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機械仕掛けの世界
作:下弦 鴉



6、始まるゲーム


 「ヤッホー、元気だった?翠。と言うか、お久ぁ」
 能天気に牢屋の中から話しかけてくるのは、やはり栄井だった。銀縁のメガネにひびが入っている所以外に、変わった所はなさそうだ。でも、何故彼はこんなところに閉じ込められているのだろうか。
 「ヤッホーじゃねぇ!何してんだよ、こんなトコで」
 「何って……捕まってるに決まってんじゃん」
 「だぁかぁらぁ、それは見て分かんの!何で捕まってんのか、聞いてんだよ!!」
 「ああ、何だ、そんな事」
 拍子抜けた笑いが、暗い牢屋に明るく響く。なんだか、調子が狂う。もっと深刻な事になっている筈なのに、なぜかそんなことを忘れてしまう。
 「僕の体力であんなゴツイロボット達から逃げ切れる訳ないだろ?はっはっは〜!」
 それもそうかと思ったが、最後の笑いが気に食わない。なぜなら、威張っているように聞こえるからだ。牢の中の栄井を手招きで近くに来させると、皐氣は、彼のその頬を引っ張って伸ばした。
 「いはいほ、いはいっへ、ふい」
 きちんとした日本語に訳すと、『痛いよ、痛いって、翠』である。
 「お前が薄気味悪い笑い方をする時は、とんでもない事が待ってんだよ」
 「たとへは?」
 『例えば?』と言っている。
 「腹の調子がよくなかったり、日課に体育があったり、学食に大っ嫌いなチーズが出たりしたときだ」
 「さひほのっへ、ふいのほほはん」
 『最後のって、翠の事じゃん』
 「チーズだぞ!!何でこの世に腐ったもん食わせる親がいるか!」
 「なっほうも、くはっへふほ」
 『納豆も、腐ってるよ』
 「どーでもいいわ!」
 他愛無い会話を繰り広げる皐氣達を見て、茜は声を立てて笑った。ギッと、皐氣に睨まれたが動ぜずに笑い続けた。
 「笑うな、クソガキ!」
 「わはふはほ、あふぁへ」
 『笑うなよ、茜』
 同時に言われると、意味不明な言葉になって、茜の耳に届いた。そこでまた高らかに茜が笑い出す。そして取り残されたかのように、右往左往するアリィもまた滑稽だった。
 だが、ここは敵地。そんな平和な会話をしていていい筈もない。そして、油断していていい筈もないのだ。
 「あふはい!」
 間一髪。あと数秒でも反応が遅かったら、皐氣は真っ二つになっていただろう。身軽に敵の攻撃をかわせたのはいいが、皐氣は何も戦う力を備えていない。全くの丸腰だった。だが相手は人間だ、どうにかしたら、倒せるかもしれない。
 「皐氣!!これ使って!!」
 いつの間にか、物陰に隠れていた茜が何か投げてきた。それを危なくキャッチすると、またヒラリと敵の攻撃をかわす。それは、銃のようだった。使い方はよく分からないが、形が銃に似ているのなら、使い方も似ているはずだ。エアガンなら使った事があるので、それと同じようにやってみると、玉が出た。玉と言っても、レーザーに近かった。
 「これなら……」
 また大きく振りかぶった敵に狙いを定めて、皐氣は撃った。それは見事に的中し、敵はどうと倒れた。
 「さっすが、翠だね」
 「お前はそんな呑気な事言ってられる状況にあるか?」
 栄井は自分の周りを見回してから、情けなく言った。
 「ないかも……」
 「かもじゃなくて、ないんだよ!!ったくしょうがねぇな」
 飽きれ気味だが、栄井に牢の奥へ行くように指示して、使い方を覚えた銃で、牢の鍵を壊してやった。
 「サンキュー、翠」
 「どういたしまして」
 「あれ?もしかして翠、怒ってる?」
 「怒ってねぇ、さっさと行くぞ」
 「どこへ?」
 「……」
