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  紫の瞳 作者:yohna
139
曇天が空に広がっている。
 厚い雲は空と完全に同化し、どこまでが空で、どこからが雲なのかわからなくなる。
 星も見えない夜が続き、変わり映えのない道を行く日々は時間の感覚を麻痺させる。
 有希の腹が空腹を訴えていなければ、きっと昼だというのにも気付かなかっただろう――それほどまでに、薄暗い。
 薄暗いのに、吐き出す吐息は鮮やかに白い。登っている山から連なっているだろう山々は、頂上に雪がちりばめられている。有希達が雪山を行く事になるのも、もう間近だ。
 魔物との遭遇も幾度かあったが、さすがはリビドムから選ばれた精鋭とでもいおうか、ルカの出番は一切なく、トウタをはじめたリビドムの騎士達だけで排除できている。
 ルカの出番がない。というのは少しおかしいかもしれない。
 有希は道中から少しずつ感じていた違和感をもてあましていた。
 たとえば、事務的な報告は有希のみに行われる。常時ルカと一緒に行動しているからルカの耳にも入ると知っているかもしれないが、いつだったか一度、ルカとほんの少し離れている間に受けた報告を、ルカが知っていることはなかった。
 たとえば、魔物の襲撃を受けている時の、他の騎士のルカに対する対応。まるでルカは頭数に入れていないとでもいうように、必ず有希に護衛が数人つく。有希の身分を慮ってかと思ったが、護衛してくれる騎士は一切ルカの事を気にしていない風なのだ。
 それらの違和感達は小さく小さく積もり、有希に一つの確信を抱かせる。
 ――ルカは、リビドムの人たちから信頼されていないんじゃなかろうか。
 ルカがアドルンドの人間だからだろうか。そうだとしても、セレナやヴィーゴはルカに親しげだった。
 有希の記憶では、リビドムはマルキーを憎みこそすれ、アドルンドとは悪い関係ではなかったはずだ。
(なんでだろう)
 少しだけ外されている。有希よりも聡いルカは有希よりも早く気付いているだろうに、有希に何も言わない。それはルカが無口なだけなのか、有希に気遣ってくれているのか。
 明らかに前者だな、と小さくため息を吐き出すと、それに呼応するように小さく腹が鳴った。慌てて腹を抑えたが、間違いなくルカに聞かれてしまっている。
 こんな事が何度も起きているが、慣れることはなく恥ずかしさに顔が火照る。
「…………そろそろ休憩を取るだろう。もう少しだ」
「…………うん。ごめん」
 いつも何も言わないのに、なんでこんな時だけ。いっそ何も言ってくれない方がありがたいのにと思うが、この遠まわしな優しさがくすぐったくもある。
「ねぇ、ルカ」
「……何だ。喋ると余計腹がすくぞ」
「…………意地悪」
「事実だ」
「だからって、デリカシーがない!」
「でりかしー?」
「そんなのはどうでもいいのよ、ルカ、心当たりある?」
 上を向いてルカの表情を伺うと、ルカの眉には一本皺が寄っていた。理解できない、もっと詳しく話せといった顔だ。
 ルカは信頼されてないのか。そんな直接的なことは口に出せない。有希は言葉を探しながら話す。
「リビドムの人たちが、その、なんていうかルカに……よそよそしいから」
「今更な話だな。俺がアドルンド、しかも王族だというのが気に食わないんだろう」
「気付いてたの? ――気に食わないって、どうして?」
 視界の上方から白い息が降ってくる。ため息をつかれた。
「お前な、一応リビドムの唯一の王族なんだぞ」
「それが何か問題あるの?」
 再びため息が落ちてくる。
「おおかた、リビドムの王族にはリビドムの騎士がふさわしいと思っているんだろう。――まぁ、俺が認められていないっていう事だな。アドルンドの王族の中でも厄介者だったからな」
「ルカの事、何も知らないのにそういうこと思うの?」
「そういうもんだ」
 どこか諦めの交じった声に、心臓がきゅっと締め付けられる。あぁ、これはルカにとってはよくある事なんだと思い知らされる。 
 そこには、有希の知らないルカが居て、有希の知らない辛いことや悲しいことがあったのだろう。今は涼しい顔をして何でもないと告げるが、そうなる為にどれだけ苦しんだのだろうか。
 なにかしてあげられたらいいのに。有希には何ができるだろう。
「……あたしは、知ってるからね」
「…………」
