夜空に祈る
ある日の朝、いつものように騒がしい怒鳴り声がした。
「ディール、また聞いてなかったのか?」
「難しすぎてわかんなーい」
瞬間、レイザの拳がディールの頭にヒットする。
「お前なあ!」
「そんなことはどうでもいいだろ。それより聞きたいことがあってさ、いいだろ、ね?」
レイザの怒り爆発まであと数秒なのだが、ディールは全く構わず聞いてくる。
「お前……」
「聞きたいことがあるんだよー、いいだろー」
こうやって言い始めたらディールは聞く耳を持たないため、仕方なくレイザは頷き、ディールの話を促した。
「やったー! ゼーウェルさんって何であんなに無表情なのかと思ってさー。あれじゃあ怒ってるのか悲しんでいるのか分からないよ」
まあ、それは一理あるかもとレイザは思っていた。
隙を持て余したディールの他愛のない疑問ではあるが、その通りだと感じたのである。
しかし、それを上手く言えなければ伝えることもままならず、彼は滅多に見せない戸惑いを見せる。
「何かあったのかー?」
急に黙ったレイザを心配したディールが気遣うように声をかけると、ハッとしたレイザが気の抜けたような声で答えた。
「ああー……うん、まあ、その通りかなと思ってな」
勝ち気なレイザにしては歯切れの悪い返事だとディールは思ったが、どうやら何か――それはそれは深い話があるようだ。
「……まあ、うん。
ゼーウェルは本当に不思議だったなあって思っててさ。うん、出会った時から」
“奇妙で不思議で寂しい人”
そんなレイザの言葉をきっかけに、他愛のない過去の話が始まる。
****
時は今から三年前になる。
ゼーウェルと出会うまで、俺は荒れた日々を送っていた。
アルディ内でも問題行動が目立ち、遂に俺はアルディから出て行った。
でも、行く宛てもない俺は色んなところに雇われることになる。
そういうのにかなりの需要があって、召使い的なもので雇い主のところに行ったが、結局使い捨てみたく扱われ続けた。
まあ、色事だけは苦手だったけど、他のことは、それこそ善悪問わず何でもしたのに、最後は捨てられる。
――俺は何故孤独なのか。
その理由も俺にはちゃんと分かっている。
自分が強くなることが全てで、一番になるのが当然だと思っていて、そのためなら手段は選ばなかったからだ。
自分の強さを見せ、恐怖心から自分に親しくする奴も崇拝じみた感情でついてくる奴も最初はいたが、やがて離れていった。
いつしかアルディ内で俺を異質な何かのような目で見る奴もいて、気がついたら俺は広い世界に一人取り残されていたんだ。
それが辛くて、アルディからは離れたが、やっぱり人がいないと生きていけなくて俺は色んなことを請け負ったが、用がなくなれば捨てられる。
そんなある日、やっぱり俺は用無しだと捨てられ、それでも何とか生きようと歩いていた。
何とか生きたい、何とかして強くなりたい、誰かとともにありたい。
俺はそう思ったのだろう、生きる希望を見出そうと一心不乱に歩き続けたんだ。
どのぐらい歩いていたのだろうか。
不意に誰かに腕を掴まれ、声を掛けられた。
「おい、大丈夫か?」
バッと振り返ってみると、フードを被ったやつが俺の腕を掴んでいる。
顔が見えず不気味ささえ漂う風貌なのに紡がれる言葉は優しさを感じ俺を戸惑わせた。
「……仕方ないな」 俺が怪しんでいることを知ったのか、そいつはフードを取る。
焦げたような茶髪に表情のない目と感情を表さない淡々とした声が特徴的な男。
そいつの名を俺は知っていた。
「アルディの、ゼーウェル卿?」
アルディのことなんか興味がない俺でも聞いたことがあるぐらい、彼は有名だった。
「何だ、知っているのか」
俺が知っていたことがどうやら意外だったらしく、彼は珍しいものでも見るような目で俺を見ていた。
だって魔術師を志すやつはゼーウェルのことを酷く崇拝しているからな。
大勢のやつが言っていたら嫌でも覚えるものだ。
「お聞きしたことはありますよ」 そう返したと同時に、俺はもう一つの噂も聞いたことを思い出す。
――彼はとても冷酷だと。
何故、彼は冷酷なのか。
昔はよく分からなかったが、直接対面した今なら分かる。
彼には表情もなければ感情も見えないし、声も淡々としていて抑揚がなく、目は人形みたいに光がない。
本当、彼の存在は俺にとってはイレギュラーなんだろうなって。
呆然とする俺を余所に彼は傷の手当てをし、やや強引に彼のところに連れて行かれ、気がついたら本で積み上げられた狭い部屋を寝床として貸してくれたところまで話は進んでいる。
あっと言う間の展開で少し戸惑ってしまったが、何故だか悪い気はしなかった。
今までもどういう意図かは定かではないけど部屋を貸してくれたことは何回かあった。
ゼーウェルが貸してくれた部屋はその中では最も狭かったけど、不思議なぐらい心地良かった。
多分、人がいた気配が、そこで生活している感じがあるからなのもかもしれない。
俺はずっと此処にいたくてたまらなくなった。
ある程度体を休めていると、これも不思議なもので積み上げられていた本の山に興味が湧いてきたんだ。
暇を持て余したと言っても過言ではない。
とりあえず、手近にあった分厚い本を手に取り、それを読むことにした。そうしたのはよかったが、本を開けて数秒も経たないうちに俺は頭が痛くなるのを感じ始めた。
