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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

ありふれたアフターストーリーⅡ

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ありふれたアフターⅡ 動き出した闇



 シンクレア王国王都にもっとも近い領地アークエット。

 そのアークエット領の領主ロスコーより届けられた知らせにより、その日のうちに早急に準備を整え出発したクーネ一行は、陽が落ちるまでアロースを駆り、一路アークエット領に向かって驀進(ばくしん)した。

 とはいえ、夜の帳も完全に落ちた現在、流石に王族を連れて危険な夜の砂漠を進むのははばかられると、護衛隊長を任されているスパイクの言もあり、一行は夜営を行っていた。

 昼間とは顔色を一変させる砂漠の夜。

 恩恵術で簡易の防壁が作られた夜営地には、簡易だがそれなりに大きいテントが四つ張られている。骨組みなどは恩恵術で大地から成形すればいいので、薄くとも保温性に優れた天幕のみでテントはできる。広さと適度な室温が確保された中々快適な空間だ。

 その四つの天幕の中心部には夜の闇を払うたき火が燃え盛っている。これまた恩恵術で作った簡易のかまどの上にはヤカンが置かれていた。

 夕食も終わり、護衛隊の一部が周囲の警戒をしている中、護衛隊長のスパイクと副隊長に抜擢されたリーリン、クーネとクーネ付きの侍女として同道しているアニール、そして光輝がたき火を囲っていた。

 アニールが手ずから用意した食後の紅茶(?)らしき温かな飲み物を受け取り、それを口にした光輝は目をぱちくりとした。

「……美味しいですね。渋いけど、仄かな甘みもある。それに良い香りです」
「ふふ、ありがとうございます、光輝様。、パルルという果物の木の葉から抽出するのですが、栄養価が高く、体を温める効果もあるので、夜の砂漠を迎える旅では必須の飲み物なのですよ。クーネ様はお嫌いなのですけどね」
「うぅ、だって渋いではないですか。せっかくの夕食の味を忘れてしまいます。これはお薬ですよ。クーネはパルル茶をお茶とは認めません。認めないと、クーネは断言します!」

 クーネの渋そうな表情と力強い断言に、スパイクは苦笑いを、リーリンはくすくすと微笑ましそうに笑った。

 時々大人びたり、実は結構腹黒かったりするクーネだが、舌は普通に子供舌らしい。渋みと苦みは難敵のようだ。

 パルル茶を飲むのはセオリーであることから、拒否することなく飲むことには飲むらしいが、チビリチビリと舐めるように飲みながらしかめっ面をしている姿は、なるほど、確かに微笑ましい。

「……何を笑っているんですか、勇者さま」
「い、いえ、別に」

 ふてくされた表情で自分を横目に見てくるクーネに、光輝はつい噴き出しそうになって顔を背けた。一癖も二癖もあるし、いろいろ画策はされているのだが、こういう年相応の姿を見せられると何とも憎めない。あるいは、光輝が他愛ないだけなのかもしれないが。

 笑いを堪えたのが分かったのか、クーネがじとっと見つめてくる。

「そ、そう言えばスパイクさんは、スペンサーさんの息子さんなんですよね?」

 既にスペンサーからは聞いていたことだが、本人からは出発前に名前と役職の紹介しか受けていないので、光輝は話題の転換にと尋ねてみた。

 スパイクは光輝が自分に逃げてきたことを察して苦笑しつつ答える。

「ええ、血が繋がっているわけではありませんが。光栄というか、幸運というか、まだ私が小さいとき、《暗き者》の襲撃で家族を失った私に剣の才能を見いだし、養子にと迎えてくださったのです」
「あ、すみません……」
「いえいえ。気遣いは無用ですよ。《暗き者》に襲われ身内や友人を失うのは珍しいことではありませんから」

 そう言って、本当に含むところなどないというように朗らかに笑うスパイク。

 赤銅色の短髪に瞳を持つこの青年。歳は二十四歳だが、鍛え抜かれた体と刻まれた傷、そして纏う雰囲気が一角の戦士であることを伝えてくる。

 顔立ちはスペンサーと似ていないのだが、瞳の奥にちらつく戦士としての鋭さが養父そっくりで、親子だと言われれば納得できてしまう雰囲気だ。

 スペンサーは気にするなと言うものの、光輝は、養子だと聞いていたのに不用意な話題を振ってしまったとばつの悪そうな表情となる。

「勇者さま、デリカシーがありませんね! クーネは、デリカシーがないと思います!」
「うぐぅっ」
「クーネだってお姉ちゃん以外を亡くしてますし、アニールはお爺さんを、リーリンもお母さんを、先の戦争で亡くしているんです。あぁ、傷つきました! クーネも皆も、すっごく傷つきました!」
「す、すみません。デリカシーがないとよく言われるんです。本当にすみません!」
「クーネは心が広いので許します。しかし、〝ただで〟というのも……」

