紅の桜縦書き表示RDF


後書きまで読んでいただければ幸いです。
紅の桜
作:七紀


本当の幸いとは一体何なのだろうか?
僕の幸いは姉さんだった。
優しくて、綺麗で、自慢の姉さん。
春が近づくにつれ、最近の僕はそればかりを考えていた。
山の奥にある秘密の場所。姉さんとの約束を守るために僕は今歩いている。
―――姉さんがいなくなってから、ちょうど一年経った日のことだった。







  紅の桜







姉さんはちょうど一年前、僕ら家族の前から姿を消した。
黙ってどこかへ行くような人ではなかったから、当時はちょっとしたニュースにもなり、近所に騒がれていたのは記憶に新しい。
両親は今日も駅前で姉さんの写真が写されたビラを配っている。
僕はサボって登山中だ。
といってもそうたいした高さがある山ではないので、あそこにはすぐに着くだろう。


姉さんと僕はとても仲のいい姉弟だったと思う。
喧嘩なんてしたことはなかったし、母さんが買ってきてくれるおやつも二人で仲良く半分個にしていた。
怖い話が大好きでいつも僕にそんな話を聞かせてくれるのだけれど、僕が涙目になったときにはぎゅーっと抱きしめて、ゴメンネと柔らかい笑みをくれた。
母さんは同級生の友達と遊ばずにいる、姉べったりな僕を心配していたようだけれど、姉さんは懐いてくる僕に向けて嬉しそうに頭を撫でてくれたものだ。
今思えば、それは三つしか歳の離れていない僕への子供扱いだったのだろうけれど、当時の僕はその手の感触がとても嬉しくて、特別なことに思えたのだ。
姉さんが大学に入学してからは、そんなこともなくなったけれど、やはり僕たちは変わらずに仲が良かった。





そこを見つけたのは僕たちが小学生の頃だった。
その頃飼っていた飼い犬が逃げ出してしまい、裏の山にまで探しに行った日だ。
飼い犬の鳴き声に導かれるように奥へ奥へと入っていき、一本だけポツンと立っている大きな桜の木を見つけた。
大きく、そして優美なその存在に思わず圧倒された。
季節外れの雪のようにパラパラと舞い落ちてくる花吹雪と、地に落ちてなおその色を失わない花弁が幻想的な雰囲気を醸し出していて、僕たちはまるで別の世界に来たような感覚を覚えた。
木の根元には大きな窪みがあり、飼い犬はそこに静かに座っていた。
もう鳴いていなかった。
いや、そもそもはじめから鳴いていたのか、疑問を抱く。
そう思わせるほど、知性を感じさせる透き通った瞳が、まるで僕たちをここまで案内させるために逃げ出したのだと言っているようだった。
僕たちは手をつないで二人と一匹が入るには少し狭いその窪みに、肩を寄せ合いながら座り、日が暮れるのも忘れ、しばらく桜に背を預けていた。
ここからの記憶が、一番鮮明に残っている。

「ねえ、綾人。桜にまつわる伝説を知ってる?」

「でんせつ?」

「うん、桜の木の下には死体が眠っているっていうお話」

「……こわいはなしはいやだよ、おねえちゃん」

「全然怖くないよ。このお話は本当はこの桜にも負けないくらいとっても綺麗なお話なの」

「……?」

フフリと笑い、姉さんは口を開いた。


これはね、桜になった女の子のお話なの。
昔、戦争が起こっていたくらいの頃、ある女の子と男の子がいました。
その二人はとても仲が良く、野草の間を駆け回り、色とりどりの花かんむりを作りあい、蜜を吸っている蝶を遠くから驚かさないように見つめたり、村のみんなも頬を緩ませるような愛らしい様子でした。
二人にはお気に入りの場所がありました。
村のはずれに隠れるようにして立っている小さな桜です。
そこは虫も花も動物もひっそりと息を潜めているように静かなところでした。
二人はいつも木陰で横になり、光を反射した小川のような色合いの空に目を向けていました。
幸せで、平和な日々でした。
しかし、ずっと続くと思っていたそんな日に終わりが来てしまいました。
子供だった二人が、ほんの少し大人の色を見せ始めた頃です。
少女は少年に桜の元へと呼び出されました。
少年は哀しそうに、重い口を開きました。

―――戦争に行くことになったんだ。

少女は泣いて、どうしてと問い詰めました。
少年は黙って首を振るばかり、お国の勅令には逆らえません。
ただただ涙を地に落とす少女を、少年は強く、優しく抱きしめました。
泣き声が収まってきたとき、少年は言いました。

