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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅤ
407/541

深淵卿第三章 そんな愛の形もあるんだよ




 誰かがいる。深い霧の奥から、自分に語りかけている。


――ほんにいけずなお人……


 うっすらと着物の裾が見えた気がした。人の不安を煽るような血色に似た赤染、黒の裏地。そして、


(赤と白の……彼岸花)


 らしき模様。まどろむ意識の中で漠然と、「ああ、またこの夢……」と思う。


――わっちはこんなに尽くしていんすのに


 しゃなりと衣擦れの音が微かに届く。


 匂い立つような色気に包まれ脳が痺れるような感覚に陥る。なんとなく「逃げないと!」と思うのだけど、夢の中だからか体は僅かにも反応せず。


――未だ呼んでさえくりんせん


 悲しそうな声に、僅かな苛立ちが混じっているように感じる。


 わけもわからず申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、同時に、何かゾッと背筋に怖気が走るような畏れも覚える。


 体と同様に声も出ず、気が付いた時には、ぱふっと抱き締められていた。


 鼻腔に甘い香りが侵入し、頭がくらくらした。何より、顔を包む特大の双子山の柔らかさと言ったら!


――ああ、愛しの君。それならいっそ


 ぎゅっと抱き締められ、顔を上げて相手の顔を確認することもできない。


 幸せの感触に、自然と体の強ばりは解けて、身を委ねるように――


――喰ろうてしまおうか


 あか~~~んっと本能が一気に警鐘を鳴らす。


 必死に素敵なお胸の牢獄から逃げ出そうともがくが、途轍もない力で抱き締められて全く動けない。


 仕方なく、というか意識する余裕もなく下から相手の双子山を押しのけようとする。が、己の手の大きさを遥かに超えるそれは、まるでスライム。手が沈むだけで効果はゼロだ! しまいには息もできなくなり、このおっぱいめ! 離せぇ! 離せぇっと念じる。


 そんな中、くすりっと楽しげに笑う声が微かに響いた。


――わっちの名、早ぉ呼んでおくんなんし?


 愛おしさを伝えるように、よりいっそう強く抱き締められ、二度と抜け出せそうにない谷間に沈んでいき――


(俺にはラナという心に決めた人がいるんだぁっ。頑張れ、俺! 勝て、勝つんだっ、このっ、このぉーーーっ)














「おっぱいにっ!!」


 力強い、決意に満ちた声が響いた。


 走行中の車内に。


「え、遠藤様?」


 隣から唖然とした声が聞こえる。当然だろう。直ぐ傍で仮眠をとっていた年上の異性が、いきなり下ネタを迸らせながら飛び起きてきたのだから。


 それで、呆然としていた意識がビンタでも喰らったみたいに覚醒した浩介。現状が一瞬で脳内に叩き込まれる。


 普通乗用車の後部座席に座っていて、隣には陽晴(ひなた)がおり、服部は運転中だ。


 窓の外からは夕日が差し込んでいる。セーフハウスに入って休んだのが昨夜のこと。現在は翌日の夕方で、とある場所に向かっている道中である。


 バックミラー越しに、やっぱり唖然とした視線がチラチラと自分へ注がれているのが分かる。


 取り敢えず、


「違うんだっ、陽晴(ひなた)ちゃん!」


 釈明が必要だ。だって、陽晴ちゃんが少し身を引いているもの。明らかにドン引きしているもの。


「若いですねぇ、クックック」

「服部さんは黙って!」


 リビドーに溢れる夢でも見ていたのだろうと察した服部が、ニヤニヤした笑みを浮かべている。


「……遠藤様は女性の、その、お、お胸が好きなのですか? 夢に見るほど?」

「断じて違う!」

「ハッ、もしや遠藤さん、あなた男の方が!? 私のこの熟れた肉体が目当て!?」

「あんたは後でぶっ飛ばす」


 明らかに面白がっている服部はともかく、微妙に距離を取っている陽晴に心が痛い。


「遠藤様。大きなお世話かもしれませんが……」

「な、なんだ?」


 戸惑いと、少しの羞恥と、僅かな警戒心と。めまぐるしく表情を変えた陽晴は、最後にキリッとした表情になって浩介を見据え、言った。


「えっちなのはいけないと思います!」

「定番っぽい忠告(セリフ)をどうもありがとう! 言動には気を付けます!」


 遂に堪えきれなくなったのか大笑いを始める服部に恨みがましい視線を向けつつ、陽晴が元の距離感に戻ってくれたので、浩介もひとまずシートに背を預けて溜息を吐いた。


(なんでこんな時にまで、いつもの夢を見るかなぁ)


 内容は、やはり覚えていない。だが、今回はなぜか、少しだけ記憶に残ったものがあった。


(あの着物……あれは……)


 見覚えがあった。おぼろげで判然としないが、あの色合いは確かに。


(つまり、今まで見ていたらしい夢は、そういうことなのか?)


