第三章 次の四人 第一部 五人目 安住 龍也(あずみ たつや) その2
翌日――。
龍也はいつも通り早めに登校して"隔離部屋"に入った。
する事もないので、しばらく部屋の中でうたた寝させてもらう事にする。
しばらくウトウトしていると、部屋の扉がガラガラッと開いてひとりの男性教師が入って来た。
髪を短く借り上げた若い教師は、そのまま部屋の真ん中まで進み、ぽつんと置かれた椅子に腰をかけた。
「吉永先生、まだ始業前なのになんか用っスか?」
龍也は顔を上げて言った。
彼は龍也達学年を受け持つ若手の教師である。独身という気軽さからか、それとも今風の若い考えを持っているからなのか、最後まで龍也に味方して、学校に抗ってくれた唯一の教師だった。
吉永は煙草を一服つけると、改まった口調で言った。
「安住、お前水野と何か話したのか?」
「別に」
と、龍也は言った。
「向こうはおせっかいに話しかけてきますけどね。俺は言われた通り話なんかしてないっスよ」
たとえ嘘だったとしてもそう言わないと美南に迷惑がかかる。
「そうか」
吉永は少しためらいがちに言った。
その言い方が妙に龍也の心に引っかかる。
「美南――水野に何かあったんスか?」
吉永は背を向けて、窓から外の方を眺めながら、ゆっくりと切り出した。
「実は――、水野の事なんだが――」
「まさか――」
心の中で言ったつもりが声になっていた。
「そのまさかだ。今朝の職員会議で"隔離"が決まった。俺も食い下がったんだが――、校長は"隔離"中のお前に何度も放しかけているのが気に入らないらしい。それと――」
吉永は振り向いて言った。
「俺は今日付で異動する事になった」
異動――この場合公立校の職員だから別な学校に配置換えということか――。
「赴任先は廃校寸前の地方中学らしい。――ま、いわゆる左遷ってやつだな」
「それって――、"飛ばされる"ってことスか?」
龍也は思わずそう聞いた。
美南だけでもショックなのに、吉永まで――。
吉永は龍也の頭をポン、と叩くと諭すように言った。
「勘違いするなよ。べつにお前のせいじゃない――断じてな。俺は赴任以来ずっと生徒側に立って学校の上層部やPTAの偉いさんと対立してきたからな。ずっと校長共から疎まれてたんだよ。そのために今度の一件を利用しただけのことさ。――お前の事がなくたって、いずれ俺は飛ばされてたのさ」
吉永は懐からラークの箱を取り出すと、一本取り出してくわえ火をつけた。一服して煙を吐き出すと、ラークの箱を龍也に向かって突き出した。
「吸うか?」
「って、俺中学生なんスけど」
少し呆れて龍也は言った。
どうもこの吉永という教師からは危機感とか緊張感とかいうものが感じられない。――いや、努めてそのように振舞っているからなのか。
「冗談だよ。お前が陰でコソコソ飲んでるような連中の仲間じゃ無い事はよく知ってるさ」
そう言って軽く笑うと、吉永はラークの箱とライターを再び懐にしまった。
そして再び一服すると、真顔になって龍也の顔をまっすぐ見つめ、そして言った。
「なあ、安住。お前の一番いいところは何事にもまっすぐなところだ。そのまっすぐな気持ちを忘れるな。戦って戦って、戦いぬけ。そしてお前なりの結果を出せ。お前ならできるはずだ」
吉永はポケットから紙片を出すと、それを素早く龍也の制服のポケットに押し込んだ。
龍也が何か言おうとすると、吉永は口元に手を当ててそして言った。
「俺の電番とアドレスだ。何かあったら遠慮なく連絡しくれ。俺はこの学校にはいられないが、できる限りお前の力になる」
吉永は龍也の肩に手を置いた。力強い感触が龍也の肩に伝わってくる。
その時、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
「吉永先生――、やはりここにいらっしゃいましたか」
生活指導の堂坂だ――。
校長の腰ぎんちゃく的存在の中年教師である。
「そろそろ一限目が始まりますぞ。こんな"不良"なんぞに構ってないで、はやく教室に向かわれたらいかがですかな?」
堂坂はいやみったらしい口調でそう言った。
吉永はいい返す事もなく、ただにこやかに堂坂に向かって笑いかけた。
「これは失礼しました。では、私はこれで――」
そう言うと、さりげなく龍也にウィンクをして吉永は部屋を出て行った。
堂坂はその後ろ姿を黙って見送ると、舌打ちを一つした。明らかに苛立っているようだ。
