ありふれたアフターⅡ 優花編 夢と愛と希望のぉ――
ルポライターという職業は、面白いテーマを見つけては取材し、それを記事として報告する仕事だ。
私こと浜田翔太(28歳)は、そんなルポライターの一人である。主に町の隠れた名店や名物を紹介している。……くいっぱぐれるようなことはないが、売れていることもないので、時にはゴシップに走ることもある。
そんな私が最近注目しているのが、洋食店『ウィステリア』だ。町の隠れた名店というやつで、料理・コーヒー共に満足できること間違いなしの店である。
本来なら正式に取材の依頼をして、自慢の料理の数々について詳細を聞かせてもらうところなのだが、現在のところ私は、
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「あ、うん。このオムライスと、ジャスミンティーを。それと食後はブレンドも頼むよ」
「オムライスとジャスミンティー。食後にブレンドですね? ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」
というように、普通に客をしている。もちろん、私がルポライターであるということも、取材願望があることもお店側に伝えていない。
私は、その理由の一つである彼女――たった今、丁寧に注文を取ってくれたこの店の娘である園部優花ちゃんの後ろ姿を見つめた。
スタイルは、かなりいい方だろう。染めているらしい栗毛を一つにまとめて姿勢よく歩く姿は、不良少女っぽい見た目に反して真面目な印象を受ける。こうして休日に店をお手伝いをしていることもそれを示している。現役女子高生だが随分と落ち着いた雰囲気だ。それがまた大人っぽい。
切れ長で、ともすれば他者を睨んでいるようにも見える鋭い目元も、お客と話すときにはふんわりと緩められ、それがギャップとなってまた好印象を……
ハッ!? 向かいの席のご婦人がとんでもない目つきで私を睨んでいる!? ち、違います! 決してやましい気持ちで見つめていたわけではありません! 本当ですとも! だから、そんな女子高生を狙う変態を見るような目で見ないでください!
ご婦人は警戒心を残したまま視線を逸らした。優花ちゃんと名前で呼び合っていたことから、おそらく常連さんだろう。この店には優花ちゃんを実の娘、あるいは孫のように思っているらしいご年配の方々が非常に多い。
向かいの席のご婦人どころか、いつの間にか隣の席で犯人を取り調べる叩き上げの刑事のような眼光を飛ばしてくるおじさんや、店の奥の席で新聞を読みながら、その実、新聞に空けた穴から私を監視している探偵の如きご老人などもいるくらいだ。
……みんな、彼女が心配なのだろう。少し前に彼女の身に起きたことと、今、彼女の周りに起きている騒がしいあれこれのせいで。
もちろん、心配というだけでなく、それだけ彼女が魅力的な女の子であるという――
「お待たせしました。ジャスミンティーです」
「あ、ど、どうも」
しまった。思いっきりどもってしまった。優花ちゃんが私の挙動不審な態度に小首を傾げている。キョトンとした表情がまた……
「どうかされましたか?」
「い、いや、なんでもないよ」
プロのルポライターでありながら何という醜態か。一回りも下の少女に何を動揺しているんだか。私は咳払いを一つ。意識を仕事モードに切り替える。必要なのは些細なことも見落とさない観察力。そして、そのための集中力。
「ところで――」
さりげなく、ちょっとした情報を引き出せないかと口を開きかけた私だが、その前に、来店を知らせる店の鐘がチリンチリンと鳴り響いた。
当然、優花ちゃんの視線はするりと私から外れる。彼女は入ってきた人物に、一瞬だけ僅かに目を眇めると、私へと向き直り一礼して行ってしまった。
なんとなく、ご婦人の視線を感じながらも優花ちゃんの鋭くなった視線が気になって来店した男に目を向ける。よれよれのジャケットを着て、大きな肩下げカバンを下げた無精ひげの多い男だ。私のプロとしての嗅覚が、その男の正体を匂わせる。だとすれば、彼の目的はやっぱり……