 ようやく覚えていることができた夢の断片により、推測が立つ。無意識に、浩介は右の首筋を撫でた。


(いや、世界の隔たりが……でも、確か彼女は最後に……)


 更に思考の海に沈もうとした浩介だったが、その前に陽晴から声がかけられる。少し心配しているような声音だ。


「体調が優れませんか? わたくしのために寝ずの番をしてくださっていたから……」

「いやいや、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけだから」

「考え事……それは、あの電話の、女性の方のことでしょうか?」

「え? あ、あぁ~、うん、そんなところ」


 はずれではあったが、自分でも夢のことは上手く説明できないので乗っかっておく。


 それに、まったくの間違いというわけでもない。


 というのも、実はあの恐怖の連絡の後、「私、エミリー。今、こうすけの後ろにいるの」をされてはたまらないので、浩介は自らゲートを開いて分身体を送ったのだ。


 異界の中では使えなかったゲートだが、やはり原因は白狐による阻害行為のせいだったのだろう。今度はきちんと起動した。


 そうして、英国の分身体が元々待機場所にしていた拠点の一室にて、瞳のハイライトが消えたエミリーと、「新しいお嫁さんね!」とはしゃいでいるラナ、とある事情から一緒にいたクレアとヴァネッサに、てんやわんやの騒ぎになりつつも状況説明し、どうにか納得を得たのだ。


 やはり、陽晴が記憶喪失で、まだ幼い少女であるという点が、〝(つら)見せろや!〟的事態の回避において一番効果があったらしい。


 流石に、そんな状況の少女を問い詰めるわけにはいかないし、何より、浩介の守備範囲的にあり得ない、と。むしろ、ラナを筆頭に陽晴の境遇に同情し、力を貸そうかと申し出たくらいである。


 だが、そこは断り、逆に分身体を現地に残した。向こうも割と油断できない状況だったからだ。


(それにしても、襲撃か……常人には認識できない場所のはずなんだけど、いったいどこの誰が、どうやって……はぁ、あっちもこっちも襲撃だらけだな)


 なるほど、確かにきな臭い。世界そのものが随分と騒がしいような気がしてならない。


(まぁ、南雲達が探ってるから直ぐに判明するだろうし、聖域には結界もある。ハウリアとバーナード達保安局強襲課の小隊、それにアジズ達オムニブスのメンバーも来ているから問題はないだろうけど……)


 などと考えていると、視界の端で陽晴がなんとも言えない顔をしているのが見えた。いや、どちらかというと何か聞きたそうな顔だろうか。


「どうしたんだ、陽晴(ひなた)ちゃん」

「その……電話の女性、確かエミリー様でしたか。随分と遠藤様を案じていらっしゃるようでしたので」

「大丈夫。事情説明して納得してもらったし」

「いえ、そうではなく。遠藤様に並々ならぬ好意を抱いておられるように感じたものですから」

「……えっと、それが?」

「遠藤様も、憎からず想っておられるというのも、ご関係をお聞きして伝わりました」


 実は浩介、陽晴がエミリーの電話の件で失礼を働いてしまったのではと随分オロオロしていたことから、陽晴にもエミリーとの関係を説明済みだったりする。当然、ラナのことも。


 なので、陽晴はなんとなく釈然としないものを感じてしまったらしい。


「婚約者様がいらっしゃるのに、エミリー様との関係をはっきりなされないのは、どうなのだろうと……」

「ぐはっ!?」


 正論という名の強烈な言葉の槍が、浩介の胸のド真ん中に突き刺さった。


 実は、クレアやヴァネッサという同じ立場の女性がまだいると知ったら、陽晴はどう思うのか。


 瞳の奥に「女性にだらしのない人なのでしょうか?」と微量の失望が見え隠れしているように思うのは、果たして浩介の錯覚だろうか。


 純粋な少女の、とても真っ当で常識的な言葉と、そんな瞳に、心が痛い……


「ハッハッハッ。藤原さん、そういじめないであげてくださいよ」

「服部様?」

「おい、あんたいったい何を言う気――」

「婚約者のラナさん本人がね、最低でも後六人は奥さんが欲しいって言ってるんですよぉ」

「え!? そ、そうなのですか!?」

「ええ、ええ! 羨ましい限りですがね!」

「よ、世の中には、そういう愛の形もあるのですね……」

「一つ、大人になりましたなぁ」

「服部様、お教えいただき感謝致します。遠藤様。浅学な身で差し出がましい口を聞いてしまいましたこと、どうかお許しください」

「お願いだから頭を下げないで……」


 陽晴ちゃんが純粋すぎる。そして、良い子すぎる。ぺこりっと頭を下げる姿に、なんだか罪悪感が湧き上がって仕方ない!


