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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

第四章

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もう一度、思い出して

 ハジメと香織が見上げる帆船は、地球でもそうそうお目にかかれない規模の本当に巨大な船だった。

 全長三百メートル以上、地上に見える部分だけでも十階建て構造になっている。そこかしこに荘厳な装飾が施してあり、朽ちて尚、見るものに感動を与えるほどだ。木造の船で、よくもまぁ、これほどの船を仕上げたものだと、同じく物造りを得意とするハジメは、当時の職人達には尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

 ハジメは、香織を抱えると“空力”を使って飛び上がり、豪華客船の最上部にあるテラスへと降り立った。すると、案の定、周囲の空間が歪み始める。

「またか……香織、気をしっかりもてよ。どうせ碌な光景じゃない」
「……うん。大丈夫だよ」

 テンポの遅い香織の返事に、ハジメは、先程の指摘は、迷宮攻略中に言う事ではなかったかと軽く後悔した。明らかに、香織のテンションがダダ下がりである。言わなければならないことだったと確信しているが、もう少し、タイミングというものがあったかもしれない。香織の浮かべる笑みが、ハジメの知っているものと余りに異なり見ていられなくなったのだが……せめて【メルジーネ海底遺跡】を攻略するまで我慢すべきだった、かもしれないとハジメは頬をカリカリと掻きながら思った。

 そうこうしている内に周囲の景色は完全に変わり、今度は、海上に浮かぶ豪華客船の上にいた。

 時刻は夜で、満月が夜天に輝いている。豪華客船は光に溢れキラキラと輝き、甲板には様々な飾り付けと立食式の料理が所狭しと並んでいて、多くの人々が豪華な料理を片手に楽しげに談笑をしていた。

「パーティー……だよね?」
「ああ。随分と煌びやかだが……メルジーネのコンセプトは勘違いだったか?」

 予想したような凄惨な光景とは程遠く肩透かしを喰ったような気になりながら、その煌びやかな光景を、ハジメと香織は、おそらく船員用の一際高い場所にあるテラスから、巨大な甲板を見下ろす形で眺めていた。

 すると、ハジメ達の背後の扉が開いて船員が数名現れ、少し離れたところで一服しながら談笑を始めた。休憩にでも来たのだろう。

 その彼等の話に聞き耳を立ててみたところ、どうやら、この海上パーティーは、終戦を祝う為のものらしい。長年続いていた戦争が、敵国の殲滅や侵略という形ではなく、和平条約を結ぶという形で終わらせることが出来たのだという。船員達も嬉しそうだ。よく見れば、甲板にいるのは人間族だけでなく、魔人族や亜人族も多くいる。その誰もが、種族の区別なく談笑をしていた。

「こんな時代があったんだね」
「終戦のために奔走した人達の、まさに偉業だな。終戦からどれくらい経っているのか分からないが……全てのわだかまりが消えたわけでもないだろうに……あれだけ笑い合えるなんてな……」
「きっと、あそこに居るのは、その頑張った人達なんじゃないかな? 皆が皆、直ぐに笑い合えるわけじゃないだろうし……」
「そうだな……」

 楽しげで晴れやかな人々の表情を見ていると、ハジメと香織も自然と頬が緩んだ。暫く眺めていると、甲板に用意されていた壇上に初老の男が登り、周囲に手を振り始めた。それに気がついた人々が、即座におしゃべりを止めて男に注目する。彼等の目には一様に敬意のようなものが含まれていた。

 初老の男の傍には側近らしき男と何故かフードをかぶった人物が控えている。時と場合を考えれば失礼に当たると思うのだが……しかし、誰もフードについては注意しないようだ。

 やがて、全ての人々が静まり注目が集まると、初老の男の演説が始まった。

「諸君、平和を願い、そのために身命を賭して戦乱を駆け抜けた勇猛なる諸君、平和の使者達よ。今日、この場所で、一同に会す事が出来たことを誠に嬉しく思う。この長きに渡る戦争を、私の代で、しかも和平を結ぶという形で終わらせる事が出来たこと、そして、この夢のような光景を目に出来たこと……私の心は震えるばかりだ」

