魔王&勇者編 後日談⑦ 魔王様の最後の要求
妖精界の北に存在する都〝リーフリー〟。
都といっても、街並が広がっているわけではない。高さ三百メートルほどの〝小天樹〟があるだけで、根元にすらまばらな雑草が生えている程度。緑なき荒野が広がっている。
このリーフリーには、もう小さな妖精しか存在していないのだ。三百年前まであった麓の都は滅び、小天樹の洞や枝葉に住める者のみが生き残っている。
そのうちの一人、地球にある伝承の妖精そのままの姿――半透明の羽が生えた、掌サイズの少女が、住居である木の洞からひょこっと顔だけを出していた。
「……もう、終わりかなぁ」
普段は身に纏う風にふわふわと遊ばせている薄緑の長い髪が、その暗い心情をあらわすようにへんにゃりと垂れている。
「ルーン姉ぇ、そんなこと言わないでよぉ」
その垂れた髪を抗議するようにキュッキュッと引っ張るのは、桃色でふわふわのボブヘアをした同じ少女の妖精だった。髪は違うが、顔立ちはそっくりである。双子なのかもしれない。
「しょうがないよ、チーノ。助けはこない……もう、あの方を止めることもできない」
「で、でも――」
妹妖精であるチーノが何かを口にしかけるが、その前に、凄まじい衝撃音が響き渡った。まるで特大の雷撃のような轟音だ。
チーノが「ひゃぁ!?」と頭を抱えてうずくまり、小天樹に住まう他の妖精達の悲鳴も聞こえてくる。
ルーンもまた「ひゃっ」と洞の縁から頭を引っ込める。そして、恐る恐るといった様子でまた外を覗いて、それを見た。
――ォオオオオオオオオオオオッ
空が唸り声を上げているようだった。見えるのは大きな影。否、太陽が逆光となってそう見えるだけで、拳を振り上げているそれは途轍もない巨人だった。
天樹に匹敵しようかという巨大さは、小天樹が地面に生えた雑草に思えるほど。
再度、振り下ろされる神の鉄槌ともいうべき巨大な拳。
それが、またも雷鳴の如き衝撃を撒き散らしながら自分達へ、この小天樹へと叩き付けられる。
小天樹が輝き、不可視のはずの結界が虹色に輝いて巨人の拳打を止めた。範囲は狭い。本当に小天樹を覆う程度しかない。
同時に、ただでさえまばらだった葉がパラパラと落ち、枝の先が朽ちたように色を失い、幹にも少しずつ亀裂が入っていく。
小天樹の限界が近いことは、誰の目にも明らかだった。
かつて、妖魔の身でありながら神話存在すら退ける絶対の守護をもたらしていた北の王は、その守るべき民を絶滅に追い込む天災となり果てていた。
「女神様……」
女の子座りで震えるチーノ。姉と同じく、本来は呼吸をするように風を纏っているのだが、小天樹がもたらす念素は年々減少し、今では強く意識しないと飛ぶことも難しい。
そんな妹妖精のもとへ、ルーンは諦観の滲む表情でトボトボと歩み寄り、そっと抱き締めるようにして言う。
「せめて、天樹の子達だけは生き残ることを祈ろ?」
「……うん」
ビキビキッと不吉な音が響いてきた。数千年の間、この北の都を守り通してくれた小天樹の結界が破られようとしている。
妖精の姉妹はお互いに抱き締め合い、終わりの時を静かに待った。
そして、
――ォオオオオオオオオオオオッ!?
おや? 衝撃が来ない?
――ォ、ォオオオッ!! オッフ!?
衝撃音は響いてる。というより、爆発音というべきだろうか? ついでに〝山の王〟と崇められた巨人の、未だかつて聞いたことのない声も。
――オウッ!?
「んん?」
「へ?」
地響きが伝わってきた。まるで巨体が倒れたみたいに。
「ル、ルーン姉?」
「な、なんかおかしいね?」
――ヲッ!? ヲッ!?
「絶対おかしいね!?」
「山の王様、あんな声出すの!?」
――わぁあああああああっ!!
