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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

ありふれた番外編 世界のアビスゲート卿から

208/261

ショウタイム 前編

長くなったので前後編に分けました。
一時間後には後編アップします。
「やりなさい!」

 常にない、マグダネス局長の絶叫じみた命令が下された。影に潜む精鋭達は、自分達の存在が露見していたことに動揺しつつも、僅かなタイムラグもなく忠実を示す。

 全周囲から轟音と共に死の風が吹き荒れた。死出の旅を彩るようにマズルフラッシュが闇夜に瞬き、容赦なく空を切り裂いた弾丸が最短距離で目標に到達する。

「こうすけぇえええっ」

 轟音の間にエミリーの絶叫が響いた。彼女の目には、圧倒的な暴力によって、出来の悪いマリオネットのように体を揺らす浩介の姿が映っていた。体を無数に貫かれ、倒れそうになれば反対側から鉛の嵐によって叩き起こされる。

 疑問の余地など欠片もなく、浩介は、その場にいる全員の前で、確かに、幾百という弾丸に貫かれた。

 しかし、

「たお、れない?」
「あは、はは、冗談がきついなぁ。……なんで、血が出ないんだ?」

 ヴァネッサが呆然と呟き、アレンが表情を盛大に引き攣らせる。彼等の言葉通り、弾丸に穿たれ荒れ果てた地面の中央で、浩介は未だ立っていた。

 射撃が終わる。それは、装填された弾薬が尽きたからか。それとも、顕現した異様に、国家の安全を担う精鋭達が萎縮したからか。いずれにしろ、その場は、生きとし生きるものが息を潜めたような、そんな静寂に満たされた。

 一拍、

「終りか? では、次はこちらの番だ」

 項垂れていた浩介の呟きが、静寂を破壊した。そして、誰もが「馬鹿な」と目を見開いた瞬間、更なる非常識が彼等の脳神経と常識を襲う。

 ポンッと、そんな間抜けとも言える軽い音を立てて、浩介の姿が少しの煙と共に消えたのだ!

「どこを見ている?」
「ぐえっ!?」

 そんな言葉と、アレンの上げた苦痛混じりの驚愕の声に、その場の全員の視線が向けられた。

 そこには、いつの間にかアレンをうつ伏せに踏み倒し、その上で、片手をポケットに入れながら少し上体を逸らしつつ、もう片方の手でいつの間にかかけていたサングラスを、中指で押さえている浩介の姿があった。夜なのに、サングラス! 夜なのに、サングラス!

「なんて香ばしい!」
「ヴァネッサ!?」

 思わず上げられた場違いな歓声。隣のサイドテールさんが目を剥いている!

「このっ」

 流石は、本物のミスターKというべきか。殺しのライセンスを与えられた国家の影は、この状況でも背筋が寒くなるほどの動きを見せる。袖の中に隠してあった小型の銃を手首の動きで引き出し、うつ伏せのまま後手に浩介に向けて発砲したのだ。

 恐ろしいのは、そんな状態で撃ったにもかかわらず、飛び出した弾丸が正確に浩介の頭部へ飛翔したこと。普通なら、そんな至近距離で不意の銃撃を受ければ、そのままあの世へ旅立つことになりそうだが……

「おっと、実に元気がいいな」

 そんな言葉と共に、浩介がスッと頭部を傾ければ、弾丸は虚しく通り過ぎ天へと駆け抜ける。アレンが避けられたことへの動揺など微塵も見せず、即座に連続して引き金を引いた。

 しかし、浩介には掠りもしない。上体を僅かに傾けるだけで、全ての弾丸を紙一重でかわしてしまう。二重三重にぶれているようにすら見えるその姿は、まるでマトリッ○スのエージェントの如く!

