空に架かる橋。。2
空に架かる橋。/その39
千秋のあとをついていった兵士は
千秋の行く先がホルマリン室だと
見当が付いたのだろう。
千秋を縫うように
おいこすと、エレベータの
ドアの中にすべりこんだ。
千秋が直ぐに追いついてくるのをみこして、
ドアがしまってゆく。
一刻の猶予もおしむ様子と
兵士の顔。
千秋とて、兵士に何があったと聞きただすのは
おそろしかったろうが、
兵士の口はつむがれていた。
何かを語るのは、ドクターにだけだと
事の切迫をみせつけられれば、
いっそうのこと、きくのは、こわかろう。
エレベータが止まると
兵士は走り出す。
ホルマリン室にはいった兵士は
神妙にしたてな口調で先生を呼んだ。
「すぐきてくれ。生存者がいるんだ」
ホルマリン室のデスクで書き物をしていた佐々木先生は
ゆっくりとたちあがった。
「どういうことだね?」
兵士は怪訝な顔をした。
「爆発にきがつかなかったというのか?」
佐々木先生が気が付くわけが無い。
この地下室には停電時の非常発電装置もある。
病院の中枢ともいえる電気の設備は
耐震構造で網羅された地下室につくられていたんだ。
ホルマリン室もその恩恵をうけている。
地上で起きた事など
先生にわかるわけが無かったんだ。
兵士は手短に事情を話した。
看護婦がリネン室で手榴弾を爆発させた。
十人以上の兵士が爆発にまきこまれた。
その中のひとり・・。
運がよかったというのか、
わるかったというのか・・。
壁にたたきつけられた兵士だったが、
クリーニングの袋がクッションになった。
サンドイッチ状態で袋ごと壁にたたきつけられた。
だが・・。
頭骨を壁にうちつけている。
内臓も外傷はなさそうだが、
爆発の風圧か、壁にたたきつけられたせいか?
内臓破裂?と脳挫傷?
「あ・・・あけみ?」
あとから追いついてきた千秋はこんどこそ、
兵士の説明をはっきりと、耳にした。
「千秋君・・」
はいってきた千秋をみた佐々木先生は
つなぐ言葉をうしなっていた。
膝辺りにかすれた血が見える。
それが
怪我による、血でないのは、すぐわかる。
そう・・。
かわいそうに・・・。
千秋はヴァージンだったんだ。
くわえて、
千秋の顔つきや
看護服の異様なしわのつきぐあいで、
千秋の身に何が起きたかわかる。
この理解は佐々木先生の中で
そのまま明美にも移される。
哲司君を失った明美君は、傷心のまま。
その身体にもキズを付けられたのだろう。
そして、明美君は多分哲司君の手榴弾をもちだしていたんだろう。
「だから、早く・・きてくれ・・」
兵士がやけにしたてに出るのは、やましさのせいだ。
佐々木先生の仲間をさっさところしておいて、
自分の仲間を助けろと命令する。
佐々木先生は敵兵の身勝手さに、
自分の仲間を助けるふりをして、
ころしてしまうかもしれない。
だいたい、露木先生の事も
それがこわくて、見ぬふりをしたんだ。
だけど、佐々木先生はそんな卑怯で姑息で
人理に落ちるまねなんかするわけが無い。
先生はそのとき、はっきりといったんだ
「断る。
いや、僕では救えない」
なにを?
今、なんていった?
兵士はほんの短い黙考のなかから、
自分の態度をきめた。
「いけ!!」
兵士の口から出た言葉は
命令に変わり、
兵士の銃は再び先生につきつけられた。
無言の威圧。
行かなければ撃つ。
お前を殺す。
銃を突きつけた兵士に先生は一言でかえした。
「撃つならうちなさい」
ぎょっとした顔の兵士は
佐々木先生を動かす方法を考える。
考えついた兵士が
今度は千秋に銃口を向けたんだ。
「おまえがいかないなら、この女を撃ち殺す」
兵士も必死だったんだ。
空に架かる橋。/その40
佐々木先生は兵士が銃を千秋に向けると、
黙って立ち上がって
ホルマリン室をでていった。
兵士はそれでも、用心深く
千秋に銃をむけたまま、
先生のあとを追おうとしたんだ。
顎でしゃくるように
千秋に行けと命令する。
すると、先に行った筈の佐々木先生が
ドアを押し開いて言った。
「看護婦に構ってる間に私がどこにいってもいいのかね?」
「な・・なんだと?」
千秋は佐々木先生の策略に気が付いたのだろう。
兵士に命令されても、
動こうとしなかった。
看護婦を盾に取るから
先生が仕方なく動いたんだ。
千秋を盾に男はリネン室に先生をつれてゆこうとしたが、
だけど、そのたてが動かない。
「畜生。今は・・みのがしてやるだけだ。
いいか、お前がリネン室にいかなきゃ
あとからだってこいつをころしてやる」
兵士はあらためて、脅しの形を変えると、
先生のあとをついて、いくことにした。
「わかってますよ。それが、貴方達のやりくちだ」
佐々木先生はリネン室にいくことで、
とりあえず、千秋の危機を回避することができるとわかると、
千秋を呼んだ。
「10分おくれて、もどってきたまえ」
声を架けると先生は歩き出し、
兵士も先生の痕を付いた。
その10分の間に先生は
リネン室の患者を診て
仲間に結果を知らせる。
手術ということになれば、後から来る看護婦も必要だと兵士は考えるだろう。
「なぜ、一緒に来いといわない」
佐々木先生の看護婦への時間の区切りが疑問でもある。
「君達が彼女になにをした?
銃で脅され、人の命をたすけなきゃならないかね?
彼女の意志で協力してほしいだけだよ」
たんに銃をつきつけられることから、千秋を
逃してやりたいと思った佐々木先生だった。
「お前は・・・自分の意志でやるわけじゃないといいたいのか?」
「そういうことじゃない」
先生が応えた言葉の深みは
男にわかろう筈が無い。
額面どおりにうけとめていた。
だけど、先生は
ー自分の意志でやるのでなく、自分の意志でやらないのだーと、いってたんだ。
だけど、
先生が千秋のことをかんがえて決めた10分の差が
千秋にとって、
もっとも、深い悲しみをつれてくることになったんだ。
空に架かる橋。/その41
千秋はホルマリン室にとどまると、じっと、たちつくしていた。
さっき。
そんな気もする。
遠い昔。
そんな気もする。
この場所で皆が死を選んでいった。
生きてるあたしは、
暴行されて、
まだ、おめおめと生きている。
明美は死んだ・・。
明美もきっと、自分から、死を選んだんだろう。
佐々木先生もなにか、
心に決めたものが在る。
それを通すためにいきるつもりだろう。
たとえ、しんでしまっても、
先生がなにかを通しきったら、
それはいきつづけているってことだろう。
あたしは・・
泣き叫ぶことしかできず、
おびえることしかできない。
こんな生き方は嫌だなって思う。
思うけど、
じゃあ、生きるのをやめて・・・
?
?・・
なに?
心で思いをめぐらしていた、千秋の思考が止まった。
千秋はさっき佐々木先生が座っていたあたりをぼんやり見てたんだ。
そこには、綺麗に折りたたまれた服があった。
服の上には腕時計。
その服は白衣だ。
時計は見覚えがある。
自分の記憶が間違いだと否定したがるのは何故?
だけど、その白衣の下には
服の持ち主を隠すかのように
シャツやズボンが折りたたまれている。
そのシャツの柄だって
きっと、記憶違いだ。
胸の動機が激しくなる。
判っていた気がする。
わかっていた気がするから、
探すのが怖くて
頭の中から、
先生を探すって回路の回線を切っていた気がする。
なのに、
どうして、みえちゃうんだろ?
どうして、みつけちゃうんだろ?
なんで、露木先生の服がココにあるの?
どうして、露木先生があらわれないのか、
その答えをみせつけなきゃ・・・
なんないの?
み・・。
みたくない・・・。
千秋の現実否定は
つかの間の失神を生み出す。
千秋の精神は受止めきれない事実で飽和し、
意識をちぎることで、
回復を図ろうとする。
だけど、
覚醒すれば、
千秋は
夢じゃない事をもっと、深く認識させられる。
混沌から這い上がった
千秋が
たったひとつのことしか、
欲しくない自分に気が付く。
明美の死の直後。
あたしは、千秋の存在も失う事になるんだ。
でも、千秋のただ一つの思いは、
それで、かなったってことだ。
皆、自ら死を掴み取って行く。
あたしは、
哲司の胸に
明美の腕を預けると、
もう一度、土をかけなおしていた。
そのとき、
あたしの傍に近寄ってきた兵士がいたんだ。
空に架かる橋。/その42
千秋は倒れ落ちた床から、身を起こすと
先生の服を見にいった。
「先生・・」
約束したじゃない?
すぐ戻るっていったじゃない?
先生が最後に触っていた注射器が
服の傍に並べてあった。
きっと、先生は自分を・・・。
最後にコレをうったんだ。
それをココに置いたのは佐々木先生だろう。
露木先生に関連するものをここにおいて
佐々木先生は何をおもっていたんだろう・・・。
机の上には何もかかれてないカルテがある。
佐々木先生はカルテを書くといって
ココに降りてきたんだろう。
白いカルテを前に
佐々木先生は
そこに露木先生の名前をかきいれようとしたのだろうか?