「えぇ!? なんか盛り上がってない!?」
「なんで歓声が聞こえるの!?」
姉妹は顔を見合わせ、一拍。そろそろそろりと洞の入り口から顔を覗かせた。
そこには、山の王がマウントを取られて往復殴打を受けビックンビックンと痙攣している光景が広がっていた。
「「ぇええええええっ!?」」
まさに驚天動地。神に匹敵する山の如き妖魔がマウントを取られているのも驚きだが、それ以上に、そのマウントを取っている存在に目を剝く。
金属のボディに、三対六枚の金属の翼、全身に兵器を装備し、真紅の粒子を撒き散らしながら、真っ赤に燃える拳を振るう金属の巨人。
そう、
「いいぞっ、スーパーミレディG・MarkⅦッ! 人型戦闘ロボのロマン力! 存分に見せつけてやれ!」
それはかつて、ハジメがライセン大迷宮の最終ガーディアンとして配置し、挑戦した香織、雫、ティオのトリオを危うく返り討ちにしかけたせいで廃棄させられたはずの兵器だった。
MAD錬成師HAZIMEにより、密かに改良に次ぐ改良を加えられながら再誕していたのはご覧の通りである。
なお、全長千五百メートルほどあるのは、ロボがロボ外装を着込むというロマンのせいだ。外装をパージしてスリム化&スピードタイプへの変更を可能にするなら、逆に着込んで巨大化&パワータイプに変化してもいいじゃない、という発想からである。
MarkⅦは巨大ロボモード、本体はMarkⅤで、スリム型はMarkⅥになる。後、それぞれの戦況に応じてMarkⅩⅩまである。
いずれは宇宙空間に専用衛星を浮かべ、外部パーツを空から送り込む! という構想もあったりする。
もちろん、嫁~ズには内緒だ。知っているのは愁パパと八重樫家のご両親&お祖父様、それと浩介だけである。つまり、ロマン信者だけである。八重樫家の皆さんはアイアン○ンスーツもご所望だ。
ちなみに、SMGは自律行動モードのほか、ハジメのコントローラー(プレイステーショ○のを改良した)でも動かせる。
「主! 主! 憑依していいですか!? メイドロボの前に、巨大ロボでヒャッハーしてもいいですか!?」
「ふざけんな、ノガリ。お前、絶対香ばしいポーズとか取るだろ。俺のSMGでジョジ○立ちとかさせねぇからな? 巨大ロボがコミカルな動きをするなんて俺は認めない……いや、そういうコンセプトのロボならいいけど。ロボに貴賤はないし」
「主のロマンばか! それならせめて代わってください! 私も操作したい!」
「あ、こらっ、やめろ! MarkⅦは巨大な分、繊細な操作が必要で――」
「んんにぃっ、適当に上上下右左○××!!」
「ちょっ、おまぁっ」
妖精姉妹がぽかんっと口を開けて頭上を見ている。ほとんど目と鼻の先にある太い枝に、見知らぬ青年と金属ボディの女……女(?)がいて、仲間の妖精達は歓声を上げていて、そして、巨大ロボは山の王の上でミサイルをばらまきながらブレイクダンスモドキを始めていて……
空中で弾けたミサイルが花火のよう。
なので、
「「わけが分からないよ……」」
某エントロピーがあれでこれな白い珍獣みたいなセリフを吐いたのだった。
それから、山の王――だいだらぼっち系統の伝承を有する巨大妖魔が消滅した後、正体不明の二人が小天樹の天辺に登っていたのを見て、多くの妖精が恐る恐るといった様子で追随した。
絶体絶命のピンチに訪れた救世主ではある。
だが、それにしては素性が分からなさすぎた。あんな金属の巨人を操る伝承など見たことも聞いたこともないのだから仕方がない。
二人がもし敵意を持っていたのなら、やはり自分達は滅びるしかないのだ。窮地を脱した興奮が過ぎれば、途端に二人組の強大さと異端さに畏怖が湧き上がる。
いったい、小天樹の頂上で何をする気なのか……
小さな人型妖精がわらわらと集まって、頂上の直径三メートルほどの足場の縁から顔を覗かせる。他にも、周囲の枝葉の陰に隠れるようにして様子を窺う。
その中に、当然ルーンとチーノの姉妹もいて、固唾を呑んで見守っている。のだが、二人だけは、少し毛色が違った。
「ねぇねぇ、ルーン姉、あの人やっぱり……」
「うんっ、間違いないよ!」
きっと、ルーンとチーノだからこそ分かる感覚が畏怖を払拭していく。瞳はキラキラと輝き、まるで迷子の子供が親を見つけたかのような雰囲気になっていく。
その視線の先で、
「主、たくさん集まっておりますね? 虫取り網とカゴをお願いします」
「やめて差し上げろ」
「では、モンス○ーボールをお願いします」
「捕獲から離れろよ、鬼か」
「主のノガリですから」
「……」
なんてやり取りをしつつ、青年――ハジメは木製の杖を掲げた。アウラロッドが枝分けしたそれは、まるで魔法使いの短杖のようだ。