「まさか、視認してる!?」
「当然。友より譲り受けたこの“天眼”がある限り、いかなる攻撃も俺の認識から逃れることはできない」

 カチリッと、そんなトリガーの音が鳴り、アレンの弾薬が尽きた。浩介は“瞬光”と“先読”が付与されたアーティファクトであるサングラスをクイッと上げる。

 ……ちなみに、このアーティファクトの作製者は、“天眼”なんて名前はつけていない。

 ハッと我に返った捜査官とマグダネス局長が、浩介目掛けて発砲した。浩介が、華麗に宙を舞う。美しいとすら言えるフォームで決められたバク宙により、二人の弾丸は浩介の下方を虚しく通過する。

「なにを呆然としている! 早く仕留めなさい!」

 マグダネス局長の号令により、隊員達の硬直が解けた。再び、豪雨のような弾丸が四方八方より浩介を襲う。

「ふっ。いい殺気だ。だが、足りない。姿形なき深淵を捉えるには、全く足りない!」

 迫りくる弾丸をするりするりと回避しながら、そんなことを言った浩介は、遂に武器を抜いた。いったいどこから取り出したのか、いつの間にか握られていたのは漆黒の小太刀。

「括目せよ。我が深淵の力を! ――鳴け、“地を這う崩禍の魔刀”」

 浩介が、なにやら香ばしい名前を呼びながら、小太刀の刀身をゆるり撫でた。そうすれば、夜を思わせる黒い光を纏い始める漆黒の小太刀! 浩介は、そのまま小太刀を地面に突き刺した。

 刹那、地面が一瞬で隆起し、浩介を覆い尽くした。周囲の地面が、全周囲の防御となって弾丸を塞き止める。

「――“土遁・砂隆(深淵に触れる)の城(こと叶わず)”」

 隆起した地面が完全に閉じる瞬間、響いた浩介の言葉。意味はない。大切なことなので二度言うが、意味はない。もっと言えば、小太刀の名前も、刀身を撫でた行為にも意味はない。一応、詠唱をしないとアーティファクトである小太刀の魔法陣は起動しないので、何かを言う必要はあるが、いちいち小太刀の名前やら術名を唱えていたら、蜂の巣だ。

 なので、鳴け! の“な”の時点で既に地面は隆起していたりする。

 なら、何故、意味のない術名を唱えたか……

 もちろん、格好いいからだ!

「グ、ググググ、グラント博士! 聞きましたか!? いま、“土遁”と言いましたよ!? どうしましょう!?」
「どうしましょうは私のセリフよ! 驚くところはそこじゃないでしょ! いきなり地面が動いたのよ!?」
「土遁の術なのですから、地面が動くのは当たり前でしょう!? なにを言っているんですか! そんなことより、コウスケさんが“遁術”を使ったことです! あぁ、なんてことでしょう! 彼は、彼は――ジャパニーズニンジャだったのです!」
「意味が分からない!」

 なにやらキャラ崩壊を起こすほど興奮しているヴァネッサと、死の物狂いでツッコミを入れるエミリーを尻目に、銃弾が通らないことに苛立った特殊部隊の隊員が、グレネードを取り出した。

 ポシュという気の抜けた音と同時に、グレネード弾が岩塊へと直撃した。凄まじい轟音が響き渡り、一瞬で粉砕された岩塊が派手に飛び散る。

「いない!?」
「周囲警戒っ。トリックだ! 奴はトリックを使う! 惑わされるな!」

 特殊部隊の隊長と思しき人物が、声を大にして警告の言葉を発した。度重なる超常現象に頭の中を白く塗りつぶされかけていた隊員達は、隊長の「トリック」という一応の説明がつく言葉で平静を取り戻しかける。

 もっとも、冷静になったところで、目の前で起きているのが、種も仕掛けもない、正真正銘、言い訳無用の“神秘”であることに変わりはない。故に、

「がぁ!?」
「ぐぇっ」

 三階の窓際に潜んでいた隊員の一人が宙を舞った。まるで、後方からトラックに轢かれでもしたかのように、窓を飛び越えて外へと吹き飛ぶ。と思った次の瞬間には、対面のビルの四階で、先程グレネードを放った隊員が、まるで人間砲弾の如く螺旋を描きながら射出され、宙を舞う対面の隊員と生々しい音を響かせて衝突した。

 空中で衝突し合い、地に落ちていく二人の隊員の真下には、態勢を整えたアレンの姿が。アレンはすぐさま避けようとする。が、

「地の底より、亡者は捕える――“土遁・奈落の牢獄(深淵は汝を捕える)”」
「なっ」

 足首を掴まれた。突如、地面から突き出した手に、アレンは捕えられたのだ。ホラー映画の如き異常事態に動揺しつつも、咄嗟に振り払おうとするアレンだったが、万力のような締め付けにより激痛を味わうだけでビクともしない。