千秋はカルテを何枚かめくってみた。
患者達の今までの治療記録。
だけど、その続きはやっぱり書かれてない。
そのカルテの中に千秋は佐々木先生のメモを見つけたんだ。
死は怖いものじゃない。
本当に怖いものは
「思い」を残す事だ。
私は今までこの職務において、
思いを残してきていた。
誰かの命を救う。
誰かの身体を回復させる。
生きて行くための身体の術を支えなおす事が
役に立つ事だと考えていた。
だが、それがうまくいかない。
私の中で無念が降り積もっていた。
だが、
今、命が当たり前のように消滅され、
ホルマリン浴槽には
命無き物体が浮かぶ。
人はいつか死ぬ。
命はいつか途切れる。
ならば、いきていた意味はどこにいく。
思いを残さない生き方をするしかない。
身体の治療は、この世に生きていくための
延命法でしかない。
本当にいきぬくということは、
本当に死ぬという事は、
思いを残さない事だろう。
千秋は佐々木先生のメモを
よみかえすと、
うわごとのようにつぶやいた。
「延命したとて・・思いが救われてなきゃ・・・、生きていない」
思いが救われる・・・・。
千秋の思いを救うのは千秋自身だ。
千秋はこのあと、すぐ、「思いをすくうために」死を選び取ってしまうんだ。
空に架かる橋。/その43
千秋の精神は正常な判断をうしなっていた。
ううん。
正常な判断ができたとて・・・。
千秋のこの先に残されたものを判断してみたら、
それは、**正常な状況**ではない。
千秋はこの先も兵士達の蹂躙をうけとめさせられるだろう。
それが生きてる事?
身体も
心も
死んで・・・。
男達の道具にされて・・・。
それが生きてる事?
千秋は机の前を離れると
ホルマリン浴槽に向かっていった。
蓋を開けると、すぐそこに、
やはり、
露木先生がいた。
「先生・・・」
あたし・・・、綺麗な身体じゃなくなってしまったんだよ。
それでも、やっぱり、先生が好きだなんて、いえないかな?
「先生・・」
声を掛けても、手を伸ばしてみても、千秋に応えてくるものは何も無い。
「だけど、そんなこと・・はじめから、のぞんでいやしないわ」
ココに来ると決めたときから、
露木先生を好きになったときから
「ただ・・・傍にいたかっただけ・・」
先生がどうなろうと、
あたしがこんな身体になろうと、
「ね・・。せんせい、傍にいてもいいよね・・」
千秋はホルマリン浴槽のふちに腰掛け、
カリの溶液を注射器に吸い上げると
注射器を手に持った。
意識をなくして倒れこんだあとに、
ちゃんと先生の傍にいけるように、
ちゃんと、ホルマリン浴槽の中に
沈み落ちれるように
身体をかたむけながら、
千秋は自分の腕に注射を打ち込んだ。
「先生・・ねっ?・・いいよね」
注射器がホルマリン浴槽の中にしずみこむと、
やがて、
千秋の身体もホルマリン浴槽の中におちこんでいったんだ。
空に架かる橋。/その44
佐々木先生がリネン室にはいってくると、
まるで、死体のような兵士をみた。
足がちぎれ、
腕もない、
息をしているだけの身体はまだ、損傷をうけている。
頭部がさけ、兵士が類推したとおり、脳挫傷。
確かに腹部こそキズをうけてないが、
構造に与えられた衝撃は
破裂、破損をおこさせているだろう。
「ドクター」
兵士のひとりがたずねる。
たすからないのか?
たすけられないのか?
佐々木先生にたずねることが、満に一つの可能性がないと、
判断できるのは、
医師である、佐々木先生だけだ。
「無理だ」
先生の抑揚のない声だけが
静かにリネン室に響いた。
「たしかにか?」
佐々木先生が兵士の身体に触れもせず、
言い放った言葉は納得できない。
「私は彼をすくえない」
プロがいうことだ。
医者が言う事だ。
本当なのだろう。
兵士は深いため息をつくと、
佐々木先生に
頼んだ。
「助からないなら、薬で楽にしてやってくれないか?」
兵士のいう「楽」とは、どういうことだろう?
モルヒネなどの麻薬で身体の痛みを緩和してやってくれということか?
カリ注射で痛みを感じる身体とのつながりをなくせということか?
「彼はいきようとしている。最後までその苦しみをみてやったら、どうだね?」
やはり・・・。たすからないんだ。
兵士は何気ない言葉の中に含まれた宣告を受止める。
佐々木先生のいうとおりだ。
見ているのがつらいだろうからと、手術をしてみても、結局はたすからないものは
助からない。
「彼の苦しみを見つめて行く事からにげないことだけしか、してやれることはない」
「・・・・」
「彼には、自分で死ぬ権利があろう。君達の気分で彼をころすことはできない」
その言葉は兵士達の心をえぐる。
自分達の気分で?
君達は僕の仲間をころしまくったじゃないか?
いまも、
仲間でさえ、自分達の気分を宥めるために、
殺す?
手術をさせてみるのも、同じ。
自分達の気分を宥めたいだけ。
千秋君にした事も同じ。
自分達の気分を宥めたいだけ。
それでは、思いはすくわれない。
「僕は君達を治療する事はできない」
先生の言葉に
彼、でなく、
君達と付けられた。
心を
精神を
病んでいるのは、
病人は君達だと先生はいい、
その病気は
救いようの無い病だという。
あるいは、兵士側からきけば、
人として、最低の人間だとおとしめられ、
そんな人間には治療の価値もないと、
いいはなたれていた。
空に架かる橋。/その45
佐々木先生の言葉は兵士達の臓腑をえぐる。
無抵抗の人間の命を奪い、
今の享楽を得るために
女を犯し、
露木先生を惧れ
死へ導いた。
いま、また、自分達がつらいから、
仲間をらくにさせろという。
身勝手をへいきで、おしつけ、
自分達の狂いを助長させ、
いたみさえかんじないのか?
人間ならば、すくいもしよう。
治療もできよう。
その悪魔にも劣る心は腐って膿をはなつ。
「私は君達をすくうことはできない。
治療は身体をなおすだけ。
君達が病んでいることは、
この先戦争が終結したときに、
君達を一生くるしめてゆくだろう」
思いがついて、離れない。
思いという病巣は
けして、完治しない。
「これ以上、君達の病巣をひろげたくはない」
仁理に落ちる行動は
すべて、死を恐れるところから始まっている。
それを間違いだと指摘することは
兵士達に逃げ場をなくさせるだけだ。
「許せないということか・・・」
先生の後ろに立っていた兵士がつぶやいた。
戦闘に参加するということは、
死への片道切符を手にすることだ。
その切符を持つ事は冥府行きの列車にのるということだ。
その切符を持ったものでなければ
判らない怖れがある。
恐れから、逃れるために
起こした行動をせめる権利が誰にあるだろう?
「確かに貴方は我々をすくうことはできない」
兵士は佐々木先生に銃を向けた。
恐れから逃げる行動を
せめられて、
ただでさえ、希薄な存在価値が薄らいで行く。
「我々は確かにまちがっている」
だけど、
それをせめることは、
我々の生きている事さえ否定し、
許さない事だ。
我々はこんなにも追い詰められ愚か者になり、
それでも、生に執着したがる。
それが、いけないことなのか?
許せない事か・・・。
余りにも惨めな心の声。
「生きている価値がないか?
我々は・・・」
佐々木先生は力なく笑った。
「君達をひととき救えるのは「性」だけなのだろうね。
だけど、残念ながら・・僕は・・・女じゃない」
ひと時の命のきらめきに没頭する事だけが、
何もかもをわすれさせてくれる、
無我の時間なのだろう。
そんなことでしか、
そんなことだけが、
死への惧れをはじく。
「身体の治療など・・・無駄なことだ・・・」
君達はむしけらのように哀れに死を恐れ、
本能にひたりこむことでしか、救われない。
それもひとときの・・。
「ドクター。これ以上、我々をくるしめないでくれないか?」
兵士の銃の引き金にユックリ指があてがわれていった。
だけど・・・。
それをとめるものは、誰もいなかった。
悲しい生き様をいかに悲しいといいつのられても、
兵士達はどうする事も出来ない。
それをあばいてみて、
なんになるという?
この先、いつ死ぬか、わからない命を
みじめにするだけ・・。
兵士は佐々木先生に銃口をむけた。
先生は
「又・・・キズがひろがってゆくだけなのに・・」
と、つぶやいた。
「君達をすくえないどころか・・・」
初めて銃がうたれることになったのは、
佐々木先生が示した事のせいだろう。
兵士にとって、
佐々木先生の言葉は一番恐ろしい敵だったんだ。
空に架かる橋。/その46
千秋がホルマリン室から帰ってこず、
千秋まで、死んでしまった事を
発見したのは、
リネン室の肉片をホルマリン室に
運び入れた兵士達だった。
佐々木先生の最後のメッセージが
千秋の死体から、こみ上げてくる。
自分達をぬぐってくれる女性を
死に追い詰めたのだと
死体は無言で語る。
兵士達の間の空間には何の言葉もでてこない。
ただ、無言で肉片の埋葬を繰り返す。
佐々木先生の遺体はどうする?
兵士達は一瞬戸惑った。
軍法会議にのせられたら・・・。
だが、
佐々木先生を撃った兵士は、
「ホルマリン浴槽に・・」
と、命じた。
申し開きができるとかんがえたんじゃない。
彼も千秋の無言の威圧にこそ
うちのめされていたんだ。
どうせ、たすかりゃしない。
軍法会議にかけらられるまで、
いきのこれはしない。
彼は自分のしでかした事が
それ相当のリベンジをもたらしてくると
覚悟したのかもしれないし、
千秋の死体が訴える抗議にうちのめされ、
せめても、事実をもみ消さない事で、応えてやろうとしたのかもしれない。
「彼は?」
虫の息の彼。
彼を救うものはいまは、もう、誰も居ない。
医者がいないなら、
せめて、看護婦。
こうおもった心のそこに
見せ付けられた、看護婦の死。
「もう一人・・・いたな・・・」
看護婦をよんでみたとて、無理かもしれない。
治療なんかできないし、
なによりも、治療の意志ももってないだろう。
「女でしかないか・・・」
女としての役目でしか役に立たないだろう。
それが彼には無理な事であり、
無駄な事である。
だが、それよりも、
なによりも、その考えが、
思いが一人の看護婦を死体にかえた。
それをつきつけられ、
あくことなく、女を追うか?
