私の充電器
私にとっては、明日が最後の日。
廊下脇の最後部の机に座り、級友たちの様子をぼんやりと眺める。机を囲み、時折くすくすと笑いをはさみながら、小声で談笑する女子生徒たち。コントよろしく、大げさな身振りでふざけあう男子生徒たち。机に突っ伏していびきを響かせながら爆睡している女子生徒もいれば、静かに読書をしている男子生徒もいる。ふと本から顔を上げると、こちらを振り返り、おずおずと微笑んだ。それに応えずに目線を逸らす。ふう、とため息がでた。
何を隠そう、私は電気で動いている。いやもちろん、級友たちにはひた隠しにした秘密。
生まれつきの体ではない。私は小学校中学年のころ、大きな事故に巻き込まれ、瀕死の重傷を負った。それを偶然ある組織に拾われ、改造手術を受けたのだ。その組織の名を書けば、読んでいるあなたに危険が及ぶので、ここでは伏せておく。
組織は、何も慈善事業の一貫として、高額な費用のかかる手術で私を救ってくれたわけではなかった。少年少女を組織の構成員として幼少時にスカウト、年齢相応の学校に潜入させて、人さらいや生徒会の支配など、組織が展開する悪事の手引きをさせる。成人したあかつきには、戦闘員として、先頭に立って世の正義と戦わねばならない。それが、組織が請求する手術費用。
子供心に組織が悪の権化であることをさとった私は、ある日、自らの命を救ってくれた者たちのもとを逃げ出した。それから潜伏の時を経て、今の平凡な女子高生としての生活に至るまでの経緯は、ここでは省こう。今はそれよりも、大事な事がある。
組織から与えられた身体の動力源が、ほぼ尽きようとしているのだ。私は、明日で最後。
この体を動かすのは、電気である。通常の人間なら心臓がある位置に、大容量のバッテリーが収められている。このバッテリーは家庭用電源から充電をすることが可能で、充電時間は約三時間、満充電の状態からの継続活動時間は、激しい運動をしなければ、約二十時間。普通の高校生の日常生活を送る分には、問題ない性能のはずだった。「へたり」が来るまでは。
携帯電話でもパソコンでも、バッテリーにより動く電気製品を使ったことがある人なら知っているだろう。バッテリーは、繰り返し充電と放電を行うことにより、徐々にその性能が劣化していく。蓄積できる電気の量が減り、最後にはまったく充電できなくなってしまう。私が自らのバッテリーの消耗に気付いたのは二年前。それ以来、だましだまし運用してきたのだが、今では、満充電の状態からでも半日で空になってしまうほどに劣化してしまっている。最近では、病弱を装って、体育の授業は全て見学にするほどだ。そうでもしなければ、昼日中に電池切れで活動停止に陥ることになる。
しかし、それは決定的な問題ではない。バッテリーのへたりだけなら、常に電源につながった状態で生き延びるという方法もあるからだ。私に最期をもたらす、その物の名は「ヂヂリウム」。
もともと戦闘員として造られた改造人間が、闘いの最中に電池切れで動かなくなってしまっては、役に立たない。そんな時のための、緊急的な発電能力が、この身体には備え付けれている。希少エネルギー物質「ヂヂリウム」。本来、電子頭脳の超並列処理に用いられているその超伝導物質は、強制的に崩壊させることにより、大容量の電力へと変換させることができるのだ。
費用対効果を考えれば、ありえないほどの無駄遣いで、あくまで緊急時の措置なのだが、バッテリーにへたりがきた私は、最近になってその措置に頼らざるを得ない事態を何度も経験していた。そのせいで、ヂヂリウムは急速に消耗してしまっており、残すところあと僅か。ヂヂリウムは通常の電子頭脳が活動を行う際にも少しずつ消耗されており、ヂヂリウムが尽きると、電子頭脳は活動を停止する。供給源は、組織のみ。
そして私の体内のヂヂリウムは、明日で尽きる。
いつかこうなることは、分かっていた。せっかく拾った第二の命なのだから、最期の瞬間まで楽しもうと考え、今まで生きてきた。たくさん映画を見て、本を読んだ。毎日の授業も大切な思い出だ。
