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機械仕掛けの世界
作:下弦 鴉



10、貫く約束


 傾いた太陽の日差しが、いつものように一人の栄井を照らし、沈んで行こうとしていた。その太陽を背負って一緒に帰る友もなく、一人席を立つと、見慣れぬ人物がドアップで彼の瞳に映った。それが、初めての出会いだった。
 「お前、暗いやつだなぁ。何か、リアクションとか取れねぇのかよ」
 少し棘のある言葉だったが、この学校に入ってから久しぶり声をかけられた。どう答えていいか迷っていると、急に彼は笑い出した。
 「ハハハ!!そんなに悩むこたぁねぇだろ?ジョークだよ、ジョーク」
 どの辺が冗談だったのだろうか。栄井には分からなかった。
 「おーい、皐氣!けぇ−るぞ!!」
 廊下から、楽しそうな話し声が聞こえる。それに混じる事の出来ない栄井は、バックを手に去ろうとした。だが、皐氣は彼らに言ったのだ。
 「ゴメス!!今日、こいつと帰るから、先帰っていいぞぉ!!」
 「んだよそれぇ!!」
 「また、明日な!」
 「おう、じゃな」
 予想外の言葉に、栄井は動く事が出来なかった。こいつとは、自分の事なのだろうか。だが、この教室には彼と自分しかいない。信じられない事実に、動きが固くなる。
 「さ、帰ろーぜ」
 「……」
 「何黙ってんだよ、俺と帰るのがヤだってんのかよ」
 「……いや、そう言う訳じゃ―――」
 「おっし!じゃ、行くか」
 座っていた机から飛び降りて、栄井の隣へ来てニッと笑った。初めて笑いかけられたので、正直、テンパった。
 「お前、笑わねぇな。笑わな過ぎっと、皺ができやすいんだってよ」
 「えっ!本当?」
 驚いた振りなどではなく、心から驚いた。そんな事だけで、皺ができやすくなるなんて……。
 「って、近所のババァが言ってたぜ」
 「何だよ、それ」
 「よく覚えてねぇんだよな。言ってた気がするって事で頼むわ」
 「気がするって……そんな、アバウトな」
 「いんだよ、大体で!こまけぇ事気にしてっと、ハゲやすくなるぜ」
 「……今度は近所のジジィの話?」
 「おっ!よく分かったな。けど、ちょっと違うんだな。近所じゃなくて、隣のオッサンの話だ」
 「似たようなもんじゃないかよ、近所も隣も同じさ」
 「違げぇよ!近所と隣は、違う。近所は近所、隣は隣、だろ?」
 「ウチはウチ、よそはよそ、じゃない?」
 「あ゛〜!!いんだよ、気にすんな。そんなんだから、モテねぇんだぞ」
 ぐしゃぐしゃに頭をかかれて、栄井は始めて友の存在を知った。友達が居るだけで、こんなにも時間は変わってくるんだ……。
 「君と話すの、初めてなんだけど……」
 「あれ?そうだったか?」
 こくこくとうなずく栄井に、彼は笑いながら言った。
 「じゃあ自己紹介だ。俺は皐氣翠。好きな物は、カレーとゲーム。嫌いな物は、チーズと勉強だ!」
 「勉強が嫌いって、そんな胸張って言われても……」
 「だって嫌いなんだよ、仕方ねぇだろ?」
 聞き返されても、返す言葉がなかったので、とりあえず黙っておいた。
 「身長は百七十ちょいあるかな?血液型はO型だ。誕生日は、八月十六日だ。よかったら、プレゼントくれよな。てか、くれ」
 「ヤダって、言ったら?」
 「う〜……それなりに悲しいな。うん」
 おかしな奴。体が弱いせいで、運動の出来ない栄井をいじめる者はいたが、こんなに楽しそうに話しかけてくる者はいなかった。
 「あ。渾名とかねぇから、フツーに呼んでくれな」
 「フツーって、呼び捨て?」
 「だな」
 「僕が呼んでいいの?君の」
 「翠!」
 「へ?」
 「君なんてキモいから、翠って呼べ!」
 「す……い?」
 「そう、もしくは皐氣で」
 「じゃあ、……翠」
 「何だ、……えぇっと」
 何に悩んでいるのかと思ったが、彼は栄井を何て呼んでいいのか悩んでいる様だった。そんな彼に、思わず笑みがこぼれた。
