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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

ありふれたアフターストーリーⅡ

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ありふれたアフターⅡ 光輝編 わりと終わっている世界


 大きな泉と、それを囲む森の木々。葉擦れの音以外は聞こえない。

 静寂をもたらしたのは光輝の質問だ。泉の縁で四つん這いになりながら咳き込む光輝の前には、困惑の表情を浮かべるモアナ女王がいる。

 いきなり、自分達が敬愛してやまない存在の正気を疑われたのだ。普通ならぷっつん来てもおかしくはない失礼極まりない質問だろう。

 実際、女王の周囲に控えている人達――戦士風の男女が六人、戦士らしくはないが戦い慣れしていそうな男女が二人。他の者達とは衣装の異なる、何とく侍女を彷彿とさせる服装の女性が一人――は、何となく愉快とは言えない感じの雰囲気となっている。

 もっとも、誰一人として光輝の失礼な発言を咎めようとしないあたり、〝狂信者〟という感じには見えない。それが健全な信仰心によるものか、それとも女王を前にした分別故に抑え込まれているだけという理由によるものかは分からないが。

 光輝は周囲の雰囲気と、手を差し出したまま困惑しているモアナを見て、拙い発言だったと慌てて謝罪を口にした。

「す、すみません、いきなり。ちょっと神様的な存在にトラウマがありまして……」
「か、神様にトラウマ? というか、そのような存在に会ったことが?」

 神と呼ばれる超常の存在と関わりがあるという光輝の言葉に、モアナ達は驚嘆するような表情になった。目の前の青年は、フォルティーナとは異なる大いなる存在にも選ばれるほどの存在なのか、と。

 だが、次の光輝の言葉で絶句することになる。

「……はい。知人に取り憑いた状態で、ですけど。人を遊戯の駒程度にしか思ってなくて、戦争を引き起こしたり、洗脳したり、飽きたら使徒を送り込んで人類を皆殺しにするような神様でした」
「それ、神様ちがう。絶対、邪悪な何かでしょ」

 女王様から華麗なるツッコミ。口調が変わっている。もしかすると、こっちが素なのかもしれない。

 光輝は苦笑いしながら「かもしれません」と言いつつ、モアナの手を取った。

「ええっと。おそらく、フォルティーナ、さま? という方に召喚されたのだと思うんですが、何が何やらさっぱりで……。取り敢えず、元の場所に戻れるかだけ、先に確認させてもらいたいんですが」

 しっかり握手された光輝の手から、自分と同じような戦う者の力強さを感じたモアナは一つ咳払いをした。乱れた精神と口調を戻したのだろう。

 それから少し困ったように眉を下げると、

「すまないな。私達も、正直なところ困惑しているんだ。あれほどはっきりとフォルティーナ様の声が聞こえたことはないし、君のように異なる世界の者が訪れるなんて、まるでお伽噺だ」
「つまり……」
「ああ。察しの通り、君の言う〝元の場所〟が異世界で間違いないというのであれば、戻す術を私達は持っていない。というか、本当に異世界から来たのだよな?」
「ええっと、そうだと思いますけど……」

 光輝は試しに、王国や帝国の名称を出してみるが反応はない。あるいは、トータスにおける未知の別大陸……という可能性も否定はできないが、モアナ達に召還の力がない以上、結局はフォルティーナ様とやらにコンタクトを取るか、地力で帰還の術を探るしかない。

(あるいは、あいつが迎えに来てくれるかな? 雫達に頼まれて面倒そうな顔しながらひょっこり現れそうだ)

 脳裏に浮かぶ〝あいつ〟――ハジメに苦笑いが浮かぶ。世界を渡る術も、光輝を見つける術も、手中に収めている彼ならばできないことはないだろう。

 光輝の様子に、ショックから笑うしかない状態にでも追い込まれたのかと、モアナ達が心配そうな表情になった。

 何となく人の良さが透けて見えるモアナ達に、光輝は少し安心感を覚えながら、大丈夫だと微笑む。
「すみません。そう言えば、自己紹介がまだでした。俺は、天之河光輝と言います。――ただの剣士です」
「剣士……」