 あと、バックミラー越しに「ナイスフォローだったでしょ?」と汚いウインクをしてくるおっさんが妙に腹立たしい。


 とにもかくにも、世の中の衝撃的新事実(?)に、何やら考え込んでしまっている陽晴が、これ以上変な影響を受けないようにと、浩介は話題の転換を図った。


「それより、服部さん。今、どの辺ですか?」

「そうですねぇ。そろそろ京都を抜けますよ」

「土御門家って言えば、創作物なんかでよく聞く名ですけど、俺、てっきり京都にあるんだと思ってましたよ」

「陰陽師と言えば京都って印象ありますもんねぇ」

「そもそも、陰陽師が実在したことも驚きですけど」

「帰還者を知る身としては今更ですなぁ。私はむしろドキワクが止まりませんよ」

「ドキワクって……俺達もそうだけど、むしろ服部さん達の方が狙われていたっていうのに、何を楽しんでるんですか」


 思わず呆れ顔になる浩介に、服部は某錠剤型清涼菓子(フリ○ク)そっくりのケースを懐から取り出し、スタイリッシュに口へ弾き入れながら答えた。


「いいですか、遠藤さん。長く仕事をするコツはね、無理やりでも楽しむことです。たとえ、胃に穴が空きそうでも、全部投げ出して雲隠れしたくても、胃薬片手に笑うことです。でないと、精神をやっちまいますよ?」

「あの捕虜の話を聞いてからちょくちょく食べてるそれ、胃薬だったんですか……」

「タバコ、酒、胃薬は大人にとっての三種の神器ですよ」

「そんな神器は嫌だ……」


 あまりにさりげなく、かつ頻繁に口にするものだから禁煙代わりのお菓子だと思っていたのだが、とても悲しい事実が判明してしまった。浩介の顔に哀れみが宿る。


「お裾分けしましょうか?」


 シュパッと袖口から三つのケースが飛び出し、これまたスタイリッシュに指の間に挟んで見せてくる服部さん。まるで依存症患者みたいだ……とますます哀れみが湧き上がる。


「いや、いらないです」

「そうですか? 遠藤さんは同類の匂いがするんですがねぇ」

「やめろぉ! 俺は絶対に胃薬常習者になんかならないぞぉ!」


 なぜだろう。素敵な笑顔のエミリーちゃんが幻視できる。「こうすけはもう、私のお薬がないと生きていけないわよね? フフフ」みたいな感じの。おそろしい……


「服部様。一族の(はかりごと)故、わたくしが言えたことではございませんが……どうかご自愛ください。何か、わたくしにできることがあれば、なんなりと」

「……どうもありがとう。ですが、その言葉だけで十分ですよ」

「ああっ、服部様! なぜ涙目に!?」

「こんな私には、子供の純粋な優しさは少々染みるんですわ」

「どういうことですか!?」


 あわあわと前部座席へ身を乗り出す陽晴と、どこか目線が遠い服部。彼のプライベートを浩介は知らないが、なんとなく自分の子供を思い出しているような気がしないでもない。果たして、それが正解として、働きづめの彼とお子さんの関係は上手くいっているのか……