 そこまではやはり考えていなかったようで、皐氣は返す言葉がない。道案内役にされていたはずの茜も知らん振りだし、アリィにいたっては何を考えているのかさっぱり分からない。こうした状況で、一番役に立つのは、栄井しかいなかった。
 「仕方ないなぁ……。さっ、ついてきな、野郎ども」
 そして意気揚々と、栄井は歩みだしたのだった。


                     *


 何をどう間違えたのか、彼には分かっていなかった。自分のどんな行動が悪く、こんな事になってしまったのか。ただ自分の思ったとおりの道を行き、自分が思ったとおりにやってきた。はずなのだが、事態はかなり最悪だった。
 「何がいけなかったんだろ……」
 走りながら、栄井は呟いた。失敗はなかった筈だ。扉を開けるために、変なスイッチを押しただけなのだから。それだけで、何故、敵に追いかけられないとならないのだろうか。
 「お前の押したスイッチがいけなかったんじゃねぇのかよ!」
 必死に銃で敵を倒しながら走る皐氣が、息を切らしながら言った。
 「アレは嫌な予感がしてたじゃない!」
 茜の怒気の籠もった言葉に背中を叩かれながら、栄井は自分のした事を振り返った。まず、場所を移動するために、牢から出て通路に来た。そして、どんどんと進んで行き、上に上がるための階段かエレベーターの様なものを探した。その時に偶然見つけたスイッチがあった。その隣には、意味有り気な扉があったし、間違えなく上に行くために役立つものだろうと思って押そうとしたのだ。そしたらアリィに止められ、それに気付いた皐氣達にも止められたのだ。先に行こうと急かすアリィに、はじめは渋々従ったのだが、その行く先に見張りのロボットがいたので引き返してきたのだ。そして、悩んでいる皐氣達をほっといて、スイッチを押したら、運悪くブザーが鳴ってしまったのだった。
 「やっぱアレのせいだったのかな?」
 無視して走り続ける皐氣と茜の代わりに、アリィがうなずいた。その彼の表情にも、少し迷惑そうな表情が浮かんでいた。そしてやっと栄井は、自分の仕出かした事の大きさに気付いたのだった。
 「押さなきゃよかったね」
 前を走る二人は答えない。急に寂しさと、罪悪感で胸が一杯になった栄井を励ましてくれたのは、アリィだった。小さな手で、そっと背中を叩いてくれたのだ。ドンマイ。そう言ってくれている気がして、栄井は少し嬉しくなった。
 「おい茜、これ玉が切れたりする事はあんのか?」
 「分かんないよ、そんな事。ババ様がそんなもの持ってたのだって、始めて知ったんだから」
 一向に敵の数が減らないのは、鳴り止まないブザーのせいだろうか。何とかブザーを鳴り止ませたいのだが、止める為の方法が分からない。矢鱈に敵を撃っていても、いつ玉が切れるか分からないこの銃では―――。
 カチッ
 無情にも、乾いた音が皐氣の持つ銃の中から聞こえた。
 カチッ、カチッ
 何度やっても同じ事だった。人を小ばかにしたように、空砲が放たれる。こんなに早く玉が切れるとは思っていなかった皐氣は、かなり慌てた。
 「どうすんだよ!玉が切れちまったじゃねぇか!」
 いきなり皐氣にそう言われた栄井は、懸命に言い返す。
 「僕のせいじゃないだろ!?」
 「お前のせいだよ!」
 「陽向のせいよ!」
 皐氣の声と茜の声が上手く重なった。こういう非常時には、相性がいい様だ。
 「そんなに攻めないでよ!」
 「うっせぇ!もういいから、黙って走れや!」
 「もう、陽向が変なボタン押さなければ、こんな事にはならなかったのにぃ!」
 敵からの追跡はまだまだ続く。その時栄井が気付いた事は、彼らに付いて来ている不思議なプロペラ付きの小型ロボットだった。それにカメラでも付いていて、侵入者を映し出し、ブザーが鳴り止まないのかもしれない。でも、これを壊すための道具は何もない。だったら、最終手段だ。
 「アリィ、ちょっといいかい?」