 勇者と名乗らないのか、とモアナ達はまたもや困惑顔になった。が、その困惑が質問となって口から出る前に、光輝は立ち上がって言葉を重ねた。

「ここが異世界であれ、元の世界の知らない場所であれ、帰れないのなら仕方ないです。俺が呼ばれた理由も合わせて、いろいろと教えて頂いてもいいでしょうか? 女王陛下」
「あ、ああ。そうだな。本当にいきなり泉に放り出されたようだし、できる限り説明はさせてもらうよ。また、衣食住についても心配する必要はない。これでも女王だからな。お客人一人養うくらい、問題ない」

 気を取り直したモアナは、そう言って茶目っ気たっぷりにウインクした。場の雰囲気が少し和んで、従者らしき人達も僅かに微笑む。

「それと、私のことはモアナで構わない。フォルティーナ様に任せられたお客人だ。立場的には私と同格以上と思ってもいいはず。だから、そう畏まらなくていいぞ?」
「あ~、そうですね。対外的なこともあるでしょうから……、モアナ様と呼ばせてください。言葉遣いは……一応、このままでお願いします」
「む、そうか……」

 ちょっぴり残念そうに肩を落とすモアナ。光輝は、モアナが畏まるなと言った直後の従者達の頭の痛そうな表情が、光輝の言葉で感謝するような表情になったことで、自分の対応に間違いなかったと胸を撫で下ろした。

 どうやらこの女王様。傷を作るほど戦場慣れしていそうなことといい、かなり型破りな人柄のようだ。

「では、私は光輝と呼ばせてもらおう。良いかな?」
「ええ、もちろんです」
「うむ。それでは光輝。この辺りは少々安全性に問題があってな、できれば早めに移動したい。急げば日が落ちる前に王都へ到着できるはずだ」

 異存はないと頷く光輝に、モアナも「よし」と頷く。そして、隣の侍女風の女性に、視線を移した。

「アニール。いつまでも濡れ鼠というわけにもいかない。頼む」
「はい、陛下。……祈願する。陽と風の恩寵を――〝抱擁の風〟」

 アニールと呼ばれた女性は、見た目二十代半ばくらいの、少しおっとりした雰囲気をもつ女性だ。目元が垂れ目ぎみなのも、返事をしたときの声音が柔らかいのも、その雰囲気に拍車をかけている。

 他の従者達と異なり武器らしきものを携帯せず、代わりに大きな背負い鞄と、いくつもの肩掛け鞄を持っている。

 モアナにしろ、従者達にしろ、白を基調としたパンツルックの衣服の上に防具を着けているのが基本のようだが、アニールだけは防具の代わりにエプロンっぽい前掛けをつけている。光輝が侍女っぽいという印象を抱いた原因だ。

 そのアニールが小さく呟くと、途端、彼女の右手の甲にある紋様の一部がうっすらと輝いた。

「これは……」

 光輝が少し驚いたように自分の体を見下ろす。自分の衣服がゆるりとした温かい風を受けて揺らめいているのだ。肌に感じる風の感触からすると、どうやら体を中心に温風が渦巻いているらしい。モアナや、先程飛び込んできた従者達も同じようだ。

「ふむ、恩恵術についても説明が必要なようだな。これは、自然に宿る力――恩恵力に祈り、あるいは願いを捧げて、その力を分けて貰っているんだ」

 生きとし生けるもの、そして全ての自然には力が宿っている。モアナ達はそれを恩恵力と呼んでおり、それを祈願や誓願によって活用する術を恩恵術と称しているのだ。

 体にあるペイントは、その祈願や誓願を文字的に表したもので、発動手順の省略を可能にしている。

 フォルティーナとは、そういった自然の力の集合体で、意思を持った存在だと考えられている。時折、お伽噺のように、〝大いなる恩恵の意思〟を感じた、あるいはその言葉を聞いたという者が現れるらしい。

