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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

ありふれた番外編 世界のアビスゲート卿から

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サーモンサンドは正義

 太陽が中天に差しかかり、冷えた空気の中にも温かみが感じられる頃。

 お昼の時間帯ということもあって、街中にある喫茶店などは会社員やご婦人達でそれなりの賑わいを見せていた。

 そんな喫茶店の一つ。建物と同じ、木製で統一された備品や椅子、テーブルが、なんともシックで落ちついた雰囲気を醸し出す地元では有名な老舗に、浩介達の姿はあった。

 店内は広々としていて、老舗としては珍しく二階まで使える。玄関から店の三分の一くらいまでの位置で吹き抜けになっているので、二階の手すりからは一階の様子がよく分かるという構造だ。浩介達は、その二階部分の手すり付近のテーブルを囲っていた。

「英国って、メシマズのイメージが強いんだけど、美味い店は普通に美味いんだよな」
「こうすけ……別にダメとは言わないけど、普通に食事するのはどうなの? 相手の指定してきた場所なのに……」

 もりもりと、この店の名物の一つであるサーモンサンドを頬張る浩介に、エミリーが困ったような表情をしながら自らはミルクたっぷりの紅茶を口にする。

「よいではないですか、グラント博士。どんなときでも平常心を失わない。流石はコウスケさんです。濡れます」
「パラディ、TPOを弁えなさい。公然わいせつで逮捕するわよ」

 一見、真面目に、キリッとした表情で卑猥なことを口走ったヴァネッサへ、相方たるエミリーがツッコミを入れる前に、極寒の警告が発せられた。落ち着いた雰囲気で紅茶を口にするマグダネス局長だ。

 昨日、オーディンを名乗る黒幕から連絡があった後、キンバリーが残した端末にエミリー・グラントの引き渡し時間と場所の指示がメールで送付されてきた。

 それがこの場所だ。昼間の人が溢れる喫茶店での引き渡しというのは少々意外ではあったが、そこに引き渡し人をマグダネス局長とする指示が加われば、中々上手い方法と言える。

 エミリー一人に、指定の場所に行かせるというのが常套手段だが、当然、追跡措置が警戒されるところだ。そして、一番心配なのが、追跡措置以上の対策が施されている場合。

 そう、保安局によるエミリーの抹殺措置だ。【ベルセルク】の価値を知る保安局が、みすみすエミリーを敵の手に渡らせるとは考え難く、最終手段としては念頭に置かなければならい事態だ。

 一人で指定の場所に行き、敵に回収させたエミリーに取り付けられているのが、もし追跡装置ではなく爆発物であったなら……。正直、目も当てられない。敵としても、裏に属するものであるから、マグダネス局長の容赦の無さというものは知っているのだろう。

 だが、こうして人混みの中を指定してしまい、かつ同席させてしまえば、流石のマグダネス局長も、そんな手段は取れないと踏んだに違いない。そして、引き渡しの現場で、エミリーに余計なものがついていないか確認するのだろう。

 ちなみに、浩介とヴァネッサが同席しているのは、マグダネス局長の指示である。相手からは、当然、マグダネス局長のみ引き渡し人として指示されていたが、「うっかり連れて来ちゃったわ。いるものは仕方ないでしょ?」というスタンスでいくらしい。

 別に、浩介としては姿を隠すくらいわけないのだが、エミリーのことが喉から手が出るほど欲しい相手からしたら、この程度の違反行為をしたところで、文句以上のことなど出来はしないということらしい。それよりも、言いなりではないことと、エミリーの心の支えとして、浩介達が傍にいる方がいいということだ。

 もっとも、浩介はともかく、ヴァネッサを同席させたことには、正直、ちょっと失敗だったかもと、マグダネス局長は思っていたりする。

「それで、サーモンサンドに夢中になるのはいいけれど、周囲の様子はどうなのかしら? ミスターアビスゲート」
「浩介です。いいですか? 俺の名前は浩介ですよ、局長さん」
「ええ、分かったわ、ミスターアビスゲート。それで? 配備した人員からは特に報告はないけれど、怪しい人物が紛れていたりはしないかしら?」
「……さっき、店に入って来た灰色のスーツに小太りの中年と、今、店に入って来たやつれた感じの中年女性。なんとなくだけど、ただ昼食を取りに来たにしては、妙に緊張してるみたいだ」

