第五十六話
起きると堅いベッドの上。陽が出たばかりなのに外からは人の営みが聞こえてくる。
そう、例えば素振りで風を切る音とか。
俺が起きて周りを見渡すとアリスの姿が無かった。多分外で剣を振っているんだろう。
あいつ俺がハニワ姿のまま寝ているのに何も言わずに外で素振りか? もし誰かが入ってきたら大変なことになるぞ。
人族の姿を取ってアリスを探すと、裏手に日の当たらない所で木の棒で素振りをしているのを見つけた。
一瞬何故木の棒? と思ったが剣を鍛冶屋に預けているのを思い出した。
「おい、アリス」
「ん? ああ、起きたのかノブツナさん。もう朝食か」
声をかけると同時に素振りが止め、アリスは疲れた様子を見せるかのように汗を拭うが、残念ながら汗なんてかいていない。あの程度では軽い運動にもならんようだ。
実はさっきやり始めたばかりなのか、とも思ったがアリスが握っている木の棒。手元の革以外剥げている所を見て短くはない時間素振りしていたのだと分かった。
「朝食がいつかなんて知るか。俺が寝ているのに勝手に出て行くなと文句を言いに来ただけだ」
来るときに匂いがしていたからそろそろか、すでに出来上がっているとは思う。しかしアリス俺が言った文句の意味が分かってねえな。首を傾げてやがる。
文句は分からなくても朝食がいつかは分かるらしく、陽の位置を見て判断したのかアリスは木の棒を捨てて、出来上がったばかりだろうと言うと食堂へと歩き出した。
実際に食堂に着くと出来上がったばかりだったらしく一番飯にありつけた。
この動物的な勘をもう少し俺に対する配慮とかに分けられんかね。
出てきた朝食は堅いパンと豆と肉の入ったスープだった。あの匂いはどこに行ったのか。昼食か夕食の仕込みだったのだろうか。
食べられない匂いの元に思いながらパンを口に運ぶ。
堅いには堅いが、どうもこの身体元の身体よりも力が強く軽く噛み千切れる。とはいえ朝食相手に頑張るつもりはない、スープにつけて柔らかくしてから食べる。
うん、普通の味だ。感想に困るともいう。
「なるほど、そうすれば柔らかくなるのか」
感心したようにアリスも真似し始めた。まあスープを飲み終えた後だったのでパンを僅かに濡らすだけで終わったが。
「王国や帝国の食生活に詳しくはないが、お前はこういうのを食い慣れているんじゃないのか」
スープをパンにつけるなんて初歩の初歩だと思ったが。
「うーん、師匠の下にいたときこういうのは食ったことはなかったかな。稽古場だったらそれなりに良いもん出たし。王都で、門下生も多く、剣聖が主なんだから当然だな。それで外に出ているときは大抵肉だったな。郊外で、手荷物何もなくて、師匠がやるからな。私は獲物を刺す棒を探していた。なければ剣で刺すんだがな」
良い飯かサバイバルか。随分とギャップのある生活を送って来たらしい。更に剣の事ばかり考えどう食べるかなんて考えたこともなかったせいだろう。
「棒だの剣だの思い出したが、さっき木の枝で素振りしていたがあれで良いのか? 重さや重心が違って不安定になったりしないのか」
休まず鍛練を積むのは素晴らしいが、無理に続けようとして道具を変えては実践で不都合が起きたりはするんじゃないのか? ふと疑問に思ったから聞いてみる。
「特に問題ないぞ。剣が棒になった程度で狂うようなら実践じゃ使えないからな。……もしかして剣に興味が湧いたのか?」
悪いがまるで興味はない。『重力』と『守りの戦闘態勢』とダンジョンの防衛機構があれば身を守る手段としては十分だ。
まあダンジョンの防衛機構が完成していないからこうして帝国に来たり、国家群に行く計画を立てているんだが。
「私や師匠並の剣士ならどうすれば斬れるのか感覚で理解する。だが感覚通りの力と速度と角度で斬るのもまた修練が必要で――」
人の答えなんぞ聞くつもりもないのか、アリスは上級者用の鍛練について話している。話を聞く限り仮に剣を握ったとしてもそこまで行く気がしない。