 陽晴に、二度と戻ってこない在りし日の想い出を見るような目を向けていることからすると、きっと言及はしないほうがいいのだろう。


 そんな二人のやり取りを眺めつつ、浩介は目的地に到着する前に、昨夜、捕虜の男から絞り取った情報を整理すべく改めて振り返った。














「あなたはだんだんねむくなぁ~~る。ねむくなぁ~~るぅ~~」

「ねむくなぁ~~るぅ~~」


 セーフハウスの一室で、そんな眠くなりそうなやり取りが繰り広げられていた。


 糸を付けた見た目は五円玉をゆ~らゆら。


 手を後ろで拘束された状態で正座していた青年が、それに合わせてゆ~ゆらと体を揺らす。


 釣られたのか、壁際で様子を見守っていた陽晴(ひなた)もゆ~らゆら。隣の服部に指でほっぺをちょんっと突かれてハッ!? と赤面しつつ正気に。


「ねむっておきれば、うまれかわぁ~る」

「うまれかわぁ~る」

「むらびとになぁ~る」

「なぁ~るぅ」

「なんでもこたえたくなぁるぅ」

「むしろいまこたえたくなぁ~た」


 と呟いた直後、かくんっと頭を下げる青年。


 浩介が「ハァイッ」と柏手をパァンと鳴らす。そうすると、青年は直ぐにパチクリッと目を覚ました。


「僕は誇り高き村人。さぁ、なんでも聞いてくれ!」


 陽晴と服部が顔を見合わせる。


「あの、服部様。警察として何か思うところは?」

「世の中、見なかったことにしたほうが良いこともあるんですよ、藤原さん」

「それでいいんですか、お巡りさん」


 こそこそと、さも恐ろしいものを見たと言いたげな様子で呟き合っているが、浩介はスルーした。


 浩介自身、恐ろしいと思うから。何せ、洗脳用アーティファクト〝村人の誇りに賭けて〟は、あくどい不動産王すら慈善活動家に変えてしまうのだ。


 だが、恐ろしい分、効果は抜群である。


「それじゃあ……まずは陽晴ちゃんのことだ。彼女は何者で、なぜ狙ったのか。彼女の家族は無事なのか、そこから教えてくれ」

「はいっ、喜んで!」


 陽晴が壁際から思わず駆け寄ってくる。自分の素性、家族のことだ。口には出さないが、どれだけ不安に思っていたことか。


 自分のことが何も分からないというのは、きっと、足場さえ定かではない暗闇の中を歩くに等しいに違いない。本来なら十歳に満たない子が耐えられることではない。


「おひい様、いえ、陽晴(ひなた)様は、僕達土御門家の本家筋に当たる藤原家の当主、藤原大晴(たいせい)様のご息女にあらせられます!」

「土御門、ですか……」


 服部が僅かに目を細めた。浩介も創作物で聞き覚えのある家名に驚いた様子を見せる。


「土御門って割と聞き覚えのある有名な家だと思うけど、そっちが本家じゃないのか?」


 浩介の純粋な疑問に、青年はこくりと頷いた。


「はい、本来なら僕達の血筋の方が〝藤原〟ですから」

「??? 悪い、よく分からない。どういうことだ?」

「昔の話です。明治政府より陰陽寮の廃止が告げられたおり、当時のご当主様が、分家かつ右腕的存在であった藤原家の当主に、家名の交換をお命じになられたのです」


 その時、何があってそうしたのかは分からない。家名を交換された後、偽土御門一族の当主は代々そのことに関して口を噤んでいるからだ。


「つまり、陽晴ちゃんの本来の名は、土御門陽晴ということか?」

「はい。我等、安倍の系譜に連なる一族の、真の姫にあらせられます!」


 なるほど、だから〝おひい様〟と呼んでいるらしい。


「安倍って言うと……やっぱり、あの?」


 脳裏に過ぎるのは、やはり超有名な希代の陰陽師〝安倍晴明〟だ。そう思って問えば、青年は案の定、頷いた。


「はい。土御門家自体、安倍家の直系の子孫が室町時代に改名したにすぎませんから」

「つまり、おたくらの使っていた妙な術は……」

「陰陽術です」


 やはり、陰陽師は実在したらしい。いろいろと気になるところだったが、とにもかくにも、まずは安否確認がしたいと浩介は先を促した。


「まぁ、ややこしいから今まで通り陽晴ちゃんは藤原家ということで話を進めてくれ」

「かしこまり!」


 言動がちょくちょくバイト君風になるのは、何か洗脳過程で失敗したからだろうか。一応、シリアスな状況なので困るのだが……


「大晴様以下、藤原一族の術者達は総じて土御門本家にてお預かりしています」

「オブラートに包まずに言うと?」

「意識を縛って座敷牢に封じております!」

「つまり、生きてるんだな?」

「もちろんです。()()死なせるわけにはいきませんからね」

「――ッ」


 無事であることに安堵し、〝まだ〟という言葉に刺されたような衝撃を覚える。


 彼等は、本家の方々と言いながら大晴達の命を奪う気だ。


 陽晴の、憤りをぶちまけたい心持ちがよく分かる。だが彼女自身が自制したのだ。天晴れ見事な自制心を見れば、浩介が余計な時間を使っていい道理はない。


 冷静を心がけ詳しく聞けば、術師ではない一族――母親の千景(ちかげ)を筆頭に姻戚関係にある者は、藤原家の方にいて拘束はしていないらしい。


 藤原家は大企業の経営者一族らしく、陣頭指揮を執れる者がいないと、あっと言う間に騒ぎになってしまうからだ。


 ただし、意識は縛って半ば洗脳状態にしており、監視も付いているという。


「藤原……大企業……おっと、これはこれは」

「服部さん?」

「どうやら藤原さんは〝お姫様〟でありながら、大富豪のご令嬢でもあったようですねぇ」


 スマホで何かを検索していた服部が画面を見せてくる。


 そこに出ていたのは、日本でも超有名な全国展開している百貨店だった。その母体は首都に本拠地を置く日本でも有数の特大企業グループである。他にも観光事業や貿易関係等々様々な事業を抱えており、経済に影響力を有するほどだ。