 何度言っても呼び名を変えてくれない局長さん。意外に、自慢の部隊を半壊にされたことを根に持っているのかもしれない。恨みがましい浩介の視線などなんのその。紅茶を飲む振りをしながら、袖口につけたインカムで不自然さなど微塵も感じさせずに待機している人員へ注意を促す。

 そんなやり取りに微笑を浮かべるエミリーが、小さく息を吐いた。知らず緊張して張り詰めさせていた息を、解きほぐすように。目敏く気が付いた浩介が、マグダネス局長に向けていたジト目をエミリーへと向ける。

「どうした、エミリー。やっぱり、怖いか?」

 エミリーは、自分の小さな変化に気が付いてくれたことが嬉しかったようで、浩介の心配そうな眼差しに、ほわりと和やかな笑みを返した。そこには紛れもなく、一見して分かるほど、絶大な信頼と、それ以上に、特別な気持ちが窺える熱が篭っていた。

「大丈夫よ、こうすけ。少し緊張はしてるけど、怖くなんてない。こうすけが傍にいてくれるんだもの。ここが、世界で一番の安全地帯でしょ?」
「まぁな」

 そっけなく、一言で返す浩介。しかし、それが無関心から来るものではなく、美少女から向けられた疑いのない信頼と好意に照れているが故にものであることは、そのほんのり赤くなかった耳が何より雄弁に示していた。

 ちなみに、グラント家の面々も、現在は本当の意味で保安局の施設に保護されており、そこには保安局の精鋭の他、浩介の分身体も控えているので万全と言える。そういう意味でも、エミリーの中に不安や恐怖の感情は皆無だった。

「私も怖くありませんよ、コウスケさん。信頼してます。愛してます」
「ちょっとヴァネッサッ! いきなり何を言うの! そ、そういうのは軽々しく口にしちゃダメでしょ!」

 至極真面目な表情で、さりげなく愛を告げるヴァネッサさん。エミリーが頬を赤くしながらツッコミ、というか威嚇をする。「私のこうすけに手を出さないで!」という心の声が聞こえてきそうだ。

 二人の女性から好意を向けられた浩介は、昨夜からのごたごたできちんと言えなかったこと――すなわち、自分には心に決めた最愛の恋人がいるのだという事実を伝えるべきか悩む。否、伝えることは確定なのだが、どのタイミングで言うか、それが問題だった。

 連続する一連の事態において、ラナの存在を打ち明けることでエミリーの心情にどんな変化がもたらされるか……。早めに告げるべき事柄ではあるが、万が一、これからの事態において悪影響を及ぼすようなことがあってはならない。

 浩介はう~んと悩みつつも、ヴァネッサの恥じることのない真っ直ぐな(?)告白に顔を赤くしつつ、「うぅ、私も、ちゃんと言った方がいいのかな? でも、そんなの恥ずかしい!」とサイドテールをふりふりしながら悩むエミリーを見て、これははっきりと早急に告げた方がいいと決断する。

「あ、あのな、エミリー」
「なぁに、こうすけ」

 声をかけられただけで嬉しい、みたいに頬を綻ばせるエミリーちゃん。危機的な状況を共有する男女は、その時の緊張感を恋愛感情に変換しやすいなどという説があるが、エミリーの場合、その説はドンピシャなようだ。流石チョロイン。

 そんなエミリーの様子に、浩介は「うっ」と言葉に詰まる。浩介の言葉を待つエミリーの頭に犬耳が、腰には犬尻尾が幻視できた。両方とも、これ以上ないほどぶんぶんっと勢いよく振られている。まるで、主人の言葉を待つ忠犬のようだ。