 不思議そうな表情をしていたが、栄井の話を聞いたアリィはすぐさま行動に移ってくれた。
 「んだよ、アリィ。何だ、おぶれってか?」
 違う違う、と首を振るアリィの指差す方向に、栄井が見つけた小型ロボットはあった。それに気付いた皐氣は、アリィに聞く。
 「あれを取りたいのか?」
 うなずくアリィ。そして、皐氣はアリィをおぶるのではなく、助走を付けてそれをジャンプして掴んだ。予想外ではあったが、いい事に変わりない。
 「どうすんだ、こんなもん」
 皐氣の問いに答えずに、アリィはそれを後ろの追手達に向かって投げつけた。見事にぶつかったそれは壊れ、同時にブザーも止んだ。栄井の予想通りだったようだ。
 「スッゲ、ブザーが止んだぞ」
 「偉いわアリィ、よくやったわね」
 照れくさくなるのはアリィだけのはずだが、あのロボットを壊すように頼んだ栄井も照れくさくなっていた。
 「あとは、逃げ込める場所さえあればいいのに。何もねぇぞ」
 右も左も、上も下も、ツルツルの鉄板のようなもので囲まれていて、部屋と呼べるものがなかった。それでも走り続けていると、何かが通り過ぎたような気がした。
 追手がいなくなっていたので、戻って確かめてみると、そこには人一人がやっと通れそうな窓のようなものがあった。茜やアリィ達も気付いて戻ってきていた。
 「一か八か、行ってみっか」
 皐氣だけは、ここまで来るのに、幾つもの穴に落ちてきた気がする。いい事だらけではなかったが、何か穴に縁でもあるのだろうか。嬉しくないが。
 「でもどこに繋がってるのかな?」
 「今は隠れられる場所があるだけ、いいとしましょ」
 ぼやく栄井は、心配そうにその中を覗く。その中は案外広く、下から上へ伸びる一本のロープ状のものがあった。何のためにこんなものがあるのかさっぱり分からないが、必要なものだからあるのだろう。
 「おい、陽向。後ろ」
 皐氣の声がしたので振り返ろうとした時、後ろから何者かに背を押され、バランス感覚のない栄井は、その中へ落ちていってしまった。
 「酷い事するな、お前……」
 突然姿を消した栄井に、驚いたアリィは頑張って背伸びして中を覗きこんだ。だが、どんなに頑張っても、側面しか見えない。そんな身長が急に伸びる事もないのに、アリィはいつの間にかそれの中に落ちていた。全ては、茜のせいだった。
 「迷ってても仕方ないでしょ?とりあえず入って見た方がいいでしょ?」
 「いや、入る入らないは、自分で決める権利があるだろ」
 「別にいいじゃない、どうせこの中に落ちてた運命よ」
 「そんな運命、絶対なかったな。お前があいつらの運命変えたんだぜ、それ相応の覚悟しとけよ」
 「大丈夫よ、二人とも皐氣みたいな性格してないから」
 「俺みたいな性格って何だよ!」
 「短気で意地悪なトコよ!」
 「んだと!」
 「何よ!」
 「見つけたぞ、あそこだ!」
 二人が口喧嘩をしているうちに、敵のロボット達に見つかってしまった。まだいがみ合いながらも、渋々ながらあの穴の中に入っていった。
 どれくらい落ちたのだろうか。かなり落ちた気がするが、あまり痛くないのは何故なのだろうか。皐氣が不思議に思いながら立ち上がろうとすると、足元から悲鳴が聞こえた。そこに下から陽向、アリィ、茜の順で積み重なっている事に気付いた。
 「痛いわね!!動かないでよ!!」
 「……」
 「く……苦しい……」
 この中で一番苦しそうなのはアリィだったので、茜を退かして立たせけてやった。と言っても、大人一人がやっと座れるくらいのスペースで立てるはずもないので、茜の上に立たせてから背負った。その間に栄井は静かなのに対して、茜はピーピー五月蝿かった。
 「早く助けなさいよ!」
 「せめぇんだから、無理だよ」
 「せめて、体勢だけは変えさせてよ、翠」
 「どうやって」
