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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

ありふれたアフターストーリーⅡ

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ありふれたアフターⅡ この恨み、はらさでおくべきかっ


 シンと静まり返ったロビー。試合会場から他の試合やら声援やらの声が響いては来るが、それでもなお、静寂が訪れていると感じるのは、まっすぐ見つめ合う二人の女子高生が醸し出す雰囲気のせいだろう。

 〝それでも武士か〟〝武士ではありません〟たったそれだけの言葉。およそ女子高生がする会話ではないが、冗談というには二人の雰囲気は真剣すぎる。

 問うた方は、今にも口から蒸気を伴う呼気をカハッーと吐き出しつつ、血走った目から怪光線でも放ちそうな雰囲気であるし、返答した方は、「こいつ何を言ってんだ」という呆れた表情もせず、むしろ「これ以上、変な属性をつけられてたまるか! 武士じゃありません信じて!」という必死感が垣間見える。

「言い方を変えるわ。貴女、それでも剣道家なの!?」

 未だ、剣道部の仲間と思しき人達と、雫の友人の剣道部員達を体中に張り付けたままの巨躯を誇る剣道女子が、やっぱり可愛いアニメ声で怒声を上げた。不動明王フェイスとのギャップが凄まじい。

 雫は、取り敢えず現役女子高生としてはそれほど違和感のないカテゴリーに入ったことにホッと胸を撫で下ろしつつ、不動明王女子の激高に困惑の表情を見せた。

「〝それでも〟というのが、どういう意味なのかは分からないけれど……少なくとも、今は剣道部でもないから、剣道家とは言えないわね」
「っ、それじゃあ、やっぱり、辞めたと言うの? 休んでいるだけではなくて?」

 怒りのオーラはそのままに、しかし、どこかショックを覚えたような表情で問う不動明王女子。

「ええ、正式に退部したし、復帰の予定もないわ」
「……貴女が、大変な目にあっていたことは知ってる。それが原因なの? 怪我はしていないと聞いたけど、復帰できないような事情があるの?」

 ミシリと音がした。不動明王女子が拳を握った音だ。腕にしがみついて止めていた後輩ちゃんが、その拳を凝視しながら青ざめ始めた。今にも涙腺が決壊しそうだ。

「いいえ。心身共に健康よ。復帰〝できない〟のではなく、〝しない〟のよ。そう決めたの」
「っ、八重樫ぃっ、貴女はっ、っ……り、理由は、何なの?」

 後輩ちゃんの腕が弾かれた! 膨張した腕の筋肉によって! 後輩ちゃんは尻餅をついてぷるぷるしている! 雫の友人達も、不動明王女子の仲間達も、憤怒のオーラを幻視してガクブルしている!

 必死に、溢れ出しそうな何かを抑え、努めて冷静でいようとしている不動明王女子のその質問に、雫は頬をぽりぽりと掻きながら、どうしたものかと思案する。

 正直な理由を話すなら、剣道の世界には既に自分の相手ができるような者がいないから、自分が異世界で手に入れたスペックは反則的だから、というものになるわけだが……

 まさか、それをそのまま口にするわけにはいかない。そんなことをすれば、本当に不動明王が現世に降臨してしまいかねない。

 さて、どのように答えれば穏便に済ませることができるだろうか……

 雫が思案に要した時間は五秒もない。

 が、その僅かな間は、相手に結論を与えてしまったようだ。

「……なるほど。よく分かった。あの八重樫に限って、と信じたくはなかったけれど――男に走ったわけね」
「え? あ、いえ、そういうわけじゃなくて――」

 不動明王女子の視線が自分の背後へ向けられたことに気がついた雫が何かを言おうとする。

 が、その前に不動明王女子が、殺人的に凶悪な眼光をその男へと放った!

 周りの剣道女子達だけでなく、遠巻きに野次馬をしていた剣道男子の他、関係者が軒並みに震え上がる!

「ア゛?」
「ッッ!?」

 ハジメさんの眼光返し!!

 瞳孔が収縮し、溢れ出るそれはまさに狂気! 「あれ、絶対人を殺してる目だよね!?」と誰もが戦慄に身を強ばらせる。あそこにいるのは男子高校生の皮を被った悪魔だ!

 不動明王女子は、そっと視線を雫へと戻した。

 あれはダメだ。あれは関わっちゃいけない系だ。そう判断した不動明王女子ちゃんの本能は間違っていない。

 さぁ、仕切り直しだ。

「男に走ったわけね!」
「取り敢えず、ちょっと待ってね。……ハジメ、睨むの止めたげて。ちょっと涙目になってるし、何人か泡吹いて倒れちゃってるから。ほら、うちの後輩とか」

 ハジメさんが見ている。

 肩越しに振り返った雫が苦笑いしながら止めに入ると、ハジメはすんなりとその鬼気を収めた。また腕を組んで瞑目でもしているように静かな雰囲気へ戻る。狂気は去ったのだ。みんなのSAN値は守られたのだ!

