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色々と下準備は必要です。
第一章《間桐臓硯》
第十四話『漂着者の出発』

 
 
 
 side Toko



 
「‥‥ああ、そうか。わかった。到着したら黒桐を迎えにいかせる。‥‥余計な気を遣うな。とっとと帰ってこい」


受話器を置き、灰皿に避難させておいた吸いかけの煙草を口に捩込んだ。
どこぞの誰かが戯れに作ったこの銘柄は世間一般では不評だが、不思議と私の口に合う。
ロンドンにいる義弟から来た突然の電話の内容について思考しながら、一筋の紫煙を吐き出した。


「橙子さん、今の電話は紫遙君から‥‥?」


デスクについて次の展覧会の会場設営の下準備をしていた黒桐が顔をあげ、尋ねてくる。
私は適当に曖昧な返事だけを返したが、それだけで大体を察したらしい。休憩を決め込んだのか、二人分のコーヒーをいれるとこちらに寄越し、自分はソファーに移動して感慨深げに息をついた。
この従業員、最近とみに仕草が渋くなっていっている。まだ若いくせに、雰囲気はさながら隠居した爺様だ。


「そうかぁ。彼がロンドンに行っちゃってから、もう一年ぐらいになるんですね。久しぶりだけど、元気かなぁ‥‥」

「元気も元気、相当有り余ってるようだ。厄介事まで持って帰ってくるつもりだぞ、あの義姉不孝者が」


せいぜい苦虫をかみつぶしたような顔になるように眉間に皺を寄せて吐き捨てたが、黒桐はなにやら微笑ましい顔をしている。
目線の先の自分の顔を撫でて気がついた。‥‥なるほど、どうやら知らず知らないの内に口元が笑っていたらしい。
口では散々言っているわりに本当は帰ってくるのが嬉しくてたまらないくせにとでも思われているのだろうか。‥‥程度の差こそあれ事実を含んでいるから言い返すことはできない、か。
しかしどうにも部下に心境を把握されているというのはあまりよろしくないな。上司として下の者には威厳を示しておく必要があるだろう。
‥‥とりあえず新しく購入した物品の伝票の整理でもやらせるか。


「‥‥ゴホン! じゃあ黒桐、あとで鮮花に倉庫へ行って例のモノを持ってくるように伝えろ。どうも兄弟子が一揉め二揉めするようだからな」

「ちょ、どこ行くんですか橙子さん! 仕事は?!」

「いつかやる」

「いつかってちょっと! 所長ぉぉおおお!!!」

 
背後で何やら叫んでいる気がするが、無視だ無視。
今日はもう仕事なんぞやる気にならん。行きつけのバーにでも行って、戻ってきたらあいつの礼装の調整でもしてやることにしよう。
ああ式、いいところにいたな。今日はちょっと黒桐に甘えてやれ。なに気にするな、最近少々疲れ気味らしいのでな。だからそのナイフを下げろ。
 
 

 
 
 
 
 
「里帰り?」

「ああ。もうこっちに来て一年になるからね。ここら辺で一度顔を出しておかないと、何言われるかわかったもんじゃない」

 
エーデルフェルト邸の一室。来客者を迎える部屋ではなく、この屋敷の主人であるルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト嬢の居室に案内された俺は、午後のティータイムを過ごしながら一時帰国する旨を友人に伝えていた。
彼女とは互いの研究の内容すら知っている程の付き合いだけど、俺が別の世界からやってきたことを知っているのは二人の義姉だけだ。
だから今回の帰国の詳しい事情は全く話していない。言っても理解できないだろうし、どこから情報が漏れるかわからないからな。

 
「それにしても随分とまた突然なんですのね。貴方、この前研究が一段階前に進んだばかりだって仰ってたじゃありませんの?」

「下の義姉が突撃かけてきてね。こりゃ上の方も近いなってことで」

「‥‥そう、でしたの」
 
 
あながち嘘でもないけど、本当でもないことで話を濁す。
そこまで長い付き合いではないにしろ気心の知れた彼女には、それだけで含むものがあると察することができたらしい。
何か言いたげにしていたけど、すぐに言葉を飲み込んでくれた。やっぱり持つべき者は良き友よな。

 
「そんなわけで、俺がいない間は工房の管理を頼めないか? 別に危ないモノ置いてるわけじゃないんだけど、あんまり長いこと放っておくとまたぞろ封印破ろうとかする輩が出るからさ」

「ええ、お任せになって。何日かおきに封印をかけ直せばよろしいのよね?」

「迷惑かけて悪いな。宜しく頼む」

 
魔術師の世界は厳しい。血で血を洗うなんて序の口、他人の工房に忍び込もうなんて下衆な三下は時計塔にだって掃いて捨てるほどいる。
魔術師にとって研究成果は真っ先に秘匿すべき対象だ。他人に公開するのはもとより、盗まれちまうなんてもってのほか。これをやられたら怒るより先に首をくくったほうがいい。自身の工房に侵入され、あまつさえ生かして帰すどころか秘中の秘たる研究成果まで盗まれたとあっては、もうその日から魔術師の看板を下ろせとまで言われているからだ。