 ――天才白衣っ娘、釣り目金髪サイドテール、カリス○ガード、お漏らしっ娘、ツッコミ属性、チョロイン。そして、好きな相手には忠犬属性。

 いったい、どこまで属性を増やす気なのか……

 正直、にこにこと笑いながら自分の言葉を待つエミリーの姿は、とても可愛らしく、魅力的だ。だが、だからこそ、浩介は意を決して口を開いた。

「あ、あのな、俺、実は――」
「来たわよ。青春するのはそれくらいにして、気を引き締めなさい」

 マグダネス局長の冷徹な声がさくっと遮った。浩介の頬が引き攣る。エミリーがキョトンとした表情になるが、直ぐにグッと表情を引き締めた。

 マグダネス局長とヴァネッサが階下を見下ろす。そこには、ブラックスーツとコートに身を包んだ三人の男がいた。サングラスで表情は分からないが、纏う雰囲気が明らかに一般人のそれとは違う。分かる者には分かる。退廃と暴力に慣れ親しんだ、重い空気が纏わりついている。

 三人の男はゆっくりと店内を見渡し、そして二階から自分達を見下ろすマグダネス局長の視線に気が付いて口角を上げた。そして、そのまま二階へと続く階段を上がって来る。

「ふん? 局長さん、これはどういうことだ?」
「なにか問題でも?」

 男の一人が、立ったまま僅かにサングラスをずらしてヴァネッサを(・・・・・・)睥睨した。が、発した質問に、マグダネス局長が平然と返したことで、鼻を鳴らしつつ空いている椅子へと腰掛ける。他の二人は、隣のテーブルの椅子に座った。

 男は、座席に着くや否や、じろじろと無遠慮にエミリーへ視線を這わせる。嫌そうな表情を隠しもせずにそっぽを向くエミリーに、男は癖なのか再び鼻を鳴らした。そして、断りも入れずに浩介の注文したジンジャーエールを取ると、残りを一気飲みする。

「まぁ、なんでもいい。こっちはエミリー=グラントを引き渡してもらえば文句もないからな。分かっていると思うが、下手な気は起こすなよ。追跡もだ」

 男が片手を軽く上げる。すると、控えていた男の一人が、小型の機械を懐から取り出した。そして、それをエミリーへと向ける。どうやら発信機の類を精査するもののようだ。

 同時に、男は懐から四角いジッポーライターのようなものを取り出し、キンッという音を立てさせながら蓋を開いた。中には発火装置のようなものはなく、代わりにボタンがついていた。

「面白いよな。追い詰められた人間ってのは、ちょっと餌をちらつかせてやるだけで何でもやる。新しい栄養剤の被験者なんて嘘くさい言葉でも、小切手一枚で腹に収めるし、この店に行けなんて意味不明な突然の指示にも素直に従う」

 口元を歪ませる男のセリフに、エミリーはギリッと歯を鳴らし、ヴァネッサは怒気を孕んだ眼差しを叩きつけた。言うまでもなく、カプセル型のベルセルクを服用した者達がこの店に紛れているのだろう。そして、男のライター型の起爆装置が、カプセルを破り、彼等を二度とは戻れない狂戦士へと作り変えるのだ。この、人が溢れる昼の店内で。

 男は、エミリーとヴァネッサの怒気に、わざとらしく震える真似をする。

「あなたがオーディン、というわけではなさそうね。それで、グラント博士を連れて行ってどうするのかしら? 彼女に対抗薬を作らせて、【ベルセルク】のパンデミックを起こし、莫大な利益を収める……その時点で、足がつくわよ? 裏の世界で、どこぞの組織に売る場合も同じ。保安局から逃げ切れるとでも?」
「さぁな。そこは俺等のような末端が知ることじゃあない。ボスが判断することさ。さて、無駄におしゃべりするわけにもいかない。そろそろ失礼させてもらおうか」

 男が、追跡装置の有無を確認していた男に視線を向ける。精査を終えたらしい男が首を振って何もない旨を伝えれば、男は満足そうに頷いてエミリーの肩に手を置いた。ビクリッと、驚きや恐怖からではなく、単なる嫌悪感から体を震わせるエミリー。