「やべぇ。マジもんのお嬢様じゃん……」

「あの、遠藤様。続きを……」


 唖然と自分を見つめる浩介の姿に居心地が悪くなったのか、陽晴がなんとも言えない表情で先を促す。


「陽晴ちゃんや、あんた達の素性は分かった。目的を教えてくれ」

「雪辱と、理不尽に奪われた権利の回復ですよ」


 どういうことだ? と問えば、つまり、こういうことらしい。


 明治政府が発足した後、陰陽寮の廃止と共に土御門家も排斥されたらしいのだが、それだけでは終わらなかった。


 時代はまさに〝文明開化〟の時である。西洋の文化を積極的に取り入れ近代化を進める当時において、オカルト的な要素は邪魔でしかなく、民間信仰すら許されない状況だった。


 当然、陰陽師も対象である。魔女狩りにも似た弾圧・排斥運動により、土御門家は神道系に転向せざるを得なかった。


 実際、当時の陰陽師達は相当な辛酸を舐めたようだ。


「確かに、陰陽師の力は時代と共に弱まっていきました。近代に入ってからは、術らしい術を使える者など本家筋を含め、ほんの一握りです」


 とはいえ、天文学を筆頭に学問的要素が非常に強かった陰陽道は、天運や時勢を読むに長け、それは決してオカルトではなかった。


 なぜ、国に尽くしてきた自分達が、こんな仕打ちを受けねばならないのか。


 その恨み辛みは、誇りを踏みにじられた痛みは、未だに忘れられていないという。特に、年配の者達ほど。


「それと、陽晴ちゃん達を襲うことになんの関係がある?」

「僕達は力を取り戻しました。数ヶ月前から徐々に、今まで使えなかった術が使えるようになり、術を使えていた者も破格と表現すべきなくらい力が増大したんです」


 そして、それは本来の本家たる藤原家が最も顕著であった。


 だから、思ってしまったのだ。できると、考えてしまった。


「土御門の名を返上し、今一度、一族を政府の中枢に」


 つまり、返り咲きこそが彼等の目的。


「なんとまぁ。かつての陰陽寮の復活ですか……そう簡単にはいかないでしょうよ」


 現在も、政府は帰還者のもたらす〝不思議〟を秘匿しているのだから、服部の呆れたような表情も当然だろう。


 だが、そこで青年は、〝村人〟らしからぬ嫌な笑みを浮かべた。


「分かっていますと。だから、有用性を示そうと考えたんです」

「有用性?」

「藤原が使命を忘れ俗世に染まり、金儲けのことしか考えなくなったとしても、僕達土御門は決して忘れはしなかった! 怠りはしなかったのです!」

「何を……」

「陰陽師が実在する。ならば、その敵もまた実在するのは当然だと思いませんか?」

「……妖魔か」


 青年曰く、全国各地にある化生を封じた伝承の中には真実も多くあるのだという。


 そう、妖怪の伝承は真実であり、その封印もまた真実。


 土御門家は、長年をかけて密かに各地の寺社仏閣へと一族の者を送り込み、日本全土の封印を管理してきたのだという。


「つまり、各地の封印を解いて、伏見でそうしていた時と同じように使役して有用性を証明しようってことか? けど、それだとやっぱり陽晴ちゃん達を襲った理由にならないぞ」


