挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

ありふれた番外編 世界のアビスゲート卿から

207/257

準備はいいか?

 

「初めまして、グラント博士。私は、国家保安局で局長の椅子を預かっているシャロン=マグダネスよ。貴女を、安全な場所に保護するわ。さぁ、こちらへ」

 まるで、そうなることが当然であるかのように、マグダネス局長が促した。二台の車のヘッドライトが、互いにせめぎ合うようにぶつかり合う中、黒塗りの車の後部座席が開き、そこから分析官アレン=パーカーと、もう一人、男性の捜査官が降りて来る。

 アレンが、「さぁ、怖かっただろう? 僕の胸に飛び込んでおいで!」と言わんばかりに大仰な仕草で両手を広げている。もっとも、何故か彼の鼻頭には大きなガーゼが貼り付けられており、何とも痛々しいというか、間抜けな姿だった。

「なにが“保護する”よ! 私の家族を誘拐しておいて、よくもぬけぬけとっ」

 余りに悪びれない態度に、エミリーの沸点が一瞬で突破する。本来なら家族の安否を気遣って下手に出ていただろうが、今は、その手に信頼すべき男の子の腕がある。エミリーは、自分でも驚くほど素直に怒りの声を上げることができた。

 そんなエミリーに、マグダネス局長はいかにも困ったような苦笑いを見せる。

「グラント博士、貴女はどうやら大きな勘違いをしているようね。誘拐などと、そのようなことを我々保安局の人間がするわけがないでしょう。私達はグラント家の皆さんを保護しているのよ」

 反射的に反論をしようとしたエミリーへ、マグダネス局長は、まるで駄々を捏ねる子供を諭すような口調と態度で語りかけた。

 すなわち、ヒューズ達保安局の捜査官を全滅させた組織から守るために、いち早くグラント家を保護したこと。タブレットを残したのは、ヴァネッサの指紋だけに反応するようにし、彼女がいなければ情報を掴めないようにするため。消息を絶ったヴァネッサ達とコンタクトを取るには、グラント家の傍にいるのが妥当であること。そもそも保護プログラムの適用承認が降りていて、元から保護のために動く予定だったこと、などだ。

「で、でも……」

 理路整然とした説明を受けて、言葉に窮するエミリー。そんな彼女に代わって、ヴァネッサが一歩前に進み出た。

「局長、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「控えなさい、パラディ捜査官。たった一人でグラント博士を保護した手腕は評価に値するけれど、独断専行が過ぎるわよ。ウォーレン達の襲撃があったのだとしても、もっと連絡は密に出来たはずでしょう」

 いつものように、ばっさりと切って捨てるマグダネス局長のナイフのような言葉。その眼光も、いつもの数倍増しで迫力がある。しかし、普段なら内心で怯みまくっているであろうヴァネッサは、むしろもう一歩踏み出し、かつ行動を持って意志を示した。

「……自分が、なにをしているのか、分かっているのかしら?」
「はい。これ以上ないほど。質問に答えて頂けるまで、私はこの銃を決して下しません」

 そう、ヴァネッサは、マグダネス局長へと銃口を向けたのだ。その視線は鋭く、マグダネス局長にも引けを取らない。不退転の意志が、全身から発せられていた。マグダネス局長の後ろで、アレンが「ひゅ~」と口笛を吹いて称賛を贈る。もう一人の捜査員も息を呑んでいる。

「懲戒免職では済まないわよ」
「覚悟の上です」

 マグダネス局長は、しばらくヴァネッサをジッと見つめたあと、小さく溜息を吐いた。その溜息はどういう意味を持っているのか……。マグダネス局長は、一瞬だけ複雑な表情を垣間見せつつ、視線で続きを促した。

 ヴァネッサは油断なく銃を構えたまま、口を開いた。

「何故、局長である貴女が、こんな場所にいるのですか?」
「保護プログラム実行のために送った捜査官を五名も失い、うち一人はあのヒューズよ。そして、その犯人が同じ保安局の捜査官……外部に漏れれば、さぞかしメディアは狂喜乱舞するでしょうね。しかも、、今、世間を大いに騒がせている【ベルセルク事件】に関係することならなおさら。既にこの事案は、現在保安局が抱えている事案の中でも最大の事案のなのよ」
「だから、貴女自身が出てもおかしくはないと?」
「当然でしょう。まして、内部に、どれだけウォーレンの、もっと言えば、その背後の組織の息がかかった人間がいるのか分からない以上、私自身で動くのが最適解でしょう」