「――ですから、そういった取材は受けないと何度も言っているじゃないですか。店にまで押しかけてこないでください」
「まぁまぁ、そう邪険にしないでくださいよ。そう頑なになられちゃあ、こちらも何かあるって思わざるを得ないんですよねぇ。ほんの五分程度でいいんですよ。もちろん閉店後にね? ちょっとだけ聞かせてくださいよ――君達、〝帰還者〟について」
ビンゴ。やはりそれが理由の同業者だ。
――帰還者
それが彼女を取り巻く状況を複雑にしている原因だ。
優花ちゃんは一年以上前にクラスメイトと共にその行方が分からなくなった。当時は白昼の学校で起きた神隠しとして随分と騒がれたものだ。かくいう私も興味を惹かれていろいろ調べたりした。
が、数多くの専門家が調査したにもかかわらず、結局、彼女達が消えた原因も行方も分からずじまいだった。
あるいは、そのまま人々の記憶から消えてしまうかと思われたが、少し前に、優花ちゃん達はひょっこりと帰ってきた。ほとんどの生徒達と共に。
彼女達がどこにいたのか。当然、警察のみならずあらゆる公的機関や報道機関が詰め寄ったが、そんな彼等への回答は――異世界にて邪神率いる軍勢と戦っていた、というもの。
精神異常、あるいは薬物による洗脳が疑われるのは当然。幾度もの検査が行われたようだが、結局、彼女達に異常は見当たらず、多くの機関がこう結論づけることになった。
――神隠しにあった彼等は、空白の一年のことを隠そうとしている
と。報道は過熱し、公的機関の追及も強くなったようだ。帰ってこなかった生徒もいるのだから、当然といえば当然だろう。
しかし、ここで異常事態が起きる。ある日を境に、まるで潮が引くように彼等への追及が収まっていったのだ。
私のようなフリーのルポライターにすら、業界仲間や先輩、懇意にしている出版社の人から、「この件には関わらない方がいい」という忠告をいただいた。何か、私のような個人には計り知れない大きな力が働いたのだろう。
それでも、好奇心や、それ以上の野心故に止まらない人間などいくらでもいるわけで、そんなどうしようもない連中の一人が私であり、そして彼なのだ。
「いい加減にしてください。これ以上は営業妨害ですよ」
「……はぁ。分かりましたよ。それではまた後日伺います。そのときには、胸の内を話してくれると嬉しいですねぇ。君も、いつまでも帰還できなかったお友達のことを抱えているのは辛いでしょう?」
「……」
店内が、ざわりと不穏な気配に包まれた。ご年配方から絶対に堅気じゃない雰囲気の眼光が放たれている! あの男、ここで死ぬ気か!?
流石に、店内の空気が異常なことに気が付いた男は、僅かに頬を引き攣らせながら撤退を急ぎ始めた。胸元から名刺を取り出すと、無理矢理優花ちゃんに持たせる。
「勘違いしないでほしいのですがね、私は君の力になりたいと思っているんですよ。まだ学生の身で、大きな荷物を抱えるのはさぞかししんどいでしょう? 私でよければ、いつでも話を聞きますよ」
そんなことを、見るものが見れば分かる胡散臭い微笑みを浮かべながら言って踵を返した男は、最後に優花ちゃんの様子を見るためか、出入り口の扉に手をかけながら振り返った。
刹那。
「あ~、そうそう。君の――」
――スパンッ
男の言葉は止まった。否、止められた。
振り返ろうとした男の目元を掠めるようにして飛来し、そのまま冗談のように扉に刺さった自身の名刺によって。
いや、本当に、なんの冗談だろうか。見れば、優花ちゃんは片腕を組んだ状態で、もう片方の手の指を二本揃えるようにして男へと向けている。まるで、指の間に挟んだ名刺を投擲でもしたように。
……前に、トランプカード投げで野菜を切断するテレビ番組を見たことがある。だから、本当に冗談みたいな光景だが、卓越した技術があればできないことはないのだろう。
たとえ、名刺がトランプカードよりずっと厚みのある紙で、刺さった扉が堅い材質の木製であったとしても。たとえ投げたのがそれを生業とするプロではなくて、休日に家のお手伝いをしている女子高生だったとしても!