 おら、もったいぶってないでさっさと言えよ。と、五円玉をゆらゆら。


 徐々に元の自分を取り戻していたようなので、村人にし直す。やはり、陰陽師だから抵抗力があるのだろうか……重ね掛けは危ないのだがしかたない。


「ククッ、そんなに知りたければ教えてやろうぞ」

「遠藤様、この方、目がぐるぐると回っていますが、本当に大丈夫でしょうか?」

「あれ、おかしいな。言動が厨二っぽくなっちまった。俺にもダメージがくるぞ」

「――天星大結界。その破壊こそが我等の目的よ」

「あ、ちょっと待って。今、言動を戻すから話を進めるな!」

「遠藤さん。こいつ凄くポーズ取りたそうですよ。拘束を外そうとして手首の骨が折れそうになってます」

「そう、かの安倍晴明が織りなした最大の結界にして、化生共の完全なる牢獄ッ。ククッ、貴様等には想像もできまいっ。もはや神域に至る異界の――」

「ちょっと落ち着け! そっちは戻ってこれない深淵だぞ!」


 ほ~ら、ゆらゆらだぞぉ~。だんだん普通の言動になっていくぞぉ~。


 なんて更に暗示を重ね掛けした結果、なぜか今度は幼児退行してしまい。


 そこからは、いったん説明が中断するほどのてんやわんや。


 心配する陽晴に母性を見たのか縋り付こうとしたのだが、「マンマァッ」と飛びついてくる青年のあまりの気持ち悪さに、陽晴が思わず渾身の力でビンタを繰り出してしまったり。


 今度は少女に叩かれることに喜びを見いだす変態に成り果てたり。


 これはヤバい! と再生魔法が付与されたアーティファクトによる治療に任せることしばし。


 ようやく元に戻ったと思えば、なぜか隙あらば「ジャスティスッ」を声高に叫ぶ正義の男に変わっていたり。


 どうやら、彼の幼い頃からの憧れとか理想的な自分とかが表出して固定化されてしまったようなのだが……


 とにもかくにも、続きの説明を聞いた後、その処遇をどうするか考えていたところ、彼は京都中に散らばる仲間を止める使命に目覚め、「全ては我が姫のために! 今、ジャスティスが目覚めるッ」とキメ顔をして飛び出していった。


 その後、浩介が寝ずの番を買って出て一泊。


 よほど疲れていたのだろう。結局、陽晴は昼過ぎまで眠り続けた。


 ならばと、服部は先に行政関係者への挨拶回りを終わらせておくべく出て行き、浩介はそれとなくジャスティス青年を分身体に監視させつつ見張りを続行。


 そうして、服部の帰還を待って車を出してもらい、浩介達も目的地への移動を開始した。








 という昨夜と今日の出来事の回想から、ふと現実に戻ってきた浩介は、


(あのジャスティスさん、後でなんとかした方がいいよなぁ。魂魄魔法が使える誰かに頼もう。愛ちゃん先生なら、対価なしでやってくれるかな?)


 ちょっと冷や汗を流しつつ、頭を振って気を取り直した。


「それにしても、近畿地方を丸ごと覆う大結界か……」

「驚きました。あの異界が、まさかご先祖様が創造された化生のための牢獄だったなんて」


 いつの間にか服部の慰めを終えて、ちょこんっと後部座席に戻っていた陽晴が言葉を返してくれた。気が付けば、もうほとんど太陽が落ちていて、山間部の道路というだけあって周囲はかなり薄暗くなっている。


 服部が、ヘッドライトの先へ注意深い視線を向けながら続けた。


「伊吹山、元伊勢、伊弉諾神社、熊野本宮、伊勢内宮を繋いで出来る逆さ五芒星でしたか。そこに秘された結界の要を攻撃して、異界に封じられたはずの数千の妖怪を現世に放出してしまおうなんて、とんでもないことを考えたものです」

「その結界を完全に解くのに、安倍晴明の直系子孫である藤原家の人達の血と術が必要って話だけど……やれば死ぬなんて、まさに生贄だよな……」


 要は、マッチポンプである。溢れ出た兵器の効かない存在、大半の者は見ることもできない恐ろしい存在に、自分達なら対処できると示すのだ。


 とはいえ、ある程度全国に広がるのは構わないものの、平安時代のような跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)は困る。