 そして、その直後、アレンは響いた言葉の通り、地面の中へと引き摺り込まれた。アスファルトなどで舗装されているわけではないが、それでも人力では容易に掘ることもできない固い地面にもかかわらず、きめ細かい流砂に捕らわれ呑み込まれるかのように、なんの抵抗もなく腰から下を埋められる。

「くそっ、どうなって――ぐえっ!?」

 このまま地面の下に全身を引きずり込まれるかと思ったアレンだったが、意外にも腰までで引き摺り込む力はなくなった。同時に、周囲の地面も元の堅さを取り戻す。アレンは、地面を叩いてもがくが、次の瞬間には、落ちて来た完全武装の男二人に押し潰されて、潰れたカエルのような悲鳴を上げた。

「ざまぁ! ミスターK,ざまぁ! 土遁最高ぅ!」
「お願い、戻ってきてヴァネッサ! いつものクールな貴女が好きよ!」

 気絶しているらしい隊員二人の下敷きになり、姿が見えなくなったアレンに向かって、ヴァネッサが指を差しながらヒャッハーし、エミリーが涙目でツッコミを入れる中、広場を囲む四方の建物内部からは混乱と、悲鳴が響き渡っていた。

「くそっ、どうなってる!?」
「どこから狙ってるんだ!」
「同士討ちに注意し――ぐぁ!?」

 特殊部隊の隊員達が、悪態を吐きながら銃口を彷徨わせる。が、姿なき(浩介)を捉えることが出来ない。目の端に、意識の片隅に、黒い影のようなものを捉えることはあるのだが、そちらに視線を向けた瞬間には、全く別の方向の仲間が血飛沫を上げるか、冗談のように吹き飛ぶだけ。

「闇夜の静寂は素晴らしい。炸薬の音など、無粋というものだろう?」
「なんっ――ぎっ!?」

 ひゅっと風が吹いた直後、一人の隊員が手足の腱を切られて倒れ込んだ。

「感じるだろう? 冷たくも優しい闇の(かいな)を」
「くそがぁあああっ!?」

 するりと(うなじ)を撫でる感触に、背筋が粟立つ。悪態を吐きながら咄嗟に抜いたハンドガンで背後を撃つが、刹那、感じたのは四肢を撫でる熱い感触。

「この世には知るべきでないことがあるのだよ。分かるか? そう、俺のことだ」
「このっ、化けも――」

 隣には必死に銃撃している相棒がいたはず。なのに、立っているのはただの黒い影。相棒はどこに行った? 何故、仲間は援護してくれない? そんな疑問を口に出す暇もなく、また一人、隊員の意識は手足に感じる熱い感触と共に意識を闇の底へと落とす。

「なんなの……これは、なにが起きているの……」

 マグダネス局長の呆然とした呟き。四方の建物全てから、フルオート射撃の轟音と、連続したマズルフラッシュ、そして悲鳴と怒号が響き渡る。まるで、摩天楼を見上げるお上りさんの如く、周囲の建物を見上げながら視線を巡らせ、覚束ない足取りで後退る。

 あり得ないのだ。仮に、浩介が手練れだったのだとしても。おかしいのだ。

 何故、左の建物で隊員が吹き飛ぶのと同時に、右と背後の建物からも隊員が吹き飛んでくるのか。周囲を囲む四つの建物の全てで、室内の敵を排除しようとしているのか。

 浩介は一人だった。敵は一人のはずだ。たとえ、トリックを使った奇妙な戦闘術を持っていたとしても、それだけは確定的な事実のはずだ。

「いったい、誰と戦っているの!? 敵の数は!? 各班っ、報告なさい!」

 マグダネス局長が怒声を上げる。普段なら、簡潔かつ迅速な回答が返って来るはずだ。

 月明かりが、小さな雲の影に隠れて闇が満ちる。ヘッドライトの光に、まるでただワンマンステージに立つ女優の如く照らされながら冷や汗を流すマグダネス局長に、応えが返って来る。

『こちらベータ2。敵の正体は不明ッ。影が、影が襲ってく――』
『こちらデルタ4! 分からない! なにも分からないんだ! ちくしょうっ、仲間が消えていく!』
『アルファ3だっ。敵は日本人の少年一人! 奴は化け物だっ! 弾がっ、弾が当たらないっ。見えているのにっ、当たらないんだ!』

