挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

ありふれた番外編 世界のアビスゲート卿から

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

201/282

あんた、さてはオター

「殺す、ミスターK、殺す。なにが凄腕の殺し屋よ。研究者舐めんな。絶対、ぶっ殺す」

 たまに街頭の光や対向車のライトが差し込むだけの静かな車内の後部座席から、ブツブツと呪詛じみた言葉が紡がれていた。

 運転しているヴァネッサがチラチラとバックミラーに視線を向ける。その視線は、後部座席で膝を抱えて小っちゃくなりながら、死んだ魚みたいな目で恨み辛みを吐き続けるエミリーの姿と、その隣でエミリーから極力距離を取りながら冷や汗を流している浩介の姿へ、交互に向けられていた。

 理由は、浩介の上着が足元に置かれていることと、まるで室内の何かを散らすように、冷えた空気が入り込むのも気にせず窓が開けられていることから、言わずもがなだろう。

 バックミラー越しに、浩介とヴァネッサの視線が合う。浩介が涙目でプルプルと首を振りながら、助けを求めるような視線をヴァネッサに向ける。

 ヴァネッサはスッと視線を逸らした。後ろから、ゴンッと窓ガラスに頭を打ちつけたような音が響いてきた。

(……それにしても、ミスターK。彼は、なんとも……不思議な人ですね)

 自分の頬に突き刺さる後部座席からのSOS的な視線を感じつつ、ヴァネッサは胸中でそう独り言ちた。

――ミスターK

 二年ほど前から、警護が厳重な大物を次々と暗殺してきた経歴・人相共に不明の殺し屋だ。所属はないようで、特定の方法を用いて依頼をすれば、報酬額次第でどんなに困難な殺しでも行う。

 ヴァネッサの所属する保安局でも、一年ほど前からブラックリストに載った危険人物だ。殺しの腕もそうであるが、国家の情報機関が調査しても掴まされるのはいつもダミーの情報で、本格的に調査が開始された半年前から現在まで、未だ正体が割れていない、という事実だけでも十分に危険だ。

 ただ、それだけの腕を持っていながら、既存のブラックリスト記載者と比較分析しても、同一人物と思われる者はおらず、情報局ではもっぱら大型ルーキーとして注目されている。

 ちなみに、国家保安局は、国家の安全にかかわる重大犯罪において広域の捜査権と逮捕権を有し、更には要人の保護などを行う機関であり、国家情報局は文字通り、諜報機関となる。各局は更に細分化された部署に分かれるのだが、ここでは割愛。

 ヴァネッサは、一時期、このミスターKの起こした暗殺事件の捜査チームに入っていた。その過程で、ミスターKとのコンタクトの取り方と、彼のプロファイリングを知ることになったのだ。

 プロファイリングでは、ミスターKは、暗殺業を完全なビジネスとして捉えている旨が記載されていた。殺しの手口は至ってシンプルで弄んだような形跡は皆無であり、急所へ二撃、確実に撃ち込んで殺す。愉快犯的なメッセージを残すことも、犯行声明を出すこともない。そして、依頼を受け契約した以上は、どんなに困難でも、たとえ契約内容が間違っていて難易度が跳ね上がっていても、成功するまで決して止めないという仕事人的なポリシーが見受けられるとのことだった。

 ミスターKは間違いなく、凶悪な殺人者。しかし、いかに冷酷非道な人間であっても、契約だけは何があっても遵守するという仕事人である。

 キンバリーが裏切り、仲間が全滅し、本部からの応援と合流する前に敵からの間断なき襲撃がやってきては逃亡を余儀なくされ、孤立無援の状態を抜け出せない。そんな状況でエミリーを守るには、一つでも多くの手札を切っておく必要があったのだ。

 護衛に付随する殺人の許容――ヴァネッサの苦渋の選択だ。この件が終われば、懲戒処分は確実だろう。

 そもそも、ミスターKと連絡が取れるか、取れたとして、直ぐに合流できる範囲にいるのかも分からなかったし、正体を隠す彼が契約に応じてくれるかどうか、そこからして既に賭けであった。

 なにせ、依頼の内容は護衛だ。当然、護衛対象の近くにいなければならず、必然、それはミスターKの正体をさらすということになる。変装の名人という分析もされているが、それにしてもリスキーだ。