 辻褄は合っている。内部犯が出た上に、組織の洗い出しを行う時間がない以上、トップ自らが信頼できる部下数名と動こうというのは、むしろ英断とも言える。

 マグダネス局長から「もういいかしら?」と冷めた視線を送られながら、しかし、ヴァネッサはなお銃口を逸らさない。

「では、もう一つ。研究棟でベルセルクがばら撒かれた原因は、何者かが【ベルセルク】を巡ってキンバリーと争ったからです。キンバリー自身の言葉によれば、彼でも歯が立たないほどの手練れだったとか」
「……それが?」
「保安局の中でも戦闘能力の高いキンバリーをあしらえるほどの手練れを擁し、【ベルセルク】の存在を知っていて、あのタイミングで盗みに入れる。そして、当然、キンバリーが属するのとは別の組織。私には一つしか心当たりがありません」
「私が【ベルセルク】の奪取を指示したとでも言うのかしら?」
「違うのですか? 実際に襲撃したキンバリーは、私にその可能性を示唆しましたよ」

 マグダネス局長は、まるで話にならないと言いたげな表情で肩を竦めた。

「まさか、裏切り者の言葉を真に受けたというのかしら? だとすれば、あなたの捜査官としての資質を疑わないといけなくなるわね」
「私の資質はともかく、局長に襲撃指示の疑いがあることに違いはありません。お答えください。【ベルセルク】を盗むよう、指示を出したのは局長ですか?」

 ヴァネッサの視線が、リアサイト越しにマグダネス局長へと突き刺さる。ヴァネッサとて、最初から正直に答えてもらえるとは思っていない。故に、長年、英国の一局を背負ってきた怪物ともいうべき上司に挑む気持ちで、その真偽を見破ろうと集中した。

 だが、やはり、生きる伝説ともいうべき国家保安を担う女は、尋常ではなかったようだ。ヴァネッサの眼光にも、突きつけられた銃口と事実にも、顔色一つ変えない。あくまで自然体で、むしろ聞き分けの無い問題児を相手にするような呆れさえ感じさせながら口を開いた。

「答えは、“NO”よ」
「……それは、本当ですか」
「やっていないことの証明は、悪魔の証明よ。それを示せというのなら、もはや、あなたに局員を名乗る資格はない。そもそも、どうして私が、そのような指示を出さなければならないというのかしら?」

 確かに、エミリー達が行方をくらませるつもりだったという情報を知らない保安局としては、エミリー達が手元に来ることは確定事項だった。わざわざ盗み出さなくとも、保安局は【ベルセルク】も、生みの親であるエミリーも、そしてエミリーが作り出すであろう対抗薬も、全て手に入れることが出来たはずだったのだ。

 故に、マグダネス局長が、あのタイミングで【ベルセルク】を確保させる必要性はないと言えた。

 ヴァネッサの疑惑の源は全て状況証拠であり、また彼女自身の勘によるところが大きいのだ。その自覚があるヴァネッサとしては、結局、それらの事実を突きつけて揺さぶりをかけ、自らの目で見抜くという方法しか取り得なかった。

 言葉に詰まるヴァネッサ。真偽を見抜こうと目を凝らすが、マグダネス局長は微塵も揺るがない。あるいは、本当に、最初の襲撃は全くべつの組織だったのだろうか……ヴァネッサは自分の勘を疑い始めた。

「質問は終わりかしら? なら、ヴァネッサ=パラディ、あなたを拘束するわよ。まさか、私に銃口を向けておいて、そのまま任務を続行できるとは思っていないでしょう?」
「それは……」

