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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

最終章

178/266

ありふれた職業で世界最強

決着です。
 
 ビキッ、パキッと、ユエが展開した障壁に亀裂が入っていく。

 光の砲撃は絶え間なく、一切合切を消滅させんと威力を上げていく。

『ここは【神域】。魂魄だけの身となれど、疲弊した貴様等を圧倒するくらいわけのないことだっ! 吸血姫の眼前でイレギュラーを消し飛ばし、今一度、その肉体を奪ってやろう!』

 空間全体に反響するエヒトルジュエの声。

 神剣や神焔といった透過性能を持つ魔法や、雷神槍のような天在を使った空間跳躍攻撃が同時行使されないところを見ると、ユエとの魂魄のせめぎ合いや【血盟の弾丸】によるダメージは、エヒトルジュエに対してそれなりの消耗を強いたようだ。

 だが、光の砲撃は、それでもなお絶大。その色は白銀。それが元々のエヒトルジュエの魔力光なのだろう。一見すると、神性を示すような煌きだ。だが、砲撃と同じく絶え間なく続く、憤怒と狂気を孕んだ哄笑が、全てを台無しにしている。

『さぁ、無駄な抵抗は止め、懺悔するがいい。最後の望みが絶たれた今、もはや、何をしようとも意味はない!』

 光が膨れ上がる。“聖絶”の亀裂が次第に大きくなっていく。

 ハジメとユエの二人にしてやられたことがエヒトルジュエの矜持をいたく傷つけたようで、ユエの体を慮る様子はない。再憑依した後、“再生”すればいいということなのだろう。それよりも、ユエがハジメを守りきれず、目の前で消し飛ぶという光景を作り出すことが重要なようだ。

 そんな悲劇的な未来をエヒトルジュエは確信しているらしい。満身創痍で概念魔法という切り札を二枚も切ったハジメに、もう余力があるとは思えなかったのだろう。かつての解放者達ですら七人掛りで三つしか生み出せなかったのだ。

 ユエに対する想いの強さ故の奇跡とすら言える。

 だからこそ、

「これで終わりだなんて、誰が言ったよ?」
『強がりを――』

 エヒトルジュエの言葉が途中で止まる。

 障壁の奥で、口元を三日月のように裂いた悪魔の如き笑みを浮かべるハジメを見たから。その表情に肉体もないのに悪寒が駆け巡る。

「ユエ」
「……ん。任せて」

 阿吽の呼吸。それだけで手札の詳細など知らずとも、ユエにはハジメの求めることが手に取るように分かる。だから、余計な言葉はいらない。これで最後だと黄金の魔力を唸らせて“聖絶”に力を注ぎ込む。

 ハジメの手に金属の粒子が集束した。錬成されたのは一発の弾丸。なんの変哲もない、ただの弾丸だ。

 しかし、そこでハジメはガリッと歯を鳴らした。そしてプッと吐き出されたそれは、隠蔽状態で奥歯に仕込んでいた最後の概念魔法――【全ての存在を否定する(何もかも消えちまえ)

 鎖の崩壊と共に消えたと思われていたそれを、ハジメはどうにか集束錬成で小指の先程度ではあるが確保し、加工した上で奥歯に仕込んでおいたのだ。この時の為に。

 粉微塵になっても集束すれば概念が生きていたことにハジメ自身驚いたが、それだけ、ユエを奪われたときの虚無的な感情は極まっていたのだろう。恐ろしいほどに深い想い。

 【血盟の刃ブルート・フェア・リェズヴィエ】も【血盟の弾丸ブルート・フェア・ブレット】も、あくまでユエを助け出す為のものだ。故に、最初から止めは純粋なまでに破壊を願った、この概念の弾丸。小さな、されど今や確かな存在感を放っている奥歯を、錬成で弾丸にコーティングしていく。

『それはっ』
「アルヴヘイトは神だから死んだわけじゃない。ただ、ユエに手を出されてキレた俺の暴走に巻き込まれただけさ。俺に神殺しなんて概念、生み出せるわけがないだろう?」
『き、きさま――』

 ハジメが、エヒトルジュエがしていた勘違いを訂正する。

 それは、エヒトルジュエにしろ、アルヴヘイトにしろ、この世界で暴威を振るう“神”だから相対したわけではないということ。

 南雲ハジメの逆鱗に触れた。

 ただ、それだけが、エヒトルジュエ達が滅ぶ理由なのだ。

 そう、言外に告げられ、エヒトルジュエは言葉を失う。ハジメにとって、エヒトルジュエもまた襲い来る魔物と大差はなかったのだということに気がついたから。

 その力には圧倒的な差があれど、今までハジメが潰してきた相手とスタンスは何ら変わらない。すなわち、“敵だから殺す”。全くもって特別なことなど何もなかったのである。

『ふ、ふざけ、きさまっ』

 言葉にならないといった様子のエヒトルジュエ。屈辱が大きすぎて、されど、向けられる概念が凶悪すぎて、今すぐ滅ぼしてやりたいという黒い意志と今すぐ逃げろという本能がせめぎ合ってしまう。

 その逡巡が命取りとなった。

「チェックメイトだ、三下」

 不敵に歪めた口元に咥えた弾丸をデリンジャーに装填したハジメは、辛辣な言葉と共に躊躇いなく引き金を引いた。装填された【存在否定】の弾丸が深紅の閃光となって放たれる。絶妙のタイミングでユエが障壁を透過させ、光の砲撃をものともせず、当たった端から消滅させていく滅びの一撃。

 エヒトルジュエは、今更ながら、焦燥をあらわにして回避を選択するが……

「ユエの名において命じるっ、“動くな”!」
『馬鹿なっ』

 体を乗っ取られた直後から、身の内で何度も力の流れを感じ、その効果を見て、聞いた。その仕組みを、戦乱の時代に僅か十代で当時最強の一角に数えられた魔法の天才がものに出来ないわけがない。

 魔力は既に底が尽きかけている。だが、それがどうしたと、ブラックアウトしそうな意識を意志の力で叱咤し、限界を訴える体を強引に捩じ伏せて魔力を搾り出し、“聖絶”に消費していた魔力をも回して発動した魔法――【神言】

 まさか、己の魔法を使われるとは思いも寄らなかったのだろう。エヒトルジュエの使う【神言】と比べれば幾分拙さが残るその術は、しかし、見事に対象を拘束した。

『我はっ、我は神だぞ!! イレギュラァアアアッ!!!』

 絶叫。

 迫る滅びの紅き閃光に、顔はなくても分かる。エヒトルジュエが、恐怖の表情を浮かべていることが。有り得ない光景、信じ難い現実、永劫に続くと信じて疑わなかった己の道が脆くも崩れ去る音が響く。

 しかし、どれだけ現実を否定しても、どれだけ己は神であり、絶対であると叫んでも……無情に、非情に、無慈悲に、理不尽に、化け物が上げる殺意の咆哮はこの世の一切合切を破壊する。

 それが現実なのだ。

 故に、

『――ッッッ!!!!!』

 深紅の閃光は光の奔流を貫き、絶叫を掻き消し、凄惨な未来を砕いて――狂った神の胸を貫いた。

 音もなく、深紅の閃光は白き空間の遥か彼方へと消えていく。

 光の奔流が霧散し、エヒトルジュエが胸元にぽっかりと空いた穴に手を這わせる。そして、言葉にならない悲鳴を上げながら、胸元を掻き毟るように、あるいは必死に塞ごうとしているかのように、哀れみすら感じさせる有様を晒してもがく。

『ぁあ、馬鹿な……そんな……ありえない……』

 現実を否定する言葉を漏らすものの、胸の穴を中心に光の肉体は崩壊していく。

 そして、最後に、もう一度「……ありえない」と呟いて、エヒトルジュエだった人型の光は、虚空に溶け込むようにして消滅した。

 同時に“聖絶”の輝きが虚空に溶け、ユエがペタリと女の子座りでへたり込む。

 ハジメが、ゆっくりと小さな銃を下ろした。

 静寂が辺りを包み込む。

 ハジメとユエの、少し荒れた息遣い以外何の音もない空間。

 ユエが、今にも閉じてしまいそうな目蓋を懸命に持ち上げながら、微笑みと共にゆっくりと肩越しにハジメを振り返った。

 それに対し、ハジメもまた笑みを返そうとして……刹那、

「ユエッ!」
「ッ――」

 ハジメの焦燥が含まれた警告の声が響いた。

 それにユエが息を呑んだと同時に、この世のものとは思えない奇怪な絶叫が響き渡った。

――ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!!