そんな背景もあって、俺の工房にはかなり橙子姉譲りの強力で陰険な封印と、それに輪をかけて悪辣で意地の悪い罠を二重三重四重五重にしかけてあるから、侵入されて研究成果を盗まれるなんてことはないと思うけど‥‥。
どちらかというと、万が一にも封印を突破されたら罠にかかってる奴が木乃伊になる前を保護ないし処分する必要があるのが面倒だ。
あんまり長い間留守にするつもりではないけれど、何かあったときのために後顧の憂いはなくしておくべきだろう。

 
「でも出来る限り早く帰ってきて下さいな。さすがに私もミス・ブルーと遭遇するのは‥‥」

「その節は誠にご迷惑をおかけしました」

 
嫌なことを思い出したのか、冷や汗を浮かべつつ苦笑いをしたルヴィアに一直線に頭を下げる。
いつでも自身満々なこの金のお嬢様がここまで動揺するのには理由がある。
実は以前工房に遊びに――研究会に――来ていたルヴィアは、運悪くも襲撃してきた青子姉に散々おもちゃにされたという、一般人が聞いたら微笑ましい表情を浮かべ、こちらの世界の人間が聞いたらだくだくと滝のような涙を流しながら同情するような目に遭ったのだ。
その内容はあえてここでは言及しまい。なんというか、あれは彼女だからこそダメージが大きかったというか‥‥。
とにかく、それ以来彼女は俺の工房に来る前には必ず青子姉の所在を協会に問い合わせる。もっとも大抵まともな返事は返ってこないので、泣く泣く一か八かで訪れるのだけど。さながら度胸試しみたいなもんだ。

 
「まぁ本当に顔を出すぐらいにしておくつもりだからね。研究のこともあるし、すぐに戻ってくるよ」

「ええ。それじゃあ里帰りを楽しんでらっしゃいな」

 
さて、これで当面の問題は全て片付いた。
用件も世間話も終わったのでルヴィアに退出の許可を貰い、俺はのんびりと時計塔へと帰っていった。

 
 
 
 
 

「あら蒼崎君、ご機嫌よう。この前はお世話になったわね」

「や、やあ遠坂嬢‥‥。その節は、どうも‥‥」

 
大英博物館の裏口を学芸員の名札を見せて通過し、時計塔の教室棟の廊下を歩いていると、ふと見知った顔とぶち当たった。
少々とげのある言葉遣いから察するに、どうやら前回、もとい前々話のアレをまだ引きずっているらしい。
あの後完全な泥仕合と化した遠坂嬢とルヴィアの喧嘩と呼ぶには些か生ぬるい戦争は、魔術無しという状況ではあれどしっかりと引き分けであることを観衆が判定した。これは近くにいた何人かのロンドンっ子から聞いたから間違いない。

 
「そんなに縮こまらなくてもいいわよ。別に気にしてないわ。一番悪いのは女とみれば鼻の下伸ばしてひょいひょいくっついていっちゃう士郎なんだから」

「そういうわけでもないと思うけどなぁ‥‥。いや、だからこそ悪いのか‥‥?」

 
教授と話すことがあるからという遠坂嬢と一緒に、俺は延々と続く階段と廊下の繰り返しを進んでいく。ちょうど講義の狭間だからか人影も殆どなく、遠坂嬢は一応こちらでも普段被っている猫を思いっきりはがし、苛々と恋人の愚痴を吐き出し続けている。
けどさ、つまりはそれ、ノロケだろ? モテない男の前でそういうこと言うの止めような?

 
「そりゃ士郎は昨今まれに見るほど生真面目だし、鈍感だけど気は利くし、こっちが真っ赤になっちゃうくらい恥ずかしい台詞を臆面なく言っちゃうし‥‥」

「ははは。納豆喰わすぞ」

 
ライブで砂でも吐けそうな気分です。ハイ。
この娘、さっきから延々悪口ばっかり言ってる気らしいんだけど、段々と顔がにやけていっているのが自分では分からないらしいです。ハイ。
よく見なさいな皆の衆、彼女の右手を。ホラ、なんかぶらぶらさせてるでしょう?
これは普段右手を誰かの左手に預けている証拠です。下手したらコートの中でとかいうベタなことをやっている可能性も高いな。なんていうか、甘々ですね。

