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海上都市のユートピア
作者:坂本伊能
――西暦27世紀。
 この頃になると人々は、海を支配する様になっていた。
 貴重な陸地はその殆どが農耕地、生き物たちの保護区として使用され、人々は海に生活の拠点を移した。
 海の暮らしに、人間はすぐに慣れてしまった。

 数百年を掛けて造られた、海溝水力発電。
 海溝のど真ん中に巨大な水力発電所を建造し、海溝の深度を利用した水力発電である。
 無論並大抵の事業ではなかった為、何世代何百年にも亘る一大事業となったが、しかしその事業は成功という形で終決を見た。
 最初は7海溝で建造が始まったが、結局完成にこぎ着けたのはマリアナ海溝、フィリピン海溝、プエルトリコ海溝、日本海溝の4つの発電所だった。
 これらは社会に莫大な電力をもたらす様になり、結果、人類は海上進出は愚か海底進出にも成功。
 人々は陸地を捨てて、母なる海へと暮らしの拠点を移したのだった。

――太平洋都市連合・海上都市「水那都みなと」――

 海上都市とは言っても、市街地だけを見れば、地上にあった都市とそうは変わらなかった。
 生き物の死骸や、植物を使った人工土の製造に成功した為、普通に地面があり、植物も生えている。
 海上はどうしても天候が不安定な為、海上都市の多くはドーム型であるから、潮風の心配も無かった。

 そのドームの屋根も、殆ど視認できない代物だ。
 上を見上げれば青い空と白い雲、それに太陽がある。
 人類誕生以来、まるで変わっていない空だった。

「だが、所詮は紛い物の空よ」

 しわがれた声が、場に響いた。
 市街地から大分外れ、居住区が広がる場所だった。

 市街地から伸びた1本の地面の道、その周りに家が立ち並ぶ、普通の光景だ。
 ただその大通りから裏に入ると、地面の道は無くなり、鉄で出来た橋の様な足場の道となる。
 その道を行くと、数本の太い鉄柱が目に入ってくる。
 鉄柱には螺旋階段が備え付けられており、螺旋階段の途中には土台があって、そこにも家やら店やらが立っていた。

 この鉄柱の最下層にあたる土台、そこが声が響いた場であった。
 家の前、木製の肘掛け椅子に座布団とクッションとが置いてあり、そこに声の主が腰掛けていた。
 土台は柵で囲まれており、柵のすぐそばである。

 深くシワを刻んだ顔。虚ろながらも鋭い切れ長の瞳に、フサフサと茂った眉が特徴的だ。
 渋い東洋系の顔立ちをしている。凡そ、60代前半といった所だろうか。
 ヒゲは生やしておらず、髪は白と黒とが混じり合い、オールバックに撫でつけていた。
 風車によって引き起こされた人工の風が男の頬を撫でるが、髪は全く揺れる事が無い為、恐らくセットしているだろう。
 体格は華奢。太ってはいないし、肩幅も狭く、なで肩。
 淡い青色のカッターシャツを着込んでおり、ズボンはスラックスだが、タオルケットを膝に掛けている。靴は革靴だった。

「紛い物の空に、紛い物の海だ」

 老人の鋭い視線が、手元を見据えた。
 老人の手には、釣り竿が握られていた。カーボン製で、電動リールの付いた釣り竿である。
 竿先、そこから垂れ下がった糸にまで視線を動かし、糸が垂れ下がった先を見た。

 海。水面だった。
 老人の居る土台から5m程下に、水面があったのである。
 一応波はある。が、この海は海上都市の一部に過ぎない。
 生活用水や工業用水に使われるべく、壁によって遮られた海から汲み上げられた海水に過ぎないのだ。
 市街地まで行けば、この海水は濾過装置を通って、真水となり川や湖になる。

『紛い物、と言うんですか』

 短いエコーの掛かった声が、老人に問いかけた。
 家の前に立っている、13歳ぐらいの少女の声だった。

 大きな瞳だが、鋭く光る黒い目には、老人には見られなかった生気の輝きが感じられる。
 唇も淡いピンクで、口紅を使っていない健康その物の色だった。輪郭は比較的、小顔か。
 髪は黒、セミロング、割と好き放題に伸びた髪は凡そ肩の上で止まっていた。
 身長は150前後。胸の膨らみはまだ無く、成長途上の体である事がよくわかる。
 足首の少し上まであるロングスカート、ブラウスにブレザーの上着、制服姿の様に見える。