 同時に、不可視にして凄絶な衝撃が暴風となって二人を襲う。

 抵抗も出来ずに吹き飛んだユエは、ハジメの胸元へと背中から飛び込んだ。ハジメは咄嗟に、ユエに腕を回して体を捻り、衝撃から自らの体をもって庇う。

 轟音。

 それはハジメが半ば埋もれていた雛壇が木っ端微塵に粉砕された音。衝撃と白亜の壁にプレスされなかったことは僥倖であったが、尋常でない衝撃波の直撃を浴びたことに変わりはない。

 ハジメは、胸の中にユエを庇ったまま雛壇の残骸と共に、まるで暴風に翻弄される木の葉の如く吹き飛ばされ、地面を何度もバウンドしながらようやく止まった。

「グッ、がはっ、ユエっ……」
「……んっ、ハ、ジメ……」

 血反吐を撒き散らしながら、ハジメがユエを呼ぶ。ユエはハジメに庇われたが為にまだダメージは少ないようだったが、それでもまともに動けない程度にはダメージを負ったようだ。

 二人して手を繋ぎ合い、支え合いながらどうにか上体を起こす。そして、周囲を見渡して冷や汗を流した。

「おいおい、なんだこりゃ……」
「はぁはぁ……【神域】自体に、影響が出てる……みたい」

 ユエの言葉通り、白い空間は至る所に亀裂が入り、あるいはぐにゃりぐにゃりと歪んでおり、明らかに不安定になっていることを示していた。歪んだ場所には、どことも知れぬ世界、見知った世界、地上の光景などが映っては消え、また映っては消えるということを繰り返している。

 そして、奇怪な絶叫と絶大な衝撃波の源は……

「……実は、あと二回、変身を残して……いたってか? まぁ、ある意味、テンプレだわな」
「……ん。もう、ただの、怪物……」

 ハジメとユエが視線を向けた先、そこには歪んだ空間から吹き出すヘドロのようなドス黒い瘴気を纏い、あるいは吸収しながら、尚、奇怪な呻き声を上げるエヒトルジュエだったもの(・・・・・)がいた。

『ゥ゛ゥ゛ゥ゛、ア゛ア゛、ァ゛ァ゛ッッ――』

 その精神を逆撫でするような不快極まりない呻き声に惹かれるように、周囲の歪んだ空間から止めど無く瘴気が集まり、その中には魔物や使徒らしき姿が見て取れる。だが、どれも抵抗する素振りも見せず虚ろな瞳を虚空に向けたままエヒトルジュエへと吸い込まれていった。

 そして、更に響き渡る不快な音。ベキッ、ゴキュ、グチャ、ボキッと骨と骨が磨り潰されるような、あるいは肉と肉が潰れ合うような生々しい音が瘴気の中から響いてくる。

 同時に、途切れがちな言葉が反響するように広がった。

――死に、たく……ないっ、死にた、く…な……い
――どうし……じゅうぶ、ん…だ、と……わか、らない…しに、た…く、ないっ
――えい、えん……を…すべて……
――か、み……われ、は…かみ…なる、ぞ……なの、に…なぜ……
――まち…がって、な……ど、われ、こそ……
――した、がえ…すべて……こわれ……こわ、す…
――くるし…め、さけ…べ…なげき……わめ、け…
――いや、だ……しに、たく…な、いっ

 その言葉は、生への執着であり、他者への怨嗟であり、子供じみた独善であり、俗な自己保身であり、言い訳のしようもないただの八つ当たりであった。

 だが、死にたくないという思いも、一人となり何もかも壊したくなる気持ちも……本当は認めたくないし心底嫌になるが、ハジメには理解できてしまう。

 奈落の底で他者などどうでもいいと変心し、血肉を啜ってでも生き足掻いた。ユエを奪われたときは、虚無的な感情から極限の破壊をもたらす概念まで生み出し暴走した。

「……あれは、もしかすると、ユエ達と……出会えなかった……お――」

 俺なのかもしれない。そう呟こうとしたハジメの唇をユエのたおやかな人差し指が押さえて遮る。

 そして、静かに首を振ると囁くような声で、優しく否定する。

「……あれとハジメは違う。……あれにも、きっと想ってくれる者はいた。手を差し伸べるべき相手も、手を差し伸べてくれた者も。それを顧みなかったはあれ。その結果」

 ユエの深紅の瞳が優しく細められる。

「……今まで、ハジメが歩んできた軌跡。それがハジメの全て」

 変心しても、奈落の底で上げられた悲鳴を聞き届けた。この世界のことなどどうでもいいとそう言いながら、結局、多くの人々を助けてきた。そうやって歩んできた軌跡が、ハジメの暴走を止めた。

 だから、似ているように見えても、全然違うのだと。

 だから、私のハジメを貶めないで、と。

 そう伝える。伝わる。

「……ユエがそう言うなら、そうなんだな」
「……んっ」

 絶賛大ピンチだというのに何を感傷に浸っているのかと、そして、この土壇場で何を諭されているのかと、苦笑いを浮かべるハジメにユエはふわり微笑む。

 その間にも、エヒトルジュエだったものは、聞くに耐えない身勝手な心情を吐き出し続け、逆に魂魄には瘴気や魔物、使徒の残骸を凄まじい勢いで吸収していく。

 エヒトルジュエは明らかに正気を失っている。空間の不安定さを考えれば、先の衝撃波だけが原因ではなく、明らかにエヒトルジュエの異常が作用していると分かる。つまり、【存在否定】の弾丸は、確かにエヒトルジュエに対して致命傷級のダメージを与えたということだ。

 それでも消滅せず、否定され消滅した己の存在を補うように瘴気と魔物達を取り込んでいるのは、ひとえにエヒトルジュエの生存欲、支配欲に対する執着の強さ故だろう。

 そんな今にも消滅しそうな己を執念だけで保っているエヒトルジュエに、しかし、ハジメ達は止めを刺す術を持っていない。

 魔力は枯渇し、体は満身創痍でまともに立ち上がることすらできない。

 用意した切り札は使い切った。その事実に、ハジメはもう苦笑いするしかない。本当に、ファンタジーという夢と希望が詰まった言葉で表すには些かハード過ぎる世界である。

 と、その時、エヒトルジュエの周囲を覆っていた瘴気が破裂するように吹き飛んだ。

 未だ、渦巻くような黒霧を纏ってはいるが、その全貌ははっきりと見える。

「マジで怪物だな」
「……ん。いっそ哀れ」

 二人の感想は率直だ。

 そこにいたのは肉の塊。何種類もの肉を骨や皮と一緒に適当にこね合わせて、そこに手足を突き刺した蠢く肉塊。幾本もの触手がうねり、グロテスク極まりない。ただ、そこにいるだけで人の正気を奪っていくような吐き気を催す姿だった。

 その肉塊と成り果てたエヒトルジュエだったものが、不意に絶叫を上げた。

――ギィィァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!!

