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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅤ
404/541

深淵卿第三章 人間失格と言わないで




 薄い霧の漂う山中を、軽快な足取りで進む人影があった。


 片腕に座らせるようにして少女を抱きかかえる青年である。


 完全に事案である。はたから見ると。


 一級品であると一目で分かる少女の着物が随分と汚れてしまっているので、なおさら。完全に人攫(ひとさら)いの図だ。


「異界で良かったというべきか。そもそも異界に引き込まれたことを嘆くべきか……」

「遠藤様?」


 ちょっと遠い目になりつつ思わず呟いてしまった浩介に、抱えられる姿すらどこかお行儀良く見える陽晴(ひなた)が、こてりと小首を傾げた。


 なんでもない、と苦笑い気味に返し、浩介は道中に聞いた陽晴の事情を反芻する。


「記憶喪失に、父親と老人が揉める夢、気が付けば山中にいて、白狐に導かれ、か……」

「はい……信じ難いことだとは重々承知しておりますが……」

「いや、疑ってないよ。俺の事情も話したろ?」

「修学旅行中に、気が付けば誰もいない千本鳥居のただ中にいた、でしたね。……まるで神隠しのようです」

「うん。なら陽晴ちゃんもそうなんじゃないか? 記憶喪失はなんでなのか分からんけど……」


 浩介も、ある程度の事情を話している。帰還者サイドとしての事情以外は。


 千本鳥居の中に一人取り残された後、どう考えても現実のそれより遥かに長い鳥居の道を進み続けること半日。


 代わり映えしない朱の鳥居と石畳が延々と続き、進んでいる気にならず。鳥居の外は霧で見えなくて、思い切って特攻してみても元の場所に戻ってくるという有様。


 ゲートも使ってみたのだが、起動自体はするものの、光の膜にはノイズが走ったり揺らめいたり、はたまた端の方から霧散したり、危なっかしくてとても使えない状態。


 浩介は久しぶりに、自分の正気度がガリガリと削られる音を幻聴した気分だった。


(せめて分身体が消えなきゃ、エミリーに連絡を取れたんだけどなぁ……)


 案の定というべきか、スマホはずっと圏外。そしてエミリーのもとにいる分身体もパスが途切れている。


 だが、間が悪いことに、エミリーはその事実に当分は気が付かないだろう。なぜなら、彼女は今、王樹の結界の中にいるからだ。


 認識阻害と無意識に近づくことを忌避する魂魄魔法、不可視と空間的隔たりをもたらす空間魔法の結界で守護されたあそこは、外部から遮断されているという意味では聖域という名の異界だ。


 当然、浩介の分身体も入った途端に本体との繋がりが消えて解除されてしまう。なので、基本的には森の外の町で待機しているのだ。


 いずれは問題ないようにしたいところなのだが……数ヶ月前に行ったばかりで、妖精界を救う応急処置的な復活であったから、まだその辺りの利便性にまで手を出せていないのである。


 ちなみに、エミリーが聖域にいるのは、王樹復活に伴い森も息を吹き返し、更には現代には存在しない植物まで復活し、薬学の研究に大いに役に立ちそうだったから。


 というのと、ラナを含むハウリアの一部が仮住まいとして移住しているからである。


「あの人達を聖域に放置なんてできないわ!」


 エミリーの言葉だ。聖域が致死性のトラップと厨二で溢れる魔境に変わりかねない。祖国の大切な場所は、私が守る! という使命感に駆られたらしい。


 閑話休題(とにもかくにも)


 外部との連絡も取れないまま黙々と進み、唐突に山中に出たのは、陽晴に出会うほんの三十分ほど前だ。


 そして、進み続けることができたのは〝導き〟があったから。


「陽晴ちゃんの言うお狐様、どこに行ったんだろうなぁ」

「遠藤様は、お狐様の鳴き声に導かれて、わたくしのもとへ来てくださったのですよね?」

「うん。遠くの方から聞こえてくる感じで。姿は一度も見せてくれなかったし、狐の鳴き声なんて聞いたことないから確信はないけどね」

「いえ、きっとそうなのでしょう。疲れて動けなくなったわたくしのために、お狐様が遠藤様をお呼びくださったに違いありません」


 どこか確信的に言う陽晴。記憶はないというが、時折、妙に確信的に物事を判断する。浩介を信用して身を預けていることもそうであるし、そして、今、


「遠藤様。方向がずれております。もう少し右の方へ向かっていただけますか?」

「おう」


 進むべき道を示しているのも、その一つだ。


 曰く、直感らしい。言葉にするのは酷く難しいらしいが、陽晴にはなんとなく分かるのだという。今も、姿の見えない導き手の存在を感じているとのこと。


(まぁ、明らかに訳ありだし、何か特殊な子なんだろうな。記憶喪失って点に嘘はなさそうだけど、いったい何者なんだろうな)


