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異世界で幼女化したので養女になったり書記官になったりします 番外編置き場 作者:瀬尾優梨

番外編

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☆冷静な侍女と純情書記官4☆

 思わず、振り返ってしまった。そのまま真っ直ぐレイナのいる店に戻ればよかったのに、男性の声に誘われるように振り返り――
 ばっちりと、目と目が合わさった。

 カウンターの向こうで若い女性を宥めていた男性は、カスミを見てはっと息を呑む。男性の異変に気づいたのか、愛らしい顔をしかめていた令嬢もカスミを見て、不快そうに眉を寄せる。

「何ですの? あなた、誰?」
「……失礼しました、わたくしは……」
「カスミ……?」
 男性が呆然として呟いたため、カスミは言葉途中で顔をしかめ、内心毒づく。穏便に事を済ませようと思ったのに、この男ときたら!
 カスミ、と聞いて令嬢は思い当たる節があったようだ。不審そうな顔をとたんに、小馬鹿にしたような嘲笑の顔に変える。

「カスミ……ああ! あれですわね! ルーウェン男爵家の、行き損ないの売れ残り! スティーブに捨てられた年増ね!」
 散々な言いようだ。カスミは怒りを通り越して呆れてしまう。よく見ると、令嬢の腹部はほんのわずかだが丸みを帯びている。妊娠している、という話は事実のようだ。
 カスミは観念して、彼らに向き直る。

「……お久しぶりですね、スティーブ。婚約者様とお仲がよろしいようで、何よりです」
「……ああ、まあな。カスミ、おまえは……」
「まあ、スティーブ! こんな年増とお話をしても、あなたの品格が下がるだけですわ! こんな年寄りのどこがいいのですか?」
 少し黙れ、とカスミは業務用スマイルを浮かべつつ、令嬢を罵る。
 スティーブ――カスミのかつての婚約者は、おどおどとカスミと令嬢を順に見ている。確か、彼の手紙によれば隣にいる令嬢は十六歳。なるほど、カスミは彼女より六つも上だが、さすがに「年寄り」扱いされるのは気にくわない。何と言っても、レイナも若くは見えるがもう二十一歳なのだ。敬愛する主君まで貶されたようで、腹が立つ。

 カスミは笑みを絶やすことなく、それとなく体の向きを変える。とにかく、レイナに気づかれる前にこの場を収めなければ。

「ご令嬢のおっしゃる通りです。スティーブ、私はあなたの幸福を願っております。どうか、お隣にいらっしゃる婚約者様を大切に……」
「カスミ、君も恋人と一緒に来たのではないのか」
 ……レイナによれば、今のスティーブのような人間を「ケーワイ」と言うそうだ。
 カスミの頬がひくっと引きつる。令嬢はなかなかその場の空気を察してくれないスティーブの腕を取って、ヒステリックに騒ぎ出す。

「スティーブ! もういいでしょう、こんな女! 興ざめだわ。さっさと屋敷に帰りましょう!」
 そうしてくれ、とカスミは笑顔で内心、令嬢を褒め称える。この調子で行けば、令嬢はカスミという人間に腹を立てたままご退場いただく。憎まれ役を負うのは気が進まないが、彼女のヒステリーに巻き込まれた可愛そうな宝飾店の店員たちのためにもなる。そして、さっさと帰ってもらったらレイナに心配を掛けなくて済む。
 だが、スティーブはどこまでも「ケーワイ」だったようだ。

「待ってくれ、カスミ。君は……怒っているのか?」
「は?」
「僕がマデリーンを選んだから、怒っているんだろう? 確かに可愛そうなことはした。恋人同伴でないとしたら……君には決まった相手がいないのだろう。僕がマデリーンを選んだ代わりに、僕の知人を紹介しておこうか」
 何だ?

 この男は、何を言っている?

 長い間、疎遠になりながらもカスミの心を繋いでいた、あの優しいスティーブなのか?

 婚約破棄されながらも、彼からの手紙を捨てきれずにいたカスミの気持ちは、何なのか?

 カスミは嘆息する。どうやら、自分はとんでもない男に長年懸想していたようだ。百年の恋も冷める、とはこのことだ。

「……結構です」
「何?」
「私は私の道を進みます。結婚できずとも、私は今、既に幸せを掴んでいますので……」
「あら、じゃあいいじゃないの」
 拍子抜けたように肩を落とす令嬢。本当にこの令嬢は、冷静になると非常に聞き分けのいい少女だ。対するスティーブは、なおも食い下がってくる。

「何を言っている。君ももう二十二歳だろう。君が若いうちに結婚できなかった非は、僕にある。責任は取るよ」
 ぴきり、とカスミの額に青筋が走る。

 責任を取ろうとか言う男が、公衆の面前で女性の年齢を暴露するものなのか。大声で「二十二歳・婚約者なし」を暴露されるくらいなら、十六歳の少女に「年増」と言われる方がずっと気持ちが楽だ。
 貼り付けたような業務スマイルが崩れそうになった、そこへ――

