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異世界で幼女化したので養女になったり書記官になったりします 番外編置き場 作者:瀬尾優梨

書籍化感謝SS

23/25

あなたに贈る子守歌

 外は雪景色だ。
 ベルフォード王国城下街は白い雪に包まれており、月光に照らされてぼんやりと雪の影が窓に浮かび上がる。

 時刻は夜中前。外を出歩く人もほとんどおらず、たとえ出歩こうとも雪が人々の足音を吸収し、かき消してしまう。
 今年のベルフォードは、冬の訪れが早かった。

 レイナは窓に掛かるカーテンを静かに閉じる。小さな部屋には、暖炉の類はない。あまりにも長時間カーテンを開けていると部屋の温度が下がってしまう。

 レイナ・アジェント。
 彼女がこの世界に落っこちてきて、三度目の冬だった。








 正方形の部屋は壁紙も床もカーペットも、愛らしい黄色で統一されている。部屋の隅にある箱には、布製のぬいぐるみや振ると音の出るおもちゃ、噛んでも大丈夫な柔らかいボールなどが入っている。先ほど見たときはあちこちに散らばっていたので、使用人が片付けてくれていたのだろう。

 レイナは足音を極力立てないように、部屋の中央に据えられた小さなベッドに近付く。手作り感溢れる木製のベッドを覗き込んでまず視界に飛び込んできたのは、二つのもこもこした生物。

 レイナの気配を感じ、二匹が同時に目を開く。縞模様が立派なトラ猫と、ふわふわの羽毛が自慢のアヒルサイズの鳥。二匹はレイナがベッドの中を見やすいようにと、体の位置をずらしてくれた。

 二匹に包まれるようにして眠るのは、生まれて一年も経っていない赤ん坊。頬がふっくらしており、くるくるの金髪が愛らしい。目は今はしっかり閉じているが、開眼するとこの地方ではやや珍しい、黒曜石のような漆黒を目にすることができる。

 髪と容姿は父親に、目は母親に似た、可愛らしい女の子の赤ちゃん。
 レイナと、夫との間に生まれた長女。
 将来は夫の美貌を受け継いだ子になるだろう、とレイナは思っているのだが、夫は「いや、レイナに似た可愛い子になるだろう」と真顔で言ってのけたものだ。

 トラ猫と鳥は位置をずらし、赤ちゃんの体に両側から寄り添うようにして寝転がる。この二匹は、レイナの精霊である。ただのペットではない。
 二匹は寒い日、レイナの娘が凍えないように一緒に添い寝をしてくれる。赤ん坊の部屋に暖炉を置くのは、危険が伴う。レイナの生まれ故郷ならまだしも、便利な電気機械のないこのベルフォード王国では冬になると暖炉による火事がたびたび発生する。
 そのため、レイナは自分が添い寝しない日はこうして、精霊たちに娘のお守りをしてもらっていた。精霊は抱き上げると温かい上、娘が寝やすいように体温を保ってくれているようだ。夜中にぐずることがあればすぐに知らせてくれるのも、有難い。

 レイナは腕を伸ばし、娘の額に掛かる髪をそっと払いのけた。ちいさな、ちいさな体だ。
 こんなちいさな体でも、一生懸命生きている。そろそろ掴まり立ちができるようになり、今日も何度も転びそうになりながらテーブルに掴まって立ち上がろうとしていた。その光景を思い出すと、思わず笑みがこぼれそうになる。
 レイナに撫でられて、赤ん坊も夢の中でにっこり微笑む。楽しい夢を見ているのだろうか。ふくふくとした右手が近くにあったトラ猫精霊の尻尾を掴み、にぎにぎしている。トラ猫はちらとそちらを見ただけで、すぐにまた体を伏せてしまう。赤ん坊に乗っかられたり尻尾を掴まれたりするのにも、慣れていたのだ。

 レイナはそんな精霊たちに、心の中で呼びかける。

『ミーナ、ティル。いつもの、お願い』
『はいよ』
『了解。席外そうか?』
『そうね……ちょっと続き部屋に行っててくれる?』

 レイナの頼みを受け、二匹の精霊はベビーベッドから飛び降り、すたすたと続き部屋の方に行ってしまった。あちらに二匹用の猫ベッドと鳥ベッドを置いているのだ。

 精霊たちがいなくなってから、レイナは何度か、発声練習するように声を出してみる。
 そして、眠る娘の頬を撫でながら口を開く。

 ゆったりとしたリズム。
 決して大きな声ではないが、愛情と優しさに満ちた歌声。

 レイナは、歌を歌っていた。
 眠る娘のために、子守歌を。

 他の母親と大差ない行動だが、唯一違うのは、彼女が歌う子守歌の内容。
 おそらくこの場にどのベルフォード人がいても理解することができない、不思議な言語の歌。
 遠い遠い、レイナの生まれ故郷の子守歌。