男の視線が出入り口の扉に刺さる名刺へとゆっくり向けられる。既に誤魔化せないほど頬が引き攣っている。
そんな男へ、優花ちゃんが凛とした声音で言葉を放った。
「ご心配どうも。ですが、私、こう見えても結構強い女なので、自分で背負うと決めた荷物くらい最後まで自分で背負いますよ。それに……」
優花ちゃんがふんわりと笑った。そこにあるのは全幅の信頼? 何の憂いも心配もないと誰が見ても分かる、表現の難しい魅力の詰まった笑顔。
「いざってときは、どうにかしてくれる人を知っていますから」
だから、その名刺を持ってさっさと帰れ。魅力的な笑顔の中に潜む無言の圧力。ああ、確かに、あんな笑顔と眼差しで命令されたら逆らう気も起きない。
「そうかい。後悔しないといいね」
精一杯の捨て台詞だったのだろう。乱暴に名刺を引き抜いた男は苛立ちを隠しもせずに出ていった。
ふぅと息を吐いた優花ちゃんは、厨房やカウンターからずっと様子を見守っていたご両親に軽く頷いた。ご両親も軽く頷き返すと自分達の仕事へと戻る。
「ええっと、お騒がせしました。どうもすみませんでした」
客席に向けてぺこりと頭を下げる優花ちゃん。常連たちが我先にと「気にしないで」「大丈夫だよ~」「次に来たら、おっちゃんが部下に始末させるよ」と声をかけている。常連でない客も、先程の優花ちゃんの凛とした姿と笑顔に当てられたのか気にした様子はない。
むしろ、チラチラと興味深げに視線を寄こしている。それは彼女が〝帰還者〟であるが故、というよりも単純に優花ちゃん自身に興味が出たという感じの眼差しだ。
うむ、こうして優花ちゃんの中毒者が増えていくんだな。かくいう私も、先程の優花ちゃんには――
ギンッとご婦人から視線が飛んできた。あのご婦人は絶対にエスパーだ。
ところで、どうにかしてくれる人って誰のことだろうか?
さて、優花ちゃんが実はカード投げの達人だったという驚愕の事実を知った日から一週間ほど。
私はその間も四回ほどウィステリアに通い、優花ちゃんを観察した。
……いや、ストーカーじゃない。あくまで仕事だ。隠密取材だ。優花ちゃんには悪いけど、私もプロである以上、容赦はしない。常連たちの尋常でない視線にも、優花ちゃんの笑顔という砲撃にも耐えて、彼女がボロを出さないか張っていたのだ!
結果は虚しく、完全空振り。彼女に怪しいところはなく、遊びに来る同級生達にも怪しいところはない。
分かったことと言えば、彼女はやはり真面目な女の子で、可憐で、カード投げどころかボールペン投げから野菜スティック投げまでなんでもござれの投げマスターだったということくらいだ。
私は、ボールペンでもスマートフォンを貫通できるという事実を初めて知った。
それをされたクラスメイトらしい男子生徒と優花ちゃんは、
「園部ぇ!? なんてことしやがる!? おれのスマホがご臨終じゃねぇか! あいつの愛人だからって調子に乗んなよ!?」
「黙れ、馬鹿玉井っ。愛人違うし! あんたらがそういうこと言うから、最近、ユエさん達に変な目で見られるんだからね!?」
「だからってこれはないだろ!? あぁ、南雲にケツ貫かれたティオさんみたいになってんじゃねぇか。俺のスマホは串刺しにされても喘いだりしねぇんだぞ。くそぉ、データだけでも取り出せっかな? おい、園部、責任とって南雲に頼んでくれよ。あいつも愛人の頼みなら――」
「ふんっ」
「あぁ!? にんじんと大根とキュウリが俺のスマホをめった刺しにぃ!?」
なんとも学生らしい喧嘩を繰り広げていた。
私は、野菜スティックでもスマートフォンを貫通できるという事実を初めて知った。
いくつか気になるワードが叫ばれていたようだが、顔を真っ赤にして怒る優花ちゃんが何だか可愛くて覚えきれなかった。
それにしても、〝アイジン〟とはどういう意味だろう? いやぁ、最近の若い子の言葉はよくわからないなぁ。
私はそんなとりとめもないことを思い出しながら、今日もウィステリアへと足を向ける。
帰還者の情報を無しにしても、あの店の料理は実にいい。店の雰囲気も落ち着いているので、食後のコーヒーを飲みながらゆったりすることもできる。厳しい業界に身を浸していると、こういう店でのひと時が凄く癒される。
