ジュスチセに反応して獲物を追うんだ。そのジュスチセから生体反応が消えるまで追い続ける、ハンターみたいなもんだな」
 「それに、僕らの仲間が殺られたって?おかしくない?ジュスチセに反応して動くんだったら、彼らに反応しないはずだ」
 「フツーに考えたらそうなんだけど、新型って言ったじゃん。それはモデルになった奴の事で、今ここにいる奴の事じゃねぇの。ココにいんのは、殺戮専用ロボット。だから、インプットされてる奴、全員死ぬまで追い掛け回すぜ。飢えたライオンみてぇに」
 「何でそんな事僕らに教える。仲間に報告されるかもしれないのに」
 「だってあんたら、そうするためのもん、持ってねぇみたいだし。だから仲間の状況も分かんないっしょ?だから、ロボットの事も知らない」
 「芝居かもしれない」
 「もし芝居だったら、もうとっくのとうに俺は死んでるよ」
 面白そうに微笑みながら、遡羅は立ち上がって再び剣を手にする。すると殺気も蘇った。
 「そろそろ、おチビさんのスタミナ、切れる頃だろ?」
 その言葉通りに、アリィは苦しそうに呼吸していた。栄井が慌てて彼の肩を支えてやると、彼は少しだけ頷いた。大丈夫。そう伝えたかったのだろう。
 「平均的に、その技を使う空民がもつのは、ほんの数分。大の大人でも、力を出し切ってそれだぜ?そんなちっちゃいのがどう足掻いたって、数秒もって立派な方だ」
 「アリィ、無理するな。力を使うのをやめろ」
 「そうそう。あんま力使いすぎっと、どうなるかお前は知ってる筈だぜ。それを、お前はその目で見た事があるだろ?」
 「……」
 答えないアリィの瞳に、明らかに怒りの感情があらわになっていた。栄井は彼のそんな表情を見るのは、初めてだった。怒りはすれど、ここまで悲しい怒りを宿した瞳は見た事がなかった。彼の過去に、何かあったのだろうか。
 「アレ?ひょっとして、聞いてないの?その空民から」
 「何のことを」
 「そいつの両親殺したの、俺なんだよね」
 「なっ!!」
 そんな事、初耳だった。両親が殺されたと聞いた事はあったが、まさか、神の領域の者から殺されていたなんて。そのせいで、アリィがあんな瞳をしているのか。
 「そいつの両親も同じ力使ってさ、そいつ護ってたんだぜ。疲れては交代してさ、必死になってそいつ護ってんの。マジ、その時ウケたわ。だって、ありえなくね?こんな役立たず護っても、意味ねぇじゃん」
 楽しげに話す遡羅は気付いていない。栄井が握りしめている拳に。湧き上がる怒りに。
 「子供を護るくれぇなら、自分の身を護ってりゃいいのにさ。偶然狩りに来てて、見つけた獲物はそいつだったんだぜ?あいつらは無視しといてやろうって思ったのにさ、『この子だけは』『この子だけは』の繰り返し。どうしてそんなに子供が大切なんかね?言う事聞かなくて、ウザくて、使えない。それが子供だろ?そんなもの護るくらいなら、ロボットでも使えばいいのによ」
 「……」
 アリィは唇を噛み締めている事しか出来なかった。自分には昔から声がない。前の窮地に声は出たが、それきりだ。使えないと言われても構わなかった。だが、大好きだった両親を、大切な宝物を汚される事は、すごく悔しかった。言い返したくても、言い返せない、自分が悔しかった。もし、今声が出るのなら、きっと遡羅に向かって悪態をついているだろう。だが、どんなに頑張っても、声が出る事はなかった。
 「だから面白くなくなって、そいつらを殺してやったんだよ。不愉快だったけど、気分はスッキリしたから良かったぜ。やっぱ、人殺すのって、面白いよな」
 腹を抱えて笑い出した遡羅に、栄井は持っていた銃で撃った。それはマントを掠めて、その場を静めた。
 「やっと殺り合う気?」
 「……恥ずかしくないのかよ」