「ルカがすっごく強くて、頼りになるってこと。――頼りに、してるんだからね」
「…………あぁ」
 すごくそっけない声だったが、そのそっけなさにとても満足してしまった。



 馬をずっと走らせ続けていたからと、その日は昼食後すこしの間休息を取ることになった。幾人かは水汲みと馬への給水に行っている。ルカも馬を連れ、近くの沢に行っている。
 焚き火の前に座ってぼんやりとしていると声をかけられた。振り返るとトウタが跪いてにこにこと笑みを浮かべている。
「姫様、お辛くはございませんか?」
「大丈夫だよ、ありがとう。――それから何度も言うけど、わざわざ姿勢低くしなくていいからね」
「そうはいきません、姫様はいずれリビドムの王になられるのですから、それも含めて慣れてくださいませんと示しがつきませんから」
 王になる。その言葉が耳と心に痛いが、有希自身が決めた事だ。
「なら、その次期王の言ってる事を受け入れて欲しいな。――霜が降りてるんだから、膝ついたら余計冷えちゃうよ。これからもっと寒くなるし、雪だって降るんだから」
「――姫様は、本当にお優しくいらっしゃる」
 目を細めて嬉しそうに笑って、トウタは詫びを入れて立ち上がった。有希は苦笑いをしてしまう。
 出会いが出会いだった為に、本来のトウタを知っている有希はいまだ慣れない。トウタがリビドムの王女に対して入れ込んでいたのは知っていたが、まさかそれが有希だと知られてここまで態度を変えられるとは思っていなかった。せいぜいリフェノーティスのように、表立った時に様付けで呼ばれたり、敬語で話される程度だろうと考えていたからだ。
 今回の遠征の頭がこのトウタなのだ。なので他の皆もトウタ同様、有希を神様かなにかと間違えているのかと言いたいほど、丁重に丁重に扱う。
(――言うなら、今かもしれない)
 いつ次にこのような休憩をとるかわからないし、ルカが居たら余計な事を言うなと怒るかもしれない。
「トウタさん」
「姫様、ですから私の名を」
「あの、ルカの事なんですけど」
 にこやかな笑顔が不快を露にした顔に変わった。忌避していたのは思い過ごしではなかったのだという決定打をもらってしまった。
「あの騎士が姫様に何か野蛮な事を!?」
「!?」
 幾人かが有希たちを振り返る。驚きに一瞬声が出なかったが、慌てて首を振る。
「ちがう、ちがうよ! ルカがそんなことするはずない!」
「そんな事言い切れません、アイツは姫様の騎士でありながら姫様に迷惑ばかりかけているではないですか!」
「迷惑だなんて……」
「姫様を放置した挙句、姫様御自身があの騎士を迎えに行ったというではありませんか!」
「……どうしてそんな事言うの? トウタさんは何も知らないでしょ!?」
 声がわなわなと震える。怒りで頭に血がのぼり、思い切り立ち上がる。
「あたしがアドルンドに行ったのだって、あたしがバカだったからはぐれちゃったからだし、アドルンドに行くって決めたのもあたし! 迷惑かけちゃったのはあたしの方なの! ――それに、ルカの事情だってトウタさんは知らないし、知ろうともしてないじゃない! 何も知らないのに非難ばっかりしないでよ!」
 いきり立った猫のように肩をいからせても、トウタに有希の言いたいことが伝わったのか伝わらないのか、表情は不快を表したまま変わらない。
「……随分、あの騎士に執着なさるのですね」
「はぐらかさないで!」
「はぎらかしてなんていませんよ。ただ事実を申し上げたまでです」
「トウタさん!」
「姫様が知りたいと仰るのならお伝えしましょう。あの騎士が信用ならない理由を。――どうぞお掛けになってください。この後も長いですから」
「いい。早く話して」
 きっぱり言うと、トウタが少しだけ切なげな表情を浮かべた。なんだか悪いことをしてしまったような気がして、心がつきんと痛む。
(でも、だって、しょうがないじゃない)
 貫頭衣の下で、右手をきゅっと握る。左手で右手に嵌っている指輪を確かめるように触れる。
 下唇をきゅっとかみ締めてトウタを見ると、トウタはふぅと一息ついてから、きっぱりと言った。
「姫様の騎士を戦力として考えていないのは、命令だからです」
「……命令?」
「えぇ。リフェノーティス……様からの命令です」
「………………え?」
 さぁっと、どこか血の気が引いたような気がした。


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