 何せこんなに狭い場所だ、一人が動くとなると、周りにいる者達も動かなくてはならない。そんな中でも、何とかお互いに楽な格好になれたところで、話は始まった。
 「ここは何のために造られたのかな?」
 と、未だに下敷きになっている栄井が聞く。とても不恰好な体勢をしていたが、この格好が一番楽らしい。
 「知るか、ボケ」
 アリィを背負い続けるにしても狭いので、顔が壁すれすれになるので肩車をしている皐氣が言い返した。アリィは心配そうな顔で、彼の頭の上から皆を見下ろしていた。
 「八つ当たりすんなよ。本はと言えば、茜が悪いんだから」
 「アタシは悪くないわよ!他にあの状況で行く所があった?」
 陽向の上に、彼と同じく不恰好な形で茜は怒っていた。狭いので、イライラが余計に募るのは無理もないのだ。
 「ちょっと、皐氣!足動かさないでよ、気持ち悪いから」
 「痛てて!ちょっ……翠、動くなよ」
 「わ、悪いな……」
 人の上に立つのが嫌だった皐氣は、何とか床に足をつけていたのだが、周りが人に囲まれていて、なんだか気持ち悪いのだ。そのため、居心地を求めて動くのだが、下の者から苦情がくるのだ。何とか動かないようにするが、気持ち悪い環境は変わらなかった。と、その時。
 「うおっと!」
 「な、何!?」
 「痛たたっ!」
 急に床が動き出し、皐氣はバランスを崩してしまった。そのせいで栄井の背中を蹴ってしまったのだ。足を片足上げていなければいけない状態に焦りながらも、皐氣は何とか持ち前のバランス力で何とか場を凌ぐ。だが、ガタガタと揺れるそこでは、茜までも蹴ってしまう。
 「何蹴ってんのよ、ノロマ!」
 「ウゼェな、黙ってろ!こっちだって精一杯にやってんだよ!」
 「ここから出たいよぉ、翠ぃ」
 「お前は男なんだから泣き言言うな、陽向!俺だってこんなところから出たいさ」
 「……」
 アリィは、そんな仲間同士の言い争いに耳を傾けながら、ふと上を見上げた。するとそこには、急に近づいてくる天井が見えるではないか。まだまだ遠いようだが、そんなに余裕はないだろう。何とかしてここから出なくてはならない。そのためにはこれを止めるしかないのだが、方法が分からない。だが、時々、外の様子が分かる窓があることには気付いていた。急いで皐氣達に知らせなければならない。
 「ああ、もう!何で止まらないのよ!」
 「俺に聞くなよ!これ造った奴に聞け!」
 「そいつが居たら、こんな苦労はしないよ」
 「そんな事分かってるわよ!」
 「だったら黙ってろ、おてんば娘」
 「おてんばじゃないわよ、皐氣よりはしっかりしてるわ」
 「ありえねぇな!マジ、ありえねぇ!」
 「あんたの性格の方がありえないわ!この、でくのぼう!」
 と、口喧嘩が止まらない。何とか、皐氣だけにでもいいから気付いてもらおうと髪を引っ張っても、彼は気付いてくれなかった。こんなときに声が出れば、教えられるのに……。アリィは悔しくなって、しょんぼりした。それでも諦めずに髪を引っ張ってみるが、効果はないようだ。茜も栄井も、アリィの行動に気付いてくれない。だが、遠かった天井は確実に近づいてきている。何としてでも伝えなければ、皆潰されて終わりだ。世界を変えるどころじゃない。声さえ出ればいいのだ、上だと知らせられればいいのだ。上が危ない事を伝えられれば、それだけでいいのだ。
 「どうしたらいいのよ!」
 上だよ、気付いて茜。
 「なにかいい方法はねぇのかよ!」
 上が危ないよ、皐氣さん。
 「……何か、気持ち悪りぃ」
 それより上だよ、陽向。
 「ちょっとやめてよ、陽向。ここで吐かないでね」
 「汚ねぇからやめろよ、陽向」
 「む、無理かも」
 「我慢しなさいよ、男でしょ!?」
 「今回ばかりは、許して……」
 「許せるかっての!臭くなるだろ」
 上だよ。上!危ないんだよ、上が!気付いてよ、上、上、上―――!