惨めな煩悶をつきつけてくるのは、
佐々木先生の死体の見開かれたままの瞳だ。
「生きようとしている彼をみつめてやることだけが、
彼にしてやれることだ」
佐々木先生の言葉が兵士の脳裏をたたく。
「最後をみとってやろう」
つぶやくようなうめき声で
命令を下すと
彼は
最後の生き残りの女の姿が無い事に
不安をいだいた。
「どこかで・・・彼女も・・・しんでいるのか?」
他の兵士が彼の不安を打ち消してやりたいと思ったのは
せめても彼らに希望があると思いたかったからだろう。
「看護婦は外に・・・。
リックが見張りに・・いってます」
兵士によってあたしの生存はつげられた。
「そうか」
応えた彼の言葉に安堵があった。
彼は罪が増えてないと思ったのだろう。
空に架かる橋。/その47
昼過ぎに響いた一発の銃声から、
何時間たったのだろう。
明美と哲司の墓土を夕日の柔らかな光が
なであげ、
空はやがて、茜の色。
まるで、泣いているように見える。
あたしは手を合わせ
二人を祈った。
深夜のベッドで愛をつむいでた二人を
祈ったように
この世の人でなくなっても
やっぱり、
二人で居れるように、祈った。
祈るあたしの背後から、
人がにじり寄ってくる気配を感じた。
兵士の一人でしかないだろう。
あたしはゆっくりふりむいて、
彼をみた。
銃を構えもせず、
歩み寄ってくるその肩はひどく、力ない。
あたしの所に近寄ってくるというより、
惰性で歩み続けているようにみえる。
無理も無い。
彼は仲間をいっぺんになくしたんだ。
戦闘態勢にあったって、
こんなにいっぺんに仲間を失う事はありえないだろう。
ましてや、
生きていることを確認したいがための行動が
死にむすびついた。
明美をおいつめた見返りが
こんな形にでるなんて。
生きていたいと思った人間こそが、
落とし穴にはめられて。
明美は見事だと思う。
兵士達は心の底に渇望があった。
無理やり、千秋を犯して、
どこに、心のうさが晴れよう?
「抱いてあげる」
明美の言葉。
きっと、これは嘘じゃない。
明美の本心だと思う。
心のくすみも、
悲しいもがきも、じれんまも、
その言葉に救われる。
だから、兵士は明美の思いに吸い寄せられた。
明美の所に多くの兵士がつめよっていったんだ。
だけど、その結果は見事すぎた。
近寄ってくる兵士・・・。
人の命を救うはずの看護婦を
人の命を奪う者に仕立て上げた痛みを底に隠しながら、
多くの仲間を失った痛みを引き摺り歩く。
たとえ、それが自分達のまいた種であっても、
悲しみと焦燥は
兵士の足取りに重く、影を映していた。
空に架かる橋。/その48
近寄ってきた兵士は
まず、最初に自分の名前を名乗った。
それはブラックリストに名前を書きいれる
査察官を前にあがいてもしかたないと
素直に本名をつげるかのようだった。
リック・デイバーと名乗った男は
そのあとすぐ、あたしのまねをして、
墓土の前にしゃがみ、
手をあわせた。
「リック?」
ああ、彼は悔いているのだ。
リックがうなだれたまま、手を合わせているのを
みていたあたしの口から出た言葉は
謝罪といってよかろうか?
「ごめんね・・。明美を許して・・・」
明美もきっと、そうおもっていただろう。
明美だって、きっと・・・。
あたしの言葉をきいたリックは
顔をあげて、
あたしをじっと見つめていた。
あたしの言った言葉が意外すぎたのだろう。
なにをいったのか、
どういう意味なのか
理解するまで、
リックはじっと、あたしをみつめていたけど、
とつぜん、
首を降り始めた。
「ううん・・・ちがう」
どうせめられても、
どうなじられても、
ののしられ、
おそれられても、
不思議でないリックに
掛けられた言葉がリックを
いためつけてゆく。
懺悔というものに近いのかもしれない。
リックはぽつり、ぽつりと、
自分の事をはなしだした。
「僕は・・・下っ端で、
命令にはさからえなくて・・・
でも、
あんなひどいこと・・・を。
僕は、
なにひとつ、抗議もせず、
それでいいかのように、
ホルマリン室に・・・」
自分のしでかした事の呵責。
殺人への無抵抗な加担。
リックの言葉の羅列は
彼の心の乱れ、そのもの。
「そして・・。
抵抗一つしない人を
僕達はほうむり、
君達を・・・」
リックはその事の表現に
とまどった。
犯した。
乱暴した。
暴行した。
嬲った。
どの言葉をつきつけても、
君達と指し示す女性への行動はむごい事実だろう。
「うん・・」
あたしはリックがいえない言葉が何をさすのか、
判るよとうなづいてみせた。
「僕達は間違ってる。
そして、それをわかってながら、
僕はなにひとつ、いわず、
君をみてるだけだった。
僕はおろかで、卑怯な弱虫だ」
自分の心の痛みにたえかね
リックは顔をおおった。
覆った手の奥から、
自分をせめる悲しい声がもれてきていた。
あたしは、
リックの肩に手を乗せるといったんだ。
「間違っちゃいないよ」
言葉が示すのは、
うつろな慰めにも見える。
だけど、
リックは顔を上げて
あたしをみつめた。
あたしは、もう一度同じ事を言ったんだ。
「間違っちゃいないよ」
リックの肩が震えたのは
あたしの言葉のせいだ。
リックは
あたしの言葉に、絶望の淵を
引き返す道しるべをみたんだ。
空に架かる橋。/その49
人が人を裁く権利など
だれにも無いだろう。
それとおなじように、
あたしが、
リックの犯した罪を赦す権利もないだろう。
だけど、赦す。
赦さない以前に
あたしは、敵兵が行った断行を
罪だとは、おもえなかったんだ。
「まちがっちゃいない」
その言葉にリックは
事実をさぐろうとする。
赦すといってくれるのか?
その罪をとわないと、
君がいってくれるのか?
それは、本当なのか?
あたしの言葉ひとつで、
罪が消えるわけは無い。
だけど、
罪にきずつく心を
いやせるだろう。
「本心でいうのか?
なぜ?」
仲間を殺され、
同僚を死にみちびかれ、
瀕死の少年に救いの手を差し伸べた
君を平気で犯し・・。
君は
「僕が怖い?」
だから、優しいふりをとりつくろってくれる?
そこまで、
僕も君をおいつめている?
「馬鹿ね・・・」
あたしは、本当に無造作だったと思う。
リックの身体をよせつけると、
だきしめていたんだ。
「誰だって生きていたいにきまってるじゃない。
一生懸命生きようとしただけじゃない」
「生きるためなら・・・」
なにをしてもいいというのかい?
リックがといただそうとする言葉を
あたしは唇でふさいだ。
言葉でいくらいっても、
わかりゃしない。
あたしに敵意は無く、
恐れもなく、
あたしは、
生きようとする貴方達を
とっくの昔に赦しているんだ。
「あなただって・・いきていたいんだ・・」
リックのズボンの上から
あたしは彼をまさぐり、
リックを納得させる。
存在を主張し始めた物は
彼を説得しはじめる。
だれだって、生きてることを謳歌したい。
それが、悪いことだろうか?
それが罪だろうか?
罪があるとしたら、
それをうけとめてあげれない方かもしれない。
明美は守るべき人が居たからね。
でも、あたしは、
あたしだけは、
うけとめてあげるから・・・。
だから・・。
リック。
貴方の心をさけばしてあげていいんだよ。
生きていたい。
ねえ?
何も間違っちゃいないよ。
空に架かる橋。/その50
あたし達はさかる。
敵でもない。
男と女でもない。
その部分の快楽をただ、追従してゆく。
そのひとときは
あたし達に生きているという。
(気持いいよ・・)
平和であれば
当たり前のように
手に入れられた快楽は
いま、
貴重な宝物のように
光り輝く。
心の底も無い。
今はただ、二人が
二人だからこそ
生み出す事の出来る
不思議な共鳴におぼれる。
頭の中に沸いてくるのは
快楽の一点。
それを追う。
あたし達は
自分の身体を可愛がってあげる。
それしかない。
そのことしかない。
戦争も無い。
愛情もない。
ただ、肉体への愛撫をあたえつづけることが、
ひと時の頂点。
小さな快楽はやがて大きな波を生む。
「だめだよ・・いっちゃいそうだよ」
リックに応えて行く身体は
確かに生きてる感覚を味あわせてくれる。
あたし達の永遠は
いつまでもつづくかのように、
その波をひき、
又押し寄せてくる。
なにもない。
ただ、身体に浮かび上がってくる狂おしい波。
なにもない。
あるのは、ただ、それだけ。
あたし達はあくこともなく、
いつまでも二人が与えられる快楽に
浸りこんでいくように思えた。
だけど・・・。
一発の銃声。
あたしは・・・それが佐々木先生を打ったものだと直感し、
リックは現実に戻る。
「あ・・・」
あたしはリックにすがりつく。
また、誰かが死んだ。
リックはあたしを見ることが出来ない。
あたしをみることができないまま、
あたしの身体を抱きしめた。
「ごめん」
そうしかいえない。
誰かが死んだ。
銃を使えるものと
銃を撃たれるもの。
その図式の応えは直ぐ出る。
「ごめん・・」
どんなに苦しんでも
殺戮は平気で牙をむき出してゆく。
あたしはリックを離し、
リックもあたしを離し、
彼はもとどおりの現実に戻ってゆく。
「たしかめにいこう」
リックはやっと言葉を変えた。
そう、確かめる事しか出来ない。
あたしが、出来る事は確かめる事だけ。
その死体から、
悔いの色が放出されて無い事を
たしかめられたらいいと・・・
あたしは立ち上がった。
リックは小さく
あたしに
「ありがとう」
と告げると
今度はシッカリ、銃を構えて
あたしを病院の中にゆうどうしはじめていた
空に架かる橋。/その51
どうして、こうも、兵士達は死者を
我目に触れないようにすることをいそぐのだろう?