 途端、吹き荒れる暴風。黒い瘴気が渦を巻き、不可視の衝撃波が肉塊を中心に白亜の地面を吹き飛ばす。

 指向性を持たない、放射状に放たれたものではあるが、それでも既にそれなりの距離を吹き飛ばされていたハジメ達を、更に吹き飛ばす程度の威力は秘めていた。

 苦悶の声を漏らしながら吹き飛ばされ、それでも繋いだ手を決して離さないまま地面に叩きつけられた二人。ハジメは、苦痛に顔を歪めながらも、やれやれといった様子で肩をすくめて、ユエに指示を出した。

「ユエ、血を吸え」
「……っ、でも」
「大丈夫だ」

 ハジメの言葉に、ユエは逡巡する。ハジメは大丈夫だと言うが、そんなわけがない。既に致死量ギリギリか、あるいは既に越えているのではと思うほど出血をしているのだ。腹部の傷も、両足の傷も、塞がってなどいない。筋肉を締めて流血を抑えてはいるが、いつ出血多量で鼓動を止めてもおかしくない状態である。

 意識を保ち、今尚、生きる為に、敵を殺す為に、思考を働かせていられるのは、ひとえに化け物と称されるほど強靭な肉体のおかげだ。それでも本当にギリギリ。ここでユエが吸血すれば、止めを刺すことになりかねない。

 遠くで、再びエヒトルジュエが正気を削るような咆哮を上げる。その度に空間は激しく歪み、衝撃波が白亜の世界を破壊していく。更に、うねる触手が獲物を探すように彷徨う姿も見える。このままでは、何もせずと死ぬのは明白だった。それでも、逡巡してしまうユエに、ハジメは、笑みを見せる。

 それは、いつもの、ユエの胸の奥をキュッとさせる大胆不敵な笑み。犬歯を剥き、瞳をギラつかせ、味方には絶大な信頼を、敵にはトラウマ級の戦慄を与える、吸血姫を虜にする悪魔の笑顔。

「言っただろう? テンプレだって。俺が、この事態を想定していなかったと思うか?」
「ハジメ……」
「確かに、切り札は使い切った。ただし、用意した完成品は(・・・・)、な?」

 もはや、ユエに言葉はなかった。あぁ、本当に、私の愛した人は何て……悪魔的なのだろう。そんな想いで胸を高鳴らせながら、ユエは熱の篭った吐息を漏らし、コクリと頷いた。

 そして、ハジメの自分を抱き締める腕の感触を感じながら首筋に噛み付く。流れ込む血が、ほんの僅かにユエの魔力を回復させる――否、次の瞬間、凄まじい脈動が生じた。ドクンッドクンッと、通常であれば何の効果も得られないほどに微量の血が、“血盟契約”の効果など遥かに凌ぐ勢いでユエを回復させていく。

 その原因は一つ。

――ユエ専用アーティファクト 南雲ハジメ

 ユエの“血盟契約”を数段昇華させる効果と、“限界突破”を可能にする効果、そして、チートメイトの成分を付与した血中鉄分を豊富に含んだ血液。それがハジメの体には流れている。

 自分がアーティファクトを失い、取り戻したユエが疲弊し、更に【存在否定の弾丸】で殺しきれなかった事態を想定して、自分自身をユエ専用のアーティファクトに見立てたのだ。その名称通り、今のハジメは、ユエに限って言えば神水を超える力と回復をもたらす秘宝級アーティファクトなのである。

「……んぁ」

 あまりに甘美で、内から燃え上がるような快楽を感じて、ユエが思わず喘ぎ声を漏らす中、そんなユエの回復を察したように、エヒトルジュエから無数の触手が霞むような速度で射出された。その先端は鋭く、当たれば一撃で体を貫かれるだろう。

 ユエは、ハジメの首筋から口を離すと片手を盾にするように向かってくる触手へと向けた。途端、眼前の空間がぐにゃりと歪む。

 そこへ殺到する触手。

 だが、その全てが二人には届かなかった。歪む空間が全て呑み込んでしまったからだ。否、正確には別の空間へと放逐されているというべきだろう。

 ユエは少ない魔力で確実な防御をする為に、不安定になっている空間を利用したのだ。一から空間魔法を発動して空間遮断したりゲートを作ったりするような力はないが、それなら、既に揺らいでいる空間を使って別の世界とのゲートを作ってやろうということだ。既に空いている穴を押し広げるだけなら、それほど力は消費しない。

 ユエは空間放逐の結界が確かな効果を発揮しているのを確認すると、再び視線をハジメへと戻した。

 ハジメの瞳が、微妙に焦点をずらし始めている。今の微量な吸血だけで、やはり限界がきているのだ。顔からは血の気が引き、今にも目蓋と共に意識を落としてしまいそうである。傷口を意識して、その痛みで辛うじて意識を繋いでいる状態だ。

 ハジメの体を支えるユエに、ハジメが掠れた声で、されど何一つ諦めてなどいないと分かる力を秘めた声で話しかけた。

「ユエ……ある程度、回復……できたな?」
「……ん」
「手札は…ない。だが……無い、なら――」
「……作ればいい」

 ハジメに意思を汲み取り、空間を操作しながらユエが言葉を引き継ぐ。それに、薄らと笑みを浮かべながらハジメが続ける。

「……奴を、滅ぼす――」
「概念を、今ここで。でも、私一人の魔力だと、まだ足りない」
「変成、魔法……を。俺を――」
「っ……眷属化する。私には血があるから」

 ニヤリと笑うハジメに、どこまで想定していたのかと、そして随分と無茶な、されど最初から自分への絶大な信頼を前提としたその策に、ユエはもう何とも言えない表情になった。

「……材料は」
「俺の、眼を」

 ハジメの指示に従い、ユエの細い指がハジメの右目に添えられる。そして、ズブリと一気に差し込まれた。ハジメから僅かに呻くような声が漏れるが、ユエは口元を真一文字に引き締めながら躊躇わずに引き抜いた。

 その掌には、青白い小さな水晶球がある。魔眼石だ。

「ユエ……たの、む」
「……ん。任せて」

 そうして始まる変成の儀式。

 必要な魔力を得る為に、更に吸血されハジメは益々弱っていく。既に鼓動はいつ止まってもおかしくないほどに弱々しい。

 だが、ユエの手がハジメの胸元に添えられた途端、まるで電気ショックを浴びたかのように激しい鼓動の音が響いた。ドクンッ、ドクンッ! と脈打つ鼓動は、刻一刻と力強さを増していく。

 それは、ハジメをユエと同じ吸血鬼として変成させる魔法。ティオが、他の魔物を眷属に変化させたのと同じ原理だ。魔物と異なり繊細で脆い人間に使えば、普通はただでは済まない。まして、種族を変える変成魔法は最高難度魔法だ。

 竜化という、変成魔法を根源に持つ固有魔法の使い手であるティオをして黒隷鞭の補助がなければ成し得ないという時点で、どれだけ難しい大魔法か分かるだろう。それを特に変成魔法については習熟していないユエが、人間相手にぶっつけ本番で使う。

 希代の天才であるユエが、心身共に人外の強靭さを持つハジメに使うからこそ成功する可能性のある一手。否、最初からこの方法を想定していたハジメは、成功すると確信していたのだろう。ユエを、心の底から信頼しているが故に。