 明確に、その存在が確認されているわけではなく、漠然と、そういう存在がいるのだろうと思われているのだ。

 (いにしえ)からの教えで、フォルティーナだけでなく、全ての自然に感謝しながら生きようという価値観が根付いている。

 故に、フォルティーナへの人々の想いとは、宗教的な信仰というより、自然を大切にしようというエコロジカルな価値観というべきもののようだった。

 服が乾くまでの間、そのような話を聞いた光輝は、

(なるほど。信仰というより、敬意……あるいは感謝を捧げる、っていう感じか……)

 と、モアナ達が狂信者ではない確信を強めた。もっとも、光輝は未だモアナ達への警戒心を解けないでいたが。言葉遣いや、モアナへの敬称がそれを表している。

 服が完全に乾いたところで、恩恵の説明も大体終わり、モアナが声を張り上げた。

「さて、では出発するとしよう。光輝に教えるべきことも、道中で話させてもらう。スペンサー、先頭を頼むぞ」
「了解です、陛下」

 先程、光輝を泉から引き上げてくれた初老の戦士はスペンサーというらしい。この場にいるメンバーの中では一番年配だが、白髪のない短い黒髪が若々しい印象を与える。もっとも、装備越しでも分かる鍛え上げられた肉体や、瞳の奥に見え隠れする戦う者の鋭さが、決して侮ってはいけない重みのようなものを与えていた。

 聞けば、やはりというべきか、アニール以外は全て最精鋭というべきシンクレア王国の戦士達らしく、モアナの近衛らしい。スペンサーは近衛部隊の隊長ということだ。

 スペンサーの先導に従って生い茂った森の中を進んでいく。湿度や気温も不快な感じはなく、木漏れ日が作る光の柱は美しい。緑豊かな世界なのだなぁと光輝は気持ち良さそうに目を細めた。

 光輝とモアナを中心に、周囲を戦士達が取り囲むようにして進む中、光輝がモアナへ話しかけた。

「自然が豊かですね。さっきの泉も、結構な深さがあったのに、底まで澄んで見えました。これも、フォルティーナ様、いや世界に満ちる恩恵力のおかげなんですね」
「……そうだな」

 何故か、複雑そうな表情になるモアナ。何かおかしなことを口走ったかと、光輝は内心で焦りながら周囲を見やる。すると、スペンサーやアニールを始め、他の戦士達も微妙な表情をしていた。

 更に、何がまずかったのかと焦りながら頭を回転させる光輝に、モアナは苦笑いを浮かべた。

「いや、すまない。光輝がおかしなことを言ったわけではないんだ。ただ、これから説明しようと思っていたんだが……こんなにも自然豊かな場所の方が、少数なんだ」
「え?」

 困惑する光輝に、モアナは苦笑いを深めながら説明する。

「この森の外は、ずっと砂漠が広がっている。ここが特別なんだよ」
「さ、砂漠?」
「ああ。世界から恩恵力は失われつつあるんだ。《暗き者》達のせいでな」

 《暗き者》――モアナによれば、瘴気という恩恵力を相殺してしまう力を放つ異形種のことらしい。トータス風に言うなら魔物だろう。常に黒い靄のような瘴気を纏っているため、そう呼ばれているらしい。

 彼等は生きているだけで《恩恵力》を消費し、生きとし生けるものから生命力を奪う。まさに、人類のみならず自然にとっての天敵なのだ。

「奴等が何者で、どこから現れたのかは分かっていない。ただ、そうだな、私達の歴史とは? と尋ねられたなら、〝暗き者との戦い〟と答えるべきだろう。それくらい、ずっと昔から戦ってきた」

 遠い目をするモアナの瞳には、何か言葉では表現できない深く重いものが宿っているようだった。光輝は言葉もなく、ただ黙って耳を傾ける。

「多くの自然が、恩恵力が失われた。奴等は恩恵力を糧にしているから、昔に比べると自然からの搾取は自重している。世界の全てから恩恵力が失われれば、奴等も生きてはいけないからな。ただ、そうなっても問題ない方法がある」

