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伽藍堂の娘

作者:吉野水月
 
 今日は次第に春めいてきているせいもあり非常に暖かい。行き交う人々の服装も軽いものが多いようだ。歓迎すべき季節の到来なのだが、杉花粉症の僕には迷惑だった。

 僕は大通りから脇にそれて小さい古本屋を探して歩いた。ここはSF専門の店で雑誌から洋書まで扱っている。軒先の植木には手入れがいきとどいているし、朽ちかけた垣根からは名も知らない柔らかい白い花がのぞく。この辺りはまだ下町の風情を残している場所だ。歩いてきて気が付いたのだがなんとなく嫌な予感がした。角を曲がった時にそれは確信となった。目指す店には灰色の鎧戸が降りていた。今日は定休日だったのだ。

 僕はひどく損をした気分になった。特に出不精ではないが、また同じ手間をかけてここまで来なければならないことを考えると気が滅入った。
 あきらめて大通りの喫茶店にでも入ろうと思いきびすを返した。
 しばらく歩くと道に迷ってしまったことに気が付いた。全体的に灰色がかってくすんんでいるそこは中小企業の倉庫街のような所だった。人通りも少なく閑散としたここはまるで表通りの煩雑さを隠している様だ。すぐにとって返そうと思い大通りへの道を探したかなかなか見つからない。でたらめに右折や左折を繰り返した挙げ句、現在位置が良く分からなくなっていた。全体的に無機質だと思ったこの界隈だったが古い土蔵なども目立つ。迷うのも面倒だったからこの辺りで道を聞こうと思ったが誰も通りかからない。

 いい加減疲れかけている時、一軒の店が目についた。伽藍堂という文字が木目を強調した看板に崩した白字でかき上げられている。どうも骨董品店らしい。
 少々ためらいながら古びた扉を開けた。意外にも軽やかなベルの音が響く。中に足を踏み入れると不思議な匂いが辺りに漂っているのを感じた。黴臭さや埃っぽさとはまた違う、時を積み重ねた物だけが持っている匂い。或いはこの空間を凝縮した時そのものの匂いとでも言えるのだろうか。
 薄暗い店内を見渡すと濃い闇の中から数々の骨董品がその姿を覗かせている。大きな振り子式の古時計、年代モノらしき陶器、太古の機械のような旧式の無骨なカメラ、様々な動物を象った置物、異様な生物のよに甲冑や兜、おそらくは錆びついて抜けないと思われる刀や槍、火縄銃まで壁に立てかけてある。
 上は三階くらいまであって吹き抜けになっており、場違いな程ひどく豪奢なシャンデリアが下がっていた。
 なかなかに洒落た店だ。それに何故か外から見た店の外観に比べて中が随分と広いような気がした。古色蒼然とした棚に置いてある汚れた招き猫の向こうにちらりと人影が見えた。
 僕は眼を凝らした。だが向こう側に立っていたのは僕自身だった。よく見るとこの店の壁は鏡になっているようだ。広く見えるわけだ。
 再び周囲を見回した。人の気配がまるでしない。ひょっとして留守なんだろうか。

「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか」
 突然、背後から明るい声がかかった。僕は危うく叫び出してしまう程驚いた。まさか人がいるとは思わなかったのだ。振り向くとそこには十代後半か二十代前半くらいの小柄な女の子がいた。チェックのセーターと白いブラウスに黒いネクタイ、ズボンというバーテンに近い服装で髪型はショートにしている。それに整った顔立ちとはっとする程透明な眼差し。アルバイトか何かだろうか。
「あっ、いや道に迷ってしまったのですが…駅はどっちでしょうか」
 数秒間を置いて彼女は答えた。
「この店から、真っ直ぐ行って薬屋の右を曲がって下さい。大通りに出られます。それで……」
「そこからは分かります。どうもありがとう」
「あ、そうですか」
 そう言うと彼女は微笑んだ。素っ気ない感じだが案外可愛いらしい。 
「今はお忙しいですか」
「いや・・・特に」
「気が向いたらで構いませんから店の品物でも見ていって下さい。何かあったらどうぞお聞き下さい」
 彼女はすっと闇に溶けるように奥に消えた。僕もこのまま店を出てしまうのも何となく気が引けたし、この店にも興味もあったので見て回ることにした。

 店は様々な骨董で溢れているため狭苦しく思えたが鏡のせいか、案外奥行きがあった。奥へ進めば進むほど高価な貴重品が多くなっているのだろうか。不気味な西洋人形や何かを象った彫像、奇妙な形の弦楽器、タペストリーから駝鳥の足の剥製、アンモナイトの化石まで飾ってある。周囲を見回しながら歩くとカウンターに突き当たった。