「その喋り方はやめてくれ。ワシの耳にはノイズにしか聞こえん」

 老人は、少女の短いエコーの掛かった喋り方に、機嫌を損ねた様だ。
 5m程離れていたのだが、少女はそう言われると、ムッと顔をしかめて老人のすぐ隣までやってきた。

「すまんな。ワシは”デジタル”な人間でな。
 ”サイキック”な君の、香亜耶かあや君の喋り方には対応しておらんのだ」

 トントン、と老人は自らのこめかみをつつきながら、少女、香亜耶に説明した。
 香亜耶は納得した風に、軽く頷きを返す。

「すみません、失念してました。大貫おおぬき先生」

 老人、大貫も小さく頷いた。

 人類は2度、変革したと言って良い。
 脳の完全解明に成功し、脳のデジタル化に成功したのが、まずその最初だ。
 今の50代以上は大抵が脳のデジタル化を行っており、大貫もその1人だった。
 言うなれば、思考能力がコンピューター(電子計算機)と同等なのである。

 対し、香亜耶は人間の持つ思考能力を単純に強化した存在だ。
 サイキック、超能力とも言える力である。
 思考能力を先鋭化する事によって、デジタル化とはまた違ったベクトルの力を発揮したのが、サイキックだった。
 例えば話すにしても、思考能力を強化して意思伝達を行っている為、感情による表現が強い。
 感情表現が強いという事は、相手に伝わった場合、言語を介さずとも相手に伝わる為、齟齬そごが生じにくいのだ。

「でも大貫先生、この海も、空も、元々は自然のモノでしょう。
 ただ遮りがあるだけで」

「さあ、どうだかな」

 端的な答えを返すや、大貫は釣り竿をグイッと上げてみせた。
 いつの間にやら、獲物が掛かっていた様だ。
 ビビビッ、と竿先が震え、電動リールを操作し、糸を巻き上げる。

 水面から顔を出したのは魚だった。
 体長50cmはあろうかという大物。姿はクロダイに近い。
 しばらく水面を泳がせ、疲れさせた所を、一気に釣り上げた。アミなどは使わなかった。

「見た目はクロダイ。だが、身はマダイに近い養殖魚。
 こんな作り物が泳いでいても、か?」

「元は自然です。人が全くゼロから作り出した生き物ではありません」

「綺麗事に過ぎるな、香亜耶」

 無感情に大貫は断じた。
 だがそれでも、香亜耶は臆さない。
 むしろ瞳に宿る光を強くなる。

「本質を見るべきです、大貫先生。
 先生は上っ面を見るばかりで、本質を見ていません」

「昔の人間は、皆そうだったんだよ」

 鋭い歯を持つ魚の口から釣り針を外すと、若干疲れながらも、魚はまだ体を動かす。
 だがその魚を、鉄の床に放り出して、大貫はそのまま魚を放置した。
 再び釣り針に餌を付けて、海へ放り込む。

「本質を見ろと言ってもな。上っ面のデメリットをあげつらうだけで、何もできなかった。
 悪いモンを悪いと言えば世の中が変わった、そんな世界だった」

「――酷い世界だったとは、思います。
 でも大貫先生、そんな世界はもう変わりました。
 先生だってその一翼を担った人ではありませんか」

 香亜耶は、魚を拾い上げて家の中へと入っていった。無論の事ながら、そこは大貫の家だった。
 消えていく足音を確かめるだけで、大貫は香亜耶を一瞥もしなかった。

 大貫が働いていたのは、もう10年も昔の事だ。

 サイキックは科学的な力を使って、感情的な部分を強化したモノである。
 中身は全て理論だ。何故感情的な部分の強化ができたのか、レポートにして100枚程で完全に説明できる。
 その100枚のレポートを、大貫が仕上げた訳ではなかった。
 では行動に移した人間、即ち技術屋の人間か、と言えば、そうでもない。

 大貫がしたのは、その100枚のレポートを端折り、僅か数分数時間で説明する仕事だった。
 政治家。或いは論客、弁舌家。それが大貫の仕事だった。
 耳を傾ける人間には訴え、言葉を返してくる人間は罵倒し、刃向かってくる人間を排除する職業である。
 今でも大貫は、その時の仔細をデジタル化した脳の中にハッキリと記録しているが、思い出すだけでも吐き気がする仕事だった。

