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機械仕掛けの世界
作:下弦 鴉



7、迫る危機


 いつまでこの同じ風景の中を歩き続けなければならないのだろうか。さすがに最初は興味を惹かれていた壁や床の質も、何でてきているか分かればつまらなくなってしまった。どれも同じ、チタン合鉄だった。と、言うよりもそんな気がした。何故ならば、それは見た目だけの判断だったからだ。
 「……」
 隣にいるアリィも、あの一件以来もう声は出ないようなので、話しようがない。話しかけたとしても、どうしても会話が続かない。続けられないのだ。彼の大体の表情の変化が分かっても、話せなければ会話にならないのだ。それは仕方のない事なのだが、お喋りな方な皐氣にはちょっとした拷問のようなものだ。だが他の二人に比べて、仲間がすぐ傍にいるという事は得なことなので、文句は言えない。だから今はとりあえず、別れてしまった二人に会う事を考えて進んでいるのだ。だが―――。
 「……何かここ、さっきも通らなかったか?」
 そう、彼ら、いや彼は根っからの方向音痴だった。皐氣は地図には詳しいくせに、方向に関してはてんでダメである、不思議な体質をしていた。アリィはどうだか分からないが、同じ場所を回っている事に気付いたのは彼だったので、そこまで方向音痴ではないのだろう。だがこの二人では、常人では簡単に見つけられる上への階段もエレベーターも、見つける事は困難だろう。だからこうして、同じ場所を少し変わったルートで歩き続けているのだ。
 「何か気付いたこたぁねぇか、アリィ?俺にはここがどこだか、さっぱり分からん」
 「……」
 言葉は発せられないが、目で訴えてくる。彼にも分からないのだ、今の場所が。同じ場所だと言う事以外、全く分からないのだ。上に行く事が問題なのではなく、どうすれば違う道に出れるかが問題だった。
 「どうすればいいと思うか?こうなったら、わざと敵に捕まってみるか」
 なんて皐氣がふざけた事を言ったら、アリィが必死になって止めていた。それは嫌だと言わんばかりに、彼の手を強く握って放さなかった。
 「ダイジョブだよ、アリィ。そんな無茶、やらないさ」
 その言葉を信じたのか否かは分からないが、とりあえず手は放した。路頭に迷う者の様に歩き続けている皐氣達の目の前に、やっと見た事のないものが現れた。それは変てこな看板だった。
 「なんだこりゃ?」
 そこに書かれている文字は、皐氣達の知らない文字のようだった。ミミズのような文字がのた打ち回るそれは、そこに一つしかなかった。他にもあるのかもしれないが、今はこれしか見える範囲になかった。
 「なんて書いてあんだ?」
 さっぱり読めなくて、困り果てる皐氣達に向かってくる足音がした。さほど近くないようだが、隠れる事に越した事はない。慌てて近くにあった柱の陰に隠れて、様子を見る。そこに現れたのは、一体のロボットと二人の人間だった。話し声が近づいてくる。
 「なんでも侵入者がいるらしいぜ。ここに何の用があんのかねぇ」
 「でもよ、そいつら見つけてダイラ様に報告すれば、一階級上がらせてもらえんだろ?」
 「そうなのか!?」
 「知らなかったのかよ。……でも、生捕りじゃねぇといけねぇんだぜ?面倒臭くねぇか?」
 「そだな」
 そう話しているうちにそいつらは、あの変な文字の書かれた看板の前に来た。何もせずに通り過ぎると思っていたが、彼らはそこで立ち止まり、話し続ける。その間にロボットは、誰に命令された訳でもなく看板に触れた。そして何かを打ち込んでいるようだった。もっとよく見たいのだが、無理に覗き込めば彼らに見つかってしまいそうだった。はやる気持ちを抑えながらその光景を見ていると、不思議な事に、彼らの目の前には扉が出現していた。さっきまで何もなかった場所なのに、今はいつもその場にあるように、そこにあった。
