トータス旅行記⑰ ニューラ○イザー・ニュー!
【ウルの町】は今、凄まじいまでの喧噪に包まれていた。本来は農業の町として長閑ですらあるのに、今はほんの数十分で集まったとは思えない数の人々がメインストリートにひしめき合い、興奮と熱狂で空気を震わせている。
無理もない話ではある。何せ、やって来たのはあの魔王一行だ。豊穣の女神様は言わずもがな、そこに王国のリリアーナ姫や新教皇様まで加わっている。
まさに、農村の人々にとっては一生に一度あるかないかの光景だろう。
もっとも、この【ウルの町】の人々は、某魔境の住民達とは異なり、非常に教育が行き届いているというか常識的というか、興奮はしていても、まるでパレードの時のようにストリートの左右にきちんと分かれて通行の邪魔をしていない。
なので、途切れることなく万雷のように木霊し続ける愛子への敬愛の言葉や女神万歳コール、そして魔王様との御子はまだですかーっ的な期待の声に、愛子が羞恥を通り越して〝無我の境地〟に入っているくらいは、どうということもない快適な道行きだった。
「愛子。あんた、なんだか透き通ってる感じなんだけど……大丈夫?」
「はい。愛子は大丈夫です」
「ハジメくん、うちの子が大丈夫じゃないわ」
母親である昭子の問いかけに、透明感のある微笑みで答えた愛子。なるほど、真っ直ぐ前だけを見て、微笑状態から一ミリたりとも表情が動かない有様は、確かに大丈夫じゃない。
「いつまで経っても女神扱いに慣れねぇなぁ」
「はい。愛子は慣れないです」
いろいろダメっぽかった。この町の人達にとって愛子は今の生活基盤を作ってくれた恩神でもあるので、その熱意はいやが上にも強烈に伝わってしまうからだろう。
取り敢えず、ハジメの視線を受けて、ティオから魂魄魔法が飛ぶ。ペカーッと輝く愛子。
お光りあそばされたぞ! なんて神々しい! まさか我々に祝福を? どこまで慈悲深い御方なんだ!
愛子様万歳!! 愛子様万歳!! 愛子様万歳!! 愛子様万歳!!
女神様万歳!! 女神様万歳!! 女神様万歳!! 女神様万歳!!
「ご主人様よ。逆効果じゃった」
「どうしようもねぇな」
どうしようもなかった。愛子はますます透明な雰囲気になっていく。瞳は静かで、まるで悟りを開いているかのよう。それが更に神秘性を付加し、住民達はますます「ありがたや~」と拝み始める。
「愛ちゃんの人気、凄いわね……」
「この町だとハジメより慕われてるっぽいなぁ」
愛ちゃんの神格化が止まらない! 普段、学校で教頭先生にガミガミと注意されてペコペコ頭を下げたり、やることが多すぎて目をぐるぐるさせながら駆け回っていたりする小動物チックな有様とのギャップが凄まじい。
菫と愁のしみじみとした言葉に、誰もが感心とも同情とも見える微妙な表情になった。
「ほっほっほ。わしより愛子殿の方が教皇に相応しいかもしれんのぅ。ハジメ殿への恋心であたふたしておった頃が懐かしいわい」
「ちょっ、シモンさん!?」
愛ちゃん、まさかの暴露により復活。しーっ、しーっと口元に人差し指を当てて黙っているように訴えかけるが、昭子を筆頭に女性陣が「ほぅ。そこ詳しく」と視線の圧力をシモン教皇にかける。当然、シモン教皇は屈する。
「ハジメ殿のことが気になって気になって仕方ない! けど、自分は教師だから! 禁断の恋なんてダメ! でも……忘れることなんてできないの! みたいな感じで、すっごい乙女じゃったな。一人、花壇の中でいじいじするくらいに」
「シモンさーーーーーんっ!!」
このジジイッ! なに人の相談内容を垂れ流してんだ! と目を吊り上げる愛子だったが、女性陣の生暖かい眼差しに直ぐ顔を両手で覆ってしまう。耳も首筋も真っ赤だ。
「へぇ、ふ~ん、そうなのね~」
「……お母さん? 何か言いたいことでも?」
昭子の楽しそうな声音に、愛子は指の隙間からジト目を送る。
