ターミヌス
*** TP―TC Episode00;Arioth
マシンは突然止まった。仄かに藍色、僅かに短波の可視光を感じる亜空間。
「おい、どうした?」
現代標準時1532。
マシンの到達年紀BC720年6月。
場所はアナトリア半島西側、到達年紀ではリディア王国とギリシャ植民地の辺境。
感覚的には11時間ほどマシンに『乗って』いたことになる。
あと520〜30年程だと言うのに・・・
「オペレーター!」
「はい、何でしょう?」
中空に声だけが響く。が、例え聞く者がいたとしても、その声は彼にだけ聞こえるはずだ。
「どうした?止ってしまった」
「システム・オールブルー。問題はございません」
「だから止まっているって。原因はなんだ?」
「全て正常値を示しております。問題はございません」
男は舌を打つと、
「マニュアル。音声認識」
空間に擬似窓が開く。
「緊急時。停止。原因不明」
擬似窓が変化しそこにFAQが並ぶ。
「移送空間で突然の停止・・・原因・・・故意、または操作上のミス、ではない・・・」
男の額に汗が浮かぶ。それに気付いた男は振り払うように右手の甲で汗を拭うと擬似窓を見直し、ここ数時間ですっかり身についてしまった独り言を呟きながらマニュアルを繰る。
「お若いの。お困りか」
男はギクリとスクリーンを見る。マシンの外、走路の真ん中にいつの間にか老人が立っていた。
「ばかな!亜空間走路に人が・・・画像か?」
時空走路はオリジナルの虚数域、人呼ぶところの亜空間であり、オリジナルでなければ走行も存在も出来る訳がない、と聞かされている。もしオリジナルでなくなればこれだけマシンが亜空間を走る世の中だ、いつ正面衝突してもおかしくはない。それは真っ暗闇で識別子を断って航空機を飛ばすようなもの。いつ『対向車』が来て・・・
すると更に驚くことが起きる。老人が手にした杖を振るとその姿は消え、一瞬の後、彼の目の前、マシンの中に出現した。彼は思わず身構える。
「ああ、驚かせてしまったな。すまない、お邪魔するよ」
老人は彼が目を見開き、混乱したまま固まってしまったのを見て、
「そう気に病むことはない。世の中不思議の種は尽きない。また、お前さんの知識も無尽蔵ではあるまい?」
彼の混乱を楽しむ風の老人は古代ギリシャやローマ人のような緋色のローブを身に纏い、童話の魔法使いが持つような瘤だらけの楡の枝で作った杖を突いている。
「さあ、若いの。ここが終点だよ」
「終点?」
「そうさ、この先は行き止まりだ。誰もこの先へは行けない」
「そ、そんなばかな!そんな話は聞いてないぞ!」
「可哀想にお前さん、だまされたな?いくら払った?500万UN?700万?」
「説明しろ!これは何だ?」
老人は悲しそうに首を振ると、
「最近の若いのは礼儀を知らんな。お前さん、何処へ行くつもりだったね?」
男は黙してシートの右手側車体の隔壁をタッチする。すると突然彼の右手に拳銃が現れる。男はそれを老人に向けると、
「あんた、TP、か?」
「そろそろ気付く頃合だ、と思っていたよ、若いの」
「ふざけた格好しやがって。状況を説明しろ、これはお前の仕業か?」
老人は傷ついたかのように頭を振り、
「似合わないかな?この衣装は私の趣味だ。我侭を通して貰っていてね。制服の方が良かったかな?」
自分の冗談に顔を顰めると、
「こいつは誰の仕業でもないよ。強いて言えば・・・神の仕業だ」
男は呆れる。
「神だって?笑わせるな、因果律を葬って神の存在を否定し冒涜したのはお前らじゃないか」
「因果律か・・・そんなものを持ち出さなくとも神は存在するよ、ここにな」
老人は真剣な眼差しで自分の胸を指差す。
「おまえ自身が神だと言うのか!」
「滅相にない。神はそれぞれの精神に存在する、そう言いたかっただけだよ」
老人はそこで何かを振り払うかのように杖で男の持つ銃を差し示し、
「さ、そんな物騒なものは仕舞いなさい」
「そうは行かない。この状況を何とかしろ、さもないと・・・」