 「何であんなトコに扉があんだ?」
 思わず出てしまった言葉に、ドキッとしたが、予想していたような事は起きなかった。皐氣が冷や汗を掻いているうちに、今までいた者達は消え、扉も消えていたからだった。
 「消えた……」
 言葉に出すと、余計に不思議になった。今さっきまであった扉の所へいくと、やはり何もなかった。あるとしたら、ロボットの触れていた看板だけ。他には何の変哲もない壁が、皐達を嘲笑うの様に続いているだけだった。アリィも不思議そうに、扉のあった場所に触れていた。
 「何で急に扉が出てきたんだと思う?」
 アリィは何も答えずに、看板を調べ始めていた。こういった謎が好きなのかもしれない。
 「何か分かりそうかい、小さな探偵君?」
 少し不服そうな課を押しているのは、皐氣の例えのせいだろうか。それはさておき、アリィは何かに気付いたようだった。だが、その気付いた事が皐氣に伝わらない。伝わりそうなのだが、少し違っているのだ。必死になって伝えていると、やっとアリィの思いは伝わった。
 「お前はこの看板が怪しいってんだな?」
 こくんとうなずくアリィ。
 「で、ロボットが何をしていたのかも分かるんだな?」
 再びアリィはうなずき、少し嬉しそうに笑った。
 「んで、俺がお前を抱いて、看板に何かしたいんだろ?」
 うんうんとアリィはうなずき、皐氣に向かって小さな子供が親に抱っこをせがむ様に手を伸ばしてきた。言葉では何も言わないが、アリィは早く、早くと急かしているようだった。そんな彼を皐氣は難なく持ち上げ、看板に手が届くようにしてやった。するとアリィは看板に書かれたいくつかの文字に、恐る恐る触れた。そうした全ての動作が終わるのを皐氣は待っていると、突然、壁に変化が現れた。
 「おお!?」
 壁に水を垂らしたかのようにそれが消え、上へ向かって伸びる一本の道が現れたのだった。それとは反対に、下へ向かって伸びるものも見て取れた。
 「……恐るべき、神の領域」
 こんな発達した防犯設備は、町のどこにもなかった。この仕組みは、ここならではのものなのだろう。侵入者を逃がさないための、トラップなのだ。きっと。
 「とりあえず、罠かもしんねぇけど、上に行っとくか」
 皐氣がそうアリィに言うと、彼は真剣な面持ちでうなずいた。罠である可能性は低いにしても、用心する事に越した事はなかった。皐氣達は一歩一歩慎重に階段を登っていく。途中、出れる様になっていた所があったが、目的地は最上階なので、スルーした。
 いくら登ってきたのだろうか。嫌に響く足音に嫌気がさしてきた頃に、階段が遂に途切れた。皐氣達はよく調べてみたが、さらに上に続く道はないようだった。
 「諦めて、外に出るか」
 ため息交じりに皐氣がそう言うと、アリィは仕方なさそうにうなずいて、彼に付いて外へ出た。その時に機械的な声で『ここは二十五階です』と、告げられた。そんなに登ったつもりはないのだが、思った以上に登っていたようだ。
 「最上階まで、後何階なんだろうな」
 分からないと首を振るアリィ。それも当たり前なのだが、皐氣は何故だか残念に思った。
 「じゃ、さらに上を目指して行くか」
 自分を勇気付けるために言ったつもりなのだが、アリィもそれに励まされたようで、隣でうなずいていた。進みだした彼らを呼び止めるものはいない。だが、彼らを見張る者の影は、しっかりとあった。
 そして彼らは気付いていなかった。ここが神の領域の最上階だという事に。誰よりも先に、敵地に踏み込んでしまった事に。


                     *


 茜は、数の増えてきた敵達から身を隠しながら進んでいた。皐氣達のフロアにはあまりいなかったのだが、ここ十九階は見張りの数が多かった。何故彼女はここが十九階だと知っているのかと言うと、敵の話を盗み聞きしていたからだった。何かなんでもいいので、ここに関する情報が欲しかったからそうしていたのだが、今いる階の事しか聞く事はできなかった。