「あんた、戻ってきてからもうじうじと悩んでいたじゃない? ハジメくんの方から家に来てくれるまで何も教えてもくれなかったし」
「うぐっ、それは……だって……」
「そんな恋愛に関しては鈍感で優柔不断でダメダメなあんたが――」
「お母さん、オブラートに包んでよ」
「よくハジメくんにアプローチしたわねぇと思っていたのだけど、どうやらシモンさんのおかげでもあるみたいね?」
そう言って、昭子はシモンへ目を向け、「うちの娘がお世話になりました」と丁寧に頭を下げた。
「なんのなんの、礼など不要。わしは何もしておらんよ。ただ愛子殿が、自分の気持ちをしっかり大切にできた結果じゃろう」
「〝愛子殿が、その生まれたての気持ちを大切にできればいいと思う〟――そう言ってくださったのはシモンさんですけどね」
へぇ、なんだよ。ただのファンキーなジジィじゃなかったのか。いかにも聖職者っぽいことしてるじゃないか。みたいな眼差しがハジメ達から注がれる。
ちょっと照れたみたいに視線を逸らすシモン教皇。そこへ、じっとりした声が響く。
「……へぇ、愛子さんにそんなアドバイスを。私には〝まぁ、頑張ってくだされ〟としか言ってくださいませんでしたのに」
リリアーナだった。じっとりとシモン教皇の背中を見ている。
どうやら彼女もまた、シモン教皇に恋愛相談していたらしい。シモンを教皇に推挙したり、幼少の頃の話し相手であったり、信頼関係があった故だろう。だからこそ、自分より愛子に対してしっかり相談相手を務めている点に釈然としないものを感じているようだ。
「姫様に相談いただいたのは、優花嬢ちゃんと愛子殿の語る相手がハジメ殿だと知った後でしたのでなぁ」
「それがなんだと言うんですか」
シモン教皇はキリッとした顔で弁明した。
「正直、ハジメ殿なんてもげてしまえ、と」
あんなに魅力的な女性達を侍らせておきながら、その上、姫様を含む三人まで……爆発しろ。夜の魔王なんて爆発してしまえ! もう知らん! 修羅場とかになって、困れ!
と、そう思っておざなりになったらしい。シモン教皇様、未だに心は現役のようだ。
「おいこら、聖職者のトップ」
「知らん! わしは全男子の心を代弁しただけじゃ!」
いい年こいて拗ねるシモン様。愁達男性陣が「まぁ、気持ちは分からないでもない」みたいな表情になる。
「こんな教皇で大丈夫か、リリィ」
「これでも多くの人々に慕われているんですよ、本当に」
リリアーナは困ったように笑う。
そうこうしているうちに、一行の視界に目的地が見えてきた。パレード状態のストリートを、ずっと居心地悪そうに歩いていた智一が確認する。
「ハジメくん。あれが〝水妖精の宿〟かい?」
「ええ、そうです。俺達が泊まっていた宿ですね」
水妖精の由来が、ウルディア湖に宿るとされる精霊的な存在から来ていることや、古くからある老舗であることなども説明。なお、最初にここを訪れたのは、いろんな意味でお世話になったオーナーに、最初に挨拶をしたいと愛子が願ったからだったりする。
説明の後、今度は薫子が少し困り顔で口を開いた。
「ええっと、ここの人達はずっと往来にいるのかしら……お仕事とか問題ないといいのだけど……」
どう見ても仕事を中断しているとしか思えない人数がメインストリートの両サイドに控えているので、もっともな心配ではある。とはいえ、薫子的にオブラートに包んだだけで、その本音は、この宿屋を見学している間も外でずっと待たれているのは一般人の感性的に辛い……というものに違いない。
それを察して、ハジメは少し思案顔を浮かべると、すっと顔を愛子の耳元に近づけた。不意に耳元に息がかかって、愛子から「ひゃっ」と声が上がる。
周囲から「おぉ!! なんと仲睦まじい!」「やはり我等の愛子様が一番なんだ!」「愛子様こそ正妻なんだ!」という歓声が上がる。ユエ様の額に青筋が浮かぶ。香織の笑っていない笑顔が人々に向けられ、彼等は不意に感じた悪寒に挙動不審となった。見て! この腕の鳥肌!