 そう言って寛容を示しつつ、クーネは半分ほど飲み干したカップをそっと差し出してくる。

 子供舌の難敵――パルル茶。

……半分ほど打倒したところで限界が来たらしい。先程笑われたことへの報復も含めて代わりに飲めということだろう。

 にこやかにカップを差し出してくるクーネの意図を察して、苦笑いしながら受け取ろうとした光輝だったが、

「光輝様。あまりクーネ様を甘やかさないでくださいませ。それと、デリカシーがないのはクーネ様ですよ」
「いたたたたたっ。あにーるぅ、ほっぺぎゅぅはやめてくだひゃい! あやまりましゅぅから! ごめんなさいぃっ」

 なんと驚いたことに、アニールがいい笑顔でクーネのほっぺをむぎゅうっとつねり上げていた。クーネは涙目で謝りながら、差し出していたカップを引っ込める。

 王族に手を出して大丈夫なのかと冷や冷やする光輝に、アニールとクーネの様子を微笑ましそうに見ていたリーリンが口を開いた。

「アニールさんは幼少の時からモアナ様とクーネ様のお側付きだったので、ほとんど姉妹みたいなものなんですよ。アニールさんのお爺様が先代術士筆頭で、先代陛下の信頼も厚い側近だったんです。父はアニールさんのお爺様の直弟子だったんですよ」
「リンデンさんが……」

 おそらく、腹心の部下の孫娘というのは、王の娘姉妹の遊び相手としては最高だったのだろう。アニールの時折見せる遠慮のなさや、侍従という立場以上のモアナやクーネに向ける親愛の情は、そこから来ているのだと光輝は納得した。

 が、そこではたと疑問が浮かび上がる。現術士筆頭のリンデンの娘であるリーリンは、やはり術士として活躍している。では、先代術士筆頭の孫娘たるアニールは何故術士ではないのだろうか?

 もしや、某魔王が、自分が傍にいない間のリリアーナ王女の護衛にと、王女本人には内緒で配備した戦闘メイド達のように、侍女でありながら実はめちゃくちゃ強かったりするのだろうか……と、アニールを戦慄の眼差しで見てみる。

 ちなみに、忠誠心や能力など適性を見極められて選び抜かれた十人のメイドさん達は、魔王直々の特訓のあとハウリア族の元での合宿も行い、実力・内面・気配操作など魔改造されていたりする。しかも、魔王謹製のアーティファクト級の暗器で武装しており、現役騎士と比べると一人で大隊規模でも撃破できるレベルだったり……

 その辺りの内情を実は知らされている(というか訓練に付き合わされたことがある。死ぬかと思った……)光輝は、リリアーナと執務室などで話すとき、いつも口から出かかるツッコミを必死に堪えてた。

 今、君の後ろで上品に微笑んでいるその人――中身ヒャッハーで、体中にマジヤバイ暗器仕込みまくってるよ……と。主の邪魔をしないよう存在感を薄めている見事な所作――実はあのヤバイ首刈りウサギ達の直伝だよ、と。

 もちろん、言えば自分の首がぽんっすることになるので絶対に言わないが。

 光輝の視線から疑問を読み取ったらしいアニールが、苦笑いを浮かべながら答える。

「私には術士団に入れるほど、恩恵術の才能がなかったのです」
「そ、そうだったんですか……」
「ふふ。またばつの悪そうな表情になっていますが、お気になさらないでください」

 またやってしまったかと表情を引き攣らせる光輝に、アニールは優しい表情を向けた。そして、少し遠くを見る眼差しで言葉を紡ぐ。

「昔は、私もお爺様のような術士になるのが夢でした。どんな害敵にも怯まず、その力をもって退け、王族の方々を、仲間を、そして民を守る……」

 アニールは視線を光輝に戻すと、少し照れくさそうに頬を染めて言った。

「私にとって祖父は、ヒーローだったのです」
「ヒーロー……」

 ふと、光輝の脳裏に祖父――天之河完治の姿が浮かび上がった。

 お爺ちゃん子の光輝がとても慕っていた、光輝にとってのヒーロー。

 直接、完治が仕事をしている姿を見たことがあるわけではなかったが、家に遊びに行く度に聞かせて貰った、敏腕弁護士として経験に基づく物語の数々。

 人間ドラマに満ちた物語の、勧善懲悪を成す主人公である完治は、まさに光輝が憧れ、いつかは自分もと目指した〝理想像〟だった。

「自分は祖父のようになれない、そう分かったときは、少々、いえ、正直に話しますとかなり落ち込みました」
「……どうやって、納得したんですか?」

 なりたい自分になれない――その衝撃、湧き上がる負の感情は想像できる。だからこそ気になった。今、朗らかに笑えるのは何故なのかと。

「理想の自分になれなくとも、人生は続きますから」

 静かで、それでいて力強さを感じる言葉。そこには、仕方ないからという諦めではなく、もっと前向きでひたむきな意志が宿っていた。

 光輝は言葉に詰まった。何と言って良いのか、何故か分からなかった。

 言葉がない光輝に代わってスパイクが優しい表情で言う。

「アニール殿の侍従としての能力は随一だと聞いている。陛下や殿下について外に出ることがなければ、その若さで侍従長もあり得たと。それに、威力や規模こそ足らずとも、恩恵術の細やかな制御ではリンデン筆頭にも匹敵するとか。人柄もよく、アニール殿を理想の女性とする者も多い。貴女が貴女自身の理想を実現してしまっては、追いつくのが大変だ。どうか、今くらいの魅力で止めて欲しいところだ」
「……スパイク殿」