アリスの下で訓練している蜥蜴人も同じようなことをしているのだろうか。いや、前に見たときは訓練の内容変わっていなかったし、壁とやらを超えない限り今まで通り基礎を繰り返すだけだろう。柔軟体操位はしてほしいが。
「で? いつやる?」
人の答えを勝手に決めてアリスが子供の様に輝く目を向けてくる。まあ俺もアリスの話をほとんど聞き流していたから文句は言えない。
だから正直に答えてやろう。
「やらない」
ぶぅーと頬を膨らませても答えは変わりません。
アンダルは交通の要衝であるため非常に人通りが激しい。
例えそれがまだ日が昇ったばかりの朝であっても。
他の街へ移動する馬車とその護衛と思われる冒険者、開店準備を始める店主に、あちこりで情報交換する商人。職人たちは仕事場に向かい、弟子たちは足りまわっている。
朝でも夜でも活気にあふれた街だ。
大変素晴らしいことなのだろうが、適当に街を見て回ろうと思っていた俺にとっては困ったことに過ぎない。
もし意思もなくこの群れの中に入れば、おそらく流れに飲み込まれ気づいたら見知らぬどこかへ着いてしまう。
魔王が迷子なんて話にもならん。まずは目的地を決めよう。目指す場所があれば流れにだって少しは逆らえる。
「アリス、どこか行きたいところ、見に行きたいところはあるか? この街は観光には不向きで特に名所などはないと思うが」
「ん? ……ならとりあえずギルドで良いんじゃないか? そこか鍛冶屋くらいしか向かう先は知らないから」
なるほど、ギルドか。あそこなら建物としても大きいから目印には丁度良いか。
「あ、後ついでに屋台に寄ろう。準備中だろうが無理を言えば」
「却下だ。とりあえずギルドに行くぞ。ギルドだけが魔王の存在に気付いている理由が気になる。アリス、はぐれるなよ?」
「……大丈夫だと思うが?」
一体なぜそこで首を傾げるのか。変なことを言ったか?
湧く疑問に答えを出せぬまま、俺は人ごみの中へと足を踏み入れた。
結論から言えばアリスとははぐれなかった。
俺が人ごみに入った瞬間、俺の周りだけ避けるように割れた。
まさか大通りが狭いとばかりに人がいるのに昨日と同じことになるとは。昨日はまだ人通りはあったもののこれほどではなかったから避けることも容易だったが。今の様に前に進むのにすら苦労する状況でも俺を避けるのか。
どんだけ怖いと思われているのだろうか。
そしてアリスはそうなることを予想していたから疑問符を付けたのだろう。そりゃ、これならはぐれるわけがないわ。
そうしてこの人ごみの中すんなりとギルド前までやってこれた。
この冒険者ギルド、実は運営しているのが国家群にある小さな国らしい。そこは資源に乏しく産業も育っておらず、永世中立国を名乗っているが実際は取るメリットがないから存続しているだけの非力な国だった。
その国の誰かが昔にこのギルドと言う派遣型システムを考案したらしい。そして他国に一生懸命売り込んだ。当然だ、何せ働く人材は現地調達、依頼も現地。国としては建物立てて名前をぶら下げていれば上納金を貰えるのだから。
その結果、大陸に冒険者ギルドが広まったわけだ。
いやはや、素晴らしい歴史。……いや、魔王としては憎々しい歴史なのか。生まれた直後に殺しに来る組織だよな。
「ノブツナさん、ノブツナさん」
アリスが袖を引いて俺に何かを訴えかけてくるが無視する。俺は今このギルドについて考えなければならないのだ。
もしこのギルドが俺にとって危険なものなら排除すべきなのか。しかし冒険者ギルドの総本山は国家群になる国だ。弱いと言っても国だ。それに国を潰してもギルドそのものは必要とされ残ったら目も当てられない事態になる。ギルドそのものの独立性が上がり、上納金がなくなれば他に回せる金が増え、個々のギルドが強力になるかもしれない。
そうなると手を出さない方が正しいか。ベストなのは本元の国のお偉いさんに変わり上納金を上げたり、無能なことをすればいいのだが。国を預かる立場だ、難しいだろう。
「ほれ見ろノブツナさん、ギルドの前に停まっている場所だぞ。後荷物運びを指示している男の頭も注目だぞ」