冒頭部分から何の文字が書かれているのか、俺にはさっぱり分からなくて、遂に参ってしまい結局本を読むのをやめた。
「魔法に興味があるのか」
不意にゼーウェルの声がして、俺は背筋が凍っていく感覚を覚える。
理由は他人のものは勝手に見てはいけないのに見てしまったからだ。
今まで雇い主の物に触れると怒られたから、今回もそういうことになるんじゃないかと思ったからだ。
しかし、彼は怒ることもせず「見せようか?」なんて言ったから俺は言い知れぬ高揚感と何とも言えない気持ちを覚えたが、終いには好奇心まで湧いてしまい、気がつけば頷いていた。
「……」
それを見た彼はゆっくりと人差し指を出した後、目を閉じた。
「……!」
ある程度時間が経つと、彼の人差し指から赤く小さな炎が浮かび上がり、徐々に大きかった。
「おお……」
思わず感嘆の溜め息を漏らしたのを見た彼は指先の炎を消し、俺の方を向いた。
「まだ初歩的なものだが」
余裕そうに言ったのはいいが、熱くないのかと純粋な疑問を持つ。
ゼーウェルは俺が魅入っていることに気付き、また聞いてきた。
「魔法がそんなに不思議なものか?」
「……」
勿論、俺は大きく頷いた。すると彼は続けてこんなことを言った。
「別に特別な力ではない。お前にだって使える力だ。そもそも魔法の根本的となることを知らないのか」
そんなもの知るわけないだろう。俺はそんな視線をゼーウェルに向けると、彼は言った。
「魔法は呪文を唱えることで発動する。それは知っているだろう? しかし、よく考えてみると魔法は人の口から出た言葉だってことがわかる。ただ、傷ついた、癒された、そういった目には見えない力を見えやすいようにしたまででな」
その話を聞いて、やっぱりおかしいやつだと思った。
だって、俺の知らない力を使いこなしているじゃないか。魔法なんて誰にでも使えるようなものじゃないのに。
「言葉は両刃の剣だ。相手を傷つけることも出来れば癒やすことも出来る。それに、何気ない言葉を発しただけで人を殺すことだって可能だ。強さを求めるお前なら、それぐらい難なく使えるだろう?」
――何で分かったんだ。
初めて会っただけなのに、俺が強さを求めていることを何で分かったんだろう。
「当たりか? お前は強さを得るためなら手段を選ばない。そういう目をしていたよ」
俺の考えだけでなく、俺が知らない部分まで言ったこいつはとても。
「しかし、今のままでは何れお前は痛い目を見る。お前の得たい強さは独りよがりなものだからな」
ゼーウェルの言葉が俺に突き刺さる。しかし、情けないことに俺は彼に反論が出来なかった。
どうして言い返せないのかと色々考えてみたもののやっぱり分からないままだった。
「……レイザ」
何も言えないでいた俺の名前を不意に呼んだものだから、俺はどうしたらいいかわからないでいた。
「勘違いしないでほしいのだが、強さを求めることは悪いことじゃない。むしろそれが普通だと思う。ただ、それだけでは強くなれないがな」
俺はまたしても何も言えなかった。
ただ、ゼーウェルの言う強さって何だろうと考える。
きっと、それさえ分かれば俺は強くなれるし認めてもらえるような気がするんだ。
「今は力の使い方を知らないだけで、お前なら誰よりも強くなれる。少なくとも私はそう思っている」
確信めいた言葉に押され俺は頷く。
こいつの、ゼーウェルの言葉は俺を納得させるだけの力がある。出来ると言われたら出来るし、出来ないと言われたら出来ないし。
そう考えるとやっぱりおかしいやつだと俺は思った。
****
ゼーウェル、不思議なやつ。
彼と出会ってからは月日の流れが早いなと感じてしまう。
でも分からないのはゼーウェルのことだった。
彼はとても不思議で、怒ることも悪うことも泣くこともしないから、正に“無”そのものだった。
それだけならいいのだが、彼が紡ぐ言葉は力強さと優しさを同時に持ち合わせていて、難しい話もスッと胸に収まる。
あらゆる意味で不思議なやつ。でも、やっぱり俺はそんなゼーウェルのことが知りたいと思った。
しかし、彼がなかなか自分を見せないから焦れったくなる。
彼の表情と話す言葉があまりにも合わなくて俺は益々混乱する。
だから、だからもっと知りたくなる。
「……ゼーウェルはどこに行ったんだろう」
魔法についての話を聞いた後、疲れた体を休めていたのだが、気がつけばもういなかった。
(どこにいったのだろう)
人がいなくなると寂しくなるなんておかしくて笑ってしまった。
一人は慣れていた筈なのに、寂しいだなんて。
(探しに行こう)
もしかしたら迷惑かもしれない。
そもそもの話、どうして探しに行く必要があるのだろうか。
(早く、早く)
でも、何となく。
これって直感なのだろうか。
ゼーウェルを探さないといけないって誰かが言っているような気がして。
謎の不安にかき立てられるように俺はゼーウェルを探しに向かった。
****
外に出てからずっとゼーウェルの姿を探している。
今は真っ昼間らしく、太陽がとても眩しい。そんなことを考えながらレンガ造りの建物が連なる小さな街を歩く。
どこを探しても見当たらなくて焦り始めた時。
(……ゼーウェル?)