親しい友人は作らなかった。何度か男子生徒に告白されたこともあったが、全て断ってきた。あらゆる級友たちと、付かず離れず。私の本来の気性に合っていたのだろう。そんな淡白な日常でも、楽しかった。ふと目が霞む。改めて教室を見回すと、先程笑いかけてきた男子生徒が、心配そうな表情を浮かべて、こちらを見ていた。この男子生徒は、最も新しい私の犠牲者である。
ひと月ほど前のこと。下駄箱に入れられていた手紙。体育館裏での待ち合わせ。必死に紡がれる言葉と、短い拒絶。走り去る背中。心を満たす、苦い感情。
私と同じく読書が趣味で、頻繁に図書室で顔を合わせ、言葉を交わしていた男子生徒。嬉しかった。言葉を聞いた時、身体を流れる電気の電圧が急上昇、電子頭脳を駆け巡るヂヂリウムがピンク色に輝くのが分かった。しかし、その想いに応えることはできない。私は改造人間。ヂヂリウムが尽きた時、私は終わる。
放課後、誰かに声をかけられる前に教室を出て、独りきりで家路についた。バッテリーはほぼ空、一切の寄り道をせず、家にたどり着くのが精一杯である。既にヂヂリウムが切れかけ、ぼんやりとした電子頭脳では、私をみつめていた男子生徒の顔が、勝手にリピートされていた。それを強引にメモリから追い出し、最後をどのように迎えるべきか考える。完全に活動が停止すれば、この身体は白煙を上げて内部から崩壊し、存在のあらゆる証拠を抹消する仕組みになっている。何も残らない、そのことに言いようのない寂しさを感じつつも、遺体を好奇の目に晒されずにすむことを嬉しく思う。
自宅のベッドで、静かに、その時を迎えようか。そんなことを考えながらとぼとぼと歩き続け、自宅まであと一ブロックというところ。数十メートル先で、近所の幼稚園児の幼女が、道路を横断しているのが目に入った。ふとこちらを向いた幼女と目が合う。にっこりと笑う、疑うことを知らないその顔に、弱く微笑みを返す。と、その向こうから、トラックが猛スピードで走ってくるのが目に入った。ズーム。ハンドルに突っ伏している運転手が見える。居眠り運転。
トラックのエンジン音に気付いた幼女が、振り返り、硬直する。トラックの速度と、幼女との距離を、電子頭脳が瞬時に計算する。衝突は不可避。
残存するヂヂリウムの大部分を緊急回路に放出、強制崩壊させる。高圧の電力を供給された人工筋肉が爆発的に収縮する。髪とスカートを翻し、幼女までの数十メートルを一瞬で跳躍。小さな体を抱きかかえ、再度歩道へ跳躍した。足先を巨大な質量が通りすぎていくのを感じる。無理な体勢からの跳躍にきれいに着地することがかなわず、転倒する。敷石の上を何回転も転がり、その勢いのまま街灯の柱に激突して止まった。
腕の中で泣き叫ぶ声に、無事を確認し、安堵する。電子頭脳が視界の隅に見せるアラームメッセージ。ヂヂリウム残量、ゼロ。バッテリー残量、ゼロ。明日が最後のはずが、一日早まってしまったけれど、こんな最期なら上出来だ。目の前で煙になったら、幼女はさぞかしびっくりするだろう。変なトラウマにならないといいが。そんなことを考えながら、ゆっくりとまぶたが閉じていく。
意識が途切れる寸前、あの男子生徒が駆け寄ってくるのが見えたのは、電子頭脳が見せてくれたご褒美だろうか。そして訪れる――暗転。
*
――復帰。
半ば自動的に、身体状態をチェック。各部異状なし。外部電源接続中、バッテリー残量三〇パーセント、充電中。チヂリウム残量――僅かだが、回復している。
目を開け、横になっていた体を起こす。肩まで掛けられていた毛布が落ちた。学校の制服のまま、自室のベッドに寝かせられていたらしい。セーラー服の脇からコードが出て、壁のコンセントに繋がっていた。そっとセーラー服の上衣をめくる。へそから出た充電コード。普段は隠されているが、へその脇のほくろをつつくと、出てくるのだ。
「気がついた?」
部屋の入口のあたりから声を掛けられ、さっと顔を向けると、例の男子生徒が、水の入ったコップが乗せられたお盆を手に、微笑んでいた。慌てて、セーラー服を戻し、お腹を隠す。少年は、そのまま部屋に入ってくると、私の勉強机にお盆を置き、椅子を引き寄せて、ベッドの脇に座った。
「……あなたが?」
「うん。今日はなんだか様子がおかしかったから、悪いと思ったけどあとをつけた」
