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かなたへ 第八部 Rewind(リワインド) 第二章 見知らぬ俺 第4節
 コーヒーのいい匂いで目が覚める。小さくハミングするかなたの声。ううっつ、良く寝た。身体の重みがとれてスッキリ、ああ、気持ちがいい。伸びをして起き上がる。
「キョン先輩、お目覚めのコーヒーです、インスタントでごめんなさい」
 大き目のマグカップには薄茶色の液体が湯気を上げている。こわごわ啜ると、カフェオレだ。優しい甘み、インスタントのコーヒーのカフェオレがこんなに美味しい訳ない、かなた、美味いよ、これ。どうやったんだ?
「インスタントコーヒーを少量の熱湯で溶かし、蜂蜜を加えてよくなじませてからマグカップで暖めた牛乳に混ぜてみました。
 牛乳、熱すぎない様に気をつけたので、多分、膜も張っていないと思います」
 そうか、蜂蜜か、この優しくて香りの良い甘さは。有難う、かなた。
「コーヒー飲まれたら、着替えてダイニングにいらしてください、今は時間伸張、解いていますから。まだ外は夜中です、お母様と妹ちゃん起こさないように、静かに来てくださいね」
 見ると枕元に着替えの肌着とTシャツ、綿パンが綺麗に畳んで置いてある。手早く着替えると洗面を済ませダイニングに行く。もう食卓には二人分の朝食が湯気を上げていた。カリカリに焼いたベーコンとプチトマトがトッピングされたサラダ、ふわふわのスクランブルドエッグ、厚さ3センチほどのトーストにはパンの厚みの半分ほどに浅く縦横に切れ目がはいっていて、良い具合の狐色に焼け、たっぷりのバターがとろりと溶けてその切れ目に垂れ込んでいる。頂きますの挨拶もそこそこにトーストを手に取る。軽くちぎるときれ目で簡単に分かれ、ちょうど食べやすい大きさ。あれ、この香ばしい風味は何?
「美味しいでしょ、ニンニクの断面をちょっとパンにこすり付けて香りを移してから焼いたんです。
 厚焼きガーリーックトースト、気に入っていただけました?」
 気に入るも何も、こんなに美味しいトースト食べたの初めてだ。
「良かった、おば様にお願いして、昨日、スライスしていない食パンを買っていただいたんです」
 お袋よ、弟子は先生をすっかり超えてしまってるぞ。
「まあ、そんな事言ったら、またおば様に怒られますよ。
 おば様だって時間とお金に余裕があれば一手間、二手間かけたいんです。
 でも、それが出来なくて苦労されてるんですから」
 そうか、そんな事思ったことも無かった、時間が無いのは俺だけだと思っていた。お袋だって俺より早く起きて飯作ってるわけだし、夜だってそんなに早いわけじゃない。高校の授業料だって公立よりははるかに高いし、通学の定期券代だってバカにならないものな。今の高校に入ったら小遣い上げてやるって約束もちゃんと守ってくれてるし。小遣いなんか、使う暇も無いから机の引き出しに結構貯まってる筈だ。
「うふ、それはどうでしょう?」
 え、無くなってるのか?
「急な集金とかあった時、お母様は結構重宝していらっしゃるようですよ。
 大学の入学金で埋め合わせをするって仰ってました」
 ま、さっきの話を聞いた後じゃ怒るに怒れないか。
「キョン先輩、やっぱり大人になってますね。
 頼もしいです」
 朝食を済ませると部屋に戻る。
「じゃ、また、時間を伸ばしますね」
 まずはかなたと柔軟体操をし、勉強にとりかかる。横から覗き込むかなた。かなたなら、こんなのは簡単なんだろうな。
「私でよければ、お手伝いさせてください。
 先輩、何処が難しいんでしょうか?」
 正弦定理とか、余弦定理とか、ごちゃごちゃになっちゃっているんだ。
「うーん、先輩、これは覚え方が良くないかも、公式とか、定理を丸のまま覚えても、直ぐ忘れちゃうでしょ?」
 それ、良く分かるな。
「この覚え方だと、意味が無い文字の羅列を覚えるみたいな感覚だと思います。
 でもね、先輩、急がば回れなんですよ。
 正弦定理と余弦定理、図を書いて二人で一緒に導いてみましょう」
 中学でやった図形の問題や、分数の加比の理、三角関数の加法定理までさかのぼって丹念に条件を分けて証明していく。
「ね、証明って、面倒くさがらずにやればちゃんと理解出来ますよね?
 じゃ、今、お茶入れてきますから、お茶を飲んだら先輩、一人で最初から私に教えるつもりで証明をしてみて下さいね」
 証明をたどる事で昔単品で記憶した知識と経験ががっちりと自分の中で結びついていく。かなたがお茶を淹れて持ってくるまでの間にもう一度筋道を辿る。覚えた……かな?
 お茶を飲んで、白紙の紙に図と式を書きながらかなたに説明していく。途中、角度の条件分けを抜かした部分があったけど、説明することで公式が俺の物になったようだ。
「じゃ、先輩、これらの公式の応用の入った練習問題、やりましょう。かなた、先輩のベッドでオヤスミしてますから。」
 ついついあせりの余り、丸覚えするしかないと思っていた公式がすんなりと身についていく、追い詰められた俺はかえって無駄な努力をしていたんだ。こうやって、ゆっくりと噛み砕いてしみこませて理解していく努力を忘れていたことをかなが気付かせてくれた。
 一区切りつけると英語に取り掛かる、これだってそうだ、文法のテキストの例文を読んで分かった積もりになるんじゃなくて、しっかり覚えて、日本語だけから英文が書けるようになるまで練習していく。その意味と感情を発音しながら自分の感覚に刷り込んでいく。かなたを相手に英語で掛け合いをする練習をする。覚えた文章を後でもう一度書き起こし、かなたと一緒にスペルや句読点の位置を確認していく。そう、長門と一緒にやった、正に真っ当、かつ非常識な時間伸張下での勉強法の復活だった。客観時間の一夜の内に、おれとかなたは三日の集中勉強と十分な睡眠、食事をとる。四日目の朝、5時に目覚めるとかなたは今日も俺の大好物となった蜂蜜入りカフェオレを運んできてくれた。
「先輩、お母様も起きておられます、着替えたらいらしてくださいね」
 ダイニングへ行くとお袋も俺と同じカフェオレを貰って飲んでいる。美味いだろ?
「かなたちゃん、美味しいわ。でも、昨夜はちゃんと寝たの? キョンは仕方ないんだから、付き合って起きてなくて良いんだよ。それにしても、キョン、随分な量の夜食を食べたんだね。勉強はそんなにお腹が空くのかい?
「集中して三日分やったからな、三日分喰わないと身体がもたない、な、かなた」
「食べすぎもお腹を壊すから気をつけなさい、でも、寝てないはずなのに、キョン、今朝は顔色も良いじゃない。かなたちゃんパワーかねぇ」
 お袋、その推測は、多分正しいと思うぞ。
 午後までの授業という事で、かなたは俺のために弁当まで作ってくれていた。感謝だ。
 仕度を終え、俺は自転車で出かける。その時、玄関先に出てきたかなたが俺に言ったのは、思いも寄らない言葉だった。


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