第九十四話 奥の手
情勢は五分。倍の数相手に十分な立ち回りをしているように思えるが、楽観できるような状況ではない。
何せ先程まで優勢で、あの岩蜥蜴が出て来てから五分となったのだ。実質振りのようなもの。
あの硬い鱗が問題だ。全体の指揮を任された軍犬は逐次指示を出していた。
出来るだけ軍勢の接触面は平面とすることでどこかの箇所に敵が集中することを防いでいた。しかしそれも限界に近い。
現在中央の蜥蜴隊長は優勢に戦っている。猪豚人も同様だ。苦戦しているのが軍犬の方面なのだ。
斬撃や刺突に強いらしい岩蜥蜴を相手に刃物、牙、爪を武器とする軍犬では不利だった。猪豚人のように力のある打撃は出来ず、蜥蜴隊長のような技もない。
このままでは疲弊して軍犬の方面が潰れてしまう。そうなればそこから食い荒らされ負けてしまう。
苦渋の末に軍犬が取った決断は。
「蜥蜴隊長を前進させる」
分かっている。相手の主力は岩蜥蜴の後ろに居る小悪鬼達だ。ここでこちらの主力を消耗させるのは愚策だと。
しかしここで消耗を恐れればここで戦線が崩壊する可能性がある。そうなれば今敵の大悪鬼と戦っている族長たちの努力が無駄になる。
ここでの勝利は諦め時間稼ぎに出た。族長たちが勝つことを信じて。
一瞬何が起こったのか理解できなかった。
敵の大悪鬼が転んだ。確かにここは石や岩が多く足場が不安定だ。それを利用して足元に蜘蛛糸の糸を張り巡らせようかと考えたが、他の族長の邪魔になると思いやっていない。
それにいくら足場が不安定でも足を取られ体勢を崩す程度で済む。あんな足を滑らせて尻から落ちるなんてありえない。まるで滑る何かを踏んだような転び方だ。
あり得ない転び方に何かの罠か、と警戒したがもう一体の大悪鬼は馬鹿笑いし、転んだ大悪鬼と反撃を食らい無意味な衝突をしている。
全員の注目が地面から離れた瞬間、大悪鬼が転んだ地面から液体があふれ出し高速でこちらに向かって来た。
あれは、ヴィとセキだ。
「意外に出来たー」
「ほんとに出来たー」
戻って来た二名は結果に喜んでいる様子で話していた。
戻ってくる最中にヴィが体内から石や土を吐き出しているのを見て、大体の予想は付いた。
単純に私たちが攻勢をかけた時に大悪鬼達の足元に忍び寄り、地面を掘ったのだろう。そして掘った際に出た土や石を体内の上の方に移動させれば迷彩の出来上がり。まず気づかれないだろう。
だが、転ばせた方法が分からない。自然に、なおかつ派手に転んだのだ。不審な点など一切なかったのに。
分からないなら聞けばいい。
「ヴィ、どうやって転ばせたのですか?」
「ん~? 職業の罠師。技能の『スリップ』を使った」
……職業、罠師? それって。
「ヴィ、あなた職業を持っていたんですか?」
「魔王様の下に来る前からねー。昔からあの方法で獲物を獲っていたらいつのまにねー」
なるほど。昔からあのように地面に擬態し、かかった獲物を食べていたと。それなら罠師の職業を得ていたのも納得できる。
そしてあの技能『スリップ』は何かを媒介に滑る地面を作り出すものなのだろう。だから自分を媒介にしたと。
「それなら早く言ってください」
「言う機会ないしー」
確かに。ダンジョンでは汚物やゴミの処理をしているだけ。前に騎士団が来た時も穴の中で待機して食しただけ。罠師の職業が活躍する場面など今が初めてだろう。
「セキ、あなたも罠師の職業を?」
「初めて知ったわー」
こっちは未所持か。というか仲間にも教えていなかったのか。まあ、お喋りな種族ではないから仕方ないのかもしれないが。
しかしこれで大分楽になるはずだ。主力はリンとエナ、カイとゴウの力と技の組み合わせだ。牽制にシバ。補助として近距離はヴィとセキが、遠距離からの補助は私とイチが行う。それに私はイチと違い奥の手がある。
イチと違って!