 「陽向。僕の名前は、栄井陽向」
 「じゃあ、陽向。お前、やっと笑ったな」
 彼は再び笑って、栄井を見てくれた。嬉しくって、彼も笑った。
 「笑ってないさ、馬鹿にしてんだよ」
 「お前、意外に嫌味な奴だな」


                    *


 皐氣は、信じられなかった。目の前の光景に。声すら、出せなかった。あまりの衝撃に。何故ココに緋搗がいて、短剣を振りかざしているのか分からなかった。殺される。そう、咄嗟に思ったのに、動けなかった。腰が抜けた訳じゃない。信じたかったのだ。緋搗を、信じたかったのだ。心からこの光景が、信じられなかったのだ。
 振り下ろされる刃から、茜を護るために、皐氣は彼女を投げた。痛かったかもしれない。後で文句を言われる事を覚悟しよう。迫る刃を避けずに、彼は目を瞑って、運命を受け入れた。
 「こう……きぃ」
 悲しい緋搗の声がした。そっと微笑み、皐氣は彼女を見つめた。恐くない。恐く、ない。覚悟を決めた、その刹那。彼の間に何かが飛び込んできた。そして、そのままその何かに刃は突き刺さり、それは倒れた。
 全部、ほんの一瞬の出来事だった。その、たった一秒が信じられなかった。
 「ひな、た?」
 倒れている人物は、見間違えない、大切な友だった。胸に刺さった短剣から、血が出てきている。それは湖のように床に広がり、その場に居た者全員の動きを止めた。崩れ落ちた緋搗は顔を手で多い、悲鳴を上げている。痛そうに肩を抱きながら、茜も倒れた栄井を見入る。何度も何度も、目を擦り、現実でない事を確かめたがっていた。皐氣は、ただ、呆然と立っている事しか出来なかった。声を掛ける事も、泣く事も出来ず、ただ、立っていた。
 ―――おぬしは、大切な仲間を一人失うぞ
 それは、栄井の事だったのか。護れるものなら、護ってみろと言われたのに、護る事が出来なかった。逆に、護られてしまった。自分が護るはずだったのに、何故、彼がこんな事にならなければいけないのだろうか。
 皐氣は、倒れている栄井に近付き、その隣にへたり込むように座る。その後、少し遅れてアリィ達が現れたが、皐氣はその事に気付かずに、栄井の頭を抱いた。
 「陽向。おい、陽向。何やってんだよ、起きろよ」
 そう呟くように言った皐氣の声に反応して、栄井の瞼が震える。そして、ゆっくりとその目を開いた。いつも隣にあった、キャラメル色の瞳。栄井はこの瞳を嫌い、錆色とよく言っていたが、皐氣はそうでもなかったので、好きなお菓子の色で言っていた。
 「やっほ、翠」
 虫の啼くような声で、彼は弱々しく言った。皐氣は、歯を食いしばった。邪魔そうな前髪を退かしてやると、彼は嬉しそうに微笑んだ。
 「いつも翠は、暗いって言って、この前髪、退かしてくれてたよね」
 「そう……だったか?」
 「そうだよ。初めて帰ったあの日も、そう言って、僕の前髪、退かしてた」
 弱々しい微笑みに、皐氣は声が出ない。
 「何だよ、翠。泣いてんのか?」
 「泣いてねぇよ……」
 「泣いてんだろ?嘘付く時、翠は、言葉を濁すんだから」
 「……」
 「僕の為に泣いてくれるの、きっと、翠だけだね。あ、茜達も泣かせちゃうかな?」
 その言葉通りに、アリィは泣いていたが、茜は目を潤ませるだけで、まだ泣いていなかった。唇を噛み締めて、流れ出ようとする涙を、必死で堪えていた。
 「翠、が無事で、ほんと、よかった」
 どんどん弱くなっていく声。閉じてしまいそうな瞼。皐氣の服にも滲み始めた血。その全てが幻覚である事を、まだ皐氣は願っていた。
 「ねぇ、翠。あの日みたい、に、笑ってよ」
 「あの……日?」
 「覚えてない?悲しいなぁ……」
 「覚えてるに決まってるだろ?初めて一緒に帰った時の事だろ?」
 「そう。あの時みたいに、笑って、翠」
 「こんな時に、笑えっかよ」
 そう皐氣が言うと、栄井は悲しそうな顔をした。眉を下げて、口をへの字に曲げて。