 なんて思いつつ、陽晴の乗り物に徹して暗き山中を進む浩介。いつしか、道なき道は下りとなり、下山しているのが分かる。


「しっかし、陽晴ちゃんはどこで神隠しにあったんだろうな」

「それは……やはり、伏見稲荷ではありませんか?」

「けど、それなら俺達が観光に来た時点で多少は騒ぎになってないとおかしいだろう? 女の子が一人行方不明なんだ。けど、警官一人いなかったぞ?」

「わたくしがここに来て、おそらく一日と少しです。なるほど。騒ぎになっていないのはおかしいですね?」

「だろ? だから――」


 と考察を話し合っていると不意に、浩介が言葉を止めた。


 ピタリと動きを止め、重心が僅かに落ちる。


 どうしたのかと遠藤に声をかけようとして、しかし、陽晴はビクリッと身を震わせ言葉を詰まらせた。


 理由は二つ。


 何か嫌な気配を背後に感じたから。まだまだ距離はあるように思うが、背筋が寒くなるような気配だ。


 そしてもう一つは、


「……動きを止めた? 様子見か?」


 それをいち早く察知したらしい浩介の表情が、一変していたから。


 先程までの、どこかのほほんとした如何にも普通の高校生とした雰囲気が消えた。


 まるで、お土産品によくある木刀だと思っていたら、それは仕込み用の鞘に過ぎず、中には名刀が――否、妖刀が仕込まれていたかのような変わり様だ。


 一拍、二拍と、陽晴にとっては息を呑むような緊張した時間が過ぎ、やがて、嫌な気配は消えていった。


 と、同時に進路上の遠くからキューンッキューンッと鳴き声も響いてきた。


「陽晴ちゃん。俺が聞いた鳴き声だ。君の言うお狐様かな?」

「え? あ、はいっ」

「催促されてるっぽいな。少し急いだ方が良さげかな」

「そう、ですね」


 妖刀が、また量産品の木刀に戻った。「はいはい、今行くって」と溜息交じりに歩みを再開する姿は、平凡な高校生そのもの。


 急激な変化に、陽晴は呆けてしまって同意するので精一杯だ。


(貴方様はいったい……)


 疑問と強い興味が、陽晴の心の裡に再び湧き上がってくる。


 本当に摩訶不思議な人だった。


 こんなわけの分からない状況で、困った困ったと言いたげに笑うのに、なぜかまったくちっとも困っているように見えない。


 さっきの尋常ならざる恐ろしい気配を感じても、まったく揺らがず動揺など欠片もない。


 子供を前に虚勢を張っているわけでもない。とても自然体だ。


 なのに、先程見せた鋭さは、心の奥をキュッと締め上げられるような気さえした。


 よくよく考えれば、片腕が塞がった状態なのに、夜の道なき道をすいすいと進んでいく安定感も尋常ではない。


 年上の男性とはいえ、未成年の学生であることに変わりはないのに。


 まるで、修羅場という修羅場を経験し乗り越えてきた古強者(ふるつわもの)のよう。


 陽晴(ひなた)は無意識のうちに、じっと浩介の横顔を見つめた。


「それにしても、お狐様は俺達をどこに連れていきたいんだろうなぁ」

「……」

「いや、俺を陽晴ちゃんのもとに導いたってことは、陽晴ちゃんをどこかへ連れて行きたいのか?」

「……」

「さっきの気配が何か関係してるのかもな」

「……」

「そう言えば、陽晴ちゃん。さっきは大丈夫だった? 随分と嫌な感じだっただろう? ……うん? 陽晴ちゃん?」

「……」



 考察に耽っていた浩介が、そこでようやく陽晴の様子に気が付く。


 じっと、それはもうじぃ~っと穴が開くほど見つめられていることに。


「えっと、陽晴ちゃん?」

「……」

「お~い」


 反応がない。実に熱心だ。片腕抱っこ状態なので、顔の距離が非常に近い。


 擬人化されて手足の生えた事案くんが、ヒタヒタと近づいてくる……


 浩介はサッと陽晴を両手で掴むと、頭上に掲げてみた。上下にちょいと揺すってみる。たかいたか~い!


