港警察署のある一室で、中森警部は一枚のカードを手に唸っていた。
「また予告状か……ナメやがって畜生」
今日とある美術館に届いた怪盗キッドの予告状。先月、8年の沈黙を破り、復活宣言をしてからこれで5件目の予告。絶好調だ。
一方の中森は、連日の仕事に加えて梅雨の湿気で疲労はピーク。すでに40代にさしかかり、こんな時は嫌でも『中年』という単語を意識してしまう。まさに絶不調。
予告の期日は6月13日。4日後だ。つまり向こう4日は仕事漬けだ。
畜生……と、もう一度そう呟いた時、部下が慌ただしく部屋に駆け込んできた。一枚のカードを手にして。
「警部っ! キッドからこんな物が……!!」
「予告状だろう? んなもん、とっくに届いとるわ!」
「違うんです! 今度のは予告状じゃないんです!」
そう言って部下が差し出したカードには、たった一行、こう書かれていた。
『 今回の予告はキャンセルします 怪盗キッド 』
「何だとっ!?」
「どういう事でしょうか?」
突然の予告撤回に二人は頭をかかえた。これは本気なのか。それとも何か深い意味があるのか。
「……奴は一体何を企んでるんだ?」
この後二人は、キッドの真意をめぐって延々と悩み続けるのだった……。
少し遡って、2時間前。
日も随分と長くなった梅雨明け間近の空の下、快斗は下校中だった。手にはコンビニで買った夕刊。それの一面は、怪盗キッドの予告に関する記事。
思わず、頬が緩んだ。
寺井に頼んで昼間出しておいてもらった予告状の事が、もう記事になっているのだ。
「注目されてんなぁ、オレ!」
注目されて悪い気はしない。むしろ大歓迎。これでこそ、派手にかましている甲斐があるというものだ。
ならば今回も派手にいこう、鼻唄混じりに快斗は自宅の玄関を開けた。
キッチンで夕食の支度をしている母の背に「ただいま」とだけ声をかけ、快斗はそのまま自室へ向かう。今回のショーの構想をアレコレと練りながら。
「快斗、ちょっと来なさい」
しかし、母・聡子は快斗を呼び止めた。
「……何か用か?」
快斗は思考を中断し、しぶしぶキッチンに戻った。醤油を買って来いとでも言う気だろうか。
母は濡れた手を拭きながら振り返り、「これはどういう事なの?」とテーブルの上に乗っている新聞を目で指した。
その新聞は快斗が買った夕刊と同じものだった。頻繁に予告状を出す息子を、母は心配したのだろうか。
「……そういう事だよ。まぁ、いつもの様に上手くやっから大丈夫だって!」
心配かけないように快斗は笑いながら言ったが、母はその新聞で快斗の頭を思いっきり叩いた。
「何すんだクソババァ!!」
「あんた何考えてるの! この日はテスト期間中でしょう!?」
「テスト期間中……ああ、忘れてた。つーかそっちの心配かよ!」
「やらなきゃならない事はキチンとやりなさい! 怪盗の仕事も大事かもしれないけど、勉強と両立できないなら母さんは許しませんよ!」
『勉強と部活の両立』はよく耳にするが、『勉強と怪盗の両立』なんてとんでもない言葉を吐くのは、多分この母だけだろう。
その後も母の説教は続く。ただでさえ普段勉強してないんだから、テストの時くらい腰を据えて勉強しなさい。だいたい、あんたは何時も後の事を考えないで行動するけど…………。
はっきり言って煩い。それに、テストなんて10分前に教科書を読めばどうにかなる。
「イザとなったら、問題用紙盗めばいいし……」
チラッと思いついた冗談が、つい口から出てしまった。その次の瞬間、快斗の側頭部を『家庭の医学』という凶器が襲う。
口は災いの元。ぶ厚い本で殴られた衝撃は半端ではない。そこに愛はあるのか。一瞬、亡き父が遠くに見えたのは気の所為だろうか。
「今すぐ予告を取り消して来なさい! それまでは家に入れません!!」
もう、これ以上は母に逆らえない。
せっかく今回も派手に行こうと思っていたのに。面白いアイデアも浮かんでいたのに。
仕方無く、快斗は今回の予告を撤回する事にした。
予告を撤回する為に出掛けた息子・快斗を見送り、聡子はサイドボードの上の写真立てに目を遣った。8年前に事故で逝った夫・盗一が、小さな写真の中で穏やかに微笑んでいる。
盗一さん……。聡子は心の内で夫に語りかけた。
盗一さん。
「私の跡を継ぐとは、何て馬鹿な事をしたんだ」と、あの子を……快斗を叱らないで下さいね。
あの子はただ知りたいだけなんです。父親が何故、怪盗をしていたのか、ただそれを。
あなたを信じたいだけなんです。
いつか話してくれると思っていたから、私もあなたが盗みをはたらいていた理由を知りません。
あの子は言いました。
「それを知らなければ、オレ達は前に進めない」と。
「前に進む為に、オレはおやじの跡を継いだんだ」と。
だけど、あの子はまだ子供です。
自分が今している事がどういう事なのか、快斗は理解できていないかもしれません。
あなたの跡を継いだという事実が、快斗に罪の意識を抱かせていないかもしれません。
あなたは、何をしようとしていたのですか?
快斗は、あなたに似て頑固な子です。
自分の力で納得する答えを見つけるまで、快斗は止まらないでしょう。
私はただ、母親としてできる事をするだけです。
……でも、時々思うんです。
もしも私が――――
そこで沈思を断ち切り、聡子は顔を上げた。写真の中の夫は、ただ微笑んでいるだけ。何も、言わない。
途中だった夕食の支度をしなければならないと、聡子はキッチンに戻った。あと30分も経てば息子は帰って来るだろう。
一定のリズムを刻む包丁の音と共に、黒羽家の夕食前の慌ただしい時間が動き出した。
今日のおかずは、快斗の大好物。
夕餉の食卓で顔を綻ばせる息子を思い浮かべ、聡子はコンロにフライパンをのせた。
私はただ、母親としてできる事をするだけです。
……でも、時々思うんです。
もしも私が、生前あなたに理由を――あなたが何をしようとしていたのか――それをきいていたなら、快斗が罪を犯す事は無かったかもしれない、と…………
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