 アニールがもの凄く困ったような表情になった。

 その気持ちを代弁するように、

「スパイク。任務中にクーネのアニールを口説くとは良い度胸ですね! クーネは、良い度胸だと思います。……帰ったらスペンサーに報告しておきます」
「なっ、クーネ様! じ、自分はそんなつもりでは!」

 あたふたと必死に弁明を始めたスパイクと、それを半分からかい気味に、半分は本気で「アニールは渡さん!」と翻弄するクーネ。そして、それを更に困ったように見守るアニール。

 小さな混沌の発生に、周囲で警戒や明日の準備、休息を取っている護衛達が半笑いで見ている。

 どこにいても、クーネが絡むとカオスになるんだなぁと思いつつ見ていた光輝の隣に、リーリンが身を寄せて面白おかしそうに耳打ちした。

「スパイク副長は、スペンサー隊長に育てられたせいか性根が真っ直ぐなんです。真っ直ぐすぎて言葉も真っ直ぐ出てしまって、私も何度か、これは口説かれているのでは? と思ったことがあるんですよ」

 何故だろう? 既視感を覚える光輝。

「へ、へぇ……そうなんですか。もしかして、そういう女性が多かったり?」
「はいはい。その通りなんです。一度修羅場になったことがあって、そのときようやく自分の言動を見直すべきだと自覚されたようで、最近は言葉を選ぶようになったんですが、時々ポロッとやっちゃうんですよね。そのせいで、余計言葉の価値が上がったというか、ポロッとされちゃった女性が副長の毒牙に……」
「それはまた……」

 光輝の脳裏に、先程まで浮かんでいた祖父を押しのけてポニーテールの幼馴染みが出てきた。そして、呆れたような眼差しを自分に向けてくる。

 光輝はその眼差しに居たたまれない気持ちになって、つい心の中で「今は違う! ちゃんと言動には気をつけてる! 本当だよ!」と、まるで姉にオイタがばれた弟のように弁明を繰り返した。目の前のスパイクと同じように。

「ちなみに、男性も時々毒牙に……」
「そっちも!?」
「光輝さま。気をつけてくださいね」
「何を!? いや、言いたいことは分かりますけど!」
「今はまだ勇者である光輝さまに遠慮があって一歩引いてますけど、副長は男性の方が遠慮なく行きますから、もしぐいぐいと来られたらきっぱり言ってあげてくださいね」
「言うって、何を……」
「もちろん、お断りの言葉を。ちなみに私は、今なら特に口説かれていたわけではなかったんだと分かりますけど、当時は普通に『こいつマジうぜぇな』と思っていたので、結構きつい言葉を言ってしまいました。でも副長は、ちょっと凹んだだけで直ぐに立ち直っていたので、遠慮無くされたくない、言われたくないことは言った方がいいです。副長、人間関係ではちょっと鈍いところがあるので」

 光輝は戦慄した。

 スパイクの欠点(笑)にではない。リーリンの「こいつマジうぜぇな」という心の言葉に。

 リーリン=ストール。十六歳にして近衛の術士に抜擢され、臨時の出撃では隊長格にまで選ばれる若き才媛。光輝に似た茶色の長い髪をツインテールにしており(風を感じやすくするためだとか)、容姿も少し幼さを残しているので、年齢よりも下に見える。

 長いまつげに彩られたブラウンの瞳は自信と覚悟に力強く輝いており、スレンダーながら女性らしい曲線を描く肢体は魅力的だ。

 客観的に見て、ハイレベルな美少女である。

 その美少女が、にこにこと楽しそうに笑いながら「こいつマジうぜぇな」……

 光輝は怖いもの見たさな気分で尋ねてみた。

「ちなみに、リーリンさんは……スパイクさんになんて言ったんです?」

 キョトンとしたリーリンは、特に隠すでも恥じらうでもなく、

「――『訓練中にこれ以上気持ち悪いこと言うなら、タマを切り刻みますよ?』ですけど?」
「……」

 光輝の脳裏から、ポニーテールの幼馴染みが追い出されて魔王の正妻が現れた。手は指でっぽうの形。何を撃ち抜くのかは自明の理だ。彼女は漢女を量産するスマッシャーなのだから……