全然気付かなかった。消費電力を惜しみ、周辺センサーまで切っていたためだ。それにしても、この少年の落ち着きは何なのだろうか。後をつけていたということは、私が幼児を救うために見せた、常人離れした動きも見ていたはずだ。それに、この充電コード……。私の顔に浮かんでいたであろう疑問をどう受け取ったのか、男子生徒は言った。
「女の子は家に送ってきたよ。怪我は擦り傷程度。安心して」
「……そう。それは良かったけど――」
聞かなければならない。そうっと、自分のお腹を指さし、問いただす。
「……見たの?」
「……え? い、いや、ごめん。あの、変なところは見てないから」
質問の意味をどう受け取ったのか、急に顔を赤らめ、しどろもどろになる男子生徒。いや、おへそくらいなら、見られても別に……と考え、それでも十分に恥ずかしい状況であることに思い至り、釣られてこちらも赤くなる。いや、見た見られたどころの話ではないのだ。なぜこの少年は、私の身体の構造を知っているのか? それに、なんといっても――
「ヂヂリウム……」
「……あ、ああ。ほとんど空だったから、僕のから、ちょっとだけ補充しておいた」
「補充?」
「い、いや、本当に、軽く触れたくらいだから! それ以上のことはしてないから!」
未だ事態を理解できずにいる私に対して、一層慌てた様子で、身振り手振りを交え、必死で弁解する少年。その挙動を不審に思い、ヂヂリウムの補充について、電子頭脳内のマニュアルを参照する。
『ヂヂリウムは通常、固形状態のものを口腔奥の補充口を経由して補充する。緊急時においては、改造人間同士の身体接触により、循環液状のものを受け渡し補充することも可能である』
脱走以来、ヂヂリウムの補充など完全に不可能と決めつけ、確認すらしていなかった記述箇所。
「改造……人間?」
「ま、まあね」
「身体……接触?」
「だ、だからさ、本当にちょっとだけ」
「液状で受け渡し……!?」
「ちょっとだけ、キ」
「いやああああああああああああああーーーーーッ!!!」
チヂリウム強制崩壊。右腕に内蔵された電磁誘導鋼鉄槍に全電力を注ぎ込み、目の前の強姦魔めがけて最高出力で叩きこむ。私の最強の攻撃の直撃を腹のど真ん中に受けたそいつは、部屋の反対側にまで吹き飛び、壁に叩きつけられた。
「……ス、みたいな……」
途切れ途切れでつぶやきながら、壁からずりさがり、その場にボロ雑巾のように崩れ落ちる。薄れ行く意識の中でその言葉を聞きつつ、補充されたばかりのヂヂリウムを使いきった私もまた、意識を失った。
*
――再復帰。
再びベッドで目を覚ました私に対し、椅子の背を盾に、いつでも逃げ出せるように半ば腰を浮かしながら、少年は説明した。自分も私と同様の改造人間であること。私の素性はしばらく前から疑っていたということ。彼の方が私よりも新型であり、ヂヂリウム変換効率、バッテリー性能共に優れているということ。私はベッドの上で、相手からできるだけ身を離し、毛布にくるまり身を守りながら、その話を聞く。
「変換効率が悪い君に分け与えながらでも、二〇〇年くらいは持つと思う」
さりげなく、私がポンコツだとはっきり言ってのけた。じろりと睨みつけた私の視線に、びくりと身をすくませ、椅子の背の向こうに縮こまる少年。総合的な戦闘能力は、私の方が上らしい。別に取って食おうというつもりはないが、今またこうして意識が戻っているということは、またも私が気を失っている間に勝手に、この男に、キ……ヂヂリウム補充をされたということだ。そう考えると、一撃でトドメをさせなかったことが悔やまれる。
それにしても、である。
「……組織に連れ戻しに来たんじゃないの?」
「へ? いや、僕も脱走組さ」
てっきり、組織が学校に潜入させているエージェントだと思い込んでいた私は、思わず拍子抜けする。一つの学校に脱走した改造人間が何人もいるというのは、いくらなんでもユルすぎはしないか。これでは、他にどれだけ脱走者がいるか知れたものではない。やれやれと呆れつつ、それでも、どうしても確かめなければならないことがある。
「……じゃあ、私に近づいた目的は?」
組織へ連れ戻すためではなければ、私に気があるように装い、近づいてきた訳は。既に寿命が来つつあるポンコツに、声を掛けてきた理由は。