 「じゃ、いいよ。無理に、笑われても、恐いだけ、だから」
 「減らず口叩くなよ」
 「へへ……ゴメン」
 どんなに堪えても、涙が止まらない。アリィのように泣けたら、どんなにいいだろうか。茜のように堪えられたら、どんなにいいだろう。緋搗のように悲鳴を上げられたら、どんなにいいだろう。……この全てが夢だったら、どんなに嬉しいだろう。
 「最後に、一つ、聞いてくれないか?」
 「最後なんて言うな。まだ、次がある」
 「じゃあ、これ、聞いて。上に行って、翠。ココで、止まらないで、進んで」
 「そんな事―――」
 「聞いて、翠。最後まで」
 強く押されて、皐氣は口を塞ぎ、頷いた。
 「僕は、変えて欲しい。僕が居なくなったとしても、この世界を、変えて欲しいんだ。機械に従ってるだけじゃ、いけないんだ。変え、なくちゃ、この、機械仕掛けの世界を。それが出来るのは、もちろん僕じゃない。茜でも、アリィでも、緋搗でも、溯羅でもない。翠、だけができる、事なんだ」
 「陽向……」
 「変えて、世界を。壊して、機械を。僕は、翠を、信じ……てるから」
 「もうしゃべるな。分かったから……頼むから、しゃべらないでくれ」
 「進んで、先に。翠の桃源郷を、僕にも見せてよ」
 「陽向!」
 「僕は、信じてる……から。ずっと、ずっと、翠を信じてるから」
 「分かったよ、分かったって―――」
 栄井が弱って行っているのは、誰の目から見ても分かった。血を、流し過ぎてしまった。その、血に汚れた手で彼は服の中から何かを取り出し、皐氣の前に差し出した。それは、彼の大切にしていたペンダントだった。学校にバレないように制服の中に隠しながら、いつも身に付けていた。
 「何だ?」
 「あげるよ、これ」
 「俺に?」
 「当たり前、だろ?それ、なんて書いてあるか、分かる?」
 受け取ったそれは、長方形の薄い銀板に、羽のような刳り貫きがあり、その周りを円状に囲むように、筆記体で何か書いてあった。
 「ハブ、ア・ホー、プって書いてあるんだ。意味は、希望、を持て」
 「ハブ・ア・ホープ……」
 「希望を持って、先に進むんだ、翠。僕は、疲れたから……少し休んで、から行くよ」
 「陽向、俺は」
 「今まで、あげられなく、て、ゴメンね。誕生、日、プレゼント」
 「誕生日プレゼントなんて、いらねぇよ。……俺は、俺は、お前に死んで欲しくない」
 頬に涙が伝うのが分かった。それでも、その涙は拭えなかった。ただ、流れてしまうだけだった。
 「泣くなよ、翠。こっちまで、悲しく、なる……だろ」
 皐氣の頬に伝う涙を血に濡れた、栄井の手が拭う。その冷たくなってきた手を放さないように、皐氣は握った。そうすれば、栄井から死を取り除けるかのように。
 「陽向、死ぬなよ。笑ってやるから。お前が死なずにすむなら、何度だって笑ってやる」
 「あり、がとう。翠」
 涙に揺れる瞳で、皐氣は笑った。頬の筋肉を働かせて。目元を和ませて。嗚咽が漏れないように気を付けながら、栄井の為に、笑顔を作った。彼が、安心できるように。彼の希望を叶える為に。
 「ほんと、有難う、翠。……信……じて―――」
 消えていく、大切な人の声。遠ざかっていく、魂の灯火。止められない、止まらない運命。皐氣が変える事の出来なかった、運命さだめ
 「聞こえ、ねぇぞ。聞こえねぇよ、声が小さすぎて。なあ、陽向」
 閉じられた瞼を、もう一度開いて欲しくて。閉ざされた瞼の下の、寂しげなキャラメル色の瞳を、もう一度見せて欲しくて。皐氣は親友を揺さぶり、声を掛けた。笑っていたはずの顔は、もう歪んでいて、涙で汚れていた。止められない涙は、栄井の顔にかかる。その涙は、栄井が泣いているように見せた。
 「陽向。陽向!ふざけるなよ、何で、お前なんだよ。何で、お前が死ななきゃ、いけねぇんだよ。起きろよ、陽向。……起きてくれよ」