 しばらくして、香亜耶は戻ってきた。

「シメて冷蔵庫に入れておきました」

 意外とそういう知識があるらしい。
 シメる、即ち速やかに殺してやれば、鮮度や味の落ちを多少緩和できるのだ。
 今はまだ夕食には早いから、それで良いだろう。

「人は、いつの時代も神を求めているな。香亜耶君」

「神様ですか?」

 再び、大貫は話を再開する。
 香亜耶は問い返しながら、柵に腰を掛けた。
 背を柵の外に向け、体は大貫の方を向いていた。

「古代は起源、即ち根拠の為に神を求め、中世は判断の為に神を求め、近代は可能性、即ち希望の為に神を求めた。
 今もそれは変わらない、と思ってな」

「大貫先生は、神様は人工物だと思ってらっしゃるんですか?」

「さあな。存在を確認できないモノを論じる事はできないだろう。
 本物の海や湖と同じだ。ここに魚はいるか、と問われても魚影が見えなければ答えられない。
 古い言い方なら、シュレディンガーの猫という訳だ」

 対し、この海は先程の様な魚の巨大な養殖場と言っても良かった。
 排水の際には強制的に濾過槽ろかそうを通る為、この魚が外に出る事は無い。
 割り切れば、養殖場の中に生まれた魚でしかないのだ。

「ただ、神がどんな存在であれ。
 人が求める神は、そういうモノであると言えるだろう」

「もしも神様が人の求めるモノでなければ、人は神様を拒絶する、と?」

「どうかな。強大な力であれば、最終的にはねじ伏せられるだろう、人間は。
 そうやってまた新しい世界を作り、新しい神を求めていくのかも知れない」

「その先頭に立つのは、政治家ですよね」

 フンッ、と初めて大貫は笑った。

 今の政治は、大分昔と違ってきている。
 政党政治が廃止され、今や勉強会と交流会によって政治思想を交換している。
 未だに議会制からは脱却できていないが、審問会の様な存在に成り下がっているのが現状だ。

 行政の長は議会から独立しており、大統領の様な存在となっている。
 尤も支持基盤はあくまで市民であるから、その運営には大いに政治手腕が要求される。
 この辺りの調整が難しく、今の政治体制を構築するのに尽力した大貫は、大分と苦労した。

 特に人種と文化の問題。これによって明らかな支持基盤の差がある為、人種や文化の混同やは明確に避けた。
 1つの文化、人種によってブロックに分けており、このブロックが現代の国防体制の最上位となっている。
 政治的には更にその上に、世界都市連盟という形の組織が存在しているが。
 世界都市連盟というのは正直、大貫個人としては蛇足だと思っていたが、理想を求める人間が望んだ結果採用する事になった。

「悪だの正義だのと語ってみても、所詮政治家は政治家。
 資本主義は、政治家は理によって動くモノと定めたが、結局は権力、正義、コレだ」

「共和制ローマに逆戻り、と人は言いますが」

「全く新しいシステムなど、人は求めてはいない。
 革新的と人々が称賛するのは、原理はそのままに、現状から少しだけ進展したモノのみだ。
 ガス灯から電気灯、ニューコメンの蒸気機関からワットの蒸気機関、電子計算機からコンピューター」

 その少しだけの部分を調整したのが、大貫だった。
 より正確には、権力の振り分け。
 帝国主義の下では支配者の権力が強大になり過ぎ、民主主義の下では市民の権利が強大になり過ぎた。
 その調整だ。

 海上及び海底都市、僅かに残った地上国家との軍事的バランス、そういったモノは他人に任せた。
 内政である。市民との話し合い、議論から得た情報を統合し、権力を分散させた。

「だが、それも結局は無駄な事だったのかも知れない」

 尤もその仕事をしている最中から、大貫はそうも思っていた。
 権力などというモノは、大衆心理によって容易く変じ得る、大海に浮かぶ流木の様なモノでしかないのではないか、と。
 それでも、大貫は仕事をやめなかったが。

「難しいモノだな。無駄とわかっていても、やらなければ誰かが死ぬ。
 これも偽善なのだろうか」

「それで誰かが救われているなら、善なのではないでしょうか」

「非常に、考えるのが煩わしくなる返答だ」

 果たして、救う事ができているのか。
 根本からの救済は、最早救済ではなく変革に過ぎず、それは善として評価されないのではないか。
 鈍いデジタルの頭では、そこまでしか考えられない。