 思わず、その手を叩き落としそうなったヴァネッサに、男はこれ見よがしにライター型起爆装置を見せつける。

 見せつけ――

「くふっ」
「ぷっ」
「ふふっ」

 思わず、ヴァネッサが噴き出した。エミリーも顔を背けて肩を震わせる。なんとも珍しいことに、マグダネス局長まで小さく笑みを浮かべていた。

 それも仕方のないことだろう。優越感たっぷりに、なにもできはしないだろうと高をくくった表情で、男が掲げたそれは……

 サーモンサンドだったのだから。

 しかも、ライターと同じサイズまで食われた跡のある、一口サイズのサーモンサンド。立派な歯型が沢山ついている。

「!?」

 男は声にならない驚愕の声を上げて、そのサーモンサンドを床にペイッする。そして、椅子を蹴倒しながら立ち上がり、マグダネス局長達から一歩、二歩と距離を取った。

「てめぇら、ふざけやがって!」

 直ぐに、いつの間にかすり替えられたのだろうと、そして、その犯人は何故かこの場にいるヴァネッサだろうと当たりをつけて、懐から何かを取り出そうとする。おそらく、予備の起爆装置だろう。

 男は素早くそれを取り出して脅すように前へと突き出した。

 そう、一口大のサーモンサンドを。

「なんでだよ!?」

 再び、エミリー、ヴァネッサ、マグダネス局長から「ぷふっ」と噴き出す声が聞こえて、男は羞恥と混乱で真っ赤になる。

「おいっ! 予備を出せ! 一番と二番を起爆させちまえ!」

 男が三人目の男に命令を下す。どうやら、三人目の男も起爆装置を所持していたようだ。予備に予備を重ねる。中々用意周到である。

 もっとも、男の命令に三人目の男が応えることはなかった。何故なら

「おいっ。聞いてんのか!? さっさと――って、てめぇはなんでサーモンサンドを頬張ってんだ!?」

 そう、三人目の男は、サーモンサンドを口いっぱいに詰め込んでいたのだ。男は激高しながら、俯いたままサーモンサンドのタレをポタポタと口の端から滴らせる部下の肩を掴み、グイッと引っ張った。

 すると、ガクンッと力の抜けた様子で三人目の男が仰向けになり、サーモンサンドを口に詰め込またまま、白目を剥いた有様を晒す。思わず、「おぉ!?」と驚愕の声を上げて後退る男は、背後でドサリと響いた音に反応して振り返った。

 そこには、

「お前もサーモンサンドか!?」

 やっぱり、口いっぱいにサーモンサンドを詰め込んだ部下が、白目を剥いて倒れていた。しかも、何故か故人が棺の中に収められているかのように、胸の前で手を組んだ状態で。

「なにが、なにが起きて――」
「簡単だろう? この店のサーモンサンドが美味すぎた。それこそ、食った瞬間、昇天するほどに。それだけのことだ」
「ッ!?」

 真後ろから響いた知らない声に、男はビクゥッと反応しながら振り返る。そこには、優雅に(?)サーモンサンドを頬張る浩介の姿があった。半アビスゲート卿化しているのか、服装はそのままだがサングラスだけかけている。

 異様な雰囲気の見知らぬ日本人の少年に男が固まる中、浩介は同意を求めるように少し離れた場所で一連の騒動に固まっていた若い女の子の店員に「そうだよな?」と声をかける。

 いきなり水を向けられた女の子の店員は、首をぶんぶんっと勢いよく振りながら「うちのサーモンサンドは、そんなに美味しくありません!」と、力強く否定した。きっと、単純に人が昇天するようなサンドイッチがあって堪るか! というニュアンスなのだろうが……

 存外、よく響いた店員さんのその声が、一階から何事かと見上げていた店長っぽい中年の男性の額に綺麗な青筋を作り出したことからすれば、どうやら正しく伝わらなかったようだ。彼女の今後が危ぶまれる。

「こ、こんなことをして、ただで済むと思っているのか? 起爆装置を持っているのは、俺達だけじゃないんだぞ? 今も、ここを――」
「ここを監視していた(・・)五人のことか? あるいは、店内に設置した隠しカメラから送られている映像を見ていた(・・)者達のことか? それなら、局員達の優しい気遣いにより、特別製のホテルへ向かっている頃だろう。みな、ぐっすりだ。日ごろの激務に耐えかねたんだろうな。少々、ブラックすぎる企業じゃないか?」
「ば、馬鹿な……」

