14、終わりを告げる鐘
「やあ、待っていたよ。皐氣翠君」
チェス盤を目の前において、その男は言った。皐氣は、いきなりフルネームで呼ばれたが、驚かなかった。彼が、ダイラだろうか。チェスの駒を動かして、悔しそうな表情をしていた。
「いつから狂ったのかな?私の計画は」
落ち着いた声に、怒りは感じない。しいて言うなら、悩んでいるようだった。監視カメラの映像に囲まれて、浮かび上がった彼の顔も読めない。真顔のまま、ぴくりとも動かない。まるで、マネキンのようだった。
「なあ、君はどこから狂いだしたのだと思うかい?」
「何の事だ」
「冷たいね。分かってるはずだよ」
「……知らねぇな」
「フフフ……。それも一つの答えかも知れないね。……だが、私はこう思うよ。皐氣夫妻が殺された日からと」
「なっ!?」
予想外の言葉に、思わず皐氣は、一歩身を引いた。両親が殺された日。その事と、この機械仕掛けの世界に、何の関係があるのだろう。皐氣は分からなかった。何故、ダイラの口から、両親の話題が出されたのか。この世界には、分からない事が多すぎる。
「君は聞かされていないのかい?彼らは、優秀なここの社員だった。頭も良く、アイディアにも溢れていた」
「……だからって、お前の計画の狂いと何の関係があるんだよ」
「ここが一番大切なのだよ、皐氣君。彼らは、発明する事を誇りに思っていた。人々の役に立つ、素晴らしい機械の発明に。そして作り出したのだよ、この世界の神とも言えるものを」
「それって……まさか!」
その時初めて、ダイラの表情は変わった。とても暗く、悪魔のように微笑んだのだ。
「そう、彼らが作ったのは、アステレイアとゼウスだ。素晴らしい知能を持つ、データベースだ。あれを越える機械は、もう二度と創れないよ」
「……嘘だ。親父達が創ったなんて……。あれは、もう何百年も前からあるんだろう?そんなのおかしいじゃないか!」
ダイラは一瞬静かになったが、そのあと高らかに笑い出した。
「何がおかしい」
「想像力に欠けるようだね。話なんて、簡単に変える事が出来る。そうだったと思い込ませる事は、簡単なのだよ。何の造作もない」
「俺達に、嘘を教えてるって事か」
「神は、長い間生きていなければならない。その為には、多少の偽りも必要なのさ」
「そんな……」
この世界を信じて生きている人々に、申し訳なくないのだろうか。人の為と、嘘を吐き、簡単に嘘を伝えて言ってしまって、いいのだろうか。
「おっと、話の筋が、ずれてしまったね。……そうだ、皐氣君。君は何故、ご両親が殺されたと思っていたかい?」
「何故って、そんなもの強盗に殺されたんだろ?俺は見てないけど……」
「強盗ねぇ……。それがもし、計画的なものだったとしたら、君はどうする?」
「は?」
「私の仕組んだ計画により、二人が殺されたと言うのなら、どう思うと聞いているんだよ」
「何だと」
「彼らは、高い知能を誇っていたが、この世界は進化し過ぎたと言い始めた。進化のし過ぎなんて、この世にはないのにだ。行き過ぎたこの世界を止めるために、彼らはここ出て行った。なんて哀れなんだろうか。そのままここにいれば、殺される事なんてなかったのに」
「……」
「彼らの知能は、私の計画を混乱される。乱される。その為には消すしかなかったのだ。だが、子供がいたとはね。聞いていなかったよ。君にも、消えてもらわないといけないかな?」
やる気のなさそうな声だったが、目は、欲望に爛々と燃え上がっていた。自分の為に、人を殺したのだ。この目の前の男は。罪のない命を葬り去ったのだ。大切な、命を。
「ラストはこれからだよ、皐氣君。まずは、これを見たまえ」
パチンとダイラが指を鳴らすと、チェス盤の上に、モニターが現れた。映っている映像は、どこかの廊下らしかった。そこに、一人の人物がのた打ち回っていた。見覚えのある剣が、近くに転がっていた。
「さ……くら?」
「そう、裏切り者さ。彼には、特別強い苦しみを味わってもらっているところだよ」
「てめぇ、溯羅に何した!」
掴み掛かろうとした彼の喉元に、鋭いナイフが突き立てられた。いつの間に手に持っていたのだろう。手品のように、その手にそれはあった。