 マグダネス局長が、片手を上げる。黒塗りの車の脇に控えていた捜査官の一人が、無言で進み出て来た。ヴァネッサを拘束するつもりなのだろう。

 それ見て、エミリーが声を上げる。

「待って! ヴァネッサは私のためにやってくれただけなんです! 今までだって、ずっと私を守ってくれたんです! だから――」

 しかし、その訴えはマグダネス局長の眼光により強制的に黙らされた。

「……グラント博士。子供のわがままもいい加減にして欲しいわね。貴女を巡るこの事件で、どれだけの犠牲が出たと思っているのかしら?」
「っ、それは……」
「天才なのでしょう? まぁ、それは特定分野に限ってということなのかもしれないけれど……弁えるべきときに弁えるくらいの分別は持って欲しいわね。こちらは、【ベルセルク】を作った者として、貴女を拘束し対抗薬を作らせる権限がある。国家の安全を脅かす事態ですからね。でも、そこに貴女のご家族を保護することまでは含まれていないのよ?」
「そんなっ。だって、ちゃんと保護してくれるって――」
「ええ、私達の善意でね」

 それはつまり、これ以上、この事件を掻きまわすつもりなら、保安局はもう、グラント家を保護しないということ。そして、国家保安局の持つ権限でエミリーを拘束し、対抗薬の研究を強制するということ。おそらく、司法機関に訴えたところで、通りはしないだろう。なにせ、これはマグダネス局長の言う通り、国家の安全を脅かす事案であり、エミリーは第三者ではなく、まさにその発端なのだから。

 ヴァネッサが銃を下ろした。彼女の勘は未だに、保安局を疑えと警鐘を鳴らしている。しかし、マグダネス局長のロジックに穴はない。嘘を吐いている様子も感知できない。そして、エミリーも、マグダネス局長の言葉で、自分はとんでもないわがままをしているだけだと感じて、肩を落とす。家族は誘拐などされていなかったと、怒りが萎む。

 マグダネス局長は、いかにも面倒なことだったと言わんばかりに溜息を吐くと踵を返そうとした。代わりに、捜査官がヴァネッサの拘束と、エミリーの保護のために前に進み出て来る。

 そこで、不意に声が上がった。

「善意って言葉、辞書で調べ直した方がいいんじゃね?」

 どこか場にそぐわない、飄々とした声音。大して張り上げたわけでもないのに、やけに明瞭に響き渡る。

 ハッとしたのはその場の全員。ヴァネッサと、感情のままにその隣へ並び立っていたエミリーが、バッと音が鳴りそうな勢いで振り返る。

「……その反応。傷つくんですけど。なんで、『誰っ!?』みたいな雰囲気出してんの? エミリーなんか、さっきまで俺の服の袖を摘まんでたくせに」

 浩介が口をへの字の曲げて不満をあらわにする。ヴァネッサとエミリーは、気まずそうに視線を逸らした。まさか、後ろに浩介がいることを完全に意識から外していて、素で驚いたなんて言えない。もっとも、二人の態度で、浩介には丸分かりだったが。

「……あなたは誰かしら? 車の中に隠れていたようだけど?」
「いやいや、エミリーと一緒に降りて来たろ! 普通に、問答してるときも、ヴァネッサさんの後ろにいただろ!」
「……」

 マグダネス局長の訝しそうな表情! 浩介は更に傷ついた! でも、慣れているから大丈夫!

「質問に答えなさい」

 取り敢えず、浩介のツッコミをスルーして質問を繰り返すマグダネス局長。浩介は、彼女の命令を軽く無視すると、実に“いい笑顔(青筋つき)”で言葉を返す。

「俺が誰かなんて、どうでもいいだろ? それよりさ、御託を並べてないで、さっさとエミリーの家族を、ここに連れて来いよ。なにを話すにしろ、全てはそれからだろ?」
「外国の少年が、いったい誰に口を聞いて――」

 マグダネス局長から、今までの比でないほどの冷たい空気が叩きつけられる。だが、思わずヴァネッサをして冷や汗をかかせるそれを、浩介は柳に風と受け流した。何が一国の重鎮か。無機質な殺意に塗れた神の使徒や、容赦の欠片もない魔王の威圧に比べれば、まるで子犬の威嚇だ。