「ハ、ハジメくん。こんな往来で何を――」
頬を染める愛子に、何やらごにょごにょと吹き込み始めるハジメ。すると、直後、
「いやです!」
何やら断固拒否の姿勢を示す愛子。
ハジメさん、そんなことは想定済みと言わんばかりにもっとごにょごにょ。加えて、愛子の耳元に手を添えて、愛撫するような素振りまで。愛子は更に羞恥で赤くなりつつ、しかし、離れようとはしない。
なんか執念深い女に睨まれているような悪寒を感じるけど、それがなんぼのもんじゃい! 愛子様の尊いお姿を網膜に焼き付け、脳内に刻み込むのだ! と思っているかどうかは分からないが、更なる歓声は上がった。年頃の町娘達からは「きゃ~~っ♪」という黄色い声も上がる。
町は、今、とても盛り上がっている!!
一方で、菫達親~ズからは「いや、ほんと往来で何してる!?」みたいな目が。ユエ達はハジメが何を言っているのか聞こえているようで、なんとも言えない微妙な表情に。
「え? それをやれば引き換えに? そ、それは……確かに助かりますけどぉ……でも……うぅ、分かりましたよぉ。やればいいんでしょう! やれば!」
何やら、愛子からやけっぱち感が漂う。いつものことだ。
なので、そんな愛子はスルーして、いったい何を言ったんだと昭子達が訝しむような表情をハジメに向ける。
ハジメは特に答えず、代わりというようにサングラスを配った。かけろということらしい。智一が露骨に「何をやらかす気なんだ」と警戒の表情を見せる。
そんな中、ハジメから何かを受け取った愛子はタタタッと前に出た。そして、片手を胸元に、もう片方の手を頭上に掲げた。まるで、自由の女神みたいなポーズだ。ただし、掲げているのは松明ではなく、怪しげな銀色の筒だったが。
「ウルの町よ! 私は帰ってきた!」
一拍。ワァアアアアアアアアアッと今までの数倍の歓声が響き渡る。
昭子が娘の奇行に目を丸くする。他の親達も何事!?と驚愕する中、愛子は少し視線を彷徨わせて「え~と?」と呟き、一拍おいて、右手を微かに動かした。途端、銀色の筒がカシュンッと微かな音を立てて僅かに先端を伸ばした。かと思ったら、紅色の光がピカッと奔る。
何かの奇跡かと人々が更に盛り上がる中、愛子もまた更に声を張り上げた。やけくそ感たっぷりに。
「あの日、あの場所にいた皆さん! 覚えていますか? 降り注いだ奇跡を! 皆さんの故郷を襲った悲劇、それを跳ね返したあの奇跡を!」
――うぉおおおおおおおっ
――忘れるもんかぁああああっ
――末代まで語り継ぎますよぉおおおおっ
愛子は再び耳を澄ませるみたいな表情になって「え~と……」と呟き、銀の筒からピカッと紅い光を奔らせ、そして言葉を重ねた。
「あの奇跡の瞬間に立ち会えなかった皆さん! 叶うならば知りたいですか? 見たいですか? 感動を共有したいですか!? あの日の奇跡を!」
――知りたいですーーーっ、愛子様ぁーーーっ!!
――僕も見たい!!
――ドヤ顔で語る旦那が鬱陶しいんですっ。共有したいですっ
愛子はやっぱり「え~と」と一拍おいて声を張り上げる。もちろん、銀の筒から紅い光を奔らせるのも忘れない!
「よろしい! ならば見せよう! 今一度、感動を分かち合おう! 豊穣の女神の名において、あの日の光景を蘇らせます! 我が過去を映し出す奇跡によって!」
――ワァアアアアアアアアアッ
なんてこった! なんてこった! 女神様の奇跡を私達のために!? なんてこった!!
普段は物静かで勤勉なウルの住民達が、愛子の演説に引き込まれるようにして熱狂していく。テンションがおかしな感じに上がっていく!