私の前方にウィステリアが見えてきた。落ちついた店構えに、大きくオシャレな看板が見える。時刻は夕方で、茜色の夕日に照らされたウィステリアは、ともすれば別世界への入口にも見えた。
「なに言ってんだか」
彼女が神隠しに遭ったからだろうか。そんなあり得ない想像を口にして、自分に自分でツッコミを入れる。ちょこっとだけ、もう普通に店の取材でいいんじゃないかと思っていたりする。
店の雰囲気と料理、コーヒー、そして美人女子高生が未来の二代目~
うん、十分話題になりそうだ。もっとも、それをしてしまうと、必然的には優花ちゃんの素性がばれて〝帰還者〟の問題にシフトしてしまいそうだけど。
苦笑いしつつ、もう少しで到着というところで、不意に見慣れた女の子が店から出てきた。優花ちゃんだ。
「なんだ? 変な雰囲気だな……」
優花ちゃんは携帯を片手に、どこかに電話しながらスタスタと私が来たのとは別の道へと歩いていく。
私は妙に気になって、結局店には入らず、そのまま優花ちゃんの後をついていくことにした。
優花ちゃんは途中で電話を切ると小走りになった。
……い、意外に速い。仕事がら足腰には自信のある私だが、十分もすると息が切れ始めた。原因は一つ。一見すると小走りしているように見える優花ちゃんだが、その実、一歩の踏み込みが凄くてぐんぐん加速するのだ。必然的に、私はほぼ全力疾走である。
優花ちゃん。君は投げマスターなだけじゃなくて、小走りマスターでもあったんだね。
ぜぇ~ぜぇ~と息を荒らげながら、女子高生の後を必死に追跡する男。傍から見たら確実にアウトだろう。どうか通報されませんようにと祈りながら駆けることしばし。
優花ちゃんは、とある売り物件となっている無人のビルへと入っていった。
「こんな日も沈む時間に、こんな場所へ、いったい何の用なんだ?」
私はキナ臭さを覚えつつ、優花ちゃんに何かあったとき、いつでも通報できるように携帯を片手に握り締めた。同時に、特ダネの気配も感じていつでも携帯しているカメラを取り出す。
周囲に人がいないことを確認しつつ、慎重にビルの中へと踏み込んだ。
元は事務所にでも使われていたのだろう。一階部分は広々としていて、その中央に優花ちゃんの姿があった。
私は柱の陰に隠れて様子を見守る。
するとほどなくして、建物の奥から五人の男が現れた。全員がスーツを着ている。どう見ても堅気の人間ではない。
「来たわよ。それでうちの店のお客さんはどこ?」
今ので察した。優花ちゃんはあの怪しげな連中に呼び出されたのだ! お客さんを人質にされて! いったい連中は何者なのだろう? 誘拐に監禁なんて尋常な事態じゃない。
私は無言でシャッターを切った。
「慌てないでほしい。私達は誘拐なんて真似はしていない。彼等は普段通り、夕食でも食べている頃だろう。ただ私達の同僚が近くで張り込んでいるというだけで」
「あっそ。で? 私にどうしてほしいわけ?」
とんでもない状況だというのに、優花ちゃんは上着のポケットに手を入れたまま、いつの間に口に含んでいたのかチューイングガムをぷくぅと膨らませている。その表情には恐怖や焦燥は皆無で、どちらかといえば呆れの色が強いように見える。
一見すると、大人を舐め腐った不良少女――というふうに見えなくもない。
実際、相手はそう感じたのか、僅かに顔をしかめたようだ。
「以前から言っている通り、私達に協力してほしいだけだ。君達が有する能力について、そしてそれが与えられた方法、場所について」
「はぁ。それで、どうしてこんな手を使ってまで呼び出したのが私なわけ?」
彼等が帰還者の情報を狙う者達というのは会話の流れから分かった。だけど、帰還者は何も優花ちゃんだけではないのだ。何故、他の生徒達ではなく彼女なのか。
その答えが、男の口から放たれた。
「どうしても何も、君はあの少年の愛人だろう?」
「……」
また出てきた。〝アイジン〟という言葉。何かの隠語だろうか? ははっ、まったく分からないなぁ~。あれ、優花ちゃんはどうしてそんなに赤面しているのだろう? 先程までのクールな姿はどこにいったんだい!?