あたしがリネン室にたどり着いたときには
銃を撃たれただろう佐々木先生の姿も無く、
傍に居たんじゃないかと思う千秋も居ない。
無言のまま肉塊をストレッチャーに
積み込み、兵士達はホルマリン室に向かう。
露木先生がずっと姿を現さないことにも
嫌な予感をおぼえながら、
あたしはストレッチャーの後ろを着いて歩いた。
リックがあたしの後ろを歩むのは、
せめてものなぐさめのつもりだろうか?
リックにはなにもかも、
どうなっているか、
想像できていたのだろう。
あたしが着いていった先の
ホルマリン室のホルマリン浴槽。
その中に佐々木先生が居た。
それだけじゃない。
露木先生も裸身のまま浮かび
その傍らに千秋。
三人を取り巻く
菊の花のような赤い肉片。
皆・・・死んじゃったんだ。
露木先生が死んだのは
自分の意志だろう。
何故か、そんな気がする。
だって、自分の患者をに死を与え
先生が平気な顔をして生きちゃ居られないって・・。
千秋もきっと・・・。
露木先生を追ったんだろう。
納得できない死を説得するわけがある。
だけど・・・。
佐々木先生は?
こめかみのむこう側までに貫通しただろう銃痕が語るものは何?
先生を、
佐々木先生は?
死んだんじゃなくて、
ころされたんだ。
「先生はなんて?」
最後になんていったの?
なんていってしまったの?
銃でうたなきゃいけなくなるような、
自分でつかみ取れる死じゃない形で
なんで、
なんで、
ころされたの?
あたしの質問に応える兵士は居ない。
あたしは・・・。
そのとき、
机の上におかれたメモに気がついたんだ。
ただ、それを読む。
佐々木先生が不幸な死でなかった形跡がないか?
佐々木先生は
いまわのきわになにをいったんだろう?
それに結びつくものをさぐるために
あたしは先生のメモを読む。
見なれた堅苦しい律儀でまじめな字。
融通の利かない
一本気な性格。
ココに来ると決めた時の
佐々木先生・・・そのまま。
ココに来れば
間違いなく不本意な死、
不本意な治療に心が泣く。
未来のある有望な医師を
理不尽がまかり通る戦場へ
よせつけないために、
佐々木先生は自分から志願した。
だけど、
一人じゃ・・。と、
政府の要請に露木先生が手をあげた。
その露木先生を守るためにも
佐々木先生は頑張ってきていたと思う。
その露木先生の死を確認した佐々木先生が残したメモ。
佐々木先生の心の中にあったものは
なんだろう?
生き抜くことなぞ、思っていなかっただろう。
だって、
そうじゃなけりゃ、こんな所に来ない。
佐々木先生は
この間奥さんをなくしているんだ。
千秋が言ってた事だ。
先生は
初めから
死んでもいい覚悟でココにきていたのかもしれない。
ううん。
奥さんの所に行くまで、
自分のままに
生き抜こうとしたのかもしれない。
何もかも、
闇の中。
死者はけして、口を開こうとしない。
あたしは
佐々木先生の顔がひどく
穏やかに見えたことだけを
救いにして
ホルマリン室を出た。
空に架かる橋。/その52
無言。
無言。
無言のまま、
兵士は肉塊を運ぶ。
最後に死んだばかりの
青年がはこばれてきた。
彼を取り巻いていたものが
最後に彼を運んだのだろう。
生きていた兵士だったのだろう。
無残な胴体。
佐々木先生だって、
治しようが無い。
佐々木先生はきっと、治療を
ことわったんだろう。
どうしようもない。
身体を救うことも出来なければ、
思いを救う事も出来ない。
あの、メモの通りだろう?
佐々木先生が選んだことに、
兵士が自分達を見たんだろう。
むしけらのように死ぬしかない。
佐々木先生が突きつけた
死の宣告は
彼にだけでなく、
周りの人間を打ちのめしたんだろう。
その言葉を言った佐々木先生は・・。
助かるはずも無い少年兵を手術した先生は
同胞である、露木先生へ死をつかませた事を
一番、にくんだだろう。
報復というのとは違う。
人として当たり前の善意が
そのまま受止められない
曲がり曲がった兵士の
死への恐怖へ
抗議したかったんじゃないか?
思いを残さない生き方。
それさえ出来れば、
後は、何も怖くない。
先生にはそう抗議する事こそが
自分自身に思いを残さないことだったのかもしれない。
作業を終えた兵士達は
診察室に戻り
各自勝手な場所に座り
眠りを求め始める。
部隊長は生き残った人数を確認し
小さくため息をついた。
あたしは
うなだれ膝を抱えて眠ろうとする
兵士を見つめていた。
ベッドという安楽な場所に横たわろうとしない
彼らの心の底を思う。
そういえば・・・。
大勢の仲間が居る安心感に
ベッドに横たわりに行った兵士は?
彼が選んだベッドには彼の姿が無かった。
明美の声に目を覚まし、
彼も明美を追ったのだろう。
死は直ぐ隣り合わせにあって、
眠りさえ
それは油断という事でしかなく、
焦燥と後悔と、悲しみと不安を胸に抱きながら
兵士達は眠りをむさぼろうとする。
一時の無我がココにもあるのだろう。
あたしは力なく打ちひしがれた兵士を
見つめながら、
一つの事を思った。
人が生きてゆくに、必要不可欠なこと。
この一つは皆手に入れ始め
文字通り眠ろうとしていた。
眠る事で
精神をときほぐすしかないか。
あるいは、
精神が限界に達し、
眠りを要求するか。
人が限界状態に成る。
コレを癒す方法・・・。
あたしは眠りに逃げ込む兵士にもう一つの回復を
もたらそうと決めていた。
「リック・・・手伝って・・・」
あたしの後ろでずっと傍に居ようとしてくれるリックにあたしは
声を掛けた。
空に架かる橋。/その53
あたしの後ろをリックが歩く。
部隊長はあたしをみて、よびとめた。
あたしは、リックと二人ですることを
話した。
「そうだな・・・」
部隊長はまだ、やるべき任務を
終えてないことを思い出していた。
患者を一掃し
おちついたら、最初に
やるべきだった任務は
ネットワークに侵入することだった。
その任務をかく乱させ
部隊の統一を乱れさせたのは、
女が、ここに居たせいだ。
皆規律を忘れ
本能のままに行動する自由を
えた錯覚に陥らせるほど
女の身体と性への欲求は
魅惑すぎた。
その魅惑にもっとも深くおぼれた人間が
本当に溺れ死んだ。
冷静さを欠き、
統一を失った部隊にあたしが申し出た事は
規則正しい秩序と、規律に戻って行くきっかけにもなる。
「よろしく、頼む」
部隊長は不思議な顔をしながら、
もうひとつ、あたしに言った。
「なぜ・・・。君は我々に協力してくれるのかね?
自ら薦んで・・・」
「自分のためです」
短く応えた言葉を
彼はわが身の保身のためと
受け取ったのかもしれない。
協力すれば、
いかしてもらえる。
そんな意味合いに取ったのかもしれない。
だけど、あたしは
自分のためにそれをする。
いきてゆくためには、それ自体が必要だから。
もうひとつある。
いまのあたしは・・・。
なにか、してなきゃ、どうかなりそうだったから。
自分の悲しみに足をとられたら、
あたしは這い上がれない。
あたしは、千秋や明美や先生や患者達が
死んでいった事を
兵士達の死と命と比べ、
よほど、幸せにいきぬいたとおもうことで、
かろうじて、均衡を保っていられたんだ。
それを、なにもせず、
自分の周りの者を気にもとめず、
悲しみにおちこんでいったら・・・。
あたしは、
誰かを思う。
生きとし、生ける者を思うことで、
自分を生かしていたといっていい。
あたしは、
リックをつれて、食料保管庫にはいった。
みんなの食事を作る事にしたんだ。
この身体になにかたべさせなきゃ、
参ってしまう。
参った身体はろくな考えをおこさない。
患者達に毎日決まりきった時間に食事を作り
きっちり、栄養を補給させる作業は
また、ひいては自分自身にも
食事を与えることに繋がっていた。
あたしの身体はいつもの
勤務という慣性に動かされていただけかもしれない。
だけど、
リックはびっくりしていた。
「そこまで・・・?」
そこまで、我々に生きろとおもってくれるのか?
我々は生きている価値もないような殺人鬼だろう?