「くだらない真似をして、不安を煽ってた奴の言葉なんて、どれだけ辻褄が合っていようが信用なんてできねぇんだよ」
「不安を煽る?」

 なんのことだと首を傾げるマグダネス局長を、浩介は表情を冷めたものに切り替えた。

「そうだろ? なんだよ、あのメッセージ。まさか、他の人間への秘匿のため、なんて阿呆な言い訳はやめてくれよ。ヴァネッサさんに連絡させる方法なんていくらでもあるんだからな」

 たんに、連絡先を一つ入れただけの携帯を置いておくでもいい。連絡を入れさせる方法などいくらでもある。電話をかけた相手がヴァネッサでなければ、それはそれで相手が何者か探る手立てにもなる。あんな、わざわざ撮影した家族の映像を送る必要はないのだ。

 それでも、あのような手段を取ったのは、エミリーの無意識に刻み込むため。彼女の家族を、その気になればどうにでも出来るのだということを。今はまだ(・・・・)無事だということを。保護したという建前そのままに、選択を迫ったとき、心の天秤を傾きやすくするために。上下関係を、刷り込むために。

 それが分かるから、エミリーが、どれだけ家族を心配したか分かっているから、もう二度と、大切な人達を失いたくないという想いを聞いたから。

 だから、浩介の怒りのボルテージは止まることなく上がっていく。

「今だってそうだ。まるで、エミリーが全ての原因みたいな雰囲気にしやがって。最初に事件を起こしたのも、そのあとも、全部、欲に目がくらんだ馬鹿野郎共のせいじゃんか。作ろうと思って作ったわけでもないもん取り合って、この子の大事な人達を巻き込んだのも、どっかの馬鹿野郎じゃん。履き違えてんじゃねぇよ。この子は被害者であって、加害者じゃない」

 もちろん、【ベルセルク】の生みの親としての責任はある。だからこそ、エミリーは、ここにいる。頭を抱えて小っちゃくなって、そのまま全てが終わるのを待っている選択だってあっただろう。でも、自分は託されたのだと、自分がやらなければならないのだと、そう決心して、ここにいるのだ。

「まだ十六歳だぜ? なのに、家族も同然の大事な人達を失って、血の繋がった家族にも会わせてもらえなくて……そんな子相手に、不安や罪悪感を煽るような奴を、俺は絶対に信用しない」
「……」

 浩介の飄々としていた声に、怒気が混じる。さっきまで、ヴァネッサやエミリーにすら忘れられていた男とは思えない、決して無視できない何かが滲み出ていた。沈黙したまま、しかし、完全に浩介へと体を向け直すマグダネス局長の態度が、その正体不明のプレッシャーの存在を証明している。

 浩介は、ヴァネッサとエミリーを通り過ぎて前に出た。そして、ちょうど、マグダネス局長とヴァネッサ達の中間辺りの位置で立ち止まると、振り返らずに問うた。

「なぁ、ヴァネッサさん、あんたの勘は、どう言ってる? ロジックなんてどうでもいい。ここまで、何を言われようが、どんな状況だろうが、一心にエミリーを守って来たあんたの心は、あの女をどう見たんだ?」

 ヴァネッサの視線が泳いだ。しかし、それも一瞬。迷いを断ち切るように、凛とした表情で答えた。

「黒、だと言っています」
「だよな。俺もそうだ」

 浩介の視線が、マグダネス局長からスッと逸れて、その背後を映す。

「そもそもだな、あのとき、ホテルから逃げ出すとき、ヴァネッサに銃口を向けたクソッタレを部下にしといて、今更、なにいってんだ?」

 浩介の視線が、スッとアレンへと流れた。

「え、わ、私ですか? いきなり、なにを言うんです……私はしがない分析官で――」
「とぼけるなよ、ガーゼ男。それが素の顔か? 随分と変装が上手いんだな。でも、俺の灰皿アタックの傷跡は直ぐにどうにか出来るもんでもなかっただろう?」
「なんのことか、私にはさっぱり……」
「これはハッタリでもなければ、推測でもない。あんたの気配なら覚えた。だから、あのとき、立ち塞がったチンピラは、間違いなくあんただ」

