トータス旅行記㉑ 魔王のストライクゾーン広すぎぃ事件(誤解)
なろう民の皆様、お久しぶりです。更新再開しますので、よろしくお願いします。
今話からしばらくトータス旅行記の続きをやろうと思います。暇つぶしの良きお供になれば嬉しいです。
なお、前話に「トータス旅行記⑳ 修正版」を投稿しています。理由は、原作書籍11巻の番外編にて、決戦前に里帰りしたティオにより里が阿鼻叫喚の大混乱に陥いる話を書いており、前の⑳では整合の取れない描写があったからです。といっても修正は最後の方だけなので、読まずとも問題はありません。念のため、前⑳も残しておきます。よろしくお願いします。
「あ、あのぉ、アドゥルさん? 大丈夫ですか? 無理してません?」
「なんなら、うちの息子、殴ります? マウント取っていただいて構いませんよ? 私達に遠慮する必要はありませんから」
北の山脈地帯の最奥。鼻腔に微かな潮の香りが感じられる。
ハジメ達一行が今いるのは標高三千メートルほどの山頂の上。そこから正面に見える五千メートル級の山脈を越えれば北の大海原が見えることだろう。
なお、山頂の上といっても、もちろん地に足を付けているわけではなく、その上を通過中のフェルニルの甲板の上という意味である。
目的地は山脈地帯の向こう側、北の海に面した海岸線の大地なのだが、転移を利用しなかったのは、広大で雄大な大山脈地帯を眺めたいという親達の要望――という建前のもと、少し時間をおきたかったから。
そう、ケツパイル事件という衝撃映像を見て気絶したアドゥルおじいちゃんの心の平穏のために。
犯人の親として、愁と菫の気の遣い様が半端ない。まるで、触れれば壊れるガラス細工を扱うような様子でアドゥルに接している。
「お気遣い感謝する、愁殿、菫殿」
甲板の上に吹く調整された微風に赤い髪をなびかせながら、アドゥルは苦笑いを浮かべた。
「だが、私は大丈夫だ。むしろ、大見得を切ったにもかかわらず気絶してしまい、情けない限りだ。決戦前のティオの有様で耐性はできたと思っていたのだが……ご迷惑をおかけした。申し訳ない」
「そんな迷惑だなんて。大事な孫娘を傷物にされたんですから、もっとお怒りになられても……」
「菫の言う通りです。さぁ、息子も覚悟はできています。思う存分、顔を大仏ヘッドのようにしちゃってください」
アドゥルはゆるりと首を振った。なんとも言えない、お手本のような複雑そうな表情で。
「ダイブツヘッド、というのが何かは分からないが……まさかハジメ君も、ティオが……なんというか、あんな変態――ごほんっ。特殊な性質を持っているとは予想もしなかっただろう。不可抗力であるし咎める気はない。逆に、あんな孫娘で申し訳ない」
「いやいやいや、頭を上げてください、アドゥルさん! いくら防御力が高いからってあれはないです。母親である私がドン引きしているんです! 悪いのはハジメ! 本当に申し訳ないです! ねぇ、あなた!」
「まったくですっ。しかも、やめてと懇願されてなお、あんなグリグリガンガンと……息子がドSで本当に申し訳ない!」
「それを言うなら、孫娘がドMの変態で申し訳ないっ」
申し訳ないっ、申し訳ない! 息子がドSで! 孫娘がドMで! 本当に申し訳ない!