なんだかぷるぷると震えている優花ちゃんを尻目に、男は続ける。
「あの少年の異常性は重々承知している。彼や彼の身内へのアプローチも無理だった。私達の同僚が次々と〝転職〟していくだけだ。他の生徒達では影響力は弱いように見える。だが、君は違う。身内の枠からは外れているが、あの少年と特別な関係にある。君の言葉なら、あの少年も無下にはできない」
特別な――え? なんだって? そこよく聞こえなかったなぁ。
「君には私達が指示する通り、彼に願い出てほしい。それだけだ。それだけで、君の店のお客はみんな、何も知らず君の店に通える――」
「取り敢えず、そのあ、あ、愛人っていうの。誰から聞いたの?」
俯いたまま相変わらずぷるっぷるしている優花ちゃんの質問。男は「なぜそこが気になるのか?」と言いたげに片眉を上げつつも答える。
「主に君の学友達と、後は君のご両親だが? 普通に店でそう話しているし、買い出し先での会話でも、愛人ではなく普通に結婚をしてほしいと悩ましそうに話していると報告が上がっている」
「……みんな覚えてなさいよ。私の野菜スティックはスマホに飢えているわ」
どうやらいつぞやの少年のスマホのように、クラスメイト達とご両親のスマホは野菜スティックの餌食となるらしい。
顔を上げた優花ちゃんの目が据わっている。切れ長な目を持つ美人顔なだけに、そんな表情になるとえらく迫力がある。正面の男が一瞬たじろいだように身じろぎした。
「と、取り敢えず、私達の〝協力依頼〟には従ってもらえるな?」
「従わないと、ランダムにうちのお客さんが不幸な目に遭うって?」
「……」
無言の返答は肯定の証。
私はいよいよとんでもないことになったと、一度その場を離脱して通報を決意した。頭に過るのは、突如鎮静化した帰還者騒動と同業者達の忠告。加えて、あのスーツの男達の口ぶりや経験則上感じる雰囲気からは公的機関の人間である可能性が高い。
警察への連絡は無駄かもしれない。それどころか、通報者=目撃者という理由で、私の身も危ないかもしれない。
だけど、このままにすることはできない。優花ちゃんは危険を承知で、お店のお客さんのために単身やって来たのだ。一回りも年下の女の子が、他人のために勇気を振り絞ってやってきたのだ! ならば、私だってできることをしないわけにはいかない!
なぜなら、私だってウィステリアを愛する客なのだから!
(優花ちゃん。どうか相手を刺激せず、もう少しだけ頑張って――)
ヒーローのように飛び出していけないことに歯噛みしながら、私は通報時の声が届かない場所まで退避しようとした。
だが、それは叶わなかった。
「うぐっ」
「……まったく。あんたらネズミは、どこにでも入り込んでくるな」
私は捕まってしまった。私の背後にも彼等の仲間がいたのだ。首に腕をかけられ締め上げられ息が詰まる。片手で体をまさぐられ、カメラとスマホを取り上げられた。引き摺られるようにして柱の陰から連れ出される。
騒ぎに気が付いたのか、優花ちゃん達がこちらを見る。男達は苦々しい顔を。優花ちゃんは「なんてこった」と言いたげな表情を。いや、私が言うのもなんだけど、優花ちゃん、もう少し別の反応があってもいいんじゃ……。君の肝の据わり方はどうなっているんだ?
「その人、一応、うちのお客なんだけど?」
「ルポライター、浜田翔太。どうやら君の周囲を調べていたようだ」
取り上げられた名刺から素性がばらされた。優花ちゃんは、私が騙していたと知ってどんな表情をしているのだろう。苦しさで霞む視界に映る彼女の表情は……あ、うん、いつも通りだね。なんとも思ってないね。クールで素敵だ。泣いていいかなぁ。
「その人の素性はどうでもいいんだけど。で? その人どうするの?」
「……君が知る必要のないことだ。取引は成立とみていいな? なら、早く店に戻るといい。今後のことは改めて連絡する。君の協力に感謝する」
どの口で言うんだ? まだ学生の女の子を脅しておいて!
