第六十三話 依頼完了
目が覚めると馬車に乗っていた。
外を見れば魔物が点々と存在し、こちらを気にせず草を食んでいる。見慣れた帝国の風景だった。
見慣れた風景なのにふとした違和感。あれ? 私いつ着替えた。蜘蛛人のスーツはどこにいった。というか。
私何で馬車に乗ってるんだっけ?
魔王に手紙の返事を頼まれ、アンダルまで戻った。そこでギルドマスターに現状の報告と協力を求めようとしたら受付のばあさんに邪魔された。いや、邪魔と言うかボケてどうしようもなかった。
だから宿で寝て、絡んできた冒険者を焼いて、騒ぎを聞いたギルドマスターが出てきて現状を報告した。
何だか頭と腹が痛そうにしていたが、ギルドマスターの重責に所為だろう。あそこのギルドマスター確か元文官と聞いた、細かいことを気にし過ぎなんだ。
「うちじゃ扱いきれん。ムスタングのギルドマスター、いやファース辺境伯まで持って行け。あとこの像も返す。間違っても紛失しないように。それと衣服と馬車を用意するから着替えて今すぐ行け。全く、目に毒だ」
そうだ、それで蜘蛛人のスーツは置いて行って馬車に乗っていたんだ。寝すぎて忘れていた。
それで今どこ?
「あ、起きました? もうムスタングが見えましたよ」
随分と寝ていたようだ。いつもならセルミナと交代で寝ていたから。……そうだ、セルミナ。
隣を見てもそこには誰もいない。いつも一緒にいた妹は今はいない。
セルミナ、元気にしているかな。
ムスタングのギルドマスターに依頼の報告をすると難しい顔をして、唸り声を上げた後にファース辺境伯の下へ行けと言われた。
たらい回し、という言葉が浮かんだがどうせ辺境伯の下へは行かないといけなかったから気にはしなかった。口から気づかずに漏れていたかもしれないが。
「イフリーナ・ヘルベート様ですね。お待ちしておりました。ご案内いたします」
辺境伯邸に着くと、何故かまるで来るのを知っていたかのように執事が扉の前で待っていた。普通貴族の屋敷に訪れる際アポイトメントを取る物だが、面倒だったので無視した。だから誰かが待ち受けることは無理なはずなのに。
勘が良いのか、運が良かったのだろう。良くあることだ。
すでに歩き出した執事の背を追う。貴族の屋敷で案内人を見失うのは死に等しいのだ。
執務室と思われる部屋の前で止まると執事が戸を叩く。
「旦那様、例の冒険者が来ました」
「なに!? 聞いていないぞ」
「今言いましたので。どうぞイフリーナ様。ご報告をお願いいたします」
辺境伯の返事も待たずに執事は扉を開け私を中に誘導する。中々に愉快で度胸のある奴だ。執事にしておくのがもったいない。
この主はどんな人物なのか、依頼人ではあるがギルドを通してなので顔は知らず期待してみたが、あまり面白そうな人ではなかった。
最初の印象は蛇だ。肌は白く目付きは鋭く何をしても悪いことを考えている人間にしか見えない。これで口が裂けていれば立派に蛇だったと言うのに。
「何だ、私の顔に何かついているのか」
「皮でしょう? もしくは目か口か。しかし婦女子を睨みつけるとは紳士のすることではありません」
……何故か執事が主人を叩いているように聞こえる。主従関係ではないのか? まあ私の不利にはならないのなら構わない。
「魔王に手紙を渡してきたぞ。……ましたです」
貴族相手の応対は全てセルミナに任せてきた所為でどうも曖昧だが多分問題ないだろう。
「イフリーナ様、無理をなさらず普通にしていただいて結構でございます。報告さえしていただければ十分です」
「おい、何を勝手に」
「ほんとか。助かる、肩の凝る喋り方は苦手でな。
依頼の手紙の郵送は終わった。途中魔王と敵対したが傷一つ付けられんで負けた。で、捕まったんだが手紙を見て帝国の使者だと納得して解放してもらった。それで魔王から返事が……なんだっけ? そうだ、とっとと交渉したいって言ってた。で、この像が魔王の証代わりだそうだ。
これで良いか?」
辺境伯のことなど気にせず報告を終えると執事はぱちぱちと手を叩き、辺境伯は頭を押さえ難しい顔をしていた。
あまり細かいことを考えると体に毒だぞ?