それが、掲げた直後に輝きを放ち、放出した光をシャワーのように小天樹へと注いだ。
途端に、輝きを増していく小天樹。少しずつ、少しずつ、変色した枝が元の色を取り戻し、新たな葉が芽吹き、ひび割れていた幹が再生していく。
光の波紋が緩やかに波打ち、大地が淡く輝き始め、小天樹の根元からゆっくりと緑が顔を覗かせ始めた。
聖樹が力を取り戻した時ほど劇的ではないが、あと半日もすれば完全復活となるに違いない。その間、ハジメがこの場に待機して小天樹を守り切れば、一つ目の仕事は完了だ。
「女神様だ……女神様のお力だ!」
「助けが来たんだ!」
妖精達の間に、再び歓声が迸った。ハジメとノガリマザーに対して、いったい何者だろうという疑問はあるものの、もう畏怖の感情はない。ただ、懐かしい女神様の力を感じて自分達の味方である、救世主であると湧き上がる。
空中でくるくるとふわふわと踊り始めたたくさんの妖精達。飛ぶ力が戻り、かつてのように自由に空を舞う。体を包む球状の光と舞う光の欠片で小天樹の周囲が満天の星のようになった。
その光景を満足そうに眺めつつ、ハジメがノガリマザーへ囁く。
「おい、ノガリ。ちゃんと撮ってるか?」
「イ゛! 主がカメラ機能をつけてくれた以上、このノガリさんが撮り逃すということはありませんっ」
「よし、さっきの――だいだらぼっちか? とにかく巨人との戦闘は、SMGの良いデモンストレーションになる。そろそろ隠れながら改良するのは辛くなってきたからな」
「G10に預ければ良かったのでは?」
「ばっか、お前、ロボは自分で作るから良いんだるぉ!」
「趣味のことになるとキャラが崩壊する我が主、好き!」
「え? なんだって?」
とにもかくにも、そろそろ嫁~ズの公認が欲しいところ。たぶん渋るから、この地球の伝承通りの妖精達が戯れる幻想的な映像を間髪容れず流すことで、心の天秤を傾ける一助とする。だからこそ、北と東の詳細をアウラロッドに聞いた後、ハジメはこちらを選んだのだ。
きっと、雫辺りは感動してぽやぽやするに違いないから、その心の隙を突いてロボの件も認めさせるのだ。雫が陥落すれば、きっと後の二人も、そこからユエ達もOKを出してくれるに違いない。たぶん、きっと、だといいなぁ。
ついでに、もう一つの目的も果たしておく。天樹の杖を足下のくぼみにそっと立てつつ、ハジメは声を張り上げた。
「お~い、お前達。俺の名は南雲ハジメだ。女神アウラロッドの頼みでお前達を救いに来たんだが、ちょっと提案がある。聞いてくれ」
うるさいほどに騒いでいた妖精達が、本来の性質を取り戻したみたいに、好奇心に満ちた目になった。
「実は、〝もう一つの妖精郷〟を創ろうと考えている!」
今度はざわりっと戸惑いのざわめきが広がった。顔を見合わせる妖精達。
「女神アウラロッドが快く天樹の枝分けをしてくれるのは、さっき見た通りだ。彼女は、救済のお礼に協力を惜しまない!」
「流石は主。嘘ではないけど微妙に事実と異なる語りに胸キュンですっ」
「ちょっと黙ってなさい」
「イ゛!」
アウラロッドに言っていた最後の要求。実は、これがそうだった。
具体的には、枝分けさせた天樹を宝物庫の中に入れて生長させることで、世界樹と接続していない、完全独立型オリジナル世界樹を作るつもりなのである。
グラスプ・グローリアや相互変換システムを併用すれば、独立型世界樹――宝樹の創造もきっと不可能ではない。そうすれば、〝宝物庫の中の世界〟――現状の仮名称を〝箱庭〟というが、それも、より完全な形で創造できるだろう。
何せ、既に神霊が住む一つの世界となりつつあるのだ。ここに九つの世界と同じ要素が揃い、独自の自然体系を築いていけば、より完成された世界となる。
ならば、次に求めるのは当然――住民だ。
あらゆるエネルギーの創出が可能な箱庭には、理論上、あらゆる生命が存在できる。なら、あらゆる種族が共存する世界を目指すべきだろう。
「この世界を離れることに抵抗感があるのは理解できる。だが、考えてみてくれ。世界が再び危機に陥った時、自分達が逃げ込むことのできる世界が別にあるのとないのとでは、どちらがいいか!」
扇動家HAZIMEの演説を、ノガリマザーがどこから出しているのか分からないBGMで盛り上げる。
ちなみに、妖精移住の件はアウラロッドの事後承諾である。最後の要求自体伝えていないのだから当然だ。
もういろいろ諦めているとは思うが、万が一、渋った場合に備え、妖精達に「移住したい!」と言わせて味方を増やしておくのである。
あの妖精に対してネガティブな女神のことだ。きっと、「そうですよね……無能な女神のいる世界より、救世主の世界の方がいいですよね……はい、ごめんなさい。ご自由にどうぞ」と言ってくれるに違いない。