 雫の友人達が「雫は女神」と感謝の呟きを垂れ流す。また、学校の二大女神の伝説が増えることになりそうだ。以前とはちょっと違う意味で。

「そう、無視するわけ。私なんて相手にする価値もないというわけね」
「あの、今にもホロリといきそうよ? 無視なんてしないから、無理して話を進めないで目元を拭った方が……」
「この私を哀れむ気!?」

 なんだかもう引っ込みがつかない様子。雫に対して何故か抱いている憤怒と、普通の女子高生が一生浴びせられることがないような眼光返しを受けて精神的にかなりテンパッているようだ。

 雫が、大迫力のまま涙目で自分に絡んでくる不動ちゃんを落ち着かせようと口を開きかけるが、ヒートアップしている彼女は雫の声をかき消すようにして怒声を上げた。

「私は、貴女に勝つために! その為だけに頑張ってきたのよ! 中学のときも、高校一年のときも、私は負けなしだった! 貴女以外には! 大会で、いつも優勝するのは貴女! その貴女を打ち負かすことだけが、私の目標だったのに!」

 怒声、なのだろうか。彼女の迫力がそう感じさせるのだが、雫には、何だか彼女が縋っているような、あるいは欲しかったものが永遠に手に入らないと理解して嘆いているような、そんな印象を受けた。

「貴女が行方不明になって、私は絶望したわ! 一時は剣道を止めようとすら思ったっ。こっちに引っ越してきたのも、貴女がいた地区で剣道をすればって、少しは気が晴れるかもって、そう思ったからよ! だから、貴女が戻ってきてくれたときは、本当に嬉しかったのに……なのに、男のために剣の道を捨てるなんて!」
「不動さん、貴女……」

 驚いたことに、不動明王女子ちゃんの苗字は〝不動〟というらしい。なんというマッチ感。雫の呟きは小さく、届いたのはハジメだけだったが、そのハジメは「なん、だと……まさか、名前は明王か?」と驚愕をあらわにしている。

 ちなみに、彼女の本名は不動明(ふどうあかり)だったりする。ハジメ、ニアピン賞。

 不動ちゃんは、彼女の剣幕に驚いて手を離してしまった仲間や雫の友人達をおいて、ずんずんと雫の元へ歩み寄っていく。

 そして、雫の鼻先へビシッと指を差すと、燃える瞳をまっすぐに向けながら、

「私と勝負しなさい、八重樫雫。貴女が、私のことなんて忘れていたというのなら、思い出させてあげる。貴女が歯牙にもかけなかった私の剣道が、どれほどのものか、その身に叩き込んで上げるわ!」
「……」

 そう、宣戦布告した。

 もちろん、受ける義務も義理もない。勝手にライバル視し、勝手に激情を覚えて、勝手な勝負に巻き込もうとしているだけだ。雫には何の関係もない。

 だが、

(――それで切り捨てられるなら楽なんだけれど、ね)

 だからこそ、八重樫雫は切り捨てない。楽な道を選べる性分ではないのだ。

 まして、相手のそれが、悪意から来るものではなく、何となく、ままならない己の心に足掻いているような、そんな印象を受けたとあっては、なおさら。

 故に、

「受けて立ちましょう」
「っ」

 凜と、その挑戦を受け止める。相手の鋭い眼光を、静謐な森の如き深い眼差しで返す。

 声を張り上げたわけでも、強烈な気迫を見せたわけでもない。しかし、確かに感じた重く深い〝何か〟に、不動は思わず喉を鳴らした。

 それを見て、雫の目元が微かに緩む。

「ただし、後日、ということでいいかしら? 私は今日、友達の応援に来ているの。貴女を優先することはできないわ。貴女自身も、貴女の仲間を放り出していくつもりはないのでしょう?」
「それは……」

 雫の視線に釣られて、不動は後ろを振り返った。そこには、自分を心配そうに見つめる剣道部の仲間がいる。不動から「ぅ」と小さな呻き声のようなものが漏れた。仲間の姿を見て、少し正気を取り戻したらしい。