と、日本のサラリーマン並みにペッコペコと頭を下げ合う南雲夫妻とアドゥルお祖父さん。
ユエ達の視線は、自然とそのドSな息子とドMな孫娘に向く。
「ティオ、空が青いなぁ」
「じゃなぁ。実に清々しい」
何も聞こえません。そう背中で語りながら、二人は仲良く並んで空を見上げていた。目が、とても遠くを見ている。
ある意味、二人だけの世界が、そこにはあった。現実逃避とも言うが。
アドゥル達と同じく、ハジメとティオの馴れ初めを初めて見た雫と香織、そしてリリアーナが、未だにちょっぴり頬を染めながら言葉を交わし合う。
「なんというか、嫌な性格の合致だけれど、ティオもハジメと出会うべくして出会った……という気がしてくるわね」
「う、うん。もともと二人とも、そういう気はなかったはずなのに……ティオだけじゃなくて、ハジメくんも目覚めちゃった感があるよ」
「……あ、あの、雫、香織。ハジメさんはお尻が……お好きなのでしょうか?」
リリアーナが、何やら「私も覚悟を決めた方がいいのかしらん!?」と、もじもじしながら頬を真っ赤に染めている。
間違った覚悟なので、雫と香織は全力でリリアーナを正気に戻す作業にかかった。
そんな娘を横目に、香織パパたる智一が熱心に手帳へ何かを書き込んでいた。奥さんの薫子が覗き込む。
「あなた? 何を書いているの?」
「ハジメ君の性癖改善計画だ。私が彼を更生させなければっ」
どうやら智一の目には、ハジメがどうしようもないアブノーマルな性癖の持主、という感じに見えているらしい。使命を得た戦士みたいな雰囲気だ。
ハジメがビクンッと肩を震わせる。
「意外だな、智一君。君なら、『やっぱり娘には相応しくない! 別れさせる!』などと言い出すと思ったが……」
雫グランパである鷲三が、片眉を上げながら意外そうな目を智一に向ける。智一は、血涙を流しそうな形相になった。
「もう、『お父さんなんてキライ!』とは言われたくないっ」
まさに、血反吐を撒き散らしそうな心情の吐露だった。
「なるほど。確かに、それなら〝婿の矯正〟の方がいいな。よし、智一、俺も協力するぞ! 男同士の話し合いの場を設けよう」
雫パッパの虎一がグッと拳を握ってやる気を滾らせた。忍びの一族(あくまで他称であり、本人達は否定している)であっても、流石に娘のティオ化は看過できないらしい。
ハジメがまたも、ビックンッと肩を震わせた。
言外の『うちの娘を、あんなド変態ドラゴンみたいにしてたまるか!』的な父親達の決意に、ティオもまたビックン! ハァハァッしている。
「あらま、この人ったら、自分のことを棚に上げて――」
「霧乃、あとでちょっと話し合おう」
雫がバッと霧乃お母さんに顔を向けた。頬に片手を添えて「ふふふ」と面白そうに旦那を見ている。
雫の視線がババッと虎一お父さんに向いた。虎一お父さんは残像が発生しそうな勢いでババッと視線を逸らした。
両親の、知りたくなかった、夜事情。
両手で顔を覆ってうずくまってしまった雫を、香織とリリアーナが全力で、でもちょっぴり頬を染めながら慰める。
お尻の話題が広がっていく中、甲板の隅っこでミュウが困惑気味の声をあげる。
「マ、ママ? そろそろ手を放してほしいの……」
迅速果断。不穏でアブノーマルな話題が広がった瞬間には、娘を連れて距離を取ったレミアママは、今、この瞬間もミュウの耳を両手で塞いでいた。
「ミュウが知る必要のないことを知らずに済むようにしているの。我慢できるわね?」
「ア、ハイ」
有無を言わさぬママの笑顔。ケツパイルという衝撃映像を見て、「よ、世の中にはこういうのもあるの?」と、ミュウが未知との遭遇をしてしまったこと自体、ちょっと後悔していたレミアママである。
娘の健全はママが守る! だって、悪影響の元凶はパパなんですもの! もう、これ以上、娘をそっちの世界には踏み込ませませんよ! と決意は固いようだ。
なんて若干カオスな雰囲気に包まれている間に、フェルニルは最後の山脈を越えた。
眼下に広がるまばらな雲の隙間から、草原や大きく蛇行する幾本もの川が見えた。
山の斜面に沿うようにして高度を下げていく。
そうして雲の下に出れば、よりはっきりと視界に入る大海原。山脈の麓から、だいたい二十キロメートルほど先にはギザギザとした海岸が見えた。東西にもずっと、最奥の山脈に沿うようにして岩場や草原が広がっている。
「しかし、どうしてまたこんな奥地に……」
謝罪合戦にひとまず区切りをつけた愁が小首を傾げた。
言いたいことは分かる、と菫達も同じように疑問符を浮かべている。
