第四章 異世界その2 第二部 拳と少年 その1
沙紀の怪我はガイアの診断どおり、三日目にはすっかり完治した。
沙紀は最初の頃は全く喋ろうともしなかったが、治療をしながら診療所で過ごすうちに少しずつ心を開き始めたのか、傷がよくなる頃には少しだけだが龍也達と話すようになっていた。
結局大事を取って、いよいよ出発となったのはそれからさらに二日経ってからのことだった。
「それじゃあ、気をつけて行きなさい」
ガイアの言葉に、二人はうなずいた。
共に服はガイアからもらった子供用の服に着替えている。特に沙紀の方はその格好のままじゃいろいろ不便だろうという事でガイアが用意してくれたのだった。
麻か木綿のような素材で織られた衣装で、これがなかなか着心地のよい物だった。一見すると粗末に見えなくもないが、意外とデザインにも凝っていて龍也の方はグリーン、沙紀の方はピンク色に染めあげられている。服の紋様はガイアによると、この地方に伝わる伝統的な紋様で、子供を危険から守る魔よけの効果があるらしい。
またガイアは、靴を持っていなかった沙紀にはサンダルも用意してくれた。丈夫な皮か何かで作られたサンダルだが、花の形の飾りつけなどが施してあって、ちょっとかわいらしい。沙紀の少ない言葉では、どうやら履き心地もかなり良いらしい。
さらに二人の背中には二人の世界でリュックのような形状の袋が背負われている。
これもガイアが用意してくれた物で、中には食料や寝袋、ランプにナイフなど旅に必要な物がいろいろと詰められている。
見ず知らずの自分達にここまでしてくれるなんて、と龍也は思って訊いてみたが、ガイアからは、
「儂らにとって守護者様は神にも等しい存在なのじゃ。その守護者様が遣わしたお前さん達は、言うなれば"神の使い"じゃ。"神の使い"に礼をつくさぬ理由はないわい」
という答えが返ってきたのだった。
自分達が"神の使い"、というのもなんだか過大評価されているようでこそばゆい感じだったが、長い旅にそれなりの準備は必要だ。なので、ここはありがたくそれを受け入れる事にしたのであった。
重ねてガイアに例をいい、二人は計五日を過ごした診療所を後にした。
まずは村の中心に下りる一本道を下っていく。そこから広場を抜けて村を突っ切ると北へ向かう道に出る、とガイアは言っていた。
村の中心に近づくに連れ、二人の緊張は少しずつ高まっていく。
暮らしているのはみんな獣人なのだ。人間の龍也達をみてどんなリアクションをとるかわからない。
事によると取って喰われ――はしないだろうが、下手に因縁等をつけられでもしたらヤバいし――。
そうこう考えている内にも村の中心に少しずつ近づいていき、両サイドには沙紀を探しにいった時に山の頂上から見えた畑が広がっていく。
山の頂上といえば、頂上の岩場についても分かった事があった。
診療所に滞在している時に、ガイアと共に再び裏山の頂上に向かった事があった。
その時に聞いた話だと、あの岩場は村の共同墓地だったらしい。
つまり、ごろごろしていた岩の塊はいわゆる墓石だったわけだ。岩の周りに生えていた花も、生えていたのではなくて村人によって供えられた物だったという事になる。
その上でよく見ると、遠目では分からなかったが岩肌には一つ一つ名前が刻まれているのが確認できた。
見た事のない記号のような文字だったが、なぜか読む事ができた。ガイア曰く『守護者様のお力じゃろう』とのことだった。
改めて両サイドに広がる畑を見回す。
畑には龍也達の世界でいう麦のような植物が所狭しと植わっている。
少し違うのは穂が七色に光っている点だろうか。ガイアによるとこの植物は"ドル"といい、獣人――特に草食族達の主食となっている植物なのだそうだ。
滞在中二人もドルから作ったパンのような物を食べさせてもらったが、龍也達の世界のパンよりもかなりもっちりしている感じだった。
背の高いドルの隙間に、数人の獣人の姿が見え隠れしている。
龍也達は彼らに気づかれないように、静かに広場へと向かって歩いていった。
広場に近づいたとき、いきなり右手の家から獣人が現れた。とっさのことで身を隠す暇もなく、龍也と沙紀はその獣人と鉢合わせしてしまう。
一瞬緊張が走ったが、馬の顔をした獣人は特に驚く様子もなく気さくに話しかけてきた。