君が動き出すひとつ、ひとつが、
僕らに生きていていいんだと、
いきなさいと、
言ってくれる。
ほかでもない、
一番僕らをにくむべきはずの、
そんな君の心が
僕らを、勇気づけてくれる。
リックは何をおもったのか、突然、あたしにこういったんだ。
「僕は君とであえてよかった」
君とあってなかったら、僕はみじめな蛆虫のように、
自分が生きてる場所を
這いずり回り、その醜悪な場所を嘆くだけだった。
「食事をしたら、皆シャワーをあびればいいわ。
手術室の前にシャワー室があるから・・」
人間らしい暮らし。
平和が戻ってきたのだと錯覚するような暮らし。
食事があって、
身体を洗えて、
ベッドがあって、
心を抱いてくれる存在がある。
心を傾けてくれる人が居る。
生きていることを喜んでくれる人が居る。
リックのほほに涙の粒が滴る。
「生きてりゃこそ・・」
リックはぐいと涙をふくと、
「さて、オーナーシェフ。僕は何をてつだえば?」
すこし、おどけて笑った。
笑った顔は
とても、ハンサムにみえて、
やっぱり、笑っていられる事が、
一番良いと、あたしは思った。
空に架かる橋。/その54
出来上がった食事は保温トレーにおかれ、
さらにワゴンに乗せられる。
ワゴンをおし、
あたし達は診察室に戻っていった。
レトルトを温めただけの、クリームスープ。
チキンステーキとゆでた野菜。
これも、冷凍食品を解凍しただけのものだけど、
湯気をたてている。
いつもはご飯を用意していたけど、
冷凍パンをさがし、40度に設定した
解凍トレーのうえにおいて、
パンがとけるまでの間に副菜を用意した。
そのワゴンが治療室に入ると、
壁にもたれ、浅い眠りをむさぼっていた兵士達は
目を覚まし始めた。
食材の匂いはかぐわしく、
兵士達にひもじさを
やっと、おもいださせていた。
床に座ったままの兵士に
トレーを渡してゆく。
ベッドの簡易テーブルの
上にもトレーをおく。
あたし一人がつくって、持って行ったら、
彼らはあたしの報復を恐れ、
食事には手をつけなかったかもしれない。
でも、リックが一緒に居る。
彼があたしを見張っていたという
安心感が食事に手を伸ばさせる。
でも・・・。
あたしが食事を作るのは
コレが最後になってしまったんだ。
あたしは規律を取り戻した兵士達の
心を癒す役目を負わされてゆくことになったし、
兵士達も、心の底では
あたしを信用してたわけじゃないから。
仲間を殺し、同僚を医師を殺した兵士は
犯した罪が
あたしの心になにをうえつけたか。
それにおびえていたんだ。
植えつけたものが
油断を見計らい花をさかせる。
明美のリベンジがある。
死を覚悟した人間は平気に平静を装う。
装っている事さえ気がつかせないほどに。
彼らはせめても、あたしを、疑う事をしたくなかったのかもしれない。
疑うくらいなら、
疑わなきゃいけなくなる状況をつくらなきゃいい。
心の底にこれ以上黒く暗いものを見たくなかったのかもしれない。
次の日から食事は兵士達が作り始めたんだ。
あたしは、それを食べ、
兵士達が順序を守って
あたしの元へおとずれるのを待ち、
あたしは自分の身体を提供する。
そういう生活が始まって行くことを
あたしの頭にはチャンと計算できていた。
あたしが食事を作っている間に
部隊長はもう一人の兵士と
OC機器を開いていた。
パスワードがなければ
動かせないはずの機器を簡単に
ひらき、必要な情報を取り出し終わっていた。
あたしは二人が機器を開いてる診察室の奥まで、
トレーを運ぶと、
今度は逆にあたしが言われたんだ。
「食事をたべおわったら、シャワーでもあびて・・・。
君もゆっくり、身体をやすませればいい」
あたしの眠る場所に指定された部屋は
千秋が悲しい暴行を受けた場所だった。
あたしは、それでも、いつもの場所に眠れることに
安心するというんだから、
慣れた場所というのも、
生きてゆくための素材として、重要なんだと思ったりしてた。
あたしは最後のトレーをもつと、露木先生の机に置いた。
そこで、食べようと思った。
たべたら、シャワーをあびて眠ろう。
そう思った。
さっきまで、診察室のベッドに横たわっていた
少年兵の姿も今は無い。
兵士も数えるほどまばらになって、
20人とふんで、作ったトレーは
6つ残った。
たべたりるわけがないだろう、兵士が
たべてくれるだろう。
あたしは、
いまさらに皆が居なくなったことを思い知らされる。
誰も知った人はなく、異邦人ばかりがいる。
ないちゃいけないと、
あたしはパンをのみこみ、
スープをすする。
胃の中に流し込むだけの作業だけど、
こみあげてきそうになる悲しみを
胃の下まで、もどしてくれるようにおもえて、
あたしは、たべた。
あじけないけど、
それでも、たべた。
空に架かる橋。/その55
あたしがシャワーを浴びてる間に
兵士達は食器をかたづけ、
部隊長は
改めて部隊の秩序を
皆に敷いた。
深夜の見張り役。
食事を作る兵士の順番。
そして、これからのこと。
ネットワークから何をさぐったのか?
あたし達を迎えにくるはずだったトラックは
どうなったんだろう?
ココへ連絡を送っても反応がなかったことで、
方針を変えたかも知れない。
連絡があったのか、それさえ、あたしにはわからない。
だけど、いまさらトラックがきて、どうなるというんだろう。
ここが、占拠されているとわかれば、
部隊をくりこんでくる。
そして、ただ、死者がふえ、
仮に病院を取返しても、
死者やけが人の犠牲をはらったことが、むなしくなる。
生き残っているのはあたしだけ。
他の皆が死んでる事を確認するためだけに払った犠牲が
いっそう、悲しくなる。
無駄死。犬死。
こないほうがいいんだ。
きちゃいけないんだ。
だけど、あたしが、連絡をすることは、
不可能だろう。
パスワードはわかっている。
問題はそんなことじゃない。
あたしが連絡機器に近づくことが出来るとは思えない。
あたしは、
ただ、なるにまかせるしかない自分の運命の非力をのろいたくなる。
考えるまい。
敵や味方と考えをめぐらすまい。
あたしは戦時下に命を永らえたただのナース。
シャワーがたたきつける湯と一緒にあたしは、
かんがえる事もいっしょに流し去った。
今はとにかく、
眠りたい。
とりあえず、命をなくす危険が無いと
眠気があたしにひっきりなしにささやきかけている。
シャワーを浴び終わり
兵士が入れ替わりに入ってくると、
「10分だけだとよ」
あたしにウィンクをしてみせた。
何日ぶりに身体を洗うのか
わからないけど、
そんなことがたまらなく嬉しい。
あたしは、
ここだけ、この場所だけ、時空間をねじって、
異世界に行ってしまえたら良いと思った。
すくなくとも、
いまのこの病院の中は
平和だったから。
このままでいたって、
べつにそれはそれで構わないのかもしれないと思った。
時空のひずみに落ち込んだ
さまよえるオランダ人のように、
現世界ときりはなれてしまえることができたら、
皆、もう、くるしむことがないのにね・・・。
空に架かる橋。/その56
治療室に入ると
あたしは、奥にすすんでゆく。
仮眠室にはいり、あたしは
千秋の生きていたときの痕跡を
みつめる。
畳に落ちる血の痕。
望みもしない性を
うけいれたくない相手に
奪われ、
必死にあらがったんだろう。
千秋の悲しい叫び声が
畳に染み付いている。
露木先生を追い
ここまできて、
先生の傍に居れるようになった代わりに
無くした命。
無くした純潔。
一人の人のために
命をなげだしてしまえた、明美や千秋。
あたしは、
いま、自分が一番不幸に思える。
誰か一人を愛してないから、
あたしは生きてこれた。
だけど、この命に何のおもみがあろう?
死を引き換えにしていいほどに
追い求める心を持たないあたしは、
余程不幸に見えてくる。
千秋が仮眠を取った布団を
かたづけて、
あたしは畳を拭く。
千秋の悲しい思いをぬぐいさるように、
今は露木先生の傍らに眠る千秋だけが
あたしの思いの中に残るように
アルコールをかけて、
痛ましく傷ついた思いが塗りこめられた痕を
綺麗にして、
あたしはやっと、自分の布団を敷いた。
兵士達がシャワーをあび、
ついでに服を洗い、乾燥機にぶちこんでいる。
サッパリしたと笑いながら
もとのふくをきて、
今度はベッドによじ登る。
鏡に向かってひげをあたり、
ちっとは、男前になったろう?と、
わらいさざめく。
その声がとおくなってくる。
あたしは眠りに
身をまかせ
夜半まで深い眠りに着いた。
そのあたしの眠りをさましたのは、
あたしを
むさぼりに来た兵士だった。
やっぱり・・。
こうなるしかないんだ。
わかっていたことだけど。
明美の事で、
千秋の事で、
先生の事で
あんなに打ちひしがれていたって、
ぬぐいたくなる。
やっぱり、どうしようもなく、湧いてくる寂しさ。
暗闇の中、
兵士は3人。
他の兵士はねむりについたまま、
単に行動をおこさなかっただけで、
きっと、同じ思いだろう。
やましさと
秩序に反する私的行動が
あたしにしずかにしろと
命じさせる。
そこまでして・・。
そんなにしてまで、
あたしが必要?
その一瞬に命を吹き返せる?
そうかもしれない・・。
あたしだって・・・・。
悲しくて、
寂しくて、怖くて、寒い。
だけど、すくなくとも、
いま、あたしを抱いてる男は
こんなにも、
ほら・・・、あったかいよ。
空に架かる橋。/その57
部隊長は、どういう命令を
くだしたんだろう?