「そうよねぇ。竜人族の新しい里の場所としては、少し不便すぎないかしら?」
「まぁ、ここだと、やっぱり隠れ里という印象だもんね」
愛子の母――昭子が幾重にも重なる背後の山脈地帯を見て言葉をこぼせば、愛子は、どこか気遣うような眼差しをティオに向けつつも頷いた。
大陸における新しい竜人族の里の候補地を探す中で、ヴェンリはなぜ、こんな辺境中の辺境を下見しに来ているのか。
確かに、もっともな疑問だった。
その答えを、ティオが穏やかな声音で、しかし、どこか寂寥の滲む様子で口にした。
「それはのぅ、昭子殿。ここが、かつて竜人族の国があった場所だからなのじゃよ」
はっと息を呑んだのは昭子だけではない。あらかじめ教えられていたハジメ達以外、親達全員がマジマジとティオを、そしてアドゥルを見やる。
「五百年以上前のことだ。かつては、美しき緑と水の都であった。自画自賛になってしまうが」
少し照れ臭そうにそう言うアドゥル。
あらためて地上を見下ろすが、ここにかつてクラルス一族が治めた王国があった面影は見当たらない。
きっと、意図的に欠片も残らぬよう消し去られたのだろう。
そして、大地ごとひっくり返されたような滅びの痕跡は、時と共に豊かな緑が既に覆い尽くし、かつてとは異なる軌跡を描く川や泉に変わっている。
「まぁ、あくまで候補地の一つにすぎん。私個人としては、せっかく新たな出発なのだから、全く別の場所が良いだろうと思うのだが……」
「爺様に賛成じゃな。とはいえ、長く生きる者の中には、やはり郷愁の念もあろう。候補地に挙がるのも頷けることじゃ」
「で、あるな。ちなみに、ヴェンリもその一人だ。自らここの調査に立候補した。従者の家系は、どうやら往々にして主家よりもこの地に思い入れがあるようだ」
「分からんではないなぁ」
祖父と孫娘の語り合いに、ハジメ達はなんとなく口を挟めずにいた。
祖国を理不尽にも奪われ、しかし、長い年月を経て再び手にする権利を得るとは、いったいどのような気持ちなのか。推し量ることも難しい。
と、そんなハジメ達の空気に気が付いたのか、少ししんみりした様子だったティオは殊更に明るく笑って見せた。
「ま、妾の関知するところではない。みなが、どこでどのような里を作るのか、楽しみにさせてもらうのじゃ」
「なんなら、近いうちに里の人達を日本に招待しようか。姫が嫁いだ先を知りたいだろうし、新しい里というなら参考になるかもしれないしな」
ハジメが苦笑いを浮かべながら「ハウリアも、『ボス、日本旅行はまだですか? 全裸待機しますか?』と待ちわびていることだし」と言えば、シアは遠い目に、ティオは嬉しそうな表情を見せた。
そして、ごく自然な動きでハジメに寄り添い、ハジメがなんとなくティオを撫でようと手を伸ばした、その瞬間。
「その招待には、当然、私も入ってるのでしょうね? ハジメ様」
パシッとハジメの腕が掴まれた。横からヌッと伸びた手に。
ついでに、ぬぅっと顔も寄せられてくる。ハジメとティオの間に。二人の仲を遮るように。
接近は気が付いていたので、とくに驚くこともなく手を引っ込めるハジメ。そして、ティオと自分の間にグイグイッと割って入ってくる初老の女性の名を呼んだ。
「もちろんですよ、ヴェンリさん」
「結構です。姫様がきちんと生活できているか、ハジメ殿が姫様をないがしろにしていないか、このヴェンリがきち~~~んと見させていただきますからね!」
自らの腰に両手を添えて、ふんすっと鼻息荒く登場したのはティオの乳母にして従者であるヴェンリだった。
瑠璃色の髪と、同色の美しい着物をまとい、一本の棒を仕込んでいるのかと思うほどピンッと背筋を伸ばしている。初老といった見た目だが、充実した覇気があり、実際の年齢と比べても若々しい。加えて、どこか貴婦人然とした上品さが感じられた。
そんな、着陸態勢に入って下降中だったフェルニルの甲板にわざわざ乗ってきたヴェンリは、苦笑いしているアドゥルやユエ達、そしてポカンッとしている愁達に視線を巡らせると、
「お騒がせしました、皆様。姫様の従者をしております、ヴェンリ・コルテと申します。姫様が大変お世話になっていながら、ご挨拶が遅れたこと、誠に申し訳ございません」
そう言って、これまた美しい所作で頭を下げた。かと思えば、特に愁と菫に視線を向けながら「お会いできて嬉しゅうございます」と綻ぶような微笑みを浮かべる。
愁達は挨拶を返しながら察した。なるほど、ハジメには厳しいのか。さもありなん。そりゃあ、大事な姫様がこの有様だもの! 見方も厳しくなるよね! と。
ティオが胸を張るようにして、愁と菫に言う。
