静かな所。
草原とも湿原ともつかない、やたらと緑のそこには、あちこち『色』が点在していた。
色とりどりの花や木が咲きほこるその箇所は、世に言う桃源郷のようだった。
その1点に、ひとりの少女が立ち上がった。長すぎる髪をなびかせ、花畑のひとつへ向かう。
ふと、少女が口を開いた。同時に、強い風があたりを包む。
「なんであたし、────てるんだろう……」
「ねえ新一、次はこっち行こうよ」
「はぁ……ったく、オメーはこーいうとこ好きだよなぁ」
やたら元気のいい蘭に、新一がボヤく。まったく、女ってのはなんでこう買い物が好きなんだ──そう言いたげだ。
「なによ。久々に要請がないから、どこへでも付き合うっていったの、新一でしょ?」
水戸黄門の印籠のごとく、新一自身の台詞を復唱する蘭に、二の句が継げない。
「……ヘイヘイ」
今日来たのは、杯戸ショッピングモール。新一が組織を壊滅させ、蘭の元に戻って半年あまり。やっと新一が関わるべき事後処理がほぼ終わり、元の日常に戻ってきた所だった。
と、道路の向こうにも、蘭はよさそうな店を見つけた。
「ねえねえ、あのお店行ってみよう」
と、新一をひっぱって道路を渡る。信号は無論青だ。
しかし──信号のルールを無視した妙な車が、ふたりに向かってつっこんで来たことに、先に気付いたのは蘭だった。
「危ない────!!」
新一がその異常に気付いたのと、蘭が新一を突き飛ばしたのは、ほぼ同時だった。
ズザッ──新一がしりもちをつく。が──その音は、ドン!という別の音にかき消された。
「…っ蘭!!」
即座に、地面に叩きつけられた蘭に駆け寄る。車は、やけにブレーキ音を響かせながら、瞬く間に走り去った。
「蘭ッ……しっかりしろ!」
声をかけつつ、脈や出血の状態を確認する新一。しかし、蘭の返事はない。意識を失っていた。
まもなく、誰が呼んだのか救急車が到着した。新一は、今確認した心拍や脈の状態を話しつつ、救急車に同乗した。
「蘭……蘭ッ!しっかりしろ!すぐ病院に着くから…!」
救急隊に任せたことで少し安心した新一は、蘭に声をかけることに専念した。
お前を、絶対に死なせたりしない──そう心中で繰り返して。
……蘭は目を覚ました。上半身を起こし、あたりを見回す。
やたらと、緑色の場所だった。足元が少し湿っているのは、雨でも降っていたのか。
と、後ろから声がした。
「あんた、どうしたの?」
振り向くと、中学までいっていないくらいの少女が、蘭を見下ろしていた。くりっとした目は、少しつり気味。生まれてから、一度も切ってないんじゃないかというくらい、長い髪が目につく。
「あ、えっと……ここ、どこなのかな?」
真っ先に浮かんだ疑問を尋ねてみる。少女は少し首をかしげ、逆に聞いてきた。
「…あんたこそ、ここで何してんの?」
「あ、ごめんなさい。私さっき目が覚めたばかりで、よくわからないの」
「ふーん……」
少女はさして興味もなさそうに、蘭に背を向けてすたすた歩きだした。蘭は慌てて後を追った。
「──じゃあ、なんでここにいるのか、全然覚えてないんだ」
「そうなの。あなたは、いつからここに?」
並んで、恐らく「草原」部分にふたり座って会話していた。少女の答えは意外だった。
「…わかんない。あたしも、気が付いたらここにいた。どのくらいいるかなんて、もう覚えてない」
「そう……あなた、名前は?私は毛利蘭」
「ああ。澄鈴。苗字は覚えてない」
「じゃあ、同じ花の名前なんだ。すみれちゃんって呼んでいい?」
こくっと頷くと、澄鈴はどこか遠くを見つめた。
「…ここにいると、色々忘れちゃうみたいなんだ。もう、あたしはほとんど覚えてないのかもしれない。覚えてるのは名前と……死ぬはずだったって事だけ」
「え?」