 遠くからエヒトルジュエの肉塊がのそりのそりと近寄ってくるのを感じる。それはきっと死へのカウントダウン。

 変成魔法に力を割いた為に空間の制御が甘くなり、幾本かの触手が体を掠り始めている。

 だが、そんな極限の状態でも、化け物の愛するパートナーは完璧に応えて魅せるのだ。

「ユ、エッ」
「……ん。来て、ハジメ」

 瞳がユエと同じ深紅に染まり犬歯を伸ばしたハジメが、ユエの触れれば折れてしまいそうな細く滑らかな首筋に噛み付いた。そして、吸血鬼の特性として血を力に変換していく。

「……んぁっ」

 ハジメの喉が鳴る度に、ユエから甘く熱い吐息が漏れる。

 体から力が抜けていくのが分かるのに、今はそれどころではないと分かっているのに、“もっと”なんて、そんなことを思ってしまう。

 甘美な喘ぎ声が響く中、流れ出る血の量に比例してハジメの魔力が回復していく。

 しかし、ユエは焦燥を感じながら思う。

(足りない……)

 そう、足りないのだ。概念魔法を創り出すには到底足りない。ハジメの全快にすら程遠い魔力では、今この瞬間も躙り寄ってくる神域の怪物を仕留める概念には届かない。

 自分の中に流れる血の限界は、もうすぐそこまで来ている。ハジメの回復量も把握している。このままでは、足りない魔力でイチかバチかの賭けに出るしかなくなってしまう。それも、相当分が悪い賭けだ。

「大丈夫だ。お前に捧げたアーティファクト()が、この程度のはずがないだろう?」

 焦燥が表情にあらわれていたのか、ユエの首筋から離れたハジメは、そんなことを言いながら今度はユエの唇を奪いにかかった。そして、「んぅ」と小さな声を漏らすユエの唇を犬歯で傷つけ、同時に、自分の唇にも傷を付ける。

 そうして、互いにキスを繰り返す内に、それは来た。

轟ッ!!

 と、凄まじい勢いで魔力が膨れ上がったのだ。

 ユエから枯渇寸前だったはずの魔力が噴き上がり黄金が渦を巻く。同時に、ハジメからも先までの回復量からは想像も出来ないほど莫大な魔力が噴き上がった。二人を中心に天を衝くかのような、否、実際に【神域】の空間を貫いて天へと昇る魔力の奔流が吹き荒れる。

 黄金と深紅が、まるで二人の関係をあらわしているかのように絡み合い、混じり合い、渾然一体となって荒れ狂う。

――粒子型アーティファクト “連理の契”。

 アーティファクト化しているハジメの血液と、ユエが体内に取り込んだ金属の粒子。この金属の粒子、実はこれ自体が一定条件下でのみ発動するアーティファクトだったのだ。その条件と効果とは、血盟契約を結ぶ二人が、アーティファクト化している互いの血を交換し合うことで、連鎖反応的に血力変換を行うことができるというもの。その効果は当人達が自ら血液交換(キス)を止めるまで際限なく続く。

「……ぁん」

 膨れ上がる力に、最愛と交じり合う喜びに、ユエが喘ぎながら身を震わせる。それはハジメも同じだ。腕の中にいる吸血姫が愛しくて仕方ないといった様子で僅かに血の味のする口付けを繰り返す。

 エヒトルジュエの成れの果てが、直ぐそこまで来た。触手と共に絶大な衝撃波を放ってくる。

――ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!!

 それに対して、ユエは目を向けることすらせずに歪曲空間を解除した。

 もう、そんなもの必要ないと分かっていたからだ。それを示すように、黄金と深紅の魔力が防壁のようにそびえ立った。そして、次の瞬間、同じように絶大な衝撃を放って全ての攻撃を相殺する。ハジメによる“衝撃変換”だ。

 その間も、二人はただひたすら睦み合っている。

 神域の怪物が放置される姿は、はっきり言って哀れであった。

 それが許せないというように、益々、不快極まりない奇声を発しながら苛烈な攻撃を放つエヒトルジュエ。

 その全てを魔力衝撃で退けながら、もはやこの白き空間を内側から破壊しかねないほど膨れ上がった膨大な魔力を従えたハジメとユエは、ゆっくり唇を離していった。二人の間に掛かる銀の橋が何とも艶かしい。

 場違いにもほどがある二人の甘い雰囲気を、しかし、邪魔できる者などこの世のどこにもいはしない。

 二人は抱き合ったまま、そっと手を重ねた。その間には神結晶が含まれた魔眼石と、吹き飛ばされても決して離さなかったちっぽけな銃がある。

 そして、唱えられるハジメの切り札(ありふれた技)

「“錬成”!」

 直後、黄金と深紅が溶け合い、太陽が生み出されたのかと思うような光が発生した。

 その美しく、力強い輝きに、エヒトルジュエの怪物は身悶えるように後退った。まるで、その温かさすら感じる光を嫌っているかのように。

 光が集束していく。

 その向こう側には、エヒトルジュエに向かってギラギラと輝く獰猛な眼光と共に腕を突き出すハジメの姿があった。その手には小さな銃が握られている。

 疲弊が激しいようで、カタカタと震えるボロボロの右手は照準を定めきれていない。それを、下から掬うようにそっとたおやかな手が支えた。ユエの手だ。

 寄り添い合いながら、二人で一つの小さな銃を構える。迸るスパークは深紅と黄金。全てを終わらせる必殺の弾丸が、今か今かと唸りを上げる。

 そこに込められているのは紛れもなく概念魔法。

――ギィイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!

 エヒトルジュエが狂ったように触手を放った。己に向けられる力の強大さが本能で理解できたのだろう。

 だが、そんな闇雲な攻撃が黄金と深紅を纏う二人に通じるはずもなく、その全てはあっさり魔力の衝撃で払われていく。

 そして、

「男にキスで勝利を与えるなんて、ヒロインみたいだな、ユエ」
「……ん。最後には必ず勝利をもぎ取っていくところ、ヒーローみたい」

 二人で軽口を叩きながら燦然と輝く銃をエヒトルジュエのド真ん中に照準する。

「まぁ、それはさておき、あれに言いたいことは一つだ」
「……んっ」

 二人は、一瞬、目を合わせる。互いの顔に浮かんでいるのは不敵な笑み。

 放たれる言葉は生まれたての強大な概念にして、散々吹っ掛けられた厄災の数々に対するお返しの言葉。そして、きっと、過去を通してエヒトルジュエに弄ばれた全ての人々の気持ちを代弁した言葉。

「「――【撒き散ら(よくも)した苦痛を(やってくれたな)あなたの元へ(このクソ野郎っ)】」」

 音もなく、空を切り裂く一条の閃光。

 それは、狙い違わずエヒトルジュエのド真ん中に突き刺さった。

 概念魔法【撒き散らした苦痛をあなたの元へ】――対象が今までに他者へ与えた苦痛や傷の全てをそのまま本人に返すという魔法だ。

 かつてゴルゴダの丘で聖槍に貫かれた聖人の如く、神だったのものは傷口からゴボリと血を噴き出した。もっとも、それはかの聖人のように聖なるものなどではなく、ヘドロのように黒く粘性のある不快な物質だったが。

 肉の塊が崩壊していく中、膠着していたエヒトルジュエの成れの果ては、一拍後、

――ギィイ゛イ゛イ゛イ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛

 と、凄まじい絶叫を上げた。

 そして次の瞬間、爆発したように血肉が四散し、ドス黒い瘴気が混ざった白銀の魔力が天を衝いた。

 それはまさしく、狂った神の断末魔の絶叫だった。数千年、あるいは万年に及ぶ非道の数々が全て己の身に返って来たのだ。理性なき怪物に成り果てたと言えど、地獄の責め苦すらも生温いというべき苦痛を一瞬にして万年分感じたに違いない。

 絶叫を内包した閃光は空間を粉砕し、その向こう側の見覚えのある赤黒い空へと抜けていく。

 紛れもなく、エヒトルジュエの、この世界の神の、最後の光景だった。

「……」
「……」

 ハジメとユエ、二人に言葉はない。

 ただ、徐々に細くなり虚空へと消えゆくエヒトルジュエ最後の光を眺める。その手に持つ銃は、負荷に耐え切れなかったようでボロボロと崩れて消えていった。

 何もなくなった掌を自然と繋ぎ合わせて、二人は顔を見合わせる。既に魔力は霧散し、二人の周りは静かだ。体力も魔力も何もかも使い切った二人は、人の字のように互いの体を支え合い、抱き締め合う。そして、ふわり笑いあった。