 「あいつらは上手くやっているのかしらね」
 あいつらとはもちろんアリィ達の事である。皐氣は例外として、二人はどこか頼りなく、気弱な面が会った。特に栄井に関しては、何をしでかすか分からないトラブルメーカーだった。アリィには皐氣がいるが、彼には誰もいないのだ。もしかしたら、もう、また敵に捕まっているかもしれない。
 「だったらどうしよう……」
 何故こんなに心配になるのかは分からないが、今は上に向かわなくてはならない。先の事を考えて、心配な事を吹き飛ばさなくては。そうしなければ、身が持たない気がした。
 「ポジティブに、ポジティブに!」
 敵の目から上手く逃れながら、茜は上に伸びる階段を見つけた。誰もいないようだったが、手には銃を持って歩いていった。気をつけて登りきると、敵がすぐ傍を通った。こちらを見ていなかったので気付かれる事はなかったが、心臓に悪かった。二階ほど登れたので、今は二十一階のはずだ。そろそろ誰かと合流できてもいい頃のはずだ。だが、誰とも会わない。会えないだけかもしれないが。
 「誰かいないの」
 そう叫びたいが、喉の奥でその言葉を飲み込んだ。そんなことをしたら、敵を呼ぶ事になるだけだった。それだけは何とか避けたい。銃にも撃てる玉の限界があるようだから。
 「シンニュウシャヲホソク、コレカラ、ハイジョサギョウニウツリマス」
 気付かぬ間に、後ろに大きなロボットがいた。それは、天の国オーバーグラウンドで皐氣達を襲ったロボットと同じものだった。何故そんなものがここにいるのか分からないが、あの腹の銃で撃たれたら、一瞬で穴だらけになってしまうだろう。逃げるしかない。試しに持っていた銃で攻撃してみたが、特殊なボディなのか、はじかれてしまった。それに反応して、そのロボットも反撃してきた。何とかよける事は出来たが、ずっと逃げ続けられるかどうか―――
 「シンニュウシャヲホソク、コレカラ、ハイジョサギョウニウツリマス」
 「!うっそ!!」
 確かに隠れたはずなのに、もう見つかってしまった。そしてまた同じ場所に出てくると、またあのロボットがいるのだ。戻ろうとすれば、後ろには同じロボットが重い足音と共に近付いて来ている。囲まれている。
 「ちょっと、ヤバくない?」
 その二体が一斉に銃を乱射する。必死に逃げて柱の陰に隠れると、銃の音は止んだ。だが、そこから一歩でもでれば、再び撃ってくる。場所を変えないと、このままでは挟み撃ちにされかねない。立ち上がって動こうとすると、鋭い痛みが茜を襲った。
 「っつ!!」
 左足から血が流れていた。よけきれずに、玉が当たってしまったのだろう。それまで来ていたマントを脱いで、歯で破り、即急の止血をした。見る見るうちに、それは紅く染まっていく。これでは遠くまで逃げられない。
 「かなり、ヤバくない?」
 彼女の目の前に、ロボットが三体現れた。そして銃を彼女に向ける。
 「ジ・エンドって感じ?」
 銃の発砲音が、その階に鳴り響いた。


                     *


 やけに下の階が騒がしい。何かあったのだろうか。敵も慌しく動き出し、栄井は扉から出る機会をすっかり失っていた。上に続く階段を上がっている頃から、下は騒がしかった。その間に何人かの敵に鉢合わせてしまったが、茜から貰った銃で何とか撃退する事が出来た。だが、ロボットにはこの銃があまり効かないので、何発も撃つ羽目になってしまった。そしてやっと上に着いたと思ったら、この様だ。どうしようもなかった。
 「茜達、大丈夫かな?」
 栄井はそう思いながら天井を見上げた。当の本人が心配されているとも知らずに。
 「アレ?なんだぁこりゃ?」
 天井から僅かに紐が垂れている事に気付いた。擦り切れているし、色が黒くなってしまっているから、気付かれなかったのだろう。それは彼からしたら難なく届く位置にあり、顔の前をフラフラと踊っていたので気付けたのだ。