あたしは、
夜が明けるまでに
さらに忍び寄ってくる
兵士を数える事になる。
朝になれば、
当然のような顔をして、
別の兵士がやってくる。
暗黙の了承?
順番がきめられ、
兵士は
「男」になりにくる。
あたしは、
ただ、この部屋に居るだけ。
兵士は
ベッドに眠るときでも
靴を履いたまま、ねむっているというのに、
「男」はこの畳の部屋に上がるときには
靴を脱ぐ。
もしも、ここに敵がなだれこんできたら?
靴一つも履く暇もなく戦闘体制にはいる。
自分の命を危険にさらす。
それは、武器をもたずに、戦闘に参加してゆく
あほうのようでもある。
いいかえれば、
命をなくす危険と、
同じ重さであたしを抱こうとしているのだ。
だからこそ・・・。
あたしは、戸口の段差に腰をおろし、
靴を脱ぐ兵士がいじらしく、見えて仕方が無かった。
なんのてらいも、
はじかみももたず、
幼子が母親にあまえるのに、にている。
性を求める気持、
女を抱きたいと言う気持、
「男」という生物のごく、自然な感情でしかない。
その感情を素直に解きひらき、
あたしにすがる。
なんで・・・。
つきはなせよう?
どうにでもして、
うけとめてやりたくなる。
おたしがむかいあっているものは、
兵士でも
男でも
生き物でもない。
(感情)あるいは、焦がれる想い。
あたしのその部分は
さっきから、繰り返される接合のはてをみせている。
男達は
だれも、かれも、
その行為の最後をあたしに受止めさせた。
それは、
太古の昔から続く、男の情熱なのかもしれない。
子をはらませなければ、自分を種を継ぐものがいなくなる。
その白い液体の放出を
女にうけとめさすことが、
男の命を永遠に繰り返さす、種の輪廻。
男は女に
種を渡す事で、生き抜いてきた自分を確かめるかのよう・・・。
あたしのその場所は何人かの兵士の精液をうけとめ、
矢継ぎ早の交代に
身体を洗う暇もなく、
液体が膣からあふれだす。
他の男の精液を追い出すかのように男のものが動き回り、
新しい液体が膣の中をみたしきるまで、
男は種を残す雄の本能を促す快感に浸る。
あたしは、朝食が運び込まれる頃に、
自分がするべきことは
「男を受け入れてゆく事」
コレしかなくなった事にやっと気がついたんだ。
空に架かる橋。/その58
昼に近い朝。
そうだね。
時間で言えば、
十時?
その頃には
あたしは・・・、神話になってしまっていた。
「彼女はすばらしい」
「彼女は聖女だ」
救いの手を差しのべたという意味らしくて、
あたしは
おかしくなってくる。
コレが平和なときだったら、
あたしはただの淫売?
遊び人。
好き者。
内容はちっともかわらないのに、
それを求めてくる男の心が違うだけ。
平和だったら、
軽蔑され、
後ろ指を差される性欲解消が
死をとなりあわせにしてみたら、
はじめて、
高貴で神聖なものにかわる。
性自体・・。
本来、どうであろう?
性は本来厳粛であるべきセイント。
なのに、平和なじだいには、
ガラクタのように
簡単に扱われていた。
同じものが、
色をかえるのは、
人の心が
変えているだけにしか過ぎない。
原子力を武器にするか、
兵器にするか、
それは、人の心がきめてゆくだけのこと。
だけど、
平和利用?をしていても、
うっかりすると、
核は分裂しつづけている。
恐ろしい事故をおこし、人の手におえない代物だと
わかるのは、いつだって、
事故がおきてから。
だからこそ、
扱いにくい代物をこそ、
神聖なものとすべきだろうに・・。
人の身体に性欲をうえつけ、
飢える心をつくり、
簡単に性が手に入る。
こんなときになって、はじめて、
性の本当の価値を知らされる。
命の重みとつりあわせて、
味わいえた悦楽は
ただ、
兵士達に「あたし」を神格化させる。
あたしはただのナースで
ただの女で・・・。
きっと、平和なときに貴方達にであっていたら、
命ほどに重い性を交わす事は無かっただろう。
あたしを抱いた男はいろんな事をいった。
「いきててよかった」
「もう、思い残す事は無い」
そんな意味の言葉が多かった。
生きて二度と女を抱く事などは無い。
ありえないと思った奇跡が起きている。
あたしはいつのまにか、
皆から
「マドンナ」/聖母/とよばれはじめていた。
そんなものになりたいわけでもないし、
英雄気取りの
慈善事業じゃない。
あたしは、自分の生きる場所をさがし、
同じように生きる場所を探す「男」によって、
自分がいきえてることを
実感していただけかもしれない。
彼らは
また、あたし自身だったのかもしれない。
そんな風に
あたしはあたしをくるんでやりたかっただけかもしれない。
だから、
マドンナという敬称がふわふわして、
おかしかった。
空に架かる橋。/その59
あたしのもとにきてないのは、
リックと部隊長だけになった。
リックはきてないけど、
すでにあたしと・・そういう事をしているから、
べつの言い方をすると、
あたしをだいてないのは、
部隊長だけになったといえる。
リックは自分でも下っ端だからといったから、
こういう事の順番も
やっぱり後になるんだろう。
そのリックが
昼食を運びにきた。
リックはこころなしか、寂しそうな笑みをうかべていた。
「正々堂々と君のところにやっとこれたのにね・・・」
と、わらうと、
「とても、遠い人になってしまったみたいにも、
簡単に僕が触れてもいいんだろうかとも思う」
と、つけたした。
つまり、あたしが食事をおえたら、
次はリックの時間になるということだ。
「すこし、はなしをしたいな」
自分の分のトレーを膝に置くと
リックは食事の時間にすこし、さいても、
会話をたのしみたいと、いった。
だよね。
性交渉だけの結びつきなんて、
あまりにも、殺伐としすぎている。
「僕は君がこんな風に振舞ってくれる事に
少なからず感謝している」
リックは、あたしが、千秋のように
泣き叫んでしか、男を受け入れないことに
成らない事をさして言う。
「たぶん、君がなきさけんでも、
皆・・君を・・・」
自分たちに嫌な後味をのこさせないでくれることも、
あたしが苦しまない事も良かったという。
「そうだろうね」
あたしは、そういういいかたしかできなかった。
「でも、僕は反面、ものすごく、嫉妬している」
「ああ・・・うん・・・」
そういうこと・・かあ・・。
どこかでリックはあたしの心と先に結ばれたと思ってるし、
少年兵の死の直後の兵士との性は
リックには暴行としか、かんじとれなかったんだろう。
だから、一番最初にあたしと、心と身体を結びつけたように感じるリックは
一種の支配感と、独占欲と所持欲をもってしまったんだろう。
そして、それをうちやぶる、(神話)が彼の上に君臨する。
共有物というだけでなく、
崇拝物になってしまったあたしを、
あがめるように抱きたがる男達の気持がリックの中でも膨れ上がる。
理解。
納得。
説得。
色んな接点で彼はあたしを抱くほかの男を理解する。
同時にあたしを見る。
そして、リックは自分を見る。
マドンナを独占する事は不可能だと。
そのくせ、もう一度。
まだ、あきたりぬ、焦がれがズボンの中で
リックを誘う。
結び合うそのときだけは
マドンナが自分のものだと。
「僕らは先鋒部隊だったんだ」
リックは何をおもったのか、
急に話をかえた。
そのあとに続く話で、
かえたようにみえただけだったとわかるんだけど、
あたしは、
リックの唐突な話しを、きっかけに、
この先の自分の運命を
見せ付けられるだけだった。
空に架かる橋。/その60
「僕らはココを占拠し、
後続部隊の前衛基地にするためにきたんだ」
リックが何をつげようとしているのか、
あたしは直ぐにピンと来なかった。
だから、
「でも、病院を占拠するのは、
条約違反だよ?」
わかってるはずだよね?
と、たずね返したんだ。
リックはあたしの言葉に
自分たちの悲壮な覚悟を
話さずに置けなくなったんだ。
「僕達がココでは安全な基地を手に入れることは
むつかしいことなんだ」
当たり前のことだろう。
敵の国にのりこんで、
戦陣を拡大してゆくに、
簡単なわけがない。
「そうじゃなくて・・・」
リックは言葉を選んでいる。
「なに?」
言いたくない何かを言おうとする
リックへの誘い水。
「きかせて・・・よ」
「僕らは捨て駒でもあるんだ・・」
思い切って吐き出した言葉の意味は悲しい。
「どういうこと?」
「どこに前線基地をつくっても、
敵を・・・壊滅させる事は
不可能に近い」
だから、遊撃手として、
少しでも敵をかく乱すればいい?
そういう事?
「そんな簡単なことじゃない。
僕らの後ろに後続部隊が居る。
敵は・・。
それを計算にいれ、僕らを叩き潰すために
ココに集結してくるだろう?」
そうだろうね。
きっと、そうだろうね。
「そこに、ミサイルや細菌兵器を投下する・・・」
「え?」
つまり、囮?
「決定じゃないよ。かもしれないってことだよ」
「そ・・・そんなの・・それこそ、条約違反じゃない?
そのうえ、仲間を囮にして?」
リックは今度こそ泣き出しそうな顔になりながら、
あたしに告げる。
「僕らが病院を占拠したのは
そのためでもあるけれど・・・。
かんがえてごらんよ。
君だって、君の味方がココを占拠されて、
ココを奪い返すことを考えると思うかい?