街の片隅でゼーウェルと誰かが言い争っている。
彼と向かい合っているやつもゼーウェルと瓜二つで俺は軽く錯乱状態になっている。
もっと話が聞きたくて俺は出来るだけ二人に近付いた。
「……お前、それは本気か?」
どこか嘲るような声。
「……悪いか」
対するゼーウェルは苦々しい様子で返答する声が聞こえた。その数分後だった。
鼻で笑うような声が聞こえたのは。
「悪くはないさ、ただただおかしいだけで」
傍から見ればただの世間話をしているように見えるのだろうが、俺には気になって仕方なかった。
何だろう。なぜ、彼はこんなにも――。
考えているうちにゼーウェルを嘲っているやつは最も理不尽な言葉を彼に向かって放った。
「しかし、目障りだ。弱いくせに、俺と戦おうなんてな」
――え?
俺の頭の中は真っ白になる。
敵対しているのか、今向かい合ってるやつと。
それは分かったけれど、でも分からない。
「お前、覚悟しておけよ」
一言も発しないゼーウェルを見て気分をよくしたのか、そいつはその言葉で締め、去っていく。
ゼーウェルは相変わらず黙ったままで、俺の方に向かって歩いてくるのが見えた。
「……レイザ」
「!?」
「気付かないとでも思っていたのか? それにしてもお前らしくないな」
どうやら俺がいたことに気づいていたようで、もしかしたらそれに配慮したのかもしれない。
「ゼーウェル……闘うって?」
うまく頭が回らない中、心の中に渦巻いていた疑問がポロリと出た。
聞くつもりはなかった。それなのに聞いてしまうなんてどうかしてる。
自分でもよく分からないけれど、あいつは間違ってると思うのは何故だろう。
「レイザ……」
ゼーウェルがこんな風に自分を呼ぶのは初めてかもしれないと思っていたら、体が何かに包まれているのを感じた。
抱きしめられていると知るまで少し時間がかかったのだが。
どうすればいいのか分からなくて、ただ突っ立っているとゼーウェルが話し始めた。
「どんな形であれ、いつか人は死ぬ。私の場合は多分、奴に負けて死ぬだろう」
悲しげな言葉。
どこか辛そうにそれを言うゼーウェルの背に俺は腕を回そうとするが回せなかった。
「本音を言うのは簡単で、本当は戦って死にたくない。しかし、どうにもならないこともたくさんある」
諦めたような口調で話す彼に、俺は無性に叫びたくなった。
それを察したのか、ゼーウェルはぽつりと言った。
「でも、お前は若い。あまりにも若すぎる」
そこで彼が離れ、ゆっくりと歩いていく。
「帰るぞ、レイザ」
彼に言われ、俺もゆっくりと歩き出した。
――俺が何とかする。
それを言いたかったけれど、彼を抱き締める力もない俺には言えなかった。
****
「それからのことは分かるだろう」
ゼーウェルによってディールと出会ったことと、更に数日後の今日は彼がフィリカに行ったこと。
「ねえ、レイザ」
彼の後を追ってフィリカに行こうと言ったディールが言葉を発する。
「今なら言えるだろ?」
あの時は言えなかった、何とかするという言葉、きっと今なら言える。だからレイザは答える。
「ああ」
躊躇いもなくはっきりと頷いた。
それを見たディールは笑顔で「じゃあ大丈夫だよ」と言ったのでレイザももう一度頷いた後、思い出す。
「あ、ディール」
「なあに?」
機嫌のいいディールには悪いとは思ったものの、これもどうにもならないことだと考え、彼に言った。
「勉強を再開しようか」
――それを聞いたディールが喚いたのは別の話。
そんなことをしているうちに夜の闇は更に深くなっていく。
しかし、明けない夜はないからこうやって祈るのだろう。
(無事でいてほしい。俺が追いつくまで)
そしてレイザは願う。
その祈りを、どうか彼の元へ届けてくれないか。
今も独りでいる彼に。
終