 なので、自分達も各地の封印を解いて強い式神を得つつ、切り札としての大晴達生贄とは別に〝おひい様〟を手中にしようと目論んだのだ。


 そう、陽晴は、それが可能なほどの逸材。


 先祖返り、晴明の再来と言わしめるほどの才気を有した現代最強の陰陽師らしい。


 陽晴が記憶喪失なのは、土御門家の現当主――土御門条之助(じょうのすけ)、通称〝ご老公〟の術によるものとのことだった。


「でも、まぁ、ある意味朗報だ。ご老公とやらが持っている〝依代(よりしろ)〟だったか? それを壊せば陽晴ちゃんの記憶は戻るらしいし」


 どうやら、そういう術があるらしい。依代を陽晴に見立て、同調させ、その記憶を移す術だ。言い換えれば、記憶のカットアンドペーストというべきか。


 記憶と意識を手中におさめ、必要に応じて戻すことで、反撃を封じつつ傀儡の姫とする計画だったようだ。


「しっかし、便利なものですなぁ。藤原さん、稲荷を祭る神社の鳥居を介せば、全国どこへでもワープできちゃうんでしょう?」

「記憶が戻れば、おそらく」


 どうやら、陽晴の陰陽師最強たる理由は、そこにもあるらしい。


 彼女は、あの白狐――稲荷神社の神使にして、天星大結界の管理者と、もっと小さい時から意思疎通を可能としていたのだという。


 異界に入るのも稲荷系神社の鳥居さえあれば自由だったのだとか。


 おまけに、あの狐っ娘化――〝神憑(かみがかり)り〟状態にもなれた。


 力を失った安倍の子孫が大半である中、僅かなりとも術が使えた大晴達だが、〝神憑り〟を使えば、陽晴は今の力が増大した大晴レベルで既に使えていたという。


 なるほど。陽晴を手中にできれば、と野心が燃え上がるのも無理はないかもしれない。


「異界にも、完全に術下に入る前に、間一髪、自分で逃げ込んだんだもんな」

「お狐様に呼ばれ、近くの稲荷神社に向かう道中だったのが不幸中の幸いだったようですね」


 おそらく、当時既に天星大結界は土御門家による攻撃を受けていたのだろう。


 最終的に藤原の血と術がいるとはいえ、弱らせるに越したことはない。


 あるいは、警備の厳重な場所から陽晴を移動させるのが目的の一つだったのかもしれない。


 とにもかくにも、既に術中に堕ちていた身内――陽晴も信頼している叔父と従兄の不意打ちと、完璧なタイミングで襲撃したご老公一行により、陽晴は術を受けてしまった。


 が、そこは現代最強の陰陽少女である。


 記憶がこぼれ落ち、意識が途切れそうになる中、術の進行を遅らせ、かつ相手の動きを止めるカウンターを一発。


 必死に逃げて、記憶を失う寸前で鳥居に飛び込み、異界にて自失していた、というのが真相らしかった。


 土御門の術者達が稲荷山にいたのも、総本山というべきあそこに出てくる可能性が一番高いと判断したのと、陽晴の毛髪を入手していたので、それで術により居場所を特定できたからなのだという。


「あの白狐と意思疎通できなかったのは、やっぱり記憶喪失のせいかな……」

「だといいのですが……」


 ちょっぴり不安そうな陽晴を、バックミラー越しにチラッと見つつ、服部が口を開く。


「まぁ、なんにせよ、遠藤さん、頼みますよぉ。政府がゴタゴタしちゃってる今、人の意思に干渉できる者達に入り込まれるなんて冗談じゃない。上の方を取り込まれちゃったら、下っ端の私にはどうにもできませんよぉ」

