第百十八話 樹霊討伐
……何が起こった?。
樹霊の弱点を見つけ出すも、それだけでは致命の一撃には程遠く、どのように攻めれば良いのかと悩んでいた時だ。
炎の槍がまた飛んできた。魔法使いは短い休憩を終えたようで何本も容赦なく、どこかを狙うように飛んできた。
狙いは自分のいる位置の反対側の為、樹霊の注目が外れて動きやすくなったが、それだけだ。現状ではあまり意味がない。
そんな時だ。何かが起こったのは。
全身を貫く衝撃、遅れてくる身を焼くような熱風と全てを震わせる轟音。
落雷とは違う。似ているが明らかに違う何かが樹霊を挟んだ反対側で起きた。
その結果樹霊が絶叫を上げているようだが何も聞こえない。……耳がやられた?
軽く頭を叩くと僅かに音が聞こえる。あまりの轟音に少しだけ耳が遠くなっているようだ。すぐに回復するだろう。
「……今か」
何が起こっているのか分からない。それでも長年の経験と勘から分かることはある。
今こそ勝機。
緩慢になっていた樹霊の攻撃を引き千切って樹霊の正面に出る。
いくら勝機でも何が起こったのか分からないとどうしようもない。
正面に出る途中でランら魔族たちが動いているのが見えた。突撃しに来ているのだろうが、まだ遠い。
「……ふふ、何があったかは分からんが、これは凄い」
つい笑ってしまった。呆然を通り越して笑いがこみ上げてくる。
樹霊の一部が抉られていた。身を屈めれば自分すら入れてしまうほど大きく。
アリスの剣では無理だ。斬ることに特化しているためこのように抉るようなことは出来ないはずだ。。魔法でもこれほどの威力は難しい。こんなことが出来るとすれば首領悪鬼以上の力で殴らない限りこうはならない。
つまりこの場にこんなことが出来る存在はいない。
ただ、こんなことをしてもおかしくない者はいる。
「どうやったのか……」
振り向いてもノブナガ様の姿は見えない。今どこにいるかもわからない。
ただ、あの方なら、こんなことが出来てもおかしくない。そんな、自分の常識では測れない何かを持っている。
やることは簡単だ。あの抉れた箇所をさらに広げて行けば、樹霊を倒せる。そして今なら、それが簡単に出来る。
ただしそれをするのは自分ではない。
「どおおおりゃあああ!」
ノブナガ様と共に来たドワーフが行う。名はなんだったか。
自分がここに来た時にはすでに樹霊の抉れた中に入ろうとしており、今は中から洞窟でも掘るかのように奥へと斧を振り下ろしている。あの謎の衝撃の近くにいたのだろうに、自分と同じくらい頑丈そうだ。
斧は深々と刺さり、ドワーフは面白いくらいに樹霊を削って行く。
本来であればいくら斧でもあそこまで深くは入らない。
ドワーフの力があることもあるだろうが、最大の理由は樹霊が今もなお自己回復を行っている所為だ。
傷を負えば自己回復をしたくなる。致命傷となりうる大きなものであればなおさらだ。しかし決して戦闘中に行ってはならない。
それは自己回復を使用すると身体が柔らかくなる。もしくは脆くなると言えばいいのか。とにかく防御面において大きく弱体化する。だから戦闘後か、物陰に隠れるなど工夫して行わなければならない。
それを樹霊は気づいていない。身体がでかい所為で今までの攻撃も、自己回復を始めてからの攻撃もあまり差を感じないのだろう。しかし、それが命取り。
こうしてドワーフが嬉々として斧を振るうのも、自分が簡単に樹霊の枝や根を千切って来られたのもそこが原因。
知識が、経験が、何よりも覚悟が足りない。
致命傷を負った時こそ、目の前の敵を潰すことに全力を費やさないと。
こうなればやることは単純だ。
「ドワーフ、守ってやる」
「オーガ!? 頼むわい」
中に入った異物を叩き潰さんとばかりに枝や根がドワーフに殺到する。
迫るは何十の根と百に近い枝の数々。本来なら決して捌ききれる数ではないが。
「通さぬわ!」
今なら容易に防げる。
どの攻撃もドワーフのいる場所にまっすぐ向かおうとする。せっかく数があるのだから様々な方向から攻めればいいのに、今すぐ排除したいという焦りから行動が単調になっている。そして自分が防げばドワーフを無視して今度は自分だ。視野が狭すぎるな。
更に枝や根が柔らかいおかげで容易に防げてしまう。
「オルギア!」
「ドワーフと共に樹霊を抉れ! 守ってやる!」
こちらに向かって来ていたランたちが辿り着いた。これで形勢がもはや覆しがたいほどにこちらに傾いた。いや、粘液生物を連れて来てくれたことで勝負は決まったと言っても過言ではない。
こちらの言葉を聞いてランは頷いて魔族たちに指示を出す。
小柄で素早い小悪鬼と相性の良い粘液生物を中に、力はあるが体の大きい豚人は外から削るように指示し、他の者には近くの木人の残骸などを集めさせている。
木人の残骸など集めてどうするのか、気にはなるがさすがに攻撃から目を離すほどの余裕はない。
前から横からと迷惑なほどに攻撃が来る。どれも脅威ではないものの、この数は鬱陶しい。背後から来ないのが救いだが。
……背後? しまった!
