第百二十話 ファース辺境伯の思惑
オワの大森林に誕生した魔王が滅びた。
これが交友のある魔王、ノブナガではないことは豚蛙に確認済みだ。短い期間に二度も魔王が滅びたことを聞くことなどそうあることではないだろう。それと魔王が魔王を滅ぼすのは珍しいが、なかったわけではない。
まあ、そんなことは重要ではない。重要なのはノブナガが、首領悪鬼と新しく誕生した魔王を討伐したということだ。
さらに言えば、現在ノブナガはどんな状況になっているのかが、今後を左右する程重要なことだ。
しかしそれは主神教のお告げでは分からない。
自分の目で確認する他ない。
「クラース、準備は出来ているか?」
「はあ、何を仰っておられるのですか? 昼食は先程食べたでしょう」
誰が昼食の話などしている! 人をボケたように扱うな。それに豚蛙の相手をした後に昼食のはずだ! まだ食ってない。
「騎士団の話だ。いつでも出られるように準備をさせてあるはずだが」
「それならそうとはっきり仰ってください。騎士団でしたら誰もがいつ出撃かと心待ちにしております。アルキー領へ?」
実に心くすぐられる提案だ。人の足を引っ張ることしか出来ない爺の首と胴体を切り離してやりたいと何度思ったことか。やろうと思えば出来るくらいにこちらの騎士団は強い。
ただこれをやると後が面倒なので絶対にやらない。
「オワの大森林に決まっているだろう。話は聞いていたはずだ」
「はい、勿論です。ですが、この前は静観すると仰っていたと記憶しております」
「あの時とは新たな魔王が誕生したための静観だ。状況が違う!」
分かりきっていることを聞くな。とはいえこちらが怒ればそれを理由に揚げ足を取り、返答がおかしければ更なる指摘が待ち俺を怒らせようとするだけ。
苛立ちを抑えて相手をするしかない。
「では急ぐ案件ですか?」
「当然だ!」
答えてからしまったと後悔した。クラースが実に嬉しそうに笑みを浮かべているからだ。
「そう仰られると思いまして司祭、おっと失礼しました。豚蛙が来た時に既に大至急、騎士団に出撃準備をするようにファース辺境伯名義で指示を出させて頂きました」
主の名前を勝手に使って指示を出したこと以外は、特に問題はないように思える。クラースはいつも通り準備を終えていただけの事ではないのか。嫌がらせがあるようには思えな――。
「ですので、今すぐ出られるでしょう。ご安心ください」
……今すぐ?
「待て、昼食を――」
「すでに食べられたでしょう? さあ、騎士団の皆様が今かと待っておりますよ」
食っていないわ! しかし騎士団が準備を終えている、それも俺の名義では行くしかないだろうが。
「クラース、お前も共に来い! 道案内と、ダンジョンに何らかの変化が起きていた場合報告しろ!」
お前も道連れだ!
ムスタングを出てオワの大森林に向かう。騎馬隊のみで行軍であり、準備も万端。天気も良好。予定通り進みそうだ。
向こうに着いて確認するのはノブナガの戦力がどうなったかだ。それによって対応が変わる。
疲弊してほとんど戦力を失っていた場合、討ち取らせてもらう。そうすれば西の山脈の問題はなくなり、オワの大森林に注意を向ける必要がなくなり帝国は内側の問題を片づけることに集中できる。
ある程度疲弊しつつもそれなりに戦力が残っていた場合。基準は正面から戦った場合、こちらに多大な被害が出る可能性があるなどだが、その場合は恩を売る。薬や食料などを与えて、その後に交渉で西の山脈に手を出しやすいようにする。
そして最悪なのは、ノブナガの戦力が増強されていた場合。二体の魔王を倒して、その配下達を吸収、更に元々の配下が他の魔王との戦闘により進化し、二階位が増え、三階位が誕生していた場合など。
もはや何もするべきことはない。媚びでも売ってノブナガの心証を良くして、交渉で少しでも西の山脈に関われるように頭を下げるしかない。
また今回の出撃の建前は、オワの大森林で新たな魔王が出現した報を聞いて、ノブナガを助けるために準備を整えてから来た、ということになっている。
これならば相手の機嫌を損ねることなく騎士団を連れて来れる。例え遅いと言われても、報を聞いてから騎士団を集めつつ、しばらく遠征に出ても問題ないように準備していたためと言い訳できる。
国家群の連合軍を潰したノブナガならば、騎士団はすぐに動かせるものではないと理解してくれるだろう。
「クラース、まだダンジョンには着かないだろうが、オワの大森林に変化はあるか?」
「そうですな。いつもでしたら既に群犬が案内として現れているはずですが、今回も来ませんね。まだダンジョンに帰還していないのか、それとも」
他の魔王との戦闘により全滅したのか、と思ったが答えはすぐに現れた。
ガサリ、と僅かに茂みが揺れるとすぐに軍犬が姿を現した。
どうやら戦闘により全滅した、ということはないようだ。
「………………」
無言でこちらを睨み武器を構えてこそいないが警戒している。これはまだノブナガがダンジョンに帰還していない、もしくは重症などで誰にも姿を見せたくないかのどちらかと見る。
しかし相手は魔族、こちらは人族。言葉が通じない。無理に通れば将来の禍根になりうる。
ではどうすれば良いのか。簡単だ。
「ノブナガ殿の、助力に、来た」
魔族語を話せばいい。フルーンに仕事を振ることで時間を作り、何とか魔族語を学んだ。流暢に話すことはまだ出来ないが、聞き取りは完璧。話すことも何とか出来る。
まあ、実際に使うのは今回が初めてなので自信があるかと言えば、ない。