戦闘力をあてにしたか? あるいは、スペアパーツにでもしようというのか。あの日、体育館裏で、この男と相対した時をメモリ上で再現する。紅潮した顔、震える肩。見事な演技だ。これも新型の機能だろうか。感情を隠すためには、仏頂面をしていなければならない私からすれば羨ましい限りだ。
しかし、私の問いを聞くと、それまで腰のひけた様子で話していた少年は、急にきっとした表情になり、言った。
「あれは好きだから好きって言ったんだ」
ややもすれば怒りを含んだかのように聞こえる口調に、返す言葉を失い、思わず目を逸らして、俯く。真剣な顔に、私の電子頭脳で繰り返し再生されていた、あの日の告白が重なる。
『好きです。いつも君を見ています』
その告白を聞いた時に湧き上がった、あふれるほどの喜び。そしてそれを瞬時に押し流した絶望、拒絶の言葉に深く傷ついた様子の顔、去りゆく背中に感じた、真っ黒な罪悪感。それらが全て合わさって、電子頭脳の中で鮮明に再生される。
私は改造人間。そして、近い将来に訪れる私の最期。拒絶以外の選択肢はあり得なかった。でも――新たに振って湧いた要素。その演算に、瞬時に電子頭脳の膨大な領域が占有され、言葉を失う。
「ま、まあそれより。問題はバッテリーだね。これは――」
俯いて黙り込んだままの私に、気まずさを感じたのか。その場の空気を変えようというように、話し出す少年。しかし、私の電子頭脳は、その言葉を処理する余裕すら既になかった。そんな実際的な問題より、今はずっと優先順位の高い事柄がある。
図書室で交わした会話、向けられた微笑みの一つ一つを呼び出し、再生していく。電子頭脳は猛烈な勢いでヂヂリウムを消費しながら、演算を続ける。
「――どうしても手に入らなかったら、アジトを襲撃することも考える――」
級友とは距離を置き、あらゆる告白を断ってきた。それが、私の気性に合ってる。それが、私が導きだした結論だった。そんな過去の計算結果を、全て演算しなおす。否、否、否。電子頭脳が、熱暴走寸前にまで加熱していくのが分かる。
「――二人ならなんとかなる。うまくいけば、ヂヂリウムも――」
ヂヂリウム。これまで二回行われた「補充」の間、私はずっと意識を失っていた。私だけ、その感触を覚えていない。
不公平だ。
全ての演算を中止し、顔を上げ、延々と話しを続ける少年を見た。目が合い、言葉が途切れる。不公平は、正さねば。
「補充して」
「え?」
「ヂヂリウム。減っちゃった。今、補充して」
「え? いや」
私は改造人間。普通の男の子と結ばれることは、許されない。でも――
「さっき補充したばか……うわっ」
煮え切らない相手に抱きつき、そのまま強引に引き寄せ、ベッドに押し倒した。口を塞いで黙らせる。理性が、自分の大胆な行動に驚き呆れているが、感情を持つ超高度な電子頭脳の暴走は、止まらなかった。
好きになっていい。生きていてもいい。その想いが、涙となって目から溢れる。乱暴に、無様に、歯と歯をぶつからせながら、私を好きだと言ってくれた人の唇を、何度も何度も奪い続ける。
感情にまかせ、そんな痴態をどれだけ晒していたか。やがて、彼が私の頬を両手で優しく包み、そっと引き離した。その黒く澄んだ瞳に、みっともなく泣き腫らした私の顔が映る。
「……嬉しいけど、これじゃ補充にならないよ」
いまだ激しい息が止まらない私の肩を掴むと、見かけによらない力強さで、私と体の上下を入れ替える。ベッドの上で組み敷かれた格好になる。
「僕も寂しかった。でも、もう寂しくない」
「……」
近づいてくる優しげな瞳の奥に、私と同じくらいの、いや、きっと私以上の激しい感情を見て取る。その炎に恐れ慄き、あふれる悦びに打ち震えながら、私はゆっくりと目を閉じた。
*
この国のどこかに、悪の秘密結社に緩やかに侵略されつつある街があるという。
しかしそこで繰り広げられる人生は、悲壮なものばかりとは限らない。住めば都、地獄も住家。
戦う者たちは、今日もそれぞれのやり方で、青春を謳歌している。らしい。
なんかまた同じような話……orz
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