男はお気に入りの21世紀由来のオートマチックを老人に擬する。すると・・・突然弾かれたように男の右手が上がり、男はうめきを上げる。それはまるで透明な巨人が男の右腕を捻ったかのように見えた。銃は手から離れて落ち、床へ落ちる前に消えてしまう。
「名前は?」
「な・・・・に」
男が噴出した汗もそのままに苦悶の表情で老人を見やると、
「『フレンズ』、手加減しなさい。お客様が痛がっている」
途端、男は投げ出されるようにシートに崩れた。
「名前を名乗りなさい」
「お前こそ名乗れ」
赤く痕の付いた腕を摩りながら男が負けずに返すと、意外にも老人が済まなそうに返答した。
「ああ、申し訳ない、私はアリオスという」
「・・・ジェイク」
「ありがとう、ジェイク。さあ、帰ろうか」
するとジェイクは自らの意思に反して立ち上がり、正に身体が宙に浮いた。ジェイクは『ピッカー』のことはもちろん知っていたが、そんな高価なものは持っていない。オペレーターは単なる携帯思考端末でロボットではない。彼は諦めた。
「くそっ。分かった、抵抗はしない」
「いい子だな、ジェイク。この程度なら5年で済むだろう。大人しくするなら法廷で証言してもよい、残念ながらタキオン通信で音声のみだろうが・・・大人しくしていれば、だがね」
「・・・・・教えてくれ。本当のところ、これはどうしたんだ?」
「そうさな・・・時空の壁、ってやつだ。一般には発表されていない。学者の間では以前からあるのではないかと言われていたが、我々も最近になって発見してね。それまでも最長不倒距離を狙って過去へ出て行った奴は居たが、我々を含めてここまで辿り着けるだけのエネルギーゲインを持ち合わせたマシンを作る事が出来なかったんだな。
ここ数年の開発によって投射距離3000年以上を達成したんだが・・・本当にお前さん、何年に行こうとしていたのだね?」
「・・・トロイア・・・」
老人はほう、と眉を上げる。
「イリオス、か。そうだと思ったよ。木馬が見たかったのかい?」
「・・・子供の頃に読んだ。本当のところ、どうなのかと」
老人、アリオスは大きく頷くと、
「シュリーマンの再来、という訳だね・・・こいつはすまん、口が滑った、許してくれ」
アリオス自身古代に憧れ、その事を皮肉られ傷付いた経験がある。アリオスは首を振ると虚空を見やり、
「アガメムノン、カッサンドラやアキレウス、ホメロスのイーリアス・・・偉大なる神話だ、同感だね。叶う事なら私も見てみたかったが・・・来るのが500年ばかり遅かったな、ジェイク。もう叶わない」
「何故?」
「時空の壁。ここがそうさ。どうしてだか、そんなことは学者が考えている最中だ。今の段階で言えることは、歴史って奴は正史(現在)の航跡のような存在で、航跡が時間の経過で消えて行くように、およそ3000年余りで消えてしまうらしい。そんなところだな」
ジェイクは呆然と、
「そんな・・・」
「そう、ジェイク。君の好きなギリシャ初期やエーゲ海文明、ミタンニ、アッシリアやインダス文明、そう、ペキン原人にもネアンデルタールにもマンモス、剣歯虎、恐竜たちにも会えることはない」
「ばかな・・・それじゃ、俺は一体何のために・・・」
ジェイクは両手を握り締める。アリオスは威儀を正すと、この時ばかりは感情を殺した声音で、
「ジェイク・某。国際協約時空管理法第37条第2項、及び第65条により現行犯逮捕する。現代時・現時点から君の発言・行動は記録され証拠として国際検察局に提出されるのでそのつもりで。君には黙秘権がある。現代帰還時に弁護士を呼ぶことが出来る。弁護士を用意出来ない場合は―」
現行犯逮捕時の手続き通りに権利を伝え終わると、アリオスは再び思慮深い声で、
「残念だったな、夢が叶わなくて」
ジェイクは項垂れた。老人・アリオスは同情するかの様に、
「すまんな、これも仕事でね。さ、フレンズ。彼をルート2、最速で送ってくれ。くれぐれも丁重に、な」
そう言うと、アリオスは杖を振り、マシンから『降りる』。