「……何か?」
「いえ。どちらから仕留めるべきかと思いまして」
こちらの視線に気づきイチが反応したが、心でも読めない限り無意味。話題を逸らして視線を大悪鬼に向ける。
話題を逸らしたことに気付いているようだが追及しても無意味、と判断したのかイチも視線を大悪鬼に向ける。
面倒なことに大悪鬼は二体いる。そして容姿は似ておりすぐに見分けが付かない。シバが言うにはもう一体の大悪鬼明らかに違ったらしい。全員違えば良いだろうに。
さすがに両方を同時に殺すなんて考えていない。片方を止めつつもう片方に集中攻撃。これが最善だろう。
その片方は。
「粘液生物如きがぁ!」
転ばされた大悪鬼が転んだ原因に気付いたようで突撃してきた。
「ではあれで」
「そうしましょう」
最優先撃破対象は目の前の大悪鬼。後ろの大悪鬼は後回し。なので。
「リン、カイ。あれは頼みます。ヴィも補助を。私たちは後ろを抑えます。シバは大変と思いますが私たちの方で牽制を」
言うと同時に行動に移る。
向かう先は後ろの大悪鬼。
先にシバが攻撃し、その補助として蜘蛛人の糸を飛ばす。
最初の突撃で大悪鬼の身体能力はおおよそ分かった。その皮膚は硬く、リンが全力で突いてようやく刺さる程度。肉体もカイが全力で叩いても大した傷は付かない。そして力は強くもし捕まったら容易に潰されてしまうだろう。ただ、蜘蛛人の糸を引き千切るまではない。
最高の結果を望むとすれば手足に蜘蛛人の糸を回して動きを拘束すること。しかしそんな余裕は与えてくれない。
目的は時間稼ぎだが、殺せるなら殺す。
「イチ、何か策はありますか?」
試しに手や足に蜘蛛人の糸を飛ばして動きを止めようとするが、やはり力の前には無力。自分の身体では投げ飛ばされるため近くの岩に付けてみたが、結果は同じ。むしろ武器を与えてしまったようなもので、すぐに糸を溶かした。
「とりあえず手近なものに蜘蛛人の糸を付けるのは止めた方が良いのでは?」
「あの大悪鬼の前に貴女を倒そうかしら?」
味方でなければ最初に潰している所。今は見逃しているようなものだと――。
「くっ! そっちだ!」
シバの声に反応してみれば、牽制に動いていたシバの僅かな隙に大悪鬼がこちらに走って来ていた。面倒なことばかりをする私たちを先に潰すつもりだろう。
まずい。遮蔽物がなく身を隠す方法も、逃げようにも相手の方が速い。高低差があれば逃げようなどいくらでもあるのだが。
「雑魚が! 随分と余裕だな!」
「貴方程度、片手間で十分という訳ですよ」
下がるも追いつかれ、手を伸ばし掴まれる寸前に私も大悪鬼の顔に手を向ける。
想像するは高熱の火の玉。内側から生まれ、燃えようと外へ噴き出す高熱の塊。
「ファイアボール!」
私の手に生み出された火の玉は目の前の大悪鬼の顔に直撃し破裂する。
「ぐああぁぁ!」
さすがの大悪鬼も火には耐えられない様子。呻き声を苦しんでいる。その隙に距離を取る。
実戦で使うのは初めてでしたが上手く行きましたね。しかし。
「あちち。少し近過ぎましたか」
破裂した際に向けていた手にも火が飛びかかって来た。幸い大悪鬼のように皮膚がただれるようなことはないが、燃えるような痛みがずっと続いている。
「あのような手があるなら最初から使って欲しいですね」
「奥の手は残して置くものです」
出来ればまだ使いたくはなかった。私の持つ魔力量では何度も使うのは難しい。セルミナ曰く、慣れれば魔力消費量も減り回数も増えるらしいが。
「くそがぁ! 捻り潰すぞぉ!」
ようやく痛みが耐えられる程度まで引いたのか、大悪鬼がその醜い顔を晒しながらこちらを探すが、すでに私たちは距離を空けた後。
その代わりにいるのが、シバだ。
「大悪鬼が、随分と余裕だな!」
注意を引くために焼けた顔に攻撃をする。すると今まで攻撃を弾いてきた皮膚が裂けた。
燃やした影響か?
その結果にシバも驚いた様子。顔の傷に気付いていない大悪鬼はシバを相手に大暴れをするが何とかシバは逃げ切った。
「イチ、良い事を思いつきました。しばらく任せます」
「はあ!?」
今まで三名で抑えていたのを二名で、更に相手は怒り狂い大暴れの状態で託すわけだが、大丈夫。出来る、きっと出来る。だから答えは聞かない。
その場を離れ大急ぎで向かう先はもう一体の大悪鬼がいるリンたちの所。
視界に入っている程度には近く、すぐに辿り着く。
どうやらヴィの『スリップ』が上手く働き善戦している様子。更にセキが不意を突いて体当たりをしており、体勢を崩すことに終始しており大悪鬼は満足な体勢で攻撃出来ていないようだ。
しかしそれは状況を良くするまでの話。残念ながらリンとカイでもこの状況ですら、大悪鬼に決定打を与えられないらしい。
だからこそ、私が来たかいがあると言うもの。
「ファイアボール!」
気づかれず、誰にも当たらぬ時宜を見極め、大悪鬼の背中目がけて撃つ。
さすがに火が苦手な大粘液生物のヴィとセキは気づき、その場から逃げるように離れ、火の玉が大悪鬼の背中に辺り破裂した。
大悪鬼は呻き声を上げ、突然の事態にリンたちも困惑しているが、そんな勿体ない暇を与えるわけにはいかない。
「狙え! 早く!」
この言葉だけで察してくれたのか、リンは素早く大悪鬼の後ろに回り込み槍を突き刺す。すると。
「ぎゃああぁぁ!」
今まで穂先の半分までしか刺さらなかった槍が、穂先が完全に入り更に抜く際に上に振るい傷口を広げることさえできた。
焼ける痛みも刺される痛み、さらに裂かれる痛みに大悪鬼は絶叫する。
希望は見えた。ただれた皮膚に防御能力は皆無。そこを狙っていけばいずれは倒せる。私の魔力も数回分の余裕はある。
勝てる、そう思った瞬間。
「調子に乗んなああ!」
大悪鬼の右腕が巨大化し、薙ぎ払いリンたちが吹き飛ばされる。
何だあれは。右腕だけが大悪鬼の身体の二倍ほどの大きさになった。まさか固有技能?
「俺はなあ! 特別なんだ! 親父からこの力を貰ったんだ!」
その力自体は上手く扱えておらず、振り回すだけだが十分に脅威。しかしこいつが固有技能を持っていたということは。
ガアアアアアァァァァ!
大気が震えるような爆音。
やはり向こうの大悪鬼も固有技能を持っていたか。それもこいつとは違う。
あっちがまずいかもしれない。