 通信機から聞こえるのは悲鳴じみた報告。ダダダッダダダッと絶え間なく鳴り響く銃声の合間に、隊員達の恐慌に染まった声音が混じる。誰一人として、マグダネス局長に理解のできる明瞭な報告を返せなかった。

『総員、外に出ろ! 円陣を組め!』

 通信機から、覇気を感じさせる怒声が響いた。特殊部隊の隊長の命令だ。その声に、まるで縋りつくように隊員達が従う。わき目も振らず、後先など考えず、ただ室内の闇に潜む恐ろしい何かから少しでも離れたいと、窓から一斉に飛び出していく。

 二階の隊員達は、流石、鍛えているだけあって上手く受け身を取り、跳ね上がるようにしてマグダネス局長の傍へ寄る。三階以上にいた者達は、一度、階下の手すりや窓枠などに足をかけて減速しつつ地上へ降りるが、胸中を満たす怖気が足元を狂わせ、半分以上は地面に体を打ち付けて身悶えることになった。

 それでも、仲間に引き摺られるようにしてマグダネス局長のもとへ集まり、彼女を中心に円陣を組んで、必死の形相で銃口を周囲の建物へ向ける。今しがた、自分が飛び降りた窓に目を凝らし、ともすれば体力の消耗とは関係なく荒くなる息を必死に抑えながら。

 窓の奥は、まるで全ての光を吸収でもしているかのうように暗い。きっと、そこが冥府へと続く穴なのだと言われても、今の隊員達はあっさりと信じただろう。忙しなく敵を探して彷徨い続ける銃口が、彼等の心情をあらわす。そこには、きっと、あの暗闇の中に苦楽を共にした仲間を多数残して来たという忸怩たる思いもあるだろう。

 当初、三十数名いた特殊部隊の人員は、今や、どうにか地面から這い出すことに成功ししたアレンと、マグダネス局長の傍に控える捜査官を含めても、既に十七人にまで減っていた。

 浩介の姿が消えてから、まだ五分と経っていない。たったそれだけの時間で、国家機関の有する特殊強襲部隊一個小隊が、半壊状態にされてしまったのだ。

 抑えきれない呼吸音が響く。暑さ以外の理由で流れた汗を乱暴に拭う衣擦れの音が響く。誰も、声を発しない。おちゃらけた感のあるアレンも、視線を彷徨わせながら必死に敵の位置を探っている。マグダネス局長もまた、顎先に冷や汗が滴るのを感じながら、円陣の中心で視線を巡らせていた。

 そこへ、奇妙な音が響いた。

――コツ、コツ

 足音だ。静寂が支配する夜の世界に、足音が木霊している。

――コツ、コツ

 だが、その足音に、反応できるものはいなかった。否、正確には反応している。ただし、それは、敵の位置を聞きつけ、銃口を向ける――というものではなかった。

――コツ、コツ

 全員の表情が引き攣っている。今、耳に響いている足音が、ありえない場所から(・・・・・・・・・)聞えるから。銃口がカタカタと揺れる。照準すべき相手が分からないからではない。襲い来る恐怖に、遂に屈強な特殊部隊員をして、指先の震えを抑えきれなくなったのだ。

――コツ、コツ

 ゆっくりと、じらすように、夜の闇に反響する足音。ゴクリッと、生唾を呑み込む音が、やたらと耳につく。

 マグダネス局長が、大きく息を吐いた。そして、意を決するように、その足音が響いて来る場所へ、足音の主がいると思われる場所へ、ゆっくりと顔を上げた(・・・)

「――ありえない」

 その、魂が抜けたような呟きに、他の隊員達も、アレンも、そしてヴァネッサやエミリーも、同じように視線を上げた。

「改めて、こんばんは、諸君。今夜は、実にいい夜だと思わないか?」

 そこには、黒い人がいた。

 夜の闇よりもなお暗く、まるで夜闇がそのまま溶け出してきたのかと錯覚するような黒装束。口元を隠す覆面に、ワングラスタイプのサングラス。片手には、ゾッとするほど妖しい黒塗りの小太刀。