 それでハッと我に返った陽晴は、自分の状態に気が付き、まるで焼き直しのようなジト目となった。


「何をなさるのですか」

「い、いや、反応がなかったから揺らせば戻ってくるかな?と」

「壊れた機械ではないのですが」


 とはいえ、無視した形になっていたのは事実。非礼は己にあり。「考え事をしておりました。申し訳ございません」と陽晴は目を伏せた。たっぷりの綺麗な睫毛がふるふると震えながら伏せられるだけで、随分と儚く見えるのはちょっとずるいところだろう。


 再び片腕抱っこに切り替えた浩介が首を傾げる。


「考え事?」

「はい。遠藤様があまりに泰然となされているので、本当ににんげん――こほんっ。ただの学生なのでしょうか? と」

「なぁ、俺ってそんなに人間か疑わしいの?」


 浩介の目が急速に死んでいく。陽晴はあわあわと両手を振った。


「し、失礼しました。なんと言いますか、お狐様もどこか儚く、先導してくださる姿を注視していてもふっと見失ってしまう有様が、どこか遠藤様にも感じられて……」

「そうなんだ……俺、儚いんだ……」


 浩介の存在感が儚い。今にもハラハラと風にさらわれる灰のように消えていきそう。


 フォローのつもりが追撃となってしまい、陽晴ちゃんが「わたくしのバカ!」と言いたげに両手で顔を覆う。だが、陽晴はやはりできる幼女だった。


 一拍おいてキリッとした表情になると、自分を支える浩介の腕に手を添えて言った。


「遠藤様はヒーローをしているとおっしゃられていましたし、きっと普通の学生では経験しないようなことを乗り越えて来られたのでしょう。このような状況でも慌てないお姿は、とても頼もしく思いますっ」

「あ、うん。ありがとう? っていうか、陽晴ちゃん、お利口さんだなぁ」

「……そこまで子供扱いされると、少し複雑です」


 確かに子供なのですけど……と少し拗ねたように唇を尖らせるところは、確かに、ようやく見られた子供っぽいところだった。


 と、そんな話をしている間に、周囲に変化が。


「霧が晴れてきた?」


 月光が山中によく通る。明るさが増して、より周囲の状況が分かる。


「…んぅ。遠藤様」


 陽晴が身じろぎした。眉間に小さな皺を作って険しい表情になっている。


「どうした? あ、トイレ――じゃなくて、お花摘みなら」

「違います」


 キリッと返された。小さくとてもレディである。デリカシー、と言いたいに違いない。


 とはいえ、咄嗟にオブラートに包んだ点は評価できる。きっとエミリーあたりの教育のたまものだろう。何せ、エミリーちゃんは浩介の前で何度もやらかしている子であるからして。


「嫌な感じがします」

「……特に気配は感じられないけど」

「周囲ではなく、おそらく……この先に何か望ましくないものが、先程の嫌な気配がいくつもあるような、そのような感じがいたします」

「お狐様とやらに騙されたか?」

「いえ、そうではないかと」


 きっと、分かっていて、それでもなお陽晴を連れて行きたいのだ。


 そこにはきっと悪意も害意もない。必要だったから。


「……まぁ、じっとしているわけにもいかないしな」

「お気をつけください、遠藤様。……万が一の場合は、どうかご自分を優先してくださいませ。わたくしと違い、遠藤様には確実に、待っておられるご友人やご家族がいらっしゃるのですから」