木人の攻撃範囲は根が広がっている所まで。それは前だけではなく横や後ろも同じ。樹霊の根も当然全方位に広がっているはず。
正面は防いでいる。横の攻撃もこちらに集中している。しかし樹霊の後ろは、がら空きだ。
樹霊は初めて体験する自らの危機に混乱している所為か、目の前の自分に攻撃を集中しているが、僅かにでも気が逸れれば気づくだろう。使っていない根の存在に。
気付かれれば防ぐ手段はない。アリスなどが居れば安心して任せられるのだが姿が見えない。何をしているんだ!
「ガアアアァァァ!」
気付くな、と。こちらに意識を集中させるために吠える。腕を大きく振り大袈裟に暴れて見せる。
注意が分散してしまえば、樹霊が気づいてしまう。
「プギィィ!」
背後から豚人の悲鳴が聞こえた。
やはり無理だったか。しかしもう、樹霊の敗北は覆せない。ただ、犠牲を出さない勝利から、多大な犠牲を強いられる勝利に変わっただけ。
おそらくドワーフや小悪鬼、粘液生物が頑張ったとしても樹霊を切り倒すにはもう少し時間が掛かる。その間を外周の豚人達が守るだろうが、良くて半壊。悪ければ全滅をありうる。
ほとんど後方支援にあたっていた蜘蛛人や来たばかりの小悪鬼と違い、豚人は連日共に前線に入っていたのだ。満身創痍の身体に鞭を入れて動いているような状況だ。
戦友を失うのは辛い、と考えた瞬間。
「これ以上は無理だ! 戻れ!」
視界の端に豚人たちが逃げ出しているのが見えた。
仲間を見捨てて逃げ出すのか。戦友として信用していたのを裏切られ、憤りを覚えつつも放棄された持ち場はどうなったのか、と目を向ければ。
樹霊の抉れた場所に白い壁が出来ていた。一瞬、樹霊が何らかの方法で自己回復をしたのかと思ったが、根や枝が必死に攻撃して白い壁を突き破ろうとしているので違うと理解した。
あれは、蜘蛛人の糸で出来た壁だ。更に装甲の代わりに木人の残骸を付けて耐久力を上げている。ただ、すでに樹霊の攻撃により残骸が一部剥げてしまっているが、きちんと効果を発揮している証拠ともいえる。
元々耐久性の高い蜘蛛人の糸だ。壁のように密に張り巡らせれば樹霊の攻撃を少しは耐えられる。木人の残骸を使えば、樹霊を倒すまでの時間は稼げるだろう。
つまり豚人たちの役目、外側を削って蜘蛛人の糸で壁を作りやすくし、装甲代わりに木人の残骸をくっ付けること。十分に豚人たちは役目を果たしていたのだ。
仲間を見捨てて逃げた、と勘違いしたことを心の中で詫びる。
「ああ、しかし。これらの指示をしていたのはランだったか。本当に、扱き使ってくれるな」
抉られた場所の横も後ろも、蜘蛛人の糸で壁が作られているが、正面だけ壁がない。正面の守りは自分だけなのだ。後退は許されない。信頼されていると言えなくもないが、正直でかい壁がある程度の認識な気がする。
中の様子から察するにもう少しで樹霊が倒れるので、文句などは一切ないが。
「オワラン! マダ、マダ……!」
樹霊が最後の足掻きとして、周囲に根を伸ばして木を木人に生まれ変わらせる。
悪くはない手だ。樹霊単体ではどうにか出来ない状況だからこそ、配下を作り出して事に当たらせる。
しかしその判断は遅い。致命的なまでに遅い。今になって木人を生み出しても、動き出す前に樹霊が倒れる。
いや、もう。樹霊は倒れる。すでにミシミシと樹霊の残っている幹が鳴り始めている。それに樹霊自身の声も小さくなっている。
ようやく、終わりか。
樹霊がゆっくりと傾き、倒れて行く。倒れ行くその顔には生気はなく、目や口もただの割れ目にしか見えない。
ズシンと、大きな音を立てながら地面を揺らして樹霊が倒れた。