「人というのは、全く厄介な生き物だと思うよ。
 行動する人間は、1人の例外も無く勉強不足なのだから。
 本当に世の中というのは不公平だな」

「人は罪深き生き物ですか、先生」

「人に恨まれる事が罪だと言うなら、まさしくそうだろう。
 誰からも恨まれない人間など存在しない。顔も知らぬ相手からでさえ、存在を知っていれば恨まれる事もある。
 そして罪はやがて、己が身を滅ぼす。後は器の問題だな」

 罪の器とでも言おうか。命の器に等しいモノが、人にはある、と大貫は思っていた。
 この器が一杯になれば人は死ぬ。より他殺に近い形、即ち他者の意思が介在する形で、死ぬ。
 幸い大貫はこの歳まで生きてこられた。多くの罪を重ねてきた筈だが、それでも死んではいない。

 香亜耶は終始無表情だった。
 虚ろ気なのではない。むしろ瞳の力は強く、多くを語っている大貫よりも感情の色が豊かだ。
 大貫は語るに連れ、瞳から光を失っていき、感情の色も希薄になって行く。

「次に、人々は神に何を要求するか。
 香亜耶君はなんだと思う」

「そうですね」

 香亜耶は考え込む様に座っている柵を掴み、姿勢を変え、大貫に背を向けた。
 大貫の家は、ドームの外側に向かって立っている。故に、香亜耶が向いているのはドームの外だった。

 水平線がよく見える。西の海だ。太陽が沈む方向だから、そろそろ太陽は水平線に近付きつつある。
 だが暮れるにはまだ早い。大貫のデジタル化した脳は、詳細な時間を常に報せてくる。
 今は4時38分、この季節の日没まであと2時間はあった。

「力、でしょうか」

「ほう」

 存外に鋭い意見が返ってきて、大貫は声を上げる。
 正に、大貫が思っていた通りの答えだったからだ。

「人はドンドンと理性を身につけていっています。
 けれどそれは、狂気を捨てるという事で、本能的な力を失っていくという事だと思います。
 軍事も機械化が進んで、もう生身で戦闘を行う事は少ないですし」

「狂気にも似た力への渇望、即ち確固たる存在を求め、神を要求する、か」

「そうだと思います」

「そして人は、同じ人に神性を見出し、それを魅力と受け取る。
 これからの時代求められる人間は、力を持つ人間という事だ」

「はい」

「いずれにせよ、老いぼれ、権力も既に失しているワシには関係の無い事だ」

 神性に背を向けた。故に今の大貫には、力が無いのである。
 ただ、大貫は古い人間だ。次世代の人間の様に、力に神性を見出したりはしない。
 だからこそ、大貫は香亜耶に魅力を感じているのだ。可能性という名の、希望だった。

 そこで、香亜耶は再び大貫に向き直った。
 やはり瞳は力強く、大貫はその瞳の力強さに眩しさに似たモノを感じ、目を細めた。

「まだ人は先生を忘れてません。
 先生の力を求めています。だから、私がここに来ました」

 だから、が何を指す言葉なのか、大貫はしばし思案する必要があった。
 単純に受け取れば簡単な話だが、その単純な話の裏に何があるのか、勘ぐった。

「いや、違うな」

 複雑な考えに至った大貫は、そこまで考えて、違う事を悟った。
 もっと単純な話だったのである。

 別に、今の政権が不安定だとか、政治体制に致命的な欠点があるとかではなく。

「ただただ、不安なのか。力を欲しているから、その力が無い今は、不安なのか」

「はい」

 贅沢な悩みだ、と思い、大貫は鼻で大きく息を吐いた。
 ついでに、糸を巻き上げた。スルスル、と電動リールのモーターが静かに動く。
 モノの数秒で、糸は巻き上げられ、先に付いた針からは餌だけが無くなっていた。

「ワシが中央政界へ返り咲く事は、決して無いぞ。
 ワシにはもう、力が無いのだからな。
 これで返り咲けば、老害となって君達若い人間を締め付けてしまうだろう」

 内心、そう言い切った己に対し、大貫は称賛しょうさんを送っていた。
 もしここで、少しでも野心が残っていたならば、大貫は老害に成り下がった事を、痛感しただろう。

 老害は、大貫が最もみ嫌うモノだった。
 時代を築く立場に収まり続けているクセに、最早構造の欠陥を透徹とうてつする力は無く、改善を求めない。
 ただただ理想を求め、「こうなれば良いな」というモノを生半可な力と理論で実行し、混乱を生じさせるのだ。