病院にいるのは役に立たない患者と
わずかな医療従事者。
それを救い出すリスクをおうより、
後続部隊の到着をまって、
僕らの壊滅をはかろうとするだろう?」
つまり・・・。
お互いの動きをみてからでないと
お互いがどうするか判らない?
そして、リック同様。
あたし達は捨石にしかならなかった?
病院を占拠されたと言う条約違反を
盾にミサイルや細菌兵器を使う大義名分が出来る。
そこで、その種の兵器がつかわれても、
敵本国にも、
報復にうつる、根拠と言い訳が出来る。
「じゃあ?はじめから・・・」
「そう、僕達ははじめから、大型兵器を
持ち出させる可能性か、
完璧にココを前衛基地にしてしまうか・・」
「・・・・・」
仲間から、
味方から、
同胞から、
死んで来いといわれて、
おくりだされたようなもの。
そして、
あたし達もへたすれば、味方からの
敵を壊滅させる攻撃に巻き込まれる?
ふと・・。
皆、死んでしまえてて良かったねという思いがあたしの中を掠めた。
「だから・・・。君達の仲間。僕らの敵の動きですべてがきまってゆくんだ」
「そう・・だね・・・」
「君達の仲間は多分、僕らの仲間がココに集結するのをまっているだろうね・・」
それは・・・。
あたしの仲間が先に大型兵器を使用するという意味?
「そして、君は・・・、それまでの間、死を覚悟して集まってきた後続部隊の
マドンナにもなる・・だろう」
あたしは・・・。
大笑いしそうになった。
たった、十人そこそこの人間の性をうけとめるだけで、
あたしの身体はへとへとになっている。
其れを?
それを、何百人いるかわからない部隊の男達の
相手をさせられる?
文字通り。
消火活動だね。
生きたいという火を
くすぶらす事なく
宥めてあげる?
あたしは・・・。
消耗品だよ。
あたしは、機械?
あたしは、
女の性器を持った機械?
リックは本当に泣き出しそうだった。
「僕は怖い。それが本音だし、
できることなら、生きていたい。
生きて故郷にかえりたい・・・」
故郷に居ながら、
仲間に見放されるだろう、
(それでいいのだけれど)
希薄な存在が
本国の仲間を守るために
生贄にされる
希薄な存在を
なぐさめるのは、
やはり、
生命を生み出してゆく原点である
性本能を満たしてやる事しかない。
こんなことでしか、
こんなことだけが、
たった一つの憩いで、
ラグ・タイムなんだ。
空に架かる橋。/その61
まだ、どうなるか、判らない。
判らないけど、
どのみち、あたしは、たすからないんだろうなと、
おぼろげに判る。
リックはつかの間の命をむさぼる。
あたしは、精一杯彼を受止める。
大型兵器を誘い出す軍略。
それにはめ込まれた図式のなかで、
あたしは、
たった一つの至福なんだ。
あたしは今になって
兵士達が明美や千秋にまで群がらずに
置けなかった心の底の空虚を
思い知らされた。
其れは、又、あたしという人間の
命の軽さと同時に
ココに生きているという偶然の重さを教える。
せめて・・・。
今を精一杯いきてゆくしかないなら、
それが、あたしも、兵士達も同じ事なら、
せめて、
あたしは、
自分をなめらかにさせてゆこう。
リックの背に回した手が
あえぎの中で
ゆるんでゆく。
あたしは、自分の身体が
不思議だと思う。
生きている証拠のような
快感という感覚を
こんなにも
湧き上がらせてゆく
自分の身体が
不思議に思え、
そして、
愛しいとも思う。
一生懸命、命を、性を
享受する体こそ、
リックと同じ。
生きていたいと
悲しい訴えを続けていた。
リックがその行為を終えると、
あたしは
告げられた。
「夕方まで、もう、誰も来させないから、
ゆっくり、ねむるといい」
夜半から、くりかえされた、営み事をしっていたのだろうが、
リックが勝手にそんなことを決定できる立場ではないだろう?
不思議な顔をしたあたしにリックはきがつくと、
「隊長が・・そうしてくれと・・・」
と、言い添えた。
部隊の目的を覚悟した隊長は
兵士達が規律を乱し
勝手に女を追い、
犯し始めざるをえない心の底の憂いと
鬱積を思い、
勝手な行動に目をつぶった。
その結果が、
明美の手榴弾で多くの仲間を失い、
たった一人、残したドクターを自らの手で
打ち抜く事になった。
自分の部隊を
半壊滅に追い込んだのは、
自分の判断の甘さだけれど、
其れは
いっぽうでは、
「女」のせいだったろう。
その「女」を自分も欲しがる。
部隊長は
判断の甘かった自分を許せなかったように、
「女」に埋め合わせられるものが自分にもあることを
みとめたくなかったのだろう。
彼は「女」をゆるさないまま、
しんでしまうのかな?
それはそれで、
ひどく、かなしくて、辛い事じゃないのだろうか?
そんなことを思いながら、
あたしはリックに言われたとおり、
布団にもぐりこみ、
ううん。
既に、あたしの身体も限界だったから。
夕方までの何時間かを
眠りにつかうことになった。
空に架かる橋。/その62
夕方に目覚めるとあたしは、
おきあがって、まず、トイレにいった。
治療室の脇に検尿専用のトイレがある。
あたしが、治療室にでてゆくと、
兵士達がいっせいに声をかけてくる。
「ゆっくり、ねむれたかい?」
「いま、ウェーバーが食事をつくってるよ」
横をすり抜けるときには、切ないめくばせとともに、
「あとで、また・・いくよ」
と、恋人のようにささやいてみせる兵士。
マドンナ。
究極の娼婦をそう言い換える、
彼らのあたしを見つめるまなざしが痛い。
トイレにすわりこんでみれば、
尿より先におちてくるのは、
兵士達が打ち離した精液・・・。
あたしの瞳からふいに
なみだがあふれた。
落ちて行く粘りのある液体は
奈落の底に落ちて行く
命そのもの。
命を生み出す事もかなわず、
あたしの身体は
精液を身体の外におしだしてゆく。
でも、ひょっとして、
妊娠するかもしれない・・。
誰の子かわからないまま、
あたしは、身ごもるのかもしれない。
だけど・・・。
父親はいない。
そして、
あたしも、
いきているのかどうか?
実りのない果実を求め、
受粉を授けることだけでも、
それを
「愛」
と、よべないものだろうか?
あたしはトイレをでると、
シャワー室に向かうことにした。
部隊長は相変わらず
ネットワークから、情報を搾取しようと、
機器に向かい合ってる。
シャワーを浴びに行ってきます。
彼に告げるつもりだったあたしの口から出た言葉は
彼の背中の孤独に押されていた。
「あとで、きてください。身体をあらってきます」
部隊長の返事を聞かずあたしはシャワー室に向かった。
熱いシャワーを身体にうたせながら、
あたしは、自分を責めていた。
あたしは、
なにをうぬぼれているんだろう?
彼を救えると本当に鼻持ちならないマドンナ気分。
欲望を愛情にすりかえて、
甘い夢を見たがってるのは
あたしのほう。
彼はだまされはしないんだ。
あたしは、聖女でもなんでもない。
ただ・・の、
現実逃避。
あたしは、自分がちっぽけにつまらなく死ぬのが怖い。
でも、彼はそれを見抜いてる。
あたしは、
それを否定したいんだ。
彼は何も気がついてない。
彼もあたしの前ではただの男になる。
そうじゃなきゃ・・・。
あたしのやってることはなに?
まだ、内腿を伝い落ちてくる精液をあたしは
洗い流す。
「ごめんね・・・。命の芽を吹かしてあげれないみたいだよ」
思い切り心の中の黒いものを
シャワーであらいながすように
今のあたしは・・・。
自分の役目に徹するしかないじゃ・・・ない・・・?
空に架かる橋。/その63
食事を持っていった兵士が
仮眠室から、なかなか出てこない。
それが彼らにひと時が
始まったと教える。
銃を手入れしながら、
あるいは、食器をかたづけたり、
シャワーをあびたり、
運悪く、見張り番がまわってくると、
なげいてみたり、
各自がその時までの
期待さえ楽しんでいる。
拒まない女は
まずいない。
ましてや、敵兵。
金をやるわけでもない。
渡されてもうけとりゃしない。
自己嫌悪をうずめる術もなく、
女に無理やり挑みかかって
後に残る居心地の悪さに
辟易するのがお定まり。
なのに、
マドンナは優しい。
切なくあえいでくれる。
兵士の中で何かが吹っ切れる。
それが、なにか?
わからないけれど、
こうならば、
俺も捨てたもんじゃないさ。
と、なにかが、
兵士をなで上げてくれる。
胸のつかえが取れたときのように
妙な爽快がわいてくる。
ひょっとして、コレが生きてるって
実感なのかもしれない。
多分、そうだから、
そんなきもちをくれるマドンナに
できるだけ、
優しく接しったいと思う。
こんな気持にさせてくれるのも、
マドンナだから。
兵士達は満ち足りた思いをかみしめる。
そして、仮眠室のドアから
ウェーバーが早く出てこないかと
待つんだ。
あたしは、また、はてしなくつづいてゆく
夜の蠢きの
序章にしか過ぎないウェーバーの恣意に応える。
再びあたしを、自分の物に出来る行為を
彼は飾る。
「愛しているよ」
その言葉は嘘じゃない。
確かな真実だろう。
あたしは、彼の恣意に応える。
今は彼だけのものだから・・。
蠢いてゆく彼の物に
息を荒らしながら、
あたしは、
心の底から彼に言う。
「あたしも・・・、愛してるわ・・・」
言葉が心を高め、
行為が心を結ぶ。
あたしは、その時、その時、
その相手を愛し
一つになってゆく。
その瞬間の沸騰。
あたしには、それでしか、
彼らにこたえてやれなかった。
空に架かる橋。/その64
男達のさざめきが静まり返り、
あたしは、
夜明け近くになっても
やってこない「彼」をかんがえていた。
このまま、
彼はあたしを許さないまま。
なのだろうか?