いやだ、見ない。絶対に見ない。今は考えるので忙しいんだ。他人の様子を観察する暇はない。
えっと、ギルドの事だったか。
「あれは何をしているのか教えようか。馬車で荷物を運ぶんだよ。多分手紙もあの中に入っているぞ。だがそれは良いんだ。あの男どこかで見たことないか。例えば昨日の晩とか。宿屋でとか。そういえばあの男は何で頭に包帯を巻きながら仕事をしているんだろうな」
聞こえない聞こえない。
見えない見えない。
分からない分からない。
「多分あれはギルドマスターだな。見たことなんて無いが。見ろサインをしている、だからギルドマスターだろう。別に普通の職員も出来ると思うが。普通の職員と言えばここは職員が少ないな。何故だろうな」
………………。
………………。
………………。
「これは私の勘だが理由はオワの大森林に現れた魔王だと思う。ここは元々オワの森に入る冒険者が多い街だったはずだ。だが魔王の出現でギルドに所属する冒険者、職員が別の地域に逃げ出したからじゃないのか。だから残ったのが年老いた婆さんだったり、地位的な問題で逃げられないギルドマスターだけが残ったんじゃないか」
「……アリス」
「ただでさえ大変なのに頭に怪我まで負っている――」
「良し分かった。アリス、お前の要望を全面的に受け入れよう。だから止めてくれ」
このまま続けられたら良心の呵責に押しつぶされそうだ。
俺は降参とばかりに両手を上げるが、アリスは困ったように考え込んでいた。
「要望、と言われてもな。屋台に寄らせてくれなかったから嫌がらせでしただけなんだが」
もしや、墓穴を掘ったか。滅多に使わん頭で嫌味を言ってくるからてっきり剣が欲しいや屋台を巡りたいなどと言うと思っていたが。
考えている今ならまだ取り消せるか?
「ないなら無理に考え――」
「ああ! 帰ったらリン達と訓練するんだったな。混ぜろ」
遅かった。しかも要求が褒めてやりたいくらい嫌な所だ。
別にアリスと訓練、というか斬る的になるくらいなら良い。アリスでは『守りの戦闘態勢』を斬ることは出来ない。安心して立ってられる。
が、リンとの訓練なら別だ。
あれは俺が変身して戦うものだ。リンの時は圧勝したがヴォルトには惨敗している。ではアリスでは?
どうなるか分からんが圧勝、惨敗など簡単な形で終わるとは思えない。
煮え切らない様子の俺に痺れを切らしたのか、アリスはもう一度同じところを指差し。
「ノブツナさん見てください。あれを……あれ?」
そこには何もなかった。すでに馬車は荷を積み終えたのか姿はなく、当然荷の確認などをしていた男の姿もない。
目標のない場所に向かって指差すアリスに、俺は勝ち誇るように肩を叩く。
「アリス、残念だが誰もいないぞ。ギルドはどうやら忙しい様子、どこか別の所を見て回るとしよう」
もはやアリスに勝算はなく、俺の価値は揺るがない……。
「何であの人が怪我をしていたのか聞いてくる。もしかしたら重大な秘密が」
「良し訓練だな、了承した。屋台だって好きなだけ寄ると良い」
たった一言で形勢逆転。勝算がないのは俺のようだ。
リンとの訓練は出来るだけ後に回そう。
その後、屋台巡りや剣の修繕費などで出費がかさみ、街を出てからはアリスが試し切りの為周囲の魔物の掃討を始め、森に入れたのは日が沈む頃だった。
「出来れば早く帰りたかったんだが。ダンジョンまでは三日ほどか」
「そうだな。急いで帰りたいなら私に変身して今から走れば明日の昼には着くが」
野営のために枯れ木を集め、魔物の肉を焼いているときにこぼれた愚痴に、返って来たアリスの言葉。
予想外の言葉につい肉を焼いていた手が止まる。
「な、なに?」
「だから私に変身すれば良いだろう。何で行くときに変身しなかったのかは知らないが、私なら体力もあるし身体能力強化だって出来るぞ」
まるで最初から気づいていたアリスの物言いに自然と溜め息が出、代わりに出ようとしていた言葉が出てこなかった。
気づいていたならとっとと言えよ!