愛子は、これで最後! もう駆け抜けるしかないんです! みたいな顔で、紅い光をピッカピッカさせつつ最後の言葉を響かせた。
「ここに、題して〝ウルの町の蹂躙劇~舞い降りた女神とその剣~〟の大上映会の開催を宣言します! 場所は北部穀倉地帯! 放送開始は一時間後! ぜひ見にきてね!!」
まるで映画の宣伝だが、間違ってはない。町の人々は、詳細までは分からないまでも、かつて大群戦があった北部の平原で、再び女神の御力を見せてもらえるのだということは理解し、一拍。
「さぁっ、北門へ急ぐのです! 場所取りは早い者勝ちですよ!!」
紅い光がピカッ。ワァアアアアアアアアアッと、住民達は女神の号令に合わせて一斉に駆け出した。ドドドドッと大地を震動させながら、特等席で奇蹟を見るのだと我先に駆け出していく。
あっという間に人がいなくなったメインストリートで、見事に大勢の誘導に成功した愛子は、
「うぅ、恥ずかしかったです……」
なんて呟きながら真っ赤な顔で戻ってきた。ハジメがサングラスを外しながら満足そうに頷いた。
「見事な煽動……じゃなくて誘導だったな」
「全部ハジメくんのセリフでしょう! よく即興であんなセリフが出てきますね!」
愛子が片耳から何かを抜き出した。どう見てもインカム(アーティファクトバージョン)だった。念話の受信機である。つまり、愛子はハジメのセリフをトレースしていただけらしい。
「あと、結局、これはなんだったんですか? 言われた通り、話す毎にボタンを押しましたけど」
そう言って、銀色の筒をハジメに返す愛子。同じくサングラスを外しながら、菫が少し引き攣った表情で言う。
「ねぇ、ハジメ。なんとなく、それに見覚えがあるんだけど」
「ねぇねぇ、パパ! それってメン・イン・ブラッ○のピカッてするやつなの!?」
マトリック○の主人公がつけているようなスタイリッシュなサングラスがやたらと似合っているミュウが、期待にぴょんぴょん跳ねながら尋ねた。サングラスをつけたままでも分かる。そのお目々はキラッキラだ。ハジメはニヤリと笑った。
「そうだ。名付けて〝ニュー○ライザー・ニュー〟。本家と同じ、ピカッとやって記憶をぶっ飛ばす機能はもちろん、さっきみたいにサブリミナル的に使って意識を誘導することにも使える優れものだ!」
真面目なウルの住民が、女神の言葉とはいえあそこまで一糸乱れず行動したのは、この某宇宙人と戦う秘密組織の素敵な記憶でっちあげ道具モドキのせいだったらしい。
取り敢えず、智一が踏み込んだ。
「それ洗脳じゃないか! そんな危険なもの今すぐポイッしなさい! あと、あの映画は私も見たぞ! まさかと思うが、私の記憶をでっちあげたりはしてないだろうな!? 主に我が家の天使のことで!」
「智一さん。甚だ心外です。身内に使うわけないでしょう」
「身内以外にも使っちゃだめだろ!?」
「しかし、智一さん。身内を国や妙な組織から守るには実に有用でして……やむを得ない措置というやつです。苦渋の決断なわけです」
「めちゃくちゃ涼しい顔で苦渋の決断とか言われてもね!」
「ちなみに、五円玉タイプもありますよ。まぁ、こっちは暗殺者が天職な奴の専用ですけど」
「やばい奴にやばい物が渡った!?」
智一さん、ハジメの両肩ガッの状態へ。善良で極めて一般的な大人の感性から、洗脳ダメ絶対! を教え説こうと試みる。〝ハジメだから仕方ない〟で諦めない点、ある意味、ハジメのことをきちんと考えてくれているのか……と思って、ハジメ的には困り顔になるしかない。
そこへ、助け船が登場。
「まさか〝ニュー○ライザー〟が実在したとは……ハジメ君。いくらだね? 言い値で構わん」
「お祖父ちゃん!?」
鷲三さんの目が本気だった。どこからともなく小切手帳を取り出す。ギョッと目を剥く雫の隣で、虎一が財布からカードを取り出した。
「八重樫と繋がりのある企業に密かに依頼したのだけどね……やはり実現は難しいらしい。私の個人口座から好きなだけ持っていってもらってかまわないから、譲ってくれないか?」
「お父さん!?」
「ハジメさん。うちの雫をあげますから、お一つくださいな」
「OK、お母さん。娘との仁義なき斬り合いをご所望なら受けて立つわ!!」
雫ちゃんダメだよ落ち着いてぇっ!! 香織ぃ、離して! うちの家族はね! 一度なます斬りにしてやらないとダメなのよぉ! ハジメくん! ニューラ○イザー・ニューの出番だよ! 数秒でいいから雫ちゃんの記憶を飛ばしてあげて!