 どうして光輝の知る女性は、こう一癖も二癖もある人ばかりなのだろう。

 癒やし系のはずのもう一人の幼馴染みの女の子も、いつの間にか背後に般若を出すようになったし、それどころかいつの間にか男の急所への攻撃に躊躇いがなくなってきている。

 得体の知れないやるせなさに、光輝はぶるりと震えた。

 その光輝の震えを、自分に対する恐れ、というかドン引き故のものと捉えたらしいリーリンが、ちょっと焦った感じで弁明した。

「いや、あのですね。私も普段からそんなことを言うわけではないんですよ? 私のモットーは常在戦場。趣味は訓練。将来の夢は殲滅戦の先頭に立つこと」

 年頃の女の子として、それはどうなんだという言葉は、幼馴染みにしこたま叩かれて言葉の取捨選択というものをどうにか覚えた今の光輝にとって、抑え込むこと容易い言葉だ。

 そしてそれは正解だったらしい。

 リーリンは誇らしげに、胸を張って続きを口にした。

「だって私は、戦うために生まれてきたんです。守られるためでも、恋愛するためでもなく、戦ってそれらを守るために」

 戦う者として生まれてきた。そう確信している。だから、十代の女の子が喜ぶような言葉はいらない。褒めるなら、容姿ではなく積み上げた技を褒めて欲しい。髪やスタイル、服装や性格ではなく、守ったという結果をこそ称賛して欲しい。

 十代半ばの女の子の、その言葉をどう感じるかは人それぞれだろう。平和な世界の人々なら、悲しい言葉だと同情するのかもしれない。

 光輝には……眩しく見えた。自分という存在を確信し、邁進するその姿が。

「リーリンさん、格好いいですね」
「へ?」

 上司に褒められてタマを刻むぞと答えた自分に褒める言葉を贈った光輝に、リーリンはキョトンとした。

 スパイクの話をした後であるから、一瞬、馬鹿にされたのかとも思ったリーリンだったが、光輝の表情を見て直ぐに考えを改めた。光輝の表情には、羨望が浮かんでいたのだ。

 だから、リーリンは、

「……ありがとうございます」

 先輩達やリンデンからの、技の上達や戦果に対する褒め言葉以外で、久しぶりに嬉しいと感じた褒め言葉に、少しはにかみながら礼を返すのだった。

「……勇者さま。クーネのリーリンを口説くとは良い度胸ですね。ここはやっぱり、勇者さまにイタズラをされたとスペンサー達に報告を――」
「クーネ様のもの多いですね! っていうか口説いてませんから! いい加減、根も葉もないけど致命傷になりそうなことを口にするの止めて貰えますか!?」

 クーネは見ていた!

 弁解するスパイクの相手をしている間に、自分と歳も比較的に近くて仲の良いリーリンを口説くとはふてぇ野郎だ! と言わんばかりのジト目!

 助けを求めるようにリーリンへ視線を移した光輝だったが、リーリンは既に光輝から少し距離を取って明後日の方向を見ていた。スパイクに関する内緒話も終わったので、自分がそういう話の対象になるのを嫌がって我関せずを貫こうとしているらしい。

 本当に、自分の知り合う女性には癖の強い人が多すぎる! と内心で叫ぶ光輝。

 が、ふと思う。シスコンだとか、飼っている動物の心情に鈍感とか、多少のあれこれはあるものの、モアナ様とは凄く普通に温かい時間を過ごせていたような……と。

 光輝の中でモアナへの好感度がぐんっと上がった。

 同時に思った。

「イタズラとは?」と首を傾げるスパイクや他の護衛達に、「お姉ちゃんとクーネとスペンサーは、昨日、勇者のベッドにまとめて――」と意味深なことを口にし、「王族姉妹どころか自分の養父までベッドに連れ込んだのか!?」と戦慄しているスパイクを見てにんまりしているクーネを見て、