私の中に言い知れぬ怒りの感情が渦巻く。自分がこれからどうなるのか。もちろんその恐怖もある。頭の中はもうめちゃくちゃだ。どうすればいい? どうすればいい!? そんな言葉ばかり流れては消えていく。
絶望的な状況の中、ふと声が響いた。優花ちゃんの声だ。
「……あ、うん。こっちは平気だけど。あ、そう、終わったんだ。OK」
男達が訝しそうにしている。私もだ。何故なら、優花ちゃんは虚空に話しかけているのだから。
突然のことに、私は混乱するばかりだったが、どうやら男達は違ったらしい。何かに思い当たったのか血相を変えると懐に手を入れた。
「チッ。なにかの能力か!? 大人しく――」
「うっさい」
辛辣な優花ちゃんの言葉。直後、二人の男が短い悲鳴を上げて崩れ落ちた。ほぼ同時に、優花ちゃんの顔がこちらを向き、次の瞬間、彼女はプッと何かを吐き出した。
それは風切り音をさせながら私のこめかみのあたりを通り過ぎ、直後、私の首を拘束していた圧力が消える。「ぐぁっ」という呻き声に思わず振り返れば、そこには目に手を当てて苦しむ男の姿がある。
尻餅をついた私の手に、くにゅとした感触。見れば、そこには細長く依られたガムがあった。優花ちゃんが噛んでいたガムだ。もしかしなくても、優花ちゃんは口に含んでいたガムを飛ばして男の目に当てたのかもしれない。
私が僅かに呆けている間にも、呻き声と悲鳴は重なる。
視線を転じれば、既に五人の倒れた男がいた。足にパチパチと放電するナイフを刺され、ビクビクと痙攣している。
「くそっ。こんなことをして、ただで済むと思っているのか?」
チューイングガムぷっを受けた男が、片目から涙を流しながらそんなことを言う。同時に、こっそりと懐に手を伸ばし――その手にトンッと冗談のように軽く細長いナイフが突き刺さった。
「その言葉、そっくりそのまま返すわよ。あとでたっぷり、魔王様にお仕置きされなさい」
パチンッと鳴ったのは優花ちゃんのフィンガースナップ。途端、男の手に刺さったナイフがバチバチッと弾ける。男は小さな悲鳴を上げて力なく倒れ込んだ。
「そこ、動かないでください」
それが私に対する言葉だと理解するよりも早く、優花ちゃんは出入り口の方を見ながら、倒れた男の方へ手をかざした。すると、なんということだろう。ナイフが一人でに抜けて彼女の手元に飛んできたではないか。
私は目の前のおかしな出来事に目を丸くするばかり。優花ちゃんのチューイングガムを手の平から引っぺがす余裕もない。
優花ちゃんは飛んできたナイフ五本を片手でキャッチすると、まるで大道芸人がするかのように片手でジャグリングし始めた。な、なんて危ない真似を……と思うが、相変わらず彼女の視線は出入り口に固定されていて、その危険極まりないが物凄い技術が手慰みに行われているに過ぎないことが分かる。
すらりとした彼女が、片手をポケットに突っ込んだまま、もう片方の手で投げナイフをジャグリングしている姿は、なんとも絵になっていて思わず見惚れてしまった。
私は無意識にも何かを言わねばと、中々言うことを聞いてくれない口を必死に動かし言葉を投げようとした。
しかし、その前に、優花ちゃんが出入り口を見つめていた理由がやってきた。
低いエンジン音と共に入って来たのは二台の黒塗りの車だった。どう考えてもここで倒れている連中のお仲間だろう。そういえば、ここに入る前、近くに車などはなかったと思う。ということは、あらかじめ迎えにくるようにしていたのか、それとも一定の時間連絡がないと来るようにしていたのか……