 「引っ張れってか?」
 誰もそんな事言っていないが、目の前でこんなにも堂々と揺れられていると、引っ張ってくれと頼まれているようなものだった。もし、この時この場に皐気達がいたら、間違えなく止めているだろう。だが、ここに彼らはいない。止める者が、いないのだ。
 「よっし!」
 気合を入れるつもりはなかったが、自然と出た言葉がそれだった。見た目よりも丈夫そうな紐を引っ張ってみると、上からたくさんの埃を引き連れて、縄梯子が姿を現した。だらりと吊り下げられているそれは、くたびれた柳のようだった。所々に昔の面影を残す白い部分があり、それがくっきりと虎模様のように残っていた。あまり丈夫そうに見えないが、太い縄はまだ働いてくれそうだ。その行く先は暗く、何も見えない。懐中電灯でもあればよいのだが、そんな都合のいい物など持っていなかった。そもそも、ここに来てもその必要のなさは、目に見えていたのだ。だが、意外な所で役に立つ事が分かった。
 まだ入るつもりはなかったが、栄井のいる階段の下の方から、話し声が聞こえてきた。外に出る勇気を持ち合わせていなかった彼は、仕方なしにそれを使い、狭い空間に身を隠した。さほど広くないが、隠れるには最適だった。すばやく縄梯子を巻き取り、自分がそこにいた証拠をなくす。しばらくそのまま固唾を飲んで待っていると、一体のロボットが現れ、二人の人間もやってきた。そして彼らは栄井に気付く事なく、外に出て行った。その後降りてもよかったのだが、彼のいる所はまだ先に進めそうだった。もしかしたら、通気口か何かなのかもしれない。そのために少し煤っぽいのだ。
 引き返しても、敵がまたいつ来るか分からない。それなら、安全なこの中を通って進んだ方がよいのではないだろうか。危険を冒してまで、下に居続ける決まりはない。まずは様子を探ってみる事も大切だろう。
 「ちょっとキツイかも……」
 などと文句を抜かしながら、這い蹲って彼は進みだした。
 しばらく進んでいて気付いた事は、この通気口は全ての部屋に繋がっていると言う事。そのために、時々金網から光が漏れてきていた。それを頼りに進んで行けば、ここについての情報を聞きながら進めるし、何より敵に見つかる事がない。しつこい様だが、この中が安全なのは確かなのだ。そして今いる所は、二十二階。最上階は、二十五階。そして、そこに司令役がいる事が分かった。その名は、ダイラ。あまり大きな動きを見せていないが、侵入者には気付いている。そして栄井らを捕まえるために、刺客を何人か用意してあるようだった。その中に、聞き覚えのある名前があった。
 「緋搗……」
 いつ、どうやって彼女の事を攫ったのか知らない。だが、彼女は洗脳されているらしい。きっと、随分と前から捕まっていたのだろう。何とかして助けたいのだが、洗脳されているとなると、厄介だ。もしかしたら、自分達を殺すように命令されているかもしれないし、自ら死を選ばせるようになっているかもしれないからだ。もし、それを知らない皐氣達が彼女に会ってしまったら、大変な事になる。皐氣は彼女の親友だ。何の躊躇もなく、彼女に近付くだろう。そしたらきっと―――。
 「ダメだ、ダメだ」
 最悪の未来を想像して、栄井は震え上がった。そんな事考えてはならない事など、分かっている。だが、もしかしたら、と言う事があるのだ。どんなに小さな可能性でも、気を抜いてはならない。だからそれを避けるために、早く皐氣達と合流しなければならない。彼らの居場所は分からないが、最上階を目指せば、きっと会える。きっと、会える。
 まだ、自分はこんな勇気を持っているとは、知らなかった。人とぶつかり合う事が嫌で、人と付き合う事が苦手だった。そんな栄井に光を燈してくれたのは、皐氣だった。いつも暗く、どんよりとしていた心が、急に明るくなったのだ。彼のたった一言で、一つのプレゼントで。懐かしい、だが、今も鮮明に覚えている。彼は、もう覚えてないだろうが、栄井にとっては特別な日だったので、よく覚えている。