羽交い締めにされている人斬りな目をしている雫と、そんな親友を必死に止めている香織。そして、「ハジメ君の教育に悪いでしょうが!」と八重樫家に矛先を向け、同時に「南雲愁! 父親ならハジメ君にきちんと自重させろ!」と南雲パパにも説教をかます智一パパ。
「薫子さん。智一さんは良い人ですね」
「あら、ハジメくん。ありがとう。あの人ったら、昔から真っ直ぐな人柄なものだから」
八重樫家と南雲家に自重を促す白崎父娘に、ハジメはほっこり顔で薫子に話しかけ、薫子は嬉しそうに微笑んだ。そして、ハジメさんは〝ニューラ○イザー・ニュー〟をささっとしまいこんだ。ミュウが物欲しそうに見ていたが、レミアの目が笑っていなかったので。
騒がしくも、住民がいっきにいなくなった通りを進む。
「それにしても愛子さん。なんだかんだ言って、演説時の立ち姿といい、堂々とした口調といい、素晴らしいものでしたね。流石は私の煽動仲間です」
「リリィさん。それ、褒めてますか?」
時々、民衆なんて私の煽動テクでチョロチョロですわ! みたいな感じでブラックリリィな一面を覗かせるリリアーナと、一緒にしないでくれとジト目になる愛子。
そんな雑談などもしている間に、最初の目的地である〝水妖精の宿〟に到着した。
早速、中に入ると……
「お待ちしておりましたわっ、お姉様ぁああああああっ!!」
「ひぃ!?」
北のお山の奥地にゲートで放り出したはずの女騎士が、ルパ○ダイブで飛び出した! 北の山脈地帯に最も近い町とはいえ、いくらなんでも下山が早すぎるという異常と、血走った目でハァハァしている様子に雫から悲鳴が上がる。
なので、
「……ん。〝界穿〟」
ユエがゲートを開いた。雫の前に、盾のように展開される光の幕。女騎士は、そのまま「おのれぇええええええっ!!」と怨嗟の声を上げながら光の向こうへ消えていった。
ゲートが閉じる。開幕数秒でフェードアウト。雫は感謝を込めてユエに抱き付いた。
「うぅ、ユエ、ありがとう。今のは普通に怖かったわ……」
「……雫、気を確かに。百キロ以上北に飛ばしたから」
「それなら大丈夫よね? この後、ティオと出会ったっていう北の山脈地帯に行く予定だけど、いくらなんでも数時間で戻ってきたりはしないわよね?」
「……雫。気を確かに」
断言できない意味不明の生態を誇るソウルシスター。とても、しんっとした空気が流れた。北に百キロ以上となると、二つ三つ山を越えた向こうなので、召喚組でもない限り魔物の脅威度的に相当やばいのだが……誰も、女騎士の生存を心配したりはしないらしい。
「し、雫ちゃん! 大丈夫だよ! 今度は私が守るから!」
「雫お姉ちゃん! 元気出して!」
「大した執念だな。性根を叩き直してやれば、立派な忍び――ごほんっ。八重樫流の使い手になりそうなものだが」
「雫、うちの騎士がすみません。私からも言っておきますから」
「私もぶっ飛ばしてあげますよ!」
香織やミュウ、リリアーナにシアが口々に雫を慰める。
「うん、みんなありがとう。あと、お祖父ちゃん、斬るわよ」
雫が香織達に感謝しつつ、思案顔の祖父に人斬りの眼光を叩き付ける。トータス旅行でいろいろタガが外れかけている八重樫家。いい加減にしないと本気で娘が狂乱しそうである。
と、そこへ宿屋の奥から初老の紳士が姿を見せた。
「いらっしゃいませ、皆様。また当店にお越し頂き、感謝の極みにございます」
外がパレード状態でも、自分の城を決して離れなかった上品で穏やかな雰囲気の彼こそ、この〝水妖精の宿〟のオーナーである、
「フォスさん! お久しぶりです!」
フォス・セルオその人だ。宿でのサービスだけでなく、彼のアドバイスに助けられた愛子が喜色を浮かべて挨拶をする。フォスもまた、営業スマイルなどではない、心底から出たような嬉しそうな微笑を返した。
そして、香織や雫、ミュウやレミアを含め、初対面の菫達親~ズへと視線を巡らせる。
「ようこそ、水妖精の宿屋へ。私、当宿のオーナーをしております、フォス・セルオと申します」
一礼一つとっても実に綺麗な所作だ。まさに、一流のホテルマンといった様子。内装も昔と変わらず、どこぞの宿のように誇大広告や利益優先の商品を並べまくったりはしていない! なんて落ち着いた空間だろう!