……通じたか。出来れば通じて欲しい。
「本当か?」
どうやらフルーンを犠牲にして頑張った甲斐があったようだ。書類に埋もれているであろうフルーンも満足だろう。
「当然、味方」
ちなみにクラースも同じ程度に話せる。そして腹立たしいことに私よりも早く習得した。
こちらの真意を測るように軍犬は目を見てくるが、その程度で相手の意図が読み取られるようなら、貴族社会では生きてはいけない。
それに言葉を積み重ねて信用を得るのは非常に得意だ。例え不慣れな言語でも、十でも百でも言葉を重ねて信用を得よう。
「族長に相談する。付いて来い」
その直後、軍犬が遠吠えをすると、呼応するように遠くから遠吠えがした。
これで会話をしているとは思えない。狼煙のようなものだろう。
しかし一つ分かった。今、ダンジョンにノブナガはいない。
いるのであればこの軍犬が族長に相談するわけがない。ノブナガに聞けばいい。口も聞けないほどの怪我なら、人族を招くわけがない。
「お願いする」
何かあっては面倒なので、騎士団には黙ってついてくるように指示を出す。
さて、ダンジョンは、ノブナガの配下はどうなっているかな。ここが一つの分かれ道。
場合によっては、そのままダンジョンに侵攻するのも手だな。
これはまた、驚いた。
ダンジョン前に集まる軍犬と蜥蜴隊長の群れ。いや、もう軍隊と言うべきか。
一階位の群犬や蜥蜴人はおらず、二階位のみで構成されている。
前はこれほどの数はいなかった。我々の知らない間に一階位から二階位に進化していたのだ。これ程の数を。
普通に考えて他の魔王との戦闘による結果だろうが、怪我をしている様には見えない。ほとんど損耗無しで切り抜けたということか。
ノブナガはただの魔王だとは思ってはいなかったが、これほどなのか。
このままダンジョンに攻め入るか? ノブナガはおそらくいない。戦力もここにいるのがほとんどだろう。
いや、危険だな。ノブナガがいつ戻ってくるのか分からないし、イフリーナやセルミナなど信を得られずに戦闘に連れて行かれなかった人族がいるかもしれない。
イフリーナとセルミナなら味方するかも、と僅かに考えたがここに来させられ、ノブナガの奴隷にさせられた経緯を考えると復讐される可能性の方が高い。
それに一階位が多いならいざ知れず、二階位がここまで多いと勝てなくはないが、被害が大きい。
ノブナガには友好的に接することがほぼ確定した。もしも瀕死の重傷などを負っていた場合は、とどめを刺すかもしれないが。
「さっきの遠吠えは、それか。……手助けに来た? そうか、丁度良かった。今さっき伝令の小悪鬼が来てな。リンも良いだろう?」
「救助の手が増えることに異議はない。通訳にスズリでも連れて行くか?」
確か、軍犬の族長シバと蜥蜴隊長の族長リンだったな。ノブナガの配下の中では戦力になりそうな者たちだが、これをダンジョンの防衛に回したのか。余裕だったのだろうか。
「必要、ない。聞き取りは、出来る」
「何? 人族は言葉を簡単に覚えるのだな。では、すぐに出発する。付いて来い」
「待て。待て。何が、あった?」
情報を得られる好機。見逃すわけには行かない。シバとリンの会話から察するに、小悪鬼が何かを伝えた。そのために今からダンジョンの防衛戦力を動かす。問題は何があったかだ。
それと、言語を簡単に覚えられるわけがない。地道な努力の結果だ。
「ノブナガ様から手を貸せと指示が来た。だから行くだけだ」
救援要請か。ノブナガはすでに魔王を倒した後のはず。となると、負傷者が多くて動けない? それとももっと酷い状況なのか。
見て確認するしかないな。
二体の魔王と戦ったことで配下を失い弱体化したのか、それとも更に強くなったのか。
森の中の行軍はさすがに大変だった。森という障害物が多い環境で、騎乗しながら、蜥蜴隊長の走る速度に合わせなければならない。もしも軍犬に合わせることになっていたら確実に置いて行かれただろう。
それでもこの二日間、付いていけたのは騎士団の練度が高かったためだ。これはおそらく誇って良いだろう。
ただ、そんな大変な思いをした先にいたのは。
「シバ、リン。来てくれて助かった。状況はランに聞いてくれ。……ファース辺境伯、久しいな。しかし何かあったのか、騎士団など連れて」
二体の魔王と戦ったとは到底思えない、無傷のノブナガの姿だ。
他の魔族は大なり小なり怪我を負っているように見えるが、同行していた人族はアリス以外無傷の様子。そのアリスも大悪鬼に担がれて寝ているので、どれほどの怪我かは分からないが、鎧の損傷から見ても重症の怪我を負っていてもおかしくはない。
「主神教からオワの大森林に新たな魔王が誕生したと報告が入り、ノブナガ殿が大変なのではないかと思い、準備を整えて来ました。必要ありませんでしたか?」
「いやいや、来てくれて非常に嬉しいぞ。樹霊はすでに討伐したから危険はないが、負傷者が出てしまってな。特にカイら豚人が重くて運ぶのに難儀していた。悪いが手伝ってくれるか?」
「勿論だ、構わんとも。他に負傷者はいないか? 簡易的な手当て出来るが?」
「……いや、命に別条がない限りは不要だ。ダンジョンに着けば問題ないのでな」
分かった、と頷きながら騎士団に指示を出す。
しかし、全く。本当にこちらを困らせてくれる。頭を休ませる暇がない。
まず、コダマという魔王など知らない。ノブナガがどんな魔王と戦って勝ったのか、今後の為に知っておきたい。
直接尋ねるか?