「はい、ありがとうございます。いくつか質問させていただきます。まず、魔王の容姿、それから何の種族だったか。また帝国の事をどのように思っているように見えたか」
「魔王の容姿はその木像通りだ。魔王の姿を象ったものだからな。種族は見ての通り分からん。帝国については何も言っていないが、使者だと言うだけで攻撃したことを水に流してくれたんだから悪くはないんじゃないか?」
なるほど、と執事は頷くと三枚の紙を出してきた。
どうやら依頼達成の証明書らしい。三枚も?
あれ? と思うと同時に執事に名前を書くところを教えられ、更にすでに最高級の宿を取っていることを知らされた。これはさっさと書いて休むしかない。
ぱっぱと書き終えると執事は笑顔で確認し、不備がないこと再度確認を終えると手を叩いた。すると扉の向こうからメイドが現れた。
どうやらメイドが案内してくれるらしい。何と用意の良いことだ。
最高級の宿だ。きっと飯は美味いし、ベットもふかふかのはず。セルミナには悪いが堪能させてもらおう。
メイドがまるで極楽へと導いてくれる人に見えた。
「それで、何を書かせたんだ?」
依頼証明書、本来であればあんな物は必要ない。依頼の報酬を税金で払うのなら一枚は必要になるが三枚はまずない。
「こちら、隷属契約書にございます」
そもそもクラースが人をフォローしたり、好感を持たせる行動をするときは大抵何かをする時だ。例えそれが主である私でも同じだ。
そして今回は図に乗せて隷属契約書を書かせるつもりだったらしい。しかもご丁寧に奴隷主の所は空欄のまま。これはつまり。
「魔王への詫びか」
「はい。いくら旦那様に僅かの非しかないとはいえ、雇った相手が敵対行動を取った以上何らかの詫びをしなければなりません。ですので、イフリーナと妹のセルミナを奴隷として魔王に献上しようと思いまして」
「また勝手に」
「何か問題でも? 旦那様も同じことをしたでしょう?」
同じでも許可を得てと得ずは過程に問題がある。というか私の心象と面子に非常に悪いのだが。
「ああ、イフリーナ様がいらっしゃった時に行ったことは全て本心ですから気を付けてください。目つき怖いんですから」
今更気にするような奴でもない。そして今更気にするようなこともでもない。クラースの思惑通りだと思うと若干癪だが。
「とりあえず過程はどうあれ結果的に魔王と接触できたのは大きい。これからについて話をするが、どうせギルドマスターを呼んでいるのだろう。連れて来い」
「それなのですが、お呼びしようとした所、腹が痛いとお断りになり」
「くだらないことを言わせてないでとっと連れて来い!」
「はい、そう仰ると思い少々強引に連れて参りました」
どうして最初の時点で連れてこないのか。いや、分かっている。ただの嫌がらせだ。
そしてやってきた、訂正する。数人がかりでギルドマスターが運ばれてきた。
少々ではないな、かなり強引な手段を使って連れてきたな。薬か?