――この小さなギャング。早くどうにかしないと

 取り敢えず、もう少しで飲み干せるらしいパルル茶を追加してやるべく、光輝はいそいそとヤカンへ手を伸ばすのだった。


~~~~~~~~~~~~~~


 翌日。太陽が天頂にかかる少し前くらいに、それは見えた。

 一際大きな砂丘の上から見えるのは、まるで境界線のように引かれた砂色と緑の線。砂漠の終わりの向こう側には、見渡す限りの草原が広がっていた。

「ここが砂漠の終わり……」
「戦場の終わりでもありますね。ふふ、勇者さま。目がまん丸です!」

 砂漠の世界――という印象が頭に刻まれていた光輝にとって、雑草生い茂る広々とした草原と、その南西側のずっと奥に見える緑豊かな山々には感動を覚えずにはいられなかった。これこそ、モアナ達が必死に守っているものなのだと、強く実感したのだ。

 光輝の感動した面持ちに、クーネだけでなく護衛隊やアニールまでくすくすと楽しげに笑い声を漏らしている。彼等の表情には、どこか誇らしげな様子さえあった。

 気恥ずかしくなった光輝は頬をポリポリと掻いて、誤魔化すように尋ねた。

「この草原の先にアークエットはあるんですか?」
「はい、勇者さま。この分ならお昼頃には見えてくるはずです」

 スパイクのアロースを先頭に砂丘を下る。

 そうして草原へと踏み込めば、途端、光輝には空気が変わったような気がした。不思議な感覚なのだが、まるで静かな場所からお祭りのただ中へ移ったような、心沸き立つ感覚。

 なるほど。これが〝死んだ土地〟と〝生きている土地〟の違いか……と、光輝は納得する。肌に染み渡るようなこの不思議な感覚こそが、きっと生命の息吹。恩恵力で満たされた場所ということなのだろう、と。

 どこかアロース達もはしゃいでいるような軽快な足取りで進むこと一時間と少し。

 クーネが言った通り、太陽が天頂を少し回った頃に、遠目でも分かる立派な防壁が見えてきた。

「あれがアークエットですよ、勇者さま。ここからだと防壁で見えませんが、町の向こう側に穀倉地帯が広がっています。今はちょうど実りの時期ですから、かなり見応えがあると思います!」

 クーネの案内を聞きながら進むことしばし。アークエットの方からいくつかの人影が出てきた。アロースに騎乗して急速に向かってくる。どうやらアークエット側でもクーネ一行の姿を確認して迎えを出したようだ。

 先頭に進み出たのは、ベリーショートの金髪に、鋭い碧眼の瞳を持った覇気のある女性だった。戦士の装備をしており、彼女の後ろにも五人の戦士が控えている。

「御前、失礼致します。アークエット自警団団長イヴァナ=ボルジャーです。お迎えに上がりました」

 よく通る声音で名乗りを上げたのは、どうやらアークエット領の私兵の長らしかった。クーネ達のよく知る人物らしく、クーネは破顔して答えた。

「お久しぶりですね、イヴァナ! クーネが来ましたよ!」
「はい、お久しぶりです、クーネ様。まさかこれほど早くお越し頂けるとは思わず、いささか驚いております」

 ぴょんっと跳ねながら挨拶するクーネに、イヴァナもまたふんわりと微笑んだ。第一印象だと冷たそうな感じだったのだが、クーネを見る眼差しは酷く優しく、ギャップもあって思わず人目を奪う美人だ。

「アークエットの土地に異常があるなどと言われては、飛んでこないわけにはいきません。クーネはそのためにいるのですから」
「ありがとうございます、クーネ様。さぁ、領主様がお待ちです。行きましょう」

 真面目なクーネに思わず二度見し、クーネから「何か?」と実に良い笑顔で見返されて視線を逸らした光輝。アニールやリーリンに失笑されて気恥ずかしい思いをしながら、自警団に先導されてアークエットの町へと入るのだった。


~~~~~~~~~~~~~~


「まさかこれほど早くお越し頂けるとは。迅速な対応に感謝致します、殿下」

 領主の館の応接室に通されたクーネ達。護衛隊の面々は別室で待機だが、スパイクとアニール、そして光輝だけはクーネに同伴している。

 そうして出されたお茶に舌鼓を打つこと数分。駆けつけるようにやって来た領主ロスコーの第一声がそれだった。

 ロスコーはまだ三十代半ばくらいの、しかし、領主としての風格を備えた人物だった。程よい長さの濃紺の髪をオールバックにしており、モノクルを着けている。どちらかといえば細身で、一見して戦士というより文官肌であることが分かった。

 彼の後ろには貴婦人然とした、意思の強そうな目元が特徴の女性がいる。長い金髪を綺麗に結い上げており、たたずまいも含めて気品を感じさせた。

「あなた……」

 その女性にたしなめられるように腕を引かれたロスコーは、気が急いていたと自覚してハッと表情を改めると、王族に対する挨拶をすべく膝を突こうとした。

「お久しぶりですね、ロスコー。それにシーラ。畏まった挨拶は必要ありません。それよりも手紙の内容について、詳しい話を聞かせてください」

 王都での傍若無人ぶりがどうにも脳裏にこびりついて離れない光輝は、やっぱり、そんなクーネの如何にも王族っぽい言動に猛烈な違和感を覚える。エスパー並の勘の良さで、クーネがチラリと視線を向けてきたのでポーカーフェイスを貫くが。

 微妙な姿勢から「恐れ入ります」と苦笑いしつつ立ち上がったロスコーが部屋のソファーに着席する。続いてシーラが座った。

「勇者さま。こちらがアークエットの領主――ロスコー=アークエットと、その奥方のシーラ=アークエットです」
「初めまして、天之河光輝と申します」

 ロスコーとシーラの視線が見慣れない青年に向いていたので紹介すれば、クーネの呼び方に領主夫妻は揃って目を見開いた。

「少し前に、勇者と呼ばれる存在がフォルティーナ様により招かれるというお告げがあったと通達だけは来ていましたが……まさか本当に。お目にかかれて光栄です、勇者殿」

 勇者と呼ばれる存在の召喚の可能性だけはあらかじめ知らされていたようだ。ロスコーは納得したように頷き、丁寧に自己紹介をした。

 光輝は慌てて余り畏まらないで欲しいことと、名前で呼んで欲しい旨を訴えた。

 そして、この世界の見識を広める目的も兼ねての同行であることがクーネより伝えられて、話は遂に手紙の内容に入った。

「それで、ロスコー。手紙には作物が枯れているとありましたが……」
「はい、殿下。初めて確認したのは一週間ほど前だったと報告を受けています」

 そう言って始まったロスコーの説明によれば、少し前から作物の成長が明らかに鈍っていたらしい。この世界の植物は恩恵力によって成長がとても早い。故に、それが鈍れば直ぐに分かる。