「あんれ、お前達ガイアんとこに来たっちゅう星人だか? そンか、とうとう旅立つンか。あンな、広場の向こうの道さ真っすぐ真っすぐ、三日ほど歩いてきゃあノアの町だべ。ただ、途中の山道にゃ山賊がでるで、気ィつけるだよ。特に夜は山道には入らんようにするだぞ。んだば、気ィつけてな」
そう言って片手を挙げながら畑の方へと歩いていった。
どうやら、村人にはガイアの口から龍也達が星人である事を告げられているらしい。
二人は胸をなでおろし、馬の小父さん(声からすると、だが)に手を振って広場の中へと入っていった。
広場を抜けて北へ伸びる一本道に入る。出口付近で今度は犬の顔をした獣人と会い、馬の小父さんと似たような事を言われた。
一本道は草原の中をどこまでも伸びている。
三日ほど歩けば次の街――、馬の小父さんは確かそう言っていたっけ。
獣人の足で三日だから、龍也達の足だと一日余分にみた方がいいだろうか。
女の子の沙紀を気遣って、少しゆっくりめのペースで道を歩いていく。広大な草原なのか、歩いても歩いてもあまり代わり映えはしない。まるでアフリカの大草原の真ん中を歩いているような感じだ(本当に歩いた事はないが)。
時々この世界の生き物らしき姿も見かけた。龍也達の世界の生き物とは結構違っていて、歯の生えた鳥だの、羽毛のような毛を生やした水牛みたいなのの群れだのが草原の中を動き回っている。
沙紀は黙って龍也にくっつくようにして歩いていたが、龍也がいろいろ話かけてやるうちにだんだんと落ち着いたのか、少し話し返してくるようになった。
草原の中を進む道は、まだ先がかすんで見えないくらいまで伸びている。
途中何度か休憩を取りながら進み、歩いて行くうちにだんだんと日が暮れてきた。
夕焼けはこの世界も龍也達の世界と同じように美しく赤い輝きを放っていた。地平線に沈む夕日は赤く輝き、最後のひと照らしをこちらへと降り注がせる。
これから日が暮れてくると歩くのは危険になってくる。
龍也達は近くの木の下で野営して一夜を明かす事にした。
木の周りに落ちていた枝を拾い集めて火を起こす。夜の帳が降りるに従ってたき火の炎は明るさをましていく。
「今日はどのくらい歩いたかな――」
龍也はなんとなくそう言った。
美南以外の女の子と二人きりになるのは初めてである。――というか、女の子と二人だけで夜を過ごすこと自体中学生になったばかりの龍也にとっては初めての経験である(もちろん沙紀の方もだろうが)。
なので、なんとなく沈黙が気まずく感じたのだった。
沙紀は特に何も返事はしなかった。
龍也の方も別に返事を期待していたわけではなかったので、続けて一人事のように喋っていく。
「まだ馬のおっさんの言ってた山は見えないな――。あとどのくらいなんだろうな――」
沙紀は黙ってたき火の炎を見つめている。
「キャンプファイヤーとか好き?」
思い切って話題を大きく変えてみた。
沙紀は何も言わなかったが、かすかに首を横に振ったように見えた。
どうも難しいな――。
「親父やお袋、どうしてるかな――」
これは自分自身にも問い書けた言葉だった。
が、沙紀は思いがけず、そして思いも寄らない反応を示したのだった。
「――から」
かすかにそう聞こえたような気がした。
「え?」
龍也は思わず訊き返した。
沙紀は消え入りそうな声で呟いた。
「いない――から」
今度はそう聞き取れた。
いないって――。
いや、聞くまでもなくそういうことだろう。
『パパもママもいないから』
つまり、何らかの理由で沙紀には両親がいない、ということだ。
この状況でそれ以外にはありえない。
どうやら藪蛇――というか、地雷を踏んでしまったらしい。
「――悪ぃ」
龍也はそう言うのが精一杯だった。
無理にフォローしようとすれば余計に地雷を踏んでしまいかねないし、その気持ちを本気で理解する事は龍也には不可能だと感じていたからだ。
場の空気が重く澱んでいくような気がした。
龍也も沙紀もそれきり言葉を発する事はなかった。
そして夜は更け、二人は眠りについた。それぞれいろんな思いを抱えながら。
まだ旅は始まったばかり、この先どうなるかは誰にも分からない。
今はただ、明日に備える事しかできない。それを積み重ねていくしかないのだから。
寝息をたてる二人の上で流れ星が静かに尾を引いていた。 |