 ばつの悪そうな、申し訳なさそうな表情になると、何かを振り切るように頭を振った。

 そんな不動へ、雫は紙切れを手渡す。

「これ、連絡先よ。準備ができたら連絡してちょうだい」
「……分かったわ」

 不動はそれを受け取ると、何か言いたげな視線を少しだけ雫に向けたあと、仲間の元へ戻っていった。

「雫! 大丈夫?」
「お姉様、ご無事ですか!?」

 雫の友人達が次々と集まって心配そうな声をかけてくる。いつの間にか復活していた後輩ちゃんも、不動の後ろ姿をキッと睨み付けてから駆け寄ってきた。

「大丈夫、大丈夫。全く知らない人ってわけでもないし」
「だけど、違う日に試合なんて……。個人的にってことでしょ? あんな人だよ? 危なくない?」
「どこかの戦闘民族かと思ったよ。怖かったぁ。鬼のような顔ってああいう人のことを言うんだね。雫、悪いことは言わないから、先生か誰かに相談した方がいいよ」
「そうです、お姉様! あんなむっきむきな人がただの女子高生なわけありません! 女子高生の皮を被った妖怪か何かですよ! 食べられちゃいますよ!」

 誰も彼も不動の迫力と剣幕、そして凶悪な体格と面構えに怯えているようだ。同時に、監督する大人もおらず、もしかしたらルールとて無視されるかもしれない個人的な決闘に、大きな不安を感じているらしい。心の底から、雫を心配していることが分かる。

 が、当の雫は、少々表情を歪めてしまった。

 心配してくれるの嬉しい。だが、それと不動の容姿や体格を悪く言うことは、たとえ彼女の言動的に自業自得なところはあったとしても、聞いていて気分のいいものではない。

 そんな雫の内心に気がつかずに、傍から見れば、完全に絡まれただけというように見えるため、雫の友人達は更にヒートアップして不動を批難していく。

「……みんな、心配してくれるのは嬉しいのだけど、言動への批難はともかく、生まれ持ったものへのそういう言葉は、ちょっと心が痛いわ」
「え、あ、雫……」
「ご、ごめん……」

 雫の痛みを堪えるような表情に友人達はハッと我を取り戻した。他人の痛みを我が事のように感じてしまう苦労性でお節介な雫の性質を、友人達は知っている。同時に、自分達が誰かの陰口を口にすると決まってどこか悲しそうな表情をすることも。

「ううん。もう一度言うけど、心配してくれてありがとう。彼女――不動さんだけど、さっきも言ったとおり、知らない仲じゃないわ。直接話したことはほとんどないけど、全国大会の常連で、何度も試合しているし。悪い人でないのは確かよ」

 苦笑いしながらそう言う雫は、「それに……」と続けてチラリと肩越しに後ろを見やる。

「万が一、彼女が酷い方法を取ったとしても、私は大丈夫よ。怖~い人が、しっかり見ててくれるからね」
「あ……」
「……」

 誰を指しているのかは言わずもがな。友人達は、雫の後ろで静かにしているハジメに視線をやり、チラリと視線を返されてぶるりっと震えた。後輩ちゃんが先輩達を盾にして隠れる。

「確かに、南雲がいるなら大丈夫、なのかな?」
「ある意味、さっきの人の方が大丈夫じゃない気がする」
「お姉様、あの人、絶対二、三人殺ってますよぉ。お付き合いは考え直すべきで――ひぃんっ!?」

 実のところ、「そんな彼氏で大丈夫か」と思っていた友人達だが、さっきの殺人鬼もかくやという眼光と雰囲気を思い出すと、とても頼りにならないなんて思えない。むしろ、雫に手を出そうとする者の末路を想像して、同情心すら湧き上がってしまう。

 その上で、もし後輩ちゃんの言葉が過小評価だと知ったら……。

 言葉の途中で、何故か猛烈な寒気を感じて悲鳴を上げた後輩ちゃん。雫と友人達が一斉にハジメを見ると、

「俺と雫が、なんだって?」
「お似合いのカップルだと思いますぅ! ごめんなさい、許してください! 殺さないで!」

 生まれたての子鹿のように震える後輩ちゃん。薄く笑うハジメの表情に、友人達も冷や汗を流している。

「ハジメ。私の後輩をいじめないであげて」
「別にいじめちゃいない。お仕置きだ。普段の妙な集まりと活動に対する戒めも含めてな」
「ほどほどにお願いね?」
「おう」

 友人達は思った。南雲はやべぇ、そして雫は猛獣使いだ、と。ちなみに、ハジメのドS顔とお仕置きという言葉に、何故かほんのり頬を染めている者がいたのだが……。

 友情のため、雫は気がつかない振りをした。

 その後、残りの試合のため友人達は会場に戻り、雫とハジメも観客席に戻った。団体戦では見事、友人達が優勝を果たし打ち上げが行われた。

 打ち上げでは、空気を呼んで参加しなかったハジメの話で何故か盛り上がり、終始、雫が赤面するという事態になったり、打ち上げ後、わざわざ迎えに来たハジメに再び盛り上がって冷やかされた雫が更に赤面したり、ということがあった。