「従者と自己紹介したがヴェンリは妾の乳母なのじゃ。妾は第二の母と思うておる。ずっと義父上殿と義母上殿に紹介したかったのじゃ」
「姫様……もったいないお言葉。ヴェンリは感無量にございます」
着物の袖で上品に感涙を拭うヴェンリ。二人の深い絆が垣間見えて、自然と愁達も優しい表情になる。
アドゥルが微笑を浮かべながらヴェンリに問うた。
「ヴェンリよ。これから皆さんを里に招待しようと思っている。調査中だと思うが、一緒に来るだろう?」
「もちろんでございます」
ちょうどフェルニルが着陸した。隠れ里のある孤島までは流石に遠いので、移動するならクリスタルキーで転移することになる。
そんなわけでフェルニルを宝物庫に回収するため、一度、地上に降りるハジメ達。
船内を通るのは手間なので、ユエが重力魔法で全員を浮かせて地上に降ろしていく……中で、
「それはそれとして、ユエ様、お久しぶりでございます」
「……ん。ひ、久しぶり」
なぜか、ヴェンリがユエの傍に移動した。ジッと竜眼でユエを見つめながら挨拶をすれば、これまたなぜか、ユエが少したじろいだ様子を見せる。
「日本での姫様の様子はいかがでしょうか? ハァハァする悪癖は治っているでしょうか?」
「……ちょ、ちょっとずつ?」
「なぜ嘘を吐くのですか?」
「……!? う、嘘なんて別に……」
「日本へお立ちになる際、あれほどお願いしたではございませんか。姫様を少しでも更生させてほしいと。ユエ様、貴女は尽力すると約束してくださいましたよね?」
ティオが「え!? そんな約束を!? というか〝更生〟ってどういう意味じゃ!?」とツッコミを入れてくるが、ヴェンリさんは無視してユエに詰め寄る。
「……ど、努力はしている」
「また嘘を吐きましたね? 私を誤魔化せるとお思いですか? これでもユエ様の三倍近く生きているのですよ? 随分と侮られたものです」
「……そ、そんなつもりは!」
「ユエ様。貴女は主家における正妻様でございます。側室の管理、時には諫める。それらはユエ様の義務です。違いますか?」
「……違わないけど……」
「まさかと思いますが、率先して乱れた私生活など送ってはいないでしょうね?」
「……きちんとしてるし」
「夜更かししたりしてませんか? 休日だからといって一日中ゴロゴロしたりは?」
「……し、してませんけど?」
ヴェンリさんの目がスゥッと細められた。やはり、長きを生きる竜人の眼は誤魔化せないらしい。
実際、少女漫画を徹夜で読んだり、ポテチと炭酸飲料を装備して一日中創作世界に没入したりする休日を多々過ごしている。
そして、それは南雲家全員の従来の有り様でもあるわけで、ハジメのみならず、愁と菫までなんとなく居たたまれない気持ちになって視線を逸らした。
「お食事は? 一日三食、きちんとバランスのよい献立ですか? いくら不死身の吸血鬼だとはいえ、健全な心や肉体は健全な生活から作られるのですよ。全くの別世界なわけですから、未だ馴れないこともあるでしょうし、ストレスで無闇な間食をしていたりしませんか? 体調を崩したことは?」
「……だ、大丈夫! 大丈夫だからぁ!」
くどくどと小言を繰り出していたかと思えば、いつの間にかユエへの心配事に変わった言葉が続々と転がり出てくる。
実は、神話決戦から日本に帰還するまでの間も、姫様を側室とする以上はと、正妻のなんたるか、健全な生活のなんたるかをユエに語り続け、それどころかいつの間にか身の回りの世話をしまくるという前科(?)のあるヴェンリさん。
その姿は、完全に娘の世話を焼くお母さん……
生来の従者気質というか、重度の世話好きという性格は、今後の姫様のためにもと正妻をロックオンしたのである。
ユエには、〝母親らしい母親〟の想い出はない。実母は実父共々、物心ついた時から既に狂信者化していたからだ。
ユエの望みはなんでも叶えるし、叱ることなんて皆無。見ているのは娘ではなく〝神子〟であり、そこにあるのは崇拝に近い感情であって、決して母が娘に抱くべきものではなかった。
なのでユエ的に、ここまで母親っぽく小言を向けられたり世話を焼かれたりするのは、なんともむず痒いというか、戸惑ってしまうというか、総合して苦手意識が出てしまうというか……
ありていに言えば、なんとなく頭が上がらない感じになってしまうのである。
で、それはユエに限ったことではなく。
「ハジメ様」
「げっ」
矛先はハジメにも向く。やれ研究に没頭して私生活を蔑ろにしてないか、寝食を忘れてないか。姫様とアブノーマルなことをしてないか。あくどい商売に手を染めてはいないかetc.