首を一階大きく回すと、ずかずかと龍也の方に近寄ってくる。
堂坂は龍也の顔を覗きこむと、嫌味な笑みをたたえて言った。
「ふん、クズはクズ同士がお似合いのようだな」
龍也は少しムッとして、堂坂の顔を睨み返す。
堂坂は龍也の視線を全く気にすることなく、勝手に話を続けていく。
「『生徒の立場も尊重すべきだ』などと抜かしおって。勘違いも甚だしい。規則が厳正に守られてこそ、秩序があってこそ学校という場所は成立するのだ。一分の例外も許されん。お前のような"不良"は排除されて然るべきなのだ」
腹立たしかった。正直堂坂の語る持論等どうでも良かった。
ただ、見た目だけで"不良"呼ばわりされたことがどうにも耐えがたかった。
「大体私の学生時代など、男子は全員丸刈りで髪形もくそもなかったもんだ。そこへいくと今のチャラチャラした子供どもはどうだ。年に合わんような髪形をしたやつや、お前のように"髪の毛を染めた"やつもいる。実に嘆かわしい。もっと年相応の髪形や服装をさせればいいのだ。私らの頃のようにな」
丸刈りが年相応かどうかは知らないが、俺の髪は地毛で染めた事なんか一度もないっての――。
どうせ龍也への当てつけでいっているのだろう。この男はいつだってそうだ。生徒を押さえ付ける事にしか興味がないというやつだ。
「吉永の奴も、水野だっけ――? あの女子生徒も莫迦な連中だよ。お前のような"不良"をかばい通そうとするんだからな」
その言葉で龍也の中の何かが切れた。
「まさか――、あんたが水野を――」
龍也の言葉に、堂坂はいっそう嫌味な笑いを浮かべる。
「そうとも。お前の"隔離"を撤回しろとしつこく迫ってきた上に、今朝は署名活動まで始めおったからな。私が校長と教頭に進言した。ついでに吉永の左遷もな」
この――。龍也は堂坂を睨みつけた。
堂坂は鼻で笑うと言った。
「私を恨むか――? だがな、それはお門違いというものだ。考えてもみろ――、彼らがこうなったのはそもそもお前が学校の規律に従わんからだ。お前が詰まらん意地を張らずに学校の規律に従っていればこのような事にはならんかったのだよ」
たしかにある意味正論である。それだけに龍也はいい返す事ができなかった。
「まあ、ゆっくり考えるんだな。つまらん意地を張り続けるか、それとも大人しく規律に従うか――。まあ、どちらを選んだ所でもう遅いだろうがね」
そう言ってひとしきり笑うと、堂坂はイヒイヒ笑いながら教室を出ていった。
龍也は拳を握り締め、必死で怒りをこらえていた。
ここで手を出せば確実に"不良"のレッテルが貼られてしまうと、龍也には分かっていたからだ。
あんな下種男の手で――、そして自分のせいで吉永と美南にまで危害がおよんでしまった。
吉永は『お前のせいじゃない』と言ったが、今の龍也には気休めにしかならなかった。
悔しさが体の隅々まで染み渡り、全身からにじみ出そうになってくる。あの堂坂に憎しみすら感じる。
しかし、今の龍也にそれを跳ね返すだけの力はない。そんな力があればとっくに現状を打破している。
くそったれ――!
龍也は心の中で吐き捨てると、乱暴にポケットに手を突っ込む。
先ほど吉永に押し込まれた紙片に手が触れる。そしてもう一つ――。
なんだこれ――?
手に振れた"それ"を龍也は拾いあげる。
それは、昨日帰りに拾ったあのメダルだった。
確かに捨てたはずなのに――。龍也は訝しげにそのメダル上のプレートを覗き込む。
表面にはやはり噴水のマーク。間違いなく昨日拾ったアレだ。
龍也は何気なくそれを手の中でもてあそんだ。
一体誰が何のために龍也のポケットに、それも龍也の気付かぬうちにしのばせたのだろうか。
吉永先生か――?
だけど、このメダルの事は誰にも話していないし、あの時吉永は確かに紙片以外のものは持っていなかった。
一体何なのか全くわけが分からない。
龍也はやがて、メダルをテーブルに無造作に放り出そうとした。次の瞬間――。
メダルがまばゆく輝いた。おもわず龍也は目を塞ぐ。
まるで太陽を直接眺めたかのような激しい光。それがメダルから放出されているのだ。
光は部屋全体を包みこみ、部屋自体を一つの光の塊へと変えていく。
そしてまばゆい光が消えた時、龍也の身体もいずこかへと消えていた。
風に揺れるカーテンだけが、何事も無かったかのようにその場にたたずんでいた。 |