 覚悟を決めたような表情を見せる陽晴(ひなた)、浩介は僅かに瞠目する。


 やはり、ただの少女ではない。普通は、怯えて縋り付くものだ。大人であっても。


 それが、自分より他人を、それもさっき出会ったばかりの相手を案じている。


 いったい、どんな環境であれば、こんなしっかりした心の強い子に育つというのか。


 なんにせよ、良い子だ。とても。


 こんなわけの分からない状況で、誰も知らないような場所で、死んでいいような子ではない。


 だから、


「悪いけど、それはできない相談だ」


 きっぱりと、陽晴(ひなた)の提案にはお断りをしておく。


「陽晴ちゃんにだって、待っている人はいるさ。夢のお父さんもそうだし、きっと他にもたくさんな」

「そうかもしれませんが……お狐様がわたくしのために遠藤様を連れてこられたのなら、それはわたくしが巻き込んだようなものです。修学旅行も、遠藤様がいなくなって中断しているやもしれません。大切な想い出作りができたはずですのに……」


 申し訳なそうに肩を下げる陽晴に、浩介は、しかし遠い目をしていった。


「大丈夫大丈夫。どうせ心配なんてされてないから」

「遠藤様? そのような物言いは――」

「いや、別に世間を斜めに見ちゃう年頃とか、そういうんじゃなくてな。……俺、存在感ないから、たぶん、いなくなってることに気が付かれてすらいないと思う」

「そのようなことあるわけが……」


 と言いつつ、陽晴ちゃんは言葉が止まってしまった。だって、お狐様のように、なんだか存在感がないなぁと思っていたのは事実だったから。


「俺は遠藤浩介。出席確認で名を呼ばれず、皆勤なのに出席日数が足りないと呼び出しをくらう男。この修学旅行の出発の時だって、俺は置いていかれたんだぜ!」

「ああ!? 遠藤様が更に儚く!? 目がお亡くなりになっていらっしゃる!? どうかお気を確かに!」

「だから、陽晴ちゃんが気にすることはないさ。皆、俺の存在なんか忘れて普通に観光を楽しんでいるだろうしね!」

「泣かないでっ、遠藤様!」


 着物の袖で、ほろりと悲しみの雫が流れた浩介の頬を優しく拭ってくれる陽晴ちゃん。ついでに、いい子いい子と慰めるように頭も撫でてくれる。


「とにかく! 俺の方は心配ない。責任を感じる必要もないし、俺が君を置いていくこともない。そんな恐ろしいこと、俺にはできない」

「恐ろしい、ですか?」


 先程感じた嫌な気配や、この先に待っているだろう何かしらの状況より恐ろしいことなどあるのだろうか? と小首を傾げる陽晴に、浩介は笑った。


 苦笑いのような、何かを誇るような、困ったような、嬉しそうな、そんな不可思議な笑顔。


「子供を見捨てて逃げてきた、なんて……仲間に失望されちまう」


 それが、何よりも、世界で一番、恐ろしい。


 仲間が、大切な人達が、いつだって誇れる遠藤浩介でいたい。


 仲間や、大切な人達に、いつだって胸を張れる自分でいたい。


 そう、言外の想いが伝わる。


「……素敵なご友人達なのですね」

「一部、別の意味で怖いのもいるけどな」

「ふふっ」


 緊張が解れて、陽晴はついつい笑ってしまった。


 と同時に、視界が一気に晴れ、二人の前に不意に朱色の鳥居が現れた。


 不思議なことに、鳥居の向こう側は闇深く見通せない。


 だが、その鳥居の奥からキューンッと狐の鳴き声が響いてくる。


 浩介と陽晴は顔を見合わせ、一拍。頷き合って鳥居をくぐった。









「ここは?」

「どこかの神社っぽいな」


 鳥居の先は、随分と古ぼけた神社の境内だった。(やしろ)は今にも崩壊しそうなくらい朽ちており、地面もひび割れ荒れている。


 振り返れば、大きな鳥居がそびえていた。先程のように奥が見えないなんてことはない。ここをくぐってきただろうに、向こう側は山ではなく、同じく荒れ果てた道と少しの木々、そして木造の家屋が見える。


 明らかに、先程までいた山とは全く別の場所だった。


「なんか気持ち悪い空だな……」

「夕暮れの色、というには些か赤色が過ぎますね」


 〝燃えるような〟というより〝朱色に塗り潰された〟と表現すべき空模様。黒々とした雲もたなびき、空気自体どこかスモッグに汚染でもされているみたいに霞んでいて、肌にねっとり纏わり付くようだった。


