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王妃様と婚約者

王妃様の婚約者

作者:夜桜
 彼女が嫁ぐことになったのは、とある小国だった。

 帝国貴族の娘である彼女には数多の縁談が寄せられたが、彼女の育ての親がその婚姻を決めた。
 小国、されど王族との婚姻は没落貴族である彼女の家にとって必要なものだ。
 必要だと思ったから、彼女は素直に頷いてこの話を承諾したのだ。
彼女の家はかつて帝国でも栄華を誇った旧家でもあった。
所有している銀山から採れる銀の加工を手掛けて、財を築いたのは昔の話で、閉山した今では落ちぶれていくばかりだ。

 王族の婚姻は大層準備に時間がかかる。
 彼女は一年の猶予の間に純白の衣装を1着仕立てた。
 豪華で美しいドレスは、本当は今の彼女には贅沢すぎた。
 彼女の家の資金繰りは切迫しており、本来なら新しく衣装など仕立てられる状況ではない。
 しかし、彼女の育ての親は苦しい生活をやりくりして、そのドレスを作ってくれた。せめてもの貴族の意地だ。
 貰った支度金は一切使わなかった。

 ドレスも準備できない花嫁と思われたくないのだと笑う育ての親に、彼女はなにも言えなかった。

 彼女は婚約者に会ったことがない。
 絵姿すら見たことがない。
 何でも絵姿を作らせるのが嫌いなのだとか。
 彼女は彼が幾つか年上なのだということしか知らない。

 婚約期間中、会いに行こうにも相手が国にいなかったり、彼女自身の都合もあって、結局会えずじまいだった。
 挨拶にいくとそれとなく連絡してみたこともあるが、「必要ない」という素っ気ない返事が返ってくるばかりで、忙しくて体が空かないということであった。
仕方ないことである。

 少しずつ日々は過ぎて、約束の日が近づく頃、近隣諸国を取り巻く情勢はみるみる悪化した。
 飢饉や災害が続き、食料や資源が枯渇していく中で、各地で内紛や小競り合いが続いた。
 彼女の嫁ぎ先である小国も激流の渦にのみこまれた。

 彼女の育ての親は輿入れを延期しようと言った。
 小国の王宮よりも帝国の都にいる方が安全だと諭されたが、彼女は首を縦に振らなかった。

 約束は約束だ。
 婚姻はもう決まったことだ。
 今更なかったことにはしない。

 周囲の反対を押しきって、彼女はほとんど身一つで小国に輿入れした。

 馬車を降りた彼女を待っていたのは、たった一人の侍女と、鎧を身に付けた王の側近だった。
 戦乱に巻き込まれた小国に、もはや安全な場所はない。
 王都ですらいつ戦禍に飲まれるとも知れぬ情勢であった。

 花嫁の衣装を見せるべき人は、戦場に行ったまま帰ってこない。
 彼女は宙ぶらりんな立場で王宮に留め置かれた。

 式を挙げるはずだった当日、彼女は侍女をひとり連れ、大聖堂を訪れた。
 もはや国民に神に祈るような余裕はない。
 大聖堂の中は閑散としていた。
 せめて心の折り合いをつけたくて、彼女は純白の衣装を身に付けた。
 誂えたばかりのドレスは彼女によく似合っていた。
 形ばかりは美しく整えて、彼女は永遠の愛を誓うはずだった場所で、今いない人のことを考える。

 そうして思いを巡らせて、どれぐらい時間が過ぎただろう。
 不意に大聖堂の外が騒がしくなった。馬の嘶きや人の声がする。
 様子を見に行った侍女が血相を変えて戻ってきた。

 どうしたのと問う前にその原因が姿を見せた。

 ハッと彼女は息を飲む。
 初めて会う、けれどそれが王だとひと目でわかった。
 赤みの強い金の髪を無造作に束ね、身に付けた武骨な鎧にはべったりと赤いものがついていた。新しいものも古いものもあるようだが、まだ乾ききっていない赤色は窓から差し込んだ光にぬらりと反射した。
 埃まみれのブーツが瞬く間に彼女との距離を詰める。

 王は鋭い眼差しで彼女を見下ろした。
 彼女は声もなく王を仰ぐ。

「名は」

 低い声で問われ、「ウィーチェ」と答えればぐいっと抱き寄せられる。
 強引に唇が重なった。
 かさついたそれは乱暴で優しくなかったが、王の深緑色の瞳を間近に見つめた彼女は、ゆっくりと目を閉じた。
彼の体からは汗と血の匂いがした。