 さっさと帰るぞと、ハジメに手を引かれていく雫が別れの挨拶のために振り返ったときの表情は、「お姉様至上、南雲ハジメ死すべし」を標語に掲げている後輩ちゃんをして、思わず羨んでしまうほど、幸せそうだった。




 数日後。

 放課後も終わりに近く、そろそろ最終下校時間が迫ってきた頃、、剣道場には道着と防具を身につけた雫の姿があった。

 他の部活の生徒達はほとんど帰宅済みで、いるのは特別に許可をもらった剣道部部員と、見学に来ているハジメだけだ。

「……来たみたいね」

 不意に、入り口の方へ視線を向けた雫に、せっかくだからと練習を継続していた部員達は、不思議そうな表情をしながら視線を転じる。

 数秒ほどして、道場舎の入り口にぬぅ~と大きな人影が出現した。静かに現れたのに、デデッデッデデン!デデッデッデデン! と、ターミ○―ターのBGMが頭に流れてくる。

 道場舎の扉を掴む指は一本一本が太く、スカートから伸びる足は岩石の如くたくましい。二の腕など、今にもセーラー服が弾け飛んで世紀末に生きるヒャッハー達のノースリーブな肩口になってしまいそうだ。

 そして、その表情もまた……。

 戦意を滾らせているのだろう。眉間に寄った深い溝や、真一文字に結ばれた口元、ギラリッと凶悪に輝く瞳。背負った剣道の防具入れや竹刀袋が、フレイルや金棒に見える。

 まさに、鬼神降臨! といった様子だ。

 思わず「ひっ」と悲鳴を上げて、幾人かの女子部員が尻餅をついてしまったが、相手に失礼だと叱責するのは少々酷というものだろう。

 客観的に見て、どうしようもない事として、普通の人なら十人中十人が恐ろしいと答えることは明白なのだから。

「失礼します。不動明です。八重樫雫との試合のために来ました」

 相変わらず凄まじいギャップを感じさせる可愛らしい声で、これまた礼儀正しく一礼して挨拶する明ちゃん。一瞬、尻餅をついて怯える女子や、後退りする男子部員を見て眉をしかめるが、直ぐに表情を戻す。

 意識は一点。八重樫雫のみ。それ以外は、些事だと決めているようだ。

「どうぞ入って、不動さん。歓迎の言葉は――いらないわね」
「ええ、戦うために来たのだから。準備は?」

 ずんっずんっと一歩ごとに地を揺らしそうな迫力でやって来る不動を、雫は静かに見つめ返しながら「問題ない」と頷く。

 更衣室に案内され、着替えた不動は、そのまま雫の対面に座り、防具をつけ始めた。

「試合の前に、一つ聞いていいかしら?」

 手ぬぐいを頭につけながら、雫が質問する。不動が頷く。

「私に勝つことが目標だと、貴女は言った。本当に、それだけなのかしら?」
「……どういう意味?」
「いえ、私の勘違いならそれでいいのだけど……。どうにも、ただ純粋に剣道の腕で上を行きたいというだけではないような気がして」
「……」

 目標としていた選手と試合ができない。その選手が剣道を止めてしまった。それだけで、あれほどの激高を見せるものなのか……。

 ライバル視していた選手が何らかの事情で試合に出ない、部を止めたという話は少なくない。そのことについて、不満を抱き、あるいは不完全燃焼な気持ちを味わうこともあるだろう。

 だが、不動の見せた感情の大きさは、そういう気持ちだけでは説明のつけにくいものだったように、雫は思った。もっと、己の大切なものを奪われたというような、切実な何かを感じたのだ。

 問われた不動は、僅かに、表情を歪めた。それは雫に対するものか、それとも自分に対するものか。雫には、どちらかと言えば不動自身に対して、というふうに見えた。

「……何でも持っている貴女のような人には分からないわ、持たざる者の気持ちなんて。私には、剣道しかないのよ」

 それだけポツリと零すように言うと、不動は、まるで表情を隠すように面をつけた。

 しばらく、そんな不動を見つめていた雫だが、面の奥から覗く不動の視線に促されて面をつけた。

 剣道部員達が見守る中、二人が場内に入る。流れるように作法を行うと、審判役の部員の「始め!」という合図で試合が始まった。

 途端、

「ォオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 空気が破裂したのかと思うような裂帛の気合いが響き渡った。部員達が一斉に体を竦ませ、比喩ではなく本当に窓ガラスがガタガタと揺れる。

 細かく、流れるようなすり足で雫に揺さぶりをかける不動。

 対する雫は、竦んだ様子も、動じる様子もなく、ただ静かに中段の構えで佇んでいる。

「っ、ォオオオッ!!」

 まるで大樹の如く。そんな印象を抱いて、不動は一瞬感じた己の中の弱気を吹き飛ばすように何度も覇気をぶつける。小刻みに竹刀の先を動かし、視線や足捌きで打ち込みを予測させ、動きを誘おうとする。