ハジメの場合は、九割方お小言というより心配だったが。
実母である菫は、どちらかといえば放任主義である。細々と世話を焼いたりはしないし、あれやこれやと小言も言わない。
もちろん、叱るときは叱るし、ハジメが悩んでいれば即座に気が付くし、手助けも惜しみはしないが。
とにもかくにも、帰還までの一ヶ月の間、せっせと世話を焼かれたのはハジメも同じであり、やはり馴れない〝世話焼きお母さん〟の猛攻にタジタジとなった。
そんなわけで、ハジメもヴェンリ相手には強く出られない。
「これこれ、ヴェンリ。積もる話もあるだろうが、それくらいにしておきなさい。里に着いてからでもできるだろう?」
「ハッ!? も、申し訳ありません、アドゥル様。つい」
全員とっくに地に足をつけており、フェルニルもしまわれている。後は転移するだけなので、アドゥルが口を挟めば、ヴェンリはバツの悪そうな顔で引き下がった。
そんなヴェンリに、アドゥルは微笑ましそうな表情を向ける。
「ふふ、分かっている。ティオを実の娘のように思っているお前のことだ。そのティオが嫁いだ家の者達とあれば、ユエ殿や他の者達も娘同然。世話好きのお前からすれば放ってはおけんだろう? ティオが旅立ってからというもの、随分と寂しそうであったしな」
「……子離れできていない、というのは分かっているのですが……お恥ずかしゅうございます」
赤く染まった顔を着物の袖で隠す姿は、初老の見た目にかかわらずなんとも可愛らしい。
「ユエ様、ハジメ様。到着そうそう、口うるさくしてしまい申し訳ございません」
「……ん、別に。……ヴェンリのそういうところ、嫌いじゃないし」
視線を逸らし、ちょっぴり頬を染めているユエ。どことなくツンデレっぽい。
「分かっておるではないか、ユエよ。小さい頃から、妾もよくヴェンリのお小言を頂戴したもんじゃ。鬱陶しく感じて逃げることもしばしばなんじゃが……ないならないで、物足りないというか、寂しく感じてしまうんじゃよ」
「姫様。里に到着次第、姫様には別にお話があります。逃げることは許しませんよ! いつまでもハァハァできるとは思わないことです!」
「や、藪蛇じゃったか……しかし、妾の個性じゃ。いい加減、受け入れてたもう!」
「不可能です!」
「不可能!?」
「たとえアドゥル様が、そして里の皆が受け入れようとも! たとえ世界が認めようとも! このヴェンリだけは諦めません! 淑女のなんたるか、改めて叩き込んで差し上げます!」
「鋼鉄の意志!? 酷いのじゃ! ヴェンリの分からずや! 寂しがりの行き遅れ!」
「……なんですって?」
ヴェンリお母さんの首筋に竜鱗が浮き上がる! 竜眼がこれでもかと縦に割れる!
ティオが「ひゃぁ~~~」と声を上げながらアドゥルの後ろに避難した。そのままひょっこり顔を覗かせつつ、祖父を盾にする。
幼少期から度々繰り返されるやり取りに、アドゥルは快活な笑い声を上げた。
その様子を、くすくすと笑いながら眺める愁や菫達。
「あらま、ティオちゃんったら子供みたいねぇ」
「ハァハァの常習犯ではあるが、あんな子供っぽい姿は家でも見たことないもんなぁ」
きっと、国を滅ぼされた後の堪え忍ぶ時間も、この主従にして母娘のやり取りは竜人達の心を救っていたに違いない。
根拠もなく、けれど、そうに違いないという確信がハジメ達の中にはあった。
共に多くを失った主従は、こうして五百年以上を寄り添い、支え合い、そして仲間を励ましてきたのだろうと。
だからだろうか。菫は、自然と口を開いていた。
「ヴェンリさん、もし良かったらですけど……」
「姫様、そこに直りなさいませ――あ、はい。なんでございましょう、菫様」
「一緒に日本で暮らしませんか?」
振り返ったヴェンリがキョトンとした顔を見せる。が、それもほんの一時のこと。微笑を浮かべると首を振った。
「お気遣いに感謝します、菫様。ですが、お気持ちだけ頂戴いたします」
「遠慮はいりませんよ?」
「う、うむ。妾も、ヴェンリが一緒に暮らすのは悪くないと思うんじゃが……」
アドゥルの肩口から顔を覗かせるティオ。
ヴェンリは嬉しそうな、けれど、少し困った表情になった。
「ありがとうございます、姫様。そのお気持ち、大変嬉しゅうございますよ」