 鼻ガーゼの分析官、アレン=パーカーがうろたえたように視線を彷徨わせる。「いやぁ、ほんと、なんのことかさっぱりで……」と呟いているが、浩介はもう興味を失くしたのか視線を外した。浩介の背後では、何故、ただの分析官があの現場にいたのかと、ヴァネッサが浩介の言葉を信じて疑問顔を晒している。

 マグダネス局長は再び溜息を吐いた。

「……それで、私が信用できないとして、だったらどうするというのかしら? キンバリーの組織は、容赦なくグラント博士を追うでしょう。周囲にどれだけの犠牲がでても気にもせずに」

 だから、結局は保安局に従うしかないでしょうと、言外に言い放つ。普通ならそうだろう。組織には、組織しか対抗できない。だからこそ、ヴァネッサも局長の真意を確かめようとしたのだ。

 勇ましく啖呵を切ったところで、捜査官一人と外国の少年一人に、なにができるというのか。

「俺が守るさ」
「……なんですって?」

 余りにあっさりと放たれた言葉に、マグダネス局長は思わず聞き返す。無理もないことだ。いくら平和ボケしているとよく言われる日本人の少年といえど、その大言は余りに現実が見えていない。場にそぐわないにもほどがあった。

 しかし、浩介は恥じることも、状況に酔っている様子も、微塵も見せず、淡々と言葉を重ねる。

「なんの問題ないって言ったんだ。エミリーはエミリー自身が決めた通りに、本分を全うすればいい。家族と一緒にな。もちろん、保安局が“全うに”保護してくれて、ふざけた干渉もしないってんなら、それに越したことはないけど。たとえ、あんた達の後ろ盾が得られなかったとしても、問題ない。どうにでもするし、誰にも邪魔はさせない。エミリーも、彼女の家族も、俺が全力で守る」
「……どうやらボーイミーツガールを体験して、少し舞い上がっているようね。映画の見過ぎといったところかしら?」

 浩介の後ろで、「はぅっ」と何かを撃ち抜かれたように胸元を押さえる少女を尻目に、マグダネス局長は呆れたような表情を見せた。そんな彼女に、ヴァネッサが強気に反論する。

「局長。彼は普通の少年ではありませんよ? 少なくとも、彼がその気になれば、捜査官一人と分析官など相手にならない。まして、彼は情報戦に長け、どんな相手でも暗殺できる。局長、あなたも例外じゃありません」
「……随分と、彼を買っているようね、パラディ。それで? どう見ても自分を主人公と勘違いしてしる夢見がちな少年は、何者だというのかしら?」

 ヴァネッサは、小さな、しかし、はっきりと分かる不敵な笑みを口元に浮かべ、自身の最大の切り札を口にした。

「彼こそ、保安局のブラックリストに、たった数年の活動で記載された――ミスターKです」

 だから、下手なことをするな。きちんと、エミリーもその家族も保護して、対抗薬が作られれば、現存の【ベルセルク】は全て破棄すること。それを確約しろと伝える。局長にどんな思惑があるのかは分からないが、事件の解決にのみ傾注しろと。

 マグダネス局長の脅迫じみた言葉に、同じく脅迫じみた言葉で返したヴァネッサに、マグダネス局長は意外な一面を見たといいたげな表情を一瞬浮かべるものの、次の瞬間に失笑を響かせた。

「……なにがおかしいのですのか?」

 苛立ったように視線を鋭くするヴァネッサに、マグダネス局長は肩を震わせる。

「いえね、勝手にグラント家へ向かったり、私に銃を向けたり、随分と強気な行動が多いと思ったのだけど、その源が、まさか、“ミスターK”だったなんて。まぁ、確かに、あなたはミスターKに連絡を取っていたから、その少年を彼だと勘違いするのも無理はないのかもしれないけれど」
「なにを言って――」
「彼は、ミスターKではないわ」

