雪達磨は奔走する
火曜の朝。あまり雪の降ったことがない小さな町に、今年は特別にと、空から遠くからかなりの雪が降って、明るい赤や黄色といった新築の色とりどりの、鮮やかな壁や屋根の広がる住宅地を見事に真っ白へと染めていた。
奇跡が起きてもいいのではないかと旅人が呟いてしまうくらいに辺りは静かで、新鮮だった。
猫もいない、いつもは吠えてうるさい犬も大人しい、人も出歩かない、寒いからと皆、家のなかに引っ込んでいる。太陽さえも寒さに負けたようで温かさに力が無く、雲の向こう側で黙っていた。
昼になると家から子どもたちが次から次へと外へと飛び出した。まだ雪が降っているというのに大はしゃぎで騒ぎたて、雪玉を作っては投げ作っては投げを繰り返しているようだ。
誰かが雪玉を転がし始めると、それを真似て別の子どもが転がし始め、雪玉は段々と大きな雪玉となっていき、子どもの背丈ほどの雪ダルマが作られ出していった。
家の前に、これまたおかしな個性的雪ダルマが並び出す。3段重ねだったり10段重ねだったりソフトクリーム状だったり醤油味だったり火ダルマだったり、色々である。
やがて夕方になって人の姿は見えなくなった頃、雪はまた吹雪強くなり始め、荒らされ古くなった雪の上に被さって、白で覆い隠していった……
ふふふ……
……空から、得体の知れない声だけが聞こえてくる。
それはそれは愉快で楽しそうな、人とはわからない無邪気な声。
声は教えた。
奇跡を、あげる……
声の主は、神様だった。世界に幾十か幾千かは不明の数だが存在するうちの神様のひとつ。神様の気まぐれは、日本の小さな町を標的に、『奇跡』というものを与えてみることにした。「さあ、いってらっしゃい……」
雪の粒に混じって『奇跡』の粉は、粉雪は、子どもが作った何の変哲もない雪達磨に降って、移って……そうして。
生を受けた雪達磨は、意思を持って、目覚めたのである。
「あらー?」
男でも女でもなく。胴体は、雪玉2段重ねで手付き足付き、頭にミニバケツをひっくり返した赤帽子付き。垂れた眉毛のせいで貧弱そうになった名前が無い『雪達磨』は、こうして第一声を難なく上げた。
「ヤホホーイ」
そんなには大きくなかった。お隣の家の雪ダルマよりも体は、小さかった。
自由に動けたことに喜んでいるのも束の間、雪達磨は、ひとりの女の子が雪達磨のいる道の方へと近づいてきていることに気がついた。「おっといけない。ジッとしとかないと、驚かせちゃうね?」雪達磨はそう思いついて、道の脇にと塀の傍に身を寄せた。
マンションや一戸建ての家が並ぶ道を、ピンク色ランドセルを背負った女の子が下を向いて歩いている、するとだ。「!」
悲劇は、前触れもなく突如訪れた。女の子の頭上に、植木鉢が落ちてきたのである。
(あああ!)
植木鉢はガシャンと音をたてて割れ、中からは土と砂、出たばかりの芽の残骸が散らばっていった。ちょうどマンションの前を通りがかった女の子は不運にも、落ちてきた植木鉢に当たってしまい、血を流して弾かれたように倒れてしまった。
声にもならない声を上げた雪達磨は呆然と、その場に立ち尽くして女の子を見下ろしていた。
(そ、そんな……。息、してない……)
辺りは誰も気がついていないというのか。人気の無い静かな時が暫く経ち、雪達磨の金縛りが解けて屈んでみると、女の子は息をしておらず重体に陥っていることが目に明らかだった。女の子が手に持っていたとされる上靴袋に名前が書いてあった、『大上風花』。オオガミフウカ、オオガミ……オオ……ダイジョウ、ダイジョウブカ、……大丈夫ではない。
雪達磨は焦った。このままではマズイ、助けなくちゃ。雪達磨はオロオロしている。
するとそこに「何だこれは!?」と怒声が上がった。「え!?」と、雪達磨が振り向くと、老人の男性が杖をぶるぶると震わせて、「ま、まさかお前が……!? ば、ばけもん……!」と雪達磨を指していた。倒れている女の子と雪達磨を見比べている。
おじいさんは恐怖におののいていた。人のように振る舞う雪達磨を前に、無理もなかろう。
「ち、違います!」
雪達磨は疑われているようで、おじいさんに睨まれていた。
「ばか……ばけもんが! ふがっ!」
馬鹿者だか化け物だか判らないが、とにかく3センチほど入れ歯がズレていた。
雪達磨は焦った。このままではマズイ、犯人にされてしまう。雪達磨はオロオロしている。