「では――」
「ですが、私ももう歳です。今更、新たな世界で一から文化を学んでいくのは少々大変でございます」
ヴェンリは世話を焼きたいのであって、世話を焼かれたいわけではない。従者としての矜持があるのだ。
地球で十全に従者として全うするには、相応の努力が必要となるだろう。そして、その間は逆に世話をかけることになる。
それは、代々従者の家系であるヴェンリにとっては些か以上に厳しい。加えて、新世界での新生活に意欲を燃やすには、ヴェンリはこの世界で長く生きすぎている、ということのようだ。
「姫様は既に旅立たれた。立派に……というには、少々問題がありますが」
「そこは断言してほしいのじゃ」
がくりっと肩を落とすティオに、ヴェンリはくすりっと笑みを浮かべ、
「ならば、私はやはり新たな故郷作りに尽力したく思います。いつの日か、姫様に子ができたとき〝ここが故郷だ〟と、その子に言えるように」
「ヴェンリ……」
「帰る場所がある。それは、この先の未来で何があろうと、姫様にとって大いなる心の支えとなりましょう?」
視線が、そっとハジメに向けられる。故郷に帰る、その一心で多くの不可能を可能に変えてきた男が目の前にいるのだ。なるほど、と頷かずにはいられない。
「お傍で従者をできないことは少々寂しくはありますが、潮時、ということなのでしょう。故郷を作り終えた後は引退し、静かに余生を過ごしたく思います」
「そのようなこと……」
言うてくれるな、というティオの言葉は口の中で溶けて消えてしまった。
ヴェンリの、役目は終えたのだという穏やかで静かな様子に胸の中が寂寥でいっぱいになって、けれど、たくさんの苦労をかけてきた第二の母には「姫様は大丈夫だ」と安堵させてあげたい気持ちもあって。
複雑な表情で口を噤むティオに、ヴェンリは殊更明るく、そして滲み出るような慈しみを以て抱き締めた。
「残念だけど、仕方ないかしらね……」
「そうだなぁ。従者としての矜持が、そうさせるんだろうしなぁ」
菫と愁も残念そうにしつつ、ティオと同じでヴェンリの心情を汲んだようだ。
と、その時、
「ハジメさん? どうしました?」
リリアーナが小首を傾げて問うた。ハジメが、なぜか自分をジッと見つめ思案顔をしていたからだ。
その声にユエ達もハジメを見るが、当の本人は何も答えず、スッと視線を転じたかと思うと今度はティオを眺め、また思案。そして最後にはヴェンリを見つめ始めた。
じぃ~と。それはもう穴が空くほどじぃ~っと思案顔で。顎に手を添えて、何か吟味している様子。
「あ、あのハジメ様? やはり先程は不快な思いをさせてしまいましたか?」
「? いや、不快なことなんて何もありませんよ?」
どうやらハジメが先程の小言で気分を害したのではと思ったらしいヴェンリだったが、あっけらかんと返すハジメの様子からすると、言葉通りのようだ。
では、なぜ熱心にヴェンリを見つめるのか。
上から下まで、じっくり眺めているのか。
妙な空気が漂う。ヴェンリが次第にモジモジし始める。頬がほんのり染まっていく。
「ちょ、ちょっとハジメさん! レディを凝視するなんて失礼ですよ!」
「ハジメ、いったいどうしたのよ?」
「ハジメくん?」
シア、雫、香織が注意する感じで言葉を向けるが……
ハジメは、それもスルーして「ふむ」と何か納得したように頷いた。
「ヴェンリさん」
「は、はい?」
「ちょっと話があるので残ってもらえますか?」
「話、ですか?」
なんてことを言いながら、ハジメはささっとゲートを開いた。輝く光の膜の向こう側は、もう孤島の里だ。
どうやら、ヴェンリだけ残って他のメンバーは先に行けということらしい。
「ご主人様よ。別に急いでおるわけでもないし、話があるなら皆で里に赴いてからすればよかろう?」
「いや、俺はヴェンリさんと二人っきりで話したいんだ」
ヴェンリは困惑しつつも「姫様のことでしょうか?」と、少し心配そうに尋ねる。他のメンバーに聞かせたくない話なんて、ティオに関することしか思い当たらない。
「いや、ティオは関係ありません。俺はただ、あなたのこれからについて提案したいことがあるだけです」
「わ、私のこれから、ですか?」
そこで、智一がハッとした様子で、しかし直ぐに愕然とした様子に変わって呟いた。