 そう言って始まった演説を誰もが身じろぎ一つせず聞き入る。演説は進み、和平への足がかりとなった事件や、すれ違い、疑心暗鬼、それを覆すためにした無茶の数々、そして、道半ばで散っていった友……演説が進むに連れて、皆が遠い目をしたり、懐かしんだり、目頭を抑えて涙するのを堪えたりしている。

 どうやら初老の男は、人間族のとある国の王らしい。人間族の中でも、相当初期から和平のために裏で動いていたようだ。人々が敬意を示すのも頷ける。

 演説も遂に終盤のようだ。どこか熱に浮かされたように盛り上がる国王。場の雰囲気も盛り上がる。しかし、ハジメは、そんな国王の表情を何処かで見たことがあるような気がして、途端に嫌な予感に襲われた。

「――こうして和平条約を結び終え、一年経って思うのだ………………実に、愚かだったと(・・・・・・)

 国王の言葉に、一瞬、その場にいつ人々が頭上に“?”を浮かべる。聞き間違いかと、隣にいる者同士で顔を見合わせる。その間も、国王の熱に浮かされた演説は続く。

「そう、実に愚かだった。獣風情と杯を交わすことも、異教徒共と未来を語ることも……愚かの極みだった。わかるかね、諸君。そう、君達のことだ」
「い、一体、何を言っているのだ! アレイストよ! 一体、どうしたと言うッがはっ!?」

 国王アレイストの豹変に、一人の魔人族が動揺したような声音で前に進み出た。そして、アレイスト王に問い詰めようとして……結果、胸から剣を生やすことになった。

 刺された魔人族の男は、肩越しに振り返り、そこにいた人間族を見て驚愕に表情を歪めた。その表情を見れば、彼等が浅はかならぬ関係であることが分かる。本当に、信じられないと言った表情で魔人族の男は崩れ落ちた。

 場が騒然とする。「陛下ぁ!」と悲鳴が上がり、倒れた魔人族の男に数人の男女が駆け寄った。

「さて、諸君、最初に言った通り、私は、諸君が一同に会してくれ本当に嬉しい。我が神から見放された悪しき種族ごときが国を作り、我ら人間と対等のつもりでいるという耐え難い状況も、創世神にして唯一神たる“エヒト様”に背を向け、下らぬ異教の神を崇める愚か者共を放置せねばならん苦痛も、今日この日に終わる! 全てを滅ぼす以外に平和などありえんのだ! それ故に、各国の重鎮を一度に片付けられる今日この日が、私は、堪らなく嬉しいのだよ! さぁ、神の忠実な下僕達よ! 獣共と異教徒共に裁きの鉄槌を下せぇ! ああ、エヒト様! 見ておられますかぁ!!!」

 膝を付き天を仰いで哄笑を上げるアレイスト王。彼が合図すると同時に、パーティー会場である甲板を完全に包囲する形で船員に扮した兵士達が現れた。

 甲板は、前後を十階建ての建物と巨大なマストに挟まれる形で船の中央に備え付けられている。なので、テラスやマストの足場に陣取る兵士達から見れば、眼下に標的を見据えることなる。海の上で逃げ場もない以上、地の利は完全に兵士達側にあるのだ。それに気がついたのだろう。各国の重鎮達の表情は絶望一色に染まった。

 次の瞬間、遂に甲板目掛けて一斉に魔法が撃ち込まれた。下という不利な位置にいる乗客達は必死に応戦するものの……一方的な暴威に晒され抵抗虚しく次々と倒れていった。

 何とか、船内に逃げ込んだ者達もいるようだが、ほとんどの者達が息絶え、甲板は一瞬で血の海に様変わりした。ほんの数分前までの煌びやかさが嘘のようだ。海に飛び込んだ者もいるようだが、そこにも小舟に乗った船員が無数に控えており、やはり直ぐに殺されて海が鮮血に染まっていく。