 イメージが、浮かび上がる。

 面を打つ。

――胴を決められた。

 面から胴へ。

――小手を打たれた。

 小手から面へ。防がれても押し込んで……

(っ、返え、されるッ)

 どんなイメージをしても、打たれるイメージしか返って来ない。

 剣道を捨てたのではなかったのか。試合などずっとしていないのではなかったのか。それとも、片手間で、ブランクがあって、それでもなお、自分など足下にも及ばないというのか……。

(そんなっ、馬鹿なことっ)

 湧き上がる、言いようのない感情。負けるイメージ。

 それを叩き潰すかのように、不動は、一層、気合いの声を迸らせようとして――

「ォオオ――」
「ィヤァアアアアアアアアアアッ!!」

 突如、走り抜けた雄叫びに、逆に潰された。

 シンと、静寂が落ちた。まるで舎の外にいる虫達まで息を潜めたような、静かなる世界。ただの雄叫びで、世界が雫の領域に塗り潰されたかのようだ。

 迫力だけなら、きっと不動の方が上。

 しかし、心に打ち込まれた〝重さ〟は、雫の方が圧倒的。

 誰もが硬直する中、

「ッ!!!?」

 気がつけば不動の視界に、振り下ろされる竹刀が……

 意識するより早く動けたのは、日頃の鍛錬の賜物だろう。

 パシィィィイインと、竹刀同士が衝突する音が響く。そこでようやく、自分が雫の面を防いだのだと不動は気がついた。

 自分を上回る気合い。認識すらできなかった凄まじい踏み込み。そして、

(お、重いっ!?)

 雫の細身からは考えられないような重さ。連続技に移行せず、打ち下ろしたまま鍔迫り合いする雫の圧力に、体格で勝っているはずの不動は思わず一歩下がってしまう。

「あ、あれ。雫、だよね?」
「そのはず、だけど……」

 女子部員達から困惑の呟きが漏れた。雫のスタイルが、流麗な足捌きと速度を最大限に生かした多彩な技による〝技巧の剣〟であることは周知の事実。自ら鍔迫り合いに持ち込み、そこから技を繰り出すこともなく力押しするようなやり方は見たことがない。

「目は、覚めたかしら?」
「っ、八重樫っ」

 至近距離から自分を見つめる雫の、その言葉で、不動は呑まれかけていた自分に気がつく。ギリッと歯を鳴らすと絶叫を上げながら雫を押し返した。

 雫は逆らわず、ふわりと身を引いた。そして、また静かに中段の構えを取る。

 その様子に、不動はギリリッと歯を食いしばった。

「敵に塩を送るなんて、随分と余裕ね」

 思わず、そんな悪態が出てしまう。雫は、静謐な眼差しのまま。

「何のための試合かしら? 今は、言葉を交わす時じゃない」
「っ、分かってるわ!」

 静かな返しに、不動は恥じたようにカッと顔を染めると、今度は猛然と襲いかかった。

 無駄な力みや、己のイメージに萎縮しかけていた精神が復調し、縦横無尽にして、女子高生にあるまじき重さの打ち込みが繰り出される。

 連続した、柏手のような澄んだ衝撃音が道場舎に木霊する。

 嵐のような打撃を、雫はときにかわし、ときに逸らし、ときに受けて、その圧力も利用してまたかわす。不動の足捌きが流れる水のようだというのなら、雫のそれは風を受けてふわりふわりと宙に舞い踊る木の葉というべきか。

 有効打が決まらない。

 普通なら圧倒的なプレッシャーと止まらない攻勢に精神と体力を削られ隙を晒すはずなのに、息が上がり始めているのは不動の方。面越しでも分かる。汗一つ掻かず、僅かにも乱れていない呼吸。

 焦りが、不動の一撃を甘いものに変える。

 するりと、雫が踏み込んだ。

「メェンッ!」
「ぁ……」

 スパァンと、いっそ耳に心地良いとすら感じる音が響いた。残心する雫が、不動の背後で静かに振り返り構える。

 不動は動けない。あまりにも綺麗に決められてしまったが故に。ただ、呆然と目を見開くしかない。

 それは、審判役を含め、他の部員達も同じようで、誰もが固まっている。まさか、学校に復帰してから一度も試合をしていない雫が、ブランクを感じさせないどころか、以前とは比べものにならないほど強くなっているなどと誰が思うだろうか。

 強い、というだけではない。何事も、極みというものは美しさを感じるものだというが、まさにそれだ。雫の剣道には、もはや感動すら覚える〝美しさ〟があった。

「審判」
「あ、えっと、め、面有り一本!」

 その言葉で、不動も我を取り戻す。

 呆然とした表情のまま、しかしその直後には、向かい合い静かに構えを取っている雫を見て、その表情を盛大に歪めた。それはまるで、認めたくない現実に直面したような、受け入れ難い何かを突きつけられたような、そんな表情。