 
「ああ、そういえば蒼崎君」

「なんだい?」

「ちょっと頼みたいことがあるのよ。新しく教授から出された課題なんだけど、共同でやらない? 今回は鉱石素材の方に偏ってるからちょっとね‥‥」

「あー、悪いな遠坂嬢。それはちょっと無理だ。明日から里帰りの予定なんでね」

 
肩に提げたセカンドバッグから図面をとりだそうとする遠坂嬢を制する。
もう荷造りも完全に済んでるし、飛行機のチケットもとってしまっている。なにより事前に伝えておいた日時に帰らなかったら橙子姉になにされるかわからない。

 
「里帰りって‥‥日本に? それはまた随分急ね。まだ講義も残ってるでしょ?」

「ちょっと色々あってね。顔を見せるだけにするつもりだから、すぐに戻るよ」

 
時計塔の地下部分は、大体四〜五層に別れている。
一つが地上部分と合わせての講義室が集まっている場所。その下に教授達の講義室や、魔術協会としての通常業務を行うゾーン。そして俺は例外としてかなり上級の、時計塔に出向している魔術師達の工房があり、封印指定などのかなり危険なものを保管しているゾーンが最下層に位置している。
もちろん純粋に地下五階まで、なんて生やさしいものではない。簡潔に分けてみただけで、実際は地下何十階、下手すれば百階を越える超大規模な施設が時計塔である。
俺だってどこまでこの縦穴が続いているのか知らないのだ。おそらく学長ですら全容を理解してはいまい。

 
「と、私はここに用事があるから。失礼するわね」

「ああ。俺がいない間に鉱石学科を壊してくれるなよ?」

「‥‥貴方が私のことをどう思ってるか今はっきりと理解したわ」

 
鉱石学科の教授の部屋の前でばちばちと視線を散らす二人の学生。
かなりシュールな光景だろう。もっとも俺にはそんな気なんて欠片もありはしないのだが。
ひとしきり俺のことを睨みつけた遠坂嬢は、ふん! と鼻を鳴らすと礼儀正しくノックをし、返事を待ってから部屋へと入っていった。
今度会ったとき、何されるのかな、俺‥‥。

 
「さて、そんなことより準備しちゃわないとな」

 
更に深くへと階段を下りていく。既に周りには人っ子一人居はしない。ここは俗に言う、選ばれた魔術師達の住処であるのだ。
俺の根城としている場所だって、本来は魔法使いである青子姉の持ち物だ。他にも封印指定一歩手前やら、封印指定の実行者やら、協会の幹部クラスやらの工房がぎっしりと軒を連ねている。本来は各々の管理地やら自領やらに自前の工房があるにはあるのだけど、出張先とはいえ研究に使うものなれば、その形成に手抜きはない。
完璧な防音および対魔措置によって隣の部屋とは空間的に隔絶してあるから問題はないが、それでもあまりにも実力の在りすぎる魔術師達の住処が密集したこの階層は、ある種の固有結界じみた異界を形成している。

 
「着替えよし。パスポート(偽造)よし。冷蔵庫の中身の処分よし」

 
とんとん拍子に話が進みさえすれば二週間程度で片が付きそうだが、それでも相手が相手なだけに万が一ということもある。ま、長期戦になったらきっぱり諦めて逃げ帰るつもりではあるが。
俺は一応部屋中に散らかっている図面やら書類やら資料やらをひとまとめに整理して奥の部屋へと持っていくと、扉に厳重な封印をかけた。
今この部屋は俺がやってきたとき以来の整然とした姿をさらしている。おお、この部屋ってこんなに広かったのか。

 
「礼装は‥‥橙子姉が持っててくれてるのか。あれを回収して、あとは式に協力して貰えば準備は完了かな」

 
ソファに座ってグラスの中の液体を煽る。安いウィスキーだが、まあ戦勝祈願ならこのぐらいがちょうどいいかもしれない。
相手は数百年を生きた妖怪爺。はっきり言って相性は最悪だ。

 
「ま、なんとかなるさ」

 
くだらない正義感ではあるかもしれない。どうしようもない自己満足であるかもしれない。
まぁあれだ。ぶっちゃけて言ってしまえばこれも自分のためなのだ。
なにしろ、こういう憂いってのを残しておくのは精神的によくない。特に俺みたいにその記憶と情報のせいで半ば精神分裂を起こしかけてるような奴ならなおさらだ。
理論武装っていえばそうかもしれないけど、真実である。でも

 
「正義の味方の真似事ってのも、悪くないよな。男なら、誰もが一度は憧れるだろ」

 
そのぐらいで良いと思う。青子姉の言うとおり、あんまり深く考えることはない。
とりあえず今日はもう寝てしまおうと思った俺は、寝酒代わりにもう一杯安酒を煽ったのだった。

 
 
 
 15th act Fin.

 
 
  
次回から舞台は日本へ移ります。主人公の活躍をご期待下さい。
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