 夜という夜を、闇という闇を、そのまま伝わって響いたかのような声音には、絶対の自信と覇気が宿り、しかし、同時に、心の臓を鷲掴みにされるような怖気がある。

 宙にあって、まるで玉座から下りゆく支配者の如く、見えない階段に足音を響かせる。背後には、悪魔が嘲笑っているかのような美しい三日月。一歩、一歩、足元に闇色の波紋を広げながら、夜天より下界へと下るその姿は、まさに神話の存在だ。

「俺は、満月よりも三日月が好きだ。夜の闇を払うほどではなく、しかし、この素晴らしき暗闇に彩りを添えている。弧を描く姿は、まるで夜の女神が微笑んでいるかのようだ」

 全てを見下ろし、舞台役者の如く大仰な仕草で、全ての夜を抱擁するように両手を広げた彼――浩介は、しかし、誰からも返答がないことに肩を竦めた。そして、ゆるりと一回転すると、小太刀を握る手を後ろに回し、もう片方の手をサングラスに添えて、左足を少し引いた。

 ちなみに、一回転したことも、香ばしいポーズを取った意味も、もちろん、ない。

「あなたは……あなたは、いったい、何者なの?」

 流石は、保安局の局長か。あり得べからざる事態に誰もが言葉を失い、呆然自失としている中、マグダネス局長は浩介の正体を問うた。トリックと断ずるには余りに異常。果たして、今も宙でポージングを決めている男は、本当に人類に分類していいものなのか……

 そんな疑問故の問いだった。

 それに対する浩介の応えは、

「“何者か”――その問いを向けられるべきは、お前達自身だろう」
「どう、いう意味かしら?」

 困惑しつつも、鋭い視線を返すマグダネス局長に、浩介は更にくるりと一回転。そして、片手でサングラスを押さえつつ、少し仰け反るようにしながら、ズビシと小太刀の切っ先を突きつけた。

「国家の守護者よ。お前の言う通り、綺麗ごとで守れるものは少ない。身を汚す覚悟がなければ、待っているのは蹂躙だ」

 浩介の言葉に、マグダネス局長の目が丸くなる。まさか、自分の言葉を肯定するような発言が飛び出すとは思わなかったのだ。それはヴァネッサやエミリーも同じだったようで、エミリーは未だ動揺から立ち直っておらずおろおろしたままであったが、ヴァネッサの方はショックを受けたように目を見開いている。

「想いだけでは足りない。覚悟がなければままならない。身を汚さずして運命に抗おうなど、笑い話にもならない」

 重い言葉だった。知らずとも、彼が凄まじい経験を経てきたのだということが分かる。骨身に、刻んできたのだと、分かる。

「守るべきものは、選ばなければならない。善悪の区別を越えて、己の意志を貫かねばならない。全てを望めるのは、それこそ、その意思の果てに超越した者だけだ」

 国家という大船を、世界中に潜む悪意や敵意から守るには、法だけでは足りない。正しい行いだけでは、綺麗ごとだけでは抗えない。卑怯だ、最低だと罵ったところで、失われてしまったものは戻って来ない。

 “守る”というのは、人が想像する以上に、至難の業なのだ。

 故に、浩介は否定しない。この国の、裏の顔を。J・D機関という存在しない組織の行いを。そうしなければ、守れないものがあるというのなら、是非もない。

 しかし、しかし、だ。

「それでも、捨ててはならないものはある」

 そう、だから、浩介はここにいる。ここにいて、刃を抜いたのだ。異世界で、苦い経験と共に、死闘の果てに得た、技と力を解き放ったのだ。

「己が魂に仁義を」

 忘れてはならない。たとえ、必要悪に身を汚しても、魂まで腐らせてはならない。そうでなければ、必要悪はいずれ、ただの邪悪へと成り下がる。

「己が心に信頼を」

 国民は、信頼している。この国の安全は、彼等が守ってくれているのだと。それを裏切ってはならない。それを裏切ってしまえば、全ての根幹が揺らいでしまう。

「己が覚悟に誠意を」

 打ち立てた覚悟には、誓いには、誠実であらねばならない。妥協をした瞬間、その覚悟は暴走し、守るべきものにすら牙を剥く。

 現状のように。

「守護者よ。エミリー=グラントもまた、お前が守るべき者ではないのか?」
「……」

 マグダネス局長は答えない。あるいは、答えられないのか。

「この国に生まれ、この国で育ち、この国で生きている。そんな彼女は、お前が守るべき者ではないのか? 必要悪――俺はそれを否定しない。だが、果たしてエミリーは、それが向けられるべき相手なのか? 難病の治療薬を作りたいと、必死に頑張っている少女を追い詰めることが、お前の言う国家保安か?」