―――私は必ず戻ってきます。だからあなたはこの桜の木の下で、私を待っていてはくれませんか。

少年は翌日旅立ちました。少女は涙しません。
なぜなら少年は少女との約束を破ったことが無いからです。
それから少女は雨の日も、風の日も、雪の日もずっと待ち続けました。
一年経って、少年は帰ってきません。
まだ戦争が終わっていないからだと少女は思いました。
五年経って、お国は戦いに勝ちましたが、少年は帰ってきません。
きっと怪我をしたのだろう、治ったらすぐに帰ってくるはずだと少女は思いました。
十年経って、村の景観が少し変わっても、少年は帰ってきません。
村の様子も変わったから道に迷っているのだろう、でもすぐに思い出して、私に駆け寄ってきてくれるはずだと少女は思いました。
それから幾度もの春を迎え、夏が過ぎ、秋が来て、冬が終わっても、結局少年は帰ってきませんでした。
しかし、少女は長い歳月が過ぎて、死の間際になっても少年を待ち続けました。
なぜなら少年は少女との約束を破ったことが無いからです。
村人たちはいつまでも少年を待ち続けていられるよう、彼女の体を桜の木の下に埋めました。
すると、翌年の春、不思議なことが起こりました。
少女の埋められた桜が、淡い桃色ではなく、目にも鮮やかな紅色の花びらをつけたのです。

「少女はね、桜になったの。彼女の体を桜が吸い取る代わりに、少女の魂が桜に宿った。
そして少年が迷わずに自分を見つけてくれるよう、その美しい紅の花びらをつけながら、今でもずっと待ち続けているのよ」

そう言った姉さんの顔が、とても綺麗な微笑をしていたから、きっとこの光景が強く脳裏に焼きついたのだろう。

「また、ここに来ようね綾人」

その日からこの桜は、二人だけの秘密の場所となった。
だけど、ここにくるのは一年のうち一回きりだった。
どちらが言い出した、というわけではなく暗黙の了解で。
だから昨年の今日もここに来た。
今年は少し違う。姉さんが隣にいない。
姉さんは昨年、桜を見た後に消えたのだ。
また来年来ようと、姉さんはいつも最後にそう言った。
だから隣にあの人がいなくても、僕は約束の場所へ向かう。
なぜなら姉さんも言い伝えの少年のように、僕との約束を破らない人だから。





あの日、桜を見つけたあの日と同じ道をたどる。
記憶の中の少年の僕と姉さんが被る。
おいで、おいでと誘い込まれるかのように足が進んだ。
山の中だというのに、虫の声も無く、不思議と静寂が佇んでいる。
野草を掻き分け、花を踏み越え、蝶とすれ違う。
そうして僕の眼に桜が拡がった。



―――ああ。



ああ、と思う。



こんなにも、こんなにもこんなにもこんなにもこんなにも、―――桜が綺麗だなんて。



あの日と同じようで、少し違う光景。
風に吹かれて、宙を滑空する花弁を手のひらで受け止めた。
血のようで、だが決して不快ではない、鮮明な紅色。
桜に近づき、その肌に頬を寄せる。
トクン、と鼓動が聞こえた。
瞬間、姉さんに抱きしめられているかのような錯覚を覚えた。
じわりと涙が出てきて、頬を伝う。

「………ありがとう、姉さん。あなたのおかげでこんなにも綺麗な桜を見ることが出来ました」











一年前、姉さんが消えた。










僕が、殺した。










あんなに大好きだったのに、何故そうしてしまったのだろう。
発作のようなものだったと、一年過ぎた今でもそうとしか言えない。
愚かにも僕は泣いて、罪の意識に囚われた。
涙が枯れるくらいに泣いて、後に残ったのはどうしようもない空しさで、それを自覚して哀しくなった。
全ては自業自得だというのに。
けど、この桜に姉さんを感じ取ったとき、ふとよぎったのだ。
姉さんは待っていたのではないか、と。
伝説の少女のように、僕との約束を守るために、その身を紅に染めて待っていたのだと。
僕の幸いは姉さんだ。
もう傍にはいないけど、やはりそれは、それだけは変わらない。
そっと姉さんから頬を離す。


僕はいつかのように窪みに入り、背を預け、そして瞼を閉じた。















「また、ここに来ようね綾人」

「……うん」

「……ねえ、綾人。
この話を聞いた人はね、結局二人は会えなかったじゃないかって言うの。
もしかしたら綾人もそう思ったかもしれない。
この話の続きは無いから、私たちには会えたか、会えなかったのかは分からない。
でもね、たとえ会えなかったとしても、ずっと少年を待ち続ける少女は本当に儚くて、一途で、とても綺麗だと思うの。
私も大切な人をずっと待ち続けていられるような、そんな人になりたいな。
ね、綾人」


BGMは『One more time One more chance』で。
作品がまた違った印象になるのでは、と思います。













ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




◆BACK
小説家になろう