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リング・オブ・カーズ
作:鷹嶺 綺羅



第十六話


 それから約1時間後の東京 宮城

 ハァッ……。
 深いため息がメイドの耳に届いた。
「申し訳ございません」
 メイドが深々と頭を下げた。
「私達がついていながら、この結末」
 内容が内容なだけに、メイドは不始末。とは言えなかった。
「仕方ありません」
 手にした書類をサイドテーブルの上においたのは、メイドの主君。
 日菜子だ。
 その腰を下ろしたアームチェアの足下ではタマが丸くなっている。

「この成績では、高等部進学ですら危ういでしょう?」
 日菜子はサイドテーブルの書類を、ちらりと見た。
 アヒルの行進を示すのは、春菜の成績表だ。
 恐らく、成績の順位は校内でも最後から数えた方が早いだろう。
「あの子、ここまでバカだったとは」
「努力はされたようでしたが」
 苛立たしげな主君の声に栗須が小さく肩をすくめる。
 春菜を支えるために派遣されている身である以上、春菜の成績が振るわないのは自分達のせいだと言われても、栗須達は文句の言える立場ではない。
 それだけに、栗須も辛い。
「今、春菜はどうしています?」
「もうヤケを起こしています」
 今度は、栗須がため息をつく番だった。
「期末テストに大失敗した挙げ句、成績がこれですから、“もう姉様に怒られるんだ!わーんっ!”とおっしゃって」
「では、今頃、布団にくるまって震えていますね。……どうせテスト期間中も勉強するフリをしてマンガ三昧だったんでしょう?」
「今回は、BLとかいうジャンルのライトノベルにまで」
「麗菜姉様が知ったらどうなるか、わかってるのでしょうか?」
「……進路指導担当の森村先生からです」
 メイド―――栗須がファイルから一通の封筒を差し出す。
 厚さはかなりのものだ。
「いいです」
 日菜子はそれを受け取ろうともしない。
「見るのが怖すぎます」
「しかし……」
 日菜子はため息まじりに手を伸ばした。
 あの森村先生からの通知だ。春菜の成績について蕩々と説教が続いていることだろう。
 そんなものを読まされる身にもなってほしい。
 一瞬、姉にスルーしようかとも思ったが、後で絶対読まされるのは分かり切っている。
 
「全く。せめて人並みの成績を」
 
 日菜子は気づかない。

 足下でタマの耳がピクリと動いたことを。

 栗須が、微妙に動いたことを。

 日菜子が封筒から書類を取り出した瞬間。

 ニ゛ャァァァッ!
「せいっ!」
 
 タマと栗須のかけ声が重なり、

 グシャッ!
 ザンッ!

 日菜子の背後で鈍い音がした。

「―――えっ?」

 きょとんとした日菜子が振り返ろうとした瞬間。

「ニ゛ャッ!」
 
 タマがその頭に飛び乗り、日菜子の視界を塞ぐ。

「こ、これ!タマ!」
 日菜子が何とかタマを降ろそうとするが、タマは頑として離れようとはしない。

「殿下!」

 栗須がそんな日菜子の手を引いてアームチェアから立たせる。

「く、栗須?どうしたというのですか?」

「ご案内いたします。どうぞ穢れをご覧にならないで下さいませ―――橘!」

「はっ!はいっ!」
 ドアの側で控えていた日菜子付き女官、橘綾音が弾かれたように返事をする。
「殿下を安全な場所へお移し申し上げろ!」
「こ、近衛を!」
「タマがいる!そのままで構わない!急げっ!」
「はいっ!」

 シュンッ

 一瞬の閃光に振り返った女官は、突然そこに現れた者に気づいた。
「ゆ、悠理君?あーっ。びっくりした」
 すでに40の坂は越えているだろう太り気味にメガネの女官が、心臓に手をやって息を整える。
「えっと―――御子柴さん。すみません。驚かせて」
 いいつつ、水瀬は懐から霊刃を取り出す。
「ど、どうしたの?この区画は、テレポート出来ない仕組みなのでしょう?」
「どうとでもなるものです」
「い、いえね?そういう意味じゃなくて」
 ここは御所だ。
 そこにテレポートを行うなんて、宮殿内戦闘でもない限り、許されることではないし、なにより、テレポートによる侵入を防止するために、ここには十重二十重の防御がなされているはず。