雪達磨は咄嗟の行動に出た。おじいさんを殴った。ジャジャジャジャン。サスペンスフルと言われる空気が漂う、赤い劇場のメロディが流れた……のは恐らく空耳だろう。
倒れた何も悪くないおじいさんは、気絶してしまった。容赦無く雪が降りかかる。
だが奇跡は、雪達磨に味方し希望を与えていた。
「そ、そうだ、119番で救急車を」
雪達磨が閃いて電話を探そうと周囲を見渡すと、公衆電話は見当たらなかったが、女の子のランドセルを見てまた閃いた。ひとつの可能性を信じてランドセルのなかを探ると、玩具のような可愛らしいピンクの携帯電話が見つかった。「これだ! これで連絡を!」電話をがっちりと掴み逸る気持ちを抑えてボタンを押すが、反応がなかった。
「なんでじゃー!」
ついそう叫んでしまった雪達磨だったが、原因は本人の手のせいだった。その携帯電話は防水仕様ではないためボタンに反応するどころか本体がビショビショに濡れて電源が落ちてつかなくなってしまっていた。後で弁償しなければなるまい、雪達磨補償で。そんな話は後だった。
女の子に息はない。雪達磨はがっくりと肩を落とし項垂れて、自分の無力さ非力さを省みた……が、所詮は今日生まれたばかりの雪達磨である。
「おい。そこの雪ダルマ。何しとんねん」
奇跡は続く、俯いて絶望していた雪達磨に声をかけたのは、これまた別の雪ダルマ、雪ダルマ2号だった。黒いマフラーを巻いてサングラスをかけていて、浜辺が似合いそうな顔つきだった、溶けることは必至だとしてもである。
神様の気まぐれで降りかかった雪の粉は、全国各地にあるらしい。
「一体何があったってんだよ」
「それが」
雪達磨と雪ダルマ2号は並んだ。雪達磨はコレコレカクカクシカジカサイサイと状況を説明し始めた。その間四苦八苦しながら、49分89秒。50分あまり辛抱強く雪ダルマ2号は聞いていた。雪は降り続く。
「よし。それじゃ神様を呼ぼう」「は? どうやって?」「祈りを」
話を最後まで聞くと雪ダルマ2号は正座して、天に祈るように雪達磨を誘っていた。
横で同じく正座した雪達磨は、奇跡よ起きて下さいと手を合わせて拝み出していた。それに答えるように、空から光が降り注ぎ出している。普通に次の奇跡は訪れた。
「おお……」
上空から、白い羽が生えた赤ん坊のような天使が4人、微笑みながらゆっくりと、雪が降るスピードと変わらなく降りてきていた。
神々しく、光を纏い舞い降りた天使たちは、やがて二手に別れ女の子と気絶しているおじいさんを連れていこうとしている。
「……って、だめだ! 天に召さないで!」雪達磨は逆上した。
雪達磨は焦った。天使に鉄拳ストレート、4発連続で打ち出した拳は、全て天使の腹に奇跡的にキマッた。辺りに散らばった天使たちは起き上がってはこなかった。これで負傷者は6名と増員、次々と起こる奇跡を無駄にしている。
雪達磨の頭上に『もう諦めたら?』の文字が浮かび上がろうとすると、車のクラクションが鳴り響いた。
「何だどうした? 君、しっかり!?」
通りがかったらしい、白の軽自動車から若い男性が降りてきて女の子に近づいていき声をかけた。「どうしたの!」「女の子が」「ままー、あそこにも誰かいりゅ」「太郎ちゃんは車にいて!」……
どうやら家族連れで、母親が叫んでいる。幼い子を車に置いたまま、父親だろう男性と、母親らしき女性が車から降りてきて、それぞれ倒れている者の所に駆け寄った。
雪達磨たちがその時にどうしていたかというと、クラクションが鳴り響いた途端に足が竦んで動けなくなり、怯えた両者は決して動かず黙って事の成り行きを見守っていたのである。雪ダルマなのに雪ダルマの『振り』をしていた。
男性は必死になって女の子に声をかけ呼びかけ、女性はちゃんと通じる自分の携帯電話で警察と救急車を呼んでいた。天使の姿は人には見えず。そのうちに風化していった。
奇跡、終わり~
空から、明るい声が聞こえた。天使もいなくなり、雪ダルマの意識たちは消えて、女の子は病院へと運ばれていった。
「あれ? ワシは何を……」
救急隊員に運ばれようとしたその頃に、おじいさんは奇跡的に生還した。雪がまだ、少しだけチラついている。
病院に運ばれた女の子も息を吹き返して元気になったらしい。本当の奇跡が起こった。神様は言う。
しれっとした顔で。もう、動くことのない雪達磨に向かって。笑いながら。
何故、奇跡を起こしたの? ――もし雪達磨が生きていたら尋ねるだろう、質問の答えは。
だって君、私を呼んだではないか。
《END》