第九十二話 優勢、後に……
立ち上がりは非常に地味だった。
こちらは前進して高所を確保し、迎撃の準備に入る。こちらの方が数は少ないのだから突っ込むような真似はしない。
それに対して大悪鬼の指示は「突撃」のみ。
隊列もなく、足並みを揃えて構えるわけでもない。ただ大勢が一斉にこちらに走ってくるだけ。おかげで元気な小悪鬼などが前に、奴隷のように酷使され疲れ果てている魔族が後ろとなる。
最初に元気な小悪鬼を叩けるのは良い。非常に簡単に事は進んでくれた。
「投石開始!」
持ってきた石を前列の者たちが一斉に投げつける。
石を投げるだけ、しかしこれが意外に侮れない。
私など非力な種族では当たり所が良くても痛い程度だが、妙に命中率の良いリンら蜥蜴人は目を集中的に狙っている。では目を守られたら? 膝や肘などの関節を狙っている。あれはえぐい。
そして更に酷いのはカイら豚人達だ。その怪力から放たれる石は当たれば骨が折れ、当たり所が悪ければ意識を奪われ仲間に踏まれる。当然、踏まれればもはや立ち上がれず死ぬだろう。
「全員合わせなさい。斉射!」
勿論私たちだってただ見ているだけではない。飛び上がってくる鳥人たちに向かって弓を射る。
一斉に射られた矢は綺麗に鳥人たち、の前を通り過ぎて落ちて行く。
あら、目視を誤った? 想像以上に飛ばない。まあ、何事も得手不得手。牽制にはなったので十分でしょう。大体こういうの得意な者に任せれば良いのです。
実際、何本かは鳥人に命中している。おそらく得意な者が居たのでしょう。
「おや、族長当たりました? 私は当たりましたけど」
隣でイチが何か言っている。それと得意な者が居たと思いましたけど気の所為でした。
「おそらく風に乗って何本か届いたのでしょう。運が良かっただけですね」
そう風に乗っただけ。実力差なんてありません。むしろ風に乗らなければ鳥人に届かず、警戒されて距離を取られるなんてなかったかもしれない。むしろ届かないため、鳥人が調子に乗って近づきもっと射止められたかもしれない。
むしろ飛ばした奴が悪い。きっとそうだ。
「……役立たず」
「あぁ?」
手に持つ弓を横に向けたらどうなるだろう、と欲求に駆られるが耐える。残念ながら今は手が足りない状況、こんなのでもいないと困る。
「族長、相手に動きが」
部下の女郎蜘蛛から報告が入り目を向ければ、前線に居た小悪鬼、中悪鬼が下がり、他の魔族が前に出ようとしていた。
どうやら投石がかなり効いたらしく、重要な戦力である小悪鬼などを下げ、他の魔族で消耗させようという考えだろう。
間違ってはいない。現に持って来ていた石はかなり投げ終え、近いうちに足元の石を投げだすだろうがそれもすぐに切れる。そうなれば私たち蜘蛛人以外は遠距離攻撃の手段を失う。そこまでいけば数で押し切れる、そう考えているのだろうが。
「あまりにお粗末」
迅速に行動されたらかなり厳しい状況になっていただろう。しかし小悪鬼たちは下がるために左右に分かれず、後ろの集団を割きながら下がっている。その所為で後ろの魔族たちも前に出れず混乱している。
その好機をカイは見逃さなかった。
豚人たちが持ってきた岩を投入する。小さなものでも膝くらいまで、大きなものでは腰まで届くほど大きな岩だ。それを一気に転がす。
防ごうと思っても難しい。それを混乱している所に叩き込んだのだ。前に居る者は避けようとして他の者とぶつかって足を引っ張り、岩の存在に気付いていなかった中列や下がっている途中の小悪鬼たちは反応に遅れて潰されていく。
「これでどれくらい減らせましたかね」
「三百、と言いたいですけど、百から二百くらいでは? どうも、小悪鬼たちは回復能力が高いみたいで逃げたのは回復してから戻ってくるでしょう。他の魔族は、怪我したからと言って下げさせてはもらえないみたいで」
ノブナガ様のダンジョンでは一度寝れば完治するため気づきにくいが、ヒデらは作業中に指などを切ってもすぐに治っていた。さすがに骨まで達すればすぐに治らないだろうが、動ける程度には治るかもしれない。
それにカイの投石が終わり、ついに足元の石を投げ始めたが入れ替わりに前線を張っている他の魔族たちは誰も歩みを止めていない。両腕が折れ、前に進むしか出来ないのに前に進む者もいる。背後を気にしながら。
背後、集団から離れまだこの戦争に加わっていない大悪鬼。敵は、あれに怯えて進んでいる。死ぬと分かっているのに。
「嫌になりますね」
「代わりましょうか?」
イチが何か言っているが無視する。この地位は今までの努力によって得たもの。他者に譲るつもりは毛頭ない。