 悲しくて、心細くて、寂しくて。止まらない涙は、彼を余計に苦しめた。開かない瞼が、余計に彼を悲しみに引きずり込んだ。溢れる涙が止まらない。溢れる悲しみが、止められない。
 儚い言葉が、彼を強く揺さぶった。『信じてる』。さりげない言葉が、こんなにも心を締め付けるとは、知らなかった。こんなにも心に響くとは、知らなかった。
 「皐氣……」
 溯羅は、初めて彼の名を呼んだ。すると彼は涙を拭い、立ち上がった。そして、振り返った。始めてみた彼は、とても悲しそうで、深い寂寥感を漂わせていた。
 「始めまして。何て、暢気な事は言ってられないかな?とりあえず俺の名前言っとくと、溯羅。敵だったけど、今は違うんで、そこんところよろしく」
 「こちらこそ、よろしく」
 僅かに口の端で微笑んで、皐氣は言った。
 「俺は、進まなくちゃいけない。こいつとの……約束だから」
 悲しげに目線を下げて、眠っている栄井を見た。だが、その目に失望はない。ただ前を見据えて、ただ希望を宿していた。
 「敵じゃないなら、手伝ってくれるか?上に行くのを」
 「いいぜ。連いて来な」
 階段に向かって進みだした皐氣の服の裾を、緋搗が掴んだ。涙で濡れた瞳が、交差する。
 「行かないで、皐氣。ここに居てよ」
 「そういう訳には、いかねぇんだよ。俺は行かなきゃいけないんだ」
 「だって、無理よ。ゼウスやアステレイアに敵う訳ない」
 「……そうかもしれねぇな」
 「でしょ?……そうだ。ゼウス達に逆らわなかったら、私が操られる事もなかっただろうし、栄井は死なずにすんだのよ。こんな事したって無駄なのよ。何も変わらないわ。変えられないのよ、運命は。変わらないのよ、この世界は」
 「……緋搗。お前、まだ洗脳されてんのか?」
 「洗脳なんてされてない。……今は、だけど」
 「じゃあ、俺はお前を許さねぇ」
 「なんで?だって、間違ってるじゃない、こんな事。誰も、ゼウス達を消しても感謝してくれないわ。逆に、怒るに決まってる。やめようよ、こんな無駄な事。ねえ、皐氣―――」
 「お前には、関係ない事だ。だから、そう言える。別に、お前に一緒に来いって言った覚えはねぇよ。嫌ならココで待ってろ。茜達もだ」
 皐氣に付いて行くつもりだった茜は、驚いて顔を上げた。反抗しようと開きかけた口を、閉じた。なぜなら、彼は、泣いていたから。それは、悲しみだったのか。悔しさだったのか、分からなかった。でも、一つ言える事がある。それは、これ以上大切なものを危険に巻き込まないように、これ以上大切なものを傷つけないように言ったという事。だから、茜は口答えしなかった。彼に、従う事にしたのだ。
 「茜、アリィを頼んだぜ」
 そう言って微笑んだ皐氣に、痛い足を引きずって飛びついた。少し汗臭い制服に、ほのかな血の臭いがした。
 「無傷で帰って来いよ。もし、死んだりしたら、許さないからな。翠」
 茜に初めて下の名前で呼ばれた皐氣は、照れくさそうに、だが、しっかりと頷いた。
 「当たり前だろ?茜こそ、それ以上怪我すんなよ」
 皐氣が最後に、茜をそっと抱きしめてくれた時、彼女は父の事を思い出していた。優しく、強かった父。最後まで、茜を護り続けたその腕に、皐氣は似ていた。優しい彼を、放したくなかった。離れたくなかった。だが、彼女は決意して離れると、次はアリィが飛びついてきた。
 「アリィ……。恐かっただろ、ゴメンな」
 フルフルと首を振り、彼は言った。
 「死なないで、帰ってきて欲しい。ボク、ここで茜と待ってる。だから、絶対に、死なないで。約束」
 以前よりも、言葉がしっかりとしている。彼に声が、言葉が戻りつつあるのかもしれない。
 差し出された小指に、自分の小指を絡ませる。指切りをし終えると、アリィは溯羅にも抱きついた。
 「溯羅も、死のうなんて、思っちゃダメだよ?僕らと一緒に、地下帝国アンダーグラウンドで暮らす。約束」
 「……ああ、約束しよう」
 皐氣と同じように、彼とも指切りをすると、茜の隣に行って、彼女を支えていた。
 「じゃ、改めて行こうか」