「あたしは死ぬはずだった。それははっきり覚えてる。でも、なんで死ぬはずだったかも、なんで生きてこんな所にいるのかも、もうわかんない」
「そうなの……」
それは──すごく悲しいことではないのか。そう蘭は思った。大切なものも人も、次第に忘れていくなんて……なんという悲しい──。
蘭の感覚で、おそらく一昼夜が過ぎた。ふたりは、色々な話をした。
「あんたと話してると、なんか色々思い出す気がする。できるだけ長く、ここにいてほしいな」
言ってしまってから、それがどういう意味かわかったらしく、
「あ、ごめん。こんなとこ、長々といたくないよね」
蘭は、くすっと笑った。
「すみれちゃんと一緒なら、もう少しいてもいいかな。でも──出方がわからないんじゃ、ね」
「…あんたの家族は、元気にしてるの?」
「ああ、元気よ。お母さんは、ちょっと色々あって別居中だけど」
その言い方に、澄鈴はちょっと変な顔をした。
「あと、家族と同じくらい、大事な奴がいるなぁ。幼馴染みなんだけどね」
「へー、幼馴染み?」
「うん。新一っていうの。工藤新一」
「しんいち……」
澄鈴は、目を見開いた。次の瞬間、まわりの空気が変わった。蘭は、確かにそれを感じた。
そして──空に、眩いばかりの光が現れた。
「え?……え!?」
戸惑う蘭とは対照的に、澄鈴は静かに一言、言った。
「……行きなよ。そこから出られる」
「え?どうして?」
澄鈴は、子供とは思えない微笑を浮かべていた。
「あんたが、思い出させてくれたから。あたしが、ここを『創った』理由を」
「え……!?」
蘭は、自分の体が浮くのを感じた。
「あたしは……あの時死んだんだ。でも、あの人にもう1度会いたくて、『生』にしがみつこうとした。で、こんな訳わかんないところを創って、挙句あんたまで巻き込んだんだよ」
澄鈴がそう言う間にも、蘭の体は浮き上がり……透けていった。
「え、ちょ……すみれちゃん!」
そして澄鈴は、満面の笑顔で言った。
「大丈夫、あんたはまだ死んでない。戻れるよ。……新一兄さんに、よろしくね」
蘭が目を覚ますと、今度は白い天井が目に入った。
「蘭!蘭!?気が付いたか?」
新一や園子だけでなく、小五郎も英理も、少年探偵団まで、心配そうに蘭を取り囲んでいた。
「園子!先生呼んでこい!」
新一の命令口調にも関わらず、園子はしっかと頷いて出ていった。
「峠は越しましたね。あとは安静にしていれば、じき退院できますよ」
診察が終わり、心配する園子をなんとか病室の外に押しやると、新一は渋い顔で言った。
「悪い。オレが……お前に守られちまったな」
──自分が蘭を守ると、決めていたのに。蘭は答えるかわりに、新一に尋ねた。
「ねえ……すみれちゃんって子、知ってる?小学生ぐらいの」
「何だよ、急に」
「いいから」
「すみれ?……ああ、そういえば──」
新一がコナンになる前、1件の強盗殺人事件の捜査に協力した事があった。
金目の物はすべて奪われ、夫婦は惨殺され、ホラー映画のようになった家の中で、ひとり震える少女がいた。
夫妻の一人娘、澄鈴。
新一は真相を追いながらも、持ち前のお人好しで、何かと話し相手になってやり、えらく懐かれた。が──事件は解決したものの、まもなく澄鈴は癌に倒れ……そのまま永眠した。
「それを後で知ったんだけど、さすがに……複雑だったな」
「そうだったんだ……」
「で?それがどうした?」
「あ、うん。寝てる間、その澄鈴ちゃんに会ってね。新一によろしく、って言われたの。……信じないならそれでいいわよ」
『は?』という顔の新一に、蘭はむくれた。
「でも──多分、澄鈴ちゃんが助けてくれたんだろうねー……」
彼女はきっと、安らかに眠っているだろう──今度こそ、両親の元で。 |