 人間を飼うのだ。木々の一本、動物一匹に比べ、人間一人が保有する恩恵力は桁違いだ。故に、《暗き者》達は人間を好んで喰う。

 恩恵力のおかげで、この世界の動植物の成長は早く、強い。だが、それでも彼等の食欲の方が上だ。また、戦いでは多くの恩恵力が消費され、あるいは喰われる。回復の見込みがないほどに恩恵力を失えば、その場所には何も残らない。ただ、砂の世界となるだけだ。

 需要と供給は釣り合っておらず、枯渇しないよう調整するということは、常に満腹感を得られないということ。

 だから、たとえ動植物を食らい尽くしても問題ないように、人間を家畜として飼うのだ。

「生存と尊厳を賭けた戦いだ。偉大な先人達は、瘴気に対抗する術を創り出し、恩恵術を研鑽し、こうして私達へと繋いでくれた。……だが、それももう限界なのかもしれないな」

 茫洋としたモアナの瞳が、光輝を捉えた。自分が映り込む瞳に宿っているもの――それを見て、光輝は息を呑む。

「この世界は、大いなる自然は、フォルティーナ様は――だから、君を招いたのだろう?」

 希望など、そこにはなかった。期待も、なかった。あるのは、悔しさ、そして自分への失望。

 世界の意思ともいうべき恩恵力の化身――フォルティーナが判断したのだ。もう、この世界の人間だけでは抗いきれないと。それほどまでに、世界は追い込まれているのだと。

 事実、シンクレア王国の周辺に他の国はない。全ては王国のもと、各領主がいるだけだ。かつて帝国や連合国、聖国などを名乗っていた国は全て滅んだ。いくつもの山を越え、あるいは海を渡った先の大陸にはまだ抵抗している国もあるが、それもいつまで保つか。

 お前達ではもうダメだと、そう思われても仕方がない……

 表情に陰りはなくとも、その瞳は何よりも雄弁にモアナの心情を物語っていた。光輝には、まるで目の前の女王様が、泣き笑いをしているように見えた。

――大丈夫。俺がこの世界を救ってみせる!

 もし、何も考えず、そんなことを言っていたら、きっとモアナは。その性格故に、快活に笑いながら「それは頼もしい!」とでも言ってくれたのだろう。今と同じように瞳の奥で泣きそうになりながら、自分に失望しながら、傷つきながら。

 言わなくて良かった、とは思う。だが、しかし、では何と言えばいいのだろう? 

 まだ終わっていない? できることがあるはず?

 フォルティーナ様は失望なんてしていない?

 俺が召喚されたのは偶然だよ?

 分からない。

 光輝には、どんな言葉が正解なのか、分からなかった。

 それ以上、モアナの目を見ていられず、光輝は視線を逸らした。モアナもまた、何事もないように視線を前方に移し、≪暗き者≫の話の続きをしようとする。

 と、その瞬間、光輝はハッと顔を上げて足を止めた。

「ん? 光輝、どうした? 体調でも――」
「……えっと、あっちに多数の気配がします。結構な速度でこちらに向かってくるんですけど、お仲間の可能性は?」
「ッ。総員、戦闘態勢! 九時方向!」