欲望に飲み込まれる自分を
許さないままだろうか?
そんなにも、
彼の精神は強靭であるのなら、
あたしは、
もとより、
他の兵士の横行を何故、
許すのだろう?
彼の底にだって
餓えはある。
あるはず。
あたしは、彼を待った。
必ず・・・来る。
来なきゃ、おかしい。
夜明けの風が、
白い光をつれてくる。
薄墨色にもやがかかり、
小鳥達も枝を離れることもできず、
身体を夜露にふるわせている。
彼は来る。
こんな寂しい朝は
きっと、誰かのぬくもりがほしくなるに決まってる。
かたりと、音がすると、
扉が開いて
戸口に腰をかけた男が軍靴をぬぎはじめる。
あたしは、かけよりたくなる心をその手に
映す。
手をさしのべ、
彼を招く。
彼はあたしをだきよせ、
あたしをすする。
あたしは、せわしなげに
ズボンをはだける彼を待つ。
あっと、いうまに、
彼の女になってしまう場所に
繰り返される振幅。
膝の上に抱かれるような
形の接合は深みに届き
あたしは、
声を漏らす。
彼はあたしを見つめていた。
そして、
「ありがとう。皆をありがとう。そして、僕を・・・」
つぶやく声になりそうな、
「感謝している」
彼は・・・・。
最後にあたしをねじ伏せた男。
あたしは、
彼に打ち負かされる。
あたしは・・・。
彼を一番支配したかった。
でも、それは、同時に
あたしが
彼に支配される自分になること。
欲情というのは、限りないと思うけど、
手に入らないものほど、
ほしくなるし。
抑圧したものほど
激しいものになる。
でも、彼の抑圧からの
己の解放は
別離という起爆剤が
有ったからだった。
「朝には、ココをでるよ」
あたしとの最後を惜しみたくて
彼はここに来たという。
おしんでいるのは、何?
心残り?
なぜ、あれほどにストイックだった
貴方をこんなにかえさせた?
それは・・・。
最後の性ということ?
だから、
ココにこれずに置けなかった?
あたしを、
こんな目に・・・。
到達してゆく快感の深さにおぼれる
意識が彼との一体感になる。
あたしは、尋ねたかったことを
忘れ
いままでで、一番、密度の濃い
ひと時に沈んでゆく。
空に架かる橋。/その65
移送トラックが来るのは、今日の予定。
出発がコレに関係するのだろうか?
でも、撤退していったあたしの国の兵士達の
情報で、
ここが、占拠されたと推測されるだろう。
そうでなくとも、
本部と病院の直線上に、敵兵が待ち伏せるとかんがえるだろう。
どのみち、病院は両陣営の搾取の的。
吾国はプライドをかけて、
病院の奪回にかける。
いずれにしろ、病院はどちらかの陣営に利用される。
移送トラックが来るとしたら、
そのトラックの荷台には、兵士が潜むだろう。
その後ろから
追撃の軍隊が前進してゆく。
そこで、肉弾戦が始まる。
敵の後続部隊がながれこみ、
さらに吾国の攻撃陣が投入され
リックのいう大型兵器が照準を合わせ始める。
パールハーバーの時のように、
吾国を追い詰めてゆく。
大義名分さえ、できれば
それでいい。
敵の国は
リックたちを囮につかい、
病院内にいた兵士なのに、
発砲されたと、我侭な理屈を作る。
こういう図式のはずじゃなかったのだろうか?
なのに、出発?
ココを離れる?
彼は仮眠室を出ると、
直ぐに号令をかける。
「敵陣営は我々の存在を無視し、
後続部隊の出撃に照準を合わせる模様。
コレを援護にいく」
吾国は敵兵に大型兵器をもちださせる大義名分を
作らす事を避けた。
この病院と病院にいる患者をみすてることで、
敵のワナをぬけでた。
裏をかjかれた、
リックたちは
新たな行動に移る。
そういうことだろう。
空に架かる橋。/その66
あたしは事実を確かめるために
仮眠室をでた。
兵士達はやっぱり、
出撃に備えてあわただしく
身支度をしている。
でていくんだ・・・。
みんな、ココをでていくんだ。
あ?
あたしはどうなるわけ?
ここにいて、味方が負傷してくるのを待つわけ?
医者もいないこの場所で?
仮眠室を出て来たあたしを
兵士達はひどく
明るい笑顔で出迎えてくれる。
「やあ、とうとう、部隊長も陥落したね」
まるで、陣地とりのように、あたしの満足を
ほめるけど、
あたしは、そんな言葉がほしいわけじゃない。
「いっちゃうの?」
行った先になにがあるか。
30人近く居た連隊が
たった14人になり、
後方軍を突破する敵と闘う。
ここにいたって、
あたしの国からの援軍にはさまれるだけ。
せめて、自分の死に場所を
味方への援軍というかたちにするだけで、
やはり、
たどり着く所は空・・・の彼方。
死んじゃうだけじゃないか。
どっちみち、死んじゃうだけ・・。
あたしの瞳からぼろぼろと涙が落ちてくるのは、何故?
それをみつめて、
兵士は支度の手を休めて、いう。
(マドンナのおかげで、僕らは戦いに立ち向かえる勇気を
もらえたんだよ)
だから、泣かずに僕らをみおくっておくれ。
華やかに死んでゆけるのは、君のおかげだから・・・。
だから、泣かないで。
うなづくしかない。
どう、さからってみても、
結局はどう、死ぬかしか、
選択肢がないんだ。
僕らが再び死に挑んでゆけるのは
マドンナのおかげ。
僕らは笑って闘いにのぞむ。
悲しみは、君がぬぐってくれた。
ぼくらは、たった一つの
闘志に命を燃やせる。
あたしは・・・。
闘える気力をつくりあげただけ?
いつか、露木先生がいっていた。
「死なせるための治療をすることしかできないのかねえ」
あたしは?
あたしは?
本当は・・・・。
マドンナの仮面をかぶった
・・・・死神?・・・・
空に架かる橋。/エンド
みんな。自動小銃を担ぎ
玄関にむかってゆく。
なんで、あっけなく、
状況はかわってしまうんだろう?
さよならの言葉を
皆はのみこんで、
外にでてゆく。
朝もやがゆっくり光の中でゆれうごく。
もやの中に並んだ兵士は
玄関先にたちつくす
あたしに
敬礼をする。
並んだ兵士は
あたしの指揮をまつかのように、
じっと身じろぎひとつせず、
敬礼の姿勢を崩さずあたしをみつめつづけていた。
「さ・・さよなら・・」
いってらっしゃいという言葉で見送れない別れ。
あたしはくずれてゆきそうな身体を門柱でささえ、
兵士が敬礼をとき、前進して行くのをみまもっていた、
涙でかすむあたしの目の中で
ストップモーションのように
隊列を抜け出て、走りよってくる
リックがみえた。
リックはあたしの傍にかけよってくると、
あたしを抱きしめた。
あたしの目はリックが戻るべき仲間の表情を
追おうとする。
衝撃が鈍くあたしの額を打ち抜く。
隊列の中から自動小銃を構えた兵士が
みえた。
リックの唇があたしの唇を覆う。
あたしの悲痛な声が洩れないように、
皆を苦しめないように、
あたしが安らかに死んでゆけるように。
そうだよね・・・。
あたしは、マドンナ。
マドンナには敵も味方もない。
だけどさ・・。
あたしの役目はもう、マドンナでしかない。
だから・・。
貴方達はあたしをうちぬいたんだよね。
これから、ここにやってくるだろう貴方達の敵にとっても、
あたしはマドンナになるしかないだろう・・・。
死ぬ事を懼れない兵士を
作り上げてしまうあたしは、
貴方達にとって、
一番怖い存在・・だ・・よ・・ね。
貴方たちの選択は
まち・・がっ・・ちゃ・・い・・な・・・い。
ー終ー
空に架かる橋/ラスト
佐々木先生のメモ。
死は怖いものじゃない。
本当に怖いものは
「思い」を残す事だ。
私は今までこの職務において、
思いを残してきていた。
誰かの命を救う。
誰かの身体を回復させる。
生きて行くための身体の術を支えなおす事が
役に立つ事だと考えていた。
だが、それがうまくいかない。
私の中で無念が降り積もっていた。
だが、
今、命が当たり前のように消滅され、
ホルマリン浴槽には
命無き物体が浮かぶ。
人はいつか死ぬ。
命はいつか途切れる。
ならば、いきていた意味はどこにいく。
思いを残さない生き方をするしかない。
身体の治療は、この世に生きていくための
延命法でしかない。
本当にいきぬくということは、
本当に死ぬという事は、
思いを残さない事だろう。
佐々木先生はこのメモを書いた後、
一切の治療から手を引いた。
いくら身体をなおしてみても、
思いがうかばれないと
身体はまるで、
命無き物体のようだった。
むしろ、死に至った人間でありながら、
思いがうかばれていると、
生き抜いた充実に心が安らがされた。
思いをうかばす。
あたしは、
その役にたったのだろう。
そして、
あの空で皆が帰ってくるのを待っているんだ。
あたしがまってるから・・・。
皆、怖くないよ。
そう、あたしは、
空に架かる橋。
あたしが・・・・
空に架かる橋。
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