 男は、狼狽えたようにポケットから通信機を取り出そうとした。

 ……出て来たのはサーモンサンドだった。

 なお、この店を外から監視していた敵方を昏倒させたのは、もちろん、浩介の分身体だ。店内の隠しカメラは、昨夜の内に、浩介が隠形全開で探し回り、局員が通信経路を辿って監視者達の居場所を突き止めた。

 浩介が隠しカメラを探している間、一応、店に局員が何かをしかけないか監視していた敵方は、時折、カメラにふっと映る黒い影に、「シャ、シャドウマンだ! 俺、初めて見た!」とか「嘘だろ……俺、霊感なんてないはずなのに」とか、「エイメンッ、エイメーンッ!」とか、叫んでてんやわんやになっていたりする。

 浩介が普通に部屋に入った時も、録画した映像を繰り返しみながら、

「これ、テレビ局に持って行ったら、結構な金になるんじゃね?」
「ま、待てよ。本物のシャドウマンだぞ? 俺、聞いたことがある。こういうのを研究しているヤバイ連中がいるって」
「ああ、俺もマミーに聞いたことがある。世界には、こういうのに目がないオカルト集団がいるから、気をつけなさいって。見てしまっても、見なかったことにしなさいって。でないと、どこかに連れていかれて、黒魔術の生贄にされちゃうわよって」
「マジか……裏の組織、怖ぇな……」

 とか何とか言い合いながら騒いでいた。浩介は、「いや、毛色は違うけど、お前等も裏の組織の構成員だろ」とツッコミを入れたのは言うまでもない。

 そして、ふと悪戯心が沸いた浩介は、彼等から認識されないのをいいことに、数々の怪奇現象を起こしてみた。勝手に開閉する扉とか、窓の外からノック音が聞こえるとか、彼等が気が付かない内に一人一人さらっていくとか、パニックになっている間に監視カメラのモニターに「次はお前だ」とマジックで書いてみたりとか、挙句、足に鋼糸を巻き付けて、部屋の外に引きずり出したりとか……

 悲鳴を上げながら自分達に手を伸ばし、しかし、見えない何かに足を引っ張られて虚しく廊下の奥に姿を消した仲間の姿を見た残党達の表情は……完全に、トラウマを植え付けられた表情だった。

 そして、それを、傍から監視していた局員達は、揃って大爆笑していたりする。マグダネス局長が、顔を両手で覆いながら溜息を吐いたのは言うまでもない。

 敵方全員を恐怖のどん底に陥れ、かつ、完璧に捕縛した浩介を、局員全員が「イヤッハー!」とハイタッチで出迎えたのを見て、「もう、お家に帰ろうかしら」と呟いたことからも、彼女の疲れ具合が分かるだろう。

 さて、そんな夕べの頭の痛い出来事を思い出して、遠い目をしているマグダネス局長はさておき、いつの間にか仲間が全滅していて、手にはサーモンサンドしかない男は、冷や汗を流しながら踵を返そうとした。

「まぁ、そう慌てるな。お前には案内人なってもらおうと思ってるんだ。だから、勝手に帰られちゃあ困る」
「あ、案内人だと? ボスのところにか? ハッ、無駄だ。俺は何もしゃべらないぜ? ボスの怖さはよく知ってんだ。裏切ったら、どんな地獄を味わうことになるか……死んだ方がましだね」
「そうか。だが、お前はきっと、こころよく案内してくれるはずだ。俺は確信しているよ。取り敢えず、ここでは店に迷惑だ。向こうで、じっくりとお話をしようじゃないか」

 浩介が椅子から立ち上がり、口元に笑みを浮かべる。それを見た男は「ちくしょうっ」と叫びながら、二階のテラスより飛び降りようとした。階段への退路は浩介に塞がれているが故に、一階分くらいの高さなら、なんとかなると思ったのだろう。

 が、それくらいで浩介の意表を突けるわけもなく、

「深淵流体術が秘儀――“顧みぬ暴食の宴(サーモンサンド最高!)”」
「むがっ!?」

 背後に回った浩介に、一瞬で口いっぱいのサーモンサンドを詰め込まれてしまった。もがく男だったが、後ろから完璧に羽交い締めにされた状態で、口元を押さえつけらえているので、逃げ出すことも吐き出すこともできない。