 まして、少し調べれば、依頼人が政府の関係者であることも、情報戦に強いミスターKなら直ぐに分かっただろう。

 故に、どうにか報酬額で釣れればという細い望みのもと、コンタクトを取ったヴァネッサだったが、意外にも、ミスターKからの返答は“引き受ける”というものだった。ヴァネッサは訝しんだが、ミスターKが隠れながらの護衛を基本とすることと、多額の金銭を要求してきたことから、一応の納得をして契約を結んだ。

(だというのに、彼はあの場に姿をあらわしました。まさか、まだ少年といってもいい年齢の日本人だとは思いもしませんでしたが……。変装でしょうか? それにしては、この距離でも全く分かりませんし、素顔にしか見えませんが……。素顔なら、いったい、なにを考えているのか)

 室内で、離れた場所から護衛するというのは難しい。屋外において、狙撃などの方法で守れるわけではないのだ。それは最初からミスターKも分かっていたはず。だから、もしかしたら謀られただけかもしれないと、ヴァネッサはエミリーと打ち合わせてフラッシュバンの使用や階下への飛び降りを準備していた。

 内心では、プロファイリングが間違っていて、あるいは本当に金に卑しいだけの殺人鬼である可能性も考えていた。ミスターKが、自分達に牙を剥く可能性を、ヴァネッサは捨てていなかった。

(今も、人格からして擬態している可能性はありますが……)

 再び、チラリとバックミラーに視線をやれば、浩介が「やっとこっち見た!」といった感じで表情をぱぁと輝かせる姿が見える。そして、チラッチラッとエミリーの方へ視線を向けながら、ヴァネッサへアイコンタクトを送って来る。

……一人の女の子相手に困り果て、必死に助けを求めてくる凄腕の暗殺者。

(意味が分かりません……)

 後部座席から「おいこら、今、目が合っただろ。なんで逸らす!」と小さい声で話しかけて来る。想像していたミスターKと、「ねぇ、ちょっとっ。無視するなよぉ。……まさか、同じ車に乗ってるのに意識から外れて……?」とか涙目で呟いている日本人の少年の姿が、どうしてもヴァネッサの中で結びつかない。

「あの、ミスターK」
「! ミスターKじゃないけど、なんだ?」

 話しかけられて、ちょっと嬉しそうに身を乗り出す浩介に、ヴァネッサは先程断られたことをもう一度頼んでみた。

「申し訳ないのですが、運転を変わってもらえませんか? 流石に、ちょっと辛くなってきました」
「え? いや、さっきも言ったけど、俺、運転なんかできないし、運転したこともないから。まだ免許取ってないんだ。っていうか、日本で免許取っても、外国で運転ってしていいのかな?」
「……本当に、運転をしたことがないのですか?」
「ないよ。原付すら乗ったことがない。だから無理だ。怪我してるのに悪いけど……」
「いえ、別に、意識レベルは問題ありませんし、止血も出来ているので」

 古いホテルから脱出したあと、車まで辿り着いたヴァネッサ達。そのとき、ヴァネッサは自身の怪我もあり、大きな問題はないものの追っ手に備えて浩介に運転を頼んだのだが、今と同じ理由で断られてしまっていた。

 最初は、冗談か、あるいは戦闘に備えて自分をフリーにしておいて欲しいという意味なのかと思ったヴァネッサだったが、今も申し訳なさそうに眉を八の字にする浩介を見ていると、どうにも運転できないというのが真実に思えてくる。

 英国のみならず、世界各地で要人暗殺を行ってきたミスターKが、車を運転できないなど、あるはずがないのだが……

(というか、何故、この状況で、頑なにミスターKであることを否定するのでしょうか……。もしや、それで正体を隠せていると思っている、とか? いやいや、まさか……)

 ヴァネッサの中で、ミスターKはお馬鹿な人になりつつあった。

 少しだけ、浩介の言う通り、「もしや、人違いでは?」という考えが浮かんだのだが、あの誰にも気が付かせない凄まじいまでの隠形と、銃口を向けられてもまるで怯まない場慣れした雰囲気、そして銃弾の一発すら放つことなく、ホテルの灰皿だけで切り抜けた技量……どれを取っても、“一般人”などとは思えない。

 故に、ヴァネッサの中で、浩介の印象は余りに噛み合わないことばかりとなり、“不思議”あるいは“奇妙”という評価に行きつくことになってしまうのだった。

 まさか、隠形は生来の悲しい能力であり、身近にレールガンをぶっ放すお人がいるので銃には慣れているとは思いもしないだろう。また、銃を撃たなかったのではなく、単に銃など持っていないのと、射撃なんてできないからとは、やっぱり思いもしないだろう……