 とはいえ、自然のことであるし、一時的に土地の力が減ることは前例がないわけではない。王都に報告を出し、改善が見られなければクーネに来てもらう、その程度には悠長に構えていても許される問題だった。

 だが、そうも言っていられないことが、一週間前に起きた。

 穀倉地帯の一部、それも一定の箇所ではなく転々と複数箇所において、作物が不自然に枯れるという現象が起きたのだ。

 穀物の穂が黄金色の絨毯を敷く一帯で、ぽっかりと穴が空くように枯れる作物……

 そんな自然現象は今まで観測された例がない。

 その場に≪暗き者≫がいて瘴気を纏っていたのならそういうこともあり得るが、それだと穀倉地帯のど真ん中まで侵入した痕跡――枯れたり、元気のなくなった作物の道など――ができるはずで、しかし、それは皆無。

 あり得るとすれば、空から落下してきたという可能性しかないが、なら落ちてきた≪暗き者≫はどこへ?

 当然、穀倉地帯への侵入の形跡がないのだから、出て行った形跡もない。

 念の為、自警団が総出で周囲を捜索したが、≪暗き者≫の影は微塵も見当たらない。

 そうこうしている内に、枯れ地はポツリポツリと増えていく。

 そんなわけで、≪暗き者≫が原因でないのなら、これはもう自分達の手には負えない恩恵力の異常だろうと判断し、ロスコーは王家への報告と救援を求めたというわけだ。

「なるほど、さっぱりわかりません!」
「で、殿下ぁ」

 きっぱりと、何故かドヤ顔でそんなことを言ったクーネに、ロスコーの眉は八の字に垂れ下がった。シーラも困ったような表情になる。

 そんな領主夫妻に執り成すように、クーネは言葉を重ねる。

「そんな現象、前例がないのですから原因なんて聞いただけでは分かりませんよ。現場百回! 調査は足で! 土地のことは土地に聞けばいいのです! 別に、原因究明は後回しにして土地の恩恵力だけでも再生してしまっていいわけですし」
「再生できればいいのですが……」

 事件は応接室で起きてるんじゃない、現場で起きているのです! と、早速立ち上がって案内を要求するクーネ。なんというフットワークの軽さか、と領主夫妻も、慣れているはずのアニール達も何とも言えない表情をしている。

 光輝は光輝で、心の中でこっそりと「たたき上げの刑事か!」とツッコミを入れた。最近、めっきりツッコミキャラになったような気がするが……

 光輝は深く考えないことにした。




 アークエットの町の西に広がる穀倉地帯は、実に見事な黄金の絨毯と化していた。おそらく小麦か、それに近い作物。実り豊かな穂が風にそよぎ、さわりさわりと波打つ光景は言葉で表現できない感動がある。

 【ウルの町】などは、【北の山脈地帯】にも近いことから魔物の討伐でよく光輝が訪れる場所で、彼の町の近辺は広大な稲作地帯であることからそれなりに見慣れた光景ではあるのだが……

 むしろ、そういう共通点が、光輝の心にとっては染み渡るような感動を与えていた。

 だからこそ、それが余計に目に付く。

 ところどころ、まるで虫食いにでもあったかのように、あるいは失敗作のミステリーサークルのように、ぽっかりと枯れて空いた穴の存在が。

 黄金の輝きを失い、変色して地面に朽ちる作物の姿は、覚えた感動に比例して物悲しかった。

 一際、大きく枯れた場所。直径で五メートル程の円形の枯れ地の中に、光輝達はやって来た。

「殿下、いかがでしょう?」

 深刻な表情で尋ねるロスコーに、クーネは直ぐには答えず、光輝が見たことがないほど真剣な表情で地面を見つめている。そして、おもむろに膝を突いたかと思えば、そっと労るように地面へ手を這わせた。

「……確かに、この場所から恩恵力が失われています。砂漠化の一歩手前ですね。周囲の土地には恩恵力がありますから、今も少しずつ流入して回復しようとしています」
「それは……では、放っておいてもいずれは元に戻ると?」
「はい。クーネはそう思います」

 ロスコーやシーラ、そして随伴したイヴァナ達自警団員達がほっと肩から力を抜いた。シーラがおずおずと尋ねる。

「原因はおわかりになりますか?」

 クーネは難しい表情のままゆるりと首を振った。原因は不明ということらしい。そして、言葉を選ぶように、静かに口を開く。

「この枯れ方、恩恵力の失い方。……瘴気を浴びたとき、≪暗き者≫が吸収したときとすごく似ていますね。クーネは、似ていると思います」
「しかし……殿下。≪暗き者≫だとしたら……」

 枯れた土地、という現象以外、≪暗き者≫がいたという痕跡が何一つない。まるでゴーストのようにその場に突然出現して、忽然と消えたということになるが……

 そんな現象は見たことも聞いたこともない。

 確かに、夜の監視・警備はしていたが、広大な穀倉地帯だ。明かりで全てを照らすことなど不可能であることからすれば、仮に、夜中に≪暗き者≫か、あるいは何かがそこに出現したとしても気がつけない可能性は高い。