「この世界が再び絶望に包まれた時、お前達はまた座してただ救いを求めるか? それとも、同胞を迎えられる理想郷を共に創り、救い手となるか? さぁ、どっちだ! お前達が望むというのなら、この俺が、もう一つの妖精郷を与えよう!」
まるで、世界の半分をくれてやろう! と勇者を誘惑する魔王のようだった。ノガリマザーさんのBGMもクライマックス。
妖精達が戸惑っている。当然だ。救われた直後に、未来の誰かを救うために世界を創ろうと言われたのだ。直ぐに呑み込めるわけがなく、当然、この故郷から離れることにも抵抗感がある。
たとえ、救世主の言葉であっても、直ぐに頷けるわけが――
「いくいくっ! 私は行くわ! 救世主さんの世界に連れてって!」
「あっ、ルーン姉! 待って! 私も行く! お兄さんと一緒がいいよ!」
ひゅわっと飛び込んできたのはルーン&チーノだった。
「ほぅ、我が主、撮影はばっちりですよ」
「なんでわざわざ言った?」
「かわいい妖精さんの裸体を記録しているかどうか、気になっているかと思いまして」
「欲しいのは振動破砕か? それとも魂魄魔法の衝撃か?」
実を言うと、この北の都にいる妖精達は服を着る習慣がない。一応、男女の区別はあるが、彼等には性的な欲も羞恥も皆無だからだ。昔は嗜好品としてアクセサリーや衣装を身につけることもあったが、この危急の状況では娯楽に思考を回す余裕も、小天樹が素材を生み出す余裕もないので自然と廃れたのである。
もっとも、当然ながら美少女といえど掌サイズの少女にハジメが何か思うことなどないので、ノガリマザーのふざけた言動には振動破砕デコピンをしておく。
「うん、やっぱり救世主さんの傍は居心地がいいね!」
「お兄さん、お兄さん! 肩に乗ってもいい?」
「あ? まぁ、いいが……」
ハジメの回りを気分良さそうに飛び回り、チーノに至ってはハジメの肩に座ってくつろぎ始める始末。
どうにも、救世主だからという理由だけでは釈然としない好感度の高さだ。思わず、勧誘したハジメが戸惑うほど。
その真意は、次ぐ言葉で判明した。
「救世主さんは、風の神様の寵愛を受けてるのね!」
「私達、風の神様から生まれたから分かるよ!」
「風の神に? どういうことだ?」
聞けば、この妖精姉妹、風にまつわる神の伝承を源流とした、この世界の神の娘らしい。だから、風を感じ取る感覚の鋭さに関しては他の追随を許さないのだとか。
「だが、俺がこの世界に来たのは数時間前だ。風の神に会ったことはないぞ?」
「それじゃあ、救世主さんの世界の神様かな? 強くて綺麗な風の気配がついてるよ?」
「うんうん! あのね、お兄さん。風は世界中どこでも繋がってるんだよ。きっと、その神様も、お兄さんがどこにいても感じられるようにって印をつけたんだと思う」
「なんだそりゃ。どこの誰とも知らない奴にマーキングされてるとか怖ぇんだけど……」
「浮気ですか、主――ンンイ゛ィ゛ッ」
寵愛といえばユエを思い浮かべるが、風の神というのは解せない。無意識レベルでノガリマザーにコブラツイストをかけつつ思案する。そして、ふと思い当たった。
「まさか、な」
「救世主さん、女神様に頼めば喚べると思うよ?」
「風で繋がってるからね! 神様だし、来やすいと思う!」
曰く、風に限らず水や光といった自然の神格を有する存在は、世界を隔てていてもなんらかの繋がりがある場合、勇者ほどではないが比較的に召喚しやすいらしい。特に、〝世界樹の枝葉〟と強い結びつきのある神格は。
「よし、いっちょやってみるか」
妖精達がなんだなんだと戸惑っているのを尻目に、ノガリマザーをポイ捨てしたハジメはクリスタルキーでゲートを開いた。
自分に印をつけているという風神に対して、こちらから世界を越えてゲートを開くには魔力消費が大きすぎる。無駄遣いはしたくないので、引っ張り込むのはアウラロッドだ。
「ひゃぁっ!? なんですか!? 緊急事態ですか!? やっぱり釈明会見が必要ですか!?」
「ビビリすぎだ」
ゲートの向こうから「南雲!?」と光輝の驚く声が響いてくる。一緒に来たいだろうが、天樹を留守にするわけにはいかないから堪えているのだろう。
ハジメは「ちょっと借りるぞ。直ぐ返す」と、教室で消しゴムの貸し借りをするくらいの気安さで女神を拉致り、ゲートを閉じた。
「め、女神様だ……」
「女神様がご降臨なされた!」
「女神様! 女神様!」
妖精達がアウラロッドの登場に湧く。再び光を撒き散らしながら踊り、あるいは平伏していく。
「ひっ、すみませんっ」
女神、妖精に平伏する。そして、直ぐにフードを創り出しずっぽり被る。
サングラスはどこにやったかしら……取り敢えずマスクを――アッ、やめて! 取り上げないで! この外道!