 先程の女の子がカウンターで帳簿を付けていた。カウンターもどっしりとした年代物とおぼしき机だ。
「何か御眼鏡に叶うものがありましたか」
「あ、特に……でも面白いものですね」 
そこまで言った時に僕は机の上にある銀の鎖時計が目に止まった。三人の妖精、女神…だろうかの彫像が三方に刻まれている精巧な時計。一見して年代物と分かる品物だ。
「この時計、綺麗ですね」
「ええ、それは私のです」
 彼女は、そう言うと時計を大事そうに手に取った。白く細い手。時計が薄暗い電灯を反射して眩い程の銀色を僕の網膜に投げかけた。
「いつ頃の何ですか。日本のものじゃないですよね」
「よくはわかりません。由来もはっきりしないんですが良い物です。私も気に入ってます」
 時計の価値がまるで分からないのに何故かその銀の時計が何故か非常に惹かれた。そう、何故だか欲しくなってしまったのだった。
 「ありがとう、また来ます」
 取りあえず彼女に礼を言って外に出た。

 それから、僕は時々、この店に遊びに来るようになった。彼女は帳簿をつけたり、棚にはたきをかけたりとそれなりに忙しそうだったが、僕が何か骨董品の事をたずねると必ず詳しい説明をしてくれた。その説明はまるで博物館のガイドの様に流暢だった。この年頃の女の子が骨董品に興味を持っているのはとても珍しかった。アルバイトがこんなに詳しいわけがないからこの家の娘なのだろうか。一度聞いてみたがはにかんだような笑みを浮かべて下を向くだけだった。何故だか彼女はいつもそうだった。彼女は骨董に関しては良く話すが自分のことを聞かれるといつもうつむいてはにかむだけだった。名前すら教えてもらえなかった。何か複雑な事情でもあるのだろうか。
 彼女は何か会話にも不自然な所があった。声をかけても聞いていないというより、そう、反応が妙に遅い。しかもそれは彼女が掃除をしていたり何かをしている時ではなく、ただカウンターに座っているだけの時の方が多かった。ひょっとしたらこの娘は耳が悪いのかもしれない。だが、そんなことはどうでも良かった。僕にとってはこの置き忘れられ、古さを凝縮したようなこの店の雰囲気、そこにいる不思議なところがある可愛い笑顔の店員、そしてあの銀時計があるという方が重要だった。
そして、店に寄る回数とその時間が多くなりそれにつれて、いつも彼女が肌身離さず持っているあの時計を何としても手に入れたいと思うようになっていた。

 僕はついに彼女に切り出した。
「この時計を是非譲って欲しいんですけど……」
 彼女は少し何かを考えているような素振りを見せた。
「いいでしょう。だけど私はお金に興味はないんです。ですから別のものをください」
 僕は一瞬有頂天になった。
「では……何を」
「そうですね、ではちょっとしたゲームをしましょう。三日間、普通の商品と同じようにこの時計を商品棚に並べておきます。場所を変えたりはしません。三日のうちに探し出せたらあなたのものです。お代はいただきません」
「もし探せなかったら?」
「その時はあなたの命をもらいます」

 唖然とした。一体何を言っているのか分からなかった。だが彼女はいつもの微笑を崩さず、いかにも当然といった風の顔をしていた。何かの局面に人が陥った時とっさに取るべきでない行動を取ってしまうことがある。例えばはねられるのが分かっているのに、足がすくんで猛スピードで走ってくるトラックに引かれてしまうというような。今の状態は全くそれと同じだった。僕はどういうわけか頷いてしまったのだ。
「良かった。ではそういうことにしましょう」
 彼女は微笑むと店の奥の闇に姿を消した。

 何だかひどく現実感に欠けた光景だった。僕は先程の彼女の言ったことを考えた。彼女はどこか精神的に問題があるのかもしれない。でなければあんなわけの分からないことを言うわけがない。
時計のかわりに殺すなんて。そう考えてみると今までの彼女のおかしな様子にも合点が行くような気がした。明日もあの店に行くべきだろうか。彼女のおかしなゲームにつき合うべきなのだろうか。

 今日は薄曇りだった。
 結局僕は店の前に立っていた。ドアを開ける。鐘が虚ろに響く。だがいつも挨拶をしてくれる彼女の姿はどこにもなかった。変わらぬ雑然とした店内。取りあえず時計を探そうと思い棚を探した。たくさんの骨董の中、小さな時計を探すのは至難の技であることはすぐにわかった。
 僕は時計を探しながらカウンターまで来たが、そこにも彼女の姿はなかった。店内を一巡した後、もう一度店内を探そうと思い二巡目に入った。その時、奇妙なことに気づいた。棚の配置が変わっているのだ。昨日変えたのだろうか。いや違う。変えてあるのではなく増えているのだ。さっき回った時は変わっていなかったのに。
 様子がおかしかった。決して鏡のせいではない。その後も何度も店内を回ったが回るごとに棚が増加している様な気がした。それだけではなくカウンターも遠ざかっているのを感じた。勝手に店が広がるなんて、そんな馬鹿なことがある分けがない
 多分、自分の感覚がおかしくなったのだろう。そう、それ以外は考えられない。明日また来てみれば分かる。彼女も明日は必ずくるだろう。僕はそう考えて店を後にした。