神出鬼没な店員にビクつくことも、いつ筋肉とフリルの怪物パレードが始まるか恐れる必要もなく、初対面のメンバーがにこやかに自己紹介を返す。
「ご丁寧に、ありがとうございます。本日はご宿泊でしょうか? だとすれば大変申し上げにくいのですが、ただいま満室となっておりまして、提供させていただけるサービスはお食事のみとなっております」
「いいんだ。それでいいんだ、オーナー」
ハジメさん、やたらと優しい表情でフォスの手を取った。両手でしっかりと握手。
困惑するフォスオーナー。まさか、どこぞの宿のように、「満室ですけど追い出しますから!」なんて暴挙に出ず、お客様を大事にしている常識的な在り方に感動しているとは思いもしない。
ハジメのみならず、みんな優しい表情でパチパチパチパチと拍手する。流石は老舗。流石は一流。流石はフォス・セルオ! 本物に〝まさか!?〟なサービスなんていらないんだ! なんて安心する宿屋なのだろう!
「あ、ありがとうございます?」
流石のフォスオーナーも、いきなりの絶賛に困った表情に。普通に接客をしているつもりなので、全く以てわけが分からない。
「まぁ、それはそれとして、今日はこの宿の見学に来たんだ」
「見学でございますか。なるほど。つまり、お部屋をご覧になりたいということでございますね。しかし、先程も言いましたようにお客様が宿泊しておりますので……」
そう言って、視線をシモン教皇に向けるフォス。
「うむ、構わんよ。見られて困る物もないからの。オーナー、全面的に許可しよう」
「承知致しました」
当然と言えば当然だが、この町一番の宿を借り切っているのは、シモン達教会関係者だった。憂いもなくなり、フォスはにこやかに頭を下げる。と、同時に、
「昔を振り返る旅行と推察致しますが、もしや北の山脈地帯にも赴かれるのでしょうか?」
「ん? ああ、そのつもりだ。町を回って、それから山脈地帯に行って、そのまま帝国に向かう予定だな」
「それでしたら、昼食に携帯食でも用意致しましょうか? 南雲様は米を使った料理を好まれていたと記憶しております。ここ最近の米は質が大変良く、山脈で取れる香草も香りが豊かです。せっかくお越しくいただいたのですし、少しでもおもてなしをさせていただければと思うのですが……いかがでしょうか?」
「オーナー。素晴らしい提案です。どうもありがとう。ご厚意に甘えさえていただきます」
ハジメさんから、まさかの敬語が。再度、両手で握手までする。
正直な話、昼食は自前でどうにでもできたのだが、フォスオーナーの気遣いとサービス精神に感銘と敬意を持ったらしい。
「……ハジメ、本当にマサカの宿がトラウマになってる」
「まぁ、あのハジメさんが何度も気絶する宿屋ですからね……自分で言ってて、ホントやべぇ場所だと思いますけど」
ユエとシアがなんとも言えない表情で、尊敬の眼差しをオーナーに向けるハジメを見ている。
愁が「……おかしい。俺、息子からあんな目を向けられたことないんだけど……」と真顔で呟き、智一から「え!? 南雲愁、君、この有様でハジメ君に尊敬してもらえると本気で思ってたのか!?」と素で驚き、取っ組み合いの喧嘩へ。なんだこの野郎! お前だって香織ちゃんから尊敬なんてされてないだろうが! それ言うなぁあああっ、南雲愁ぅうううっ!! ドッタンバッタン!!