「お粗末ね。南雲の言う通り、やっぱり子供だからって舐められてる?」
優花ちゃんがそう呟いた。ヘッドライトが優花ちゃんを照らす。足元には当然、尻餅をつく私と倒れた男達。車が急停車し、急いでバックしようとする。
「悪いけど、こわ~い魔王様からの命令でね。まぁ、できればでいいってことだけど」
ヘッドライトに照らされた室内に、新たな光源が生み出された。優花ちゃんのナイフだ。ジャグリングされている投擲ナイフが、轟ッという音と共に燃え上がったのだ。
優花ちゃんは、三本のナイフを高く投げると、残り二本の燃えるナイフを指の間に挟み込む形でキャッチし、直後、「シッ」という気合いの声と共に投擲した。
炎の尾を引いて飛翔した二本のナイフは、まるでレーザー光線のように一条ずつ、それぞれ車のボンネットに突き刺さり爆音を轟かせた。車は勢いを失い、制御も失って柱や壁に激突。
……信じ難いことに、優花ちゃんの燃えるナイフは車のエンジンを貫いたらしい。
それぞれの運転席から男が転がり出てくる。そこへ再び、落ちてきたナイフをキャッチしてスパークするナイフを投擲する優花ちゃん。同時に片手で投げられたにもかかわらず、二本のナイフは見事、別の軌道を描いて男達の太ももに突き刺さった。スタンガン効果でぱったりと倒れる。
「こんなもんかな。後は、南雲の言う通り事後処理を任せるとして……」
優花ちゃんがくるくるとナイフを回して弄びながら、その視線を私に転じた。
……なんという非日常的な事態だろうか?
特別な事情を、彼女と共有してしまった。私は、彼女の秘密を守る秘密の協力者とかになるのだろうか? 二人で巨大な組織に立ち向かうのだろうか? 戦うことに疲れた彼女を癒してあげるのだろか?
そうしていつか二人は……
「え~と、取り敢えず、にまにましているとこ申し訳ないんですけど、ほいっ」
プスッと何かが刺さる感触。手の甲を見てみればそこには先程まで彼女が持っていたナイフ。うん、ちょっと待とうか、優花ちゃん。僕の手は今、君の噛んでいたチューイングガムを手の平に張り付けた状態で、手の甲をプスリと刺されているわけだけど、これはいったいどういう状況……
「また、普通のお客さんとして来店してください」
「ちょ、まっ、アババババババババアバババッバァッ!?」
そこで私の意識は暗闇に呑まれていった。
最後の彼女の言葉。そうか、君はあくまで、誰にも知られることなく戦おうというんだね。それが君の覚悟か。
日常を愛し、不可思議な力を持ち、他人のために躊躇いなく非日常へ飛び込める。
ああ、知っているよ。そういう女の子をなんと呼ぶか。まさか実在していたなんてね。
そう、君は――
とある公的機関のお粗末な襲撃を受けた数日後。地元の人々に愛される洋食店ウィステリア。お昼も過ぎ、もっとも人がはける時間帯となれば休日と言えども店内はまばらだ。
そんなウィステリアの扉が来店を告げる鈴の音を奏でた。テーブルを拭いていた優花が視線を向ければ、そこには玉井達男子三人組と、宮崎奈々や菅原妙子がいた。
友人達がまた駄弁りに来たのかと苦笑しつつ、優花は出迎えの言葉を贈ろうして、
「よっ、魔法少女!」
「繁盛しているか、魔法少女!」
「いやぁ、中々いい絵面だったぜ、魔法少女!」
男子三人組から変な呼び名を頂戴した。愛人の次は魔法少女? いいでしょう。お望みならば戦争だ。スマホの予備機は十分か?