 レイナは三年近く前に、この世界にやってきた。
 それまでの彼女は、地球という星の日本という国で生活する学生だった。
 女神の導きによってベルフォード王国に降り立ったレイナは、長い冒険と葛藤の末、こちらの世界に留まることを選んだ。そして、当時恋人だった夫と結婚し、娘を生んだ。

 レイナはこの世界の人間ではないので、通常ならばベルフォード王国を始めとした諸国の共通語を喋ることはできない。そのためレイナが契約した精霊たちが媒体となり、レイナと他の人間との言語コミュニケーションが円滑に行えるようにしてくれていた。

 今、レイナは精霊たちに頼んでその媒介をやめてもらっている。
 そして、自分の他の喋る人が誰もいない故郷の言葉――日本語で、娘のための子守歌を歌っているのだ。

 数ヶ月前から、レイナは日々の習慣であるかのように、日本語の子守歌を歌っている。夫がいれば怪しまれるだろうから、夫の帰りが遅い日だけ、こっそりと歌っている。
 純ベルフォード人と言って過言ではない髪の色と容姿を持った娘。だが娘の漆黒の目を見ていると、ときたま胸が苦しくなるのだ。

 決心したのに、故郷が恋しくなる。

 だから夫には秘密でこうして、夫にも理解できない言葉で子守歌を歌うのだ。
 かつて、レイナの母親が歌ってくれた子守歌を。







 レイナはドアに背を向けて子守歌を歌っていた。全部で三番から成る歌だが、ひとつひとつが短いので何度も繰り返し歌う。

 ――いつもならば夫が帰宅すれば精霊たちが教えてくれるのだが、今日はなぜか、教えてくれなかった。

「レイナ?」

 ドアが開く。レイナはびくっと身を震わせ、振り返る。
 外出用のコートを脱いだだけの夫が、そこに立っていた。しまった、とレイナは顔を歪める。残業で疲れた夫のために、いつもなら帰ってくるまでにキッチンで夕食を温め直すのに。

「ごめんなさい、今すぐご飯を……」

 言ってから、レイナは息を呑む。
 精霊たちの通訳機能を解除したままだった。案の定、夫はレイナを見て怪訝な顔をしている。レイナが日本語しか喋れないので、意味が理解できていないのだ。
 急ぎレイナは続き部屋にいる精霊たちを呼ぼうとしたが、それより夫の方が行動が早かった。

 彼はレイナの状況を把握したのだろう。頬に笑みを浮かべ、緩く首を横に振る。精霊たちを呼ばなくてもいい、ということだろう。
 夫の真意を測りかね、レイナはその場で中途半端な姿勢のまま、立ちつくす。夫はレイナの隣に立ち、歳を取ろうとも変わることのない美しい笑みを浮かべた。

「レイナ、イ、ジオ、ディ、ペル、チェ?」

 案の定、固有名詞以外は意味が分からない。レイナは肩をすくめるが、夫は構わず、視線を眠る娘の方に向けた。
 そして、口を開き――

「……え?」

 レイナの唇から、あっけにとられたような声がこぼれ落ちる。
 どうして、なんで? と漆黒の目が夫を凝視する。
 夫は横目で妻を見、いたずらっ子のようにちいさくウインクを寄越した。そうしている間も、彼は――歌うのを、やめない。