 その日から彼女は王妃と呼ばれるようになった。
 王はまたすぐに戦場へと旅立った。僅かな人数の側近だけを連れ、一時的に戻ってきただけだったらしい。
 彼女は遠ざかる幾つかの馬影を静かに見送った。
 交わした言葉は、とうとう名乗りの言葉だけだった。

 会えないまま……二年が過ぎた。
 王は相変わらず戦場を駆けており、王都にはほとんど帰らない。
 その間に彼女は年を重ね、王都での暮らしにも馴染んだ。
 心を揺らされることのない、穏やかな生活。
 彼女のこの今があるのは、戦ってくれる人があるからだということを、彼女は忘れたことはない。

 空を仰いでは、今いない人のことを思う。
 せめて体にだけは気を付けてほしいと祈った。
 その祈りが裏切られることになるとは、想像すらしなかったのに。

 戦場から届いた訃報は、国中を揺らした。
 国王崩御。
 混乱する中、ようやく届いた情報では、彼は剣を胸に受けて倒れたのだという。
 その戦いぶりは鬼神とまで恐れられた王の、余りにも呆気ない最期だった。

 彼女はただ、呆然とするばかりであった。
 信じられなかった。
 ……遺体は、彼女のもとへは帰らなかった。
 例え王が倒れても、戦争は終わらない。
 体を王都へ運ぶだけの人員が、いなかった。
 現地で丁寧に埋葬されたと聞いた。

 王には子がない。
 王妃である彼女は、とうとう役目を果たせなかった。
 王の甥に当たる青年が、暫定的に国主代理の位置に着いた。
青年の中に、彼女は帰らない人の面影を探した。彼がどんな王だったのか、この目で見ることは叶わなかった。
 ……干渉に浸っている暇はない。今の彼女には、青年を手助けすることしかできなかった。

 瞬く間に時が過ぎた。
 祖国からは彼女に再三帰ってくるようにと打診があるが、彼女は小国に止まった。
 彼が守ったこの国を、潰えさせる訳にはいかない。
 必死だった。

 そうして、一年が過ぎた頃、彼女は再び大聖堂を訪れた。
 戦局は落ち着きつつあった。
 各国の間に条約が成立し、長かった激動の時代は終わろうとしていた。
 ようやく、彼女はこの場所にこられた。
 目まぐるしい日常の中、ほとんど悼むことのできなかった彼を、忘れてしまいたくなくて。
 ようやく時間が取れた。

 いつかと同じ場所に立ち、同じ人のことを思う。
 あと一年、条約の成立が早ければ、あるいは彼はここにいたかもしれない。
 結局、何も伝えられないままだった。
 彼女の中で、彼はまだ婚約者のままだった。
 関係を変えていくことは、もう二度とできない。

 訃報を受けてから初めて、彼女は涙を流した。

 どれぐらいそうしていただろう。
 声もなく涙を流していた彼女は、扉の開く音に気がついた。
 振り返れば、扉が空いていた。
 人払いしたはず、と怪訝に思う彼女の耳に、かつんと靴音が届いた。

 引かれるようにそちらを見て……目を疑う。
 軽装だが、鎧に包まれた長身。
 鮮やかな金髪は襟足が短く刈られている。
 射るような深緑の瞳を、彼女は知っていた。

「陛、下……?」

 そんなはずはない。だって彼はもう。
 もう二度と、帰ってこないはずで。

 固まっている彼女の前に、ゆっくりと歩いてくる。
 呆然と立ち尽くす彼女の濡れた頬が、大きな手のひらに挟まれて上向けられた。

 至近距離で見つめ合う。
 深緑の瞳が綺麗だ、と彼女は思った。

「馬鹿か」

 言われて彼女は瞬く。
 そんなことを言われる謂れはない。

「待ってなどいなければよかった」

 ウィーチェ、と囁かれて溜まっていた涙がまた零れた。
 声をあげて泣き崩れる。
 支えてくれた腕は、力強く温かかった。


 帝国歴1540年
 帝国から嫁いだ貴族の娘と、王位を退いた男の結婚式が大聖堂で行われた。
 少々とうが立ちすぎた花嫁は夫のエスコートを受け、祖国から招いた客人たちを前に、幸せそうに微笑んだという。

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