「セェアアアアッ!!」

 不動が飛び出す。再び猛攻が始まる。

 だが、やはりその剣は届かず、残酷なほど冷静に防がれ、逸らされ、避けられる。

 そして、

「メェンッ!!」

 再び、一切の言い訳ができないほど完璧に、雫の面打ちが決まった。澄んだ打撃音が木霊する。

 不動は、ガクリと膝を突いた。それは衝撃で脳震盪を起こしたから、などという理由ではない。心が折れたから。崩れ落ちたのだ。

 試合終了後の礼法を行おうとしない不動に、審判役の部員が困惑する中、雫は竹刀を納め、面を取って口を開いた。

「不動さん。私が剣道部を辞めたのはね、これが理由なの」
「……」

 肩越しに、僅かに振り向いた不動に、雫は続ける。

「行方不明になっていた間、私は遊んでいたわけではないわ。それこそ、死に物狂いで腕を磨いた。そうしなければならなかったから。剣道は辞めても、実家の剣術だけは今も続けているのよ。だからね、私の剣はもう〝剣道〟にとって、剣道部の人達にとって、毒にしかならないのよ」
「……つまり、自分は強すぎるから、誰も相手にならないと? 相手にする価値もないと?」
「っ、そうじゃないわ。同じ剣の道でも、進む方向が違うと行っているのよ。そんな私を目標にしても、むしろ貴女の剣を歪めることに――」

 どうにか言葉を尽くそうとする雫。

 何かと復帰を促してくる剣道部の友人達にも、この際、復帰しない理由を明かそうと同席を許したわけであるが、自分が傲慢とも取れることを言っている自覚はある。

 なので、不動に話しながらも、友人達に嫌われないだろうかと不安の色が表情に影を差している。

 そんな雫を見て、部員達は、そういうことかと納得する者と、何とも言えない複雑な表情を見せる者、「流石お姉様です!」と瞳の中の煌めきを増す者に分かれた。が、そこに明確な不快感はないようだ。雫の人柄と、築いてきた情がそうさせるのだろう。

 だが、不動は、そういうわけにもいかないようだった。

「どうして、どうしてよっ。私には剣道しかない! 剣道しかないのに! 全部捧げて来たのにっ。どうして何でも持ってる貴女なんかに! 簡単に捨ててしまえる貴女なんかにっ!」
「不動さん。それはどういう……」

 面も取らないまま、ポロポロと涙を零し始めた不動に、雫が問う。

「貴女が妬ましい!! 美人で、スタイルがよくて、誰からも慕われて! その上、私が全てを捧げてきた剣道でも、簡単に上を行って! 私の欲しいものは何でも持ってるのに! なのに、なのにっ、私の大事な剣道を、男のために簡単に捨てて! 捨てたくせに、それでも私より強いなんて……そんなの、あんまりよ」
「……」

 正面からぶつけられた妬む心。

 不動明の容姿と体格は、初対面の人間に必ずといっていいほど恐れを抱かせる。幼少の頃からそうだった。どれだけ心が女の子でも、外見が女の子らしくすることを、そう見て貰うことを許さない。

 女の子らしくすれば微妙な顔をされ、酷い時には嗤われる。ただ歩くだけで、すれ違う人にギョッとした表情を向けられる。可愛いもの好きなのに、似合わないと揶揄される。

 明確な悪意に、一体どれだけ心砕かれたことか。何気ない言動に、どれだけ傷ついて来たか。好きになった男の子の、実はされていた陰口に何度心抉られたか。不動明の心は、間違いなく女の子なのだ。そんな彼女に、世界は余りに残酷だった。

 何より辛かったのは、辛いと感じている自分を見て、辛そうにしている両親を見ることだ。愛情がないわけではない。むしろ、溺愛されていると言ってもいい。だからこそ、娘が悩んでいることに悩む両親に、罪悪感が募った。

 故に、だろう。武道の道に足を踏み入れたのは。

 いつもまでも自分の姿に悩んでいても仕方がない。ならば、こんな自分でも似合う世界に踏み込んでみよう。そして、自分で自分を認められるように、その道で一番になろう。

 そう決めたのだ。

 だが、出会ってしまった。踏み込んだ世界には、彼女がいた。

「どうして貴女はそんなに綺麗なの? どうして貴女はそんなに強いの? どうして貴女はそんなに愛されているの? 私はこんななのにっ、不公平でしょう!?」

 詳しい事情を知っているわけではない。だが、その言葉だけで、雫は察した。不動明が経験してきたであろう日常を。辛い出来事を。

 ふと、よみがえるのは、ずっと昔に投げつけられた言葉。

――あんた、女だったの?