「カスミ……どうしたの?」
 心配そうな声。体の奥で沸騰していたマグマが急速冷却され、カスミは振り返って心の中で己を叱り飛ばす。
 胸に小さな紙袋を抱えたレイナが、おずおずといった様子で廊下の奥からこちらを覗いていたのだ。レイナも店内の異様な雰囲気に気づいているらしく、体の半分以上を柱の向こうに隠して、黒い目をきょときょとと動かしている。

「あの、こっちはもう買いものが終わったから……」
「あら? その髪、ひょっとして……」
 やはりこの令嬢は、聡いようだ。彼女はレイナの容姿と髪を見て、瞬時にその正体に気付いたらしく、さっと身を引いた。

 だがやはり、スティーブの方が厄介なことをしてくれる。彼は話に割り込んできたレイナを見、チッと舌打ちした。

「部外者は黙っていてくれ。カスミの連れか? 随分地味な少女だな」
 その言葉に、カスミは反応した。自分のことを言われている間はリミッターを外さずにいられたのだが、レイナのこととなるとそうもいかない。
 「地味」と言われたレイナ本人はきょとんとしているが、カスミはすたすたとレイナに歩み寄り、そっとその手を取る。

「見苦しい場面をお見せしました。すぐに戻りましょう」
「いいの? 取り込んでいるみたいだけど……」
「そうだ、今僕たちは大切な話をしている。……ああ、さてはカスミ、僕が婚約破棄したからといってこんなみすぼらしい庶民の面倒見をさせられているのか」
「ちょっと、スティーブ」
 くいくいと令嬢がスティーブの袖を引っぱる。令嬢はすっかり熱も冷めたらしく、玲奈に暴言を吐く婚約者を見て青ざめている。

「おやめくださいな、あの方、きっと、庶民じゃありませんわ……」
「何を言っている、マデリーン。没落したルーウェン男爵家が貴族と交流できるはずないだろう」
 レイナ・フェスティーユが男爵家令嬢であるカスミを専属侍女に抱えていることは、王城で暮らす者の大半は知っていることだ。だからこそ、普通の感性を持った者であればレイナの侍女であるカスミにも最低限の礼を払う。レイナの侍女を貶すことは、レイナを貶めることにも繋がる。そしてレイナの機嫌を損ねれば、レイナを溺愛する王妃や、玲奈を保護する立場であるマリウス国王の不興も買いかねない。

 それほどの一大事であるということを、この男は全く分かっていないようだ。傍らにいる婚約者の方は必死で、彼を諭そうとしているのに。
 いよいよ頭が痛くなってきた。レイナは最初、戸惑ったように黙っていたがカスミを侮辱されたため、目つきを鋭くした。そして彼女はカスミに持っていた小袋を預け、一歩前に歩み出てにっこりと微笑んだ。

「お初お目に掛かります。カスミの知人の方でしょうか?」
「まずは自分から名乗れ、平民」
「スティーブ!」
 悲鳴を上げる令嬢。お腹が大きいのに、ストレスになっているのではないだろうか。
 レイナはにこやかな笑みを崩すことなく、スティーブと令嬢に向かって優雅に礼をする。

「これは失礼いたしました。私、こちらにいるカスミの友人でして、レイナ・フェスティーユと申します。以後、お見知りおきを」
「フェスティーユ?」
 スティーブは最初、レイナの家名ばかり意識を取られていたようだ。確かに、フェスティーユ子爵家の名だけだと、レイナはスティーブと同レベルになる。だが――
 スティーブの顔が徐々に色彩を失い、すぐに青を通り越して真っ白になる。元々色白のため、血管すら浮いて見えた。

「ま、まさか……え? あの、異世界の乙女……?」
「そうも呼ばれていますね。お恥ずかしい限りです。して、あなた方のお名前は……?」
「ぼ、僕は何もしていない! 知らなかったんだから仕方がない!」
 スティーブはいきなり店の天井に向かって吠える。そして、ぽかんとする令嬢の手を取って、足早に店から飛び出していく。

 ガランガラン! と店のベルがけたたましく鳴る。レイナはしばし、静かな眼差しでスティーブの背中を見送り、そして店内で硬直していた店員たちを見て、「ああ」と笑みを戻す。

「ごめんなさい、皆さん。お邪魔してしまったようですね」
「え、い、いえ……」
 店員たちも、「まさか」ここにいる黒髪の少女――実際は二十一歳だが――がかの有名な「異世界の乙女」であるとは思わなかったのだろう。すっかりへっぴり腰になっており、何人かはふらりと椅子に頽れている。

「今日は急ぐのですが……また後日、こちらのお店のアクセサリーを見に来ますね。では、失礼します」
 レイナはくるりと踵を返す。脱力していたカスミも慌てて、彼女の後を追う。
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