笑顔のまま、優花は厨房から野菜スティックを取り出してくる。
「待って待って、優花っち! 別にからかってるわけじゃなくてね。いや、玉井くん達はからかっているんだろうけど」
「あはは、えっと、優花。これ」
奈々がささっと自分のスマホを隠しつつ優花を宥めれば、苦笑いする妙子が一冊の雑誌をカバンから取り出して優花に差し出した。その傍らでは、「こ、この子だけはやめてくれぇ!」と玉井が新しいスマホを腹に抱えて蹲っている。
「もう、いったいなんなのよ」
そう言いながら受け取った雑誌に目を落とせば、どうやらそれはマイナーなゴシップ雑誌のようだった。都市伝説なんかを載せているやつだ。信憑性なんてゼロ。そんな雑誌だ。
ページに折り目がついているのを見つけた優花は、妙子達に訝しむような眼差しを向けつつそのページを開き、
「!?」
固まった。
無理もない。そこには、
――夕暮れの決戦! 魔法少女は実在した! 謎の組織から市民を守る彼女の正体とは!?
なんて見出しがデカデカと書かれており、炎を放つ優花の写真が載せられていた。
もちろん、優花の顔が映っているわけではなく、炎を放っているように見える女の子の横姿が映っているだけだ。だが、優花を知る者が見れば一目瞭然。炎の中にうっすらと見えるナイフや、スパークするナイフもその証拠だ。
優花は、「魔法少女? いや、魔法女子高生だよな?」「いや、魔法愛人だろ」「なんか響きが卑猥だな。いっそ魔王愛人でどうだ?」などと言いながらケラケラと笑う玉井達のスマホに軌道の曲がる投擲野菜スティックで風穴を空けつつ、自分のスマホから電話をかけた。
『どうした?』
「どうしたじゃないわよ、南雲! 隠蔽は!? 隠蔽したんじゃないの!?」
『ああ、あの記事のことか。あれなんだが……ん? なんか悲鳴が聞こえないか? 玉井達っぽいんだが』
「そんなのどうでもいいから、私が魔法少女になっている理由の説明を!」
虚ろな目を向けてくるスマホを抱えながら、「今度はセロリか!? ちくしょう!」と嘆いている玉井達は放っておいて、優花がハジメを問い質す。
『いや、カメラのデータとかは全部消したし、記憶も操作したんだけどな。流石はプロの記者ってか。どうやらスマホでも同時に幾つか写真を取っておいて、自宅のPCに転送していたみたいなんだよ』
「ぐっ。店に来る度にねっとりした視線を向けてくるから、てっきりうだつの上がらない三流記者だと思っていたのに」
『……まぁ、お前の辛辣な評価は置いておくとして。公安の方の対処に追われているうちにな、あの記者がゴシップ出版社に出しちまったんだ。記憶ないはずなのに、面白そうってだけで即行だからなぁ』
優花は決心した。今度あの記者野郎が来たら、ただじゃおかない、と。
友人や仲間くらいにしか、あの写真から優花だとは判断できないだろうし、何より地方のゴシップ誌だ。発行部数も、購入者も少ない。優花は、お客だと思ってつい先に気絶させなかった自分の迂闊さを呪うことにして諦めの溜息を吐いた。
ちなみに、最終的に気絶させたのは、何だか最後の辺りで、あの記者の自分を見つめる目がねっとりしていたうえに、やたらとにやにやしており、普通に気持ち悪かったので思わずやってしまったという感じだ。
『まぁ、あくまでゴシップだ。大した問題にはならないだろう。なったらなったで、丸ごと消し潰すしな。そこは安心してくれ』
「別に、不安には思ってないわよ。南雲だし」
何故だろう。視界の外から何だかにやにやした感じの視線を感じる。後は、「ま~たやってら~」という呆れの視線だろうか。
電話の向こう側で、ハジメを呼ぶ声が聞こえた。どうやら、まだ揉め事処理の最中にあるようだ。
「いきなり電話して悪かったわね。取り敢えず、分かったから」
『ああ。それじゃあな――』
忙しいだろうと会話の終了を告げた優花に、ハジメも応じる――前に、何か悪戯でも思いついたような忍び笑いを響かせた。そして、
『じゃあな、魔法少女ユウカちゃん』
「っ、このっ」
文句を言う前に、ツーツーという虚しい電子音。ぷるぷると震える優花は、スマホをジッと見つめながら、じわじわと頬を赤く染めて呟いた。
「……優花ちゃん、言うな」
当然、厨房とカウンターにいる二人と、友人達五人のにやにや笑いを頂戴したのは言うまでもない。
いつも読んで下さりありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。




