人生は芸術ではない
簡単に言うと、人生は芸術ではないと思う。文学というのは、人生とイコールではない。それは人生を素材とするかもしれないが、全く違うものである。事実の連鎖を描けば、それが小説になるという事はないと思う。
最近の純文学というものが至極つまらない(と僕に見える)のはそれが、単に人生の引き写しにすぎないからではないか。というか、人生を描いたものなど読みたくはないと僕が言えばそれは暴論だろうか? そうではなく、僕が見たいのは、人生に対する作者の視点だ。作者の思想だ。それがなければ文学には決してなれない。僕はそう思っている。そういうわけで、文学というのは一種の光学だと思っている。思想のない作品なんて見たくはない。しかし、思想というのは哲学ではない。思想というのは一種の視座である。世界に光を当てる光源である。
世界に対して、人生に対していかなる態度も有していない人が巧みな小説を書く。僕はもうそれはいいと思っている。シオランは正にこの点に関して、次のような言葉を吐いている。
「私に興味があるのはきみの経験ではない。きみが経験を提示する、そのやり方だ。生は作品ではない。」
この言葉は回答として見事なものだと思う。