 浩介の問いかけに、特殊部隊員の中には、複雑な表情の者や、明らかに罪悪感を表情に浮かべる者もいる。マグダネス局長の表情は変わらない。今は、動揺もなく、真っ直ぐに浩介を見つめている。

 浩介もまた、答えを待つようにマグダネス局長を見つめ返した。香ばしいポーズのまま。

 どれくらいそうしていたのか。やがて、溜息を吐いたマグダネス局長は、そっと口を開いた。

「私もまた、国家の犬なのよ。そのことに卑下もなければ後悔もない。まして、迷いなどあるわけがない。……既に、決定は下されたのよ」

 それが答えだった。

 アレンが特殊部隊の隊長と捜査官へと一瞬だけ鋭い視線を送った。特殊部隊の隊長が僅かに顎を引き、同時に、捜査官の一人が後ろへと僅かに下がった。

 浩介は察した。アレンと特殊部隊を捨て駒に、マグダネス局長はこの場から離脱するつもりなのだと。捜査官が車まで駆け込み、マグダネス局長を連れて逃亡する気なのだ。

 感心すべきか、あきれるべきか。判断に困るのは、アレンと特殊部隊員達に何の躊躇いもないということ。自分達のボスを逃がすために、一瞬の迷いもなく己の最後を受け入れた。

「それもまた、お前達の覚悟と誠意か」

 自国の民を守るために、自国の少女を脅迫する。本末転倒だと突きつけた浩介に対する、それが保安局の答え。百も承知だと、それでも、それが母国の決定であるのなら、自分達が迷うことはないのだと。そのために、身命を賭す覚悟は、とうの昔に出来ているのだと。

 マグダネス局長が言う。

「研究棟でのことは、痛恨のミスだったわ。キンバリーの裏切りも、ダウン教室の学生が騒動を起こそうとしていたことも察知できなかった。……アレン一人を潜入させた私の判断ミスね」

 まさか、ベルセルクの警護をしていた警護官が、キンバリーの仲間と入れ替わっているとは予想していなかった。あのとき、アレンが警報を鳴らしてしまったのは、訓練された警護官とは異なる対応と、予想外の言動をした偽警護官に不意を突かれてしまったからだった。

「申し訳なかったわね」
「そんな、そんな言葉でっ」

 向けられた謝罪の言葉に、エミリーは激高する。そんな言葉一つで、許しを請うつもりかと。失われたものの大きさを分かっているのか、と。

 だが、マグダネス局長には、言葉とは裏腹に許しを請うつもりは毛頭なかったようだ。エミリーの憤怒を正面から受け止めつつも、瞳は冷徹なまま。

「あなた達、命令よ。任務を全うしなさない」
「「「「「イエス、マムッ!!」」」」」

 マグダネス局長が身を引いた。同時に、アレンが円陣を抜け出しエミリーのもとへと走り出し、捜査官は車へと踵を返す。特殊部隊員達が、瞳に最後の殺意を宿して宙の浩介へ引き金を引こうとする。

 その瞬間だった。

タンッ、タンッ

 と、二発の銃声が微かに響いたのは。

「むっ」
「ッ!?」

 特殊部隊のものではない。アレンのものでもない。

 それは、遠方より飛来した。――狙撃だ。

 一発は見事に浩介の肉体を穿ち、もう一発は特殊部隊員の一人を貫きながら、マグダネス局長の左腕を抉り貫いた。

 血飛沫を撒き散らして衝撃に倒れ込むマグダネス局長。そして、弧を描きながら地に落ちる浩介。

「こうすけぇえええええっ」
「コウスケさんっ」

 エミリーとヴァネッサの悲鳴が轟く。

「局長っ」
「っ、局長を守れ!」

 飛び出していたアレンが、人体構造を無視したようなターンを決めつつ、初めて焦燥と動揺もあらわな声を上げた。特殊部隊の隊長の命令に隊員数名が覆いかぶさるようにして、その身を盾にしつつ、壁際へとマグダネス局長を引きずって行く。