 自身の切り札を笑われた挙句、きっぱりと断言されたヴァネッサは絶句する。なにを根拠にと反射的に反論しようとする。

 マグダネス局長は、一瞬、何かを考えるような素振りを見せたあと、憐れむような眼差しをしながら答えた。

「パラディ。ミスターKはね、保安局員なのよ」
「……え?」

 意味が分からない、とヴァネッサが目を点にする。そんなヴァネッサへ、マグダネス局長は、まるで希望を磨り潰すように、ゆっくりと丁寧に言葉を重ねた。

「あなたが知らないのも無理はないわ。非合法局員ですもの。――【J・D(ジョン・ドゥ)機関】。情報局と保安局、国内外の不穏分子や危険人物、組織に対抗する我が国二大組織に跨って存在する、存在しない機関(・・・・・・・)よ。構成員は全てアルファベットないしナンバーで呼ばれるわ」
「で、ですが、ミスターKは、暗殺者で――」
「ええ、だから言ってるでしょう? 非合法で、存在しないのだと」
「っ」

 絶句するヴァネッサ。それはそうだろう。自分の所属する組織が、法の埒外で殺人を行っているというのだから。まさに映画の世界だ。巨大な組織に、闇は付き物ということだろう。

 そして、本来、局長の他、最高幹部クラスしか知り得ないその情報をここで開示したのは、ヴァネッサとエミリーの心を折るため。逃がさない、引かないという決定を伝えるため。国家組織の強大さを、見せつけるため。

「あなたが、本部とは別にミスターKへ連絡を取ったのは驚いたわ。まだ若く、冷静さを心掛けていても、正義感と使命感に人一倍敏感なあなたが取るとは思えない方法だったから。もっとも、あなた達の援護に向かわせたのに、通りすがりに灰皿で倒されるなんて……あなたの力量については再評価するべきかしらね。ねぇ、アレン――いえ、エージェント“K”?」

 肩越しに振り返りながら、殺意すら感じる視線を叩きつけられたのは、アレン=パーカー分析官だった。

 そう、浩介の言う通り、ホテルからの脱出時、灰皿の投擲によって昏倒させられ、更にヴァネッサに股間を踏みつけられた男は、変装したアレンだったのである。同時に、彼こそが、ヴァネッサが救援を頼んだミスターKだった。暗殺者のはずのミスターKが、エミリーの護衛という仕事を引き受けた理由は、ここにあったのだ。

「そ、それじゃあ、こうすけ、は……」

 組織の闇を垣間見て呆然とするヴァネッサの隣で、エミリーが揺れる瞳で呟く。

 アレンが、タブレットを持って、マグダネス局長の視線にビクビクしながら歩み寄っていく。浩介の存在を認識した直後から、ずっと何やら操作していたのだが、その結果は、どうやらエミリーの疑問の答えだったようだ。

「きょ、局長? 確かに、ここ数日失態続きですけど、俺は暗殺者であってですね、それ以外は専門外というか、なんというか……だからですね、あんまり怒らないで欲しいと言いますか……」
「黙りなさい、無能」
「いえす、まむ」

 タブレットを引ったくられたアレンがガクリと肩を落とす。マグダネス局長は、アレンが集めた情報に視線を落とした。そこには、いつの間に撮ったのか、浩介の顔写真と、数日前の空港での浩介の写真があった。そして、搭乗者リストから、年齢と国籍を割り出し、浩介の正体を突き止める。

 暗殺専門と言いながら、分析官としての腕はやはり超一流だ。情報戦に強い暗殺者として名が通っていたが、どうやらそれは保安局内部の人間だからという理由だけではないようだ。

「コウスケ・エンドウ。日本人、十八歳。ごく普通の家庭に生まれた、ごく普通の高校生ね。冬季休みを利用して海外旅行かしら? ……あら、あなた以前に世間を騒がせた“帰還者”の一人なのね。なるほど、こうしてふらりと旅行に出ては、事件に首を突っ込んでいるというわけね。その根拠のない自信は、一度は帰れたから、今度も大丈夫という楽観からきているのかしら?」

 愕然とするヴァネッサとエミリー。時々、「本当に凄腕の暗殺者なのだろうか?」と疑問に思うことはあった。車が運転できない。銃を持っておらず、それどころかまともに撃てないという。なにより、纏う雰囲気が軽すぎた。それこそ、本当に日本の学生と言われた方が、しっくり来るほど。

 それでも、浩介を“ミスターK”だと思っていたのは、あのホテルでの襲撃を彼のおかげで切り抜けることが出来たから。そして、時折見せる顔が、“やっぱり彼が”と期待させたから。