「まあ、そう怒らないでくれたまえ。この罰は私が下しているものだ。私を殺したら、命令は誰にも止められない」
「……クソッ」
歯を食いしばって、皐氣は画面を見ていた。音声は聞こえない。音のない生き地獄で、溯羅は苦しんでいた。
「彼は、この世の全てを壊すために造った、私の傑作だ。それなのに、最高の命令よりも、人の心を選んだ。その罪は重い」
「……」
「彼にした命令は、この世を壊す事。それを拒否する事は出来ない。拒否し続ければ、いつか神経がやられる。だが、素直に従えば、せっかく出来た仲間を皆殺しさ。面白いと思わないかい?」
笑みを隠し切れないという風なダイラに、皐氣は怒りを感じていた。なんて自己中心的なのだろう。自分さえ良ければ、他のものはどうだっていいのだろうか。狂っている。考えられない。殺させる事を楽しみ、殺す事も楽しんでいる。何て卑劣な人間だろうか。
「……お前、おかしいよ」
「おかしい?私が?」
「人を苦しめて、何が楽しいんだよ。人の苦しみも知らないで、何を楽しんでんだよ。お前、人の気持ちってもんを考えた事ねぇのかよ!」
「人の気持ちなど、単なるお飾りに過ぎない。散々飾りつけた挙句、簡単に棄て行くのだ」
「気持ちは飾りじゃない。心だ。何で分からねぇんだよ。なんで……」
「分かりたくもないよ、そんなもの。やはり、君は消した方がいい存在のようだ。考え方が、彼らに似すぎている。もしかしたら、彼らは皐氣君、君に何かを残しているかもしれない。この世界に、在ってはいけないな」
璃里もそんな事を言っていた気がした。だが、ゆっくり考えている暇もなく、皐氣にダイラのナイフが襲い掛かる。予想以上に早い動きに、腕は切られ、服は裂かれた。次第に下がっていくうちに、壁際に追い詰められてしまった。
「終わりだっ」
振り下ろされたナイフが、避けた皐氣の左の頬を斬る。滲み出る血と共に、生暖かい血の感触が、涙のように頬を伝った。本当に泣いていたのかもしれない。痛くてではない。悲しくてだ。誰かに必要とされて生きてきていたのに、こんなに否定されると、悲しくなった。それに、人の心を思えないダイラを、哀れに思った。自分の為に、自分の為に。そう思っているうちに、殻は固くなってしまったのだろう。抜け出したくても、殻が固すぎて破れなくなってしまって。そのうちに、独りになってしまったのだろう。
「死ねっ!」
悲痛な心の悲鳴が、耳に聞こえてきそうだった。助けて欲しくてもがいている、小さなダイラが見える気がした。陽の当たるところへ、連れて行かなくては。そう、皐氣は思った。
迫り来るナイフを避ける事を、皐氣はやめた。右肩に、鋭い痛みが走り、動きが止まった。
「何故、かわさない」
「独りが、嫌だったんだろ?」
「何を言う。死が恐くなり、気が狂ったか」
「その方が、いいかもな」
やんわりと笑って、皐氣は肩に刺さったままのナイフを抜いた。痛かった。
「死は恐い。独りになるから。傍にいてくれる人もなく、たった一人で上に逝かなくちゃいけない。周りで支えてくれる人が多かった時は、なおさら恐いだろう」
「……?」
「お前、寂しかったんじゃねぇの?どうしてか分かんねぇけど、そう感じた。心のどこかで、お前が叫んでるんだ。ここから出してくれって。光を当ててくれって」
「光などいらない。そんなもの、邪魔なだけだ。それに、私は寂しくなんかない。独りで居たほうが、よほどいい」
徐々にダイラの言葉に、怒りが現せられてきた。荒くなる呼吸に、皐氣は落ち着いた態度で言葉を続けた。
「お前は、いつか誰かに裏切られた事があるんじゃねぇの?だから、人を信じる事が恐くなったんだ。だから、自分の殻に閉じこもり、自分だけを大切にしてきた。だから他人の気持ちが分からないし、理解もしたくないだけなんじゃねぇか?」
「五月蝿い!黙れ!!」
皐氣の手からナイフを奪い、彼に向けて振り下ろした。咄嗟に庇った左腕を、大きく斬られたが、皐氣は恐れなかった。
「何故、私を分かったような口で話す。何故、私を理解しようとするのだ。何故、心の中にまで入り込もうとする」
