第二十九話 剣聖 ヴォルト・カッシュ
もし、王国民に最強の人族は誰か、と問えば全員が口を揃えて一人の名を上げるだろう。
ヴォルト・カッシュと。
王都の隅には大きな稽古場がある。流派はカッシュ流と呼ばれる。
何故王都にあるのかと言えば、王が頭を下げて願ったため。
何故隅にあるのかと言えば、貴族が存在を恐れ遠ざけたため。
何故大きいのかと言えば、教えを乞う人が多いため。
稽古場では剣士になりたて、もしくは剣士になろうとする初心者から。
技能だけでは先に進めぬ、と気づき技術を得ようとする上級者まで。
幅広い人が多くやってくる。
しかしその中でも師範であるヴォルトの教えを受けられるものはまずいない。
多くはレベル百を超える師範代に教わっている。
しかしそうすると馬鹿が湧く。ヴォルトに教えを乞いに来たのであり、お前ではない! と。
そういう馬鹿を叩きのめすのも師範代の仕事の一つ。
しかし五年ほど前に逆に師範代たちを叩きのめした女がいた。
名をアリスと名乗った。
カッシュは小躍りした。師範代は決して弱くない。稽古場を作った当初に来て運よくカッシュの教えを受けた者たちだ。
しかしカッシュの中では一流にこそなったがどこか物足りず、壁にぶつかり進めなくなった者だった。
それを倒したと言うことはアリスが自分と同じ領域にまで来れる可能性がある。
カッシュはアリスに自分の持てる技術全てを叩きこんだ。起きては稽古、飯を食っては稽古、寝る前に稽古。たまには遠出して実践。
今までにない楽しい日々だった。才能の塊だったアリスはカッシュの教えを乾いた砂の様に吸い、すぐに鏡のように返してきた。
しかしその楽しき日々も数か月前に終わりを告げた。
アリスが腕試しで国家群に潜む魔王を討伐しに行ったからだ。
カッシュは付いて行こうとした。だが考えて止めた。
魔王が強者だった場合、アリスよりも先に斬ってしまうからだ。我慢できないだけの自信があった。
一人旅立ったアリスを見送り、カッシュは稽古場の離れで一人瞑想し、一つ決めた。
アリスが強者として帰ってきたら真剣勝負をしよう。そして斬ろうと。
何故カッシュは稽古場を持ったのかと言えば。
自分を殺せるかもしれない強者を作り、それを斬るため。
斬るに値する相手を失った『剣聖』が考えた、最後の手段だった。
今、ヴォルトは何をしているのか。表向きは離れで瞑想をしていることになっていたが。
「…………暇じゃ」
退屈していた。
前まではアリスの稽古をして楽しんでいたが今は相手がいない。では門下生に教えるかと言えば、才能の塊を見た後では教える気も出なかった。
その結果、離れで暇になっていた。何もしていないわけではない。修練を積み己が肉体、錆びることないようにしている。
白髪白髭と老いた印象に少し低い身長だが、その肉体は筋肉そのもの。顔に残るサンマ傷は強敵との歴戦を思い起こさせる。
常人からすれば常軌を逸した修練も、アリスとの稽古に比べると迫力に欠け、何一つ楽しくなかった。
暇で死んでしまいそう。
そんな時だった。
「えっと、お初お目にかかります。冒険者のライルと申します。実はアリス殿より手紙をお持ち――」
誰の目にも見えぬ電光石火。ヴォルトは瞬時にライルから手紙を奪い取り読みだした。そして。
「……ハ、アッハッハッハッハッハ! 良いぞ! 実に素晴らしい! まさかこんなことになるとは! アッハッハッハッハ」
大笑いした。それに感激した様子で。
ライルは中身こそ見ていないもののおおよその見当はついていた。だからこの反応が理解できなかった。
「えっと、オワの大森林に出現した魔王の話が書かれているんッスよね」
先ほどまでの堅い雰囲気を維持できなくなったライルは砕けた口調で尋ねる。
するとヴォルトは子供のような笑顔を浮かべる。
「その通りじゃ。ここにはアリスですら斬れんかった魔王がおると書かれておる。他にも色々と書かれておるが、つまり魔王を斬れということじゃろ? それもアリスですら傷つけられなかった魔王を」
笑わずにいられなかった。自分が斬るために作り出した強者が、別の強者を釣り上げたのだ。それも自分が作り上げた強者では手も足も出ない強者を。
「貴様! この手紙を持ってきたと言うことはこいつがどこにいるか、ということも分かっているのだろうな!」
「は、ハイッス!」
「ならば案内せいっ!」
左手に愛剣を。右手には案内人を。
「あ、あの。旅支度を」
「必要なし! 剣一本あればどこまでも行けるわ!」
そして稽古場を、王都を飛び出していったヴォルト。
《名前》 ヴォルト・カッシュ
《種族と階位》 人間族 Lv222
《職業》 剣聖
人は彼を『規格外』と呼んだ。