「ま、まさかハジメくん、君ッ。何を考えているんだ! ヴェンリさんはティオさんの母親も同然の方だぞ! し、しかも……君っ、ストライクゾーンが広いにもほどがあるだろう!」
「? ……!? ッッ!?」
エッ、嘘でしょ!? みたいな視線がハジメに集中。特に、ヴェンリさんの驚愕は言葉にならない様子。
「何を言い出すんですか、智一さん。心外です。俺のことなんだと思っているんですか」
「手当たり次第に手を出す鬼畜野郎」
「……話し合いましょう。更生計画でもなんでもいいので、男同士の話し合いをしましょう。しっかりと」
「望むところだ」
智一パパの暴走は放置して、ハジメはゲートに促した。
「五分程度の話だ。直ぐにそっちに行くから、ほれ、みんな行った行った」
「……むぅ、ハジメ。私にも秘密なの?」
ユエが唇を尖らせて抗議の眼差しを向ける。だが、ハジメは揺らがない。
「秘密ってほど大した話でもないが、俺とヘリーナだけで進めている計画があってな」
「ちょっと待ってください、ハジメさん。私、それ知りませんけど!?」
「リリィが知る必要のないことだ。今はな」
「私、王女なのに!? しかも、ヘリーナの主なのに!?」
リリアーナの抗議も受け流し、背を押すようにしてゲートの向こうへ送り出すハジメ。
困惑したまま、どうすべきかと立ち尽くすヴェンリを見て、ティオが強烈なジト目をハジメに向ける。
「まさかと思うが、ご主人様よ。本当にヴェンリに手を出す気ではないじゃろうな?」
ハジメが答える前に、ヴェンリが咳払いを一つ。
「姫様、そんなことあろうはずがないではありませんか」
一見すると落ち着いているように見えるが、襟元を忙しなく正す様子が微妙な動揺を示している。ようにも見える。
「私の年を考えてくださいまし。そもそも、ハジメ様は、いたずらにご自分の妻の身内に手を出すような不埒者ではございませんでしょう?」
「うむ。まぁ、そうじゃな」
納得しつつ、きっといろいろと計画している仕事関連で助力でも得ようとしているのだろうと予測し、ティオもゲートをくぐった。
そうして、若干疑わしそうな目をしつつもユエ達全員がゲートをくぐり、出てきた里の広場にて、
「おお! 族長! それに姫様と皆さまも!」
「お帰りなさい、族長、姫様! 随分とお客様がいらっしゃいますな!」
「もしや、そちらは南雲家の?」
などと集まってきた竜人達に向かって、人差し指を口元に当てて一斉に「し~~っ」とジェスチャーした。
登場早々に静かにしろと言われた竜人達は、困惑しつつも口を噤む。
そして、ユエとティオが風の魔法を発動。ゲート越しに風を送受し、二人の会話を盗み聞こうと試みる。
やっぱり、なんの話か気になるし! と。
とはいえ、ゲート越しかつ間接的にとなると、やはり聞こえてくる会話は途切れ途切れで……
『……え? …………は、つまり?』
『ああ。そういうことで俺は…………で、…………貴女が必要なんだ』
「「「「「!?」」」」」
ユエ達の頭上に、揃って〝!?〟が飛び出した。より一層、ゲートに近づく。愁達も興味津々で、アドゥルまで好奇心いっぱいで、竜人達も顔を見合わせると一斉に近寄ってくる。
『で、ですが私は…………先程…………なので』
『それは分かっている。けれど基本的にはこちらで…………をしてもらえれば。つまり現地の…………ということだ。それなら問題ないと思うんだが』
そこで智一が目を見開き「まさか、現地妻にする気か!? 問題しかないぞ!」と声を漏らし、薫子がペチッと夫の頭を叩いて「憶測で語っちゃダメよ!」と叱る。
確かにそうだ……と反省する智一と、まさかそんなはずないと苦笑いを浮かべるユエ達だったが。
『…………いいえ、やはり私は…………それに私は姫様の…………』
『けど、貴女は…………だ。生涯現役の…………』
ユエ達が顔を見合わせる。「生涯現役ってどういう意味!?」と。
『それに俺はティオの…………そう考えれば問題はないはず。どうだろうか? ただ余生を…………貴女はあまりに惜しい』
「「「「「あまりに惜しい!?」」」」」
『ハジメ様、そこまで私を…………』
「「「「「そこまで私を!?」」」」」
なんだ、本当になんの話だ! まさか、本当に口説いてる!? いや、そんなはずは……