「うっ」
「香織」

 吐き気を堪えるように、香織が手すりに身を預け片手で口元を抑えた。余りに凄惨な光景だ。無理もないと、ハジメは香織を支える。

 アレイスト王は、部下を伴って船内へと戻っていった。幾人かは咄嗟に船内へ逃げ込んだようなので、あるいは、狩りでも行う気なのかもしれない。

 彼に追従する男とフードの人物も船内に消える。

 と、その時、ふと、フードの人物が甲板を振り返った。その拍子に、フードの裾から月の光を反射してキラキラと光る銀髪が一房、ハジメには見えた気がした。

 周囲の景色がぐにゃりと歪む。どうやら、先程の映像を見せたかっただけらしく、ハジメと香織は元の朽ちた豪華客船の上に戻っていた。

「香織、少し休め」
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと、キツかったけど……それより、あれで終わりかな? 私達、何もしてないけど……」
「この船の墓場は、ここが終着点だ。結界を超えて海中を探索して行くことは出来るが……普通に考えれば、深部に進みたければ船内に進めという意味なんじゃないか? あの光景は、見せることそのものが目的だったのかもな。神の凄惨さを記憶に焼き付けて、その上でこの船を探索させる……中々、嫌らしい趣向だよ。特に、この世界の連中にとってはな」

 この世界の人々は、そのほとんどが信仰心を持っているはずであり、その信仰心の行き着く果ての惨たらしさを見せつけられては、相当精神を苛むだろう。そして、この迷宮は精神状態に作用されやすい魔法の力が攻略の要だ。ある意味、【ライセン大迷宮】の逆なのである。異世界人であるハジメ達だからこそ、精神的圧迫もこの程度に済んでいるのだ。

 ハジメと香織は甲板を見下ろし、そこで起きた凄惨な虐殺を思い出して気の進まない表情になった。ハジメの場合、ただ単にウザそうなだけのようだったが。

 二人は意を決して甲板に飛び降り、アレイスト王達が入って言った扉から船内へと足を踏み入れた。

 船内は、完全に闇に閉ざされていた。外は明るいので、朽ちた木の隙間から光が差し込んでいてもおかしくないのだが、何故か、全く光が届いていない。ハジメは、“宝物庫”から緑光石を使ったライトを取り出し闇を払う。

「さっきの光景……終戦したのに、あの王様が裏切ったっていうことかな?」
「そうみたいだな……ただ、ちょっと不自然じゃなかったか? 壇上に登った時は、随分と敬意と親愛の篭った眼差しを向けられていたのに……内心で亜人族や魔人族を嫌悪していたのだとしたら、本当に、あんなに慕われると思うか?」
「……そうだね……あの人の口ぶりからすると、まるで終戦して一年の間に何かがあって豹変した……と考えるのが妥当かも……問題は何があったのかということだけど」
「まぁ、神絡みなのは間違いないな。めっちゃ叫んでたし。危ない感じで」
「うん、イシュタルさんみたいだった……トリップ中の。痛々しいよね」

 どうやら聖教教会の教皇は、女子高生からイタイ人と思われていたらしい。ハジメは、少しだけ同情してしまった。二人で、先程の光景を考察しながら進んでいると、前方に向けられたハジメのライトが何かを照らし出した。白くヒラヒラしたものだ。

 ハジメと香織は足を止めて、ライトの光を少しずつ上に上げていく。その正体は、女の子だった。白いドレスを着た女の子が、俯いてゆらゆらと揺れながら廊下の先に立っていたのだ。

 猛烈に嫌な予感がするハジメと香織。特に、香織の表情は引き攣りまくっている。ハジメは、こんなところに女の子がいるはずないので取り敢えず撃ち殺そうとドンナーの銃口を向けた。

 その瞬間、女の子がペシャと廊下に倒れ込んだ。そして、手足の関節を有り得ない角度で曲げると、まるで蜘蛛のように手足を動かし、真っ直ぐハジメ達に突っ込んで来た!

ケタケタケタケタケタケタケタッ!