 「何が?」
 「人を殺す事を自慢して、恥ずかしくないのかよ!!」
 「何だよ、急に。冷めるなぁ」
 「答えろよ。恥ずかしくないのか?」
 「恥かしい?全っ然!人を殺して何が悪い?要らない物を処分してやっただけだぜ?」
 悔しい。許せない。悲しい。アリィの小さな心の中で、たくさんの感情が渦巻き、彼を混乱させる。口答えできない事が、悔しい。両親を殺した遡羅が、許せない。大切な宝物を穢されて、悲しい。口を開いても、かすれた息が漏れるだけ。肝心なものが、出てこない。声が、言葉が出てこない。そんな彼の頬を、雫が伝う。生暖かい雫だ。
 それを見た栄井は、遡羅を睨む。平気な顔をして、笑っていられる彼が赦せなかった。
 「人を殺して平気でいられるなんて、気が狂ってる。おかしい」
 「おかしくないさ、人は時として冷徹に生きる事も大切なんだよ」
 「そんなの間違ってる。我が子を護ろうとして何が悪い。人が人を愛して何が悪い。機械じゃ出来ない事が、僕らには出来るんだ。機械にはないものが、僕らにはあるんだ。何で、そんな人を簡単に殺せる。要らない物だなんて言える。何故、人を人として見れないんだよ!」
 「人が憎いからだよ!俺を人じゃなくした、人間が憎い!それが理由だ!」
 「何……だって」
 思わぬ発言に、言葉が詰まる。返す言葉が、見当たらない。
 「俺は生体実験されて、もう人間じゃない。機械混じりの人間なんだよ!知ってるかよ、ここでは俺みたいなのを造るために、何人もの人間が狩られてくる。知ってるかよ、生身の体に機械を入れられる気持ちを。そんなの知ねぇだろ。俺はもう、人間になれねぇんだよ!俺はもう、人間じゃねぇんだ!」
 「だからって、人を殺していい訳じゃない。憎いのなら、何故怒りの矛先をそっちに向けない。何故、他の人に当たるんだ」
 「埋め込まれた機械がそうさせるからだ。絶対に逆らえない」
 「でも、人を殺さないようにする事は出来るだろ」
 「そんなもん、出来たらとっくにやってるさ。俺だって好きでこんな事してるんじゃないんだよ、本当は。人を殺したくない。だけど、俺の中の機械が、言う事を聞かねぇんだよ」
 剣を床に突き刺し、遡羅は息苦しそうに呼吸を繰り返す。そう、彼はまだ呼吸している。
 「君は、遡羅はまだ息をしてるじゃないか」
 「は?」
 「まだ、呼吸をしてる。この大気を、酸素を必要としてる」
 「だからなんだよ」
 「機械には、ロボットにはそんな事出来ない。でも、遡羅。君は呼吸をしてるじゃないか。完璧に機械に飲み込まれたわけじゃない。大丈夫。君はまだ、人間だよ」
 「……そんなの、綺麗事に過ぎねぇよ」
 「僕の友達が、親友が、変えてくれる。この、機械に支配された世界を」
 「そんな事、出来るわけねぇだろ」
 「出来ないかもしれない。でも、僕らは諦めずにここまで来た。変えたいんだよ、この世界を。不可能かもしれないけれど、やろうと思う気持ちが消えない限り、可能性は消えやしないさ。どんな困難にも立ち向かってやるさ。君の中の機械も、止めてやるよ」
 「……」
 「僕はココに、人を殺しに来たんじゃない。機械を殺しに来たんだ。失くさなきゃいけないんだよ、これ以上悲しみを増やさない為に。これ以上、君みたいな人を造らない為に」
 いつの間にか解かれたバリアに、不安を感じつつも、栄井は遡羅に近付く。その腕を、アリィが掴み止めたが、彼は優しくその手を解いた。そして「大丈夫だよ」と言って、微笑みかけた。乾きかけの涙が、胸を締めた。
 栄井は遡羅の前に立ち、恐れずに手を差し伸べた。
 「君の中の機械からも、翠はきっと解放してくれるよ。君の中の機械は敵だけど、君みたいな人間は敵じゃない。変わる為には、自分から動かないといけない時もある。そりゃ、変わり難いかもしれないけど、自分が動けば、周りの人も動いてくれるよ」