 ミスターKは暗殺者。浩介は確かに凄腕の暗殺者だが、ミスターKではない。地球の(・・・)暗殺者なら出来て当たり前のことができない。でも、殺し合いと修羅場なら経験豊富。

 こうして、浩介の人物像に対して、ヴァネッサの混乱には拍車がかかるのである。

「な、なぁ、さっきから放置しているけどさ、この子、どうすんの? なんか、俺への恨み言が、既に呪詛にしか聞こえないレベルなんですけど。目は死んでるのに、なんかうっすらと笑みを浮かべ始めているんですけど。あ、今、『ケケケ』って笑ったぞ!? 絶対、なんかやばいって!」

 ビクビクしながらエミリーを引き攣った表情で横目に見る浩介。ヴァネッサは、今にも暗黒面に落ちそうなエミリーの姿を見て、取り敢えず、浩介に感じる違和感は脇に置き、ようやくエミリーに話しかけた。

「グラント博士。元気を出してください。あのときも言いましたが、状況が状況だったのです。恥ずかしいことではありません」
「……ヴァネッサ」

 エミリーが虚ろな瞳に、ちょっぴり光を宿して顔を上げる。バックミラー越しにエミリーと視線を合わせたヴァネッサは、無表情を僅かに崩して目元を緩めると、更に慰めの言葉を紡いだ。

「それに、私と出会ったときもお漏らししていたではないですか。今更――」
「うわぁあああああんっ、どうせ、私はお漏らし女よぉおおおお」

 訂正、止めの言葉を紡いだ。浩介から「追撃してどうすんの!?」とツッコミが入る。エミリーは、再び膝に顔を埋め、今度は両手で頭を抱えながらこれでもかと小っちゃくなった。

 後部座席のてんやわんやに、ヴァネッサが若干、焦ったような表情になりつつ、何とか挽回しようと頑張る。

「だ、大丈夫ですよ、グラント博士。私とミスターKが黙っていれば、誰にも知られません。知られないことは、ないことと同じです」

 なかなかの暴論だ。しかし、エミリーの荒んだ心には、涼風のように優しく届いた。もっとも、これがヴァネッサだけならともかく、流石に異性に、それも年の近い異性に知られているとなれば、それだけで精神的には大ダメージだ。そうそう簡単には割り切れない。

「で、でも……」

 エミリーの視線がチラッチラッと浩介に向けられる。だが、そんなことは想定済みだとでも言うかのように、今度はドヤ顔に見える表情でヴァネッサは慰め言葉をかけた。

「グラント博士。安心してください。ミスターKは日本人です」
「そ、それが?」
「日本には、こんな言葉あります。――“むしろ、ご褒美です”」
「ど、どういう意味なの?」

 浩介の「だから、ミスターKじゃないから。浩介だから」と訴える言葉を華麗にスルーして、続けられたヴァネッサの言葉にエミリーが首を傾げる。そして、ヴァネッサの言葉の意味を察した浩介が、「ちょっと待てぇい!」と制止するが……

「美少女にされたことなら、どんなことでも嬉しい、役得だ、という意味です。そう、相手が美少女なら、たとえ急所を踏まれても、グーで殴られても、口汚く罵られても、そして、おしっこをかけられても! むしろ、ご褒美だという意味です!」
「ななななな、なんですってぇ!?」

 天才少女エミリー=グラントの知らない世界。日本人の業はどこまで深いというのか。エミリーの表情に戦慄が走る。浩介が「やめろぉ! 日本人で一括りにするんじゃねぇ!」と叫ぶが、そんなものは華麗にスルーして、ヴァネッサは言葉を続ける。

「グラント博士。あなたは美少女です。そして、ミスターKは日本人です。つまり、グラント博士におしっこをかけられたミスターKは、内心では狂喜乱舞しているのです!」

 まさに、完璧なロジック。隙などありはしない! ヴァネッサが、珍しくもふふんっと得意げに鼻を鳴らし、慰めの言葉を締めくくった。

「故に、グラント博士。たとえ、ミスターKに抱えられたまま盛大にお漏らしをしてしまったのだとしても、そのせいで彼がびしょびしょになってしまったのだとしても、それは彼にとって望外のご褒美。貸し一つです。それを盾に、黙っていろと言えば、彼は喜んで応じるでしょう。いえ、むしろ、その命令にすらよろこ――」
「あんたもう黙ってろよぉ! っていうか、なんでそんなサブカルチャーを知っている――」
「こここここの、変態っ。あんた、わ、私の、お、おし――あんなのかけられて喜んでたなんてぇ! どういう神経してんのよ!」