仮に、万が一そうだとしてもヴェンリが受けるわけ……
『ちなみに、俺のもとに来てくれるなら…………なんてことをすることも…………』
『なんですって? そこ、詳しく』
「ヴェンリ!? 何を食いついておるんじゃ!?」
ざわめきが竜人の里に広がっていく。声の届かない後方には、伝聞形式で微妙に話を盛られながら伝わっていく。
すなわち、あの魔王にして姫様の伴侶殿が、あのヴェンリさんを口説いている! そう、姫様のことしか眼中になくて、縁はあったのに全ての婚約が結果的にご破算になってしまった鉄壁の姫スキーなヴェンリさんを! と。
「アドゥルさんっ、止めないでください! 嫁の母親を口説くバカ息子は、私が母親として成敗しないと!」
「まぁまぁ、そう慌てずに、菫殿。まだそうであると決まったわけでは……」
アドゥルの落ち着いた様子に、菫もユエ達も「ま、まぁ、確かに、いきなり口説くとかおかしいし……」と落ち着きを取り戻す――
『どうですか? きっと、貴女は和服だけでなく…………も似合う』
『そ、そんな……お世辞はいりませんよ……』
『お世辞ではありませんが……ともかく、考えてくれませんか? 余生、などと言わず…………そう、新たな、第二の人生を共に』
『……そんな強く…………困ります』
「「「「「口説いてるようにしか聞こえないッ」」」」」
里のざわめきは留まるところを知らない! ヴェンリさんの年齢は、アドゥルに匹敵するのだ。ティオからしても祖父母世代なのだ。
魔王のストライクゾーンは広すぎる! と別の意味で畏怖の感情が広がっていく。
そして、薫子、霧乃、昭子の三人まで、自分達より見た目的にも年上相手に繰り広げられる情熱的(?)な口説きに、ちょっぴりドギマギしている様子! 白崎パパと八重樫パッパがギョッとしている!
『返事は新しい故郷を作り終えた後でかまいません。たとえ…………でも、貴女の席は空けておきますから』
『そこまで私を……』
『静かに余生を過ごすなんて言うより…………です。きっとティオも喜びますよ』
「母を口説かれて喜ぶわけなかろう!?」
『……もう、ハジメ様は本当に口がお上手ですね』
「ヴェ、ヴェンリ? なんかちょっと乗り気になっておらんか? 声に照れが混じっておるように感じるんじゃが!?」
というティオの「嘘だと言ってよ!」と言いたげな心情は、
『承知しました。このヴェンリ、ハジメ様のお気持ちしかと受け止めました。よくよく考え、返事をさせていただきとうございます』
「ヴェンリェ~」
ティオさん、頭を抱えて座り込む。旦那の口説きを、第二の母が受け止めちゃったよ……嫁として、そして娘として、どう反応すればいいの? と。
頭を抱えているのは愁と菫も同じ。
そして、嫁~ズは例外なく引き攣り顔で、しかし、旦那とのOHANASHIのために臨戦態勢だ。
あの鉄壁かつ姫様スキー過ぎて、完全に生涯独身を貫く状態だったヴェンリの陥落(?)に、里はもはや大騒ぎ。
そこへ、話を終えたハジメとヴェンリがゲートをくぐってくれば、待ち受けているのは当然、
「うおっ、なんだお前等」
「み、皆様? いったいどうしたのですか?」
冷気と熱気が一緒くたに充満しているような異様極まりない雰囲気と、ジト目全開な嫁~ズ、呆れ満載な親~ズ、そして喜々とした竜人達なわけで。
「ご主人様ッ、ヴェンリッ! お主等いったいどういうつもりじゃぁああああっ!!」
そんなティオの絶叫が響き渡ったのを皮切りに、問い詰める声や祝福の声、あるいは嫉妬やらお叱りやらなんやら、里は喧々諤々の喧騒で溢れたのだった。
その後、口説かれて受け入れたという認識が広がっていることを理解したヴェンリが、大慌てで誤解を解きにかかり、具体的な話はしなかったものの、老後の仕事の斡旋を受けたという説明で、どうにか一応、騒ぎは鎮静化。
未だ、ちょっぴり疑わしそうなティオを先頭に、改めて竜人達の歓迎を受けつつ、隠れ里見学ツアーは始まったのだった。
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意図したわけではないけれど、なんかトータス旅行記ってフルールナイツのメンバー集めの旅みたいになってる気がする……