と、同時に項垂れたままのジェイクを乗せたまま、彼のマシンは宙に浮くと、そのまま亜空間に掻き消えた。
それを見届けたアリオスは、
「本部」
即座に彼を四六時中監視するオペレーターの声がする。
「はい。何でしょう?」
「ああ、ロシェットさん。今のやり取りは聞いていたろうね?」
「はい」
「収容してくれ。それと容疑者は同好の士だ。ひとつお手柔らかに頼むよ」
「特別扱いは致しかねますし、そもそも私にはそんな権限はありません」
音声のみの感情が乏しいオペレーターの物言いに、アリオスは苦笑するしかない。
因りによって一番ドライな女の子だった。他のオペレーターは面白い娘ばかりで、『顔見せ』もしたし、アリオスのつまらないジョークにも笑って合わせてくれるというのに・・・
「了解だ、お嬢さん。ではな、また」
タキオン通信を遮断すると、アリオスは杖を上げ、それを振る。本当はそんな大げさな仕草など必要ではないのだが、この格好だとどうしてもそうして見たくなる。彼がこんな事に巻き込まれる前、10代の頃、ロードショーの『十戒』を3回続けて観たものだ。
目の前に擬似窓が開き、そこに草原が映る。
青い空、白い雲、緑の草原。
点々と茶色く見える山羊たち、毛皮を纏った薄汚れた数人の牧童が棍棒で山羊をまとめている。風が吹き渡り、豊かに茂った草を撫でて行く。アリオスはいとおしげにそれを眺め、もの思いに沈む。
3年もここにいて、何千何万何百万回と繰り返されるこの光景を見ているが、飽きたことはない。これからも決して飽きることはないだろう。
そう、この先は誰にも行けない。
それが発見されたとき、彼はその最先端に常駐させてくれ、と志願した。その時、彼は60歳。荒事を行なうにはそろそろ、といった歳になっていた。
30年前、20世紀人の彼は24世紀に連れて来られたとき、自分の使命を聞かされ、そのときから子供の頃の夢、古代に自分が立てることを喜んだ。コードネームを『アリオス』とし作戦課に所属して、DC機動執行第2班(ヨーロッパ・西アジア担当)の一員となりローマ共和国やペルシャ、ガリア、ブリテン島などに行った。そして今、小アジアのこの地で平和な牧童を眺めている。
24世紀では平均寿命120歳。63歳はまだまだ中年、働き盛りと言える。
彼は20世紀の生まれだが、その頃から歳より老けている様相を見せていた。今の彼は24世紀人には80位に見えるという。
それはそれとして、『フレンズ』の助けを借り現代医療を考えればあと30年は働けるだろう。もちろん働ける限り、彼はこの最後端にいるつもりだ。
この先、この地は争奪の対象となる。
ギリシャ、ペルシャ、アレキサンダー、ローマ、モンゴル、チムール、イスラム、セルジュク、オスマン、トルコ、ヨーロッパ連合・・・争奪の歴史、その先に現代がある。
「侵入警報。侵入警報。シグナルR。味方識別因子なし」
突然の声。アリオスは吐息を吐く。
「今日は盛況だな、フレンズ。今度はどこだ?」
「イングランド南東部。ロンドン付近。」
『Personal Compute RAIDroid』、製品名『PICCER』は国際協約企業ロイドインダストリが販売する人型汎用思考端末で、TPが使用するものは限定的な対人戦闘や対ピッカー用戦闘が可能な軍用タイプ。マニュル設定で好みの『相棒』に仕立て上げることも出来る。
しかし彼はそれをせず、デフォルトのままで使っていた。そのため彼の『フレンズ』(この名前もデフォルト設定だ)はあくまで感情の籠もらないビジネスライクな反応でビジュアルもなくサウンドのみだ。
「やれやれ。またまた一足早いカエサルやアングロサクソンの真似事か、果てはナポレオンやヒトラーの成し得なかった征服か・・・」
彼は再び吐息を吐くと、
「いいぞ、連れて行け」
途端に彼の姿は掻き消えた。
過去の最果てを目指すTC(時間犯罪者)がいる限りTP(時空保安庁)世紀常駐官アリオスの仕事に終わりはない。
この小品は「空想科学祭2009」参加作品です。
他にも良作がたくさんあります。どうぞご覧ください。