 ヴァネッサの言葉を遮った浩介だったが、直後、顔を真っ赤にしたエミリーが浩介の襟首を掴んでガックンガックンと揺さ振り始めたために、「ぐえっ」と呻きながら声を詰まらせた。エミリーは「忘れなさい! 忘れてぇ! 忘れてよぉ!!」と叫びながら、必死に浩介を揺さぶる。

 常識外の世界を垣間見てしまい、ただでさえ限界ギリギリの精神は、遂に半ば錯乱状態になったらしい。浩介の後頭部がゴンッゴンッとドアに叩きつけられているのだが、一向に気が付く様子はない。

 更に、

「……グラント博士」
「なによぉ!」
「ミスターKの記憶を飛ばそうと試みるのは分からないでもないのですが……」
「だからなによぉ!」
「いえ、そうやってマウントポジションを取ってしまいますと……グラント博士はストッキングすら脱いでいない状態なので、ミスターKの衣服に、更にグラント博士の“それ”が染み込むのでは、と」
「!?」
「ミスターKが、更に喜んでしまうのでは?」
「あんた、俺をとことん変態にしたいらしいなっ。いいぜ、その喧嘩買ってやる! 表に出ろ! メッコメコにしてやんよ!」

 ババッと飛びのいたエミリーが勢い余って後頭部をドアに強打し、頭を抱えてのたうつ。その際、スカートが捲れて、細い足を包む微妙に色の変わった黒ストッキングが晒されるが、浩介の意識は仇敵に会った戦士の如くヴァネッサに向いていたので気が付かれなかったのは幸いだ。

 もっとも、浩介のズボンには、ヴァネッサの警告通り、“それ”がしっかりと染み込んでしまっていたが……

 後頭部の痛みと、再び染み込んでしまった自分のあれに羞恥心がマッハなエミリーの嘆きの声と、ヴァネッサに対する浩介の怒声、「いったい、なにを怒っているのかしらん?」と首を傾げるヴァネッサ……