 エミリーとヴァネッサがぐったりと倒れる浩介のもとへ駆けつけた。エミリーが今にも泣きそうな表情で浩介を抱え、ヴァネッサと一緒に車の陰へと身を寄せた。

 第二波は来ない。どうやら射線が取れなくなったようだ。それでも、周囲を警戒して硬直状態に入った保安局側とエミリー達。浩介はぐったりとしたまま身動き一つしない。

 どれくらい経ったのか。おそらく、数十秒といったところだろう。特殊部隊の隊長が、マグダネス局長に施される応急処置が完了したのを横目に動き出そうとして、幾つもの光が現場を切り裂いた。

 ヘッドライトの光だ。それも一台や二台なんてレベルではない。十台以上の車が猛スピードで突っ込んでくる。

 幾台もの車は、そのままドリフトする勢いでやって来ると、保安局側とエミリー達をまとめて包囲するような位置取りで取り囲んだ。ご丁寧に車を横停めにして逃げ道を塞いでくれている。

 嫌らしくも抜け目のないやり方に、とある人物を思い浮かべて、ヴァネッサとマグダネス局長が顔をしかめた。

 その予想は当たっていたようだ。

「よぉ、局長様とヴァネッサ。夜の町外れで密会とは妬けるじゃねぇの。俺も混ぜてくれよ」
「キンバリー」

 一台の車から降りて来たのは、実に嫌らしい笑みを浮かべたキンバリーだった。それを皮切りに、他の車からも武装した男達が何十人と降りて来る。特殊部隊員のような洗練された空気はない。もっと退廃的で暴力的な、言うなればマフィアの構成員のような連中だ。

 アレンとヴァネッサが、さりげなく動こうとする。だが、やはり抜け目のないキンバリーは、目敏くそれに気が付く。

「おっと、二人とも動くなよ。とくに分析官君。お前はやべぇからな。少しでも動いてみろ。容赦なく皆殺しにしてやる」

 キンバリーが武装の解除を命じた。もっとも、さっきまで決死の覚悟をしていた者達が、そう簡単に指示に従うわけもなく、両者、その戦力は圧倒的に違えど銃口を向け合ってにらみ合う。

「ま、そうだよな。局長が、そう簡単に応じる訳もない。なんてったって“英国守護の要”“英国と結婚した鉄の女”だもんな。おまけに悪運も強い」

 マグダネス局長の血が滲む左腕を見ながら、キンバリーは肩を竦めた。そして、この場において、何故、直ぐにマグダネス局長達を殺さないのか、その理由に目を向けた。

「で、局長様よ。ありゃ、いったいなんなんだ?」

 その視線の先にあるのは、今もぐったりとして動かず死んでいるようにしか見えない浩介と、その浩介を涙目で抱えているエミリーの姿がある。

「保安局強襲課の精鋭が、僅か数分で半壊。おまけに、空に浮かぶなんて仰天技のお披露目だ。狙撃手の報告を聞いて、回された映像を見たときは目が飛び出すかと思ったぜ」

 キンバリーの視線が、浩介から逸れて宙を彷徨う。「まぁ、空中にワイヤーでも張って立っていたんだろうけどよ」という言葉から、浩介のあれがトリックだと思っているようだ。

 もっとも、それでも裏切ったとはいえ元保安局員であるが故に、強襲課の精強さを理解しているキンバリーは、そんな彼等が為す術なく壊滅に追い込まれた理由を知りたかったようだ。それが、隊員達を今もなお生かしている理由というわけだ。

 そんなキンバリーに、マグダネス局長は皮肉げに表情を歪めた。

「私が、知るわけがないでしょう。あれは……そう、人知の及ばない“何か”。あれの言葉によるなら――魔王の右腕、らしいわよ」
「魔王の、なんだって? いったい、それはなんの冗談だ。あれは――」

――さっきから聞いていれば、“あれ”“あれ”と、少々、失礼だろう?

 突然、反響するように響いた声音に、キンバリー達がギョッとしたように周囲を見渡した。マグダネス局長は、「あぁ、やっぱり」といった、少々疲れの滲む表情で首を振る。


いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。

後編、一時間後にアップします。
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