 もう、天井ははっきりと見えている。これ以上ここに居ては本当に危ない。アリィは自分のありったけの力を使って、声を出すために頑張った。だが、声は出ない。伝えさせて欲しい、これだけは。みんなを殺さないために―――。
 「上!!」
 生まれた初めて自分の声に驚くアリィと、アリィの声に気付いた三人。なんとも不恰好だが、しっかりと上を見上げていた。
 「上が、近く。危ない、の!」
 言いたい事がうまく伝えられないもどかしさはあるが、しっかりと声が出ていれば伝えられる。気付いてくれる。そのおかげで、三人は自分達の危険を察した。
 「ヤベェぞ!どうすんだ?」
 「とにかくここから出なきゃ!」
 「やった、アリィの声が出た!」
 一人だけは例外にして考えると、アリィの忠告は確かに彼らに伝わったのだ。初めて声が出せた喜びと共に、伝えられると言う喜びをアリィは知った。
 「横、の、窓、逃げら、る」
 途切れ途切れで伝わりにくいかもしれないが、皐氣と茜はきちんと聞き取り、次の行動を起こそうとしていた。例外はまだ他の事をほざいている。いい加減に、自分に迫る危機について考えて欲しいものだった。
 「でもこんな狭い窓だわ、一人ずつしか出られない」
 「それでも仕方ないだろ?今は、何とかしてここから出る事が大切だ」
 「それもそうね」
 皐氣の言うとおり、もう天井は数十mと離れていない所まできている。どうするかより、まずは脱出を考えなくてはならない。いまさら悩んだところで、ペシャンコだ。
 「何階に繋がってるか分からねぇけど、俺達が目指してんのは上だ。だから上を目指して登っていけば、また会えるはずだ」
 「一番初めに上に付いたら、仲間を探すって事でいいわね。敵に待ってもなるべく争わずに、隠れながら行きましょう」
 「でも万が一のために、武器はあった方がいいと思うぜ。他にこれ見たいの預からなかったのか、茜」
 「まだあったはずよ……ほらあった。弾の詰め替え用はないみたいだけど、それは各自で考えるって事で」
 「もう時間がねぇな、まずは俺から行くぜ。一番出やすいからな」
 「じゃあ、次はアタシね。陽向、ちゃんとここから逃げなさいよ」
 仲の悪い二人とは思えないほどテキパキとした指示で、事は進んだ。茜が、よく聞いていなかった栄井にもう一度説明しているうちに、皐氣はアリィを抱いて外へ飛び出た。うまく出られるか心配ではあったが、すれすれで外に出る事が出来た。アリィは、皐氣にギュッと抱いてもらっていたおかげで、衝撃をあまり受けることなく出れた。その代わりに、皐氣は肩を打ったようだ。痛そうに肩を抱えていた。
 「……」
 アリィはもう一度声を出そうと思ったのに、もう声が出なくなっていた。何度試しても効果はなく、擦れた空気が喉から出ていくだけだった。また役立たずに戻ってしまった。そう思うと、アリィは急に悲しくなってしまった。そんなしょんぼりとしているアリィに気が付いて、皐氣が優しく言った。
 「もう声が出なくなっちまったのか。そりゃあ、残念だわ」
 さらにしょげるアリィだが、皐氣はその下げられた頭に手を置いて言った。
 「でも、お前が一生懸命俺らに危険を報せてくれたのに、間違いねぇもんな。ありがとな、アリィ」
 わしゃわしゃされながら顔を上げたアリィに、皐氣は優しく笑いかけた。もちろん作り笑いなどではなく、本当の笑顔で。そうすると、アリィはたちまち嬉しそうに、ニッコリとした。瞳が大きいせいで、とても人懐っこい感じの笑顔だった。再び元気を取り戻したアリィに、皐氣は真剣な顔つきで言った。