 逃走する深夜の車内は、ボロいホテルの時に引き続き――カオスだった。


~~~~~~~~~~~~


 派手で陳腐なネオンが眩しい看板が輝く、街道沿いのモーテル。その一室に、上半身下着姿のヴァネッサと、その直ぐ傍に微妙に頬を赤く染めた浩介の姿があった。

「んっ」
「っと、ごめん。痛んだか?」
「いえ、問題ありません。それより……お上手ですね」
「まぁ、これくらいは、な。練習する機会はたくさんあったし」
「確かに、手慣れていますね」

 別に、二人していかがわしいことをしているわけではない。モーテルに入り、ひとまず落ち着いたところで、浩介が手持ちの応急キットでヴァネッサの脇腹の怪我を手当てしていたのだ。

 元々、トータスである程度の応急処置を教えられ(魔力が尽きて回復魔法が使えない場合に備えて、教えられた)、帰還してからも自学自習と戦場の医療現場巡りで覚えたために、浩介の応急処置技術は高い。戦場の医療現場巡りという私的旅行の帰りだったのも功を奏した。

 止血剤を塗り、清潔なガーゼを当てて包帯を巻きつける。その際、ちょっとだけこの世界にはない方法で回復を促しておく。

「よし、こんなもんだろ。急所は外れてるし、重要な血管も傷ついてない。弾は、自分で処置したんだな。最初の応急手当がしっかりしていたから、大丈夫だろう。でも、感染症の心配もあるし、軽い怪我ってわけじゃないんだ。早いとこ療養しないと」
「分かっています。しかし、今は、そうも言っていられません。あなたが来てくれたとはいえ、未だこちらは孤立無援状態と言っていいのですから……せめて、増援がグラント博士を保護してくれるまでは、休むわけにはいきません」
「それは、まぁ、そうかもしれないけど」

 厳しい表情を見せながらシャツを着るヴァネッサは、しかし、直後には僅かな苦笑いを見せつつ浩介へ視線を向けた。

「とはいえ、本来の五割程度も動けないでしょうから、この先、ミスターKには、かなり負担をかけることになりそうですが」
「……いや、あのだな、何度も言うけど、俺はミスターKじゃないから。浩介だから。日本の学生だから。こういう状況だし、本物のミスターKさんとやらに、もう一度コンタクト取った方がいいんじゃ――」

 どうあってもミスターKであるとは認めない浩介に、ヴァネッサは抱いていた疑問を口にしようとする。透き通った眼差しで、ミスターKの真意を探ろうとする。

 が、その前に、浩介が極力意識しないようにしていたシャァアアという水音が、キュッキュッというハンドルを回す音と同時に止まった。ピクリと反応しつつ、急に静かになる浩介。何故か、妙に緊張したような表情になっているが……仕方ない。だって、男の子だもの。

 そうして、薄い扉の向こうでガサゴソと何だかやたらと生々しい音が微かに漏れ聞こえ……

「……どうして二人共、そんなに静かなのよ」

 エミリーが半分だけ開けた扉から、訝しそうに顔を半分だけ覗かせた。その瞳には、明確な警戒心が宿っている。主に、浩介に対しての。

 浩介は、シャワーから上がったばかりのエミリーを一瞬だけ視界に収めたあと、パッとそっぽを向いた。割と凶悪だったのだ。

 エミリーは紛れもなく美少女だ。そんな彼女が、湿った髪を下ろし、ブラウスと短いスカートだけを纏っただけの姿を見せたのだ。胸元は二つほどボタンが外され、きれいな首筋があらわになっている。黒ストッキングは、当然、汚れてしまったのではいていない。つまり、細くしなやかなエミリーの素足が、惜しげもなく晒されているのだ。

「グラント博士、何でもありませんよ。今、手当をしてもらっていたところなのです」
「そう。ヴァネッサ、大丈夫なの? 撃たれたのよ? 本当に大丈夫なの?」
「ええ、不幸中の幸いというべきでしょうか。今のところ、まだ限界は感じていません。命に関わるような負傷ではありませんよ」

 エミリーがペタペタと素足のままヴァネッサのもとへ駆け寄り、ベッドに上がりながらヴァネッサの怪我を心配そうに見やる。

 そのとき、同じようにヴァネッサに視線を戻した浩介は、はたと気が付いた。四つん這い状態でヴァネッサの脇腹を覗くエミリーのスカート。部屋の電球は暖色系なので薄暗く、“その部分”は暗がりとなって見えてはいないが……

(待てよ、汚れたストッキングは捨てたわけだけど、じゃあ、汚れた下着は……どうしたんだ?)

 浩介の背筋に電流が奔った。まさか、まさか……

「はいて……ない?」
「!?」

 ヒュバッと音がしそうな勢いでスカートを押さえながら、女の子座りになるエミリー。そのお顔は真っ赤に染まり、猫目は羞恥と怒りでキッと釣り上がっている。

「あ、いや、今のは……」
「しょうがないでしょ! まだ乾いてないんだもん!」
「ア、ハイ」
「ミスターK、流石に、今のはデリカシーがなさすぎですね」
「ハイ、メンボクナイデス」

 お漏らしを盛大にひっかけてしまった相手に、ノーパンを指摘されて、しかし、一応、助けてくれている相手なので素直に怒りをぶつけることも出来ず、お漏らしノーパン娘なエミリーちゃんは、ベッドの中に潜り込むと頭を抱えて小っちゃくなってしまった。

 流石に、自分でも失言だったと自覚のある浩介は、布団の中で羞恥にぷるぷる震えているエミリーに謝罪の言葉をかけつつ、「この子、よく小っちゃくなる子だな」と感想を漏らした。もちろん、内心で。

「今後のことを話し合いたいのですが、よろしいですか?」