 場の創造主がいなくなったせいか、白い空間が鳴動を始めた。不安定だった空間は、いよいよ荒れ出し、あちこちで崩壊し始めている。ハジメは、周囲や自分達の状態を確かめたあと、苦い表情で口を開いた。

「ヤバイ、な。黄昏れている場合じゃ、なさ……そうだ」
「……ん。ハジメ、立てる?」
「……チッ、足……どころか、体自体、碌に動かせねぇ。ユエ、は?」
「……座っているのが……やっと」

 二人して顔を見合わせ苦笑いする。どうやら、本当のピンチは神を屠った後に来たらしい。

「悪いな、ユエ。……本当は、エヒトを殺ったあと、回復を待って、粒子で……ゲートキーを作成する……つもりだったんだが……」
「……ん。そんな時間はなさそう。もう、交わし合う血の一滴もない」
「ああ。それに……粒子自体も、不安定な……空間に呑まれて、もう残ってない。最悪、腕か足の骨でも使え……ば、使い捨てアーティファクトくらい……作れると踏んで……いたんだが……」

 【神域】の崩壊が早すぎて魔力の回復が間に合わないと、ハジメは苦虫を噛み潰したような表情になる。予想していなかったわけではないが、エヒトルジュエの余りのしぶとさは、ハジメをして余裕など持てないほどで、倒すことに全力を注がねばならなかった。それ故に、回復薬を残す余地も、血力変換するための血も、もはや残ってはいない。

 最後の最後で、本当に手札が尽きたことに「俺の間抜け」と内心で罵りながら、しかし、絶望など微塵もない。

「ここまで来て……終わりなんて……認めない。這ってでも、帰るぞっ」
「……んっ」

 互いに肩を貸しあって、文字通り、崩壊していく白い世界を這うように少しずつ進んでいくハジメとユエ。遅々として進まない歩みだが、二人の目に諦めの色は微塵もない。

 それでも現実はいつだって非情で、周囲の崩壊は益々激しくなり、二人の意志ごと呑み込まんと迫って来る。ハジメの視線の先には、いつの間にか現れていた光のベールがあった。この空間への出入口だ。

 崩壊が迫る。死が忍び寄ってくる。必死に、光のベールへと進む。

 だが、その眼前で光のベールが崩壊した。

「くそっ」
「……ハジメ」

 サラサラと崩れて消えていく脱出の道筋に、ハジメの口から思わず悪態が漏れる。それを宥めるようにユエのハジメを掴む手にギュッと力が込められた。

「……八方塞がり、だ。後は、賭けるしか……ない」
「……ん。崩壊に、飛び込む」

 もう、それしか残っていない。シア達がそうしようとしたように、ハジメとユエも、イチかバチか時折見える地上の光景を狙って崩壊する空間そのものに飛び込むのだ。

 だが、どう考えても未来があるようには思えない。賭けにすらなっていないような無謀な試みだ。言ってみれば、爆弾を胸に抱えて、その爆発力で上手く遠くまで吹き飛べるかもしれないと言っているのと同じなのだから。吹き飛ぶ以前に、木っ端微塵になること請け合いである。

 だが、それでも諦めるつもりだけは毛頭なかった。

「……ユエ」
「ん?」
「愛してる」
「んっ、私も……愛してる」

 崩壊を前にしているとは思えないほど落ち着いた様子で想いを言葉にして届け合う二人。いよいよ、無事な地面も無くなってきた。二人のいる場所にも亀裂が入っていく。

 そうして、ビキリッと嫌な音が足元から響き、二人が覚悟を決めて地上の見える空間に飛び込もうとした、その瞬間

『ちょあーーー! 絶妙なタイミングで現れるぅ、美少女戦士、ミレディ・ライセンたん☆ ここに参上! 私は呼んだのは君達かなっ? かなっ?』

 何か出てきた。

「「……」」

 思わず目が点になるハジメとユエ。

 しかし、そんな二人にお構いなく、闖入者はテンションアゲアゲで口を開いた。

『なんだよぉ~、せっかくピンチっぽいから助けに来てあげたのにぃ~、ノーリアクションかよぉ~。ミレディちゃん泣いちゃうぞ! シクシク、チラチラッてしちゃうぞぉ?』
「……うぜぇ」
「……ん。確かにミレディ」

 半端ないウザさに、二人してようやく目の前の光景が現実であると受け入れたようだ。そして周囲を見れば、いつの間にか崩壊が食い止められている。

「これ……お前、か?」
『ふふん、まぁね。このくらい解放者たるミレディちゃんには容易いことさぁ~。といっても、あと数分も保たないけどね☆』
「……もしかして、脱出、できる?」
『もっちろんだよぉ! 既にウサちゃん達も地上に投げ捨てて来たからね☆ 後は二人だけだよん! 流石、私! 出来る女だっ! はい、拍手ぅ拍手ぅ!』

 ニコちゃんマークの仮面を、どういう原理かキラッキラッさせながらそんなことを言うミレディに、言動のウザはともかく本気で感心と感謝の念を抱く。と同時に、果てしなく悔しい気分になったハジメとユエ。

 だが、次の言葉で半笑いだった二人の表情は崩れ去る。

『ほい、これ【劣化版界越の矢】、最後の一本ね。こんな不安定な空間でないと碌に使えない不良品だけど脱出には十分なはずだから。後、サービスで回復薬だ! 矢の能力を発動させるくらいには回復するはずだよん! それ飲んだら二人共さっさとゴー! ゴー! あとはお姉さんにまっかせなさ~い☆』
「……お前は? 一緒に、出るんじゃないのか」

 投げ渡された【劣化版界越の矢】をユエが受け取るのを横目に、ハジメが疑問を投げかける。まるでミレディが、この崩壊する空間に残るような言い方をしたからだ。

 その推測は、どうやら当たりだったらしい。

『うん、残るよぉ~。こんなデタラメな空間を放置したら地上も巻き込んで連鎖崩壊しちゃいそうだからね。私が片付けるよ』
「……まるで、ここで死ぬ……みたいな言い方だな」

 回復薬のおかげで、確かにアーティファクトを発動させる程度の魔力は回復したハジメが、幾分滑らかになった口調で問う。

 ミレディは、それにあっけらかんと答えた。

『うん。私の、超奥義☆な魔法で【神域】の崩壊を誘導して圧縮ポンしちゃう予定だから。崩壊寸前だし、私のこの体と魂魄を媒体に魔力を増大させれば十分できる。だから、私はここで終わり』
「自己犠牲か? 似合わねぇよ。それより――」

 諦めたような物言いが癇に障ってハジメが言い募ろうとしたその時、ミレディ・ゴーレムに重なるようにして十四、五歳くらいの金髪美少女が現れた。魂魄を投影しているようで、それがミレディ本来の姿なのだろう。

 その少女姿のミレディは、おちゃらけた口調とは裏腹にひどく満足げな、それでいて優しい表情でハジメとユエを見つめた。

『自己満足さぁ。仲間との、私の大切な人達との約束――“悪い神を倒して世界を救おう!”な~んて御伽噺みたいな、馬鹿げてるけど本気で交わし合った約束を果たしたいだけだよん』
「……」
『あのとき、なにも出来ずに負けて、みんなバラバラになって、それでもって大迷宮なんて作って……ずっと、この時を待ってた。今、この時、この場所で、人々の為に全力を振るうことが、ここまで私が生き長らえた理由なんだもん』