「お休みの所申し訳ございません。ご意見を伺いたいので起きてもらってもよろしいでしょうか?」
クラースは床に置かれたギルドマスターの肩を叩き起こす。
「う、うぅむ。……ハッ!」
「おはよう」
目覚めたギルドマスターは混乱した様子で辺りを見回し、私の顔を見て何かに気づきクラースの顔を見て諦めるように頭を垂れた。
この様子だと呼ばれた理由ぐらいは悟っているようだな。
「さて、お前の方にも当然報告が来ていると思うが、冒険者が手紙の郵送中に魔王へ攻撃を仕掛けている。いくら魔王が許しているとしても看過できる問題ではない。よって、魔王へ詫びの印として冒険者二人を献上することにした。犯罪か借金かはこちらででっちあげる。了承しておいてほしい」
「……さすがにダンがいなくなり、その二人までいなくなると厳しいものが。あ、いえいえ、分かりました。根回しもしておきましょう。それではもう帰ってよろしいですよね?」
「残念ながらこれからが本題だ」
何やら逃げ出したいようだがギルドマスターには重要なことを聞いておかねばならない。
そのために先程イフリーナが持ってきた魔王の証、魔王の木像を前に出す。
その瞬間、ギルドマスターの顔が引きつった。どうやら用件は理解できているようだ。
「オワの大森林魔王ノブナガ。こいつの種族は何だ。何を得てとし、何を不得手とする」
魔王の正体。普通は一目で分かる物だが、この魔王はこの大陸にいる魔族のどれとも似つかない。
だが冒険者ギルドなら資料も豊富のはず。分からないと言うことはないと思うが。
「イフリーナが出て行った後に調査しましたが、不明です。似たような魔王はいますが、別種と判断出来ました。幻覚で姿を変えている可能性もありますが、木像があると言うことは自己顕示欲があると思われ、幻覚で変えた姿を木像にするとは考えにくいと」
眩暈がしてきた。冒険者ギルドでも判別が付かないとはもはや新種の魔王と考えた方が良いのかもしれない。いや、人族と関係を持とうと考えが出る辺り新種と考えるべきだったのか。
「クラース、何か意見はあるか」
頼るのは非常に癪だが有能である以上無視することは出来ない。
「そうですね、情報を集めるのも重要ですが魔王への返事をすぐに決めた方が宜しいかと。魔王は早々に交渉がしたいようですし、出来るだけ要望を叶えた方が心象はよろしい出しょう。ああ、勿論焦らして交渉を優位に進めたいのでしたらどうぞ。代わりにしばしお暇を頂きますが」
言いたいことは分かる。クラースの言っていることは正しい。だが最後に癇に障ること言う呪いでもあるのか。情報が無いのに焦らせるわけがないだろう。
露骨な反応を見せればそこから更に棘のある言葉が飛んでくるため、無反応に徹する。
「では、いつとするか。近い日にちが良いが、返事が届く日数を考えると。……日くらいが丁度良いか?」
「旦那様、宜しいでしょうか? 魔王に暦の概念があるでしょうか? 何日後なら理解できるでしょうが、何の日となると難しいのではないでしょうか?」
「む、ではどうする。いつでもどうぞ、とでも返事するのか?」
「はい、それがよろしいでしょう」
嫌味のつもりで言った事をあっさりと肯定され、真意が分からずクラースを見返してしまった。
「間抜け面。……失礼、心の声が。ゴホン、理由ですが魔王は早い交渉を望んでいるのであれば返事が届き次第来るでしょう。となればムスタングへ来るためアンダルに寄るはずです。我々はある程度準備を整えつつアンダルからの連絡を待ち、アンダルは魔王を歓迎しつつ我々に連絡すれば良い。下手な行動さえしなければ問題ないでしょう。まあ、アンダルの代官は少々魔族嫌いで融通が利きませんが」
本当に失礼だが、提案は悪くない。しばらくは遠くへ行く案件は入れられないが、魔王との会談以上に重要なことはそうはあるまい。問題はアンダルの代官だけか。
「ですので、今回は冒険者ギルドにも協力をお願いしようかと思っております。アンダルのギルドマスターは元文官、バランス感覚に優れていたはず。彼を代官の補佐に付ければ良いかと」
「そうするか、では協力を仰ぐとしよう。当然協力してくれるのだろう? ムスタングのギルドマスター」
「了解です。とりあえず酒を贈れば引き受けてくれるでしょう。ですが気を付けてください。酒を呑み過ぎて文官を首になった奴ですから」
その辺りの締め付けはクラースに任せれば良い。表に出ても脅迫と取られない脅しなら得意だろう。
その後は細々としたことを決め、ギルドマスターは退室した。
重要な話が終わり、一息つけると思った瞬間。
「ああ、最後にこちらを渡すのを忘れておりました。公爵領の視察が終わりこちらに向かっているようです」
最後の最後に、最も重要な手紙を出してきた。口頭で伝えられたが一応手紙に目を通しておく。
内容はクラースが言った通り。どうやらこちらの準備も並行して行わなければならないらしい。
忙しくなりそうだ。