 男は半ばパニックになったまましばらくバタバタと暴れていたが、やがて白目を剥いて、力なく倒れ込んだ。ずるりと崩れ落ちる男の口元からは、サーモンの切れ端がたらりと垂れている。

「うん、やっぱり、この店のサーモンサンドは凄い。人を一瞬で昇天させる」

 倒れ伏した男を見て、満足そうに頷く浩介。店内の誰もが、思った。「いや、普通に窒息させただろ」と。でも、口にはしない。だって、怖いから。

 ここ数日、めっきり溜息の増えたマグダネス局長が、更に深い溜息を吐きながら部下に合図を送る。駆け付けた部下が、男三人を素早く回収し、かつ、【ベルセルク】の服用者と思しき客の幾人かを丁寧に案内する。

 店内がいきなりの捕物に騒然とする中、マグダネス局長の後に続いて店を後にしようとする浩介へ、エミリーが微妙な表情をしながら尋ねる。

「ねぇ、こうすけ。どうしてそんなにサーモンサンドにこだわるの? 好きなの?」
「うん、好きだ」
「そ、そうなんだ……」

 もちろん、浩介はサーモンサンドが好きだと答えた。のだが、面と向かって、真面目な顔で、好きだと口にした浩介に、エミリーは顔を赤くする。そんなエミリーを尻目に、浩介は階段を下りながら、如何にこの店のサーモンサンドが素晴らしいかを、某味の宝○箱や~なグルメリポーター並みの解説を以って説明し出した。

 浩介達が店を出たあと、この店のサーモンサンドの売り上げが爆発的に伸びたのは言うまでもなかった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 月が完全に雲隠れしてしまった夜。夜天からの光がない暗い世界を、人口の光で煌々と照らす高層ビルがあった。既に、普通の会社であるなら大抵の社員は帰宅してしまい、明かりも少ないだろうに、そのビルだけはどのフロアからも光が漏れ出している。

 その高層ビルのエントランス部分と、最上階付近の外壁に、エンブレムと社名が描かれている。社名は、【Gamma製薬会社】だ。

 その【Gamma製薬会社】の裏手に、自動車のヘッドライトが差し込んだ。自動車は鉄格子の門の手前で、守衛に一度、止められる。その守衛に、運転座席の男は顔を見せつつ、身分証を見せた。

 守衛は顔見知りだったらしく、「研究員でもないのに、こんな時間までお疲れさん」と苦笑いを含んだ労いの言葉をかけつつ、受け取った身分証を守衛室にあるカードリーダーに読み込ませて門を開いた。

 運転座席の男は、それに肩を竦めて「代表の勅命だ。逆らえないさ」などと言いつつ、身分証を受け取る。そのとき、後部座席に座る人物を見て、守衛は訝しそうに肩眉を上げた。

 運転席の男は、「こちらは、こう見えても天才博士様だ。我が社の隠し玉になるらしいぞ」と言えば、自分の話らしいと気が付いた後部座席の、白衣にサイドテールの少女は、守衛に向かってにっこりと微笑んだ。

 愛想の良い美少女に微笑まれて、中年の守衛はデレッと相好を崩す。そして、「若いとはいえ、こんな時間まで働くなんて、あんまり無理をしてはいけないよ」などと言葉をかけつつ引き下がった。

 自動車は門を抜け、そのまま裏手にある地下駐車場の入り口へと姿を消していく。

 地下駐車場の一角に停車した車から、運転席の男と白衣の少女――エミリーが降りて来た。

「本当に、ここが黒幕のいるところだったなんてね。英国でも五本の指に入る大企業じゃない」
「信じてなかったのか、お嬢。俺はここの代表取締役――ケイシス=ウェントワークスの直属だって言っただろう」
「黙りなさい。あんたに話しかけてないわ」
「……おう」

 なんとも辛辣に返された男はぶすっとしながらも素直に引き下がる。彼、浩介の秘儀を食らい気絶した男――ウディは、不機嫌顔のまま、エミリーを促した。

 ウディの案内に従い、社員証がなければ動ない専用のエレベーターに乗り込む。この高層ビルは全六十六階からなり全長二百メートルを超える。外付けの高速エレベーターからは少し離れた場所にある町の夜景がよく見えた。高度が上がれば上がるほど景色も映える。