 奇怪な笑い声が廊下に響き渡る。前髪の隙間から炯々と光る眼でハジメ達を射抜きながら迫る姿は、まるで何処ぞの都市伝説のようだ。

「いやぁあああああああああああ!!!!」
「うおっ!? 落ち着け香織! 腕を掴むな!」

 テンプレだが、それ故に恐ろしい光景に、香織が盛大に悲鳴を上げてハジメにしがみついた。ケタケタ笑って迫る少女? をドンナーで撃とうとしていたハジメは、香織がしがみついたせいで照準をずらしてしまった。

「ケギャ!!」

 瞬く間に足元まで這い寄った少女? は、奇怪な雄叫びと共にハジメの顔面に向かって飛びかかった。

 ハジメは、仕方なく銃撃を諦めて、ケタケタ笑う少女? の腹部に必殺のヤクザキックをぶち当てた。念のため、魔力を纏わせた上で“豪脚”も発動させている。

 ハジメのヤクザキックが腹にヒットした瞬間、少女は盛大に吹き飛び壁や廊下に数回バウンドしたあと、廊下の奥で手足を更におかし方向に曲げて停止し、そのまま溶けるように消えていった。

 ハジメは、溜息を吐くと、未だにふるふると震えながらハジメにしがみつく香織の頭を拳で軽く叩く。ビクッとしたあと、香織は、恐る恐るという感じでハジメを見上げた。既に目尻には涙が溜まっており、口元はキュッと一文字に結ばれている。マジビビリだった。

「香織って、こういうの苦手か?」
「……得意な人なんているの?」
「魔物と思えばいいんじゃないか?」
「……ぐすっ、頑張る」

 香織はそう言って、ハジメから離れた。手だけはハジメの服の裾を掴んで離さなかったが。

 先程まで、ハジメに言われたことを気にして、どこか遠慮があったというのに、今は、絶対離れないからね! という強靭な意志が濡れた瞳に宿っている。必死だ。告白したときと同じくらいに。

 その後も、廊下の先の扉をバンバン叩かれたかと思うと、その扉に無数の血塗れた手形がついていたり、首筋に水滴が当たって天井を見上げれば水を滴らせる髪の長い女が張り付いてハジメ達を見下ろしていたり、ゴリゴリと廊下の先から何かを引きずる音が下かと思ったら、生首と斧を持った男が現れ迫ってきたり……

 そのほとんどは、ハジメが魔力弾で撃ち抜くか、ヤクザキックで瞬殺したのだが……

「やだよぉ……もう帰りたいよぉ……雫ちゃんに会いたいよぉ~」

 船内を進むごとに激しくなる怪奇現象に、香織が幼児退行を起こし、ハジメの背に張り付いてそこから動かなくなった。

 ちなみに、雫の名を呼ぶのは、小さい時から光輝達に付き合わされて入ったお化け屋敷で、香織のナイト役を勤めていたのは雫だったからだそうだ。決して、ゆりゆりしているわけではない。

 【メルジーネ海底遺跡】の創設者メイル・メルジーネは、どうやらとことん精神的に追い詰めるのが好きらしい。ハジメは、奈落の底で、闇と化け物に囲まれながら長期間サバイバルしていた経験があるので、特に、どうとも思わないが、普通の感性を持つ者なら精神的にキツイだろう。もっとも、ユエやティオが驚きむせび泣くところなど想像できないが……

 先程までの人生の迷子的なシリアスな雰囲気は何処に行った? と、思わずツッコミを入れたくなるくらいハジメに引っ付き半泣きになりながら、それでも何とか回復魔法で怪奇を撃退していく香織とそれを見守るハジメ。途中、何度か香織が意識を飛ばしそうになりつつも、遂に二人は、船倉までたどり着いた。

 重苦しい扉を開き中に踏み込む。船倉内にはまばらに積荷が残っており、ハジメ達は、その積荷の間を奥に向かって進む。すると、少し進んだところで、いきなり入ってきた扉がバタンッ! と大きな音を立てて勝手に閉まってしまった。

「ぴっ!?」
「……」

 香織がその音に驚いて変な声を上げる。何だか、迷宮を攻略したあとも自分のした大切な話を覚えているのか心配になって来たハジメ。ああいう話を何度もするのは勘弁だった。

 ハジメが、溜息を吐きながらビクつく香織の肩をポンポンと撫でて宥めていると、また異常事態が発生した。急に濃い霧が視界を閉ざし始めたのだ。

「ハハハハハハ、ハジメくん!?」
「何か陽気な外人の笑い声みたいになってるぞ。今まで通り、魔法でぶっ飛ばせばいいだけだ。大丈夫だって」

 ハジメがそう答えた瞬間、ヒュ! と風を切る音が鳴り霧を切り裂いて何かが飛来した。咄嗟に、ハジメが左腕を掲げると、ちょうど首の高さで左腕に止められた極細の糸が見えた。更に、連続して風を切る音が鳴り、今度は四方八方から矢が飛来する