 つまり、御子柴がいいたいのは、

 あなたは、誰の許可をもらって入ってきたのか。
 どうやって防御をくぐり抜けてきたのか。
 この二つに集約出来る。

「急ぎます。殿下はいずこに?」
「いま、謁見の間に」
 いらっしゃるはず。
 そう言いかけた御子柴の声は、
 フィーッ!フィーッ!
 緊急事態を告げるサイレンにかき消された。
「!」
 水瀬は、そのサイレンに弾かれるように御子柴の横を駆け出す。
「悠理君!これっ!」
 腰のホルスターからP-38を取り出しつつ、御子柴が叫ぶ。
「廊下は走っちゃいけませんっ!……もうっ」

『御所内部に侵入者!各員、マニュアルAに従い所定の配置につけ!』
 警報が鳴り響き、武装した女官達が通路の一定間隔に立ち、壁を操作している。

 水瀬は、その横をIDカードを差し出しながら走り抜ける。

 女官達は、壁の一部を引き出し、廊下に倒す。
 壁の一部を利用した、即席の防御陣地を作ろうとしているのだ。
 メイド達がここに機関銃座を設けて防戦に当たるのは当初から決められたこと。
 重要ないくつかの場所ではすでに防御シャッターが降りた頃だ。

「通りますっ!」
「ご苦労様っ!」
 この通路の指揮官の女官と、彼女を見つけた水瀬が敬礼を交わす。
「殿下は!?」
「御座所へ!ルート7を!」
「はいっ!」
 
 そして、新たな指示が流れた。
『敵は妖魔と断定!気体となって逃走中!』


 えっ?
 水瀬は一瞬、足を止めた。
 まさか。
 そんな疑問が頭に浮かんだからだ。
 気体になって逃げた?
 まさか。
 ありえない。
 うん。
 だって。
 “アレ”は村上さん達を狙っているんだもん。
 なぜ、殿下を狙う?
 うん。
 あり得た話じゃない。

 気のせいだ。

 敵を追う?

 いや。

 そんなのは近衛の誰かにまかせればいい。

 厄介事に首を突っ込むより、今は殿下の安否確認が先!

 水瀬は、そう自分に言い聞かせると、駆け出した。



 御所には、緊急事態に備えて皇族が避難するシェルターが存在する。
 水瀬が駆けつけたのは、その一つだ。
「これっ、タマ!」
 ニャーッ
 半開きになったドアの向こう。
 シェルター内からそんな声がする。
 とりあえず、日菜子は無事なようだ。
 水瀬の口から、知らずに安堵のため息が出た。
「水瀬です。殿下、ご無事で?」
「えっ!?」
 え。ではなく、エ゛に近い声がドアの向こうから聞こえてくる。
「み、水瀬!?」
 なぜか日菜子は狼狽している。
「入室の許可を求めます」
「却下ですっ!!」
 ドアが揺れたほどの大音声で日菜子はそう言った。
「え?」
 水瀬には、その理由がわからない。
「あ、あの……僕、何かしましたか?」

「お召し替え?」
 シェルターから出てきた橘によって、別室に連れてこられた水瀬は、橘のその言葉の意味がわからなかった。
「で、でも、緊急事態で」
 そう。
 御所内に侵入者があって、しかも殿下は命を狙われた。
 橘さん自身から聞いたこと。
 それなのに、どうしてお召し替えなんて悠長なことをしていられる?
「女心というものをわかりなさい」
 橘は静かに微笑みながら、そう言った。
「殿下は、今のお姿を、殿方には見られたくないのです」
 ちらりと水瀬を見た橘は小声で続けた。
「水瀬君は特に」
「?えっと……お風呂にでも入られていたのですか?」
 水瀬にとって、女の子が男に見られたくない姿で想像できるのはその程度だ。
「……だとしたら?」
「大丈夫ですよ」
 水瀬はにっこり笑いながら言った。
「僕、殿下のすっぽんぽん見たことあります」
「……」
 微笑みを絶やさない橘の額に青筋が走ったのに、水瀬は気づかなかった。








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