「う~ん、それは分かってるけど……こういう時、南雲なら対価を要求するのかな……」

「ヒーローがなんてことを! そもそも、帰還者だって他人事じゃあないんですよ?」

「うっ、それはまぁ、そうですね……」


 困ったことに、本当に帰還者も無関係ではなかった。


 というのも、どうやら土御門家の者達、当初の計画では結界破壊がされる頃合いに、帰還者を京都へ来させる算段を立てていたようなのだ。


 そう、つまり妖怪が溢れ出たのは帰還者が何かしたからだ! でも大丈夫! 我等陰陽師がなんとかしますよ! 的な作戦を練っていたのである。


 あれだけ世間を騒がせて、オカルト的な説明を繰り返したのだ。超常現象の下手人としては丁度良い、と。


 陽晴の逃亡でいろいろと計画が狂ってしまっていたが、なんの因果か、実際に陽晴を保護したのが帰還者の一人とは……


「遠藤様……わたくしの一族が、本当に申し訳ございません」

「陽晴ちゃんはなんも悪くないだろ?」

「ですが……」

「今は、家族を助け出すこと。土御門の野望を阻止すること。それに集中しよう」

「……」

「陽晴ちゃん、超お金持ちのお嬢様って判明したし、お礼は期待しちゃうぜ。ケケケ」

「もぉ、遠藤様ったら……」


 偽悪的に振る舞う浩介に、陽晴はようやく小さな笑みを見せてくれた。


 そのことに安堵して、同時に、決意も湧く。


 心を痛めているだろうに、弱音を一つも吐かず、他者のことばかり気にかけるこの少女を助けてあげたいと。


 そして、クソのような野望のために自分達を利用しようとした落とし前を、絶対につけてやると。


「陽晴ちゃんの記憶を取り戻す。家族もみんな助け出す。暴走してる阿呆共には鉄拳制裁。それで万事解決だ。簡単だろ?」

「おぉ~、流石は英国が誇るヒーロー。ついに日本でもデビューですねぇ」

「ふふ、格好いいヒーローですね」


 なんて言っている間に、ヘッドライトがトンネルを照らし出した。そこを抜ければ京都府を出て福井県に入る。


 土御門本家までは、あと十分程度だろう。


 トンネルに入った。照明があまり明るくなく、どこか陰鬱とした雰囲気に感じた。


 大した長さのトンネルではない。けれど、ヘッドライトの光は奥の闇に呑み込まれているかのようで、自然と会話が止まった。


 服部が少し緊張しているように見えた。


「何か……上手く言えませんが、何かがこの先に……」

「陽晴ちゃん?」


 唐突にささやかれた陽晴の言葉。幼い容貌に警戒心が見える。


 服部が無言のうちに、少し速度を上げた。


 何かあっても、速く動く標的の方が狙いづらいのは道理だ。


 しかし、この場において、それは悪手だったらしい。


 トンネルを抜ける。


 その瞬間だった。まるで、舞台の緞帳(どんちょう)でも下ろしたみたいに、大量の土砂が入り口を塞いだのは。


「ッ、掴まって!」

「きゃっ」

「陽晴ちゃん!」


 鋭くハンドルを切る服部。速度がありすぎて停車は間に合わない。対向車線側の土砂が比較的に少ない。それを一瞬で見極め、そちらへ車体を振る。


 強烈な遠心力で陽晴が窓に頭をぶつけそうになり、咄嗟に浩介が抱き締めるようにして庇った。


 土砂のカーテンを吹き飛ばすようにして抜ける。車輪が一瞬だけ空転したのが分かった。


 直後に襲い来たのは凄まじい回転の力。車体がスピンしているのだ。


 浩介の視界の端に、とんでもない手さばきでハンドルを操る服部の姿が映る。


 一種の超絶技巧というべきか。横転していてもおかしくなかった車体は、やがて力を失ったように停車した。


「大丈夫ですかぁ!」


 服部が多少息を乱しながら問う。だが視線はトンネルの方から逸れない。片手でシートベルトを外し、もう片方の手を懐に伸ばしている。


「陽晴ちゃん、痛いところは?」

「だ、大丈夫ですっ」


 問題なし。


 だが、直ぐに別の大問題が立ちはだかっていることに気が付いた。


「……ありゃあなんですかねぇ。妖魔って奴ですか?」

「土が(うごめ)いてるなぁ……」


 大量の土砂が流動していた。ずるりっと地を這うように。あちこちから人間の腕のようなものが生えているようにも見える。


 おそらく、服部の推測が正しいのだろう。


 なぜなら、トンネルの上には一人の男がいて、その手で刀印を形作っていたから。


 袴姿の、精悍な顔つきの四十代の男だ。


「あ、あ、そんな……あの人は……」


 男が、土砂がせり上がって作られた巨大な手の上に乗り、トンネルの上から降りてくる。


 その姿を見て、陽晴が動揺をあらわにした。


「陽晴ちゃん? どうしたんだ? 知ってる人か?」


 浩介の問いにも答えられない様子で、どこか泣きそうな表情で男を見つめる陽晴。


 男の視線が、不意に陽晴を捉えた。


 感情の乗らない、冷たい人形のような瞳。


 ビクリッと、刺されたみたいに震えた陽晴は、浩介と服部が困惑する中、縋るような声音で、


「……お父様」


 と、呟いた。


 服部と浩介は顔を見合わせ、思わず「なんてこった」と揃って天を仰いだのだった。


いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


※ネタ紹介

・今後ろにいるエミリー

⇒都市伝説「メリーさんの電話」より。絶対阻止案件。

・近畿の五芒星

⇒諸説あるようですが、前々話の前書きで説明させていただいた通り、本作品の陰陽道は創作寄りなので術や歴史と同じくこちらも創作設定でいかせていただきます。諸説に興味がある方はGoogle大先生に聞いてみてください。

・冒頭のありんす詞

⇒難しいので自動変換サイト頼り。大目に見ていただけると助かります。(ていうか、そんなサイトがあることに驚いた)


※恐縮ですがお知らせさせてください。5月13日に「DNAメディアコミックス」様より、アンソロコミックが発売されました。

挿絵(By みてみん)

たくさんの先生方が描いてくださり感無量。とにかくかわいい。ユエのコスプレもいっぱい。ぜひぜひお手に取っていただければと。よろしくお願いします!


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― 新着の感想 ―
世界観的にTORGを思い出すなあ……リアリティとかポシビリティとかー
陽晴ちゃんの新嫁フラグが段々立っていくなあ。
[一言] まえにもあったね。ドラゴン系で「私、魔王さん。いま…」のやつ。
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