「ここに来て、物理トラップか? ほんとに嫌らしいな! 解放者ってのはどいつもこいつも!」
「守護の光をここに “光絶”!」

 ハジメは、一瞬、意表を突かれたものの、所詮はただの原始的な武器であることから難なく捌き、香織も防御魔法を発動した。直後、前方の霧が渦巻いたかと思うと、凄まじい勢いの暴風がハジメと香織に襲いかかった。

 ハジメは、靴のスパイクで体を固定し飛ばされないようにしつつ、咄嗟に、隣の香織を掴もうとしたが、運悪く香織の防御魔法が邪魔になり、一瞬の差で手が届かなかった。

「きゃあ!?」

 香織は悲鳴を上げて暴風に吹き飛ばされ霧の中へと姿を消す。ハジメは舌打ちをして感知系能力を使い香織の居場所を把握しようとした。しかし、どうやらこの霧は【ハルツィナ樹海】の霧と同じように方向感覚や感知系の能力を阻害する働きがあるようで、あっさり見失ってしまった。

「ちっ、香織。そこを動くなよ!」

 舌打ちしつつ香織に呼びかけるハジメに、今度は前方の霧を切り裂いて、長剣を振りかぶった騎士風の男が襲いかかってきた。何らかの技なのだろう、凄まじい剣技を繰り出してくる。

 ハジメは、それを冷静にドンナーで受け流すと、大きく相手の懐に踏み込み左のシュラークを腹に当てがって魔力弾を撃ち放つ。腹に風穴を開けられた騎士風の男は苦悶の声を上げることもなくそのまま霧散した。

 しかし、同じような並みの技量ではない剣士や拳士、他にも様々な武器を持った武闘派の連中が、霧に紛れて次々に襲いかかってきた。

「クソ面倒な……」

 悪態を吐きつつ、ハジメは、紅色の魔力弾を衛星のように体の周囲に展開し、“瞬光”も発動して即行で片付けにかかる。香織の声が聞こえないのが気がかりだったのだ。

 一方、その香織はというと、ハジメの姿が見えなくなってしまった事に猛烈な不安と恐怖を感じていた。ホラーは、本気で苦手なのだ。こればっかりは、体が勝手に竦んでしまうので、克服するのは非常に難しい。ただでさえ、劣等感から卑屈になっている点を指摘されてしまい、何とか、そんなことはないと示そうと思っていたのに、肝心なところで縋り付いてしまう自分がほとほと嫌になる。

 こんなことではいけないと震える体を叱咤して、香織は何とか立ち上がる。と、その時、香織の肩に手が置かれた。ハジメは、よく肩をポンポンと叩いて励ますことがあるので、自分を見つけてくれたのかと、一瞬、喜びか湧き上がった。

「ハジメく……」

 直ぐに振り向こうとして、しかし、その前に、香織は、肩に置かれた手の温かみが妙に薄いことに気がついた。いや、もっと正確に言うなら、温かいどころか冷たい気さえする。香織の背筋が粟立った。自分の後ろにいるのは、ハジメではない。直感で悟る。

 では、一体だれ?