 「俺が……敵じゃないってか?」
 「そう言われると返事に困るんだけど、人を殺したくないって君の気持ち、僕は信じたい」
 「……」
 「さあ、この手を取って。殺したいなら、僕を殺せばいい。だけど、変わりたいなら、力を貸して欲しいんだ」
 「俺に変われる自信はない。だから、ここで壊して欲しい」
 そして遡羅は剣を手に取り、引き抜いた。そしてそれを、栄井にではなく、自分自身に向ける。彼は死ぬ気なのだ。変われることが出来ないのなら、死を以って償う。それが、彼の意思だった。そんな彼を見て、栄井は悲しそうな顔をしていた。これじゃいけない。間違っているんだ、死ぬ事は。アリィは心の中で叫ぶ。あの時のように。
 「死んで、欲しくない」
 言葉が自然と出ていた。驚いて、栄井達が振り返えり、アリィを見る。
 「死んで解決する事、とっても少ない。償い、死ぬ事じゃ出来ない。償うなら、その人達の分まで、生きる。ずっと、ずっと、元気に生きる」
 「でも俺は―――」
 「変わること、恐いから逃げてる。それ、卑怯。それ、殺された人達、失礼。恐がっちゃいけない。立ち向かわなくちゃ、いけない。挫けちゃ、いけない」
 「……」
 「一緒に、生きる事。それで、それだけで、生きる希望になる」
 「そうだよ、遡羅。憎しみだけじゃ、人は生きていけない。それだけじゃ、疲れちゃう。だったら一緒に行こう」
 顔を上げると、今まで向けられた事のない笑顔がそこにあった。敵であるにも関わらず、何故こうも綺麗に笑えるのだろうか。頬の筋肉を緩める事が出来るのだろうか。
 だが、この手を取っていいのだろうか。俺は敵だ。彼らの憎むべき、敵なのだ。それを信じる事が出来るだろうか。
 「今は、信じてもらえなくてもいいよ。心がある。それだけで、十分だから」
 「心……」
 言われた事など、なかった。憧れはしていたが、言われる事はけして、きっと彼らに出会わなかったら、なかっただろう。心がある。機械の入ったこの体でも、心はまだ消えていないのか。栄井の柔らか笑みが、遡羅に向けられる。アリィの戸惑ったような微笑みが、遡羅に向けられる。……この二人なら、信じてもいい気がする。
 伸ばし、掴みかけた遡羅の手を心の中の声が止めた。『そいつらを殺せ』。『その剣で、斬り捨てろ』。いつも命令してきた、機械の声。だが、今なら逆らえる。もう、恐くない。
 「もし、俺が暴走した時は、止めてくれるか?」
 「いいともさ」
 繋いだ手は、けして離れない。例え、過去にどんな事があったとしても、変わる勇気があれば、人は何にでもなれる。だから、人は信じる事が、信じられることが出来るのだ。


                       *


 暗い、暗い部屋。そこにいる傍観者は、爪を噛んでいた。苛々していた。お気に入りの殺戮兵器が、寝返ってしまったからだ。
 「あそこまで育ててやったのに……」
 開いている指で、チェス盤を叩く。そこは、はじめとだいぶ配置が換わっていた。キングの近くにまだクイーンはあるが、白のナイトに黒のナイトが取られた。そして、白のナイトが増えてしまった。ポーンに囲まれていたビジョップも、まんまと逃げられてしまった。
 「何故、上手くいかない」
 これの思ったとおりに、チェスは進んでいなかった。それが彼の苛立ちの元。何とかして、勝たなければいけない。絶対に、負ける事は許されない。
 傍観者が爪を噛む音と、チェス盤を叩く音が、不協和音を奏でていた。












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