 光輝の確認を流して、モアナは即座に声を張り上げた。一人の例外もなく、そして一瞬の遅滞もなく指示された方向へ陣形を整える。戸惑いもなければ、確認することもない。

 一糸乱れぬその動きは、まるで鳥が見せる集団行動の如く。モアナの迅速極まりない指示もさることながら、最精鋭近衛部隊の練度を十分に見せつけるものだった。

「光輝! 数、距離は分かるか?」
「ッ、はい! 数は……十六。距離は八十メート――接敵まで十秒! 大型の四足動物と推定!」

 一瞬、距離の単位がメートルで通じるのかと思った光輝は、接敵時間で言い直す。

 モアナが大きく目を見開いた。光輝からもたらされた情報を下に、この近隣で遭遇し得る存在に心当たりがあったのだ。

 だが、驚いた理由はその存在が迫っていることではない。その存在の移動速度と接敵時間から判断した場合の、光輝の感知範囲の広さに驚愕したのだ。

 もっとも、動揺したのは刹那の間のみ。

「聞いたな! 推定、黒狼種! 初撃で陣形を崩しに来るぞ! ネイサン、リーリン、出鼻を挫け!」
「「了解」」

 スペンサー達、六人の戦士が剣を抜いた。シャムシールのような大きく反りの入った片刃の剣だ。剣幅が広く、そこだけなら大剣のカテゴリーに入りそうである。

 ネイサンと呼ばれた三十前後の男性と、リーリンと呼ばれた十代半ばくらい女性は、彼等の後ろで手を組んで祈りを捧げている。後衛特化の術師なのだろう。彼等の祈りが世界へと放たれるごとに、頬や首筋に見えている紋様の一部が輝いていく。

 知らない世界の魔物がやって来る。緊張感に冷や汗を流しながら、光輝もまた腰に下げた聖剣を抜いた。木漏れ日を反射して輝く聖剣は、思わず誰もが溜息を吐きたくなるほど壮麗だ。

 思わず、と言った様子でモアナやアニールが二度見している。

 その直後、

 猛烈な殺気と黒い煙霧が、森の奥から突風の如く急迫した。

「――≪隆起する大地≫」
「――≪打ち砕く狂風≫」

 同時に聞き届けられた術者の祈り。ネイサンの頬から首筋にかけてペイントされている紋様が輝き、その象形文字のような紋様に合わせるように前方で大地が隆起した。それはさながら石の壁というべきもの。厚さ三十センチ、縦横二メートルはある石の壁だ。

 ズシンッと、石壁に何かが激突する音が連続して鳴り響いた。

 刹那、リーリンの肩から首筋にかけても紋様が輝き、超局所的なダウンバーストとも言うべき打ち下ろしの風が石壁の向こう側へ炸裂した。

 グシャッという生々しい音と、小さな断末魔の声が漏れ聞こえる。

 更に、ネイサンの声が木霊する。

「祈願する。崩土を求め、打ち砕く――≪散る石礫≫」

 石壁が一人でに粉砕され、指向性を持った爆発物のように、その破片が前方へと撃ち出された。

 後続として飛び込んできた黒い煙霧――を纏う体長一メートルくらいの黒い狼が、数匹まとめてもんどり打つ。

 それを見て、前衛の戦士二人が飛び出した。

「「誓願する! この身は剣なり――≪闘争の魂≫!」」

 身体能力を底上げする恩恵術。ただ祈るだけでなく、自らに誓いを立てることで、身の内にある恩恵力により強化するのだ。

 一歩目の踏み込みで地面がへこむほどの勢いで迫った戦士二人が、石礫の衝撃からどうにか立ち上がったばかりの黒狼二体を一刀のもとに屠った。

 突出した二人を狙って、更に黒狼が迫るが、それをリーリンの風が邪魔をする。黒狼が態勢を整えたときには、二人の戦士は鮮やかに後退して陣形へと戻っていた。

 忌々しそうに唸り声を上げる黒狼。その苛立つ心情を示すように、体からより一層、濃密な黒煙――瘴気が噴き出した。

 途端、周囲の草木が力を失ったようにしおれ、あるいはひからびていく。

「陣形を崩すなよ。それで問題はない」
「分かっています」

 黒狼種と呼ばれる≪暗き者≫は、連携や乱戦を得意とする種で、一部の例外を除けば攻撃力自体は比較的低い。陣形をがっちり固めて襲い来るものを的確に仕留めつつ、後衛の恩恵術で狙撃していく。それがセオリーなのだ。

 近衛隊の隊長であるスペンサーが、鷹のように目を細めながら念の為の確認を口にすれば、誰もが動揺もなくしっかりと頷いた。

(……見た目はやっぱり魔物だな。瘴気を噴き出しているかいないかの違いだけか? 四つ目狼に似てるけど、あれほどのプレッシャーは感じない。動きも十分に見える。後は、固有魔法的な能力の有無だな)