「キューン」

「おう!?」

「あ、お狐様!」


 今出現したかのように少し離れた場所に気配が発生し、鳴き声が木霊した。


 慌てて視線を転ずれば、そこには白い狐がいた。


 純白の毛並みもさることながら、うっすらと同色の輝きを纏っている点、なるほど、陽晴(ひなた)がひとまず信用したのも頷けるほど、どこか神聖な雰囲気がある。


「えっと、あんたが俺を呼び込んだ狐、だよな?」


 と、浩介は言葉が通じるのか不安に思いつつ、一歩を踏み出して白狐のもとへ歩み寄った。


 途端、


「キュ!?」


 白狐さん、全力で後退る! それはそれはキレのあるバックステップだった。


 そう、あたかも恐ろしい何かに接近されて、慌てて逃げた……みたいな。


 そのお月様を写し取ったような金色の瞳も、どこか怯えて見える。怯えを孕んで、浩介だけを見ている。目を逸らしたら死ぬ! と言わんばかりに。


 浩介がビシッと固まった。


 見つめ合う浩介と、白狐。


 陽晴が困惑したように浩介と白狐を交互に見る。そして、そっと浩介の腕から降りると、そそっと距離を取って、


「……人間?」


 と呟いた。


「人間、なんだ。そのはずなんだよ……」


 ちょっぴり自信がなくなったらしい浩介くん。三角座りになって膝に顔を埋めちゃう。


 そろりと歩み寄った陽晴は、ちょっと恐る恐るな感じになりつつも、また頭をなでなで。


「キュッ、キューンッ」


 白狐さんも歩み寄ってきた。決して、一定距離以上、浩介には近づこうとしないが、なんとなく申し訳なそうな表情をしているように見える。


「お狐様。わたくしをここに連れて来ることが目的だったのですか? なぜ、わたくしに記憶がないか、何があったのか、お狐様はご存じなのですか?」

「……」


 白狐は何も答えなかった。だがそれは、おそらく答えられなかっただけだろうと思われた。


 何かを伝えようとして、しかし、もどかしそうに身じろぎする姿を見れば。


 代わりに、白狐は身を翻し鳥居の方へと向かった。


 そこでお座りをし、尻尾を一振り、二振り。


 金色の瞳は理知に溢れ、言葉はなくとも伝えたいことは分かった。


「遠藤様」

「ああ。まだ案内の途中らしいな」


 人外と少女に人外扱いされた悲しみを乗り越えて、浩介は立ち上がった。


 再び陽晴を片腕に座らせ、白狐に誘われるまま古びた境内を後にする。


 やたらと浩介の挙動を気にしつつ、加えて、絶対に一定距離以上は近づかないようにしつつ先導する白狐に追従して荒れた道を進むことしばし。


 雑木林を抜けた先で、


「っ、なんだここ……」


 浩介達は息を呑んだ。


 見えたのは朱色の大きな門。建築様式は日本の寺社仏閣でよく見るそれ。そこから左右へ長く長く壁が続いている。


 やはり古びて朽ちてはいるが、奥には街並みも見えた。木造の、高さのない建物ばかり。通りは驚くほど広い。


 まるで、遥か昔の日本……


「映画とかで見たことある感じだぞ。平安京みたいだな……」


 なんて感想を抱いている間にも、浩介は周囲に溢れた気配に一瞬で臨戦態勢を取った。