「きれいね……」
「ああ、この景色は――」
「あんたに話してないわ」
「……うっす」

 またもや辛辣に返されてむすっとするウディ。外側の窓に張り付いて瞳をキラキラさせる美少女と、その隣で不機嫌顔を晒す強面の男。なかなかシュールだった。

 やがて、ティーンという音と共に、エレベーターの階層表示が最上階を示した。その音にハッと我に返ったエミリーが振り返り、先に出たウディの後をついていく。いくつかの曲がり角と、いくつかの部屋を通り抜け、いくつかの電子ロックを外して辿り着いたのは、会社のエンブレムが刻まれた重厚な扉だった。

 ウディは、両開きの扉の脇に設置されているディスプレイの前に行き、ボタンを押す。

「ボス、ウディです。連絡した通り、ただいま到着致しました。グラント博士をお連れしています」
『ようやく来たか。今、開ける』

 社長室の扉は、中からしか開けられない構造になっている。そのため、ウディとエミリーは、部屋の主であるケイシスが扉を開けるのを待った。

 プシュという空気の漏れるような音を響かせて、両開きの扉が開く。二人は、ウディを先頭に中へと入った。背後で直ぐに扉が閉じる。それを肩越しに見ながら、エミリーは、随分と警戒心の強い相手だと、心の中で評価をする。

 視線を戻した先、豪奢な椅子には、三十代前半くらいの男が深く腰をかけていた。線の細い、金髪の男だ。狐のような細い目に、だらしなく緩んでいる口元が、大企業の社長には似つかわしくない軽薄さを感じさせる。

 だが、ウディの背後にエミリーの姿を見た瞬間、僅かに開かれた目の奥を見て、エミリーは思わずゾッと背筋を粟立たせた。

 まるで蛇だ、と思った。餌であるネズミを視線の先に捉えた、蛇の眼差し。外見の軽薄さに騙されてはいけない。この男の奥には、狡猾さと悪意が詰め込まれている。そう、無条件に信じさせられる嫌な気配が、その瞳にはあらわれていた。

 思わず、パタリと足を止めてしまったエミリーに、ケイシスは更に笑みを深めた。まるで人間味を感じさせない気味の悪い笑みに、エミリーは知らず、ゴクリと生唾を飲み込む。少し前にいるウディですら、同じように喉を鳴らしているのだ。その気味の悪さがどれほどのものか分かるというものだろう。

「やぁ、エミリーちゃん。よく来てくれた。我が社は君を歓迎するよ」

 立ち上がり、大きなデスクを迂回しながら両手を広げて歓迎を示すケイシス。近寄って来る悪意の塊に、思わず後退りそうになったエミリーは、しかし、そんな自分にふと気が付いて、奥歯を噛み締めた。

 そして、後退りかけた足をもとの位置に戻し、猫目をキッと鋭く尖らせて威嚇の視線を返す。

 ケイシスは、一瞬、意外の感情を覗かせたが、直ぐに、嗜虐心の隠し切れていない眼差しを向け始めた。

「いいねぇ、そそるねぇ。そういう目をした女の子は大好物だよ。どうだい、エミリーちゃん。うちの研究員としてだけではなく、私のものにならないかい? 君の望むものならどんなものでも手に入るよ?」
「そうして、当然反抗する私を痛めつけて、自分の口からそう言わせたいわけね。取り敢えず、整形してきなさいよ。品性の下劣さが顔面に出ちゃってるわよ?」

 ほんの少しの震えを残しつつも、堂々と痛烈な返しを叩きつけるエミリー。ウディが、ちょっぴり驚いたような表情で振り返った。ケイシスは、ますます、美味しそうな果実を目の前にしたような表情になる。

「酷い言われようだ。だが、逆にそそる。その態度がいつまで続くか、あぁ、楽しみが増えた気分だよ」
「あんたの気持ちの悪い言動はどうでもいいのよ。それより、あんたがオーディンでいいわけ?」

 嫌悪感丸出しで尋ねるエミリーに、ケイシスは間近まで近寄りながら頷く。

「ああ、そうとも。私がオーディンだ。まぁ、戯れの名だけどね。本名はケイシス=ウェントワークスだよ」
「あんたが……【ベルセルク】を盗んだの? 服用者を街中に放ったの?」