足元の石も切れた。後は私たち蜘蛛人の弓しか遠距離で攻撃できるものがないが、私たちは対鳥人のために出来るだけ使いたくない。
そうなれば、残された手段は接近戦。前列のシバ、リン、カイらが各々武器を構える。
「各族長に指示を。各族長と名持ちは指揮に努め戦闘を行わないように」
「……本気? あっちはやる気よ?」
「族長、名持ちでなくてもあの程度なら十分に対処可能です。私たちはいざという時に別の目標を狙います」
「じゃあ、誰かに伝令を」
「イチ、貴女にお願いしますね。重要な伝令ですので」
そう、重要だ。今後に作戦に関わるのだから。
例え、その結果やる気に溢れた族長たちから戦う機会を一時的に奪うため、憎まれようとも。多分、その辺りの文句は伝令に伝えるだろうが、私に届く言葉に怒気は含まれない。
「分かりました、族長からの指示だと強調して伝えてきます」
見事に反撃を与えた、とイチは誇らしげに向かうが、私としては全く痛くない。イチの手前、それらしくフリをしてやったが私には何ら不利益はない。むしろ後で族長たちは私に感謝するでしょう。
まだまだ甘いですね、イチ。
前列が衝突を始めってしばらく。こちらが優勢で進んでいる。
どうやら前列の全体の指揮をシバが担当し、細かいところをリンとカイが担当しているようだが、見事だ。シバが。
元々集団戦に特化している群犬のためか、相手の動きもちゃんと見えているようで前列が均等に戦闘を行えるように押されている所を細かく援軍を、押し過ぎているところにはすぐに伝令を出し周りと足並みを揃えさせている。
別にリンとカイの動きが悪いわけではない。ただシバの指揮が優秀で、個々の戦闘能力も勝っているため出番がないのだ。
なので下がってもらうことにした。
「どうですか、敵の手応えは」
「戦っていないから詳しくは分からないが、弱い。まだ道中の魔物の方が強いと言った印象だ」
「同じくですね。後ろに控えている小悪鬼たちは違うのでしょうが、今相手にしているのは力が入っていないのか簡単に押せてしまいます。まあ、ヴィら粘液生物の動きが素晴らしいためとも言えるんですが」
粘液生物? 見ようと思ったが残念ながらここからでは見えない。集団の中ではあまりに低いためどこにいるのか分からない。
一体ヴィらが何をしていたのか、聞いてみたら優秀な働きをしていたようだ。
ヴィら粘液生物は中列に配置され、役割は前列の補助。ヴィたちは見事な働きを見せてくれていた。
まず不定形のため前列で戦う者の足元辺りまで身体を伸ばし、ある一定の怪我をした場合負傷者と判断して足に絡みつき中列まで戻す。これにより、現在こちらに負傷者は居ても死者は出ていない。それに空いた穴はすぐにシバが埋めてくれる。
更に、相手を倒した場合だ。前列が倒した敵など障害物でしかない。そのため、粘液生物は一瞬だけ身体を伸ばして敵の死骸を掴むと前列の中まで持っていき一気に消化する。これにより障害物はなくなり、更に粘液生物は食事により体力も回復しているらしい。
また、この行動により敵は前の敵よりその足元まで伸びている粘液生物に目を奪われ、簡単に倒せるらしい。
足を奪い、目を奪ってくれるなら簡単に心を刺せるとリンは褒めていた。
中々に優勢に進んでいるらしいが。
「いつ頃まで優勢で続きますか?」
その一言で顔に影が生まれる。
「おそらく、小悪鬼が前に出るまでは続く」
「ですが、そこまでいけば皆疲労も溜まり、怪我のない者も居ないでしょう。いずれは数に呑まれるかと」
リンもカイも分かっているのだ。優勢なのは今だけだと。このままでは数の差によりひっくり返されると。
ノブナガ様に助言を頂かなければこの優勢もなかったかもしれない。だからまた頼らせて頂く。
「ではシバ、ヴィに引き継いで下がるように指示を。勿論各名持ちも下がらせてください」
「何をする気だ?」
ここで族長と名持ちを下がらせる愚策と考えているのだろう。リンはやや苛立ちの籠った声で聞いてきた。
「先程リンは足だの目だのと言っていましたね。あの集団の心はどこにあると思いますか?」
「ん? 意味が分からん。個々の胸にあるだろう」
「いいえ、違います」
前列が衝突する前に、他の魔族たちが背後に控える大悪鬼を見ていた。あれが答えだ。
「敵の半分は後ろの大悪鬼に怯えています。怖いのです。だからこちらに進んでくる。心を大悪鬼が握っているのです。あの集団の心は大悪鬼です」
「だから、何だ?」
リンは分からない、と首を傾げ、カイは理解したのか自ら伝令として動いてくれた。
やることは凄く簡単だ。
「我ら族長と名持ちで回り込み大悪鬼に奇襲を仕掛けます。首狩りです」