 「ああ」
 二人は背を向けて、階段へと消えていく。茜やアリィはそれを静かに見送っていたが、緋搗には、それが出来なかった。彼に、皐氣に伝えたい事があるから。
 「私、貴方の事が好きなの、皐氣!ずっと、ずっと前から好きだったの。だから死んで欲しくない。無駄死になんて、余計にして欲しくない。大好きなの、皐氣が!……翠が大好きなのよ!!」
 階段を登る途中で止まった彼を見て、緋搗は彼が戻ってきてくれると思った。だが、現実は、冷たかった。
 「ゴメン、美津紀。俺は、そんな事言うお前を、好きになれぇね。ゴメンな」
 そう言って、皐氣は去って言ってしまった。だが、久しぶりに、名前で呼んでくれた。それが嬉しくて、また涙が出そうになった。それを我慢して、彼女は静かに彼らを見送った。


                      *


 再び二十四階にやって来た、皐氣達。妙に静かで、怪しげな雰囲気をかもし出しているそこに立つと、再び緊張感に包まれた。研ぎ澄まされた刃のように、尖った静寂。張り詰められたピアノ線のような、緊張感。それが、今の皐氣を押し出してくれる、唯一の力だった。その力がなかったら、今頃、戻ってしまっていそうだった。
 「大丈夫か?」
 いきなりそう溯羅に問われ、皐氣は飛び上がりそうになった。
 「ゴメ。驚かせた?」
 「いや、別に、大丈夫だけど……」
 「そか、ならいいんだけど。……いい加減、それ付けたら?落としたら大変だぜ?」
 「そうだな……そう、だよな」
 ずっと握っていた拳を開くと、煌めくペンダントが皐氣を見つめた。そのペンダントの右下の端に、栄井の血が付いている事に気が付いた。それを拭ってから、首からそれを提げた。それは、まだ仄かに栄井の暖かさを宿しているかように暖かかった。そうじゃないと分かっていても、そう思ってしまった。そう、思いたくなった。邪魔な髪を退かし、ペンダントを付けると、それはいつもそこにあったかのように輝いていた。栄井の形見だ。大切にしなくては。
 「止まれ、皐氣」
 「何だよ」
 「アレを見ろ」
 「あれは……」
 彼らの視線の先には、あの新型のロボットがいた。まだこちらには気付いていないのか、ゆっくりと動いている。
 「こっちに来る!」
 「いや、待て。様子がおかしいぞ」
 溯羅の言葉通り、そのロボット達は一定の場所から動かずに、同じ場所をうろちょろしていた。何かを護っているのだろうか。そのようにしか見えない。
 「何であいつら、同じ場所ばっか、廻ってんだ?」
 「多分、あそこに上に行く階段があるんだ。俺らを上に行かせない為に、あいつらいんだ」
 「他に上に上がる方法は?」
 「二十五階だけは特別な場所だ。あの階段、一つしか道はねぇよ」
 「じゃあ、どうすりゃいいんだ」
 一つしかない道。それを護るあのロボット達は、階段からそう離れていない所を廻り続けるが、疲れる事がないので、隙はない。充電の時を待っていたら、皐氣達は他のロボットに見つかるだろう。倒すにしても、相手は三体。しかも弾丸を跳ね返す、特殊ボディだ。生身の人間が一人と、機械交じりの人間がどう足掻いても、勝てる確率はないに等しい。それでも皐氣達は、上に行かねばならない、理由があった。なんとしても、あそこを通らなくてはならない。例え、どんなに希望が少なくても、まだ戦える力が残っていれば、先に進めるはずだ。先に進めるはずだ。
 溯羅は、覚悟を決めた。
 自分が囮になれば、皐氣を先に進める事が出来る。皐氣はそれから、一人でドールや璃里と対峙しなくてはならなくなってしまう。それでも、ここでこのロボットに捕まるよりはましだろう。自分が囮になり、皐氣が先に進めるのなら、それでいいかもしれない。否、きっといいのだ。
 「皐氣、いい作戦が―――」
 「自分が囮になって、俺だけを先に進める。だろ?」
 「なっ!」