「遠藤様! 先程と同じような気配が無数に! ご注意を!」


 一拍遅れて、陽晴の警告が飛ぶ。


 直後、朱色の大門、塀、背後の雑木林、左右の通りに、門の向こうの道に溢れ出す異形の者達。


 薄黒い瘴気のようなものを纏う、獣型や人型、あるいはただの靄のようなものまで。


「おいおい、どうなってんだ? なんでこいつらがいる?」

「遠藤様?」


 見覚えがある姿もチラホラと。乾いた笑い声を上げる遠藤を、陽晴が困惑したように見つめる。


 その小さな手は、ぎゅっと浩介の襟元を掴んでいた。体も震えていて、顔は青白い。しっかりした子であっても、恐いものは恐いのだろう。


 何せ、刻一刻と浩介達を取り囲んでいくのは、


「まったく。これは天之河案件だぞ」


 そう、妖精界の住人――妖魔の集団だったのだから。


「なぁ、お狐様。ここは妖精界なのか?」

「……」


 果たして、白狐はゆるりと首を振った。やはり言葉を理解している。


 そして、急かすように前を行き、振り返って視線で誘う。


「遠藤様。彼等、近寄ってきません」

「……そうだな」

「……お狐様と同じく、遠藤様を警戒しているようです」

「……うん、そだね」

「…………………やはり、遠藤様は――」

「人間ですから! そこ、そんなに突っ込まなくてもよくない!?」

「も、申し訳ありません……」


 陽晴ちゃん的に、人間か否かはとても気になる様子。


 とにもかくにも、一見、瘴気のようなものを纏っていることといい、殺気の宿る眼といい、どう見ても言葉は通じなそうだ。


 妖精界で見た源流に流された発狂状態の妖魔とよく似た状況である。


 それでも、なぜか浩介を警戒して一定以上近寄らないようにしている点、本能的な危機意識が働く程度には、かつての妖精界の妖魔よりマシなのか。


(なんか隠形しても普通に認識してるようだし……陽晴ちゃんか、白狐が原因か?)


 なんて考えつつ、浩介は頭を振って口を開いた。


「まだどんどん集まってきてるな。中には強行に出る奴もいそうだ。陽晴ちゃん、しっかり掴まってて。お狐様、ついていくから走ってくれて構わないぞ」


 陽晴が浩介の首筋にぎゅっとしがみつき、頷いた白狐が駆け出した。


 妖魔達が浩介を忌避する範囲から白狐が出ないよう注意しながら、浩介も滑るように走り出す。


 一気に朱色の門を抜け、広大な大通りを走り抜ける。


 まるでモーセの海割りの如く、現在進行形で溢れ出している妖魔達が左右に分かたれていく様は中々に壮観だ。


 白狐がチラリと肩越しに振り返ってくる。このくらいの速度でも大丈夫かと確認しているようだった。


「いつまで〝俺結界〟の効果が続くか不明だ。お狐様。もっと飛ばしていいぞ。人が通れるなら近道もOKだ!」

「! キュッ」


 余裕そうな浩介に、白狐は僅かに驚いた様子を見せる。それから段階的に速度を上げていくが、浩介はぴったりと一定距離を崩さず追随する。それにまた驚く白狐。既にオリンピックの短距離走選手並みの速度なのだから無理もない。