 油を差し忘れた機械のようにギギギと音がなりそうな有様で背後を振り返った香織の眼前には……目、鼻、口――顔の穴という穴の全てが深淵のような闇色に染まった女の顔があった。

「あふぅ~」

 香織の精神は一瞬で許容量をオーバーし、防衛本能に従ってその意識を手放した。

 その頃、ハジメは、わずか二分程で五十体近い戦士の亡霊達を撃滅していた。大体、二~三秒で歴戦の戦士を一体屠っている計算だ。と、その時、一瞬、攻勢が止んだかと思うと、霧の中から大剣を大上段に振りかぶった大男が現れ、霧すら切り裂きながら莫大な威力を秘めた剣撃を繰り出した。

 ハジメは、半身になってその一撃をかわす。しかし、最初から二ノ剣が想定されていたのか、地面にぶつかった反動も利用して大剣が跳ね上がった。

 ハジメは、その場で跳躍すると、“金剛”をかけつつ大剣に義手を引っ掛けその上に飛び乗る。そして、振り切られた大剣の上に膝立ちするハジメは、スっとドンナーを大男の頭部に向け魔力弾を撃ち放った。

 頭部を吹き飛ばされ大男が霧散すると同時に、周囲の霧も晴れ始める。

「香織! どこだ!」

 ハジメは、香織の気配を感知しようと集中する。しかし、そんなことをするまでもなく、香織はあっさり見つかった。

「ここだよ。ハジメくん」
「香織、無事だったか……」

 微笑みながら歩み寄ってくる香織に、ハジメは安堵の吐息をもらす。そんなハジメの様子に、香織は更に婉然と微笑むと、そっとハジメに寄り添った。

「すごく、怖かった……」
「そうか……」
「うん。だからね、慰めて欲しいな」

 そう言って、香織はハジメの首に腕を回して抱きついた。そして、鼻と鼻が触れ合いそうなほど間近い場所で、その瞳がハジメの口元を見つめる。やがて、ゆっくりと近づいていき……

ゴツッ

 と音を立てて、香織のこめかみにドンナーの銃口が突きつけられた。

「な、なにを……」

 狼狽した様子を見せる香織に、ハジメの眼が殺意を宿して凶悪に細められる。

「なにを? もちろん、敵を殺すんだよ。お前がそうしようとしたようにな」

 そう言って、ハジメは微塵も躊躇わず引き金を引いた。ドンナーから紅色に輝く弾丸が撃ち放たれ容赦なく香織のこめかみを穿ち、吹き飛ばす。

カランカラン

 音を立てて転がったのは錆び付いたナイフだ。香織の手から放り出された物であり、抱きつきながら袖口から取り出したものでもある。コツコツと足音を立てながら、倒れた香織に近寄るハジメ。香織は体を起こし、怯えたように震えた声でハジメに話しかける。

「ハジメくん、どうしてこんなことッ!?」

 しかし、ハジメは取り合わず再び香織に魔力弾を撃ち込んだ。

「香織の声で勝手話すな。香織の体で勝手に動くな。全て見えているぞ? 香織に巣食ったゴミクズの姿がな」

 そう、ハジメの魔眼石には、香織と重なるようにしてとり憑いている女の亡霊のようなものが映っていた。正体がバレていると悟ったのか、香織の姿をした亡霊は、先程までの怯えた表情が嘘のように、今度はニヤニヤと笑い出した。

「ウフフ、それがわかってもどうする事も出来ない……もう、この女は私のものッ!?」

 そう話しながら立ち上がろうとした香織(憑)だったが、ハジメに馬乗りに押し倒され再び倒れこんだ。

「まてっ! なにをするの! この女は、あんたの女! 傷つけるつもりッ!?」
「頭の悪い奴だ。話すな、動くなと言っただろう? 別に香織は傷つけないさ。魔力弾で肉体は傷つかない。苦しむのは取り憑いたお前だけだ」
「私が消滅すれば、この女の魂も壊れるのよ! それでもいいの!?」

 その言葉に、ハジメが少し首を傾げる。ハッタリの可能性も十分にあるが、真偽を確かめるすべがない。普通なら、躊躇し手を出せなくなるだろう。香織(憑)もそう思ったのか、再びニヤつきながら、上からどけとハジメに命令した。それに対するハジメの返答は、

スパンッ! スパンッ!