 言おうと思っていた事を先に言われ、正直驚き、言葉が続けられなくなってしまった。口をパクパクさせて、言葉を探していると、彼は言った。
 「そんな事、させねぇからな。俺はお前の事を全然知らねぇ。だけど、帰りを待ってくれてる奴がいる事は、確かだ。そいつらの期待を、願いを裏切る訳にはいかねぇんだよ」
 「でも、他に作戦はねぇぞ?」
 「あるさ。どんな事にも、ぜってぇに」
 「……」
 何故、ここまで強く、儚く心を保てるのだろうか。ついさっき、大切な友を失ったばかりだというのに、何故、そんなにも真っすぐ前を見る事が出来るのだろう。まるで、夜空に輝く一つの星のように、強く輝けるのだろうか。
 「……要するに、あいつらの気を、他の場所へ向けられれば、それでいいんだろ?」
 「それが出来たら、一番いい」
 「だったら―――」
 何故か耳打ちしてきた皐氣の作戦はこうだ。逆に、あの特殊ボディを利用する事。彼が持っている銃(初めてここに来た時に、弾を使い果たしてしまったはずなのだが、いつの間にか、弾が戻ってきていたと言う)で、あのロボットを撃つ。うまくいけば、全てのボディに反射して、それに反応してそれは動き出すはず。精密な機械なら、仲間に撃たれたと、勘違いする可能性がある。そして、仲間同士で調べ合うはずだ。その隙に、こっそりと階段に向かう。上手くいく確率は、運任せ。弾の当たりが悪かったら、ここから撃たれた事がバレてしまうし、三体のロボットに確実に当たらなくなってしまう。その為、全てが運任せなのだ。
 「出来るか?」
 溯羅は、正直な気持ちを言うと、不安だった。上手くいけば天国、そうでなかったら地獄へまっ逆さまだ。
 「う〜ん……。なるようになる、だけじゃね?」
 全く以って、情けない言葉だが、これほど心強い笑みはない。全てを託してみよう、そう思えた。
 「そうだな」
 「じゃ、いくぜ」
 そう言って皐氣は、徐に銃を取り出し、構えた。まだまだ、未熟な構え方だったが、しっかりと狙えていた。
 「夏祭りで鍛えた、射的の腕を、なめんなよ」
 ……やはり、少し心配になった。
 静かな時が流れ、ロボットの歩く足音だけが、やけに目立つ。黒板を爪で引っ掻いた様な音が時々聞こえ、皐氣の集中を途切れさせようとする。ロボットを狙う皐氣の目は、真剣そのものだった。これは、射的のような遊びではないのだから。ロボット達が徐々に近付き始める。三体がお互いを確認し合うように、立ち止まった。今だ―――!
 撃ち出された弾が、遅く見えた。一体目には、上手く腹に当たり、二体目へと跳ね返る。二体目にはギリギリで脇腹に当たり、三体目へと弾かれた。三体目に当たる前に、それは動き出してしまった。避けられる。諦め掛けた彼らに、希望の光は降り注いだ。避けた三体目の背中に、それは当たったのだ。そして、また二体目に当たり、壁に消えた。
 「……上手くいったのか?」
 「分からねぇけど、今は階段を登らねぇと!」
 見えぬ敵からの攻撃と、仲間からの射撃の疑いで、ロボットは混乱していた。殺すのは、人間であり、仲間ではない。だが、その仲間が、敵に手を貸しているのかもしれないのだ。疑いは棄てきれない。小さな電子チップでは考えられない事に、ショートしていた。予想以上の効果だ。そのおかげで、皐氣達は難なく次の階へ進む事が出来た。
 「ラッキーだったな」
 「ああ。今回だけな」
 毎回こうも、上手くいく訳じゃないのだ。溯羅は、知っている。上手く行き過ぎると、次はろくでもない事が待っている事を。気を引き締めていかなくてはいけない。機械からの、自由を奪い取るために。
 「油断するなよ」
 「そっちこそ」
 次の階に待っているものが、どんなに辛い現実でも、戦わなければならない。勝たなければならない。大切な存在の為に。明日を、光で照らす為に。
 護るべき、約束の為に―――。












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