 だが、ではどうして、その出現した何者かは行動を起こさず消えてしまったのか……

 どうやって消えたのか……

 やはり、土地の異常と考えるのが自然では……

 ロスコーの考えに、クーネもまた頷いた。

「取り敢えず、≪再生≫を試してみます」

 あるいは、恩恵力を消失させてしまう原因が生きているのなら、再生した後にも同じように枯れるか、もしかすると再生の力も無効化されるかもしれない。

 ならば、その過程を観察することで何か分かる可能性もある。

 そんな意図で始まったクーネの天恵術≪再生≫の儀。

「古き血を注ぐ者、クーネ・ディ・シェルト・シンクレアが祈願する――」

 小さな体で、まるで世界を包み込もうとしているかのうように、そっと広げられた両手。半ば閉じられ、僅かに覗く翡翠の瞳はどこか一点を見ているようで、しかし、どこも見ていないようでもある。

 クーネの体に施された紋様が、豊穣を願う聖句が放たれる度に輝きを増していく。

「――大いなる意思よ、我等が母よ。貴女の子が身命を捧げる」

 ふわりと、クーネの黄金のツインテールがなびいた。風ではない、不可視の力が彼女の周囲を渦巻いている。

 その力が、クーネを中心に土地へと流れていくのが分かる。

「地に豊穣を、水に癒やしを、風に実りを、火に意思を――」

 大地が輝く。黄金の火の粉と見紛う粒子が立ち昇った。乱舞するそれは、まるで大地が歓喜をあらわにしているかのよう。

「死した世界に今一度――生きる力を」

 クーネの一心なる祈りと願いが、死にかけていた地を蘇らせる。枯れた作物の下から、新たな命が芽吹いた。作物とは異なる単なる雑草だが、砂漠化しかけたその場所に、確かに自然が戻ったのだ。

「すごい……」

 光輝は、思わずそう呟いた。単なる魔法や恩恵術とは異なる、尊い何かが、クーネの術にはあるような気がした。幼馴染みが得意とする神代魔法も同じことができるだろうが、それでも、一心に祈る小さなクーネの術は、何故かとても心に迫るものがあったのだ。

「ふふんっ、そうでしょうそうでしょう! クーネはすごいのです!」

 夢心地だった光輝は、その憎たらしいほど得意げな声音にハッと我を取り戻した。

 案の定、そこには凄まじいドヤ顔の幼女がいた。後ろに倒れるのではないかと思うほど胸を張っている。

 荘厳で尊い雰囲気は一瞬で霧散していった。

 何とも言えない表情で、光輝は答える。

「はは……ええ、すごいです。クーネ様はすごかったですよ」
「んふふっ。いいんですよ? もっと褒めてくれてもいいんですよ? むしろ崇めてもらってもかまいません! クーネは、一向にかまいません!」

 王女様は凄く調子に乗っていた。

 なんとなくド突きたくなった光輝だが、調子に乗りつつも意識は再生させた土地に向いているらしいクーネを見て、取り敢えずもっと褒めておくことした。

 もの凄く気分良さそうなクーネは、しかし、直ぐに真面目な顔になると、

「ロスコー。どうやら土地は元に戻ったようです。恩恵力が消える様子もありません。まだ少しの間観察するべきではありますけど……」
「そう、ですか……。うぅむ、一体何が原因なのか……。不気味ですな。とはいえ、殿下のお力で回復できることは分かりました。原因の探索は、アークエット周辺の土地も含めて調査していくとして、ひとまず、安心しました。殿下、ご対応いただき、誠にありがとうございます!」
「これがクーネのお役目です。でも、土地の一部が突然枯れるなんて怪奇現象、放置はできませんから、しばらくアークエットに滞在して調べたいと思います。ロスコー、問題ないですか?」

 光輝と違って、ロスコーにはドヤ顔せず真面目に対応するクーネ。

 「別に、自分はただの剣士だし……相手は領主様だし、いいんだけどね」と、光輝は心の中で自分を慰める。

 光輝の内心の想いには気が付かず、ロスコーは、

「願ってもないことです、殿下。是非、私の館にご滞在ください」

 そう言って、嬉しそうに頷いた。




 その後、遅めの昼食をごちそうになった光輝達。

 昼食の席では領主夫妻の息子――ロンド・アークエット(十歳)が紹介された。父親と同じ濃紺の髪に、母譲りの意思が強そうな目元を持った利発な男の子で、歳の割に落ち着いた真面目な性格だった。

 もっとも、年相応な少年らしいところもあって、光輝が勇者と呼ばれる存在で、異世界の術を使ったり、召喚された初日に名のある≪暗き者≫を単身で撃破したり、戦士長と術士筆頭のタッグと一人で戦って勝ったなどの武勇伝がスパイクやリーリンの口から伝えられると、それはもうキラキラとした瞳を光輝に向け、地味に光輝の心にダメージを負わせたりした。

 そして、そんな光輝の内心を見透かしてか、クーネがあることないこと、というかほとんどないことをペラペラとしゃべり、挙句、ベッドに倒れ込み事件や、夜中の密会事件をそれはもうスキャンダラスに語るものだから、領主夫妻の表情が引き攣るわ、光輝が死ぬ気で弁解するわ……