 だが、そんな彼は、本当に、ただの日本の学生だった。

「だから何度も言っただろ。俺はミスターKじゃないって。全然信じてくれないし……」

 肩越しに振り返った浩介が、苦笑いを見せる。そんな浩介に、マグダネス局長は告げた。

「ミスターエンドウ。このままお家に帰るなら、なかったことにしてあげるわ」
「へぇ。俺が、J・D機関の話とか、いろいろ言いふらすとは思わないのか?」
「日本人の少年が、そんな話をしていったい誰が信じるというの? いい加減、物語の主人公を気取るのは止めなさい」

 直後、一発の銃声が響き、浩介の足元を銃弾が穿った。アレンが、「ごめんねぇ」なんて言いながら、抜き手も見せずに発砲したのだ。それは最後通告だった。ここで尻尾を巻いて逃げなければ、旅行先で日本人の少年が不幸な事故に合った、ということになるのだ。

 それは余さず、浩介へと伝わる。だが、

「ま、帰らないんだけどね」
「まだ、現実が認識できないのかしら?」
「いや、認識してるよ。――武装した人間が、三十二人。そこら中の建物に潜んでいて、こちらを完全包囲していることくらい認識してるさ」

 ここに来て、初めてマグダネス局長の表情が変わった。大きく目を見開き、何故と、隠しもせずに驚愕をあらわにしている。その間も、浩介の視線は、建物の窓、曲がり角の陰、柱の後ろなどに巡らされている。――全て、マグダネス局長が配置した、保安局強襲課の特殊部隊員が身を潜めている場所だった。

「信用できる人間がいないから、そこの二人だけを連れて自ら動いた。あんたはそう言ったけど、その割には随分と連れて来たじゃんか」
「あなたは……」

 ただの学生のはずの少年の、見透かすような瞳に、マグダネス局長の言葉が詰まる。万が一の備えが仇となった。周囲から、僅かに動揺の気配が漏れ出し、傍らのアレンは軽い態度が薄れて、スッと目を細め出した。

 夜の風が、ぬるりと生暖かくなった気がした。部隊の配置を看破しながらなお、ポケットに手を入れたままという余裕の態度で、動揺の欠片も見せない浩介は、言う。

「もう一度言うぜ。あんたは信用ならない。そして、みつどもえの争いじゃあ、敵の敵に対する評価は、むしろあんたより信用できる。キンバリーの示唆は、本当なんだろう。研究棟に盗みに入り、この子の大切な人達を巻き込んで死なせたクソ野郎は、そこのミスターKだ。さっき、失態続きとも言っていたしな」
「……さっきも言ったわ。そんなことをする必要が私には――」
「動機の話か? そんなもん大したことじゃないだろ。理由なんていくらでも想像ができるし。兵器転用か、利益追求か、国家的判断か、それともあんた個人の欲か……」

 マグダネス局長は、しばし、浩介をジッと見据えた。そして、おもむろにスッと手を掲げた。

 直後、一斉に姿を現す特殊部隊の隊員達。フルオート射撃可能なマシンガンの銃口を、浩介へと照準する。同時に、マグダネス局長は、襟元の無線に命令を下した。内容は、グラント家の人達を連れて来いというもの。

「国家という大船を守るためには、悪が必要なときもあるのよ。法でも、取引でもどうしようもない相手を、それでも国家という大船を守るためにどうにかしなければならない。そんな必要悪の具現が、J・D機関であり、ミスターKよ。【ベルセルク】もまたしかり」

 マグダネス局長の視線が、エミリーを捉えた。

「テロリストとの闘いで、年間に、どれだけの人員が、兵士が、死んでいるか知っているかしら? 尊い彼等の代わりに、捕えたテロリストを狂った怪物にして放り込めるなら……どれだけ有用か。我が国の尊い命を救えるか、犠牲を払わずに済むか。けれど、グラント博士には、きっと理解はできないでしょう」
「だから、対抗薬だけ完成させて、【ベルセルク】自体は盗もうとした?」
「そうね。グラント博士は、【ベルセルク】を嫌悪しているようだったから、対抗薬の研究過程で、データになにかしらのバグを仕込まれる可能性もあった。原品を確保しておくのは必要なことだったのよ。彼女が本意から作った対抗薬と、手を加えられる前の【ベルセルク】を手元に揃える必要がね。あとは、彼女自身に【ベルセルク】を破棄させて、盗んだデータをもとに私達の方で改良を進めればいい」