 独白じみたミレディの言葉を、ハジメとユエは黙って聞く。ミレディが安い自己犠牲で悦に浸っているわけではなく、自分達など想像も付かないほど昔から胸に秘め続けた想いを、今この時、成就させようとしているのだと理解したから。

 そんな二人を見て、ミレディは益々優しげに目を細める。

『ありがとうね、南雲ハジメくん、ユエちゃん。私達の悲願を叶えてくれて。私達の魔法を正しく使ってくれて』
「……ん。ミレディ。あなたの魔法は一番役に立った」
『くふふ、当然! なにせ私だからね! 前に言ったこともその通りだったでしょ? “君が君である限り、必ず神殺しを為す”って』
「……“思う通りに生きればいい。君の選択が、きっとこの世界にとっての最良だから”とも言っていたな。俺の選択は最良だったか?」
『もっちろん! 現に、あのクソ野郎はあの世の彼方までぶっ飛んで、私はここにいるからね! この残りカスみたいな命を誓い通りに人々の為に使える。……やっと、安心して皆のところに逝ける』

 きっと、生身ならばミレディの目尻には光るものが溢れていただろう。そう思わせるほど、ミレディの言葉に万感の想いが込められていた。

『さぁ、二人とも。そろそろ崩壊を抑えるのも限界だよん。君達は待ってくれている人達の所へ戻らなきゃね。私も、待ってくれている人達のところへ行くから』

 再び、停滞していた空間の鳴動が始まる。

 ふらつきながも、回復薬のおかげでどうにか立ち上がったハジメとユエは、ユエの手に握られた【劣化版界越の矢】を発動させながら真っ直ぐにミレディを見つめ返した。

「……ミレディ・ライセン。あなたに敬意を。幾星霜の時を経て、尚、傷一つないその意志の強さ、紛れもなく天下一品だ。オスカー・オルクス。ナイズ・グリューエン。メイル・メルジーネ。ラウス・バーン。リューティリス・ハルツィナ。ヴァンドゥル・シュネー。あなたの大切な人達共々、俺は決して忘れない」
「……ん。なに一つ、あなた達が足掻いた軌跡は無駄じゃなかった。必ず、後世に伝える」
『二人共……な、なんだよぉ~。なんか、もうっ、なにも言えないでしょ! そんなこと言われたら! ほら、本当に限界だから! さっさと帰れ、帰れ!』

 どこか照れたような、それでいて感極まったような表情で顔をぷいっと背けるミレディがパタパタと手を振った。

 鳴動はいよいよ激しくなり、崩壊が再び始まってきている。

 ハジメとユエは、目を合わせようとしないミレディに仄かな笑みを見せつつ、崩壊した白亜の地面の淵までやって来た。そして、お互いに頷く。

「じゃあな、世界の守護者」
「……さよなら」

 そう言って二人は深淵のような崩壊した空間へと飛び降りていった。

 後に残ったミレディは、「ふぅ~」と息を吐く仕草をする。

『世界の守護者、ね。むず痒いなぁ。最後の最後に、あれは反則。……報われた、なんて思っちゃったじゃんか』

 そんなことを独り言ちながら、その身を中心に黒く渦巻く球体を作り出した。黒い雷のようなものをスパークさせながら、黒き禍星の中心でミレディはそっと視線を上げる。

 いつの間にか、そこには、どれだけの年月が経っても色褪せることのない大切な人達の姿があった。

『みんな……』

 言葉はない。死に際の走馬灯、あるいはただの幻覚かもしれない。

 だが、そんなことどうでも良かった。

『なんだ、迎えに来てくれたんだ。えへへ、じゃあ、言っちゃおうかな。遂に、言っちゃおうかな!』

 禍星が、周囲の一切合切を呑み込んでいく。“絶禍”など比べものにならない。全てを呑み込み己が内で粉砕する、そう、言うなればブラックホールだ。

 媒体としたアーティファクトであるゴーレムが跡形もなく消えていく中で、ミレディの魂は天真爛漫を絵に描いたような表情と声音で叫んだ。

『みんなぁ、たっだいまぁーー!!』

 次の瞬間、白き空間は、音もなく光と共に消滅した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 銀色の天使達が、まるで流星のように次々と地に堕ちていき、赤黒い世界は絶えず鳴動し、本来空が見えるはずの天には反転した別の世界がゆらゆらと揺れながら見えている。その反転した幾多の世界も、一見して分かるほど崩壊し始めている。

 世界の終末。

 そんな言葉が、連合軍の人々の脳裏に過ぎった。猛威を振るった使徒達が機能停止をしても素直に喜べないのは世界が上げる悲鳴を感じ取ったからだ。

「あぁ、神よ……」

 誰かが、そう呟いた。

 世界の崩壊を前にして、手の中にある剣の何とちっぽけなことか。誰もが、ただ、呆然と壊れゆく天上の世界を眺めることしかできない。

 その時、凛とした声が響いた。姿の見えない神などではない。自分達の傍らにいて、共に死線をくぐり抜けた“豊穣の女神”――畑山愛子の声だ。

『皆さん、絶望する必要などありません! あそこには、あの人がいるのです! 今、この瞬間も、あそこで悪しき神と戦っているはずです! 使徒が堕ちたのも、空の世界が壊れていくのも、悪しき神が苦しんでいる証拠です! だからっ、祈りましょう! あの人の勝利を! 人の勝利をっ! さぁ、声を揃えて! 私達の意志を示しましょう!』

 シンと静まり返る戦場。

 愛子の言葉は、ハジメに渡されたセリフ集のものではない。その証拠に、ハジメのことを“我が剣”ではなく“あの人”と呼んでいる。紛れもなく、愛子自身の心からの叫びだった。ハジメ達の無事と、その勝利を信じているという愛子の意思を示す言葉。

 最初に応えたのはリリアーナ。

『勝利をっ!』

 アーティファクトで拡声された可憐な声が戦場に木霊する。

 それに血塗れの姿で、それでも力強く呼応したのはガハルド。

『勝利をっ!!』

 続いて、カムが、アドゥルが、アルフレリックが叫ぶ。

『勝利をっ!!!』

 そうすれば、自然と人々は心を繋げていく。

――勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ! 勝利をっ!

 戦場に勝利の大合唱が響き渡った。鳴動を呑み込み、大地を痺れさせて、天上の世界へ届けと“人”の意志が暗闇を払う陽の光の如く立ち昇っていく。

 人間も、亜人も、異世界人も関係なく、自分達の勝利を、そして、天上の世界で戦う者達を信じて、有り得ないほど綺麗に揃った雄叫びを繰り返す。

 そんな中、一人、合唱には加わらず一心に空を見つめる黒の天使がいた。ミレディを信じてハジメ達の帰還を心待ちにする香織だ。宙に浮いたまま、他には何も見えないというように崩れゆく【神域】を見つめ続ける。

 と、その時、香織の感覚に何かが引っかかった。

 場所は、崩壊した【神山】の上空辺り。

 ハッとした様子で、そちらに視線を向ければ、【神山】上空八千メートルくらいの空間がぐにゃりと歪み、直後、楕円形の穴をポッカリと空けた。常人には分からないくらい距離があり、穴自体も人が数人通れる程度なので香織以外に気がついた者はいない。