 次の日、僕は再び店を訪れた。中に入って時計を探し始めるとまた棚の数が増えていた。
 それだけでなく、店が途方もなく広がっているのだ。彼女の姿を求めて僕はカウンターを探した。だがカウンターは一向に見つからない。
 目の前には何列もの西洋甲冑が現れたり絶対に骨董品屋で扱っていない程巨大なパイプオルガンやら京都の三十三間堂のように観音像が立ちならんだりした。数限りない鼈甲や鹿や虎の剥製も。 
妄想が止めどなく頭の中からわきでているのか。まるで夢の中のようだった。鏡には有り得ない角度で何人もの自分自身が映る。もはや自分がどこにいるのかもよく分からなくなっていた。
 だがその割に危機感はなかった。ただ疲労感と倦怠感そういった諸々の感覚だけ絡みつくタールの様に足を重くした。
 あらゆるドアを開け続けたが出口すら見つからない。開いたドアは冗談の様にトイレだったり掃除用具置き場だったりした。そういうことが何度が続いた挙げ句ようやく僕は出口から出ることができた。

 三日目。とうとう期日が来てしまった。この二日間というもの訳の分からないこと続きだった。 この店に入った途端自分の感覚が狂うのか。それとも本当に配置が変わっていたのだろうか。もしそうだとしたら絶対に有り得ないことだ。さらにそれが彼女のしたことなら。有り得ないことを実現する。そんなことができるのは……そう神サマぐらいしかいない。なぜか命を奪われるという恐怖は無い。
 僕はドアを開けた。 そして注意深くドアを背にしながら店内に入り込む。いつか見た安物の刑事ドラマを思い出す。五分位たったのだろうか。僕は一歩ずつ店の奥に向けて歩き出した。埃っぽい匂い。いつもの古さそのものの匂い。

 「あんた、客かいね」
 突然素っ頓狂な声がしたので振り向くとそこには見知らぬ小柄な老人がいた。
 「あ、あの……」
 僕の戸惑いには頓着せずに老人はひたすら感心していた。
 「いやー客なんか初めてだよ。本当。今日この店たたむつもりなんだが」
 「ああ、そうなんですか。僕はちょくちょくきていたんで残念です。あのアルバイトの娘も辞めたんですか」
 老人は如何にも奇妙だという風に首を傾げた。
 「えっ、店に来ていたって? 私は自分で骨董屋をやってるくせに売るのが勿体なくてね。あんまり人に売ったりしなかった。だから店はほとんど閉めていた。アルバイトなんか雇ったこともないんだがね。あんた他の店と間違えたんじゃないのかい」
 その時僕は息を飲んた。彼女は老人の後の椅子に座っていた。ひっそりと。ショートにした髪、いつもの服装、整った顔立ちに透明な眼差し……?

 瞳が澄んでいるのはその眼がガラス球だから。顔立ちが整っているのも、手が恐ろしい程綺麗なのも…彼女が人間ではないから。彼女は人形だった。
「あ、あの……これは」
 老人は僕が指さした人形を見て笑った。
「ああ、これかね。これは結構珍しい代物でな。出所は分からなんだが、普通この手の西洋人形と言えば無表情なのが相場だが、これは違う。実に絶妙に少しだけ笑っている。まるでアルカイックスマイルを浮かべた仏像みたいだろ……」
 老人の講釈は延々と続いたが僕は全く聞いていなかった。僕の視線は彼女のあのはにかんだ微笑に吸い寄せられていった。あの笑顔は人間のものではなかった。あんなに人を引きけた笑顔だったのに。僕はその時彼女の手に例の時計があるのに気づいた。
「すみません。これいいですか」
 老人に断り、彼女の手から時計を取り上げた。
 それは、あの何とも古びた質感のある時計ではなく銀メッキをしたプラスチックの妙に軽い玩具みたいな時計だった。デザインは全く同じでもので僕が惹きつけられていた時計とは正反対な感触だった。
「これいくらですか」
「ああ、これかい。がらくただなあ。何かの拍子にまぎれこんだんじゃろ。いいよ。持っていきなさい」
 もうそんなに欲しくなかったのだが。
 「今度、長野の方で小さな博物館作ったから、折りがあったら訪ねてきて欲しいな」
 老人は僕に地図を渡すと店の奥に消えていった。
 僕は店を出ようとしてもう一度彼女の方を見た。彼女はさっきと変わらずあのはにかんだような微笑を浮かべていた。店を出る時に開けたドアにかけたベルの音がカランと言う乾いたやけに大きな音を響かせた。
大昔の発掘品。自分でも書いたことを忘れていたものを発見した時には不思議な気分になりました。それなりに真面目に書いてたんだな~

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