「流石、フォスさんです。あのハジメくんに尊敬されるなんてすごい」
愛子がフォスへ尊敬の眼差しを送っていると、ミュウがくいくいっと袖を引いた。サングラスを付けたままだ。気に入ったのかもしれない。
「愛子お姉ちゃん。オーナーさんにお世話になったって言ってたけど、お泊まりした以外にも何かしてもらったの?」
まず挨拶しに行きたいと言っていたことも含め、単なる宿泊客とオーナーとしての関係以上の信頼があるように見えて、ミュウは不思議に思ったらしい。サングラスをくいっと少し下げて、好奇心の輝く瞳を覗かせる。
聞こえていたらしいフォスが、「特別なことは何もしておりませんが……」と、本当に思い当たらない様子で首を傾げるが、愛子は「そんなことありません」と強く否定した。
「何を信じるべきか分からなくて、動けなくなってしまった時は、敢えて自分が信じたいものを信じるのも悪くない手――フォスさんは、悩む私にそう助言してくれました」
「愛子。あんた何に悩んでたの? ハジメ君との関係?」
「それ以前だよ、お母さん。――私、ハジメくんを恨みそうになってたんだよ」
「……」
昭子は絶句した。今の愛子の想いを理解しているというのもあるし、同時に、愛子の筋金入りの生徒への想いも理解しているから。
ハジメもまた、愛子へと視線を向けた。ただし、驚きはない。当然という表情でもあるし、既に王宮の忠霊塔の前で正直な想いも聞いている故に、労るような優しい表情でもあった。
誰もが注目する中、愛子は微笑を浮かべながら言う。
「さっき言ったでしょ? 清水幸利君……私への攻撃に巻き込まれて致命傷を負って……ハジメくんが止めを刺して……この町で命を落とした私の生徒」
心臓一発。頭に一発。あの時の光景を、愛子は色褪せることなく鮮明に覚えている。今でも、あの日の光景を思い出して胸が苦しくなる。心の中に、なぜ、もっと上手くできなかった! なぜ、清水君の内心にもっと早く気がつけなかった! 気が付いていれば、他にも道はあったかもしれないのに! と叫ぶ自分がいる。
少なくとも、自分がしっかりしていれば、必要のないこと――ハジメに引き金を引かせる、という行為だけはさせずに済んだのに、と後悔する。
愛子を狙った攻撃で既に致命傷を受けていた清水幸利に、止めを刺す必要などなかったのだから。ハジメはただ、その場を去ればよかった。それだけで、清水という改心の余地が見当たらない〝脅威〟を排除できた。
撃ったのは、あの場にいた者達に〝愛子に巻き込まれて生徒が死んだ〟と思わせないため。最も大切にする信条が砕けて、愛子が折れてしまわないようにするため。
ハジメが自分のために清水幸利を殺したのだと、そう思わせて。
そう口にしつつ、愛子は改めてフォスを見た。
「ハジメくんへの疑心と、生徒を信じなければいけないっていう思いで、どうにかなりそうで……園部さん達やデビッドさん達にも凄く心配をかけて……そんな時、フォスさんがそう言ってくれて、しっかり考えることができるようになったんです」
「愛子様……」
「ですから、改めて言わせてください。あの時、気にかけてくださって、本当にありがとうございました。もう一度、自分を見つめ直せたのはフォスさんのおかげです。あなたの宿に泊まることができて、本当に良かったです」
「……こちらこそ、ありがとうございます。宿のオーナーとして、最高の誉れにございます」
感動故か。フォスオーナーの皺の刻まれた優しげな目元に、光るものが。お客様に見せるわけにはいかないというのか、深々と頭を下げて顔を隠す。
そんなフォスに、昭子もまた先程までよりずっと感謝の念がこもった「本当に、娘がお世話になりました」と言葉を贈った。
静かな空気が流れる中、ミュウが再び愛子の袖を引いた。空気を読んだのか、サングラスは外している。
「愛子お姉ちゃん……大丈夫?」
聡い子であるから、愛子の中に悔恨や自分を責める気持ちが衰えることなくあることを感じ取ったのだろう。心配そうな表情だ。
そんなミュウや、同じ表情をしている昭子達、そして香織や雫、リリアーナに、愛子は――
「大丈夫ですよ。後悔も何もかも忘れないことが、私のできることで、すべきことですから。そうですよね、ハジメくん」
「ああ。そうだな。俺は、そんな先生をずっと見ているよ」
ハジメと愛子は、通じ合っているように微笑を浮かべた。あの夕暮れの二人っきりの時間。王宮の忠霊塔の前で交わした言葉を思い出して、穏やかに見つめ合う。
「……ハジメ。そこ詳しく」
「ハジメくん。やっぱりあの日、何かあったんだね。夕食の時間、なんか怪しい雰囲気だったもんね!」
