第49話:失踪希望者の仕込み
日本暦2005年、10月16日、PM3時45分。
「よし…出来た」
その手紙が仕上がったのは…今朝ようやく学校が再開したのに、後5分で今日最後の授業が終わると言うその時だった。
時々黒板を見ながら書いていた為、担当教師の目には『真面目に授業内容をノートに写す御鏡綾子』に映っただろう。
…何の授業かって?
…現代文…みたいね。
テストに出るから…なんて言ってた気がするけど、もうどうでも良かった。
ともかく私は一刻も早くこの手紙を自宅に残し、兄を探しに向かいたかった。
「…」
待つ5分…いや、待つ時間ほど長い物は無い。
私は一分一秒を、一日千秋の思いで過ごし…やがて……
―キーンコーンカーンコーン…キーンコーンカーンコーン―
「よし、今日の授業はここまで…日直」
「起立、礼」
…終わった。
「あ~、やっと放課後だ…」
「今日はドコ行く?」
「オーゾンでいいんじゃね?」
「あー!今日はバイト早番だったんだ!」
ようやく授業から解放され、思い思いの事を口々に言うクラスメートを尻目に…私は机の中にある、今日の授業用具一式を全てカバンへ叩き込み…同時にそれを乱暴にひっ掴んで、一陣の風と化して教室を飛び出した。
「うおっ!」
「今の…副会長?」
『学校の廊下は走ってはいけません』なんて風紀規則があったりするけど、今の私にはなんら差し支えのない規則だ。
聖丘学園高等学科は、真上から見ると『コ』の形に3棟の建物が建っている。
下辺が生徒の教室と職員室がある教室棟。
右辺が文化部室と保健室、図書室を備える部室棟。
上辺が特殊教室と食堂、購買や講堂…更には生徒会室と昇降口のある玄関棟。
真ん中の空間は部室棟寄りに花壇やベンチと言った憩いの場と、逆側にグラウンドと運動部の用具室を備えている。
「ふっ!えいっ!」
私は教室を出るなり、廊下を挟んで真向かいにある窓枠を飛び越え…憩いの場となってる場所を玄関棟めがけて真っ直ぐ突っ切る。
いちいち校舎内を移動してたら時間が勿体無い。
10秒ほど真っ直ぐ走ると今度は真面目に、窓を挟んで昇降口が見える。
「はっ!とおっ!」
私はいつも空いてる窓の枠に跳び乗り、今度はその枠を足掛かりにして更に跳躍…空中で上履きを脱ぐ。
―ストッ!―
―ダダダダダッ!!―
磨き上げられたリノリウムの床で、幸いにも滑る事なく下駄箱に到着…瞬く間に自分の靴を引っ張り出し、同時に上履きを棚に突っ込む。
「はっ、はっ、はっ…」
そしてまた走り出す。
聖丘学園はその敷地に小・中・高・大を全て納めた広大な敷地を持つ。
だから校門が『各校用門』と『総合門』と2つあったりする。
各校用門は各校の昇降口を出れば目の前にあり、それを過ぎると今度は小広い通りに出る。
「はっ、はっ、はっ、はっ…まだまだ」
この通りは総合門と各校用門を繋ぐ通りで、総合門から入ってすぐ4つに分岐し…それぞれの学校へ向かう事が出来る。
つまり私は今、その通りの1つ…高等学校行き通路を疾走している。
「はっ、はっ、はっ、はっ…見えた」
通りの長さは分岐点も含めて200mほど。
私は抱えていたカバンを左手に持ち変える。
総合門を過ぎればすぐに、聖丘学園名物『遅刻者裁きの階段』がある。
この階段は傾斜こそ低い物の段数が184段と非常に多く…遅刻者は朝、この階段をダッシュする訳だが…そのほとんどが、段を上りきった辺りで体力切れを起こし…足掻きを辞める。
だから付いたアダ名が『遅刻者裁きの階段』だったりする訳だが。
「3…2…1…ていっ!」
184段を猛然と駆け降りるのも確かに速いは速いが、段の高さが中途半端な為に下手をすると転んで大怪我を追う。
だから私は…ちょっと行儀の悪い荒業を使う。
「っと…とと……」
段の手前で、階段に備え付けられた手すりに向かいジャンプ。
空中で左手のカバンを手すりに乗せ、そのままその上に座る。
この手すりは左側通行なので、手すりが上り用と下り用の2本があり…それらは15cmほどの隙間を隔てて平行に立っている。
だからこうしてカバンを乗せ、その上に座れば…
―シュルシュルシュルッ!―
いわゆるスケートボードのトリックの1種『50:50グライド』で…つまりはカバンをスケートボード代わりに、手すりの上を滑り下りる事が出来る。