 胸が締め付けられる。雫は、涙を流す不動明に、過去の自分を重ねてしまった。湧き上がる衝動のまま口を開こうとする。

 しかし、その想いが言葉になる前に、

「……傷つけばいいんだわ。貴女も、私と同じ苦しみを味わえばいい!」

 そんなことを言って、瞳の奥に嫉妬と憎悪の炎をちらつかせた不動は、制止の言葉をかける間もなく道場舎を飛び出していってしまった。

「不動さんっ、待って――」

 咄嗟に追いかけようとする雫だったが、その手を掴む強い力に引き留められる。バッと振り返れば、そこにいたのはずっと黙って見ていたハジメだった。

 焦燥を浮かべて、手を離してと訴える雫に、ハジメは真剣な眼差しで言った。

「心配するな、雫」
「ハジメ……」
「奴は、俺が仕留めてくる。心の上手な砕き方なら、他の誰にも負けねぇ」

 ハジメさん、どうやら泣きながら飛び出していった女の子に止めを刺しに行くつもりらしい。

 取り敢えず、

「止めなさいっ、この魔王っ!!」

 スパァンッと、荒ぶる竹刀が魔王の頭部にツッコミの面を入れた。「いてっ」と言いながら前のめりになる魔王様。

 一連の出来事に呆然となっていた剣道部員達も、ハジメの言葉にドン引きしたような、あるいは戦慄しているような眼差しを向けている。

 ハジメは自分の頭を撫でながら雫を見た。

「ちょっとは落ち着いたか?」
「え?」

 キョトンとする雫に、ハジメは苦笑いを浮かべながら続ける。

「テンパった奴を、テンパった奴が追いかけてどうしようってんだ? 取り敢えず、落ち着け」
「あ……」
「大体、容姿にコンプレックスがある奴に、お前みたいな美人が何を言ったってな、大抵の場合、碌な事にならねぇんだよ」

 自分の容姿に自信がない者に、「大丈夫、人は顔じゃないよ!」と訴える誰もが認める容姿端麗な者――「てめぇ、馬鹿にしてんのか!?」となること請け合いだ。

 雫の体から力が抜ける。だが、納得した様子でもない。

「だからって、放っておけというの? そんなこと――」
「だから落ち着けというに。あいつが抱えているもんは、お前がその場の勢いで贈ったような言葉で解決するほど軽いもんなのか?」
「それは……」

 言葉に詰まる雫。ハジメは腕を放すと、代わりにその手を雫の頬にやって、落ち着かせるようにふにふにっと摘まむ。

「少し時間をおいた方がいいんじゃないか? それで、あいつが引き籠もるようなら何度でも会いに行けばいいし、何らかの行動を起こすなら受け止めてやればいい。どっちにしろ、今すぐというのは、お互いに良いことはないだろう」

 雫が昔の自分を重ねて動揺したことを見抜いていたらしいハジメの忠言に、雫はしゅんと項垂れながら頷いた。

「そんな顔するなよ。取り返しのつかないことにはならないよう、俺も気にしておく。だから、次にあいつに会ったとき、どんな言葉を贈るか、どんな態度を取るべきか、じっくり考えとくといい。ほら、取り敢えず、今日は帰るぞ。着替えてこい」
「うん……」

 上手くできなかったことを悔やんでいるのか、それともどうするべきか悩んでいるのか。どこかしょぼんとした様子で、とぼとぼと更衣室へ消えていく雫を、ハジメは困ったような表情をしながら見送る。剣道部員達は、普段自分達には決して見せない雫のしょぼんとした姿にちょっと悶えているようだ。

「ね、ねぇ南雲。止めないの? 彼氏でしょ?」
「そ、そうだよ。会いに行くとか、受け止めるとか絶対に危ないじゃん! あの人の様子、普通じゃなかったよ!」

 どうにかしようとしている雫の背中を押すようなハジメの言動に、雫の友人達が言い募る。

 不動の最後の様子は、確かに尋常ではなかった。試合を申し込んだときとは異なる、もっと強い負の感情が溢れ出たような、そんな異様な雰囲気。どう考えても、何か雫に対して良からぬことをしそうだ。

 普通なら、もう関わるなと止めるべきだろう。いくら雫が強いとはいえ、わざわざ危険に向かうことを許容する必要はない。彼氏ならばなおさら、恋人をそんなことに関わらせるべきではない、と女子達は言い募る。

 が、そんな彼女達に、ハジメはあっけらかんと言い放った。

「あいつの世話焼き、苦労性は筋金入りだ。しょうがないだろ」
「しょうがないって……彼氏のくせに適当すぎない?」
「いいんだよ。雫は、雫のしたいようにすればな。他人の世話を焼いて、それで苦労を背負ったなら、その倍、俺が雫の世話を焼いて、苦労を背負って、ついでに甘やかす。それが俺の役目ってことだ」
「……」