 冷静に黒狼種の戦力を分析する光輝。その冷静な態度を見て、モアナはこっそりと安堵の息を吐いた。

 光輝の手の感触や、先程の感知能力、最小限度の的確な情報共有などから、かなりの戦闘経験を有しているようだと推測はしていたが、それでもいざ≪暗き者≫を前にして、パニックを起こさないか心配だったのだ。

 と、そのとき、取り囲む黒狼達の背後より、のっそりと巨大な影が現れた。

『ほぅ、やはり女王が国を出たという情報は本当だったか……』

 僅かに空気が震えたような気がした。包囲する黒狼達とは濃度が明らかに異なる瘴気を纏う、二メートルは越えるだろう体格の黒い狼。それが、まるで頭に直接響くような声音で言葉を話したのだ。

「え?」

 愕然とした声を漏らしたのは光輝だ。その目は大きく見開かれている。

 一方で、モアナ達は驚いた様子もなく、どこか苦虫を噛み潰したような表情で大きな黒狼を睨み付けている。どうやら、黒狼が知性と言葉を有することは普通のことらしい。

 ≪暗き者≫とは、理性なき獣ではなかったのか。魔物と同じ、人類の天敵にして厄災ではなかったのか……。

 光輝が混乱する中、モアナは口の端をつり上げた不敵な表情で言葉を返す。

「ばれないよう欺瞞情報も撒いたし、最小限の人数だけで迅速に動いたつもりだったのだがな。どうやら優秀な監視の目があったらしい。だが、これだけの数で我等を討ち取れると、本気で思っているのか?」
『やってみせよう。女王を討ち取った功績を、他の群れに渡すわけにはいかない。貴様の首を王へ献上し、我がニエブラの名を高める!』

 ウォオオオオオオオンッと物理的な衝撃波すら伴う遠吠えが炸裂した。ビリビリッと伝わる力の波動に合わせて、ニエブラと名乗った黒狼から凄まじい量の瘴気が噴き出す。

 一瞬で黒い濃霧に覆われた周囲一帯の植物が次々と枯れ果てていく。

 当然、その瘴気は光輝達も包み込んだ。モアナは咄嗟に光輝の密着するほど寄り添う。恐怖からではない。光輝の身を守るためだ。

 生きとし生けるものの恩恵力――すなわち命を奪う瘴気に晒されれば、モアナ達とて無事では済まないはずだ。だが、彼女達に、さほど堪えた様子は見られない。

「総員、瘴石の許容残量に注意せよ! リーリン、瘴気を散らしつつ、ニエブラに集中攻撃!」
「了解です!」

 モアナの指示が飛ぶ。モアナの手が、無意識にか胸元のペンダントに伸びた。そこには無色透明で長さ五、六センチの円柱形の宝石が取り付けられていた。その宝石――瘴石が僅かに黒く濁る。

「光輝、すまない。先に渡しておくべきだった。この瘴石を身につけておけ。瘴気から私達を守ってくれる」

 瘴石とは、魔物でいうところの魔石のようなもので、≪暗き者≫達の体内にある器官のことだ。十日ほどかけて瘴気を抜いたあと加工し身につけることで、その瘴石の許容範囲内で瘴気を吸収し、瘴気の中でも一時的に影響を受けないで活動できる。