「またゴブリン化するだけだろうが。それより、ちょっと頼みがある」
「叶えたらマスクを返してくれますか?」
どうあってもマスクをしたいらしい。顔を覆う安心感がクセになったようだ。
ハジメが呆れながらも頷き、自分についているという風の気配から、その印を付けた神格を召喚できるかと尋ねた。
「……まぁ、本当ですね。世界が異なるせいか、私でも注意しないと分からない程度ですが、確かに神格の気配を感じます。風神の愛し子であるこの子達だからこそ気が付けたのですね」
アウラロッドが、怪奇現象を見たような表情になった。この恐ろしいお外道様を気にかけるなんて、どこの頭のおかしい風神だろう、と。
ハジメがマスクを投げるフリをする。アウラロッドは直ぐにキリッとした表情になった。
「小天樹は順調に回復しているようですね……ええ、向こうに応える気があるなら、と条件は付きますが、なんとかできそうです。ただの異界の神ではなく、どうやら他世界の化身の子のようですし、この風の気配――いえ、想念を辿れば難しくはないでしょう」
「できるならでいい。心当たりはあるからな。帰ってから確かめればいいし」
「分かりました。力の消費が許容範囲を超えそうなら中断します。ですが、これも世界救済のお礼の一つ。やってみせましょう」
こくりっと、どこか安心した様子のアウラロッド。そうですよ、こういう要求なら素直に叶えられるんですよ、まったく。と内心で思っているに違いない。
アウラロッドが瞑目し輝き出した。呼応するように小天樹も輝き出す。光の粒子が渦巻き、天に昇っていく。妖精達が女神の力の発現を数千年ぶりに間近で見られて歓声をあげていく。
そうして、ハジメ達の頭上に光が集束していき……
もじょっ!!! と緑色のスライムが飛び出してきた。
「すみませんっ、失敗しました!」
もじょ!?
「いや、失敗じゃねぇよ。気持ちは分かるけど」
薄い緑色の風を纏いながら降臨したもじょるスライムが、ぽてっとハジメの頭の上に落ちた。何か抗議しているのか、スライムハンドを伸ばして頭をペチペチッと叩いてくる。
アウラロッドが、「え、そんな不定形な神で大丈夫ですか?っていうか、本当に化身の子?」みたいな目を向けてくる。
「しかし、やっぱりというかなんというか……お前だったか。俺におかしな風の印とやらをつけていたのは」
緑色のスライム――星霊界の星樹の化身ルトリアの眷属神たる〝流天の神霊エンティ〟の分御霊だ。世界の空と風を司る神は、『な、なんのこと?』ともじょりながら惚ける素振りを見せる。
「わぁ~、わぁ~~~っ、異世界の風の神様かわいい!」
「もにょもにょしてるぅ~」
本来的に無邪気な性格なのだろう。ルーンとチーノの妖精姉妹が、エンティスライムの周囲をくるくるっと楽しそうに回り始めた。外れかけていた関節をどうにか自力で戻そうとしているノガリマザーも無意味に回り始める。故障だろうか?