ユエと香織がぬぅ~っと二人の間に入ってきた。他の皆も、どうやら気になっているらしい。
ハジメは愛子と揃って目をパチクリとさせつつ、一拍。肩を竦めて言った。
「悪いが内緒だ。な? 愛子」
「え~と……えへへ。すみません。はい、内緒です」
ハジメの言葉に、ちょっとユエ達に申し訳なさそうな表情を見せるも、愛子は嬉しそうに笑って頷いた。むぅ~と唸る香織達。ユエは最初から分かっていたのか、ハジメと同じように肩を竦めた。
「何よ、この子ったら見せつけてくれちゃって」
「若いって良いわねぇ~」
昭子が呆れ顔になり、薫子が頬を染める。智一が「うちの娘とも秘密くらいあるんだろうなぁ!? ええ!? ……いや、待て。我が家の天使と二人っきりの秘密なんぞ、私が許さない! 秘密があるなら今すぐ吐けっ」と迫る。
「やっぱり、ハジメ殿はもげればいいんじゃ!!」
「そうだな。ハジメ、お前は爆発しとけ」
シモン教皇がふてくれされ、愁が便乗する。特に意味はないけれど、ミュウがサングラスをかける。レミアが取ろうとするが逃げられる。
なんだかカオスな様相を呈してきたので、ハジメはパンパンッと柏手を打って空気を改めた。
「一応、一時間後に上映会開始って宣言してるからな。そろそろツアーを再開しよう。つっても、ここでは、こういう場所に泊まっていたって紹介するくらいで、過去再生してまで見るべきものは別にないけどな」
そう言って、早速先導するハジメ。
「それでは、私は携帯食の準備をしておきましょう」
「ええ、頼みます。質の上がった米料理、楽しみにしてますよ」
「ご期待に添えるよう、全力を尽くしましょう」
数少ないハジメが敬意を示す大人の一人となったフォスオーナーは、やっぱり惚れ惚れするような所作で一礼し、宿の奥へと下がっていった。
そうして宿泊部屋のある二階へと上がり、ハジメが自分達の泊まっていた部屋を見せ、その後、愛子達が泊まっていた部屋も見て回り……
香織が、「そういえば、私達がオルクス大迷宮にいる間、優花ちゃん達はどんな風にすごしていたんだろう?」と、好奇心からおおよその時間帯で過去再生した瞬間、
『甘いっ、甘いよ! 優花っち!! そんなんじゃ南雲っちを異世界美少女から奪えないよ!!!』
なんて、宮崎奈々の白熱する声が。
全員の視線が、バッとハジメの方を向いた。
過去映像の中で、ベッドの上で女の子座りしていた優花がギョッとしたような表情になり『は、はぁ!? ち、違うし! 私、別に南雲のことなんて!』とあたふたしている光景を余所に、ハジメは、
「特に見るべき過去はないから、さぁ、次へ行こう」
何事もなかったみたいに先を促した。
当然、
「……シア! ハジメを拘束!」
「合点承知ですぅ!」
「香織よ! もう少し前まで戻すのじゃ!」
「合点承知だよ!」
四人は素晴らしい連携を以て、過去映像再生を続行した。
「ちょ、ちょっと貴女達! 自分達の過去はともかく、優花達のは……」
一人、雫が常識的に覗き見みたいで悪いわ、と訴えるが、
「雫お姉ちゃん! ――〝未来に対する最上の予見は、過去を顧みることにある〟なの!」
「ごめんなさい、ミュウちゃん。ちょっと何を言ってるのか分からない――」
「――〝ばれなければ全て合法〟なの!」
「ミュウちゃん!? それはダメな考え方だと、雫お姉ちゃんは思うわ!」
「ハジメさん、ちょっとミュウへの教育についてお話があります。シアさん、ハジメさんを拘束したまま、部屋の隅へお願いしますね」
「ア、ハイ」
後ろから羽交い締め状態で、更に口元を片手で塞がれたハジメがずりずりと部屋の隅へ連れて行かれる。そこへ、「あらあら本当に。この人ったらどうしてくれましょうか」と笑顔の深いレミアママが迫る。
ユエ様、旦那に代わり皆の前に出て、言った。
「……それではこれより、〝優花はダークホースになり得るか調査会〟を始めます!」
調査会が、始まるらしい。
地球で、一生懸命お店のお手伝いをしていた優花ちゃんは、不意に感じた悪寒にくちゅんっとくしゃみをしたのだった。
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更新速度も来月には戻せる……ように頑張ります!
・活動報告を上げました。たかやKi先生の画集発売に関してです。ぜひ、チェックしていただけばと思います!
・ガルドの方も更新しています。日常最新話の雫のポニテが可愛すぎるw
・アニメの感想ありがとうございます。毎話分、感想用の活動報告をアップしていますので、感想ご意見等ございましたら、そちらにお願いできればと思います。
今度とも、「ありふれた」をよろしくお願い致します!