 モアナが光輝の手首に瘴石のペンダントを巻き付けるのと、ニエブラ率いる黒狼が一斉に襲いかかるのは同時だった。

 スペンサー率いる近衛部隊の陣形は固く、黒狼達の突破を許さない。

 ニエブラも、リーリンの牽制で上手く連携に入れず、陣形の外周を攪乱するように走り回ることしかできていない。

 その隙に、ネイサンの恩恵術が、一体、また一体と、少しずつではあるが確実に黒狼の数を減らしていっている。

『チィッ。その人数でよくやる。流石は女王の精鋭部隊かっ』

 ニエブラが苦さを含んだ声音で呟いた。

 直後、覚悟を決めたように咆哮を上げると、リーリンが放った風の刃にその身を切り裂かれ血飛沫を上げながらも一切止まらず突進を行った。

「来るぞ! 押さえ込んでそのまま殺せ!」
『舐めるなっ』

 スペンサーの指示と同時に、ニエブラの咆哮が迸った。直後、ニエブラと相対する形になった戦士二名の足下が瘴気を噴き上げながら爆発した。

「ぐぁっ」
「なにぃ!?」
「ダリオっ、フェデリー!」

 悲鳴と驚愕の声を上げて吹き飛ばされる戦士――ダリオとフェデリー。ダリオは近衛部隊の中でも若手の方であるが故に、ベテランであるフェデリーと異なり咄嗟の防御が間に合わなかったようで、受け身も取れずに離れた地面に叩き付けられた。

 二人が抜けた穴を、咄嗟にスペンサーが埋める。ニエブラの凶悪な爪を、その剣で受け止め突進の勢いを殺そうと踏ん張る。

「ぐっ、貴様っ」
『邪魔だっ』

 ニエブラの側面に集束した瘴気が形を取る。それは三本の巨大な爪だった。

 リーリンが≪打ち砕く狂風≫を放つが、瘴気を上空へ噴き上げて相殺したニエブラは、そのままスペンサー目がけて三本爪の薙ぎ払いを繰り出した。

 他の戦士達は黒狼の相手で手一杯。直ぐには動けない。

「させんっ」

 飛び込んだのは女王モアナ。地を這うような低空からニエブラの懐へ滑り込み、その胴体へ目の覚めるような剣撃を叩き込む。

 ニエブラが咄嗟に身を引いたため、瘴気の三本爪も僅かに軌道がずれた。スペンサーも咄嗟に身を引き、辛うじて防具の表面を切り裂かれるに留まる。

『チッ。流石に、一筋縄ではいかんかっ』

 吐き捨てるようにそう言ったニエブラは、瘴気の爪を突っ込ませる。スペンサーがそれを受け止め、モアナがニエブラへと踏み込む。

 だが、その動きはニエブラも読んでいたらしい。

「しまっ――」
『まずは、鬱陶しい術師から喰らってやろう!』

 モアナの頭上を飛び越え、自ら創り出した瘴気の爪を足場にして更に跳躍し、ニエブラは標的――的確に牽制してくるリーリンへと飛びかかった。

 モアナを援護するための祈願をしていたリーリンは、その変則的な動きに一瞬だけ対応が遅れる。咄嗟に身を捻りつつ防御の祈願をしようとするが、どうあっても完全回避は不可能。

 腕の一本なら御の字――そう覚悟を決めた次の瞬間、

「――≪光絶≫ッ」

 燦然と輝く光の障壁がリーリンの眼前に出現した。ニエブラの爪は、ギギギッという不快な擦過音を立てるだけで光の障壁に阻まれる。

「な、なに!?」
『なんだと!?』

 リーリンの驚く声と、ニエブラのそれが重なる。

 ニエブラは空中で宙返りをするように身を翻すと、正体不明の術を前に足を止めた。そして、その原因たる人物を探して、凶悪な獣眼を巡らせる。

 特定は一瞬だった。

『貴様、今のは一体何だ?』

 グルルッという警戒と殺意がたっぷり含まれた唸り声を上げながら、そう問いただすニエブラ。

 視線の先にいるのは、当然、

「光輝!」

 モアナの、驚愕と仲間を守ってくれた感謝を込めた呼びかけが響く。

 だが、彼女の眼差しは、そしてニエブラの殺意に濡れた獣眼は、直ぐに訝しげに細められることになった。

 短く、連続した呼気が漏れ聞こえる。

 紛れもなく、それは光輝の呼気。気息を整えているわけではない。まるで過呼吸にでもなっているかのよう。

 尋常でないというのは、表情からしても明らか。

 そう、敵も味方も訝しむほど――

 光輝の表情は何かを恐れるように、蒼白だったのだ。

 その手に持つ聖剣の切っ先は、小さく震え、下を向いている。

 ニエブラには、視線の先の敵には――向けられていなかった。
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