 魔力弾を撃ち込むことだった。苦痛を感じているのか香織(憑)の表情が歪む。そして焦った表情で更に魔力弾を撃ち込もうとするハジメに怒声を上げた。

「あんた正気なの!? この女がどうなってもいいの!?」
「黙れ、ゴミクズ。お前の言う通り攻撃を止めたところで、香織の体は奪われたままだろうが。それに、逆に言えば、消滅させなければ魂は壊れないんだろう? なら、出て行きたくなるまで死なないようにお前を嬲ればいいだけだ」

 あまりに潔い発言に絶句する女の亡霊。そして、ハジメの濃密な殺意が宿った眼光に射抜かれて硬直する。

「俺の“大切”に手を出したんだ……楽に消滅なんてさせない。あらゆる手段を尽くして、消えないように(・・・・・・・)してやる。あらゆる苦痛を与えて、それでも狂うことすら許さない。お前は敵だが……絶対に殺してやらない」

 ハジメの体から紅色の魔力が噴き上がり、白髪が煽られてゆらゆらと揺らめく。殺気も魔力も荒れ狂い、にもかかわらず瞳だけが氷のように凍てついている。

 ハジメは、激怒しているのだ。かつてないほど。ただ敵を殺すだけでは飽き足らない、“残虐性”が発露するほどに。

 香織にとり憑いた亡霊は、余りに濃密でおぞましい殺意に、もはや硬直してハジメを凝視する以外何も出来なかった。この時になって、ようやく悟ったのである。自分が決して手を出してはいけない化け物の、決して触れてはいけない禁忌に触れてしまったのだと。

 ドンナーの銃口が、香織(憑)の額に押し当てられる。とり憑いた亡霊は、ただひたすら願った。一秒でも早く消えてしまいたいと。これからされるかだろう“何か”を思うと、少しでも早く消えてしまいたかった。

 亡霊の正体は、元々、生に人一倍強く執着する思念が変質したものだったのだが、その思いすら吹き飛ばすほど、今のハジメの放つ雰囲気は恐ろしかったのだ。

消えたい! 消えたい! 消えたい! 消えたい! 消えたい! 消えたい!

 亡霊の叫びが木霊する中、ハジメがまさに引き金を引こうとした瞬間、香織の体が突然、輝き出した。それは、状態異常回復の魔法“万天”の輝きだ。香織が万一に備えて“遅延発動”用にストックしておいたものである。

 突然の事態に呆然とする亡霊に内から声が響いた。

――大丈夫、ちゃんと送ってあげるから

 その言葉と共に、輝きが更に増す。純白の光は、亡霊を包み込むように纏わりつくと、ゆらりふわふわと天へ向けて立ち上っていった。同時に、亡霊の意識は薄れていき、安堵と安らぎの中、完全にこの世から消滅した。

 一拍の後、香織のまぶたがふるふると振るえ、ゆっくり目を開いた。馬乗り状態のハジメが、真上から香織の瞳を覗き込む。香織が輝き出してから、ハジメの魔眼石には、存在が薄れていく亡霊の姿が映っていたので、取り敢えず殺意を薄め、香織の中にいないか確かめているのだ。

 間近い場所にハジメの顔があり、押し倒されている状況で、ハジメの視線は真っ直ぐ香織の瞳を射抜いている。びっくりするほど真剣で、同時に、心配と安堵も含まれた眼差し。そんな瞳を見つめ返しながら、香織の体は自然と動いていた。

 スっと顔を持ち上げて、ハジメの唇に自分のそれを重ねる。唇と唇を触れ合わせるだけのもの。それでも確かに、香織のファーストキスだ。

 ハジメは、“魂が壊れる”と言われたために、万一を考えて香織に巣食うものがないか“見る”ことに集中しており、ごく自然な動作で迫った香織のキスを避けることが出来なかった。驚いて一瞬硬直するハジメから、香織は、そっと唇を離す。

「……なにして……」
「答えかな?」
「答え?」
「うん。どうして付いて来たのか、これからも付いて行くのか……ハジメくんの問い掛けに対する答え」

 そう言ってハジメに向けられた香織の微笑みは、いつも見ていた温かな陽だまりのような微笑みだった。ここに来てから見せていた、作り笑いの影は微塵もない。

 実のところ、とり憑かれている間、香織には意識があった。まるで、ガラス張りの部屋に閉じ込められてそこから外を見ているような感じだった。それ故に、香織もしっかりと認識していたのだ。未だかつて見たことがないほど怒り狂ったハジメの姿を。香織を“大切”だと言って、敵に激情をぶつけた姿を。