 香織は予感に駆られて漆黒の翼をはためかせた。同時に、その穴からヒュポッ! と人影が飛び出してくる。

「アーー!!」
「ぬおぉおおおっ!!」

 白と黒の影。遠目にも一発で分かる仲間の姿。

「シアッ、ティオ!」

 香織は一気に加速した。どういうわけか、シアもティオも真っ直ぐ地面に向かって落ちており減速する素振りがない。香織は黒銀の流星となって空を駆ける。

 途中、シア達が落ちてきた穴からスカイボードに乗った雫達が慌てたように飛び出してきたが、取り敢えず悲鳴を上げている二人の為に、香織は速度を緩めず急迫した。

 そして、地上数十メートルの位置で見事に二人纏めてキャッチする。見れば、地面付近に鈴が張ったと思われる輝く障壁が展開していたので大事はなかっただろうが。

「シア、ティオ! お帰りなさいっ!」
「ふぇ、あ、香織さん! ただいまです!」
「助かったのじゃ、香織。それと、ただいまじゃ」

 空中で、香織の腕にしがみつきながらシアとティオがホッと息を吐き出す。パタパタと翼を動かして地上に降り立った香織に優しく地面に下ろされた二人はペタンと座り込んだ。

 そこへ、上空から雫、鈴、龍太郎、光輝が降りてくる。

「香織!」
「雫ちゃん!」

 スカイボードを乗り捨てた雫が香織へと飛びついた。香織もまた雫を受け止める。

「カオリ~ン! ただいま!」
「鈴ちゃん。お帰り!」
「よっ、そっちも無事みてぇだな」
「龍太郎くんも、お帰りなさい」

 雫を抱きとめたまま、鈴も向かい入れて、龍太郎の言葉ににこやかに返す。そして、少しバツ悪そうにしている光輝にふっと柔らかな笑みを見せた。

「光輝くん、お帰り」
「……あぁ、ただいま。全部、沢山、ごめん。本当に、ごめん。それと……ありがとう」

 魔王城では香織を襲ってしまっただけに、迎えの言葉はもらえないだろうと覚悟していた光輝は目の端に涙を溜めながら頭を下げた。雫達と同じく見捨てないでいてくれたことに、ただただ感謝する。もちろん、もう勘違いするようなことはない。

 そんな光輝に一つ頷いてから、香織は空を見上げた。そして、何かを探すように視線を巡らせる。誰を探しているかなど明白だ。

「香織さん……ハジメさんとユエさんは一緒ではありません」
「シア……それって」
「案ずるでない、香織。必要であったが故に、途中で別れただけじゃ。ご主人様もユエも、必ず帰ってくる」
「ティオ……」

 不安そうな表情の香織にティオが諭すように声をかけた。

 ミレディが飛び込んで来た後、彼女から【劣化版界越の矢】を受け取ったシア達は、空間に穴を空けて地上へ飛び出してきた。

 当然、ミレディがそのままハジメ達の元へ行くと聞いたときは、誰もが一緒に行くと言った。特に、シアなど不退転の意志を示しており、先に脱出するなど有り得ないと燃えるような瞳が物語っていた。

 しかし、空間を渡るには【劣化版界越の矢】が必要で、ハジメ達の元へ行くのに残りの矢は心元なかった。失敗作であるからして幾本か作られていたものの、本物と違い一度の使用で崩壊してしまう上に穴を空けていられるのも僅か数秒なのだ。

 しかも、矢によって空けられる穴の大きさは限られている。崩壊の激しくなっていく世界で、数秒も穴を通る順番待ちをしている余裕があるとは思えなかった。帰りはハジメとユエが加わることを考えると、最悪、脱出する者を選ばなければならないという事態になりかねなかったのだ。

 結果、シア達は先に脱出することになった。本当に渋々ではあったが。自分達が行くことで、全員で帰れなくなるかもしれないと言われれば納得するしかなかった。それに、「必ず、ハジメ達を帰してみせる」と約束した時のミレディの様子がいつになく決意に満ちたものであったことも背中を押した要因だろう。

 それでも、崩壊する【神域】に残るハジメとユエを心配する気持ちが消えるわけではなく、シアとティオも無言で空を見上げた。雫達も同じように祈りながら天を仰ぐ。

 戦場では、未だ連合の人々の力強い祈りの言葉が響いている。

 どれくらい経ったのか。永遠にも感じるが、きっと数十分も過ぎてはいない。

 と、その時、それは起きた。

「あっ」

 それに思わず声を上げたのは香織だった。

 シア達の、そして連合軍が見つめる視線の先で黄金と深紅の交じり合った光の柱が、突如、空間を貫いて天を衝いたのだ。

 その絶大という言葉ですら足りない魔力の奔流に、そして、そこに込められた圧倒的な意志のうねりに、思わず戦場の雄叫びが止む。誰もが魅せられたように螺旋を描いて天へと昇る二色の魔力を凝視している。

「ハジメさん! ユエさん!」

 シアが叫んだ。歓喜の溢れた声音で。

 直後、黄金と深紅の魔力が逆再生のように集束を始めた。

 そして、

 世界に響く断末魔の悲鳴。直接、鼓膜を震わせたわけではないが、確かに、世界中の誰もが耳にした終わりの声。同時に、今度は白銀にドス黒い瘴気の混じった閃光が噴き上がった。わけもなく、誰もがあれは神から流れ出した血なのだと、そう思った。

 やがて、濁った白銀の光も虚空へと霧散していき、世界に静寂が戻る。

 どうなったのだと、誰もが固唾を呑む中、空を覆う空間の歪みとその奥に見える崩壊していく天上の世界が、突如、一点を目指して収縮していく。まるで、何かに吸い込まれていくように、あるいは圧縮でもされているかのように。

 次の瞬間、一点に集まった天上の世界が四散した。

 音はない。

 ただ静かに、蒼穹の如き鮮やかな色の波紋を幾重にも放っている。いつしか、世界を揺らす鳴動(悲鳴)は止み、怯えたような大地の震えも止まっていた。

 世界に波紋が広がっていく。

 蒼穹の色だけでなく、夕日あるいは朝焼けの色、真昼の陽の色、冴え冴えとした月の色、瑞々しい草木の色、力強い大地の色、包み込む夜の色が折り重なる。

 七色の美しき波紋は、どこまでも伸びてゆき、やがて、赤黒い世界に亀裂を入れ始めた。それは先程までの崩壊を印象付ける荒々しいものではなく、そっと塗り替えていくような優しい変化で……