エンティスライムは、それでようやく周囲の状況に気を回したらしい。無数の妖精や小天樹、女神の存在と外れかけた関節を気持ち悪い動きで戻そうとしているノガリマザーを認識し、もじょ!? となっている。
「あの……よろしければ具現化させましょうか? 力の種類が異なりますから、あくまで仮初めの、一時的な体になりますけど」
「おお、流石女神。今初めて実感したぞ」
「……それはそれで悲しいのですけど」
と言いつつ、エンティスライムに宿る想念に念素を合わせて一時的な具現化を実行するアウラロッド。
そうすれば、集束した光の中から――
「ふぁ!? 人型に戻った!? ちょっとっ、これどういうことよぉ! 宝物庫同士の世界はいきなり途切れるし! あんたの気配も小さくなるし!」
なんかやかましい女の子が出てきた。というか、かつて戦った時と同じ、淡い緑のツインテールに踊り子の衣装を纏った十代半ばの少女――本来の姿のエンティが出現した。
見目麗しい美少女である。薄い緑がかった風を緩やかに纏って宙に浮き、溢れ出す神威を後光のように背負っている。
流石は一つの世界の天空を司る神霊なだけはある。見た目だけなら、アウラロッドよりよほど女神だ。
ただし、初っ端から飛び出したのはマシンガントークならぬ文句の乱れ撃ちだったが。スライム時の癖そのままなのか、ハジメの頭の上に小さなお尻を乗っけてあぐらを掻き、上から覗き込むようにしてペチペチッとハジメを叩いている。
どうやら、ハジメが機工世界に召喚された途端、宝物庫同士の繋がりが途切れた挙げ句、気配もほとんど感じ取れなくなって、まぁ、要するに心配だったようだ。
あと、状況が呑み込めなくて少々混乱しているらしい。
取り敢えず、素足の指先でハジメの両頬を挟みクニクニし出したので、
「鬱陶しいわぁっ!!」
「ふきゃぁああああ!?」
その両足を掴んでジャイアントスイングする。進路上の妖精達をボウリングのピンみたいに弾きながらぶっ飛び、しかし、ふわりっと風をまとって反転。ついでに、弾いてしまった妖精達も風に包み込み保護。
「な、何よぉ! 怒ることないでしょぉ! 心配して召喚に応えてあげたのに、もっと優しくしなさいよ! あっ、し、心配っていってもあんたを心配したわけじゃないんだからね! あくまで、あんたを心配するシアを心配しただけだから! 勘違いしないでよね!」
「あざといツンデレかよ」
スイ~ッと空中を滑るようにして戻ってくるエンティ。ちょっと涙目。スライムの時と言動がまったく変わっていない。
なぜか、そこが自分の定位置と言わんばかりにハジメの頭の上に座ろうとするので――接していれば満足なのか、ほとんど浮いているらしく重みは全く感じない――試しに、捕まえて脇に抱え、いつもやっている通り頬を指で突いてみる。
案の定、「や、やめなさいよぉ~」と必死に手で押し返してくる。嫌がりながらも、どこか楽しそうに。構ってほしい子供みたいに。やはり、人型を取り戻しても中身は分御魂のままらしい。
そこへ、ルーンとチーノがキラキラの笑顔で周囲の妖精に呼び掛けた。
「みんな! これで分かったよね! 救世主さんは本当に、神様の寵愛を受けてる信用できる人だよ!」
「風に連なる子は、きっと居心地の良い世界になるよ! だって、お兄さん、こんなにも風の女神様に愛されてるんだもん!」
「ふぁっ!? 寵愛!? 愛され!? ちょっとあんた達! 何を勝手なこと言ってんの! こいつはシアの大切な人間だから、ちょぉとだけ気にかけてやってるだけなんだから! あんたも勘違いしないでよね! ちょ、寵愛なんて――もぉっ」
赤面しつつも一瞬だけ風に転変してハジメの腕から脱出し、しかし、距離を取るどころか、今度は肩車状態になるエンティ。両足をキュッと絡めて、両手でハジメの頭をぽむぽむしている姿からは、〝寵愛〟の二文字しか出てこない。
実際、世界を隔てても消えないほど色濃い気配がついているのだ。行動は言葉より雄弁である。
かつて、ボッコボコにやられたはずなのに、分御魂スライムになってからも割と雑な扱いを受けているのに、実に不思議だ。流天の神霊さんはMっ気があるのだろうか? 確かに、ハジメもエンティの反応が面白いからか、神霊スライムの中では一番構ってはいるが……
とにもかくにも、エガリと同じく念素や想念を利用すれば神霊達も本来の姿を取り戻せること、そして、狙った通り妖精達の勧誘にも一役買ってくれそうであることから、ハジメは満足そうに頷いた。