 女子達の表情が、もにゅっとした。何だかもの凄く甘いお菓子を無理矢理食べさせられたような表情だ。男子は男子で、感心半分、取り敢えず南雲死なねぇかなという嫉妬半分といった表情である。

「そんなことより、一つ、ちょっとした問題があるんだが……」
「え、な、なに?」

 何故か、ちょっとどもりながら女子の一人が聞き返す。ハジメは頬をポリポリと掻きながら、

「不動のやつ、道着のまま、っていうか防具つけたまま飛び出していったろ。制服とかどうするよ?」
「あ……」

 出入り口を見れば、靴も残されている。日も沈んだ時間に、裸足で、剣道の面以外全て装備したまま、泣きっ面で爆走する巨大な女子……。町内に新たな都市伝説が囁かれそうだ。

「不動本人は流石に取りに来れないだろう。あいつの学校の剣道部員にでも返すとして、男の俺が女子の制服を持っていくのは問題だろう」
「雫なら自分が返しに行きたいって言いそうだけど……さっきの話だと、雫に行かせるのは微妙だね」
「ああ。というわけで、おい、そこの後輩」

 ハジメの視線が、後輩ちゃんをロックオンする。思わず「はひっ!」と変な返事をして飛び上がる後輩ちゃん。

「明日の朝、不動の学校に制服を届けに行け」
「え? 明日の朝って……あの、普通に授業ありますよ?」
「ああ? だから、朝一で来て制服を回収して、相手の学校に行って、授業が始まる前に戻ってくりゃいいだろ。ああ、持って帰るのはダメだぞ。万が一、取りに戻ってきたらあれだからな」
「あ、あの、先輩。向こうの学校、結構離れているんですが……」
「みたいだな。で?」
「あ、あの、私の家も、それなりに距離があるので、トータルするとかなりの時間が……」
「そうか。で?」
「……うぅ。せめて放課後じゃだめですか?」
「おいおい、もし不動が予備の制服を持っていなかったらどうすんだ? 朝一で届けてやりゃあ、最悪、登校してから着替えられるだろうが。それを放課後にって……お前、残酷な奴だな」
「ど、どの口でぇ」

 ぐぎぎぎぎぎっと歯軋りする後輩ちゃん。反抗的な態度だ。実にけしからん。普段の度の過ぎた悪戯と合わせて、実に良くない。

 ハジメはにっこり笑みを浮かべながら、意識の間隙を突くような踏み込みで接近し、後輩ちゃんにアイアンクローをかました。ミシリッと嫌な音が……。

「あだっ、あだだだだっ。せ、せんぱい!? 頭が、頭がわれ――」
「おい、後輩。ミッションをクリアしたら、今までの悪戯も許してやろうと言うんだ。なんか不満でもあんのか?」
「はひっ、ありませんです! 頑張ってミッションをコンプリートするでありますぅ!」

 哀れ、解放された後輩ちゃんは、まるで暴漢にでもあったように足を揃えて崩れ落ちた。「お姉様、これも試練なのですか?」と呟く後輩ちゃんの前で、罪悪感の欠片もなく仁王立ちして「失敗したり、さぼったりしたら……分かるな?」と追い打ちをかけるハジメ先輩。

 さっきまでの雫に対するいろんな意味で甘い言動とのギャップが凄まじい。

 部員達が再び戦慄を覚える中、

「……何してるの? というか、なんでみんな着替えないの?」

 と、制服に着替えた雫が訝しそうな表情でやって来た。

「いや、なんでもない。……な?」

 ハジメが笑顔で剣道部員達を見渡す。

「「「「はい! なんでもありません!」」」」

 剣道部員達の心は一つだった。八重樫雫の彼氏に逆らってはいけない。

 なんとなく察したらしい雫が、ハジメに呆れたような眼差しを送り、ついで部員達に申し訳なさそうな表情をするが、何か言う前に、「さ、帰るぞ」とハジメに手を引かれて連れて行かれてしまった。

 出入り口で振り返り、「また明日!」とだけどうにか言った雫がフェードアウトする。

 静かになった道場舎に、

「うぅ、女の子の顔面をよくもぉ。この恨み、はらさでおくべきかっ」

 と、懲りない後輩ちゃんの恨み言が木霊した。
いつもお読み頂ありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。

もうちょいだけ雫編です。

ちなみに、雫が気合いの声返しをしたシーンですが、バンブーブレードのタマちゃんがキレッキレしたシーンを想像してました。アトミッ○ファイヤーブレード……白米はいろんな意味で震えました。
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