「あぁ……神よ」

 誰かが呟いた。それはもう、救いを求めるものではない。ただ、胸を満たす感動が故。

 世界が色を取り戻してく。まさしく、神話というべき壮麗な光景。

 赤黒い世界はキラキラと煌きながら破片となって砕けていく。

 空の波紋は徐々に勢いを弱め、しかし、消えることなく、ホロホロと静かに涙を流す人々を見守るように、虹色のオーロラとなって漂った。

「ハジメくん……ユエ……」

 そんな中、食いしばった歯の隙間から漏れ出したような声音が響いた。香織が、血を流すほどに手を握り締めながら消滅した【神域】を睨みつけている。

「ハジメ……」
「南雲くん」
「くそっ、どうなってんだっ、あの馬鹿っ」
「南雲っ」

 雫が、鈴が、龍太郎が、光輝が、歯噛みしながら険しい眼差しを空へと向ける。ティオもまた、スっと細めた眼差しで空を見上げながら一瞬も逸らそうとはしなかった。

 赤黒い世界が消える。

 太陽が本来の輝きで世界を照らし始める。

 待てど暮らせど、待ち人の姿は見えない。

 やがて、その事実に耐え切れなくなったように、鈴が呟いた。

「……嘘、だよね」

 龍太郎が、ギリッと歯を鳴らす。

「くそがっ」

 光輝が、呆然と口を開く。

「まさか……二人共……本当に、もど――」

 そして、半ば無意識に最悪の推測を口にしようとして……

「大丈夫ですッ!!」

 そんなビリビリと響くような大声に遮られた。

 ハッとしたように視線を転じる光輝達。そこには、ウサミミをピンッと立てて真っ直ぐに空を見上げるシアの姿が。

 シアは、空から目を逸らさずに確信に満ちた声音で言う。

「今、ハジメさんとユエさんは一緒なんです。あの深紅と黄金の魔力が寄り添っていたのがその証拠。共にある限り、二人は無敵なんです!」

 だから、この程度の難局、笑い飛ばして帰ってくる。シアの絶大な信頼が宿った言葉は、言霊となって世界へ響く。

 不思議と、不安に駆られていた者達の心が軽くなった。

「……うん。そうだね。あの二人が揃っていて、打ち破れない困難なんて想像できないよ」

 香織が同調する。先程までの不安に濡れたものではなく、シアと同じく確信に満ちた力強い声音。

「全くじゃな。きっとあの二人が本気になると、辞書から“しくじる”という言葉が消えるのじゃろう。むしろ、イチャつくのに忙しくて遅れておるのかもしれん」

 ティオが冗談めかして、そんなことを言う。その表情は、やはり険しさが取れて確信に満ちたものになっていた。

「そうね。むしろ、というより、絶対、イチャイチャしているわ。感動の再会だもの。私達のことなんて空の彼方かもしれないわ」

 苦笑いしながら、然もありなんと頷く雫。その物言いに鈴達の表情も和らぐ。

 その直後、シア達の言葉が正しかったといことを示すように……

「あ……ふふ、ほらっ」

 シアが指を差す。

 そこには、当然……


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 空にかかる虹色のオーロラ。そのベールの合間に小さな穴が空いた。

「うおっ」
「……んっ」

 その穴からピタリと寄り添い合う人影が、驚きの声と共に飛び出した。言わずもがな、ハジメとユエだ。

 ハジメは片腕でしっかりユエを抱き締めて、ユエもまた、ハジメの首筋に腕を回してギュッとしがみついている。

 そのまま、轟ゥ轟ゥと風の唸りを耳元に感じながら、二人は重力に任せて自由落下を開始する。

 高さ的に地上までは三十秒といったところか。

 仰向け状態で落ちていくハジメは、急速に離れていく神秘的なオーロラと肩越しに確認した地上までの距離を見てパッと計算する。落ちた場所は、連合軍から少し離れた場所のようだ。

「ユエ、飛べるか?」
「……無理。矢の発動に使い切った」
「まぁ、そうだよな。ちょっと乱暴になるから、しっかり掴まっとけよ」
「……ん。捕まえとく。絶対に逃がさない」
「……」

 パラシュート無しのスカイダイビングを体験しながら、そんな余裕に満ちた会話するハジメとユエ。至近で自分を見つめるユエの妖艶な眼差しと声音に、ハジメが思わず声を詰まらせたのは仕方ないことだろう。

 空中で凄まじい風圧に晒されつつ、少し高鳴った鼓動を極力無視して、ハジメはユエを抱えたままくるりと反転した。そして、深紅の魔力を薄らと体に纏う。それで片腕がなくバランスの悪い体が風に翻弄されるのをどうにか制御する。

 回復薬を飲んだとは言え、その回復量は微々たるもの。元々、受けていたダメージの深さや概念魔法を創造した影響などもあって魔力の回復も遅い。“空力”を使える回数にも限りがある。

 その制限の中で、完璧に速度を落とし地上へ降り立たねばならないのだ。正直に言えば、十数回しか使えず、しかも、十全に効果を発揮するとは言い難い“空力”のみで高度数千メートルからのスカイダイビングを成功させるなど神業以外のなにものでもないのだが……

「最後がユエとスカイダイビングか……悪くない」

 そんなことを言う。この程度、危機にすらならないということだ。

 ハジメがスっと体を起こした。直後、足元に深紅の波紋が広がり、一瞬で砕ける。しかし、確実に減速した。それを繰り返す。

 連合軍の人々も気がついた。オーロラの狭間から深紅の波紋を幾度も広げては四散させながら、まるで彗星のように降りてくる人影を。

 その瞬間、感極まったような声音が響いた。女神様の声だ。

『わ、私達の、勝利ですっ!』

 一拍。

――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!

 戦場に、否、新たな世界に人々の爆発したような歓声が響いた。

 その世界が上げた産声のような勝鬨に応えたように、空を覆う虹色のオーロラからキラキラと光の粒子が降り注いだ。輝きを取り戻した太陽の光が反射して、まるでダイヤモンドダストのように世界を煌めかせる。それはきっと、新たな世界への祝福だ。

 光のシャワーが降り注ぐ中、最後の波紋を蹴りつけて見事に減速しきったハジメが、ユエを抱きしめたまま地面に降り立つ。といっても、両足の傷は治りきっておらず、“空力”の使用で回復した魔力もとうとう使い切ってしまったので、そのまま仰向けにパタリと倒れることになったが。

「ははっ、決まらねぇなぁ」

 苦笑いしながらピクリとも動かない体を横たわらせるハジメ。その表情は、どこか清々しい。

 ずっと抱かれていたユエは、そのままハジメに馬乗りとなりペタリと張り付くように抱きつくと、今にも触れ合いそうな至近距離でハジメを見つめながら小さく首を振る。

「……決まってた。最高に格好良かった」
「そうか?」
「……ん。ハジメ、ありがとう。大好き」

 そうして、蕩けるような笑顔を魅せると、ユエはその柔らかで甘やかな唇をハジメに押し付けた。

 大の字となり、動けない故に為されるがままたっぷりと堪能されるハジメ。もっとも、たとえ動けたとしてもユエが望む以上、ハジメに抵抗の術などありはしない。

 ユエの姿は大人のまま。外見と中身のギャップがもたらす魅力は無くなったものの、全身から匂い立つような色気を発しており、むしろ凶悪さは増しているかもしれない。

 大人の外観は、おそらく変成魔法によるものだ。だとすれば、魔力さえ回復すればユエは自在に大人と少女を行き来できるかもしれない。ユエの求めに翻弄される未来が見えるようだ。もっとも、心囚われているのはユエも同じだろうが。

 終わらぬ口付けは連合の歓声すら消し去って、二人だけの世界を形成する。

 だが、そこへ二人をして無視できない声が響いてきた。

「あーー! やっぱりイチャついてますぅ! 人の気も知らないで! っていうか、ユエさんが……」
「大人になってるぅううう! ユエが大人の魅力でハジメくんを襲ってるぅ!」
「うぅむ。予想通りじゃな。いや、大人になっとるのは予想外じゃが……どれ、妾も参戦しようかの」
「うっ、すごい色気が……で、でも引くわけにはいかないわ! 乙女は突撃あるのみよ!」

 シア、香織、ティオ、雫の四人だ。その後ろから鈴や龍太郎、光輝も駆けてくる。

 感動の再会とは思えないほど賑やかな様子でハジメに飛びついていくシア達。口を離して「ただいま」を言うユエを巻き込んで、ハジメは美女、美少女塗れとなった。

 そして、口々に伝えられる万感の想いを込めた「お帰りなさい」という言葉に、ユエと同じく「ただいま」を伝える。

 空からダイヤモンドダストが降り注ぎ、世界を煌めかせる。周りには、涙ぐみ、歓喜に笑顔の華を咲かせる大切な者達。遠くから、自分の名を呼びながら駆け寄ってくる多くの存在も感じる。

 自分を包む温かさと、込み上げる達成感、そして満ち足りた想いに、ハジメは笑みを浮かべた。それは不敵さと優しさが綯交ぜになったような不思議な笑みで……

 その“南雲ハジメ”の笑みに女の子達が胸の奥をキュッとさせられている中、ハジメは心地よい疲労に身を委ねて、そっと目を閉じるのだった。



今まで、読んでくださり有難うございました。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございました。

ここでは、多くを語りません。
今週の土曜日に、エピローグを投稿します。
そのとき、あらためて完結のご挨拶をさせていただこうと思います。
なので、取り敢えず、これだけ言わせていただきます。

長い間、一緒に楽しんでくれて、本当に有難うございました!
+注意+
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