そして、「ちょっと、ねぇ! 無事なのは良かったけど、何がどうなってるのか説明しなさいよ!」と、ハジメの頭を抱え込むようにしながらペチペチしてくるエンティを、宝物庫にしまっちゃおうかと考えていると……
「あ、貴女! 天樹の女神やりませんか!?」
エンティが具現化してから、ジッと何かを確かめるように沈黙して見つめていたアウラロッドが、輝く笑顔と血走った目で迫ってきた。
「ふぁ!? え、えっと、この世界の星樹様?」
「天樹の化身アウラロッドと言います。異界の化身の子よ、私の代わりに女神しませんか? いえ、しなさい。するべきです。しないなんてもったいない! こんな機会、もう二度とありませんよ! 今なら特典が……特典が……なんにもないっ、ですけどもぉ! いえ、そう! 今ならこの世界の全てをあげましょう!」
「女神から魔王にジョブチェンジか?」
「ね、ねぇ、この女神様、なんか必死すぎて怖いんだけど。なんで目が血走ってるの? 本当にルトリア様と同じ化身なの?」
「残念ながら、な」
「せ、世界は広いのね」
「残念な女神ですみませんね! だから、女神交代しませんか!?」
ぐいぐいっ迫るアウラロッド。エンティが怯えたようにハジメの頭の上に移動する。正座みたいな恰好で、手を伸ばしてくる女神の手をネコパンチよろしくペシッペシッとはたき落としている。飛べばいいのに、あくまでハジメの頭から離れないのは前提らしい。
ある意味、女神二柱に密着されている青年という希有な光景に妖精達は感嘆の声を上げ、ルーンとチーノの呼び掛けによって移住を決心するものが続々と集い出す。
自世界の民が引き抜かれていることに、ブラック職場からの脱出に必死なアウラロッドは気が付いてない。
ハジメは、ふむ……と少し思案し、直後、思わず訪れた幸運にニヤッと笑った。きっと、日頃の行いがいいから、こんなにも都合の良い状況が揃ったのだろう、と。
「アウラロッド、確認したいんだが」
「なんですか? 今、この子の説得に忙しいんですが」
「も、もぉ! 天樹の化身なんてしないってばぁっ。こいつの面倒を――じゃなくて、シアの面倒を見てあげないとだし!」
「ちょっと黙れ、緑スライム」
「ひどい!」
もっと敬いなさいよぉ! と足をパタパタするエンティを無視してハジメは尋ねた。
「エンティには、化身になる適性があるんだな?」
「ええ、問題ありません。私ほどではありませんが、歴代女神の平均値くらいはあります。平時においては十分に化身の役目を担えるでしょう」
「それは、こいつだからか? それとも、化身自らが生み出した自然の一部を司る神格持ちだからか?」
「それは分かりません。というのも、ルトリアという方が、どういう理法の下にこの子を生み出したのか分からないので。己の存在を分かつような方法なら適性の高さも納得ですが、それは一歩間違えれば自らの消滅もあり得る容易ならざる方法のはず。私もできなくはありませんが、やろうとは思いません。その子の適性が偶然高かったという可能性の方が大きいと思います」
「なるほどなるほど」
ハジメは何度も頷き、にこりと笑った。怖かったのでアウラロッドは後退った。
そんなアウラロッドへ、ハジメはキリッとした表情を見せる。
「勧誘はやめてもらおうか」
ようやく関節を戻すことに成功したノガリマザーが「ひゅ~、流石は主! どの口で!とツッコミを入れさせていただきます!」と指を指してくるがスルー。
そして、
「こいつは、俺の女神にするんだからな」
なんてことを言い放った。
エンティがビシッと硬直する。かと思えば、じわじわと首元から赤く染まっていき――「ふぁ!?」と奇怪な声を漏らして飛び上がった。ハジメの頭上で、膝を抱えた姿勢のまま混乱しているみたいに、ふわふわくるくると漂う。
なんか目をぐるぐるしながらブツブツと呟いている流天の神霊は放置して、ハジメは手短に〝最後の要求〟をアウラロッドへ突き付けた。
それを聞いて、
「なっ、それでは、その独立型天樹の化身にその子を!?」
「おう。化身のあてがなかったんだが、良いこと聞いたよ」
このお外道様の要求はやっぱり最悪だった! と頭を抱えるアウラロッド。どうせここで断っても無駄であることは骨身に刻まれるレベルで理解している。
「これで、オリジナルの異界を創る最後のパーツ――ごほんっ、人材ならぬ神材も揃ったな」
「誤魔化せてませんよ!? 思いっきり材料扱いです! 聞いてましたか!? エンティと言いましたね! 悪いことは言いません、天樹の化身にしときましょう! そっちは絶対にブラックですよ!」
「失礼な。アットホームな職場だよ。むしろ仲間内で一番の出世頭になれる」
「あ、それ前任者が私に言った勧誘文句と同じ!」