ちなみにこれは春明考案で、彼のカバンはコレのやり過ぎで…ピッタリ手すりの位置が白くなっている。
「ととと…っと!ととっ!」
教室→廊下→窓ジャンプ→憩いの場→窓ジャンプ→昇降口→各校用門→通路→総合門…とほぼノンストップで走り、そのままの勢いでこのトリックに臨む為…実は結構速い。
ましてや我が校の指定カバンは、外皮が滑りの良い鞣し革。
ダッシュの速度+カバンの革は低摩擦…加えて傾斜を下る事も合わせた速度は、実に時速50kmにも達する。
だからこそバランスが大事で…これも下手をすると手すりから落ち…前に落ちれば顔面を、後ろに落ちれば後頭部を強打する。
私は氣闘拳の鍛錬で鍛え上げたバランス力をこんなところで無駄に発揮し、1度も止まる事なく手すり上を滑りきる。
「んっ!」
そして手すりの終わりが近付くと…上半身のバネと足の振りで、カバンに座ったまま一瞬ジャンプ。
同時にお尻の下からカバンを抜いて着地…そのまままた走り出す。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ…」
『遅刻者裁きの階段』を降りると、今度は直線形で全長約300mの、地元で一番長い商店街…通称『星舞商店街』がある。
多数の店舗が軒を連ねるこの商店街は、基本的に車両の通行が禁止されてて…それは自転車すら例外ではない。
だから商店街通りにある障害物は基本的に買い物客のみ。
―タンッ!タタンッ!キュキュ…―
―ダダダダダッ!ダンッ!キュキュ、タンッ!ダダダダダッ…―
居並ぶ人々にぶつからないよう…それでも速度を落とさず、私はバスケットのドリブルよろしく…ステップと体重移動を駆使し、人々を回避しながら商店街出口を目指す。
「はっはっはっはっはっ…み、見えた!も、もうすぐ…」
商店街を抜けると真正面に川があり、それにそうような形で左右に道がある。
私の家はその道を右に行き…真っ直ぐ歩いて10分のところにある。
つまり商店街を出て右を向けば家が見える。
「ラストスパートッ!」
ここまで温存――それでも少し辛い――した体力を残さず爆発させ、私は自宅の門を駆け上がった。
高さはそんなに無いけど、実を言えば門を開けるのも煩わしかったから。
―ガチャ!―
「ただいまっ!」
―…バタンッ!―
―トトトトト…―
この時間、お母さんは道場で講習の真っ最中。
お婆ちゃんは公民館で将棋を指してるか、お母さんと一緒に道場で氣闘拳の鍛錬中。
私は玄関を開けて目の前にある、2階への階段を駆け上る。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
お父さんはもちろんまだ会社…最近は何でも『平行異世界』とやらの論文が議論を呼んでるらしく、如何に別の次元を確証するか…の研究に余念が無く、最近じゃ残業もしばしばある。
ちなみにお父さん曰く
『この世界はその瞬間から未来に向け、微々たる選択の違いにより様々な結果を生む可能性を孕んでいる…例えば綾子が今、昼食の味噌汁を飲むか飲まないか…あるいはその味噌汁を残すか完食するか…そんな小さな差異で、未来は必ず変わるんだ…もちろんその選択を行なった綾子には認識出来る事無く、ね』との事。
また『その【選択】を行なった…例えば味噌汁を【残す結果を選んだ綾子】と【完食する結果を選んだ綾子】は…互いが互いを認識出来ないだけで存在し、それぞれが【世界】として…例えば今この瞬間の綾子の世界をプラスマイナスゼロとするなら、マイナス1の綾子の世界や…プラス1の綾子の世界だって存在する…この考え方と説を平行異世界と呼ぶ』んだそうだ。
つまり…言ってしまえばこの後、魔法を知り…休学し、魔法を使い…異世界に行く私の世界だって必ず存在する…と言う事になる。
まあまだ実証出来てないから『説』なんだけど。
「…ふう」
ようやく落ち着いた。
―シュルッ…シュルシュルシュル…バサッ―
私はブレザーを脱ぎ、カッターシャツのリボンを外し…
―プチ、プチ、プチ、プチ、プチ…バサッ―
―ジィッ…シュルシュル、バサッ―
カッターシャツのボタンを外して脱ぎ、スカートのジッパーを下げ…スカートも脱ぐ。
もちろん下着も…。
「本当ならこのまま兄さんの部屋に忍び込んで、色々楽しむんだけど…」
何をして楽しむかって?