 純ベルフォード人で、レイナの故郷の言葉が理解できない彼。
 だが、今の彼は歌っている。
 レイナの故郷で作られた子守歌を、たどたどしい声で。

「ヴェイン様……?」
「レイナ」

 互いの名前しか伝わらない状況だが、夫婦は見つめ合った。じわじわと、レイナの胸から熱いものがこみ上げてくる。

 夫が、子守歌の二番を歌う。
 レイナは真面目な顔で歌を歌う夫を見、そっと唇に音を乗せた。
 レイナのアルトボイスと、夫のテノールボイスが溶け合う。

 やはり異国の歌は歌いづらく、三番全てを覚えられているわけでもない夫は所々つっかえたが、その度にレイナがリードし、掬い上げる。

 胸が、熱い。痛い。
 身に馴染みのない歌を一生懸命歌う夫が、愛おしい。

 三番まで歌い終えると、夫が続き部屋に向かって手招きした。精霊に通訳を頼め、ということだろう。
 すぐにレイナの体にベルフォードの言語機能が戻ってくる。レイナは夫を見上げ、おずおずと口を開く。

「……お、お帰りなさいませ、ヴェイン様」
「ただいま、レイナ」

 そうして夫はレイナを抱き寄せ、ただいまのキスをする。日本の家庭で育ったレイナにとってはややこっ恥ずかしい挨拶だが、結婚して二年目の今は、だいぶ慣れてきた。

「……あの、さっきの歌ですが」
「……ああ。俺、間違えずに歌えていた?」

 夫は眉を垂らし、心配そうに問うてくる。近衛騎士団でバリバリ働く傑人とは思えない、不安げな眼差しだ。
 レイナは急ぎ首を縦に振る。

「ええ! ……びっくりしました。その、まさか聞かれていたとは……」
「……そうだな。歌詞の意味はよく分からないのだが、レイナがリーナのことを想って歌う子守歌なんだろうとは、すぐに分かった」

 そう言って夫はすやすや眠る娘を見つめる。
 家族ぐらいにしか見せない、甘くて優しい笑顔で。

「……レイナを驚かせようと思って、ずっとこっそり練習していたんだ。歌はそれほど苦手ではないのだが、いかんせんおまえの母国語は発音が難しい。……空き時間に詰め所で口ずさんでいたから、部下たちにはたいそう気味悪がられた。変な宗教にはまっているのではないかと、病院に連れて行かれそうにもなった」
「……そうなのですか」

 胸が熱い。
 胸だけではない。顔が熱くて、目尻がじわじわと燻ってくる。
 嬉しい。
 これ以上もなく、嬉しい。
 ぽたり、と熱い滴がベビーベッドの毛布に落ちる。

「……ヴェイン様……私、今、ものすごく幸せなのです」
「レイナ……」
「旦那様がいて、娘がいて……私の気まぐれだったのに、リーナのために一緒にあの子守歌を歌ってくれて……嬉しいんです」
「よっぽど思い入れのある歌なんだな」
「はい……母が教えてくれた歌なんです。その、もし私に子どもが生まれたなら、母のように歌ってあげたいと思っていて……」

 レイナの娘は、母親の故郷を知らない。教えたとしても、そこがどんな場所なのか、実際に目で見ることは叶わない。
 レイナも、娘が日本語を喋れるようになることまでは望んでいない。この世界で生まれ、暮らしてゆく娘には不要の言語だから。

 それでも、自分のささやかな願いを叶えたかった。
 たとえ、娘にその歌詞の意味は分からなくても。

 夫はレイナの言葉を聞き、ふと不安になったのか眉を寄せた。

「……その、俺がその思い出の歌を歌って、よかったか? 正直下手くそだったろうし……」
「とてもよかったです。旦那様と一緒に故郷の歌を歌えるなんて……これ以上ない、プレゼントです」

 遠い遠い日本。
 二度と帰ることのない故郷。

 異世界人であるレイナを受け入れ、愛し、守ってくれた夫。
 肉親のいないレイナに、家族を与えてくれた夫。

「……愛してます、ヴェイン様」

 もう一粒だけ涙をこぼし、レイナは自分にできる精一杯の笑顔を向ける。

 大好きです、幸せです。

 夫も、レイナの体を抱き寄せて腕の中に閉じこめる。夫の胸元からは、外の匂いがした。

「……俺も、愛している、レイナ」

 胸が、暖かい。
 愛おしい、幸せ。

「……その、もう一度、リーナのために歌ってやらないか? ミーナとティルには外してもらって」

 夫が遠慮がちに申し出る。レイナはすぐさま頷き、精霊たちにお願いして言語機能を外してもらう。

 レイナは、歌いだした。すぐさま夫も唱和する。
 優しい、暖かい、子守歌。

 ありがとう、幸せだよ。
 その想いを込めて、夫婦は愛おしい娘に贈る子守歌を歌った。
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