「……人だから。俺は、そういう質の人間だから。悲しそうな目をしてる奴に、手を差し伸べずにいられるほど、俺は大人じゃない。だから、お節介な奴って嫌われるんだよな」
脈動に合わせて疼く腕の痛みを、左手で必死に押さえながら、皐氣は続ける。
「裏切られる事が恐くて、悲しませるのが辛くて、本当は仲間が欲しかったんだろ?本当の、心から信頼できる仲間が」
「そんなものいたって、なんの役に立つのだ。お荷物は、私に必要ない」
「なら何故、璃里達を傍に置いておく。いらないものじゃないからだろう?自分を慕ってくれて、自分を思ってくれる奴らだからだろう」
「違う、違う!!奴らは私の道具に過ぎない!私の玩具であり続ければいいんだ!!」
「人を玩具だなんていうな!人は、弱い。脆い。すぐに壊れる。だけど、それだけじゃない。特別なものを、一人一人が抱いて生きてんだよ。護る気持ちを、支える気持ちを。お前は、少し運が悪かっただけだ。今からでも、十分やり直せる。だから、その手をこれ以上血で汚すな」
「血で汚れて構わない!それが私である証拠だからだ!!……皐氣。君は何がしたいのか、よく分かりません。私が憎いのなら、殺せばいい!!それだけの事です」
「憎いさ。気が狂いそうなほど、お前が。だけど、それじゃ、やってる事がお前と同じだ」
血の流れが止まらない。意識が朦朧としてくる。俺は、ここで死ぬのだろうか。それでも、やらなければならない事が、まだ残ってる。たくさん、まだまだ残っているのだ。
「さあ、殺せ!!憎いのだろう!さあ、殺せ!!」
狂ったようにそう叫ぶダイラに、皐氣は静かに銃を向け、撃った。鮮血が飛び散り、皐氣の頬を軽く染めた。本物の涙が、頬を伝い、流れた。悲しくもないのに、涙が止まらなかった。
「それでいい。……これで君も、犯罪者……だ」
それを最期に、ダイラはあっさりと事切れた。手の力が抜け、銃が床に硬い音を響かせて落ちる。足に力が入らなくなり、皐氣はその場に座り込んだ。犯罪者。その言葉が、彼の耳に焼き付いていた。罪を犯した、最低な者。ダイラを殺せば、溯羅が狂ってしまう事も分かっていたのに、彼は撃った。だが、それには、理由があった。信じていたのだ、溯羅の事を。心から。だから、狂う事はないと、思ったのだ。
「……犯罪者。……はは、考えもしなかった」
全身の力が抜けて、倒れこみそうだった。だが、無性に叫びたかった。悲しくて、辛くて、やるせなくて……。
苦しみにほえる皐氣の声は、部屋一杯に響き渡った。
*
殺す事が仕事で、殺す事が好きだった。それは覆らない真実。偽りのない史実。彼に、他のものは何もなかった。そこにそっと手を差し伸べてくれたのが、栄井で、日陰から連れ出してくれた。殺す事だけだった彼に、光を分けてくれた。それは、小さな光だったが、たくさんの人の思いが詰まっていた。だから、暖かくて、愛しかった。何もない暗闇に燈った光は、眩しいほどに煌めいていた。
―――憎しみだけじゃ、人は生きていけない。それだけじゃ、疲れちゃう。だったら一緒に行こう
そう言って手を差し伸べてくれた事が、今も鮮明に浮かび上がる。息苦しい海底から引き上げられたかのような開放感。温かな日差し。彼の名、そのものだった。日向にいられる事の暖かさを、教えてくれたのは栄井だった。皆それぞれの言葉で、彼を受け入れてくれた。独りポツンと立っていた背中に、いつの間にか、背負えるものが出来ていた。護れる事の、強さを知った。
―――帰りを待ってくれてる奴がいる事は、確かだ。そいつらの期待を、願いを裏切る訳にはいかねぇんだよ
そう言った、強い瞳を覚えている。護ると決めた事を貫く心。真っすぐに伸びる道を、何の躊躇もなく進んでいける綺麗な心。どこまでも前を見続ける彼には、護るものが多かった。それでも彼は、重さを感じさせずに、進み続けていた。止まってしまえば楽なのに、彼は止まることを選ばなかった。約束を、願いを果たすために、常に前を見ていた。強い心は、挫けない心の証拠。曲がらない強さを持った精神は、どこまでも伸び続けるだろう。誰よりも心優しいのは、彼かもしれない。