 ならばと、今度は右に逸れて建物の垣根の上に飛び乗った。


 浩介も危なげなく飛び乗る。


 そのまま屋根の上へ。木々や垣根も利用してぴょんぴょんっと。


 それでも、浩介が遅れを取ることは全くない。未だに余裕の表情だ。


「すごい、すごいですっ、遠藤様!」

「人間だからね?」


 快速かつ軽業師の如き移動に、陽晴(ひなた)は年相応のはしゃぎぶりを見せる。


 後には黒い濁流の如き妖魔の集団が追随し、あるいは併走しているのだが……


 と、その時、ついに現れた。浩介を忌避せず、襲撃してくる者が。やはり、妖精界で見たことのある――鴉天狗らしき影。


 屋根から飛び降りたその瞬間を狙って降下強襲をかけてくる。


 なので、足を振り上げた反動で僅かに落下速度を変え、身を捻りながら鴉天狗の背中を踏みつけるようにして回避。


 空中の即席の足場で飛距離を稼ぎつつ、「こいつ、人間じゃないよ!」みたいなギョッとした表情をしている白狐の近くに着地。そのまま何事もなかったように走り続ける。


「もはや人間技ではございませんね!」

「わざと言ってない!?」


 先程までの恐怖はどこへやら。初めてのジェットコースターを堪能しているお子様のようににこやかな陽晴ちゃんは、やはり肝が据わっていらっしゃる。


 あと、どうしても浩介を人外扱いにしたいのか……


 それから。


 阿鼻叫喚のような咆哮がそこかしこから聞こえる古く廃れた都の中を駆け抜けること十数分ほど。


 見えてきた場所もまた、異常だった。


「はぁ? 晴明神社ぁ!?」


 見えたのは、自由時間に寄ってみようと思っていた場所だった。


 おかしいのは、周囲が平安京モドキな雰囲気なのに、そこだけガイドブックで見た現代の晴明神社そのものだったこと。当然、朽ちてなどいない。


 もうわけが分からん! と心の中で絶叫しつつも、白狐は鳥居の中に飛び込み、そのまま境内の中へ突っ込んでいく。


 忌避感の効力が薄れているのか、鳥居の左右から飛び出した大蛇や猿の妖魔が襲い来る。


 それらをスライディングの要領でかわしつつ、浩介もまた鳥居の内側へと入った。


 途端、追随していた妖魔達が鳥居の向こう側で不可視の壁に激突していく。


「結界の類いか?」

「入ってこられないようですね」


 境内の奥から白狐の呼ぶ鳴き声が聞こえる。


 鳥居の向こうの恨めしそうな妖魔達を警戒しつつも、浩介達は奥へと進んだ。


 現代の晴明神社は、一の鳥居と境内へと繋がる四神門の間に道路が一本通っており、今まで剥き出しの地面の道だったのに急にアスファルトを踏み締めることになって、実に妙な気分になる。


 とはいえ、その道路の両端は境内の範囲と同じ辺りでふつりと途切れ、そこから先は向き出しの地面になっている。


 どうやら、この異界の中でも神社は更に異界となっているらしい。


 奥へ行くと、白狐が安堵したように陽晴を見つめた。


 浩介がそっと陽晴を降ろす。


「お狐様は、やはりわたくしをお求めだったのですね?」


 無言の肯定が返った。


「わたくしには、記憶がございません。何をすれば良いのか……」

「まさか、生贄とかじゃないよな?」


 僅かに浩介の目が細まって白狐を見やる。白狐さん、ブンブンブンッと勢いよく首を振った。そして、視線で陽晴に近くにくるように訴える。


 本来、観光客が参拝する場所は柵がなくなっており、奥の本殿への道が続いていた。


 そこへ入るなり、一気に空気が変わった。


 一言で言うなら、〝清浄〟だ。取り込む空気が驚くほど美味い。肺の中から洗われるようであった。


 目の前には階段と舞台のような場所。その奥に狐二体が鎮座した祭壇のような場所がある。


 そこで、白狐が浩介に視線を向けた。


「俺はここまでってことかな?」


 そういうことらしい。階段の手前で、陽晴が少し不安そうに浩介を仰ぎ見た。


「大丈夫だ。何がどうなってんのかさっぱりだけど、最悪でも陽晴ちゃんを連れて、全部ぶっちぎって逃げるくらいのことはできるから」

「……はい、遠藤様」


 肩の力が少し抜けた様子で、陽晴は毅然とした表情を見せた。


 顎を引き、背筋をピンッと伸ばして、ゆっくりと階段を上がっていく。


 そうして、最奥の白狐と向かい合った。


「お狐様。どうしてわたくしが呼ばれたのかは存じませんが、貴方様の目的にかないましたら、わたくしと遠藤様を元の場所へ戻していただけますか?」

「……きゅん」


 何か言いたげな様子ではあったが、白狐は頷いた。


 それで、最後の怯えも振り払ったのだろう。陽晴は舞台の真ん中で、美しい所作で正座し、瞑目した。


 その直後、クァーンッと今までとは異なる鳴き声が白狐より放たれた。


 白狐からより強い輝きが放たれる。かと思えば、その姿が光の粒子となって消えていき、まるで川の流れのように陽晴へと注がれていった。


 強烈な光が陽晴より放たれる。


 訪れた事象に、浩介は瞠目した。


 眩しい光の中、見えたのだ。陽晴(ひなた)の長い黒髪が白く染まっていき、挙げ句の果てにはぴょこんっと狐耳と尻尾まで飛び出したのを。


 だが、そこを言及する暇はなかった。


「――」


 陽晴が、何やら唱え出した。直後、光の柱が天を衝いた。赤く塗り潰された空や暗雲を祓うように、波紋を打つ光が天に広がっていく。


 そうして――



いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。



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― 新着の感想 ―
SAN値直葬な感じでないことを祈って。
[良い点] いや〜、アニメ番組のような、漫画週刊誌の連載のような、引きの強い終わり方に、感動の溜息が出てしまいました。思わず、宣伝されていたアニメシーズン2の動画を見てしまいました……アニメのリリィは…
[一言] まあ、魔王と嫁ーずは人外(予定含)だし。 卿の嫁も人じゃ無いのいるし、多少はね。 そして新しい嫁は玉藻前扱いかな?
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