 ケイシスの指先が、エミリーの頬を撫でた。その感触に吐き気を覚えながらも、エミリーは確認する。お前が、全ての元凶なのかと。

「そうとも言えるし、そうではないとも言える」
「どういう意味なの? 答えて!」
「ふふ、本当に気が強いな。まるで可愛い猫のようだ」

 のらりくらりとエミリーの詰問をはぐらかすケイシスは、蛇の瞳を輝かせながら、エミリーの細い首に手をかけた。もちろん、そのまま首を絞めて殺そうなどということはあり得ないだろう。が、おそらく、戯れ程度には、エミリーの苦しむ顔がみたいのだろう。

 グッと力の篭った手に、エミリーは僅かに顔をしかめる。それに、ますます愉悦の表情を見せるケイシスだったが……

「……なんのつもりだい?」
「これ以上は、傍観できないもんで。その手、お嬢から離してもらえますか?」

 自分の手首を掴み、強引にエミリーの首から離させた傍らの男――ウディに、ケイシスは剣呑な眼差しを送る。部下の、思わぬ反抗的な態度、そして、エミリーを「お嬢」と呼ぶその言葉に、ケイシスの瞳が危険な光を帯びる。

「誰に向かって口を聞いているのか、分かっているのかな? それとも、まさかと思うけれど、この子に誑し込まれたわけではないだろうね?」
「まさか、お嬢相手に、そんなわけないでしょう。それに、全て、覚悟の上ですよ」

 バッと音を立ててウディの腕を振り払ったケイシスは、懐から無造作に拳銃を取り出しウディに突きつけた。同時に、パチンとフィンガースナップを鳴らせば、部屋の至るところに設置された隠し扉から、武装した男達が現れウディに銃口を突きつけた。

 しかし、当然、部屋に待機する護衛の存在を知っていたウディは、動じた様子もない。

「覚悟の上? どうにも解せないね。いったい、なにがあった?」
「特になにも。強いて言うなら、ここより雇用条件のいい場所が見つかったもんでね。しがないサラリーマンは、そりゃあ条件のいいところに転職するもんでしょう?」
「ほぅ。なるほど、誑し込んだのは保安局の方か。いったい、いくらもらえることに? あぁ、別に、それより上の条件を提示して、戻って来いなんていうつもりはないよ。君の末路は決まっているのだしね」
「言われたって戻りゃあしませんよ。なんてたって、あんたには用意できない報酬でしょうしね」
「……それほどの額を? 答えろ、いくらもらった」

 英国五本の指に入る大企業の代表が用意できないほどの報酬。そう聞かされて、ケイシスの表情が僅かに興味の色を帯びる。いったい、保安局は、どんな言葉で己の部下を奪い取ったのか。

 そんなケイシスの様子に、ニィイと口角を上げたウディは、自慢気に、得意げに、そして楽しみでならない! と言った様子で、その報酬内容を口にした。

「くくっ、聞いて驚け! なんとぉ、極上のサーモンサンド、一年分だぁあああっ!」
「……………………………………………………ん?」

 ケイシスさんは混乱した。思わず、極悪な雰囲気も散らして、素で「聞き間違いかしらん?」と首を傾げてしまう。それは他の護衛の男達も同じだった。

 混沌とする中、事情を知っているエミリーは、やっぱり微妙な表情で、再度、喫茶店でしたのと同じ質問をする。

「ねぇ、こうすけ。どうしてサーモンサンドなの? そんなに好きなの?」

 聞き覚えのない名前の人物に呼びかけたエミリーに、訝しそうな視線を送るケイシス。

 だが、次の瞬間、ギョッとしたように振り返った。

「あぁ、うん。正直、この暗示はどうかなって思った。自分でも」

 護衛達も振り返える。

 そこには、いつの間にか、社長椅子に座りながら苦笑いと共に頬をカリカリと掻く、黒装束の少年がいた。
いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。

サーモンサンド押しの今回。
何故かというと、作者がはまっているからです。
意外に市販されていないサーモンサンド。
手作りしてたら投稿が微妙に間に合わなかった……
すみません。

次回の更新も土曜日の18時の予定です。
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