 そのハジメの姿を見た瞬間、香織の胸に耐え難い切なさが湧き上がった。そして、それと同時に、告白した時のどうしようもない気持ちを思い出したのだ。

 それは、誰に何と言われようと、例えどれだけ迷惑を掛けようとも、このわがままだけは貫かせて欲しい。貫いてみせる。そんな気持ちだ。ハジメを囲むユエ達の輪の中に、自分だけいないことが耐え難かった。自分だけハジメの傍にいないという未来は想像もしたくなかった。自分の力量がユエ達に遠く及ばないことは重々承知していても、気持ちだけは負けていないと示したかった。

「好きだよ、ハジメくん。大好き。だから、これからも傍にいたい」
「……辛くなるだけじゃないか? シアのように、ユエもいなければ、ってわけじゃないだろう?」
「そうだね。独占したいって思うよ。私だけ見て欲しいって思うよ。ユエに、嫉妬もするし、劣等感も抱くよ……辛いと感じることもあるかも」
「だったら……」
「でも、少なくとも、ここで引いたら後悔することだけは確かだから。確信してるよ。私にとっての最善はハジメくんの傍にいることだって……最初からそう思って付いて来たのに、実際に差を見せつけられて色々見失ってたみたい。でも、もう大丈夫」

 ハジメの頬を両手で挟みながら、ふわりと微笑む香織。ハジメは、困ったような呆れたような複雑な表情だ。香織が自分で決めて、その決断が最善だと信じているなら、ハジメに言えることは何もない。幸せの形など人それぞれだ。ハジメに香織の幸せの形を決めることなど出来ないし、するべきでもない。

「……そうか。香織がそれでいいなら、俺はこれ以上なにも言わない」
「うん。いっぱい面倒かけるけど、嫌わないでね」
「今更だろう。学校でも、ここに来てからも……お前は割かしトラブルメイカーだ」
「それは酷いよ!」
「そうか? 学校でも空気読まずに普通に話しかけて来たし、無自覚に言葉の爆弾落とすし、その度に、周りの奴らが殺気立つし、香織は気づかないし、深夜に男の部屋へネグリジェ姿でやって来るし……」
「うぅ、あの頃はまだ自覚がなくて、ただ話したくて……部屋に行ったのは、うん、後で気がついて凄く恥ずかしかった……」

 顔を赤くし両手で顔を覆う香織の上から退き、ハジメは、そのまま香織を助け起こす。そして、苦笑いしながら香織の肩をポンポンと叩き、そして、霧が晴れてから倉庫の一番奥で輝き始めた魔法陣の方へ歩き出そうとした。

 そのハジメの袖をギュッと掴む香織。見れば、少しふらついてる。どうやら、とり憑かれていたせいか、少し体の感覚が鈍いらしい。体に異常はないようなので、直に元に戻るだろうが。

「少し休憩しよう」

 そう提案したハジメに、香織はいいことを思いついた笑みを浮かべると、ハジメに背を向けさせその背中に飛び乗った。

「……何してる」
「早く先に進んだ方がいいでしょ? いつまで魔法陣が機能してるか分からないし。ぼやぼやしてたら、また霧が出ちゃうかも。だから、ね?」

 確かに一理あることなので、ハジメは「しょうがないか……」と頭をカリカリ掻きながら、香織を背負い直して魔法陣へと歩いて行った。

 香織は、腕をハジメの首に回して、これでもかというくらいギュッと背中にしがみつく。何がとは言わないが、背中に感じる凄く柔らかい感触を極力無視するハジメ。そんなハジメの耳元に甘い声音が響く。ほとんど触れるような近さで、香織の唇が震え、熱い吐息と共に言葉が囁やかれた。

「ハジメくん……さっきのもう一度言って欲しいな」
「さっきの?」
「そう、“何に”手を出されたから怒ったの?」
「……さぁ、何のことかわからない」
「もうっ、それくらい言ってよ~」

 ある意味、イチャついていると言えなくもない雰囲気で香織を背負ったハジメは、スタスタと進み、躊躇いなく魔法陣へと足を踏み入れた。





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