 「これからは何が起こるか分からない。もしかしたら、お前を護れ切れないかもしれない。だから自分の事は自分で護れよ。それが嫌なら、でしゃばったマネはするなよ。分かったな」
 脅し口調に近い気もしたが、アリィは怖じ気付かずにきちんと最後まで聞き、うなずいた。
 「よし、じゃあ行くか」
 まだ戦いは始まったばかりだ。


                      *


 「痛たたぁ……」
 上手く着地したつもりなのだが、滑る床に負けて肘を打った。ジィ〜ンとした鈍い痛みが、肘をつつく。擦っていても埒が明かないが、痛みが和らぐ気がしたのだ。
 「ここって、何階なのかな?」
 現在地を示すものは一つもないが、進むしかないのだ。戻るための道は、いつの間にか絶たれていたから。身だしなみを整え、立ち上がる。腰の帯の部分に挟んだ銃はしっかりとある。何もおかしいところはない。肘の痛みを除いてはだが……。
 「よおぉし、行っくぞぉ!!」
 意気揚々と歩き出した茜のには、恐怖はなく、希望に満ちていた。
 その茜に対して、情けなく栄井は立っていた。何とか無事に脱出は出来たが、やはり一人は心細い。せめて、一人くらい仲間がいてくれればいいのだが、そういう訳にはいかなかった。皆別々の道を歩み始めているのに、栄井は進む事が出来ずにいた。
 「一人は嫌いなのに……」
 などと文句を言いながらではあるが、やっと一歩を踏み出した。
 その光景を、それぞれの階にいる記録ロボットは見ていた。今度は気付かれぬように壁と同じ色にしてあるので、誰もその存在に気付いていなかった。それを観覧しながら、その傍観者は楽しそうに哂う。不気味な笑い声に、吸血鬼を連想させる。その吸血鬼の前には、やりかけのチェスがある。その白い駒の四つが動かされた。一つはナイト、二つはビジョップだった。そして最後の一つは、キングだった。
 「だぁれが、キングを取るのかな?」
 楽しそうに、傍観者は笑う。そして黒い駒を動かす。ナイトの少し前に、同じようにナイトを。一つのビジョップの前には、ポーンが三つ囲むように置いてある。そしてキングの周りで、傍観者はクイーンを回していた。
 「大切なキングを壊すのは、やっぱクイーンがいいよな」
 不敵な笑みが、一人の少女を見つめた。彼女は力なく立っていた。長い黒髪が、滝のように顔を覆い、表情を隠す。その間から見える、黒曜石の瞳は全く光がなかった。まるでガラス玉が眼の部分に入っているかのようだった。何度も同じ形に、人形のような彼女の口が動く。
 「裏切り者に死を裏切り者に死を裏切り者に死を―――」
 呪いの呪文のように、耳に残るひび割れた声だった。それでもその声の主を分かる者には、分かるだろう。彼女は緋搗だと言う事に。チェスをしている傍観者に洗脳された彼女の心に、愛する者の事などない。皐氣の事も、陽向の事も忘れて、操り人形にされているのだ。だが、その操り人形は泣いていた。心が壊れる前に泣いていたからだった。
 「さあ、クイーンよ。出番だよ」
 キングの前に置かれたクイーンが、もの悲しげに見えたのは気のせいだろうか。
 「僕に楽しいショーを見せておくれよ」
 そして、機械達と皐氣達の戦いは始まったのだった。序曲は終わり、開幕のベルが鳴り響いていた。


もし、誤字脱字があった場合は、速やかに教えてください!!
きちんと直しますので……











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