 だが、それもここまで。エミリーには、国家の為に、【ベルセルク】の改良をさせるのだろう。対抗薬は、むしろ【ベルセルク】のコントロール薬というべきか。そして、エミリーのモチベーションは、人質となった家族だ。

 エミリーが、顔を青褪めさせる。【ベルセルク】が兵器転用された未来を想像したのだろう。そして、同時に想像してしまったのだ。マグダネス局長が、そんな話をし始めた理由に。

 それを証明するように、マグダネス局長の視線が浩介へと戻った。

「これも必要悪よ。今回の件を、あなたは知りすぎた。存在しない国家機関なんてゴシップとは訳が違う。加熱するメディアに、ベルセルクの話をされるのは、少々面倒だわ。ボーイミーツガールに浮かれた代償は、高くついたわね。今度は、もう、“帰還”できないわよ?」
「逃げて、こうすけ! ごめんなさい! 巻き込んでごめんなさい! 早く逃げて!」
「コウスケさん……申し訳ない」

 エミリーが叫ぶ。もう不可能だと分かっていながら、それでも、叫ばずにはいられない。ヴァネッサが咄嗟に飛び出そうとするが、レザーポインターの赤い光が自分の体に降り注ぐのを見て思わず動きを止める。そして、同じように赤い死の点に覆われている浩介を見て、後悔と罪悪感を滲ませた表情で謝罪を口にした。

 そんな二人に、死を突きつけられた浩介は、

「心配すんな。言ったろ、俺は、ミスターKじゃないけど……魔王の右腕だって」

 顔は見えない。少し俯いた浩介の表情は前髪で隠れてしまっている。ともすれば、これから起きる自分の運命に恐れをなして、今にも崩れ落ちようとしているようにも見える。だが、そんな様子でありながら、エミリー達へ返された声音は、まるで吹き抜ける風のように心地よく響き渡った。

 そして、この期に及んで、“魔王の右腕”などと言い出した浩介に、妄想の世界でのみ生きている哀れな少年だったと、マグダネス局長が、溜息を吐きながら処刑の合図を送ろうとして、

「なぁ、局長さん」

 浩介の呼びかけに、一瞬、気を取られた。そして、いつの間にか、自分の腕に鳥肌が立っていることに気がつく。自分の状態に疑問を覚えるマグダネス局長に、その言葉はそっと届けられた。

――エミリーの親父さん達、まだ来ないな?

 ハッとして、マグダネス局長は無線に何をしているのかと呼びかける。ザッーザッーと、何故かやたらと不気味に感じる雑音に耳を澄ませていると、あり得ない声が返って来た。

『ただいま、任務を放棄しております。御用の局長は、ピーという発信音の後に、人生をやり直しやがってくださいませ』

 通信越しでも分かる。その声音は、確かに、今の今まで自分が会話していた相手の声音。あり得ないことだ。なぜ、グラント家の監視に送っていた人員の無線機から、この場にいる少年の声が聞こえるのか。

 わけが分からない。まるで、虫が背筋を這っているような寒気。慄然としながら、マグダネス局長はゆっくりと、己の襟元の無線機に向けていた視線を上げ――そして、見た。

 前髪で隠れた表情はそのままに、浩介の口元だけが、ニィイイイと裂けたのを。それはまるで、今宵の空に輝く三日月の如く。

「必要悪を謳う国家の犬共。準備はいいか? 覚悟は決まったか? 出来ていないなら急ぐといい。深淵は既にここにある」

 マグダネス局長が、黒いインクに意識を塗り潰されるような恐怖を覚えながら、半ば無意識に腕を振り落としたのと、

 “奴”が現れたのは同時だった。

「さぁ、ショウタイムだ」


いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。

来るぜ、奴が、来るぜぇ

次の更新も、土曜日の18時の予定です。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