 友が友を殺さずにすむ様に、早く先へ進まなければ。焦る気持ちと共に、栄井は確実に進んで行った。
ある程度進んだところで、いったん外に出てみる事にした。敵の気配がしないところで金網を破り、下に飛び降りる。結構な高さがあったので、足が痺れた。確か、ここはまだ二十三階のはずだ。始めは順調だったのだが、上に上がれば上がるほど道は複雑になり、通り難くなった。だからなかなか上に行けなくなったのだ。辺りには、まだ敵の気配はない。どうやら全員で払っているようだ。それなら好都合だった。敵と遭遇せずに動ける事に、越した事はない。ホッとして、先へ進もうとした栄井の足は止まった。
 「ハロォ、侵入者」
 へらへら笑いながら手を振っているのは、二十歳前後の男。もちろん知った顔ではない。ダイラが送ってきた刺客だ。旅人のような格好だが、それには不釣合いな大剣を背中に背負っていた。まだそれを抜くようなそぶりは見せないが、いつからそこに居たのだろう。栄井が降りてくる時には誰もいなかったし、気配すらしなかった。気配を消し、どこかに潜んでいたのなら、彼に適う相手ではない。逃げなければ。
 「何だよ、そんな恐い顔すんなって。殺しやしねぇよ」
 殺さないという言葉に、少し驚いたが、隙を見せる訳にはいかない。もしかしたら、敵の罠かもしれないからだ。
 「でも、逃げられても困るんだなぁ。だから大人しく捕まって」
 カワイ子ぶって言った様だが、低い声で言われては、余計警戒心を強めるしかないではないか。それに、大人しく捕まるつもりもない。
 「警戒心丸出しだなぁ。そんなに俺って怖い顔してっか?」
 「ああ、十分に」
 「おっ、やっと口開いてくれたな」
 「僕はロボットじゃありませんから。話して当然です」
 「ハハハ!そりゃあ、そうだ」
 何か調子の狂う奴だ。それに、どこか皐氣に似ている。性格というか、なんと言うか。ともかく能天気な所など、本人そっくりだ。
 「俺の名は、溯羅さくら。片桐 溯羅だ、よろしく」
 ニヤッと笑って、手を差し伸べる。その笑みには邪気がないが、彼は敵だ。こんな事をしていいのだろうか。
 「お前は?」
 「……栄井、陽向」
 「無愛想だなぁ。突然襲ったりなんかしねぇよ。俺はソーユーの、大っ嫌いだかんな」
 その言葉に嘘はない様で、けして剣に触れる事はなかった。ぎこちなく握手をしてやると、嬉しそうに笑った。本当に彼は敵なのか、一瞬考えてしまった。
 「じゃ、自己紹介もすんだトコで、早速一つ言っとくぜ。お前、降参しろ」
 さっきとがらりと口調が変わり、殺気が溯羅を包む。恐い。久しぶりに、そう思った。だが、ここで負ける訳にはいかないのだ。自分には、行かなければならない所がある。伝えなければいけない事があるのだ。そのために、進むしかないのだ。
 「もう一度言う。降参しろ。そしたら痛い目に遭わないですむぜ」
 「……やだ」
 「何だ?聞こえないぞ」
 「僕にはやらなくちゃいけない事がある。進まなくちゃいけない理由がある。ここで止まる訳にはいかないんだ。どうせ捕まったとしても、僕は何も言わないし、脅しにも動じない。降参するくらいなら、死んだ方がマシさ」
 「……それが、お前の答えか」
 揺るがせない、この想い。殺される事は、正直恐い。それに嫌だ。だが、友が殺されるかもしれないのに、何もできずにいるくらいなら、少しでも前に進みたい。自分の勇気を、信じてみたい。僅かな可能性に、賭けてみたい。
 「そか、残念」
 ふっと風が栄井の頬を撫でたかと思うと、溯羅は既に彼の後ろにいた。振り返ると、凍てついた彼の黒い瞳と栄井の目が合った。
 「ほんと、残念」
 その刹那に、大きな剣が彼の目の前に迫ってきていた。












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