 何よりカオスなのは、ツッコミマシーンと化した光輝と、めちゃくちゃ楽しげに事件をでっちあげるクーネのやりとりを、ロンド少年が段々と羨ましそうに見始めたことだろう。

 否、オブラートに包まず言うなら、あれは幼いながらも嫉妬ではなかったか……

 それが果たして、勇者と仲良くしている王女に向けられたものか、

 それとも、王女と仲良くしている勇者に向けられたものか、

 光輝は、もし後者だった場合を思い、心の中でロンド少年に全力で叫んだ。

 その未来は、身分とか立場以上に、いろんな意味で覚悟が必要だぞ! と。

 口にしないところ、ヘタレと言うことなかれ。クーネたんは怖いのだ……







 ひとまず土地の回復を終え、翌日からの本格的な調査活動に備えて光輝達が領主館で体を休めている頃。

 時刻は夕方。

 赤く燃える太陽が西の地平に沈みかけている。影が大きく東へと延びて、世界が赤く染まっている。

 黄金の穀倉地帯に紅色が差しており、また濃くなった影が絶妙なコントラストを演出し、昼間とはまた異なる鮮やかな色合いが絶景を作り出していた。

 アークエットの防壁の内側に作られた物見台。そこで監視の任についている二人の若い自警団員が、いつもの見慣れた、しかし決して飽きないその光景に目を細めている。

「なぁ。勇者様、見たか?」
「おう、見た見た」
「どう思ったよ?」

 再び異変が起きやしないか、自然の絶景を眺めつつも監視の視線を巡らせることに余念がない団員の一人が何気なく尋ねると、もう一人の団員は少し考える素振りを見せてから答えた。

「なんか普通だなって思ったな」
「失礼な奴だな。これは団長に報告か……」
「聞いておいてひでぇな。でも、お前も思ったろ?」
「まぁ、イメージとは違ったな。なんかこう、もっと威厳というか覇気というか、一目見て『この人ただもんじゃねぇ!』って思う感じだと思ったんだけどな」
「そうそう。聞いた限り相当強いらしいけど……なんか戦士っぽくないんだよなぁ」

 光輝が聞けば、思わず「否定できないっ」と胸を押さえて四つん這いになりそうな感想を言い合う二人の団員。

 と、そのとき、更に何か言おうと口を開きかけた相方を手で制止して、団員の一人がスッと目を細めた。

「どうした?」
「……おい、あそこ。影になってよく見えないが何かいないか?」
「あ? どこだ?」

 二人してジッと目を凝らす。

 いた。

 何かがいた。黒く、靄を纏う、人形の――

「ッ、冗談だろ! なんでここにっ」
「警鐘鳴らせっ」

 看破した正体は、ここにいるはずのない存在。そう、黒い靄を纏う存在など、この世界には一つしかない。

 物見台に設置された鐘を鳴らすハンマーを手に取った団員が、とにもかくにも、警鐘を鳴らさねばと、その存在――≪暗き者≫を凝視しながら、腕を振りかぶろうとして……

「な、んだよ……なにがどうなってる!」

 あり得べからざる光景に、思わず腕を止めてしまった。

 それも仕方の無いことかもしれない。

 なにせ、彼の視線の先では、次々と出現していたのだ。穀倉地帯に振りまかれた黒インクの如く、虚空に突如出現する瘴気の球体が。

 ボッボッボッと、夕日が作り出す影よりも濃い闇色が穀倉地帯のあらゆる場所に凄まじい勢いで増えていく。その闇色の球体は、一拍後には繭が内側から破られるように消えていく。

 後に残るのは濃密な瘴気を纏った人形の≪暗き者≫

 一体や二体ではない。瞬く間に部隊、否、団体規模に増加していく。

「ッ、ッ!? 早く警鐘を鳴らせ!!」
「ッ!!」

 我を忘れていた団員が、相方の絶叫じみた声音で正気を取り戻した。直ぐさま、恐怖を払うように力強く警鐘を打ち鳴らす。

 物見台の下へ何事かと駆けつけて来た同僚に、直ぐさま門を閉ざすこと、そして領主への伝令を任せる。

 そうしている僅かな間にも、穀倉地帯は瘴気を纏う存在に侵され……

「あぁ、フォルティーナ様っ」

 思わず縋った大いなる存在。声が震える。体は金縛りにでもあったように硬直している。

 それほどの絶望。

 アークエット自慢の穀倉地帯の黄金は、今や≪暗き者≫の軍勢により、闇色に塗り潰されていた。



いつもお読み頂ありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。

ようやく動き出した物語。
次回辺り、ようやく戦闘シーンが書けそうでです。

それはそれとして、コミック版の最新話が更新されております。
やべぇ、コミックにするとハジメさんマジ痛そうです。
誰だ、あんなにハジメさんを痛めつけたの!
まぁ、白米なんですけど……
今回も中々の迫力です。ご興味があれば是非、
オーバラップ様のHPにあるコミックガルドへ見に行ってみてください!
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