 浩介の謝罪で、警戒心バリバリの猫のようにそろりと布団の中から顔を出したエミリーを見て、ヴァネッサが真剣な表情で口を開いた。

 頷くエミリーとは対照的に、浩介はちょっと待ったと手を掲げて制止をかける。

「その前に、まず教えてくれないか? あんた達を助けてくれる人に、今すぐ、連絡は取れないのか? ここに着いてから、連絡を取る様子がないし……何となく察したけど、ヴァネッサさんは、国の組織の人だろう? 所属しているところに報告なり、応援を頼むなり、どうしてしないんだ?」

 それは、話を進める上での大前提だ。浩介が彼女達を助けたのは、ヴァネッサが殺されそうになっていて、かつエミリーが助けを求めたからである。流石に、目の前で人が一人殺されようとしているのに知らんふりができるほど、浩介は他者に対して割り切れているわけではない。

 だが、同時に事情を把握してもいないのに、キンバリー達を悪と断じて、エミリー達を助け続けることも出来はしない。あの場面では、仕方なく二人と共に逃亡することを選んだが、ヴェネッサが仲間を呼んで十分にキンバリー達に対抗できる大勢を整えたなら、さっさと姿を消すつもりだった。

 だからこそ、詳しい事情を聞いてしまう前に、さっさと仲間を呼ぶよう訴えたのだが……

「グラント博士、あれのことを――【ベルセルク】のことを話します。よろしいですね?」
「……ええ。どのみち、隠し立てするような段階は過ぎてる。構わないわ」
「おいこら。なにをナチュラルに無視してくれてんだ。さっさと仲間を呼べよ」

 ヴァネッサが深刻そうな雰囲気でエミリーに尋ね(浩介をスルーし)、エミリーは目を伏せながら消え入りそうな声で同意した(浩介をスルーした)。その表情には、部屋の粗悪な電球が作り出す陰影以上に、暗い影が差している。浩介の影は薄くなっている。

 今まで、あわあわしているか、ぷるぷるしているか、ぷんすかしているエミリーの姿しか見ていなかった浩介は、そんな彼女がこれほどまでに暗い影に覆われたことを気にしつつも、「なぁ、なんで仲間を呼ばないんだよ? なぁ、なぁってばっ」とヴァネッサに詰問する。

「事の発端は、グラント博士の研究の過程で生まれた副産物である薬品――【ベルセルク】が外部に流出したことから始まります」
「聞こえないっ。なんにも聞こえないぞ! そんな厨二みたいなネーミングの薬品のことなんて、俺はしら――」
「【ベルセルク】――バーサーカー(狂戦士)の語源となった、敵味方区別なく、戦場で大暴れする強力な神の戦士のことです。誰がつけたのか不明ですが、中々に的を射たネーミングです。なにせ、【ベルセルク】は、そのままの意味で、ただの人間を二度とは戻れない“ベルセルク化”する最悪の薬なのですから」
「……」

 膝を抱えて暗い表情をしているエミリーの隣で、浩介は同じように体育座りをしながら耳を塞いでイヤイヤをする。そんな浩介の耳に、まるで捻じ込むようにして、声量を上げたヴァネッサの語りが突き刺さった。

「グラント博士は、その知識を求める者に狙われています。国家の安全に関わる重大事件であり、かつ、彼女の保護のために、我々、国家保安局が動きましたが……キンバリーの裏切りにより私以外のチームは全滅しました」

 仲間を思い出しているのか、ヴァネッサが僅かに目を細めつつ言葉を重ねる。

「当初は、キンバリーだけの裏切りだと思っていましたが……今思えば、不自然なほど応援との合流が果たせなかった。それが万が一に備えて貴方と契約した理由でもありますが……とにかく、この状況は、本部に対して“あるいは”と思わせるには十分です。それをはっきりさせるまで、安易に本部へ連絡を取るわけにはいきません」
「あぁ、はい。一応、俺の質問に答えてくれたわけね。でも、余計なのが沢山ついてたよ……」

 がっくりと項垂れながら、聞いてしまった内容を頭の中で反芻した浩介は、そっと天を仰いだ。

 視線の先には、点々と染みの滲んだ天井と、懸命に夜の闇を払う健気な電球がある。悪意を示すような黒々とした染みと、希望の光を呑み込まんとする夜の闇……それらはまるで、今のエミリー達を示しているようだった。

 偶然入った魔王様の指令でこの国にやって来て、偶然立ち寄った喫茶店で彼女達に出会い、偶然飛行機が取れなくて、偶然入ったホテルに彼女達がいた。

 なんて運命の悪戯か。

 世界一影の薄い男なんて嫌な称号を背負っているというのに、こんなときだけ世界は自分を見つけるのだ。

 とは言っても、

「異世界に召喚された時点で、今更、だよなぁ」

 そう、こんな事件に巻き込まれることなど、あの過酷な世界で生き残った魔王一行にとっては、確かに、今更だった。

「? ミスターK?」
「どうしたの?」

 浩介の呟きの意味が分からず、首を傾げるヴァネッサとエミリー。

 そんな二人に苦笑いと共に「なんでもない」と首を振り、取り敢えず、このまま話も聞かずに逃げ出すのは、良心的に難しいなぁと、浩介は二人の説明に耳を傾けることにするのだった。


いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。

ラノベ満載の本棚(網掛けタイプ)の上に、コーヒーダバァした……
黒く染まるラノベ達。白米の心も黒く染まる。
世界は、いつだってこんなはずじゃなかったことばっかりだ……

自壊の行進も、土曜日の18zです。たぶん、きっと、ふっかつしてれば。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