 大貫が10年程の政治活動の中で、最も多く激しく戦ったのが、この老害だった。
 老害に成り下がってはならない、と戦う度に自戒し、駆逐してきた。
 結果、今の都市議会の議員は過半数が40代、全体の2割弱が50代以上で、残りの3割が40代以下で占められている。
 既に老害が正しくない事である、と世に浸透している為、それらしい人間は通らないのだ。

「先生はまだ、透徹した見方ができる人です」

「例えそうだったとしても、いずれは衰える」

 そしてその衰えは、もう始まっているとも思えた。
 感情の力を無くしてしまったのだ。昔はもっと、力強さがあった筈だ、自分には。

 10年。罪の器を恐れ、政界から引退し、もうそれだけの時間が経っていた。
 その時間は、大貫から力を奪うには、十分な期間だったと言えよう。
 取り戻すには、もう歳を取りすぎていた。

「ワシにまだ働ける場所があるとすれば、それは今のワシに他ならない。
 香亜耶君の様な子を退ける為に、自殺するという手もあるが、無用な混乱を生むだけだろう。
 故に、隠遁いんとんして余生を過ごしている」

「……」

「それに、政界にはちゃんと弟子を残した。
 その弟子が何とかするだろう」

 歴史に残る政治家というのは、しばしば後進の育成によって、その人生を無に帰していた。
 19世紀最大の政治家、オットー・フォン・ビスマルクは顕著な例で、レーニンやスターリンもまたそうだろう。
 放っておいても育つ人材を抱えれば話は別だが、やはり英雄という存在は人材を見抜き育ててこそだった。
 カエサルが養子に迎えたアウグストゥスが代表的で、ナポレオン・ボナパルトの麾下きかにあった元帥達もそうだ。

 それだけの教育、整地はしてやったつもりだった。後は己の眼力に頼るのみだ。
 今のところは、拙い事はしていない様に思える。詳細な評価は後世の人間が行う事だろうが。

「人は、そろそろ理想を通す事に限界を覚えるべきなんだよ。
 サイキックの君がそれを覚えてくれれば、ワシが今日話した事は、無駄にはならないだろう」

「行動する人間は、例外無く勉強不足、という事ですか……?」

「如何にも、その通りだな」

 糸に付けていた仕掛けを外して、今日の釣りを終えた大貫。
 それはつまり、話の終わりでもあった。

「ご飯、食べて行くかね?」

「遠慮しておきます」

 釣り竿をしまった時、香亜耶が柵から降りたので、そう声を掛けてみた。
 だが答えは芳しくなく、ペコリと頭を下げ、香亜耶は走り去って行った。

 その後ろ姿を、大貫は最後まで見守った。

「さて、老いぼれの戯れ言が、あの子の為になれば良いが」

 と、思ったがすぐに、それも間違っているか、と思い直した。
 子供は勝手に育つモノだ。余人が予測し得るモノではない、それが子供だ。
 良きに働くも悪きに働くも、本人による所が大きすぎるのだ。

 思えば、大貫も子供の頃は嫌な子供であった。
 教育的に至極真っ当な論理にも、内心では反発していたし、自己を正当化する為に精一杯だったのだ。
 自分というモノが固まってきたのは20に迫ってからで、政治家として走り出したのが25歳の頃だった。
 32の頃になって都市議会に参加し、以後54歳で政界を引退するまで、悪という悪を駆逐した。

 良くも悪くも、古い時代の人間だった。
 そういう人間が表舞台から退いて、ようやく今は新しい時代になりつつある。

「時代はまだ、暗くないぞ」

 太陽がそろそろ水平線に近付いてきていた。
 故に、そう呟いて、大貫は家へと入っていった。

 政治家としての矜持(きょうじ。プライド)だった。
 大貫の中で最後に残ったモノだ。時代に悲観的な人間が政治家をやれる訳が無い、というのが持論だった。
 そういう人間は、結局策に溺れる羽目になり、中途半端な理想しか実現できない人間に成り下がる。

 尤も、そんな風に考える己は、やっぱり古い人間だ、と大貫は感じた様だが。

気になる点があればご指摘下さい。
その都度、加筆修正して行きたいので。
何分私、受け身な人間なので、指摘や議論が無いと良い作品を書けないんですよね……。
どうかよろしくお願いします。
空想科学祭2009
本作品は空想科学祭2009参加作品です。
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