せめてもの抵抗というべきか、それとも貴重な神材を逃がさないためか、アウラロッドが言い募るが……
当のエンティは、なんかさっきからずっとふわふわしている。それどころか、まるでバルーンのように流されていっている。耳を澄ませば、
「ふふっ、ふふふっ。ようやく私を崇める気になったのね。まったく素直じゃないんだから! で、でも〝俺の女神〟は……もぉ、誰があんたのよぉ! まぁ、このエンティ様は可憐だし? そう思いたいのはしょうがないけどね! えへへ……」
なんてことをイヤンッイヤンッしながら呟いている。完全に自分の世界に入っている様子。ソアレやライラに似た雰囲気を感じる。神霊の性質なのだろうか? というか、このままだと普通に世界のどこかに流されていきそう……
「おい、ルーンとチーノといったか。これからはあいつがお前等の女神だ。飛んでいかないよう捕まえておいてくれ」
「「は~い!」」
女神様まってぇ~と追いかけていく実に素直な妖精姉妹。二人して、エンティのツインテールをそれぞれ掴み、すぃ~っと滑るようにして戻ってくる。
「エンティさん! 騙されては――」
「しょ、しょうがないわね! あんたがどうしてもって言うなら、しかたなく! しかたなぁ~くだけど! あ、あんたの女神になってもいいわよ?」
もはや、アウラロッドの勧誘は耳にも届いていないようだった。定位置(暫定)らしいハジメの頭の上にお尻を乗せ、器用にも女の子座りとなり、腕を組んでふんすっと威張っている。
だが、ツインテールがご機嫌具合を示しているようにぶわんっぶわんっと踊っているので内心は丸わかりだ。なお、掴まっているルーンとチーノ姉妹が「きゃぁ~」と楽しそうに振り回されていた。その様子に、他の妖精達も集う。
「うぅ、しかも勝手に妖精の移住を……風の伝承に属する子達はほとんどじゃないですか。せめて、想念の流入がある程度戻るまでは待ってくださいよ?」
「まぁ、宝樹が生長してからの話だし、世界救済の後しばらくしてからでいい」
「ぐすっ……まさかと思いますが、もう要求はありませんよね?」
「ねぇよ。十分だ」
「と言いつつもぉ、主のことですから利子がどうとか言って、これからも搾取を続けて――」
「ひぃっ、この悪魔ぁっ」
ノガリマザーの言葉に、アウラロッドはガクブルしながら「勇者様ぁっ、助けて勇者様ぁ!」と泣き叫んだ。
ハジメが「そんなに酷い要求したか?」と聞く者が聞けば愕然としたに違いない言葉を吐きながらゲートを繋げてやると、アウラロッドは脱兎の如く踵を返して飛び込んだ。
そして、
「勇者様ぁ! 魔王が! 魔王が酷いのです!」
「アウラ? それは……つまり、特に問題はなかったということかい?」
「勇者様!?」
なんてやりとりを耳にしつつ、そっとゲートを閉じた。
「おい、エンティ。いい加減、頭に乗るのはやめろ」
「やぁよ、私、あんたの女神だもの」
「まったく関係ねぇだろ、この緑色スライムが。いいか? 宝樹の化身になっても、シアへの助力は忘れるなよ?」
「当然じゃない。シアのこと好きだもの。あんたのことは嫌いだけど、シアの大切な人だし、どうしてもって言うから引き受けてあげるのよ! 感謝しなさいよね! エンティ、ありがとう!って優しく言いなさいよ!」
「……オロスかメーレスの方が適任かもな。適性があれば男神でも問題ねぇし。どうせ、全神霊の適性を調べるつもりだし」
「な、何よぉ! 俺の女神って言ったじゃない! 今更、撤回はなしよ!」
「とりま、もう宝物庫に入れよ。俺はこれから小天樹が復活するまでノガリマザーの改修計画でも練ってるから」
「なんで邪険にするのよぉ! もっと構いなさいよ! あ、やめなさい! 足をひっぱらないで!」
「エンティ様と救世主様、楽しそう~!」
「お兄さん! 女神様! チーノも仲間に入れて~♪」
ハジメを中心に、流天の女神と妖精姉妹が戯れるようにして舞い、そして、その楽しそうな(?)様子を見た妖精達が次々と群がっていく。
小天樹は刻一刻と輝きを強めていく中、実に平穏で幻想的な光景が流れていて……
「奥方達への良い土産ができましたね、ふふっ。〝俺の女神〟発言、絶対に後で気が付いて編集しようとするでしょうから、バックアップを取っておきましょう。楽しくなりそうですっ。クーックックッ」
その中で、自称忠誠度カンスト状態らしいノガリマザーさんの、そんな邪悪な忍び笑いが空気の中に溶けるようにして消えていったのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。