彼らのことを考えると、ここで止まってしまっている自分を情けなく思った。彼らはどんな時でも、希望を忘れなかった。どんな状況でも信じる事を、貫き通した。だから、強く結ばれていた。だから、違う事がなかった。決めた道を進んで行くための、支えとなれたのだ。その輪の中に、溯羅自身も入っているのに、挫けかけていた。自分の心の弱さを、誤魔化そうとしていた。それじゃいけない。前を見ろ。ただ、ひたすらに―――。
「負けねぇよ。こんな命令、聞けっかよ。俺は、進むと決めたんだ。あいつらと。あいつらと同じ道を、進むって!!」
強かった命令信号が、少し弱まった気がした。機械も万能ではない。必ずどこか、欠点がある。人間と同じように。人でないからこそ、欠点があるのだ。
人も、万能ではない。だから、上を目指し、向上できる。欠点を補おうと、必死に頑張れる。頑張る事が出来る。だが、機械は一線を越える事が出来ない。決められた範囲内でしか、動く事は出来ない。それを、哀れと思う。規則に縛られ、身動きが出来ないのだから。個性も発揮できずに、ただ使われて、棄てられてしまうのだ。人もその点では、同じかもしれない。劣っているほどに、置いていかれ、劣っているために棄てられる。それだけが全てではないのに、誰も本当のものを見ようとしない。そこにあり続けるだけで、邪魔者にする。この世界に、邪魔なものなんてないのに。
「邪魔……じゃないのか……」
そう、邪魔じゃないのだ。何もかも。どこか欠けているのなら、自力で補えばいいのだから。それでもだめなら、他人に力を借りればいい。何も、恐れる事はないのだ。自分自身も、埋め込まれた機械も。恐れるのは、暴走した野心だ。邪魔者を造ろうとする、汚い心だ。
「お前も、俺の一部なんだな……」
いつの間にか消えていた命令信号に、そっと呼びかけた。聞こえなくていい。溯羅に聞こえていれば、機械も聞いているだろう。何も、恐れる事はなかったのだ。機械を嫌うという事は、自分を認められない事。そういう事だったのかもしれない。機械は機械で、いい所があるように、人間も人間でいい所がある。だから、行き過ぎた命令はいらない。少しの命令と、少しの勇気があれば、それでいいのだ。
「ゴメンな、今まで分かってやれなくて」
床の冷たい感触を肌で感じながら、頭の中で響いている機械音に謝った。謝っても、謝りきれないかもしれない。それでも、気持ちがすっきりとした。
薄れ行く意識の中で、叫び声を聴いた気がする。とても悲しく、とても心を打つものだった。その声の主は、皐氣だった。そういえば、彼は先に進めたのだろうか。何故、叫んでいるのだろうか。今すぐにでも、彼の元に行きたいが、体が言う事を利かなかった。力の入らない体は、鉛のように重かった。それでも、彼の元に、行かなければならない気がした。
「皐氣……」
ゴメン。少し、休ませてもらうぜ……。
力の抜けた体が、筋肉の緊張を緩める。行かなければならない気がしていたが、眠くなるのだ。閉じられた瞼に、泣いている皐氣の顔を見た気がした。
*
「どうしたの?」
茜が、突然顔を上げたアリィに聞く。アリィは視線を動かさない。
「アリィ?どうしたの?」
やっと気が付いた彼は、眉を提げて、悲しそうな顔をしていた。
「誰かが、泣いてる。誰かの心、悲鳴上げてる」
「聞こえるの?誰のだか分かる?」
「聞こえるけど、誰のか、分からない」
悲しそうに言って、彼はすまなそうに頭をもたれた。そんな彼を、茜はそっとなでてやった。茜も、彼と同じ気持ちだった。悲鳴が聞こえた訳じゃないのに、心のどこかが、それを聞きつけたのだ。ふと浮かんだ顔が、皐氣だった。酷くやつれて、悲しそうだった。そんな訳ないと、頭から追い出そうとするのに、へばりついて消えようとしない。余計に心配になった茜は、助けを求めるように、アリィを抱き寄せた。
緋搗は、膝に栄井の頭を乗せたまま、唇を噛んでいた。すぐにでも、彼らの後を追い掛けたかった。好きだからではなく、心配だった。大切の人の心が乱されてしまっている気がして。抑えようのない負の感情に、飲み込まれてしまう気がして。
「皐氣……。アンタは、無事だよね」
思わず出た言葉に、自信が持てなかった。 |