「そういえば、主神教は誕生と同じく討伐されたらお告げとやらが下るのではないか?」
「そうですね、そう聞いていますが。出発後にお告げが来たのか、それとも連絡不備か。帰ったら確認してみましょう」
……疑われている? あまり警戒はされたくない。直接聞くのは最終手段としよう。
それに情報がある。推測を立てるには十分だ。
ノブナガの配下に今までいなかった魔族が増えている。大悪鬼、鳥人、蛇人、木人。
大悪鬼は、首領悪鬼の所から連れてきたのだろうか。族長であるヒデが進化していないので、そうなのだろう。確か首領悪鬼は配下に二体の大悪鬼を持っていたはずだが、おかしい。情報よりも大きい。新たに配下に加わったばかりの大悪鬼か。
鳥人は西の山脈に生息していたはずだな。となるとこの種族も首領悪鬼の所から連れて来たのか。なら蛇人も同様だろう。
木人はオワの大森林にも西の山脈にも生息していないはず。動く木故に絶対とは言えないが、木人がオワの大森林に居たという報告は聞いたことがない。生息場所は国家群の端の方で、ここまで見つからずに移動できたとは考えにくい。となると、新たに誕生した魔王は木人の魔王か?
確証を得るために豚人を運びつつ怪我の具合を確認する。
太い何かで擦ったような打撲の跡が多数、摘まむ程度の小さな枝が皮膚に突き刺さり、切り傷もあるが浅い傷ばかり。木人の枝や葉による攻撃と一致する。
その戦っていたと思われる木人は従順に枝を豚人に巻き付けて運んでいるだけ。魔王が破れてそのままノブナガの配下入りしたと考えるべきか。
つまりコダマとは木人の魔王であり、ノブナガはそれを倒した。無傷で。
……首領悪鬼については被害もそれなりにあるので、情報は揃っているが、コダマについては冒険者ギルドに問い合わせないと詳細は分からない。しかし魔王、そう簡単に討伐できる相手なのだろうか。
「ノブナガ殿に怪我はありませんか? 他の魔王と戦われたのでしょう?」
「……怪我は、一切負ってないな。大丈夫だ」
ちょっと汚れたくらい、と自分の身体を見回してあっさりと言った。
……魔王と、それも二体の魔王と戦ってちょっと汚れた? 冗談としか思えないが、実際にノブナガは傷一つ負っていない様子。
配下に戦闘を押し付けた? いや、そんなことをするような者がここまで慕われるわけがないし、ノブナガ以外に魔王を倒せる戦力など……。
ちらりとイフリーナやセルミナ、それと大悪鬼に担がれた女剣士に目を向ける。この者たちが共に戦えば魔王程度を倒せるだろう。しかしそれならノブナガを倒してしまえば良い。そうしないのは、やはりノブナガの方が強いためか。
「ファース辺境伯、本当に助かった。これで予定よりも早く帰れる」
ふと周りを見れば、豚人を運ぶ準備を終えていた。
どうやらノブナガと話すのは一時中断のようだ。ノブナガは配下達を、私は騎士団をまとめなければならない。
「……何、どうした? そうか、行軍速度が増すと木人が付いて来れないのか。仕方ないな。シバ、木人は遅れてダンジョンに着くので、警戒網を作っている者たちに敵対しないように伝えてくれ。出来れば案内もするように」
ノブナガは早速配下達をまとめに行ってしまった。
……まあ、情報を整理する時間も欲しかった。クラースも魔族の会話を盗み聞きしてそれなりに情報を得ていると期待したい。