そりゃもちろん…今脱いだ下着を兄さんのベッドの枕の下に置いたり、兄さんの枕の匂いを嗅いだり…枕を兄さんに見立てて自分を慰め…
おほん!
ともかく、今日はそれどころじゃない。
「とりあえず着替え…下着はコレと、予備にコレ…服は…コレでいいかな」
クローゼットから適当な服を引っ張り出し、それに着替え…下着の予備を畳んでポーチに詰める。
「後はこの置き手紙を居間の机に置いて…財布よし、携帯よし、服よし、戸締まりよし、忘れ物は…あ、コレ持って行こう」
と部屋内を指差し確認していて、異世界に行く為の準備をしていた私は…部屋の隅に立て掛けてあったソレを手に取る。
ソレは藤色の…細長い袋に収まった、やや反りのある長い棒状の品物が2つ。
中身はどちらも日本刀。
もちろん正真正銘真剣…刃に触れば指ぐらい簡単に落ちるわよ?
1本は銘を『小烏丸天国』と言い…御鏡家に代々伝わる名刀の1本で、私の愛刀。
反りの浅い黒の刀身に、切っ先が諸刃造りになっている特殊な拵え。
カラスの濡れ羽のような真っ黒の色味から、この様式を持つ刀を『小烏造り』と言うらしい。
ちなみにもう1本は兄さんの愛刀で、銘は『神断緋刃』と言い…その昔、凄まじい力を持ち…それを元に暴れたとある神を…脳天から一太刀で両断したとの言い伝えを持つ、刃渡り3尺(90cm)で刃幅5cmと言う特注製の最上大業物。
反りの浅い…血のように赤い刀身と、綺麗な直刃の刃紋が特徴。
…刃渡りが長いせいで私には居合い抜きが出来ない。
「コレも持って行かなくちゃ」
言って私は『小烏丸天国』と『神断緋刃』の刀袋を背負う。
流石は私の敬愛するお兄様…こんな長い刀を軽々、我が手のように振るうんですもの。
やっぱり素敵だわ…お兄様。
「…と、いけないいけない」
気が付けば右手はワンピース上から股間へ伸びていた。
意識を凌駕してまで事を済まそうとする私の手って一体…やり過ぎて形変わってないかしら。
私はその手を寸前のタイミングでまた意識下に置き、左手でペチッと叩いて今度こそ部屋を出た。
向かう先は星舞商店街の真ん中にある、自称『現代魔術師』が営む古書店。
―トトトトト…トントントン―
私は階下の居間に向かい、未だ誰もいない自宅をぐるっと見渡し…真正面にあった食卓の上に件の手紙を置いた。
「置き手紙よし…じゃ、行ってきます!」
言って玄関に向かい、靴を履き…
―ガチャ―
扉を開いて外へ。
外は少し早い夕暮れの風景になっており…家の前の道には、下校途中と思わしき聖丘学園生の姿がちらほらある。
やはり総合門トップ通過は私のようだ。
「…クラスメートに遭遇しなきゃいいけど」
我がクラスの級友達はみんな星舞商店街で、日暮れまで時間を潰す傾向にあり…ましてや目的地の古書店は、級友達が贔屓にするコンビニ『ハミマ』のすぐ近くだ。
真っ先に学園を飛び出した私が、刀携えて歩いてる姿を見られたら実に厄介な事になりかねない。
ああ…お母さんが『家人帯剣許可』を貰ってるから、私はもちろん兄も…真剣を帯刀してたって警察に怒られる事は無いけど。
ともかく私は歩き出した。
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